日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

北陸行きから戻る。

2018-11-05 06:44:23 | 母のことなど
長距離バスでの北陸行き。
日差しもまぶしい快晴、秋晴れの空。
バスは日本アルプスを避けながら、山間部はトンネルも多いルートです。
紅葉が見事でした。

バス前方も右も左も、ハイウエーの道路以外は紅葉の山々と川筋ぐらい。

なんという贅沢!

バスの進行とともに迫りくる風景が「まるで3Dみたい。4K画面見たい」と、何度も思いました。

そんな恵まれた往路の終点で弟夫婦が待っていてくれて、一緒に遅めの昼食(いつものお好み焼きやさん)。
弟宅で一段落してから、ショートステイ先に母を迎えに行きました。

勿論、顔を見た途端に、私のことはわかるし、「忙しかったのじゃないか」と気遣いの挨拶もする。うれしさがあふれた顔で。

お寿司で夕食。

いつもは夕食後は自室のベットに行くのに、ずっと茶の間で一緒。
耳が遠いから、みんなの会話には入ってこられないのに、このままここにいたい、と。

話題は、明日のスケジュールをどうしようか、ということに。
いつもは、渓流際のアユ料理のお店に行く予定を入れて、コスモス畑を観に行ったり、観光地を回ったりのコースをとる。
けれど、体調のレベルも下がって、もう見物を楽しむという余裕はないと思う、との話。
アユ料理は何度も行っているから、反対方向のお墓参り(高速を使ってお墓に着くまで片道1時間)は、ということになった。
母にも久しぶり。私などは10年以上行っていません。
これが最後になるかも、行ける今、行っておくのがいい、という結論。

その後、我が家が抱えている問題があるので、それをどうするか、ということで、時間を忘れて、3人で話し合いました。
弟の考え、私の気持ち、、、を語り合い、それでも一番大事のは、お母さんの気持ちを一番考えてあげることだよ、と弟嫁さんも加わっての結論になりました。
耳の遠い母には、このにぎやかな話し合いが聞こえているのかどうか、多分自分に関することを話しているのだとはわかっているのでしょう。そして、3人が和気あいあいと話しこんでいることを喜んでいる、そう感じられます。

で、翌朝、お花やろうそくを携えてお墓参りに10時ごろに出発。
山寺の敷地、急傾斜地にあので、母の車いすはとてもじゃないけれど、墓前まではいかないのです。
お墓が見える場所まで車椅子を運んで、私たち3人は墓前で、という形の墓参りでした。
父が死んだ(26年前)ときに、新しく建てかえた墓です。私にはそれ以前の墓のこともアリアリと記憶にあります。
子どもの頃は、毎年母と浜辺から拾ってくる玉砂利とおけそくのかたちをした白い石持って、墓掃除をに通った所ですから。
何十年も嫁の仕事として、この墓の掃除をしてきたのに、今はもう、車椅子状態なので墓のそばにもこれない。
そして、これが見納めになるかもしれない、と思っているはずです。

帰りは、懐かしの近隣エリアをドライブしました。

ベニズワイガニの漁をするあたりです。ちょうど今日水揚げされたばかりのカニやさんの店があって、ラッキー。
(いつも、送ってもらう立場なので、現地のお店で買える、というのは、私には稀有な機会なのです)
とりあえず、娘宅2か所に送ってもらうように手配。お財布が軽~くなりました。苦笑

この日も、昼食は弟宅近くまで戻っての外食。

ダラダラと長くなりました。
なんという素敵な展開!と思うことのある北陸行きでしたが、今は家事もたまっていて、気が焦り、ここまでにします。

つづく




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2 コメント

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素晴らしい! (glimi)
2018-11-05 09:10:30
 良かったですね!
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glimiさんへ (案山子)
2018-11-05 12:33:05
コメントありがとう。
顛末は書かないけれど、ほんと、人って(母が生涯にわたって考え抜いて行動していること、そしてそれを理解しようとしている人に恵まれという意味において)なんてすごい! というか、101才というこの段階にきて、こんな展開になるんだ、と心打たれました。私にとっては、ドラマなんて目じゃない。
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