未明、トイレに立つとめまいがした。
寝ぼけてふらついた?と思いたいのだけれど、違うな、これはめまい、と思いながら戻ってベットに就いた。
珍しく夢の中で2時間ほどたっただろうか、6時前に起きようとしたら、またまた先ほどと同じめまいがする。
健康診断も放置しているし、この際お医者さんの診察を受けよう、と思うのだけれど、日曜日だし、困ったな、という気持ち。
天井がぐるぐる回るほどのめまいでもないし、吐き気もないから、無理をしないで過ごすことにして、8時からのヨガをキャンセルした。
そして、とにかく月曜にはお医者さんに診てもらおう、と。
そんな朝の時間に、滅多にしないスマホの呼び出し音がする。
もしや、と思うことはひとつ。
母の緊急事態ではなかった。ただし、転院先の院長先生から電話があった内容についての報告だった。
転院して流動食になったのだけれど、その流動食も食べなくなった、とのこと。
だから今後は点滴をしていくらしい。
転院の際の動画では、手を振っていたのだけれど、入れ歯も外した姿は、どうにかそこ(ベット)に置かれているというさまでした。
手を握ったら、握り返す力はまだある、と言っていたので、ままならぬながらも交流するという意識はあるのです。
でも、一日ふつかして、食べ物を摂らないようになった、と聞いて、それも自分で判断したのかな、と思いました。
コロナという事情もあって、施設や病院で暮らす日々があるだけという状況で、もういいと思ったように察せられます。
95歳で脳梗塞で倒れた時、治療はいいです、と言っていたけれど、回復力があるのに治療しなければボクが困ります、とお医者さんと雑談していたのだけれど、104歳になって、こんどこそ、もういい、なのだと思います。
点滴で栄養は投与されるということで、どこまで命が続くのか。足指の壊死も処置はしてもらっているけれど回復見込みはないのです。
我が家が当地で暮らすことになったときに、ミヤマオダマキの苗をもってきたのは母でした。
30年余りも続いて毎年花を咲かせています。
私の初めての出産で里帰りしていた時に、一緒に行った苗木市で買ったハクモクレンが見事に花をつけたよ、と毎年電話してきていたのに、4月のハクモクレン満開の季節は帰省の時期とあわずに、見ることはありませんでした。
はじめて目にしたのは、4月半ば、母が倒れたと聞いて、駆け付けた時。青空に数百もの真っ白な鳩が群れなして止まっているようで見事でした。毎年、これを見せたいな、と思ってのあの電話だったのだと思ったものでした。
今、我が家のロウバイが見事です。
長女に初めての子供が産まれるのが嬉しくて、私的には記念樹です。苦笑
でも、同じように、見事な季節に訪問は望めません。
なんだか、おなじことを繰り返しているように思わないでもありません。
コロナで安易に長距離移動もかないません。
もう見舞いに行っても会話はできません。あんなことこんなこと、母からいっぱいいっぱい聞きながら育ちました。
それらのアレコレを引っ張り出しながら反芻しています。
自分できることを一生懸命するタイプだったのに、すっかりそれもかなわぬようになって、最後に、食べることをやめる、という選択をしたのだと、そんな気がしています。
弟がすぐに駆け付けられる状況で、充分に幸せな展開を呼び寄せた人だな~とも思ったり。
という事情。
で、話はつながりませんが、私としては、このめまいを今回は放置したままにしないで、診察を受けてこようと思っています。
追加文。
定期検診をしていないから、診断するにも不都合らしい。
特定健診は2年ほどしたデータは持っているけれどけ、最近、協会けんぽになってからはサボっている。
症状を説明し、今も完全にめまいがないとは言えないと言ったら、ボールベーンの先を見てください、と言われて、左右に眼球を動かす動作を指示された。そんなアナログで、わかるんですね。その動きから、まだ眼振がありますので、めまいが消えていませんね、と。
レントゲン撮影と心電図と血液検査をしてきた。
肺の状況は問題なし、だって、コロナが流行っていて肺炎が話題になっている折としては、すごくありがたい。
心電図によると、不整脈あり、心房細動あり。
血流に問題を抱えていると、血栓ができやすいと説明を受ける。
血液検査の結果は数日後に聞きに行くことに。
息切れが気になることも伝えたけれど、若くても息切れはすることはあるし、身体の検査結果がないことには一概には、息切れが即危険、とも言えません、と。しごく納得です。
帰宅後、のんびりしていたけれど、あまりにも暖かいので、バラの鉢の土替え、肥料やりをしに庭へ出た。
13鉢について作業終了。あと数鉢が残るだけになって、ほっ。
午後の日差しに、ロウバイが映えてきれいです。
寝ぼけてふらついた?と思いたいのだけれど、違うな、これはめまい、と思いながら戻ってベットに就いた。
珍しく夢の中で2時間ほどたっただろうか、6時前に起きようとしたら、またまた先ほどと同じめまいがする。
健康診断も放置しているし、この際お医者さんの診察を受けよう、と思うのだけれど、日曜日だし、困ったな、という気持ち。
天井がぐるぐる回るほどのめまいでもないし、吐き気もないから、無理をしないで過ごすことにして、8時からのヨガをキャンセルした。
そして、とにかく月曜にはお医者さんに診てもらおう、と。
そんな朝の時間に、滅多にしないスマホの呼び出し音がする。
もしや、と思うことはひとつ。
母の緊急事態ではなかった。ただし、転院先の院長先生から電話があった内容についての報告だった。
転院して流動食になったのだけれど、その流動食も食べなくなった、とのこと。
だから今後は点滴をしていくらしい。
転院の際の動画では、手を振っていたのだけれど、入れ歯も外した姿は、どうにかそこ(ベット)に置かれているというさまでした。
手を握ったら、握り返す力はまだある、と言っていたので、ままならぬながらも交流するという意識はあるのです。
でも、一日ふつかして、食べ物を摂らないようになった、と聞いて、それも自分で判断したのかな、と思いました。
コロナという事情もあって、施設や病院で暮らす日々があるだけという状況で、もういいと思ったように察せられます。
95歳で脳梗塞で倒れた時、治療はいいです、と言っていたけれど、回復力があるのに治療しなければボクが困ります、とお医者さんと雑談していたのだけれど、104歳になって、こんどこそ、もういい、なのだと思います。
点滴で栄養は投与されるということで、どこまで命が続くのか。足指の壊死も処置はしてもらっているけれど回復見込みはないのです。
我が家が当地で暮らすことになったときに、ミヤマオダマキの苗をもってきたのは母でした。
30年余りも続いて毎年花を咲かせています。
私の初めての出産で里帰りしていた時に、一緒に行った苗木市で買ったハクモクレンが見事に花をつけたよ、と毎年電話してきていたのに、4月のハクモクレン満開の季節は帰省の時期とあわずに、見ることはありませんでした。
はじめて目にしたのは、4月半ば、母が倒れたと聞いて、駆け付けた時。青空に数百もの真っ白な鳩が群れなして止まっているようで見事でした。毎年、これを見せたいな、と思ってのあの電話だったのだと思ったものでした。
今、我が家のロウバイが見事です。
長女に初めての子供が産まれるのが嬉しくて、私的には記念樹です。苦笑
でも、同じように、見事な季節に訪問は望めません。
なんだか、おなじことを繰り返しているように思わないでもありません。
コロナで安易に長距離移動もかないません。
もう見舞いに行っても会話はできません。あんなことこんなこと、母からいっぱいいっぱい聞きながら育ちました。
それらのアレコレを引っ張り出しながら反芻しています。
自分できることを一生懸命するタイプだったのに、すっかりそれもかなわぬようになって、最後に、食べることをやめる、という選択をしたのだと、そんな気がしています。
弟がすぐに駆け付けられる状況で、充分に幸せな展開を呼び寄せた人だな~とも思ったり。
という事情。
で、話はつながりませんが、私としては、このめまいを今回は放置したままにしないで、診察を受けてこようと思っています。
追加文。
定期検診をしていないから、診断するにも不都合らしい。
特定健診は2年ほどしたデータは持っているけれどけ、最近、協会けんぽになってからはサボっている。
症状を説明し、今も完全にめまいがないとは言えないと言ったら、ボールベーンの先を見てください、と言われて、左右に眼球を動かす動作を指示された。そんなアナログで、わかるんですね。その動きから、まだ眼振がありますので、めまいが消えていませんね、と。
レントゲン撮影と心電図と血液検査をしてきた。
肺の状況は問題なし、だって、コロナが流行っていて肺炎が話題になっている折としては、すごくありがたい。
心電図によると、不整脈あり、心房細動あり。
血流に問題を抱えていると、血栓ができやすいと説明を受ける。
血液検査の結果は数日後に聞きに行くことに。
息切れが気になることも伝えたけれど、若くても息切れはすることはあるし、身体の検査結果がないことには一概には、息切れが即危険、とも言えません、と。しごく納得です。
帰宅後、のんびりしていたけれど、あまりにも暖かいので、バラの鉢の土替え、肥料やりをしに庭へ出た。
13鉢について作業終了。あと数鉢が残るだけになって、ほっ。
午後の日差しに、ロウバイが映えてきれいです。