詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

北川透『現代詩論集成1』(6)

2014-09-07 10:03:39 | 北川透『現代詩論集成1』
北川透『現代詩論集成1』(6)(思潮社、2014年09月05日発行)

 Ⅱ「荒地」論 戦後詩の生成と変容
 五 <経験>の意味

 「経験」ということばを北川透はかなり風変わりな感じで定義しているように私には思える。

わたしは、戦争体験のような共通性にかかわるものを体験と呼び、詩人の個別性にかかわるものを経験と呼ぶことにしたい  (125 -126 ページ)

 うーん。私自身は、共通性にかかわるものを「共通体験(共通経験)」、個人的なものを「個人的体験(個人的経験)」と呼んでいる(と思う)。「共通」「個人的(個別的)」ということばがあるのに、それを省略して「体験」「経験」ということばで「共通性」と「個別性」をわけるのか……。ちょっと、ややこしい。
 人によっては「肉体」をつかって何かしたとき「体験」と呼び、「精神」をつかって何かしたとき「経験」と区別する人もいる。「一日 100キロ走破体験」「一日一冊読書経験」という具合に。(でも、私は「読書」に対しても「読書体験」とつかってしまうなあ。--というのは、まあ、北川の「論理」とは関係ないことだが。)

 なぜ、北川は、こういう「定義」をしたのか。
 先の文章につづいて、北川は書いている。

詩論のなかで、体験にしろ経験にしろ、これらのことばが詩の概念を成立させるに重要な契機をもたされたのは、わが国の詩史上でおそらく戦後になってからであり、しかも、それは「荒地」派の詩人の出現を待つほかなかったと言える。たとえば、萩原朔太郎の『詩の原理』を開いてみればよい。彼の理論構成は、形式と内容、主観と客観というような二分法的思考によって成り立っているが、しかし、その内容とか主観とかが、経験というような概念とはまったく無縁に立てられているのを、わたしたちは見ることになるだろう。(126 ページ)

 そうだったのか、と私は驚く。
 同時に、朔太郎の「形式と内容」「主観と客観」という「二分法的思考」は、北川の「体験と経験」の「二分法的思考」とは重なるのか、重ならないのか、それが気がかりである。朔太郎に「形式」「客観」と呼ばれているものが「共通体験」、「内容」「主観」と呼ばれているものが「個別経験」という具合になるのか、ならないのか。
 ことばが違うから、私の疑問はきっと無意味な疑問だと思うが、ふと、気になってしまう。
 また、北川が「形式と内容」「主観と客観」という「二分法的思考」を「理論構成」ということばでつかみ取っていることにも興味をもった。「理論」から「論理」ということばを思い出し、「理論構成」とは「論理」を動かしていくときの方法のことかな、とも考えた。
 北川はどんな「論理」であっても、それをだれかが動かしているとおりに動かしてみて、その運動の射程(運動可能領域)を確認しているが、朔太郎を読むときでも、「理論」を動かしてみて、それが「二分法的思考」であることを確認したのだと思う。確認できたから「二分法的思考」と呼んでいるのだと思う。
 このあと北川は西脇順三郎を引用し、西脇は「超自然と自然主義」という「二分法的構成」で詩のことばを見ているととらえている。そして、

<自然主義>が経験意識の世界であるとすれば、<超自然主義>は《経験を表現するのではなく、経験と相違する若しくは経験に関係なきものを表現の対象とする》世界である。西脇において、ポエジーの価値が、もっぱら経験を無化するところに求められているのは、言うまでもない。(126 ページ)

 と書いている。
 なんだかややこしくなってきたが、私は、ここに「経験意識」ということばがつかわれていることに注目した。「経験」とは「意識」なのである。
 北川が「経験」を「意識」ととらえていると感じた。
 「体験」は「共通」しているが、つまり、戦争というような人をまるごとのみこんでしまう事件は人にとっては「個別」のできごとではなく、「共通」しているが、その「共通体験」のなかであっても、「意識」は「個別的」なものであるというところから、「体験」と「経験」を分けているように感じた。
 ここから進んで、北川は、「荒地」はようするに「意識」というものを詩に持ち込んだと言いたいのだろうと、私は考えた。「荒地」の詩によって、日本の現代詩は「意識」をテーマにするようになった。そう言いたいのだろうと思った。「体験」をそのまま書くのではなく、「体験」したときの「意識」を書く。「体験」を「経験」に昇華させたものが「意識」(経験意識)ということになるのか。「意識」をどこまでも書いていこうというのが「荒地」の詩人ということになるのか……。
 そう考えたとき、しかし、私のことばは、そこで立ち止まってしまう。
 西脇について語るとき「経験」ということばは出てきたが、「体験」は出てきていない。「体験」はどこに消えたのか。

 「体験」ということばは、このあと

わたしたちが現在、詩に関する論議のなかで、体験とか経験という概念を抵抗なく用いることができるようになったことの恩恵のいくらかは、確実に「荒地」派に負っていると言わなければなるまい。( 126ペー)

 と出てくるが、その後は、やはり見えなくなる。もっぱら「経験」ということばがつかわれて、鮎川信夫の「経験とは何か」を引用しながら、北川のことばは次のように動く。

この文章で目立つ特質は、形式や方法よりも素材と経験を重視する論理が、《われわれのための倫理》を《社会の中に確立》し、《社会に対するわれわれの責任がいつも問われなければならない》文脈において導き出されていることであろう。つまり、「荒地」や鮎川信夫における経験の概念は、単にモダニズムが欠いていた経験の回復という意味ではなく、宗教やイデオロギイでは代置できない詩固有の倫理の確立という論理をともなっていたと考える必要がある。(127 ページ)

 私なりに「誤読」すると、「経験」とは「意識」であり、「意識」とは「宗教やイデオロギイとは違った倫理」ということになる。「荒地」は「荒地固有の倫理」を「経験」として表現しようとした、と北川は言っているように思える。
 それはそれで、わかるのだが(私の「わかる」は勝手な思い込みであって、「正しい理解」とは関係ない)、うーん、気になるなあ。
 「体験」はどこへ消えたのか。
 「荒地」の「経験」を「意味」を明確にしようとして、それの対立概念(?)である「体験」をどこかに置き去りにしていないか。「荒地」の詩人そのものになって「経験」にことばが集中しすぎていないか。
 これはしかし、北川が「荒地」の「理論」をそのまま動かしてみたら(つまり、「荒地」の「理論」を追体験してみたら)、そうなった、ということかもしれない。「荒地」の「理論」は「論理」として矛盾していないと確認した、ということかもしれない。

詩固有の倫理の確立という論理

 という具合に「論理」という表現が出てくる。
 北川はあくまで「論理」を見きわめようとしている。



 このあと北川は、「荒地」派の作品を引用しながら論を進めている。そのなかに「体験」ということばは「経験」と組み合わさった形で出てくるが、同時に、その組み合わせに「仮構」ということばも出てくる。
 「仮構」というのは、私の感覚では「意識(精神)」の運動である。
 これまで見てきた北川の文章から言えば、「経験」は「個人的意識」というものだから、「仮構」はその「個人的意識」をより分かりやすくする形で動くだろう(と、私は想像する。)つまり、「体験」を振り捨てて、より「経験(意識)」をより鮮明にするように動くのが「仮構」の運動であるように思える。「体験」を「仮構」によって「経験(意識)」に昇華する、あるいは止揚する?

 うーん、「体験」の「意味」は、どうなるのだろう。



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北川透『現代詩論集成1』(5)

2014-09-05 10:58:07 | 北川透『現代詩論集成1』
北川透『現代詩論集成1』(5)(思潮社、2014年09月05日発行)

 Ⅱ「荒地」論 戦後詩の生成と変容
 四 《伝統の欠如》について

 私が書き綴っていることは、北川が書いている問題点とすれ違っているのだが、これは私が「わざと」そうしているのである。北川の書いている「意味」よりも、ことばを動かしいる「肉体」というか、そこに書かれている「ことばの肉体」の方に私の関心があるからだ。
 「《伝統の欠如》について」ということであれば、「文明批評的な性格」に書かれていた「この日本は何かというまなざしがみごとなほどに欠けている」で充分指摘されていると思う。「文明批評的な性格」での「この日本」とは戦時中の政治体制を指し、「伝統」とは別という見方もあるかもしれないが、どんな状況も「過去」から切り離されて存在するわけではないから、「現在(当時の現在、その周辺の時間)」へのまなざしの欠如は、どうしたって「伝統の欠如」につながる。「伝統の欠如」があるから「現在へのまなざしの欠如」というものが生まれる。もちちん、このときの「現在へのまなざしの欠如」というのは「現在のすべて」という意味ではなく「現在の何かの要素」へのまなざしの欠如なのだけれど……。
 でも、いま私が書いたように、ことばを広げてしまうと、何も語っていないことになってしまう。ただ語るために語ることばのようになってしまうが。

 今回読んだ部分のなかから私が注目した部分を抜き書きすると。

わたしは<意味>と<像>を機械的に二分しているのではなく、論理的に区別しているにすぎない。( 110ページ)

 これは三浦健治「鮎川信夫とその礼讃者たち」への反論として書かれたものだが、ここに書かれている「論理的」という表現が北川の「思想(肉体)」をとてもよくあらわしていると思う。
 北川が「論理」というとき問題とするのは、その「論理」がどれだけの射程を持っているか。その「論理」をどこまで動かして行ける。動かしていったとき矛盾は起きないか、ということに尽きると思う。
 それはこれまでに読んできた例でいうと、上手宰への「ハイエナ」への反論によくあらわれている。
 黒田三郎に対して批判をする人間を、屍肉に群がる「ハイエナ」と呼ぶとき、黒田三郎は屍肉になってしまう。黒田三郎をおとしめているのは上手宰の方である。--こういう「論理」の運動が北川の「肉体(思想)」である。その人がつかっていることば(論理)をそのひとの「文章」のなかで動かして、そこで明確になる問題点を指摘する。
 北川が問題にするのは、あくまで「論理」の運動なのである。
 ちょっと長くなるので、端折ってしまうが、三浦が大岡信の書いた鮎川信夫批判を利用していることについての北川の指摘が、上手宰に対する批判と重なり合う部分を引用してみる。

 三浦健治という人は、実に楽天的であって、自らは政治的主題そのものを表現するための《文学的功利節》に立ちながら、それの批判を自明にしている大岡信の文章が、ただ、鮎川批判をしているというその一点で、なにやら百万の味方を得たように勢いづいているのである。自分がそれに依拠しようとすればするほど、その依拠している論理によって否定されているということなど夢にも思わないらしい。

  「自分がそれに依拠しようとすればするほど、その依拠している論理によって否定されている」の「論理」ということばのつかい方。これが、北川の「論理」の本質である。「論理」は動かしてみて確かめる。それが北川の「思想(肉体)」である。
 大岡信の論理を、三浦のなかで動かしたとき、それは三浦批判として動く。大岡は三浦の書いているようなことを批判しているということに気付かずに、大岡が鮎川信夫を批判しているというだけで、それを利用している。



 あまりにも「伝統」とは離れすぎたことを書いてしまったか。
 今回の文章で北川が言いたいのは(私は、ここが北川の主張のポイントだと思ったのは)、 120ページである。

《伝統の欠如》という認識に、いくらかでも根拠があるとすれば、鮎川が<未来>という概念を、どういう文脈で定立しているかは、もう少し検討してもよいと思う。そうすると、引用しながら大岡が触れていない箇所に、《未来は世界の過去に含まれる》ということばがあることに気がつくはずである。(略)西欧的伝統にも、日本的伝統そのものにも、即自的に依拠することはできないが、世界のなかで激しく変化している現代日本そのものの拠り所は求めざるをえない、永続的価値(伝統)を、その《現代に生きるわれわれ自身の中》から見出すために、ダンテやシェークスピアを知ることが必要だし、世阿弥や芭蕉に学ぶことが必要だという論理である。わたしなりに言いなおせば、《伝統の欠如》を媒介にしながら、世界のなかから<持続的価値>を含む文化的遺産を求め、それに新たな価値の源泉にしようという態度であろう。

 「持続的価値」と「伝統」をどこで区別するか、かなり難しい問題を含んでいると思うが、そういうこととは別にして、ここでも「ダンテやシェークスピアを知ることが必要だし、世阿弥や芭蕉に学ぶことが必要だという論理である」という具合に「論理」ということばが使われていることに、私は注目した。「論理」の運動に整合性はあるかどうか、北川は誰に対しても、そのことを見ている。

北川透 現代詩論集成1 鮎川信夫と「荒地」の世界
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北川透『現代詩論集成1』(4)

2014-09-04 11:35:51 | 北川透『現代詩論集成1』
北川透『現代詩論集成1』(4)(思潮社、2014年09月05日発行)

 Ⅱ「荒地」論 戦後詩の生成と変容
 三 <民衆>とは誰のことか

 黒田三郎の「民衆と詩人」をめぐって書かれている。北川は、

彼の<民衆>概念は、結局のところ被害者意識的な<市民>観念に、奇妙な固着を示していったように思える。(91ページ)

 と書いている。

 ここの文章では、北川と、鮎川信夫、竹内好、大岡信の「民衆」の発言をていねいに紹介している。「民衆」という概念を検討するとき、その「細分化(?)」を他人に任せている。北川ひとりで検討するよりも、多数の他者の視点を取り込んだ方が、「概念」にひろがりが出る。概念を広げた上で、それでもつかみきれない部分、つかみ落とした部分へと北川は進んで行く。北川の意見をつけ加えてるという形で。
 そうした作業のなかで、私がとても気に入っているのが、大岡の文について書いているところ。「戦後史概観 Ⅰ「俗」ということ」を紹介した上で、

 ここで《ルネサンスの市民階級》などを持ち出すのは、ちょっと場違いだと思うけれど、ともかく、<俗>ということばのもつアイロニーや、《俗な生活者の健康な批判力》を、大岡信は思い切った肯定の文脈のなかで、戦後詩(史)のなかに位置づけようとしたのである。ところでわたしは、大岡がもっぱら<俗>ということばの含意に感心しているのを、おもしろいと思う。彼は黒田の「詩人と権力」を十五年後に読み返し、<俗>ということばの概念の豊かさに眼を洗われたとして、前に読んだときには、そのことにほとんど気付かなかった、という趣旨の感想を洩らしているのだ。(98-99ページ)

 と北川書いている。
 この文章は「これはどういうことなのだろう」とつづき、そのあと北川の鋭い時代分析がつづくのだけれど、それを紹介する前に。
 私は、「大岡がもっぱら<俗>ということばの含意に感心しているのを、おもしろいと思う。」というところに北川の「肉体」を見たように感じた。
 北川には北川の考えがある。けれど、その考えだけでは、ことばは堂々巡りになる。だから、ほかのひとの文章(ことば)を読み、考えを押し進めるヒントにする。そのとき、重要なのは「おもしろい」と思えるかどうかである。おもしろいと思って、誘い込まれる。そして、ことばが動きだす。そのことばは、大岡のことばを突き破って動く。突き破りながら、というか、突き破るからこそ、そこに大岡の見たかもしれないものが北川のことばの射程として開けてくる。
 鮎川のことばも竹内のことばも北川には「おもしろい」からこそ、引用し、北川自身のことばも付け加えるのだが、「おもしろい」と思わず書いてしまったときの方が、ことばが動いている。
 もう、ことばは止まれない。
 
 ここには、「詩人と権力」固有の問題と同時に、大岡の立っている戦後二十年の位相があるだろう。すなわち《俗な市民》が、本当に社会的な実体として姿をあらわしたのは、わが国戦後資本制が、高度成長期を体験した六〇年代に入ってからであり、しかも、彼がそれを強い肯定の文脈で押し出すことができたのは、おそらく六〇年安保を機にして、戦後的な理念が崩壊したからである。人民でも、庶民でも、ましてやプロレタリアートではなく、自らを<中流>と自認し、幻想する大衆が、社会的な多数派(意識)において出現したのだ。もとより、大岡がそれを肯定するには、《俗な市民》自らが批判的であるという前提がともなっていた。そして、そのように充分に肯定的であると同時に、自己批判的であるという《俗な市民》は、みずからがそれを生きているという体感の裏付けが鳴ければ負荷の打てあろう。そこにもはや戦後とは呼べないような、戦後社会の牢固として爛熟を見据えねばなるまい。(99ページ)

 大岡の文章が書いていない時代状況を書き加えることで、北川は大岡のことばの射程を拡大する。その、時代の描き方に北川が色濃く出ている。
 大岡の文章を引用しなくても、北川はそういう状況分析ができただろうけれど、大岡を踏まえることで、ことばの動きが加速している。そういう「勢い」を感じる。
 私は「論理」よりも、こういう「勢い」の方を、なんといえばいいのか……信頼してしまう。あ、そうか、北川はことばを常に「時代」といっしょにつかみ取ろうとしている。ことばをつかみとることは「時代」をつかみとることだと考えているのだな、と「わかる」。この「わかる」は「誤読する」という「意味」になるかもしれないが。



 ところで、私は「民衆」ということばには、どうにもなじめない。つかう気持ちになれない。
 北川は「民衆とは既成化し、制度化した共通感覚の橋を架けられた存在である」(102 ページ)と書いている。その「共通感覚」が、私には欠けている。
 別な言い方をした方がいいのかもしれない。
 私は田舎で育ってきた。周りは農家ばかりである。そこには「民衆」ということばが暗黙のうちに向き合っている「少数の官(僚)」というものがいなかった。いても、せいぜいが学校の先生(校長先生)くらいである。政治的な何事かはもちろん動いているのだろうけれど、実感として「江戸時代」のままである。子どもだから、そういうものが見えなかったのかもしれないが、両親の態度をみていても「官」のやることなんか、知ったことではない。どうせ、「官」はかってに自分たちが楽しているだけ。かかわりになるまい、という感じくらいしか伝わってこなかった。
 さらに「衆」の感覚が、私にはどうもわからない。私はいつでも「ひとり」としか向き合えない。せいぜいが数人で、それを超えると「いっしょ」という感じがしない。「民衆」って、いったい何人から? もし、たとえば私の暮らした田舎に「官」がやってきて、だれかと話す。そのとき、そのひとは「ひとり」でも「民衆」?

 <民衆>とは誰のことか--この問いの「民衆」ということば自体が私にはなじめないので、こんな感想になった。

北川透 現代詩論集成1 鮎川信夫と「荒地」の世界
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北川透『現代詩論集成1』(3)

2014-09-03 08:54:00 | 北川透『現代詩論集成1』
北川透『現代詩論集成1』(3)(思潮社、2014年09月05日発行)

 Ⅱ「荒地」論 戦後詩の生成と変容
 二 「荒地」の文明批評的な性格をめぐって

 北川は「荒地」の理念化を「詩の文明批評論的主張」と定義している。(74ページ)。そのうえで鮎川信夫の「Xへの献辞」を取り上げ、書いている。

ここには、「荒地」の詩人たちの多くを戦場に拉致せしめ、また、同時代の親しい者たちを死に至らしめ、国土を荒廃せしめた、この日本とは何かというまなざしがみごとなほど欠けていたのである。(82ページ)

 ここに、私はいちばん衝撃を受けた。
 北川の書いていることとは直接関係がないのだけれど、「荒地」の詩人のことばを読んで私が感じたのはことばが「日本くさくない」ということだった。このとき私が「日本くさい」と感じていたのは、たとえば三好達治や島崎藤村などの詩人のことばのリズムのことである。そういうものからは遠い。翻訳っぽい。しかも、それは「理屈」っぽい、いいかえると「精神」っぽい。「知的」という言い方もできるかもしれない。--これは、私が「荒地」を読んだ20代の初めの頃の印象である。
 で、そのことと、北川の次の指摘が、私の中では不思議に交差する。

(レトリックのレベルの問題)それに限って見るなら、この<滅び><絶望><疲労><汚辱><黄昏><死の滴り><腸><黒い蝙蝠傘><死滅>というような語彙が、「荒地」の修辞的共同性を形づくっていたことは明らかだろう。それらに更に<屈辱><残酷><墓地><孤独><灰塵><飢餓><不眠><文明>というような語をつけ加えてもよい。それらの特色を一言でいえば、あの《破滅的要素に浸れ、それが唯一の道である》というスペンダーのことばの実感となろうか。(84ページ)

 詩は「意味」(理念)ではなく、まず、そこにあることばが呼び起こす何か、ことばの喚起力から生まれてくる。
 ひらがなではなく、リズムのよい(歯切れのよい)漢字が次々に呼び掛け合うようにしてイメージを広げていく。それに私はひかれた。そして、そのいままで見たことのない漢語の運動を知的・精神的と感じた。
 そのとき私は北川の書いている「意味」とは違うのだけれど、「この日本とは何か」ということをすっかり忘れていた。そんなことなど考えなかった。「この日本とは何か」ということを考えない部分で、私は「荒地」と「表層的」に出合っていた。
 そんなことを思い出した。
 このとき、私は、北川が指摘していることとはズレるのだけれど、「この日本とは何かというまなざし」(いま、ここ、あるいはいまここを支える過去をみつめること)を完全に忘れていた。
 言い換えると。
 「荒地」の詩人たちが欠く過激なことば、そのことばの組み合わせを私は知らなかった。また、こんな過激なことばが現実にひしめいている、とも知らなかった。びっくりしながら、私は、この過激なことばの奔流をみつめることが「現代」をみつめること、現代を考えること、瞬時に思い込んでしまった。
 私は「詩学」に投稿することから詩を書きはじめたのだが、最初に投稿した作品に、飯島耕一は「トンボもセミもいる詩だね」云々といった。私は実際にトンボもセミもいる田舎にいて詩を書いていたので、仰天してしまった。そうか、そういうものは「現代詩」ではなくて、「荒地」のように書かないと「現代詩」ではないのだな、と思った。
 自分のいる「暮らし」をみつめることを忘れ、過激な漢字熟語の向こう側に「現代詩」があると、単純に信じ込んだ。

 「荒地」の「文明批評」という視点は、そのころの私にはとうてい思いもつかない視点で、ただ過激なことばのかっこよさに魅了されていた。「いま/ここ」を忘れて、「荒地」のことば見て、それを模倣していた。模倣というより、盗作していた。そして、ますます「この日本とは何かというまなざし」(いま、ここをみつめること)を忘れてしまうのだが、そういうことを誘発することばの力が詩なのだな、といまでも思う。
 自分の生活(世界)を確認するというよりも、自分の知らない世界を、まず「ことば」で見てしまう--それが詩なのだと思う。そういうことを教えてくれたのが、私にとっての「荒地」だったなあ、と思う。

 私の書いていることは、「北川透の批評」に対する批評でもなんでもない。北川透の批評をどういうものであると分析する(意味を理解する)というものでもない。ただ、北川透を読みながら、ふと浮かんできたことを書いている。
 書きつづけている内に、何か「批評」めいたことに辿り着くかもしれないが、私は、それをめざしていない。ただ、読んで、何を思ったか、何を思い出したか、そういうことだけをだらだらと書いてみたいと思っている。
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北川透『現代詩論集成1』(2)

2014-09-02 09:31:06 | 北川透『現代詩論集成1』
北川透『現代詩論集成1』(2)(思潮社、2014年09月05日発行)

一 政治的共同性を騙る者たち

 鮎川信夫と北川透が対談したときのことを書いている。「思想的な肉眼の成熟」(現代詩手帖、1980年04月号)。黒田三郎について語り合った部分がある。これに対して何人かのひとが北川(鮎川)批判をしている。それに答えているのが、この文章。
 
 上手宰が北川と鮎川を「屍肉に群がるハイエナの饗宴」と呼んだ。これに対して、北川は書いている。

鮎川信夫やわたしを薄汚い歯をむき出しにしたハイエナにしたら気持ちがいいだろうが、同時にそんな比喩を使ったら、黒田三郎を屍肉や腐肉にしてしまうことにこの男は気づきもしないのだ。彼は鮎川やわたしをはずかしめているだけでなく、黒田三郎をも汚しているのである。(67ページ)

 論理的だね。反論するとき(怒るとき)もなお論理を忘れないのが北川の文章の特徴かもしれない。
 たしかに北川と鮎川を「ハイエナ」という比喩で批判するとき、黒田三郎が「屍肉、腐肉」という比喩になってしまうというのは、おかしい。ほんとうに黒田三郎に対する尊敬の気持ちがあるなら、そういう比喩は生まれない。
 上手宰は、北川と鮎川を批判しようという気持ちが強すぎて、黒田に対する尊敬を忘れてしまったのだろう。
 おもしろいのは、北川のこのあとのことばの展開。
 怒っているとき、どんなに論理的(理性的)になろうとしても、怒りの方が論理を上回る。そうすると、どうなるか。論理が拡大され、ことばが暴走するというか、さらに先へと進んでゆく。(上手宰のことばも、そんなふうに読めないことはない。)
 北川の場合は、こんなふうである。

それにこの男は知らないらしいが、日本語では、たった二匹のハイエナに対して、《群がる》とか《饗宴》ということばは使わない。もし《群がる》とか《饗宴》ということばを使えば、詩人会議を含めて、黒田三郎について追悼文や発言を寄せたすべての人のイメージになってしまう。(67-68ページ)

 わっ、おもしろい、と私はうれしくなる。
 ここでも北川は「論理」を守り通す。「論理」を踏み外さない。「群がる」「饗宴」というのは複数(少なくとも、二人では足りない)の行為である。その「複数」を根拠にすると、「ハイエナ」は北川、鮎川以外のひとの比喩にもなる。
 これは、詭弁のたぐいかもしれない。
 でも、それがいい。
 上手宰は「日本語」の「意味」を間違えている、と指摘するだけではなく(「ハイエナ」の比喩は、上手宰が比喩のつかい方を間違えているのだが……)、その「間違ったつかい方」を拡大し、ことばの「射程」を広げることで、「間違い」をいっそう鮮明に指摘する。
 そうか、ことばというのは、そこに使われているときだけに限って「意味」を判断するのではなく、そのことばを、そのことばのベクトルにしたがって拡大して見せるとき、問題点がよりはっきりするのか。
 「論理」というのは、運動だから、その運動の延長線上をみなければならない。
 北川は、そう考えているのだと思う。
 そういう北川の「論理」の動きが見えるからおもしろい。
 この場合「ことばの意味(定義)」を厳密に押さえる、「群がる」「饗宴」は何人の人間に対して使うか、というような視点の置きかたは、北川が文献を取り上げるとき、その時代を特定する姿勢に通じる。それはどういう状況もとに生まれてきたことばなのか、それを明確にした上で、そのことばのもっている運動領域(可能性/射程)をさぐる。そして、論理を動かすこと(北川の想像力で、その論理を引き継ぐこと)で見えてくる運動領域(射程)で、問題になっていることばを評価する。

 北川の批評の姿勢の「根本」を見るような気がする。 

(この文章は、書いたものを間違えて削除したために書き直した。最初に書いたときのものよりも、どうしても「飛躍」が多くなっている。--言い訳にすぎないけれど、書いておく。)
北川透 現代詩論集成1 鮎川信夫と「荒地」の世界
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北川透『現代詩論集成1』

2014-09-01 11:04:50 | 北川透『現代詩論集成1』
北川透『現代詩論集成1』(思潮社、2014年09月05日発行)

 北川透『現代詩論集成1』は全8巻の1巻目。「鮎川信夫と『荒地』の世界」というサブタイトルがついている。私は鮎川信夫も「荒地」も読んだといえるほど読んでいない。北川透が書いている批評も、読んだといえるかどうか、あいまいである。『集成』の刊行にあわせて、少しずつ感想を書いていこうと思う。(私はいいかげんな人間なので、少しずつといいながら、あすはもうやめてしまうかもしれないが……。)



 「戦後詩<他界>論 鮎川信夫の詩と思想を中心に」

 ここでは北川は北村透谷から書きはじめている。「他界」という「観念」を最初に明確にしたのは北村透谷である。北川は、ことばの「定義」というか、「出典」を明確にして、そこからことばを動かしていく。とても説得力がある。でも、私はに、その「説得力」が、「説得する文体」が少し窮屈に感じてしまう。北川の文章を読んでいるのが、「説得するための文章」を読んでいるのかわからなくなる。「論理」に圧倒される。
 対話している感じがしない。「論」が北川という人間を上回って押し寄せてくる感じに困ってしまう。(これは、それだけ北川の「論」が正しいということなのだろうけれど……。)
 私は「あれっ、そこは変じゃない?」と、質問したい人間である。質問することで、自分の考えを見直しながら、相手に接近していく。そういうことが好きなので、ぐいぐいぐいと「説得」されると、「あ、すごいなあ」と感じながらも窮屈になる。私は「論」よりも人間の方が好き、人間に出会いたいのかもしれない。
 この「戦後詩<他界>論」では、最後だけ、ちょっと違った。「えっ、そうなんだ」と思う部分があって、そこに北川を感じた。北川に質問したくなった。北川をとおして、ほかの多くのひとにも聞きたくなった。
 鮎川の「あなたの死を超えて」という触れた部分。(50ページ)

 この姉と弟の近親相姦のイメージは、エロティシズムと呼ぶには、あまりにも退行的である。まず、死者の国の姉は、二十年前に死んで、いまは空中をさまよっている幼女である。そして、<わたし>も《昔の少年》に戻らなければ、死後の彼岸に住んでいる彼女と会うことはできない。死霊となっている姉。幼児期への不可能な遡行は<わたし>自身も死霊となっていることが前提となる。その先に身体にも魂にも属さない性の《交り》がイメージされている。

 私は、「死者の国の姉は、二十年前に死んで、いまは空中をさまよっている幼女である。」という文章に驚いた。考えたことがなかった。死んだら姉が年をとらないということを考えたことがなかった。つまり、姉は死んで二十年たっているなら二十歳年上になっていて、いまの<わたし>と交わるのだとばかり思っていた。
 幼いときに死んだ人間で私が思い出せるのは、田舎の隣に住んでいた水頭症の少年しかいなくて、そうか、あの少年がおとなになった姿を思い浮かべたことはなかったなあ、と思いなおした。私が二十歳の頃死んだ兄は四十歳近かったが(こえていたかも)、思い出すのはそのときの兄であって、いまなら何歳になっているのか、その姿を思い浮かべないから、北川の書いていることは私の実感ともあう。私は勘違いしていたのだ。北川の書いていることは、とても論理的なのだ。正しいのだ。
 正しいとわかった上で、私はそれにつづく「<わたし>も《昔の少年》に戻らなければ、死後の彼岸に住んでいる彼女と会うことはできない」という文章にさらに驚く。私は、「いまの<わたし>」が死んだ姉に会うと思っていた。そうなのか、<わたし>が過去へ戻るのか、そういう不可能なことをするのか。そうしないと論理的には姉に会えないのか。
 で、それから、その不可能を「論理」としてことばにしたあと、北川はそれを積み上げて、

身体にも魂にも属さない性の《交り》がイメージされている。

 にたどりつく。
 あ、すごい。「論理」はイメージに飛躍する。ことばでしかあらわすことのできないイメージ。その鮮烈さ。そうか、鮎川はそういうイメージを見て、それを書いていたのか--とはじめてわかった。

 で、感動した後で、こんな質問をするのは野暮というか、変なのかもしれないけれど、「死者の国の姉は、二十年前に死んで、いまは空中をさまよっている幼女である」というのはほんとうかなあ。
 感動があまりにも強烈すぎて、私の「肉体」のなかにぽっかりと空虚のようなものができる。そこへ疑問がふっと忍び込む。疑問が急にふくらんでくる。
 鮎川は、幼女の姉が現れたから欲情したのかなあ。
 私は、どうも、そんなふうに考えられない。
 鮎川の欲情が先にあり、それが死んだ姉を呼び出す。鮎川は「いま」を生きていて、「いま」の肉体で欲情する。その欲情に呼び出されてくる姉は「二十年前」のままではなく、「いま」の姉ではないのだろうか。

「もし心胆にも魂にも属さない掟があるなら
わたしたちの交りには
魂も身体も不要です」

 と言ったのは誰なのだろう。
 「いまの<わたし>」か「いまの(死後二十年たった、成長した)姉」か。どちらかわからないが、私には幼年期の二人とは考えられない。幼年期のふたりが、そんなことばを言うとは思えない。
 人は、いや、私も死者のことを思い出すときは、その人が死んだ年齢でしか思い出さないから、北川の書いていることが正しくて、私の書いていることの方が間違っているのだが、その間違いを承知で、私は、その間違っていることを書いておきたい。間違っているとわかって、北川に質問したい。
 ほんとうに幼年期のふたりが交わる、そしてそれが「身体にも魂にも属さない性の《交り》」なんだろうかと。
 私は、肉体に属さない性の交わりというものをイメージできない人間なので、北川の書いている「論理」は「論理」として成立しているけれど、うーん、なじめない、きた川の書いていることはすごく感動的であるけれど、その感動にはなじめないと思ってしまう。

 と、ここまで書いてきて思うのは、北川の論理の正確さ、論理の粘着力の強さのすごさである。
 疑問を投げかける私がこんなことを書くと変かもしれないが、北川の論理の強靱さは「<わたし>も《昔の少年》に戻らなければ」ということばに象徴されるような、「過去」の重視、過去からの事実の積み上げの強さである。「過去」からひとつひとつ、事実をつみあげると、北川の書いているとおりである、と私も思う。
 けれど、「いま」を真っ先に考えてしまう私は、その「過去」からの時間の積み上げに、何か窮屈な感じを覚える。
 --これは私の「感覚の意見」であって、どうでもいいことなのかもしれないけれど。誰も書かないと思うので、あえて書いてみた。詩はもっと論理を逸脱したところで動いているように思えて仕方がない。

北川透 現代詩論集成1 鮎川信夫と「荒地」の世界
北川透
思潮社
コメント
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