秋に移植したアリッサムがようやく元気になってきました。チューリップとのバランスもよく(笑)。アーチのツルバラも葉っぱが密集!
レンガを踏み石状態において、その周りをセダムが敷き詰められたように、と思って今ここまできました。手のひらに載るほどのセダム(そのときは名前も知らなかった)をもらって、増やして移植を繰り返しています。
左奥のギガンジウムは昨秋に球根で植えたもの。大きな葱坊主のような花なのですが、初めてで楽しみです。真ん中、ボタンのつぼみがひとつ大きく膨らんでいます。3株あるのですが、今年も開花は白だけのようです。
カキツバタもスクスク。3箇所に株分けしたのですが、その一箇所はツルバラの枝の伸びている真下になっていて(ツルバラのパレードは株分け後に植えた。ツルの誘引時はカキツバタが枯れて姿がなかった。トホホ)、ちょっと可愛そうです。
アーチに絡んでいるのは、ツルバラのスパニッシュビューティー。
どちらもつぼみをつけています。
思うこと。
日々何かと充実しているのだけれど、ふと思うことがある。
ガーデニング三昧になったのは、思いもしなかっためぐり合わせ。
これがなかったら、どうしていたのだろう、と。
家族5人で慌しく暮らしていたときも、プラス○○をしなくっちゃ、という思いを持ち続けていた。そういう生き方をするんだ、と。
ボランティア的に、ちょっと首を突っ込んだりもした。
そんな中で、私のしたいことを実践されている人たちの話を聞く機会もあった。でも、現実、現場の実際を耳にすると、結局はそんなものか~、と。
先進国側の援助の実態を途上国の人たちにはどう見えているのか、を耳にする機会もあった。
だんだん、自分の中で、な~んだか、という気分が芽生え、しり込みして、今、です。
若い人たちがドンドン活躍しているのだから、応援団でいいじゃないか、って。
そういえば、寄付金だけでも、と毎年ココロして実践していたときもありました。
そしたら、集まった寄付金の8割方が運営費として賄われていたりして、自分の本意とは別物だったという経験もしました。
今はね、寄付は少しだけ納得いく組織に、ときめています。
そして、自分の精力を、有意義に過ごす、ことに焦点を持っていこうと。もう随分生きてきました。私の人生あとたかだか○○年です。笑
目いっぱい、花を育てて、花から教えられ、本を読んで本から教えられ、映画を見て、映画から学び、自分磨きをする、それがテーマです。
そういう私の来し方を一番知っているのは、夫です。努力が足りないキミが何ほざいているといわれそうですが、ま、私なりに頑張るから、そのときどきの聞き手であって欲しいのも、その人です。きっと、私のようなタイプは、聞き手がいないと怠けてしまいそうですから。
話は戻って、
早く咲いたチューリップは終わり時を迎えました。
元気を失ったものから摘んでいます。肥料を与えるのは、来年用の球根育てのため。緑の葉っぱ、もうちょっと頑張ってね、と声を掛けながら…笑。
でも、種を蒔いて芽がでてくると嬉しいでしょ。verdavojetoさん、介護者と同居している状態、恵まれていますね。笑
ワタシ、桜草が終わった後に植えるための花を想定して、種を3袋蒔いたのに、全然発芽せず、気落ちしているんです、今。で、どうするか、考えるのが楽しくもあり、なのですがね。笑
ご近所の方からも、呆れられます。なんとまあ、家があったところが空き地になって、すぐさま2年ほどで、この通りなので。うっふふ。
25年間も片道1時間の仕事場通いしながら、3人の子育てと、フル回転だった、そのエネルギーの余波で、やっちゃったところがあります。きっと、普段から自宅で過ごす時間が多い生活をしていると、ワタシなどはグーダラ性分になっていて、こんな展開にならなかったのだと、自分でも思っているんですよ。
自分にできる範囲でじゃないと、、、。母はお花と野菜を植えていましたが、自分の思いどうりにしたいから、同居の息子夫婦をあてにしたらダメなんだ、と、常ずね言っていました。
自分で構想するから楽しいので、指図されてする作業は、つまらないですから。
今の状態でも、同居の息子さん、十分に母親をいたわっておられるとおもいますよ。笑
自分の生活を詰めてまで寄付する必要なしと割り切っています。
【そして、自分の精力を、有意義に過ごす、ことに焦点を持っていこうと。もう随分生きてきました。私の人生あとたかだか○○年です】
これにも同感です。
最近の私は昨年までは苦痛ではなかった行為が苦痛です。突然このようなことになったため、素直に受け入れるにはかなりな努力が必要で、今はその呻吟の時のようです。
案山子さんのお庭の美しさを見て、私もそれだけ働けたらなぁ、と羨ましいですが、人(特に息子)を動かすことも覚えなきゃと思うこの頃です。