日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

ランドセル!

2020-11-29 08:12:16 | 私の雑感あれこれ
ランドセルが届いた!
と、来春1年生の孫が新品を背負っている画像が届く。

記憶にある。
私は昭和31年の4月に1年生になった。
自家用車などない時代だから、ランドセルは歩いて5分ほどの近所のお店で買った。
いくつか並んでいるうちから選んだ記憶がある。
赤地のランドセルで、お花か鳥の絵柄がついていた。それがそのお店では普通だった。
確か900円。一緒に筆箱も買ってもらった。セルロイド(プラスチック?)製で、立体的な飾りがついていて子供心に立派だ、と満足だった。これが100円。丁度1000円、という記憶なのだけれど、その時代、そんなものだったのだろうか。

このランドセルは4年生になるころには、身の丈に合わないようになって、手提げ通学カバンになった。
あなたは背が高いから、ランドセルが小さく見えて、背中にセミが止まっているみたい、と評された記憶が残っている。
そんなものだと思っていたけれど、あの時のランドセルも手提げ通学カバンも皮っぽく模造した製品だったのですね。
だって、コウモリ傘にしても、木綿製で男性用は黒、女性用は赤、その2通りしかなかった時代でしたから。
周りの子どもたちもランドセルは傷んでくるので、ほとんどが手提げ通学カバンへと移行していった記憶です。
その中でひとり薬屋さんのチャコちゃんは違いました。立派な艶やかな皮の赤いランドセルを新調してもらった、と見せてもらったものです。

小学校の入学式の日に、校庭で記念写真を撮ったのを覚えています。
まぶしくて目を開いているのが大変で、少し先に落ちていた枝を凝視していたらいいだろうと、必死に我慢していました。
37年の3月の小学校の卒業アルバムに、入学時の集合写真が載っています。
〇ちゃん、△ちゃん、□ちゃんも、、、と、同じ髪型の子がいます。
当時の人気者松島トモ子ちゃんのスタイル(左右の耳の当たり髪の毛をパーマでカールさせる)をしています。

羨ましいと思ったことはないのですが、後日写真を見て思うのは、小学校入学の晴れ姿として、美容院に行って流行の髪型にさせたい、という生活に余裕があった家庭なのだろうな~、と振り返って思ったものです。
母親たちも後列に一緒に写っているのですが、母は、私のイメージの母と違って痩せています。戦争中はやせ細って10貫目'約40キロ?)を切ったほどだった、と聞いたことがあるけれど、その名残りが残っていたのでしょうか。
戦争が終わって10年。シベリアから夫が戻って7年。そのころに当たります。

ちなみに、母は来月で104歳で48キロあります。介護が大変!















コメント (2)
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