日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

ほのぼの。

2022-08-25 08:06:19 | 私の雑感あれこれ
アクアで一緒になる友人に、「昨日の朝の出勤時に、車の中から歩道を歩いているあなたの姿を見かけたわ」と声をかけた。
カラフルな洋服を好む彼女にしては、いつもと違って白いシャツ姿だった。
👆 のことを言ったら、
「週一でショッピングモール内のスマホ教室に通っているのだけれど、そこの若いお兄ちゃん(先生)が、あの服を着て行ったとき、『素敵だね』とほめてくれたの。だから、スマホの日はあの服で行くの! 来週は自宅からのリモート学習もするの!」
ほほえましくて、そして建設的!

彼女は戦争を知っている世代です。
疎開していた名古屋近隣から、名古屋城が炎症するのが見えた。何日間にもわたって燃えていた、と教えてくれたのは彼女。
敗戦後の焼け跡に戦地から戻った兵隊さんが、焼け跡の一角にぼっと立っていたのが、まだ幼かった自分には怖かった記憶もある、と。

80歳を超えて、毎週スマホ教室通いってのは、前向きでしょう。
彼女の指南役は孫ほども年の違った坊やなのだけれど、ちょっと褒めてもらって、彼女の気持ちは にっこり、ほのぼの、というわけです。


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既視感?

2022-08-25 07:31:35 | 私の雑感あれこれ
私は戦後生まれだから、焦土と化した日本は写真でしか知らない。
例えば、当時の名古屋市域は80%が焼け落ちたと某資料館で解説されていて衝撃だった記憶がある。
もちろん東京の空襲も原爆被災地の写真にも接している。
なんとまぁ、よくもここまで市街を焼き尽くせたものだと思ったものです。
で、今年はウクライナでの市街地攻撃の映像が頻繁にニュースで流れてきます。
またしても人はここまで破壊しようと思うものなのですね。
ロシアのウクライナ侵攻は、ロシアの国内では「ウクライナに潜むナチス勢力をせん滅すべきであり、やむを得ない正当な行為であって、戦争ではない」という理屈らしいです。
そういえば、母が戦争を語るときに「支那事変のときに、、、」という言い方をしていたのを記憶しています。第1次大戦後の軍縮の風潮の中で、「戦争はしてはならない」モードの時代にあって、国民には中国への武力派遣は戦争ではなく「事変」という表現で報道していたのです。
モスクワから遠く離れた極東ロシア地域であっても、10歳から17歳の青少年たちが軍事訓練様な活動(訓練)を教育の一環として組み込まれている模様も、(知識でしか知らないのですが)かつての戦時下の日本のありようと似ているように思ってしまいます。
戦争反対と唱えると検挙されるところも共通している!のは、嗤えない皮肉です。

優秀な「知力」の持ち主たちが、よりよい決着の仕方を検討しておられるのでしょうが、いろんな要素が絡み合って、こうも膠着状態になってしまっている、というのは、厳しさを感じます。

その余波なのでしょうか、日本の原発の再稼働が急遽進むようですね。
これまで、必死に脱原発と言っていたのに、なんだったの? の思い無きにしも非ず、です。
ロシアからの天然ガスが途絶える可能性を案じての対策なのでしょうが、事故を起こした福島の原発の二の舞になるハズがない、との安全性を証明してほしい(素人には分からない?)。

■雨が降っている。雑草が気になりながらも、草取りができないのでPCの前に座っています。

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