2案併記のわな/ことばの操作
自民党憲法改正草案を読む/番外160(情報の読み方)
書くのが遅れてしまったが、書いておこう。
2017年12月21日読売新聞(西部版・14版)1面の見出し。
20日に開かれた自民党憲法改正推進本部のニュースだが、この「論点とりまとめ」は、ずるい。
読売新聞の「論点とりまとめ」のポイントによると、「自衛隊」をめぐっては、
の「併記」になっている、という。
なぜ「ずるい」かというと、9条の改正に反対するひとは、①②の問題点をそれぞれ指摘しないといけない。反対意見の「論点」が分散される。「論点」を絞り込ませないための安倍の「作戦」だろう。
「憲法」は「ことば」が問題なのに、その「ことば」が具体的に示されていないのもおかしい。
6月の自民党憲法改正推進本部では「たたき台」が出ている。(西日本新聞が6月22日朝刊で書いている。それをもとに、私は「憲法9条改正、これでいいのか」という本を書いた。)「たたき台」があれば、その「ことば」が含む問題点を指摘できるが、「ことば」がなければ問題点を指摘できない。
考えることも、議論もできない。
考えること、議論を封じ、しかも方向性として2案ちらつかせることで、国民が考えを持ちにくい状況をつくりだしている。
国会での与野党の質問時間をめぐっては、質問時間は獲得議席数にあわせるべきだという暴論が出たばかりだが、そのときの「手口」がここでも復活している。
自民党(与党)内部で審議するだけ審議して(ほんとうは安倍の押しつけに過ぎないだろうが)案を提案する。それに対する「質問」は議席に合わせて野党の時間を少なくする。これでは、案を聞くだけで終わってしまう。それまでの「審議(あったとしての話だが)」に参加していない野党が質問するということが重要なのだ。野党が質問し、与党が答える。それで質問と答えの時間は半々になる。「質問時間」は「答弁時間」でもある。
こんなふうに「質問」を封じ込めておいて、「来年発議をめざす」というのだから、これは「わな」としか言いようがない。
「発議」までは、国民はその「案」を知らない。どんなことばで書かれているのかわからないのでは、国民の議論も深まらない。
国民に議論させたくないのだろう。国民の口を封じるために、作戦を練っているのだろう。国民のための憲法ではなく、権力のための憲法にしようとしている姿勢が、そこからもうかがえる。
「賛成か反対か」よりも、国民の議論が必要だ。議論をとおして、共通認識をもつことが大切なのだ。共通認識がないと、「弾圧」を生むことになる。
21日の新聞を読むと、さらに驚く。安倍は5月3日の読売新聞で「自衛隊を明文化する(合憲化する」と「教育の無償化」を改正のポイントしてあげていたが、21日の報道ではこれが「4項目」に増えている。
これも「論点」を分散させる作戦といえるだろう。
「教育の無償化」は「教育充実」と言い換えられている。これも、非常におかしい。そこでは、こう書かれている。
「教育環境の整備」が「教育の無償化」だろうか。
「無償化」をめぐっては「朝鮮学校」を除外することが「合憲」か「違憲」かをめぐって訴訟があった。なぜ朝鮮学校を除外するのか。そこでは北朝鮮の教育がおこなわれており、それは日本の利益にならない、ということだが。
これを「教育環境の整備」にあてはめるとどうなるか。
「日本の国益になる教育を勧める」ということにならないか。「日本の国益にならない教育は教育とは認めない」ということにならないか。
安倍批判をする教育はだめ、ということにならないか。
教育は生きる力、考える力を身につけるためのものだろう。
思想・信条によって「教育」が差別化され、淘汰される恐れがある。
朝鮮学校で勉強すれば、そこで学んだ人間のすべてが金正男を崇拝するとは限らないだろう。学んでいることと、自分の身の回りを比較し、そこから金正男批判を考える人間が生まれてくるかもしれない。
「洗脳」されるひともいるかもしれないが、「洗脳」されないひともいるだろう。
教育を「洗脳」と考えれば、「教育環境の整備」は「洗脳環境の整備」でもある。
「洗脳教育」なら無償化する、それ以外は教育補助をしないということだろう。そういう「教育環境を整備する」ということだろう。
追加された2項目は「緊急事態」と「参院選の合区の解消」である。このふたつには「共通項」がある。たぶん、この「共通項」が自民党の狙いである。
あからさまに言えば、どちらも「自民党議席」を確保するための改正である。「合区」では確実に「1人」の議席が減る。議員が減る。
「合区」は「一票の格差」を解消するためのものである。格差が大きいと法の下の平等に反する。それを解消するために「合区」が誕生したのだが、司法の「違憲判決」を無視して、議席を確保するために「合区」を解消するというものだ。
「一票の格差訴訟」がふたたびおきても、今度はは「憲法に都道府県から少なくとも1人が選出」と決められているというためのものだ。「司法封じ」を狙っている。
本末転倒とは、こういうことを言うのだろう。
さらに「緊急事態」は2案併記とはいうものの、この2案は「自衛隊」をめぐる2案のように「対立」しない。共存可能である。
ということは。
これは2案併記ではなく、「改正ポイント」がふたつあるということである。
しかも、「緊急事態条項」が問題になったときから批判の対象となった「政府への権限集中」「私権制限」は、あとの方に書かれている。
どんなときでも国会議員が必要(国会が開かれないのは困る)、各都道府県から代表が出ないのでは、国会議員のいない都道府県の権利はないがしろにされる。それでは困る、ということを前面に出しておいて、実際に動かすのは「政府への権限集中」と「私権制限」である。
問題点を指摘されないように隠しているのだ。
「政府への権限集中や私権制限」が目的ではなく、国会を充実させることが目的であると「言い逃れ」を用意しておいて、ふたつを同時に実現する作戦である。
#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位
自民党憲法改正草案を読む/番外160(情報の読み方)
書くのが遅れてしまったが、書いておこう。
2017年12月21日読売新聞(西部版・14版)1面の見出し。
自民党改憲本部/自衛隊明記 2案併記/9条2項「維持」「削除」
20日に開かれた自民党憲法改正推進本部のニュースだが、この「論点とりまとめ」は、ずるい。
読売新聞の「論点とりまとめ」のポイントによると、「自衛隊」をめぐっては、
①9条1、2項を維持した上で自衛隊を憲法に明記する(安倍の提案)
②9条2項を削除し、自衛隊の目的・性格をより明確化する(2012年の改正草案)
の「併記」になっている、という。
なぜ「ずるい」かというと、9条の改正に反対するひとは、①②の問題点をそれぞれ指摘しないといけない。反対意見の「論点」が分散される。「論点」を絞り込ませないための安倍の「作戦」だろう。
「憲法」は「ことば」が問題なのに、その「ことば」が具体的に示されていないのもおかしい。
6月の自民党憲法改正推進本部では「たたき台」が出ている。(西日本新聞が6月22日朝刊で書いている。それをもとに、私は「憲法9条改正、これでいいのか」という本を書いた。)「たたき台」があれば、その「ことば」が含む問題点を指摘できるが、「ことば」がなければ問題点を指摘できない。
考えることも、議論もできない。
考えること、議論を封じ、しかも方向性として2案ちらつかせることで、国民が考えを持ちにくい状況をつくりだしている。
国会での与野党の質問時間をめぐっては、質問時間は獲得議席数にあわせるべきだという暴論が出たばかりだが、そのときの「手口」がここでも復活している。
自民党(与党)内部で審議するだけ審議して(ほんとうは安倍の押しつけに過ぎないだろうが)案を提案する。それに対する「質問」は議席に合わせて野党の時間を少なくする。これでは、案を聞くだけで終わってしまう。それまでの「審議(あったとしての話だが)」に参加していない野党が質問するということが重要なのだ。野党が質問し、与党が答える。それで質問と答えの時間は半々になる。「質問時間」は「答弁時間」でもある。
こんなふうに「質問」を封じ込めておいて、「来年発議をめざす」というのだから、これは「わな」としか言いようがない。
「発議」までは、国民はその「案」を知らない。どんなことばで書かれているのかわからないのでは、国民の議論も深まらない。
国民に議論させたくないのだろう。国民の口を封じるために、作戦を練っているのだろう。国民のための憲法ではなく、権力のための憲法にしようとしている姿勢が、そこからもうかがえる。
「賛成か反対か」よりも、国民の議論が必要だ。議論をとおして、共通認識をもつことが大切なのだ。共通認識がないと、「弾圧」を生むことになる。
21日の新聞を読むと、さらに驚く。安倍は5月3日の読売新聞で「自衛隊を明文化する(合憲化する」と「教育の無償化」を改正のポイントしてあげていたが、21日の報道ではこれが「4項目」に増えている。
これも「論点」を分散させる作戦といえるだろう。
「教育の無償化」は「教育充実」と言い換えられている。これも、非常におかしい。そこでは、こう書かれている。
26条3項を新設し、国が教育環境の整備を不断に推進するべき旨を規定する方向でおおむね意見が一致。
「教育環境の整備」が「教育の無償化」だろうか。
「無償化」をめぐっては「朝鮮学校」を除外することが「合憲」か「違憲」かをめぐって訴訟があった。なぜ朝鮮学校を除外するのか。そこでは北朝鮮の教育がおこなわれており、それは日本の利益にならない、ということだが。
これを「教育環境の整備」にあてはめるとどうなるか。
「日本の国益になる教育を勧める」ということにならないか。「日本の国益にならない教育は教育とは認めない」ということにならないか。
安倍批判をする教育はだめ、ということにならないか。
教育は生きる力、考える力を身につけるためのものだろう。
思想・信条によって「教育」が差別化され、淘汰される恐れがある。
朝鮮学校で勉強すれば、そこで学んだ人間のすべてが金正男を崇拝するとは限らないだろう。学んでいることと、自分の身の回りを比較し、そこから金正男批判を考える人間が生まれてくるかもしれない。
「洗脳」されるひともいるかもしれないが、「洗脳」されないひともいるだろう。
教育を「洗脳」と考えれば、「教育環境の整備」は「洗脳環境の整備」でもある。
「洗脳教育」なら無償化する、それ以外は教育補助をしないということだろう。そういう「教育環境を整備する」ということだろう。
追加された2項目は「緊急事態」と「参院選の合区の解消」である。このふたつには「共通項」がある。たぶん、この「共通項」が自民党の狙いである。
「緊急事態」
憲法に
①国会議員の任期延期や選挙期日の特例を規定
②政府への権限集中や私権制限を含めた緊急事態条項を規定、の2通りの案がある
「参院選の合区解消」
47条を改正し、改選ごとに都道府県から少なくとも1人が選出可能となるように規定する方向でおおむね意見が一致
あからさまに言えば、どちらも「自民党議席」を確保するための改正である。「合区」では確実に「1人」の議席が減る。議員が減る。
「合区」は「一票の格差」を解消するためのものである。格差が大きいと法の下の平等に反する。それを解消するために「合区」が誕生したのだが、司法の「違憲判決」を無視して、議席を確保するために「合区」を解消するというものだ。
「一票の格差訴訟」がふたたびおきても、今度はは「憲法に都道府県から少なくとも1人が選出」と決められているというためのものだ。「司法封じ」を狙っている。
本末転倒とは、こういうことを言うのだろう。
さらに「緊急事態」は2案併記とはいうものの、この2案は「自衛隊」をめぐる2案のように「対立」しない。共存可能である。
ということは。
これは2案併記ではなく、「改正ポイント」がふたつあるということである。
しかも、「緊急事態条項」が問題になったときから批判の対象となった「政府への権限集中」「私権制限」は、あとの方に書かれている。
どんなときでも国会議員が必要(国会が開かれないのは困る)、各都道府県から代表が出ないのでは、国会議員のいない都道府県の権利はないがしろにされる。それでは困る、ということを前面に出しておいて、実際に動かすのは「政府への権限集中」と「私権制限」である。
問題点を指摘されないように隠しているのだ。
「政府への権限集中や私権制限」が目的ではなく、国会を充実させることが目的であると「言い逃れ」を用意しておいて、ふたつを同時に実現する作戦である。
#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位
詩人が読み解く自民党憲法案の大事なポイント 日本国憲法/自民党憲法改正案 全文掲載 | |
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