詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

砂川公子「秘色の館」

2008-08-31 01:30:31 | 詩(雑誌・同人誌)
 砂川公子「秘色の館」(「笛」245 、2008年09月01日発行)

 母の残した裁縫箱のことから砂川は書きはじめている。

ひとさし指にひっかけ親指の腹で引く 糸切り歯では切れない糸を 裁縫箱から握り鋏でちょんと切り 結び玉 ちょっんと切り結び玉 ときおり頭紙に針の滑りを通しながら 薄い座布団に時を縫い続けた母がいる

 「母がいる」と書いてはいるが、実は母はいないのであろう。母は亡くなっている。そして裁縫箱が遺品として残されている。それを見ながら、砂川は不在の母が明るみに出すものをみつめる。
 生前は母が隠していた。その母が不在になったとき、母の不在を埋めるように、影に隠れていたもの、見えなかったものが、目の前にあらわれてくる。

母譲りの紫檀の裁縫箱には細かな引き出しがいろいろあって 引き出しの奥にもう一つの隠し箱や 敷板の下にもう一枚の底板があったりする 二十違いの父との恋や 他家へ渡した赤子のことや 紐のような糸もたぐりながら引きながら ひとさし指にひっかけ親指の腹で引く

 人は、だれでも隠しているのである。「秘色」を持っているのである。それは、その人がいなくなったとき、ふいに暴れ出すのである。
 ちょうど、建物が壊されると、その建物が隠していたものがあらわれるように。

隣のアパートが突然とり壊されたので 生態系がゆらぐ 蟇はとりあえず裏づたいの背戸で声をあげ 床下を出入りしていた猫たちも 半世紀を舞台にした物語の物の怪も姿をけした 泰山木の巨樹を失った蜩は 電柱の中空で夜どおし鳴き続ける 一瞬の騒動に少しふくらんで 裁縫箱のような秘色の館も 突如浮かびあがる

 いま、現実に起きていることと、その起きていること--隠しているものが不思議な形で居場所をもとめて動いている状況を見る。そのとき、ふいに、いままで見えなかったものが砂川に見えてくる。見えなかった母の姿が、母そのものとしてではなく、裁縫箱から見えてくる。
 そういう関係を、砂川は、正直に追っている。その正直さが、とてもいい。

蜘蛛の溺死 (略) あやうく逃れた一匹が 一睡の夢に糸をかける 夢は母の裁縫箱に小さく眠る 目覚めたとき たぐりながら引きながら ひとさし指にひっかけ 親指の腹で引こう いやここは結ばず やさしく折り返して 捨て針というふうに

 「捨て針」。なんと美しいことばだろう。
 砂川は母を、母が隠していたものをあばこうとはしない。ただ隠していたものがあるということがわかったというだけで終わる。そのわかったことを「結ばない」(結ばず、に)。そのままにしておく。

 それは確かに「秘色」をいちばん美しく見せる方法かもしれない。遊びを残しておいて、それはその遊びのままにまかせる。
 いいなあ。


生まれない街―Deserted city
砂川 公子
能登印刷出版部

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山本純子「すいか」「川向こうから」

2008-08-30 01:30:01 | 詩(雑誌・同人誌)
山本純子「すいか」「川向こうから」(「息のダンス」8、2008年09月01日発行)

 山本純子の詩の魅力を語るのは、私には、ちょっとむずかしい。いや、とてもむずかしい。「すいか」という作品の全行。

あれっ
この人の名前
何だっけ

にこっとしてくる人に
にこっとしながら

すいか売り場の前で
立ち話をすると
思い出すことは
いろいろあるのに
名前だけがどうしても

にこにこしている人に
にこにこしながら

相手の人も
どうも
わたしの名前を言わないので

夏になると
薄着になるから
みんな
人の名前も
ビー玉も
ころっと
落としてしまうのかなあ


そのあたりの
すいかを一つ二つ
たたいてみる

 書き出しの「あれっ」「だっけ」「にこっ」「にこっ」の促音の繰り返しが不思議に楽しい。「あれっ」と「だっけ」の「っ」は完全に同じ音だと思う。次の「にこっ」も明るくて、ふたつの「っ」に似ている。ところが、その次の「にこっ」の「っ」は私には同じ音に聞こえない。少し暗い。何かをひきずるような感じ。手放しではじける「っ」ではなく、ほかの「っ」にあわせて「っ」になってみた、という感じの「っ」である。はじけるのを半分やめている。
 そのはじけるのを半分やめて、どちらかというと「にこ」に近くなっていることばをひきずって、2連目では「にこにこ」になる。明るいのだけれど、はじけるわけではない。気がかりがひそんでいるのを、(名前を思い出せない--という気がかりと、ぴったり重なる)、むりやり明るくしているような、不思議な感じ。
 この音の変化がとても楽しいのだ。
 さらに、その音の変化、少し重くなった音を「にこにこしながら」の「ながら」がもう一度明るくしようとする。その変化も楽しい。明るくしようとするが、どうにもうまくいかない、という感じの、中途半端な感じがとてもいい。「ながら」のあと1行あいて、連が変わる呼吸も楽しい。
 「どうも」と「言わないで」の「で」の重たい感じが、冒頭の「あれっ」の「っ」から離れてしまっている感じがいい。音の変化と意識の変化がきちんと響きあっている、と思う。
 そのあとの「ビー玉」の突然の出現が愉快だし、その愉快さをくぐりぬけて、「ころっ」の「っ」が「あれっ」の「っ」にほとんどもどる。そういう音の変化が、まるで「声」として聞こえてくる。
 そういう音楽のあとで、

そのあたりの
すいかを一つ二つ
たたいてみる

 と音を表記せずに、読者に「音」を想像させるところもとてもいい。



 「川向こうから」は川の両岸、川の広さが、鳶の動きにあわせて、ゆったりと広さを広げていく、広げながら具体的にしていくリズムが楽しい。春のひかりと、空の輝きが見えるような詩である。
 山本純子は声が(耳が)いいだけではなく、視力もとてもいいのだと思う。自在に空間の広さを変化させることができる視力を持っているのだと思う。





豊穣の女神の息子―詩集
山本 純子
花神社

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アーサー・ビナード、木坂涼選・共訳「詩のジャングルジム」

2008-08-29 11:43:48 | 詩(雑誌・同人誌)
アーサー・ビナード、木坂涼選・共訳「詩のジャングルジム」(朝日新聞2008年08月27日夕刊)

 メアリー・フリーマンの「ダチョウ」、ナオミ・シハーブ・ナイ「走る人」の2篇が紹介されている。ふたつの詩に共通することばは「追いつく」である。

ダチョウ

なんてヘンテコリンな鳥だろう、
ダチョウって。頭は、からっぽかしら?
でも、足のほうは速くって、走ると自分で
自分をおいてけぼりにしちゃうくらい。
だから目的地に早々と着いても、けっきょく
なにもすることがなくて、ず--っと
立っているしかない。日が暮れたころに
自分がやっと自分に追いつくまで。

 この詩は最終行の訳がとてもすばらしい。原文を私は知らないが、たぶん「自分」に相当することばはつかわれていない。heとか himselfとか、直訳すれば「彼」「彼自身」ということばがつかわれていると思う。
 「自分」に相当する「I」はダチョウを「なんてヘンテコリンな鳥だろう」と思うときの主語である。詩人が「I」である。
 その詩人「I」が、ふっと消えて、ダチョウと同化している。そして「自分が自分に追いつく」と感じている。このダチョウと私「I」の「同化」が、この詩のいのちである。それを日本語の「自分」ということばのなかで巧みに訳出している。
 「ダチョウがやっとダチョウに追いつくまで。」あるいは「彼がやっと彼自身においつくまで。」と訳出しても、意味は同じである。意味は同じであるが「自分がやっと自分に追いつくまで。」ということばとは、こころに届くまでの「距離」が違う。「自分」の方がはるかにストレートに密着する。

 この「ダチョウ」にアーサー・ビナード、木坂涼しいは「疾走(しっそう)の効果は様々で、ダチョウは少々やりすぎだが、自分の一部を脱(だっ)することも大事かも。」という感想を書いて、それにつづけてナオミ・シハーブ・ナイの作品を訳出している。

走る人

ローラースケートの得意な少年。彼(かれ)がいつか
話してくれた--うんと速く滑走(かっそう)すれば
自分のさびしさも追いつかない--と。
チャンピオンを目指す理由として、これは
最高ではないか。今宵(こよい)、わたしはペダルを
こいで、キング・ウィリアム通りを走る。
自転車でも同じことができるか、考えている。
自分のさびしさをおいてけぼりにするなんて、
これぞ本当の勝利! さびしさのヤツは
どこかの街角で息切れし、立ちつくすだろう。
そのころ、こっちはツツジがいっぱい咲(さ)く中を
軽やかに飛ばす。赤紫(あかむらさき)の花たちは、しぼんで
ゆっくり落ちても、さびしさとは無縁(むえん)だ。

 「ダチョウ」では「自分」というひとかたまりだったものが、この詩では「さびしさ」というひとつの感情として取り出されている。「自分」と「自分のさびしさ」の分離。そして、そういう意識を受けて、

さびしさのヤツは

という美しいことばが出てくる。この詩も私は原文を知らないが、「さびしさのヤツは」の「ヤツ」がたまらなく美しい。「ヤツ」ということばによって、さびしさが完全に「自分」から切り離される。さびしさを自分から切り離してみつめたい、という詩人の気持ちが正確に訳出されていると思う。

 「ダチョウ」では「自分」ではないものを「自分」と訳出し、読者をダチョウと同化させる。そして「走る人」では「自分」のものである「さびしさ」を「ヤツ」と呼ぶことでくっきりと切り離す。--この、訳出のこまかな配慮の中に、アーサー・ビナード、木坂涼の日本語の「思想」がある。

 そして。

 「走る人」の最後の3行。特に、最終行に、私はうなってしまった。原文はどうなっているのか、とても知りたくなった。

(ツツジは)ゆっくり落ちても、さびしさとは無縁だ。

 この行の「さびしさ」は誰のものだろうか。私・詩人「I」の「さびしさ」なのか。それとも「ツツジ自身」の「さびしさ」なのか。どちらともとれる。そして、そのどちらともとれることを、どちらともとれるように訳出している。
 「さびしさのヤツは」ということばがなければ、こんな気持ちにはならない。
 単純に、ツツジは「自分の(つまり、わたし、の)さびしさ」とは無縁だと、私は読む。そして、そうすると、これは、一種の「漢詩」の世界、自然の非情の世界になる。自然は人間の感情に配慮しない。無縁である。そこに、自然に触れる人間のよろこびがある。自然は人間の感情を洗い流す。そのときの、さっぱりした美しさ……。
 もし、「自分のさびしさ」ではなく、「ツツジ自身のさびしさ」だったら、どうなるだろうか。その場合はその場合で、ツツジは感情などもたない。したがって人間(つまり、わたし)のさびしさには何の配慮もしない、という「漢詩」の世界につながる。つながるのだけれど、そのつながり方において、微妙に違ってくる。ツツジは生まれたときから(?)、さびしさをおいてけぼりにしている。最初から無縁である。それなのに、人間がさびしいという感情を持っているときは、その感情の存在を浮かび上がらせる。うけとめる。非情なのに、あるいは非情であるからこそ、人間がもちうる「情」を浮かび上がらせることができる。そういう存在によって、おいてけぼりにしたはずのさびしさが、ふっと、すぐそばにやってくる。そういうことを感じさせる。

 さびしさなんていらない。おいてけぼりにしたい。けれども、さびしさという感情があることはちゃんと知っていたい。人間は欲張りである。人間は矛盾している。その矛盾の中にある「思想」を、最終行はきちんと訳出している。日本語にしている。

 アーサー・ビナードと木坂涼はほんとうに日本語の達人だ。



日本語ぽこりぽこり
アーサー・ビナード
小学館

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五つのエラーをさがせ!―木坂涼詩集 (詩を読もう!)
木坂 涼
大日本図書

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斎藤恵子『無月となのはな』

2008-08-28 09:49:38 | 詩集
 斎藤恵子『無月となのはな』(思潮社、2008年07月31日発行)
 巻頭の「無月」のなかほどにとても魅力的な行がある。

なにかに誘われなければ
歩きすすむことはできない

 「なにか」とは何か。この作品では、とても不思議なもの、である。詩の書き出し。

目印の屏風岩の近くに
ちいさな茅葺き屋根の家があった
わたしは今夜の宿になる家をたずねていた
板戸の節から明かりがこぼれている
こぶしでかるく叩いた

 「わたし」を誘っているのは、具体的には「宿」である。「宿」の「明かり」である。ほんとうは「誘っている」のではなく、「わたし」は探しているのだが、その「探す」という行為を、「わたし」は「誘っている」と、逆の形で実行している。
 ここには不思議な「矛盾」があり、その「矛盾」ゆえに、「わたし」の望みはかなえられない。「宿」にたどりつけない。
 それは、次のような形であらわれる。

戸を引き顔をのぞけたお爺さんは
綿のはみでた縞の半纏を着
落ち窪んだ目をしばたいてわたしを見た
 形代(かたしろ)を舞わしんさるか
乾いた唇からつぶやくようにもらした

わたしは首をふった
人形をあやつることなどできない
お爺さんはだまって目をそらし
禿げた頭をふりふり戸をしめた
もの言う間もなく
内側から錠をおろす音がした

 「宿」(ほんとうの宿ではない)の「明かり」が「誘う」。しかし、それは「誘う」だけで受け入れない。拒絶する。そして、その拒絶がくりかえされるので、「わたし」は歩きつづけるしかない。
 これは、ことばをかえて言えば「拒絶」が「わたし」を「誘っている」のである。もし、誰かが「わたし」を受け入れれば、「わたし」は歩かなくてすむからである。「矛盾」がここにある。そして、「矛盾」だからこそ、それが魅力的なのである。「矛盾」はいつでも「思想」が生まれてくる「場」である。「矛盾」を歩きつづけて、その「矛盾」を通り越したとき、それまで抱えていた感情、感覚、肉体、あらゆるものが「思想」になる。その人自身の存在を証明するものになる。
 そういうものを斎藤は探している。

 こんな形で(つまり、「矛盾」を抱えた形で、というか、「矛盾」のなかを歩みつづけるという形で)、ひとが動いて行くとき、そこでは何が起きているのか。
 斎藤は、はっきりと書いている。

どこへゆくかわからないまま
                 (「海辺の子牛」)

 この作品では、「わたし」を誘っているのは「子牛」である。海辺で「子牛」に出会う。「子牛」は「子牛」で「わたし」を頼りにしている。ところが、頼りにされた方の「わたし」は「わたし」でどうしていいかわからない。わからないまま、「子牛」と「わたし」は歩く。誘っているのがどっちで、誘われているのがどっちかわからなくなる。どちらも誘い、どちらもうながされているのだ。

子牛はうつむいていた
海のほうから来たのだろう
どこへゆくかわからないのだ
背におくわたしの手に
肉のぬくみがつたわりはじめた

うながされていると思うのか
きしきし砂をあるいてゆく
 まって
呼びかけても声は潮騒に消えてゆく
波がしらが海上をすべり
雲がひろがる

 わたしを破壊してください
ふいに感情のような大きな波が砂を打った

海辺に影はなく
波はうねり
空はあわく

いつのまにか
わたしも尾をたれてついてゆく
つめたい風をうけ
どこへゆくかわからないまま
砂に脚をとられながら

 「どこへゆくかわからないまま」のこうした「あゆみ」が、なぜ「思想」か。私はなぜそれを「思想」と定義するか。そこには、自己を超えるという運動が存在するからである。
 斎藤のことばに沿って言い直せば、「わたしを破壊」するという運動がそこにあるからである。「わたし」を「破壊」し、それまでの「わたし」以外のものにする。「わたし」をのりこえたものにする。「わたし」が生まれ変わる。ひとか生まれ変わるとき、そこには「思想」がある。「思想」によって私たちは生まれ変わる。
 この作品では、その「生まれ変わり」は最終連に書かれている。

わたしも尾をたれてついてゆく

 「わたし」に本来「尾」はない。「子牛」といっしょに歩くとき、「わたし」に「尾」が生じた。「わたし」は「子牛」になっている。「子牛」に生まれ変わっている。
 「わたし」が「子牛」に生まれ変わることが「思想」であってたまるか、という考えもあるかもしれない。しかし、「子牛」がこれからさらに何に生まれ変わるか、まだ、何もわからない。わからないけれど、そういう変化、変化する力があるということが、「わたし」を誘いつづけるのである。
 それはほんとうは、どこかにあるのではなく、「わたし」の内部ににしかないのかもしれない。その力を「わたし」に感じたからこそ、「子牛」は「うながされていると思」って歩き、「わたし」は「わたし」で、「子牛」との出会いで生まれたものを頼りに歩く。そういう「関係」が、ここにはある。「関係」が「場」となり、そこから「思想」が生まれる。「思想」が明確になるまでは、それは「矛盾」(なにかわからないもの、はっきりどちらと定義できないもの、混沌)として、ここに存在しつづける。

 「わたし」を「誘っている」のは、「矛盾」であり、「混沌」である。そして、それは「わたし」の外にあるのではなく、「内部」にある。「肉体」のなかにある。その「肉体」のなかにあるものは、「わたし」以外のもの、たとえば「子牛」に触れたとき、他者につたわる。それがつたわって、何か変化が起き、「わたし」を誘う。理解できないことが起きて、それに誘われる。「わたし」は、そういう「矛盾」と「混沌」の出発点であり、また、やがてたどりつくべき「場」でもある。

 斎藤は、そういう「肉体」を探しているだとも言えるかもしれない。「雨」のなかにも魅力的な行がある。

部屋には雨がふりはじめる
黒ずんだ柱に
擦りきれた畳に
角をなくした敷居に
ほそほそと霧になっておち
わたしの髪や喉やゆびをぬらす
忘れてしまって思い出せないことが
なつかしげに立ちこめる

 「忘れてしまって思い出せないことが/なつかしげに立ちこめる」。この「矛盾」に満ちたうつくしいことば。「なつかしい」ものは「思い出」と結びつくからなつかいしのであって、「忘れてしまって思い出せない」なら、「なつかしい」はずがない。しかし、「なつかしい」のだ。この「矛盾」。その美しさ。

 「矛盾」していても、そう言うしかない。そういう切なさ、哀しさがある。それが美しい。
 斎藤の書きたいものは、ここに集約している。斎藤の「思想」はここに結晶している。思い出せなくても、なつかしいものがある。ことばにしてしまうと、「矛盾」にしかならないものがある。それを書きたいのである。「矛盾」しているからこそ、それを書きたい--書くことで、ことばが動き、変化していく。その変化とともに、生まれ変わる。新しく、というより、その「思い出せないもの」「忘れてしまったもの」--いわば、「過去」へ生まれ変わる。

 「どこへゆくかわからない」の「どこ」は「場所」であると同時に「時間」でもあるのだ。「未来」へゆくのか「過去」へゆくのかもわからない。「未来」でも「過去」でもない「とき」かもしれない。「永遠」かもしれない。

 「過去」とは「時間」というより、むしろ「肉体」のようなものである。「いのち」のようなものである。斎藤の父、母、そしてさらにさらに昔々からつづく「いのち」のようなものかもしれない。
 延々とつづく「いのち」。それは「永遠」と言い換えることができるかもしれない。

 生きることはある意味では「過去」を捨ててしまうこと、「過去」を乗り越えて進むことなのだが、そういう動きとは逆の、「過去」から、延々とつづく「いのち」から何かをすくい上げる、くみ取る、そうしてそれを「わたし」を「誘う」ものとして前に掲げる。「過去」のななかに「永遠」を探そうとしている。「永遠」は「真実」とも言い換えることができるだろうと思う。
 そういうことを斎藤はしようとしているように見える。

 同人誌などで1篇1篇読んでいたときは、そういうことに気がつかなかった。詩集という形で読み返して(たぶん、読み返しだと思う)、斎藤のことばの動きが、私にははっきり見えてきたように感じた。



無月となのはな
斎藤 恵子
思潮社

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夕区
斎藤 恵子
思潮社

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藤倉孚子『静かなざわめき』

2008-08-27 07:11:09 | 詩集
 藤倉孚子『静かなざわめき』(花神社、2008年08月10日発行)
 タイトルの『静かなざわめき』には矛盾がある。「ざわめき」とは「音」である。その「音」が「静か」であるというのは、矛盾である。「音」のない状態が「静か」である。しかし、この矛盾は、矛盾という方がおかしいかもしれない。私たちは「静かなざわめき」というものがあることを知っている。実際に、「静かなざわめき」ということばは、日常的につかう。日常的につかうけれども、真剣に考えると、何か奇妙である。
 この奇妙さ、矛盾のなかには、まだ定義できていない何か、不確かなものがある。
 藤倉は、そういう不確かなものを、「疑問」の形でそっと提出する。「疑問」の抱くことで、追いつめていく。
 「静かなざわめき」の前半。

ガラスケースのなか
幾億年の岩に
生きのもの痕跡がひとすじ
闇からあらわれ 光にさらされ
永遠が一瞬になる瞬間
海鳴り 山鳴りは
宇宙のはてに消え行き
みえないものの沈黙が
ふかい痕跡にしずめられ
ざわめきをひきおこす
存在したものは影にすぎないのか

 「存在したものは影にすぎないのか」の「か」。ここに藤倉の詩がある。「か」と問うことで、その疑問の持っているものを強く刻印する。不確かなものを刻印するために、藤倉は「わざと」疑問をあらわす「か」を記すのである。「か」という疑問を提出することで、読者を、その不確かな「場」へ引きずり込み、不確かさを読者と共有する。その瞬間に詩が動く。
 「か」がなければ、それに先だつ行はすべて藤倉の「独断」になってしまう。もちろん「独断」だけがもつ孤高の美しさに満ちた詩もあるが、藤倉は「独断」を「か」によってやわらげ、不確かさのなかへ詩を誘い込む。
 「か」は、そして藤倉の「思想」なのである。
 藤倉のことばが動いて行くとき、何度でも頼りになる確かなものは「か」だけなのかもしれない。(プラトン、あるいはソクラテスが「懐疑」だけが確かに存在するゆいいつのものであると考えたように、藤倉は「か」だけを確かなものと感じているのかもしれない。)

 こうした「か」は詩集のなかに何度も出てくる。

ホームのはずれに一本の柳の木
しろっぽい光に照らされて
二本になる
もとの木はどれなのか
いずれどちらも消えるだろう
                (「カジカの声と柳の木」)

真っ青な井戸の底を
雲がゆっくりと流れて行く
かたちを変え消えてしまうものもある
空は知っているのだろうか
消えたことを
雲が覚えているかどうか
                 (「谺」)

夜道を歩いている
道はぬれているのか
                (「声」)

 「か」をつかわずに、それでも「疑問」、不確かなものへと誘い込むことばの動きもある。

ひかりは朝からすいている
乗客には連れがいる
みえるものやら
みえないものやら
                 (「西へ行くひと」)

 「みえるものやら/みえないものやら」という2行。繰り返しのなかにある反対のことば。
 そして、この2行に隠された反対のもの、矛盾、そして断定できない不確かさの方が、もしかするともっと藤倉の本質かもしれない。「思想」そのものかもしれない。「不確かさ」に踏み込んで行く力が藤倉の「思想」そのものかもしれない。
 「不確かさ」によって結びつくもの、反対のもの--それはもしかすると「ひとつ」ではないのか。それが藤倉の考えている根本のことである。「西へ行くひと」の後半。

名古屋でおりたひとは浜松でおりたひと
今度はひとりで
ひとごみのなかへ消えて行く
吹雪の関ヶ原
晴れて米原 京都
またおなじひとがおりて行く

 「ひとつ」とは「おなじ」ということである。本来、「名古屋でおりたひと」は「浜松でおりたひと」であるはずがない。「おなじ」ひと、つまり「ひとり(ひとつ)」のひとではありえないというのが日常・現実である。しかし、それは「おなじひと」である可能性がある。「おなじひと」にしてしまう「場」がどこかにある。
 複数のものが「おなじ」である。複数のものが「ひとつ」。この矛盾を解決する視点がひとつある。藤倉は、それを書くと野暮になることを知っているのだろう。そのことばを避けている。そのことばとは「永遠」である。あるいは「真理」(真実)である。どこかに「永遠」「真実」があり、その「場」ではあらゆる存在が「おなじ」であり、「ひとつ」である。
 浜松でひかりをおりるひと。名古屋でおりるひと。米原、京都でおりるひと。それぞれは別人である。しかし、その別人をつなぐもの、「ひとつ」にするもの、「おなじ」にすのものがどこかにある。悲しみとか、絶望とか、よろこびとか、何かはわからないけれど、そういうものがある。人間をつらぬくものがある。
 そういう人間全部をつらぬく「永遠」を藤倉はどこかで感じている。そういう「場」がどこかにあると感じている。
 その「場」を、藤倉は「か」の力を借りて探している。「不確か」なものをえがくことで、探している。何度も何度も「おなじ」ことをくりかえし、つまり「か」の力を借りて、くりかえし探している。

 藤倉には申し訳ないが、私はこれまで藤倉の作品を読んだことがあるのかないのか、記憶にない。単独で1篇ずつ読んでいたら、たぶん、藤倉の作品は印象に残らない。「か」が抱え込む「思想」にも気がつかない。(少なくとも、私は気がつかない。)
 詩集のなかで何度もくりかえし登場することで、そこから「か」の「思想」がみえてくる。
 詩は、詩集になることによって、力を発揮することがある。そういうことを思った。





ガラスの外で―詩集
藤倉 孚子
花神社

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絹川早苗『林の中のメジロ籠』

2008-08-26 11:19:27 | 詩集
 絹川早苗『林の中のメジロ籠』(横浜詩人会、2008年08月01日発行)

 「さよなら」という作品が詩集のなかほどにある。その全行。

改札口をでた男が
スポットライトのなかに
白く浮かびあがる

雑踏の片隅で待っていたわたしは
いつものように
小さく手をあげた

薄い本 二、三冊ばかりの
風呂敷包みを抱えた男は
まっすぐ わたしの方にやってくる

近づいてきて
どんどん 近づいてきて
  (町の騒音が消えた)
しまいには
わたしを通りぬけてしまい

振り返ると
ホタルブクロの咲く野道を
捕虫網をもった少年の背中が
小さくなっていくのが見えた

さよなら という声が
どこからともなく 聞こえてきた

 4連目。「わたしを通りぬけてしまい」は、どういう描写なのだろうか。「わたし(のそば)を通りぬけてしまい」なのか。あるいは、「わたし(のなか)を通りぬけてしまい」なのか。
 私は「わたしのなかを通りぬけてしまい」と「のなか」を補って読んだ。ひとりの男、その肉体が「わたし」の「なか」を通り抜ける、というのは現実にはありえない。「わたし」の「肉体」を他人の「肉体」が通り抜けるというのは、現実にはありえない。
 けれども、感覚のなかでなら、そういうことは起きる。記憶のなか、精神のなか、こころのなか、でならそういうことは起きる。
 「わたし」は駅で「男」を待っている。とても大切なひとだ。その人は、もう亡くなってこの世にはいないのかもしれない。改札口からその人が出てくることは、もう二度とない。しかし、「わたし」は彼を待っている。いつものように。
 そうすると、「わたし」の気持ちを知ったからだろうか、男が下りてくる。なつかしい姿で。そして、「どんどん 近づいて」くる。このとき、「わたし」の感覚は平常心をなくしてしまう。「(町の騒音が消えた)」と感じるくらいに、その男に集中してしまう。その集中するこころへ進入してきて、そして、こころを「通りぬけて」しまうのだ。
 通り抜けた男を探すように振り返ると、男は本を風呂敷包みに抱えたなつかしい姿から、もっともっとなつかしい姿にかわっている。「捕虫網をもった少年」になってしまっている。
 「わたし」と「男」は幼なじみなのだろう。(幼なじみではないとしたら、その男がどんな少年だったかをいつもいつも「わたし」に言い聞かせていた。そんなふうに、とてもとても親密な関係なのだ。)「わたし」は男の「少年時代」を知っている、本に夢中になっていた「青年時代」を知っている。すべてを知っている。大切な人なのだから。
 その人は、いまは、この世界には存在しない。存在しないけれど、その人への愛から、ずーっと駅で待ちつづける「わたし」。その「わたし」のこころに誘われて、この世に帰って来た男が、なつかしい姿で「わたし」を「通りぬけ」、さらになつかしい姿「少年」になって去っていく。
 記憶になっていく。

 人が記憶になる--それは、ほんとうの別れである。そのときのあいさつ「さよなら」を「わたし」はどこからともなく聞く。

 けれども記憶になれば、もう、別れはない。いつまでもいつまでも、こころのなかに存在しつづける。「肉体」は変化する。消えてしまう。けれども、記憶は消えはしないのである。記憶は、そして、その記憶を書いたことばは消えない。いつまでも存在し、生き続ける。「わたし」のこころのなかにだけではなく、そのことばを読んだすべての人のこころのなかにも。




紙の上の放浪者(ヴァガボンド) (21世紀詩人叢書 (6))
絹川 早苗
土曜美術社

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フェルメール展(東京都美術館)

2008-08-25 11:47:16 | その他(音楽、小説etc)
 「手紙を書く婦人と召使」が展示作品のなかでは魅力的だ。婦人の頭部、肩のハイライトがとてもまぶしい。呼応するように白いカーテンの上部の光に透けた感じが美しい。一心に手紙を書く婦人と、外の気配に目をやる召使の対比が、「時間」を感じさせる。そこに描かれているのは「一瞬」なのだが、どのような一瞬も日常の時間と連続している。長さがある。一瞬を描きながら、その長さ、そして長さが含むドラマを感じさせる。そのドラマは、右下の破られた(丸められた?)紙にもひそんでいる。壁にかけられた絵にも、当時の人ならすぐにわかるドラマが隠されているかもしれない。
 左の 5分の1 (?)くらいを占めるカーテンは遠近法の揺らぎを隠すための技法なのかもしれないが、そのカーテンの存在によって、光の中心と絵の構造の中心(対角線をXに描き、そのの交わる地点)と重なり合う(微妙にずれるが)。そのカーテンによるXの位置の移動も、絵に深い味わいを与えている。ずれ、ゆらぎが陰影を誘い込んでいるような印象を与えるのである。そのXの移動によって、フェルメールの描く陰影がより複雑になる。
 同時に「デルフトの巨匠たち」の作品も展示されている。彼らの作品と比較すると、フェルメールの視力のよさが歴然とする。「デルフトの巨匠たち」の作品の陰影が3段階あると仮定すると、フェルメールの陰影には10段階ある。その違いが光を透明にしている。微妙な陰影の差が光を磨き上げているという感じである。

 「ワイングラスを持つ娘」は白と拮抗するように紅いスカートの輝きが美しい。光をあびて紅が金に変化する。そのとき生まれる色彩の運動がとてもいい。
 娘に言い寄る男と、酔いがまわってみだら(?)になりつつある娘の顔の対比がおもしろい。この作品の壁にも絵が描かれている。ステンドグラスにも絵が描かれている。そうした絵が、娘と男のドラマを暗示しているようである。

 「小径」は小ぶりの作品だが、とても気に入った。アムステルダムで見たときは、あまり気にとめなかった。(レンブラントを見るのが目的だったからかもしれない。)この展覧会でも最初は見過ごしていた。誰もいない(まだ来ていない)会場で見ると、小さい絵であるはずなのに、なぜか急に大きくかわる。大きさが変わる。町並みが実物大(?)の感じで広がるのである。中庭にいる婦人、道路で遊ぶ子ども、入り口で家事をする婦人の姿が建物を引き立て、そこに暮らしを感じさせる。その瞬間、絵が大きく拡大するのである。この作品にはフェルメール特有の光の諧調はないけれど、なぜか、こころ誘われる。この「小径」を探してデルフトの街を歩いてみたいという感じがする。

 「マルタとマリアの家のキリスト」。初期の作品である。このころは光の諧調がまだ3段階くらいである。(後期の作品を10段階の諧調とすれば。)手前の女の右足、その指の輪郭に違和感を覚えた。キリストの手、手前の女の手を見ながら、あ、セザンヌならもっと長く描くだろうなあ、という奇妙な感想を持った。こんな感想がふいに浮かんでくるのは、この初期の作品は私の好きなフェルメールの感じとはかなり違うからだろう。


 
 私は 8月20日、21日に見た。20日は午前09時05分ごろ入場したのだが人が多くてゆっくりと見ることができなかった。絵の位置だけ確認して21日に出直す。(20日は午前10時30分ごろ、会場受け付け前で40分待ち、上野駅についた11時ごろは1時間待ちという状態だった。)21日は午前08時30分ごろから列を作って待った。(30人程度、私より前に列を作っている人がいた。)めざす絵「手紙を書く婦人と召使」の前まで一目散で行ったので、この作品は10分ほど、ほぼ独り占めできた。真っ正面で見ることができた。混雑しそうなので、できれば開門前に列をつくり、めざす絵へ直進し、それから入り口にもどり順路をたどり直した方がじっくり鑑賞できそうである。
 会期は12月14日まで。
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長田典子『翅音(はねおと)』

2008-08-25 01:14:46 | 詩集
 長田典子『翅音(はねおと)』(砂子屋書房、2008年08月05日発行)
                    
 「針都」は蝉の死骸を題材に書いている。

錆びた鉄屑みたいに
崩れて
黒土に染みていたが
羽根だけはもとのままだった
パズルから抜け落ちた破片がひとつ
葉裏で冷やされた風に震えながら
まだ 生きている
尖って 痛い

 「痛い」が強烈である。死骸と認識しながら、こころは認識を裏切るように「生きている」と感じてしまう。そして、その感じてしまったこころが「痛い」ともう一歩動いていく。
 蝉は他者である。長田ではない。その「痛み」は長田自身の痛みではない。長田自身の痛みではないけれど、長田自身のものとして感じてしまう。そしてこころが感じてしまうとき、痛いのはこころだけではなく、肉体も痛むのである。肉体が痛いのである。どこ、とは言えない。どことは言えないけれど、痛い。そういうことがあるのだ。
 長田は、そのことを別のことばで言い換えている。

高層ビルの突き刺さる 寒い針の街が
赤々と 溶解しても
君は死なない

 蝉は「死なない」。長田の肉体のなかで「痛み」として生きている。

 長田は、他者の痛みに対する共感力が強いのだと思う。そして、「他者」というのは、実は、蝉のように誰が見ても長田とは別の存在のときもあれば、そうでないときもある。他人から見れば「長田自身」である、ということもある。「長田自身」なのに、長田はそれを「長田」とは感じない。
 自分ではない自分--それを、長田はなんと呼ぶか。「こころ」と呼ぶ。「すがた」という作品のなかほど。

わたしには
痛いということと 身体ということと こころということが
結びつかない
(略)
こころは自分とはちがうものだ
だって自分の思い通りにならない

 「こころ」を他者として発見してしまった長田。長田の「思想」は、この2行に結晶している。こころは自分の思い通りにならない。それは「他者」なのだ。そして、「他者」であるにもかかわらず、「他者」の痛みに共感する力がある長田は、その痛みに共感してしまう。
 そこに、長田の辛さ、長田の真実がある。



 言い直そう。書き直そう。

 人は誰でも他者の痛みを感じてしまう能力を持っている。誰かが道に腹を抱えてうずくまっている。そうすると、あ、この人はおなかが痛いんだ。おなかが痛くて苦しんでいるのだ、と誰もが思う。他人のことなのに、たとえばその人が額に脂汗を流してうんうんうなっていれば、その痛みはたいへんなものなのだとわかってしまう。そういう能力(感受性)は誰にでもあるものだが、長田のその力は非常に強い。だから、蝉に対しても、死んでしまった蝉に対しても「痛い」を感じてしまう。
 そして、たぶん、そういう能力が強すぎるために、自分の痛みを、こころの痛みを、本能的に切り離して「他者」の痛みと受け止めようとしてしまうのかもしれない。
 道に倒れているひとの「痛み」は「痛み」と理解できても、実際にはわたしたちの肉体そのものが痛むわけではない。
 ところが、こころの痛みは、どんなに「他者」の痛みと思ってみても、感じてしまう。ここに矛盾がある。つまり、思想がある。思想は常に矛盾の中にある。
 自分の思い通りにならないから「こころ」は「他者」であると認識しても、その認識を裏切ってしまう。「他者」と認識した瞬間から、「他者」の痛みに対する共感力が動きはじめ、それがこころとは別のもの、つまり「身体」に作用する。「こころ」は「他者」であると認識する「頭脳」を裏切って、「身体」が痛みはじめるのだ。

 これは、もう、どうすることもできない。

 長田には「他者」の痛みに共感する特別な力が(度を越した力が)そなわっているのだと、長田自身を受け入れるしかないのだと思う。
 この詩集は、そういう特別な力をどうやって長田が受け入れるようになったかをていねいに記録したものである。





おりこうさんのキャシィ
長田 典子
書肆山田

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有松裕子『エデン』

2008-08-24 09:16:15 | 詩集
 有松裕子『エデン』(書肆山田、2008年08月20日発行)
 「連続」ということばがある。だれもが知っていることばだと思う。だれもが知っていることばということは、だれもがつかっていることばである、ということと同じだ。しかし、そのだれもがつかっているはずのことばが、有松の詩のなかでは不思議な輝きを持っている。
 「古川の浅いみずたまり」。そのなかほど。

のぞきこんだ古川はひとびとの努力でキレイになり
落とし込まれたサビつき自転車の登録証がまるみえ
誰がやったかわかるのに調べられることはない
汚れた水を飲み込んでキレイに変わった川は
昔もいまも連続している

 「川は/昔もいまも連続している」。これはあたりまえのことである。あたりまえだからこそ、たとえば「方丈記」の冒頭の「無情」が鮮烈に響く。つまり「方丈記」には鴨長明の「発見」があるのに対し、有松の表現には「発見」がない。だれもが知っている。
 だが、それにもかかわらず、私は、この部分でつまずいた。つまずいて、体をたち直したとき、その目の前に、有松という人間が突然現れたように感じたのである。ここに書かれている「連続」はとても新鮮である。そして、その「連続」のなかにこそ、有松がいる。そう感じた。

汚れた水を飲み込んでキレイに変わった川は
昔もいまも連続している

 この「連続」には「矛盾」がある。「汚れた」と「キレイ」という反対のことばが「連続」するというのは「矛盾」である。それは「連続」しない。だが、有松は「連続」すると書く。どうして「汚れた」と「キレイ」が連続するのか。その「矛盾」の間には、実は「変わった」(変わる)という運動がある。
 そのことを、有松は「発見」している。
 そして、もし「変わった」(変わる)という運動があるならば、すべては「連続」するのである。ここに、有松の「思想」がある。世界はばらばらに見える。あらゆる存在はばらばらに存在し、ときには対立(矛盾)する。しかし、そういう世界も、存在が変われば「連続」するのである。
 「汚れた」川と、「キレイ」な川は、まったく別の存在のように見える。しかし、それは「かわる」という変化を間にみつめるとき、その変わるという運動の「場」として「連続」して姿をあらわす。
 「連続」は、そんなふうにして「場」を、「場」の存在を意識させる。「連続」は「場」はともにあり、そこでは「変わる」という運動がある。
 これが、有松が発見したことである。

 「古川の浅いみずたまり」にはいろいろなものが登場する。いろいろな事件が登場する。犬と私とあなた(2連目)。足をだしてひとをつまずかせる遊びと、折れた歯。水野さん(3連目)。2連目と3連目に、何の「連続」もないように感じられる。「連続」がないからこそ、「 1行あき」が挿入され、その断絶によって「連」が誕生する。

昼下がりの
隣の犬のはしゃくぐ声を追いかけて
小犬の鳴ききまねをする ピッピッピッピィー
おびやかされた犬がそよ風にももんどりうって
荒々しく雲を呼ぶのを待っている
やめな と あなたは言うけれど
いじめてなんかいない

傷をうずかせるの雨は血のにおいに似ている
四年生の教室の床に横たわるハイソックス
避けることも思いつかなかったわたしの足
なにげなく でもわざと
やった水野さんも泣いていた

 この空白、断絶の象徴としての1行あきこそ、「連続」の「場」である。
 そこでは何が「連続」しているか。転ばせるという行為である。2連目で「わたし」はかけてくる犬を転ばせる。3連目では「水野さん」が「わたし」を転ばせる。
 そのつ転ばせるという行為が3連目と「連続」する。
 ただし、2連目の行為の主体は「わたし」。3連目は「水野さん」。そこに断絶がある。いわば「矛盾」がある。「わたし」と「水野さん」という、けっして融合しない人間が、加害者・被害者という対立する存在としてそこに存在し、その対立した存在(矛盾)が、転ばせるという行為のなかで溶け合ってしまう。
 1行あきは矛盾を融合させる。

 有松の詩は、わかりにくい。少なくとも、私には非常にわかりにくい。ひとつの作品のなかにいくつもの要素が盛り込まれ、その関係が、すぐにはわからない。なぜ、この連の次に、こんな連が、と思ってしまうことがある。だが、それこそ有松の書きたいことなのだろう。「思想」なのだろうと思う。
 ばらばらな存在。その対立(矛盾)。だが、そこに「矛盾」があるわかったなら、その「矛盾」を変えれば「連続」になる。そのことを夢見て、そして有松の意識のなかでは、その「変化」が実際に起きていて、「連続」が誕生しているのである。
 一読しただけでは、それだけのことしかわからない。だが、たしかに、1行の空白、連と連をつくりだす空白は、有松の「変化」と「連続」の結び目なのだということは、作品を読み進めれば進むほど強くなる。

 そして、こういう印象に拍車をかけるのが、

なにげなく でもわざと
やった水野さんも泣いていた

 という奇妙に強い力で結びつく行。「矛盾」を含んだ行だ。「なにげなく」「わざと」は、けっして溶け合わない概念だ。本来結びつくはずがない。「連続」するはずがない。でも、有松は結びつける。そうすると、不思議なて現象が起きる。
 「なにげなく でもわざと」は誰の行為? 「わたし」の? あるいは「水野さん」の? どちらともとれる。たぶん有松は両方にとれるように、変わってしまうのだ。
 1行あきの「場」で対立するもの(矛盾)を有松は溶け合わせたが、1行のなかでは対立するもの(矛盾)を連続させ、別々の存在(「水野さん」と「わたし」)を融合させるのだ。同じいのちをもった人間として浮かび上がらせるのだ。


 不思議な詩集だ。とても不思議な詩集だ。





擬陽性
有松 裕子
思潮社

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山本まこと『その日、と書いて』

2008-08-23 08:27:29 | 詩集
 山本まこと『その日、と書いて』(私家版、2008年07月20日発行)
 山本まことは「母の死」を書いている。母が死んだその日から書きはじめている。

その日、と書いて
<無>はまだ生まれていなかった
と書くことの安直をもう私は知ってしまったが……

 書いたことばがどこまで書こうとしたことに届くか、あるいは書こうとしたことを突き抜けて思いもかけないことを書いてしまうか。だれにも書いてしまうまではわからない。だから、ともかく書いてみる。書いてみると、ことばは次々にあらわれてくる。それが、たとえば江里昭彦が「父の死」で書いたように、事実に追いつかない認識や感情であったにしろ、ことばは次々にあらわれてくる。書いてしまうのか、書けてしまうのか、あるいは書かされてしまうのか。何もわからないが、その書くという行為と向き合ったまま、山本は書く。「母の死」を書くということよりも、「書く」ということについて書いてしまう。
 それは「書く」ということへの「自問」にかわっていく。「書く」とはどういうことか、という答えを求めるようになる。「海の落ち穂」にひとつの、山本なりの「答え」を書いている。

してきたこと
あすしなければならぬこと
それらを伝記作家のように整理できない
けれども野の果ての
けもの臭い朝の白紙に私は書こう
そこにある雨のしみや草の影を辿っても
もう現れぬあなたのために
書くことは呼ぶこと
たとえ応えがなかろうと
ただ不断に呼ぶために呼ばれること

 「書くことは呼ぶこと」。「呼ぶ」は直接的には、母を呼ぶことである。呼び起こすこと。思い起こすこと。そして、対話をすること。
 実際には母は死んで存在しないのだから、それは、別な角度から見ると、山本自身を呼ぶことである。山本の肉体のなかにことばにならずに存在している母の記憶を揺り起こすことである。母を呼び起こしながら、母になることである。
 このことを、山本は、「海の落ち穂」を書くはるか前に、無意識に書いている。たぶん、詩集は書かれた順序に編まれているのだと思うのだが、そうだとすると、「海の落ち穂」のはるか前に、すでに山本は「書く」ことは山本が母に「なる」ことだと無意識に書いていることになる。ことばは山本を追い抜いてしまっていて、それを、後からようやく山本が気づく。いや、この詩集を編んだ段階で、山本はまだそれに気がついていないかもしれない。気がつかずに、「書く」ということをめぐって、ただひたすら「書いている」。どんなときにも「書く」ということができる、ということに驚きながら。「書く」という欲望の強さに突き動かされながら。
 無意識である。「書く」ことが母に「なる」ということについて無意識である。そして、その無意識がとても美しい。「川」という作品である。

小春日和のとある日
川べりで猫といっしょに水鳥を見ていたひと
あれは死んだ母であったと
うかつにも既になつかしい夢から覚めて
水を飲む
飲まねばならず
粥は食べねばならず
目を閉じてまた開けば水灯はゆらゆらと
生ける記憶のように川も流れているのだ
ついに熟さぬかもしれぬ悲しみを果実をそっと浮かべて
そして
沈黙の深さ
石油のように老いて穏やかな母の眼差しは光りにもつれ
母が私を生き
私が母を生きる
湧かしすぎたミルクのアジはわからぬままに

 書かなくていいと思うことばがたくさんあるが(指摘はしないが)、それは

母が私を生き
私が母を生きる

という2行を呼び出すための、山本には不可欠なことばなのである。無意識に書いてしまった(と、私には思える。ことばに書かれれてしまった2行だと私には思える)そのことばに導かれて、山本のことばは動いている。この詩集のなかでは。そして、その2行以外の世界へ出て行かない。そこに、この詩集の存在の意味がある。

 どんなときにも、「書く」ということは絶対必要なのである。


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江里昭彦「父の死」「清水邦夫を読みさして眺める春」

2008-08-22 23:16:26 | その他(音楽、小説etc)
 江里昭彦「父の死」「清水邦夫を読みさして眺める春」(「左庭」11、2008年07月30日発行)

 今年の春、三月二八日に父が急死した。いまから記すことは、この緊急事態に私と母がいかにうろたえ、どう対処したかの記録めいた走り書きである。

 という、書き出しで江口は「父の死」を記録している。「父の死」と言っても、その冒頭に書いてあるように「父の死」というよりも、「私と母」の「対処」の記録である。書かれているのは、もっぱら「私と母」である。「父」が動くのは、

隣室でドサッと大きな音がした。人が倒れた音というより、かぐがひっくり返ったような無機質な響きである。地震でもないのに倒れるような家具は父の部屋にはないから、異様な音は父が発したにちがいない。

 これだけである。あとは、動かない。語らない。どんな感情の変化も見せない。死んだのだからあたりまえだが、そのあたりまえのことが、「私と母」をあわてさせるのである。「私と母」を「私と母」ではなくさせる。
 その変化の頂点。

 母と私は控え室で待たされた。約束を思い出して、弟に電話する。搬送中において脈拍も呼吸も停止していたことを告げ、「最悪の事態を覚悟してほしい」と言い添えた。それ以外、母と私にはすることがない。だが、心のなかでは認識と感情がもつれた足どりで走っている。どんどん進行する事態に、不意打ちをくらった認識はついてゆくのが精一杯だ。感情のほうは認識のはるか後方をもたもた走っている。事態と感情の双方に架橋しなければならない認識には、痺れののようなこわばりが生じている。気は動転しているのに、現実感が希薄なのだ。

 ここに書かれていることには、何ひとつ嘘はないと思う。誇張もないと思う。だが、同時に、「正確」というものもないような気がするのである。江里は、「正確」に、「冷静」に、自分のなかで起きたこと、自分がしたことを書こうとしているが、そこには、しかし「正確」はないと、私は感じてしまう。
 ここにあるのは、虚無である。
 ここにあるのは、書く、という意識だけである。書く、という意識だけが、ことばを探している。
 認識も、感情も、何もない。「ついてゆくのが精一杯」と書かれているが、そこには人間を「ついてゆくのが精一杯」にさせるものがあるだけで、それは認識も、感情も拒絶している。認識も、感情も、何にも触れない。何をも抱きしめない。「現実感が希薄」というのは、「私」と「現実」の乖離し、その間に「虚無」が存在しているからである。
 それが「虚無」であるかぎり、どんなことを書こうと、それは嘘にも誇張にも真実にさえもならない。ただ、虚無だけが、そこにある。

 それでも書く。なぜ、書くのか。

 ことばに追いついてきてほしいからである。ことばが「私」に追いつくまで、ただひたすら、虚無に飲み込まれることばを書きつづける。捨てつづける。そうすることよりほかに、江里にはすることがない。
 これは、江里の特徴でもあると思う。
 江里は俳句のひとである。俳句を書いている。その俳句は、どちらかというと、前衛である。江里にとって「前衛」とは、認識・感情をことばにするということではなく、ことばによって認識・感情をつくりだしてゆくということである。認識や感情があって、そこから「ことば(俳句)」が自然発生するのではない。ことばが先にあって、ことばを動かすことで「俳句」をつくり、その「俳句」のなかで認識・感情を育てるのである。虚無を乗り越えて認識・感情を育てるのである。

 江里は、「父の死」という文章も、いわば認識・感情を育てるために書いているのである。虚無しかない「現実」を乗り越えて、認識・感情が育ってくる、やがて認識・感情が現実を乗り越えて、現実を作り替えてしまう--そういうことを欲望して、ことばを書いているのである。
 そういう欲望がくっきりと浮き上がってくる文章である。



 江里は同じ号で、俳句を発表している。「清水邦夫を読みさして眺める春」。このタイトルは象徴的である。江里は清水邦夫のことばをとおることで認識・感情を育てている。そして、そこで育った認識・感情で「現実」をつくりかえようとしている。現実がことばを引き出すのではない。現実と江里の肉体が呼応して、そこからことばが発生するのではない。ことばがまず最初にあって、それが現実と江里の肉体をつくりかえていくのである。世界をつくりかえていくのである。
 俳句は遠心・求心の統一のなかにあるが、江里の場合、その統一の場は「虚無」である。「虚無」をくぐりぬけることで、華麗になるのである。ことばが「虚無」をとおり、通り抜けることで「現実」をつくりかえるのである。

荷くずれが港にあって観覧車

巨きすぎて正視できぬぞ海の虹





ロマンチック・ラブ・イデオロギー―江里昭彦句集
江里 昭彦
弘栄堂書店

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ボストン美術館収蔵「浮世絵名品展」

2008-08-22 13:35:30 | その他(音楽、小説etc)
ボストン美術館収蔵「浮世絵名品展」(福岡市美術館)

 「浮世絵初期の大家たち」「春信様式の時代」「錦絵の黄金時代」「幕末のビッグネームたち」の4コーナーにわけて作品が展示されている。墨一色から始まり、美人画、肖像画、風景と変遷していく浮世絵の歴史がくっきりと浮かび上がる。時間の流れの中においてみると東洲斎写楽の異様さ(特異性)がとりわけ際立つ。
 多くの美人画は江戸時代のひとにはどんなふうに見えたのかわからないが、私には同じ顔にしか見えない。彼女たちを区別するのは着物(衣装)、髪飾りにすぎない。美人であるかどうかはより豪華な着物を着ているか、帯をしているか、髪は華麗に結われているかの違いにしか見えない。浮世絵には「春画」というジャンルがある(残念ながら展覧会では展示されていない)から、美人画が「プレイボーイ」の写真のように庶民のあいだで利用されたとは考えにくい。美人画は美人の紹介というよりも美人のファッション画として利用されたのかも知れない。ファッション画というのは実際に着物を着るひとの目安になると同時に、色の組み合わせ、着こなし(着くずしのスタイル)というような美意識の表現であったかもしれない。美人を描くというよりも、作家の美意識の表現、そして表現技術を競う場であったかもしれない。蚊帳のこまかな網目、薄墨で表現される雨の動き。その繊細な視線を競うかのように次々に浮世絵が生まれていったような印象を受ける。
 ところが写楽だけが違う。写楽にも繊細な表現の意識はあっただろうが、それは一番目の意識ではない。写楽はまず「顔」を描いた。のっぺりした非個性的な顔ではなく、誇張された顔を書いた。表情のなかに人生を描いた。それはファッションとは無縁である。人は顔を通してこれだけ表現できる、ということをあらわした。ひとそれぞれの個性を発見し、個性を確立したのが写楽かもしれない。
 「金貸石部金吉」。その目。眼光。それは顔を逸脱している。逸脱するものこそ個性であり、芸術なのだ。そうしたことをとても印象づけられる。色もおもしろい。特にバックの灰色が美しい。図版などで見ていたときはぼんやりしていて灰色に気がつかなかったが、その灰色は特異である。背後を完全に沈めてしまう。人間だけが、顔だけが、あらゆるものを凌駕してそこに出現してきたような印象である。誇張された表情と同時に、その灰色に写楽の「思想」を見たように思った。

 北斎の風景画は、構図の発見である。どの絵も独特の遠近感と躍動感に満ちている。風景というものは本来動かない。不動である。そういう世界に運動を引き込んだところが北斎のおもしろいところだと改めて思った。

*

 展示されている作品全体から感じたのは黒の美しさだ。非常に強い。墨の美しさがあって初めて線で描くという日本の絵の独特な技術が発達したのかもしれない。
 西洋の絵は面である。日本の絵は線である。その違いは、アニメにまで尾を引いている。そんなことも考えた。
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倉田良成『神話のための練習曲集』

2008-08-21 00:30:49 | 詩集
倉田良成『神話のための練習曲集』(私家版、2008年07月07日発行)

 「絵巻」という作品の書き出しの1行が非常に美しい。

 金泥の雲が流線を描いて切れかかると、松の木の緑が顕(た)つ。
 
 文の終わりの「顕つ」が強烈である。日本語はこんな風にして使うのか、と、感嘆し、この1行だけで詩集を読んでよかったと思った。
「顕つ」というのは「顕れる」(あらわれる)という意味と通い合うが、単に姿をあらわすというより、何か背後にあるものを引き連れて、いま、ここに、背後にあるものを代表して進み出てきた、という感じがする。
混沌のなかから松が生成してきた、という運動を感じる。
そして、その混沌と「金泥」が不思議な具合に通い合い、まさに「神話」の激しさ、スピードがいきいきと動いている。
残念なのは、このすばらしい1行の運動の激しさを、つづく行が完全に引き継いではいないということである。つづく行からは一気にスピードが落ちるし、ことばの振幅も小さくなる。

突き抜けてそそり立つのは丹に塗られた血のような五重塔である。

 「突き抜けてそそり立つ」は「顕つ」の後では間が抜けて見える。「そそり立つ」ではせいぜいが平らな地面しか踏みしめていない。「丹にぬられた」と「血のような」は重複であり、スピードが落ちるというより、スピードが死んでしまう。
途中に一箇所、「顕つ」に匹敵することば登場する。

雲の透き間にはまだ水の色。ただし鴛●(おし)やかりがねが泳ぎ回って水紋を印す。
              (注・原文の「おし」の「し」は「央」の下に「鳥」)

文末の「印す」が強い。ここにも日本語の手本とすべき姿がある。

*

「ウイスキー」以後の数編の作品の香り、におい、感覚の変化の描写にもおもしろいものを感じた。ただし、そのおもしろさは、シングルモルトの「通信販売カタログ」にあまりにも似ている。文体が似ている。




海に沿う街
倉田 良成
ミッドナイト・プレス

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鷹羽狩行「星祭」

2008-08-20 00:23:41 | その他(音楽、小説etc)
鷹羽狩行「星祭」(「文芸春秋」2008年09月号)

 俳句はまったくわからないが、日本語は美しい、と思う。日本語を話す国に生まれてよかったと思う。

竹割つて内の白さや今朝の秋

 「今朝の秋」ということばの美しさ。まだ夏だけれど、朝、ひんやりする。その変化を「今朝の」と限定して「秋」と呼んでみる。かすかな変化をことばに定着させる機微がこころにしみる。「内の白さや」の、「内」「白さ」と「今朝の秋」の出会いも、とても自然だ。
異質なものの突然の出会いのなかに「詩」は存在する。それは事実だし、その異質なものの出会いを「わざと」試みる「現代詩」が私は好きだけれど、鷹羽の俳句のことばのように、小さな異質の出会いで、視線をかすかなものに向けさせることばも好きだ。
「内の白さや」の「や」。この「切れ字」もとてもいいなあ、と思う。「内の白さ」と「今朝の秋」の繊細な出会い。繊細すぎて、ふたつは溶け合ってしまいそうだが、その溶け合ってしまうような繊細さを、ぱっと切り離す。独立させる。そうすることで、出会いを鮮明にする。
日本語はこんなにも美しい、と、ただただ感心する。

灯籠に灯を入れて部屋暗くなる

静かな明かりが逆に暗さを呼び覚ます。ここにも繊細な視覚、感覚の覚醒がある。ことばは感覚を覚醒させる。それは、感覚を頂点にまで引き上げるということである。三木清は国語はその国民の到達した思想の高みをあらわすといったが、その「思想」には当然感覚も含まれるだろう。鷹羽の句には、とぎすまされた感覚の美がある。
「暗くなる」の「なる」ということばが、この句をしっかり締めている。その断定のありようも、とても美しいと思う。「暗くなる」と「変化」を見出したとき、鷹羽も、「暗くなる」という変化を発見する人間に「なる」。ふたつの「なる」が重なって、世界が充実する。ここの、俳句の「思想」がある。自己と他が一体に「なる」。「なる」ことで世界が生まれ変わる。つまり、新しく「なる」。

原爆忌念珠の切れて珠(たま)こぼさず

祈りの強さが思わず手にこもり、念珠を切ってしまう。けれど、そのとき神経は手の先まで張り詰めているので、繊細の動きもしっかり感じてしまうあ。ちぎれたことを瞬時に肌で知り、珠をこぼすことなく受け止める。
祈りのときの、はりつめた精神が透明な感じで浮かび上がってくる。




十五峯―鷹羽狩行句集
鷹羽 狩行
ふらんす堂

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楊逸「時が滲む朝」

2008-08-19 00:23:00 | その他(音楽、小説etc)
楊逸「時が滲む朝」(「文芸春秋」2008年09月号)
 第139回芥川賞受賞作。中国人が書いた日本語作品ということで話題になった。読んでいて、とても不思議な気持ちになった。
 なぜ日本語で書いたのだろう、ということが疑問が頭から離れない。
 日本語で作品を書く外国人は多い。アーサー・ビナードの詩は日本語で書かれている。それはとても美しい。なぜアーサー・ビナードが日本語で書くのか、という疑問を感じたことはない。日本語で書いてくれてありがとう、という気持ちがある。
 しかし、楊逸「時が滲む朝」には疑問を感じる。題材のせいかも知れない。天安門事件とその後を書いている。そのことが、中国人によって、日本語で書かれているということに疑問があるのだ。天安門事件はとても重要である。おそらく日本人にとってよりも、中国人にとってとても重要であると思う。その体験が、中国人に向けてではなく、まず日本人に向けて書かれているということに対する疑問である。
 天安門事件をめぐって、中国人は日本人以上にさまざまなことを考えたと思う。感じたと思う。そして、そのとき感じたり、考えたりしたとき使ったことばは中国語であるはずだ。そこには日本語ではたどりつけない何か、「思想」があるはずである。それがすっぽり抜け落ちている感じがするのである。楊逸が書いている中国人の思考、感情を読みながら、どうしても、「えっ、それだけ?」と思ってしまう。
 特に、天安門事件後、主人公たちが飯店で酒を飲み、タクシー運転手らとけんかをしてしまう部分と、それにつづく拘留の場面が頼りない。ことばが事実の奥にたどり着いているという感じがしない。ことばは三木清がいうように、その国民がたどりついた思想の頂点である。その、頂点に触れたという感じがしないのである。

 秒を数え、狭い窓から漏れる光を数字で測るような日々である。中間たちと同じ拘置所にいても別室にされ、食事に顔を合わせても話をすることも禁じられ、一日中孤独に堪え、秒を数えて時間という大敵を潰すしかない。

 短い部分に「秒を数え」という表現が2回出てくる。表現が変化してゆかない。これは「思想」が変化・発展してゆかないということと同じである。ある表現(ここでは「秒を数え」)に到達(?)したあと安心してしまっている。これが天安門事件をくぐりぬけた結果だろうか。
 不思議でしょうがない。
 
 その後の、日本へ来てからの生活を描いた部分が、前半とまったく違う文体であることも、なんだか味気ない。生活が違えば文体は違ってくるだろうけれど、その違いは異文化と触れることで深まらなければならない。逆に浅くなっている。これも、とてもつまらない。天安門事件を経て、日本へ来て、その結果としてこの文体があるのかと思うと、とてもさびしい。
 前半、天安門事件前と、その最中には美しい文章が沢山ある。シャツに「I love you」と書くこと。Oに国旗を立てることなど、情熱のなかの、不思議な逸脱。その「思想」の美しい輝きなど、ほーっと息が漏れる。勉学に燃えて早朝、湖へいくシーンも美しい。
 それが後半、完全に姿を消す。消えたように私には感じられる。とてもつまらなくなる。

 うがった言い方になるかもしれないが、この芥川賞は北京五輪にあわせて話題づくりをし、本を売るだけのための戦略に感じられる。






時が滲む朝
楊 逸
文藝春秋

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