瀬戸大橋を快速マリンライナーで渡って坂出に着く。バスで栗林公園に。(画像追加予定)
久しぶり、40年前に来たことがあります。まだ20代後半。二人の子供をつれた初めての宿泊旅行でした。思えば懐かし~。
栗林公園に隣接して動物園があったのだけれど、今は後影もない。
露店に並んでいたミカンが超お値打ち。ホテルで食べたりしたいと一袋買ったけれど、本当はもっと買いたいぐらい。
きれいに保たれている和庭園は見事。記憶の中の栗林公園と同じです。
讃岐うどんのお店で昼食をとって、吉野川沿いをバスは走る。
渓谷は深い。グーグル地図でバスが今どこを走っているのか把握することができる。目指す、小歩危、大歩危は遥か先。四国の吉野川はもちろん知ってはいるけれど、延々と人里のない渓谷が続くのには圧倒された。大歩危で小休憩してから祖谷峡のかずら橋に向かう。
旅写真で見たことはある。今の自分に「ハイ、渡ります」という自信はないのだけれど、結果、そろそろと渡ることはできた。ほっ。
きっと、その姿はへっぴり腰だったとおもう。近場のびわの滝を見てバス乗車。長い道のりをガマン。苦笑 バスの中は飲食禁止。話も小声のみ少し。
ホテル着。
多分、由緒あるホテルが選ばれているのだろうけれど、部屋は広くない。というか狭い。このシリーズのツアーは宿が贅沢というイメージで期待していたのでガッカリ。高知の殿様(幕末は山内容堂。維新の前年に島津の殿様の名代としてきた西郷隆盛と公武合体の話をした旅館という説明がなされていた)の下屋敷だったところらしい。広い部屋もあるだろうに、旅行会社の倹約精神の表れか、、、、。苦笑
高知城はホテルのすぐ近くです。城主は山内氏で、初代が掛川から入封となった山内一豊で、1602年に築城をはじめ、城の本丸二の丸はできたものの、全体の完成を見ずに亡くなっているそうです。まだ関ケ原から間もないころで、島津などの大大名の謀反を警戒しての築城だったのでしょう。
翌朝
7時半にホテル発。桂浜へ向かう。この日は坂本龍馬が生まれた日であり、かつ暗殺された日でもあるらしい。土佐では生誕祝賀イベント、京都では慰霊祭が行われるという。龍馬の銅像をパチリ。龍馬像の顔をそばに近づいてみることができる櫓(有料)まである。
高知は龍馬、龍馬、龍馬で持ち切りでした。早朝のため地元の人たちのイベントの準備中でした。
バスでサクサクと地味~に長時間、四万十川へ向かいます。
沈下橋。最近耳にしたことがありました。その沈下橋に向かいます。四万十川には27本の沈下橋がかかっているという。日本全国でこの地域だけでしょうか?
ここも、自信がなかったのですが、普通に渡れました。膝に自信がないとついつい行動が消極的になってしまいます。
戻って、屋形船に乗船。
船の中で昼食でした。川魚のアユの姿がお弁当にないのが残念。コスト削減でしょうか。アユは何度か川面にはねていました。苦笑
広い川幅をゆっくりと進む屋形船。天竜川や木曽川下りではライフジャケット着用で水しぶきが跳ねる豪快さが売り物なのに、ここはゆったりと食事ができるのどかさでした。四万十川はこの季節でも紅葉がないというのは不思議です。
宇和島の真珠会館に短時間立ち寄る。トイレ休憩もかねて。
皆さん、どこに行ってもクーポンでのお土産購入に必死。苦笑
チマチマ買っていても、消化しきれないから真珠でも買ったら、というアドバイスで陳列ケースの前に。ウン万単位の品物が並んでいる。忙しなく〇万円のものを買う気になれないので、リーズナブルなものを一品ゲット。真珠のイヤリングは最近は片方を紛失してばかりで興味がわきません。
そのあと下灘駅で短区間の列車乗車。
駅名は知らなかったけれど、映画などのロケ地になる無人駅です。駅のホームの向こう側が海しかないという映像を見るとたれもが観たことある、と言いそうなあそこです。到着列車をまつカメラマニアがいっぱい。車が沢山止まっているのですが、カメラに収めると誰も乗車しないで自家用車で帰っていくそうです。私たちは確かに、乗りましたよ。苦笑
3駅(30分ほど)で下車。バスで松山・道後温泉に向かう。
ここもきっと、有名どころの温泉宿なのでしょう。
道後温泉は坊ちゃん、坊ちゃん、坊ちゃんです。笑
ホテルのフロア係りは男性は坊ちゃん、女性はマドンナの衣装で出迎えてくれます。
到着後夕食前に道後温泉本館(いわゆる「坊ちゃん」が湯船につかったあの銭湯)を見がてら、温泉街に出ました。からくり時計が奏でるのが6時ジャストというので急ぎ足で向かい間に合いました。もうこの時間、日は暮れています。
アーケード街のお店を覗きながら(クーポンで買い物など)、道後温泉本館の前を通ってホテルへ、ですが、本館のお風呂(銭湯)入浴にも整理券がいるということで係りの方に尋ねると、当日の整理券しか発行しておらず、翌朝6時からの分は翌日に、とのこと。
但し、朝6時に来たのでは、満員状態になっていもらしい。密を避けるため定員を減らしている。
3日目
早朝5時40分。真っ暗な中を道後温泉本館に。すでに20人ほどが並んでいる。6時までの間にどんどん人は増えていく。早く並んでよかった~。
深めの湯船。ホテルで昨夜入浴しているので、ここでは湯船につかるだけ。もうここには来ないでしょうから、レアな体験です。
7時朝食。8時出発で伊予松山城に向かう。
山城なのでロープウェーを利用。ロープウェーも本来は30数名が定員なのに、密を避けるために10人に制限していて、全員が上り終えるには時間がかかる。お城の石垣、城門、櫓、それぞれが印象深いお城でした。9時から天守閣に。
このお城も加藤嘉明(「賤か岳の合戦」で秀吉の7本槍と言われた武将のひとり)が関ケ原の戦いの後に築城したお城です。敵を撃退するための狭間がいたるところに作られていて、徳川家康から島津軍や毛利軍の反撃対策を担わされていたのだとつくづく思います。
早め早めのスケジュール展開で昼食会場に。
鯛茶漬けが美味しかった。ここでもクーポンで買い物。苦笑
その後、金刀比羅宮(こんぴらさん)へ。
少し前にみたテレビで、石段を籠で登れるという話題をやっていたので、検索してみたら、担ぐ人が高齢化して、今は石段かごはやっていない、とのこと。「登る」ことに自信後退。
スケッチでもして時間を過ごそうと思ったら、門前町でぎっしりお店が並んでスペースないらしい。
みんなが竹のレンタル杖を手に石段登りのスタンバイをしているのを見ると、列に加われない自分が情けなく感じる。
で、遅れがちに竹の杖を手にしてみた。100段でも行けるところまで登ろうか、という気持ちになる。
平地だと1キロ、2キロなどどうってことないと思っていたのに、いまは内心シンドイ感を覚える状況。
でも、歩きだしたら行けそう。
ということで、難なく100段目という表示に出会う。これならと思って上ること365段。大門まで行くことができた。
実は登りより下りが膝への負担が大きい。よって、急いだりはできないので余裕をもって下りをスタート。
無事スタート地点に戻れました。
100段登るのもパスしたいな、と思っていたのに、365段まで登れて自分なのに満足感を味わえました。
四国88か所めぐりの75番札所の善通寺に。
五重塔もある立派で大きなお寺です。まったく詳しくありませんでした。
「お砂踏みができる」と聞いて、何のこと?と聞かないと皆目わかりませんでした。
四国88か所のお寺の土(砂)が足元に敷き詰められていて、並んでいる88体の仏様を一度にお参りすることにより、一度に88か所めぐりをしたことになる、という仕組みらしい。
500円玉を5円玉100個に両替してもらい、各仏様に5円ずつお布施をしてご真言を唱えて回るのです。
88体もの仏さま。ご真言を小声で唱える声が耳に入ってきて、半可通ながら真似をさせてもらいました。
この後、坂出駅から快速マリンライナーで瀬戸大橋を渡り岡山へ。
岡山駅は通勤時間帯で、都会の雑踏に戻りました。
忘れないうちの、一通りの行程メモです。
久しぶり、40年前に来たことがあります。まだ20代後半。二人の子供をつれた初めての宿泊旅行でした。思えば懐かし~。
栗林公園に隣接して動物園があったのだけれど、今は後影もない。
露店に並んでいたミカンが超お値打ち。ホテルで食べたりしたいと一袋買ったけれど、本当はもっと買いたいぐらい。
きれいに保たれている和庭園は見事。記憶の中の栗林公園と同じです。
讃岐うどんのお店で昼食をとって、吉野川沿いをバスは走る。
渓谷は深い。グーグル地図でバスが今どこを走っているのか把握することができる。目指す、小歩危、大歩危は遥か先。四国の吉野川はもちろん知ってはいるけれど、延々と人里のない渓谷が続くのには圧倒された。大歩危で小休憩してから祖谷峡のかずら橋に向かう。
旅写真で見たことはある。今の自分に「ハイ、渡ります」という自信はないのだけれど、結果、そろそろと渡ることはできた。ほっ。
きっと、その姿はへっぴり腰だったとおもう。近場のびわの滝を見てバス乗車。長い道のりをガマン。苦笑 バスの中は飲食禁止。話も小声のみ少し。
ホテル着。
多分、由緒あるホテルが選ばれているのだろうけれど、部屋は広くない。というか狭い。このシリーズのツアーは宿が贅沢というイメージで期待していたのでガッカリ。高知の殿様(幕末は山内容堂。維新の前年に島津の殿様の名代としてきた西郷隆盛と公武合体の話をした旅館という説明がなされていた)の下屋敷だったところらしい。広い部屋もあるだろうに、旅行会社の倹約精神の表れか、、、、。苦笑
高知城はホテルのすぐ近くです。城主は山内氏で、初代が掛川から入封となった山内一豊で、1602年に築城をはじめ、城の本丸二の丸はできたものの、全体の完成を見ずに亡くなっているそうです。まだ関ケ原から間もないころで、島津などの大大名の謀反を警戒しての築城だったのでしょう。
翌朝
7時半にホテル発。桂浜へ向かう。この日は坂本龍馬が生まれた日であり、かつ暗殺された日でもあるらしい。土佐では生誕祝賀イベント、京都では慰霊祭が行われるという。龍馬の銅像をパチリ。龍馬像の顔をそばに近づいてみることができる櫓(有料)まである。
高知は龍馬、龍馬、龍馬で持ち切りでした。早朝のため地元の人たちのイベントの準備中でした。
バスでサクサクと地味~に長時間、四万十川へ向かいます。
沈下橋。最近耳にしたことがありました。その沈下橋に向かいます。四万十川には27本の沈下橋がかかっているという。日本全国でこの地域だけでしょうか?
ここも、自信がなかったのですが、普通に渡れました。膝に自信がないとついつい行動が消極的になってしまいます。
戻って、屋形船に乗船。
船の中で昼食でした。川魚のアユの姿がお弁当にないのが残念。コスト削減でしょうか。アユは何度か川面にはねていました。苦笑
広い川幅をゆっくりと進む屋形船。天竜川や木曽川下りではライフジャケット着用で水しぶきが跳ねる豪快さが売り物なのに、ここはゆったりと食事ができるのどかさでした。四万十川はこの季節でも紅葉がないというのは不思議です。
宇和島の真珠会館に短時間立ち寄る。トイレ休憩もかねて。
皆さん、どこに行ってもクーポンでのお土産購入に必死。苦笑
チマチマ買っていても、消化しきれないから真珠でも買ったら、というアドバイスで陳列ケースの前に。ウン万単位の品物が並んでいる。忙しなく〇万円のものを買う気になれないので、リーズナブルなものを一品ゲット。真珠のイヤリングは最近は片方を紛失してばかりで興味がわきません。
そのあと下灘駅で短区間の列車乗車。
駅名は知らなかったけれど、映画などのロケ地になる無人駅です。駅のホームの向こう側が海しかないという映像を見るとたれもが観たことある、と言いそうなあそこです。到着列車をまつカメラマニアがいっぱい。車が沢山止まっているのですが、カメラに収めると誰も乗車しないで自家用車で帰っていくそうです。私たちは確かに、乗りましたよ。苦笑
3駅(30分ほど)で下車。バスで松山・道後温泉に向かう。
ここもきっと、有名どころの温泉宿なのでしょう。
道後温泉は坊ちゃん、坊ちゃん、坊ちゃんです。笑
ホテルのフロア係りは男性は坊ちゃん、女性はマドンナの衣装で出迎えてくれます。
到着後夕食前に道後温泉本館(いわゆる「坊ちゃん」が湯船につかったあの銭湯)を見がてら、温泉街に出ました。からくり時計が奏でるのが6時ジャストというので急ぎ足で向かい間に合いました。もうこの時間、日は暮れています。
アーケード街のお店を覗きながら(クーポンで買い物など)、道後温泉本館の前を通ってホテルへ、ですが、本館のお風呂(銭湯)入浴にも整理券がいるということで係りの方に尋ねると、当日の整理券しか発行しておらず、翌朝6時からの分は翌日に、とのこと。
但し、朝6時に来たのでは、満員状態になっていもらしい。密を避けるため定員を減らしている。
3日目
早朝5時40分。真っ暗な中を道後温泉本館に。すでに20人ほどが並んでいる。6時までの間にどんどん人は増えていく。早く並んでよかった~。
深めの湯船。ホテルで昨夜入浴しているので、ここでは湯船につかるだけ。もうここには来ないでしょうから、レアな体験です。
7時朝食。8時出発で伊予松山城に向かう。
山城なのでロープウェーを利用。ロープウェーも本来は30数名が定員なのに、密を避けるために10人に制限していて、全員が上り終えるには時間がかかる。お城の石垣、城門、櫓、それぞれが印象深いお城でした。9時から天守閣に。
このお城も加藤嘉明(「賤か岳の合戦」で秀吉の7本槍と言われた武将のひとり)が関ケ原の戦いの後に築城したお城です。敵を撃退するための狭間がいたるところに作られていて、徳川家康から島津軍や毛利軍の反撃対策を担わされていたのだとつくづく思います。
早め早めのスケジュール展開で昼食会場に。
鯛茶漬けが美味しかった。ここでもクーポンで買い物。苦笑
その後、金刀比羅宮(こんぴらさん)へ。
少し前にみたテレビで、石段を籠で登れるという話題をやっていたので、検索してみたら、担ぐ人が高齢化して、今は石段かごはやっていない、とのこと。「登る」ことに自信後退。
スケッチでもして時間を過ごそうと思ったら、門前町でぎっしりお店が並んでスペースないらしい。
みんなが竹のレンタル杖を手に石段登りのスタンバイをしているのを見ると、列に加われない自分が情けなく感じる。
で、遅れがちに竹の杖を手にしてみた。100段でも行けるところまで登ろうか、という気持ちになる。
平地だと1キロ、2キロなどどうってことないと思っていたのに、いまは内心シンドイ感を覚える状況。
でも、歩きだしたら行けそう。
ということで、難なく100段目という表示に出会う。これならと思って上ること365段。大門まで行くことができた。
実は登りより下りが膝への負担が大きい。よって、急いだりはできないので余裕をもって下りをスタート。
無事スタート地点に戻れました。
100段登るのもパスしたいな、と思っていたのに、365段まで登れて自分なのに満足感を味わえました。
四国88か所めぐりの75番札所の善通寺に。
五重塔もある立派で大きなお寺です。まったく詳しくありませんでした。
「お砂踏みができる」と聞いて、何のこと?と聞かないと皆目わかりませんでした。
四国88か所のお寺の土(砂)が足元に敷き詰められていて、並んでいる88体の仏様を一度にお参りすることにより、一度に88か所めぐりをしたことになる、という仕組みらしい。
500円玉を5円玉100個に両替してもらい、各仏様に5円ずつお布施をしてご真言を唱えて回るのです。
88体もの仏さま。ご真言を小声で唱える声が耳に入ってきて、半可通ながら真似をさせてもらいました。
この後、坂出駅から快速マリンライナーで瀬戸大橋を渡り岡山へ。
岡山駅は通勤時間帯で、都会の雑踏に戻りました。
忘れないうちの、一通りの行程メモです。