日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

その時が来た。

2021-01-27 07:09:57 | 母のことなど
昨日、弟が病院からのビデオ電話をかけてきた。
スマホ画面では、ベットで終末期を迎えている母の目に私の顔が判別できる程度に届いたかどうか、怪しいものだ。
でも、息子・娘らがなにかやってくれている、ということは感じてくれるに違いない。

あと、2週間、長くても1か月とのこと。
お医者さんとの面談日ということで、弟夫婦は病室にも入ったけれど、このコロナ禍では見舞いもままならない。
非常事態宣言が出ている地域の私の見舞いは無理みたい。(当地に行ってからホテルに2週間閉じこもっていて大丈夫ならOKと)
なので、昨日が最後かな~。
こんなふうに展開していくなんて、思ってもいなかったけど、アリなんですね。

お葬式にも遠方からの人は呼ばない方針だとか。
了解だけれど、えっ、娘の私も除外?

そこで、今は「・・・・」の状態。

考えてみれば、駆け付けていったからといって、そうじゃなかった場合と何が変わるわけじゃない。
コロナでこういう結果になった、と伝えれば、もちろん生前の母は文句を言う人でもないし、私の気持ちが薄らぐわけでもない。

思えば、昭和の時代はまだお葬式は自宅で行われていた。
当事者はなんやかんやと忙しいから、接待のためのお料理一切は近所が責任をもって、やっていた。その料理作りのために実家の台所が何度も使われてことを覚えている。5人6人の主婦らが何十人分もの精進料理を大きな鍋で作るのです。
私ですら覚えているのに、母も実際に作った経験者として記憶にあることでしょう。
なのに、時代は変わって、よりによって、新型コロナ。

ウルトラコンパクトにならざるを得ません。

それでも、精一杯の恵まれた環境の中で、生き切れたのだから、ありがたいと思います。

どうしようかな~。
民間のPCR検査を受けて、長距離バス(3時間半)で移動するというのも、選択肢かな~。











コメント (6)
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