日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

結局は自分自身がどうあるか、ということ。

2008-10-04 09:51:13 | 私の雑感あれこれ
タイトルが大げさ、だけれど、話は小さい、というパターンです。

「おくりびと」という映画が上映されているようですね。
納棺士という職業のひとが主人公だとか。

お葬式が商売になったことから、納棺士という職業が生まれたのでしょうね。
まだ、納棺士なんて職業のなかった頃の、私の身近な死、というか、最期の生について。

祖母は昭和56年の1月に亡くなりました。あと数日で94歳の誕生日という長命。入院もしないで、老衰で死の床につきました。
死ぬ1週間程前に、母(祖母にとっては嫁)とこんな会話を交わしたそうです。
自分は、今度はお迎えが来たのだと思う。
だから、もう食べ物は摂らないで、水だけにしたいのだけれど、いいだろうか、と。
母は。
自分の好きにすればいい。好きなようにしてあげるから、と。

長患いではなかった。
トイレに立てなくなって2ヶ月位でしょうか。
私が、死期の迫った祖母を見舞ったのは、その1週間も終わりに近かった頃。
口が渇くから、と家族の者は
しばしば、ガーゼで舌を湿らせながら、祖母の様子を見ていました。

水だけでも、オムツ替えはしなければなりません。
もう、声も出せないほど衰えた祖母は、仕草で示すのです。
肉のすっかり落ちた両手を合わせて、拝むような形にして、
世話をしてもらうことに対する、感謝の気持ちを。
ああ、話せなくても、意思を示す形はあるのです。
その日に、亡くなりました。
祖母は、94歳の死ぬ直前まで、ボケることはなかったのだと、そういう生き方もあり、なのだと、その時銘記しました。

先日、真夜中のトレーニングという、コレも素っ頓狂なタイトルをつけた話を書きましたが、そのときの介護役の母も、いま90歳を超えて、自分で自分の身体の世話をやいています。

どう死ぬ時を迎えるか、はどう生きていくか、に連なるように思うのです。
死ぬのは自分。
自分の身体。
この世話は、自分でやくしかしょうがないのです。

昨日、76歳のジャズミュージシャンの方がこられました。
先日、栄(この街の一番の繁華街)でライブをやったという。
「やっぱり、年取っても、売れていなくてもミュージシャン。歩き方が、おじいさん歩きじゃないね」
と、後から話題にしたら、
同僚が
「おばあさん歩きにならないように、気をつけなくっちゃ」と。

そうです。まったくです。
自分がおばあさん歩きにならないように、ウォーキングを続けることで、結論です。



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