詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

岡本勝人『都市の詩学』(3)

2007-09-30 12:42:01 | 詩集
 岡本勝人都市の詩学』(思潮社、2007年07月31日発行)
 岡本の描く「故郷」は彼が生きた土地だけに存在するのではない。「異郷」(外国)でも「故郷」はあるのだ。たとえば「春の都会の夜の空は流れて」。岡本は夜、ひとりでルノワールを思い出している。

人物画や静物画にひいでたルノアールにも
わずかだけれども風景画があるね
かたくなった乳首のように
エロチックな色彩が塗り込められた風景画だ
サント・ヴィクトワール山に七色の虹がかかる
子どもたちは石を投げて逃げていった
言葉というものがまだ分節していなかったころ
帽子をかぶりリュックを背負って歩きつかれた画家は
五色の言葉で虹を描いた

 「子どもたちは石を投げて逃げていった」が岡本の「故郷」である。変な(?)人間をみたら石を投げる子ども。これはどこにでもいる。永遠に繰り返される光景である。子どもは大きくなって石を投げないようになるが、次から次へと生まれてくる子どもはこの感覚を繰り返す。その時間はいつもある時期にめぐってくる。そして、そういう光景を見ると人はだれでも自分が子どもであったことを思い出す。そこには子どもは変なものに対しては冷淡である、残酷であるという「永遠」がある。
 こういう「永遠」を岡本は「言葉というものがまだ分節していなかったころ」と定義している。「言葉が分節していない」という「時間」が永遠なのである。こういう時間はフランスにもあれば、画家の世界にもある。もちろん「都会」にもある。「都会」のなかにそういうものを見出し、それを「故郷」とすることで、その「故郷」の視点から「都会」を見つめなおすことで岡本は「都会の抒情詩」を書いている。
 こういうことを、岡本は、自分自身に言い聞かせるようにもう一度書き直している。

言葉がまだ無明の時代にあったころ
意識は都市という星雲をめぐり
かたい孤独は山の春雪の泥濘となって
バラ色の宵闇のなかで溶けはじめるだけだった

 「都会」そのものを描写する言葉をもたず(そういうことばは岡本のなかで「分節」していなかった、ことばとして誕生していなかった)、描けえないもののまわりをめぐる。孤独が岡本を襲い、その孤独がやがて「故郷」を見つけ、つまり「都会」のなかにひそんでいる「故郷」を見出し、そこから岡本のことばは動きはじめる。春の雪が溶けるように。そういう感じを岡本は生きてきたのだ。
 この最後の連がプロローグに取り込まれている理由は、そこに書いてある「時間」こそが岡本の出発点だからであろう。

 「都会」にある「故郷」。繰り返される時間、円環される時間(岡本は名詞形で「円環」という表現を使っているが……)とは、次のようなもののことをいう。「空のした季節は出発点となるかどうかわからない」。

夕暮れのニュースペーパーをキオスクで買った

 夕暮れ、新聞を買う。その「習慣」としての「時間」はただ繰り返され、人間を「夕暮れ」という「時間」へ引き戻す。
 その間もたとえば経済は(株式)は動いている、ものは生産され続け、同時に消費され続け、その流れはとどまることがない。その結果として、「ニューヨークでは株が暴落するたびにひとがビルから飛び降りた」というようなこともあるのだが。
 習慣として繰り返される「円環」の時間。それとは別に流れ続け、消えて行く時間。その二つの時間をみつめながら、岡本のことばは動く。岡本の思考は動く。悲しく、さびしく、切なく、つまりは抒情的に。そしてそこには少し「哲学的」な硬めのことばが入り込み、ことばの断面を冷たく厳しくする。それがいっそう抒情を引き立てる。「空のした季節は出発点となるかどうかわからない」の冒頭のように。

空のしたには季節がある
すべての事物に場所があるように
すべてのおこないに時があった
誕生と成長と死の円環
切断する生まれいずる時と死にゆく時

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アキ・カウリスマキ監督「街のあかり」

2007-09-29 22:14:53 | 映画
監督 アキ・カウリスマキ

 出演 ヤンネ・フーティアイネン、マリア・ヤルヴェンヘルミ、イルッカ・コイヴラ、マリア・ヘイスカネン、カティ・オウティネン、パユ(犬)

 あいかわらず映像情報が少ない。人間の表情も情報が少ない。無表情に、切り詰められるだけ切り詰められた映像がつづく。そして、それがすべて「孤立」している。たとえば男と壁、硝子といった関係だけでなく、たとえばソーセージを売る車と街、酒場と街、ディスコと街さえもつながってはいない。それぞれが「孤立」して存在している。
 こういう、すべてが孤立し、それぞれの情報がきわめて少ない映画では、観客の想像力がスクリーンにひっぱりだされる。監督や役者の想像力がスクリーンを超えてやってくるのではなく、観客の想像力がスクリーンまで出向かなければならない。そこでは、観客は、監督や役者の想像力に触れるのではなく、自分自身の想像力に触れる。
 そこでは何も描かれていないがゆえに、観客は、ほとんど自由に自分自身の感性を解き放ち、夢を見ることができる。
 孤独な男の悲しみを観客自身の孤独と悲しみで埋めて行く。恋のときめきを、そっと男に託してみる。裏切られ、それでも女を信じる純粋さに自分の純粋さを重ねる。あるいは、裏切って行く女の苦悩をひそかに思ってみる。ことばにしない恋、もうひとりの女のまなざしの恋を、「私はその恋を知っている」と思い、ひそかに見つめる。どうして男はその女の恋に気がつかないのだろう、とじれったく思ったりする。自分だったらもっと早く女の気持ちに気がつくのに、と思ったりする。
 そんな観客の気持ちがスクリーンにあふれるころ、スクリーンと観客席が一体になる。観客の目がスクリーンに釘付けになり、こころが震えはじめる。
 この映画は監督や役者がつくるのではなく、あくまで監督と役者と観客が一体となってつくりあげていく映画なのである。
 自分自身の孤独、悲しみ、純粋さをスクリーンに重ねられた人間には、この映画は傑作かもしれない。男はなんて孤独で、おろかで、純真なのだろう--そう思ったとき、観客は、監督の、あるいは役者の作り上げた「人間」の孤独や純真さに感動しているのではなく、自分自身のなかにある孤独や純真さに、いわば酔いしれている。観客は、その瞬間、自分は、人間の孤独や悲しみ、純粋さを理解できる、清らかな人間なのだと自分を信じてしまっている。いちずな恋をささげる女の静けさ、その無償の愛の美しさを感じる観客は、自分もあの女のように男を愛したことがあった(愛している)と、自分のこころの美しさを発見して、それに酔いしれる。
  どんな映画も、主人公と(あるいは多くの登場人物と)自分自身のこころを重ね合わせ、自分が主人公になったような気持ちで興奮することが映画の楽しみなのだから、こういう観客と監督(役者)の一体感があってもいいとは思う。こういう監督と役者、観客の融合のあり方を私は否定したいとは思わない。けれども、積極的に肯定したいとも思わない。全体に思いたくない。やはり、監督の「私にはこんなものまで見えるんだぞ」という強烈な映像が見たい。アキ・カウリスマキ監督に言わせれば、「私はこんなふうに人間の孤独が見える、そしてそれを映像化できる」ということなのかもしれないけれど。

 この映画では、犬にとても感心した。犬はもとよりせりふをしゃべらない。ただそこにいるだけである。だがその犬は人間よりも強烈に孤独を表現している。犬の孤独と男の孤独が、見つめ合う視線のなかで触れ合う瞬間の映像は美しい。犬の視線がとても美しい。この犬を見るだけのためにでも、この映画は見た方がいいかもしれない。

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岡本勝人『都市の詩学』(2)

2007-09-29 16:48:00 | 詩集
 岡本勝人都市の詩学』(思潮社、2007年07月31日発行)

 「歌と仕事」の1連目。

失われた時間をうめるもの
失うことによってえるもの
風光の造型者たちよ
歌と仕事は
蕩尽を秘めた石榴のうれぐあいだったが
それは日常の時間にかしずきながらやってきた

 3行目の「風光の造型者たちよ」への飛躍が岡本の詩の特徴だろう。
 一方に「失われた時間」「失うこと」という抽象的なものがある。それに向き合う形で「風光」という具体的なものがある。「時間」は失われたが「風光」は失われてはいない。「風光」は絶対失われないことによって「失われた時間」を明るみに出す。風光とは、しかし「観光名所的な風景」のことではない。今目の前にある「ただの自然」である。「日常」である。「観光」などによって汚されていない、ただそこに放置されたままの「日常としての自然」。そこでは「時間」が失われることなく、昔のまま、延々とつづいている。そこにあるのは「風光」というより「時間」なのである。
 この「日常としての自然」というのは、2連目を読むとわかるのだが「故郷」のことである。勝本が子どもだった時代も、今も変わらない。たとえば「棚田」があり、たとえば「木蓮」が咲いている。その姿は永遠にかわらない。そこでは時間は何度も何度も巡ってはくるけれど過ぎ去っては行かない。けっして「失われない」。「故郷」では「失われた時間」というものはない。めぐりめぐって時間は次々に重なり合う。重なり合うことで一瞬を永遠にかえてしまう。この場合の永遠とは、変化がないということをいう。
 この変化のない時間、永遠の時間、「絶対的存在として目の前にある時間」(風光となって具体的に存在する時間)の前で、勝本は思わず「風光の造型者たちよ」と呼びかけてしまう。
 「失われた時間」を勝本は意識することができるが、今目の前にある絶対的な時間の前で、たじろぐのである。「失われた時間」というときの「時間」とはなんだったのか。それを考えて、たじろぎ、迷いのなかで、思わず「造型者たちよ」と呼びかけてしまうのである。その「造型者たち」のだれかが「勝本」という人間を「造型」していることをどこかで感じているのかもしれない。
 「失われた時間」と「絶対的存在として目の前にある時間」(風光となって具体的に存在する時間)のあいだで、自分自身ではなく、そこに「造型者」という存在を取り込むこと、その存在を勝本に密着させることによって、世界を見つめなおす。(この「造型者」を、たとえばヨーロッパの国々の信仰の篤い人なら「神」と呼ぶかもしれないけれど、岡本が「絶対者」としての存在を思い浮かべているかどうかはわからない。「造型者たちよ」と複数形で呼びかけているところから判断すれば、それはヨーロッパでいう「神」の類ではないだろう。)
 岡本と「造型者たち」が密着するとき、「故郷」にあっては「失われた時間」は存在しない。勝本と「造型者」が密着したまま、「故郷」と対極にある「都会」に出向くとき、そこに「隙間」のようなものができる。「都会」の時間は「故郷」の「時間」と違って「めぐる時間」ではなく「一直線に進む時間」だからである。「過去」はつぎつぎに「失われる」。「故郷」ではたとえば春が来れば棚田は耕され、木蓮が咲く。そこでは人間の「仕事」は繰り返し繰り返し同じまま(永遠)である。違ったことをしてはならない。一方「都会」にも春はくるだろうけれど、春がくるたびに人は同じことを繰り返してはならない。つぎつぎに新しい春の時間をつくっていかなければならない。昨年新入社員であった人間は今年は2年目の仕事をしなければならない。同じ質の仕事をしていてはいけない。「差」が求められ、「差」のなかに「失われた時間」がある。それは「捨て去った時間」かもしれない。
 岡本は「距離」を描く詩人だが、その「距離」は「風光の造型者」(故郷の時間をつくりあげる存在)と岡本が一体になって、一直線に進む時間と向き合ったときに感じる「距離」である。「故郷」をもった人間が「都会」にでてきて、「故郷」とは違う時間を知ることによって感じる「距離」である。
 「都会」の時間は一直線に進む。しかし人間の生活そのものがいつも一直線にすすむわけではない。「故郷」の時間のように、円還する時間もある。繰り返し繰り返し同じ時間、変わらないものに直面するときもある。そういうものに対面したとき、勝本の肉体は不思議な声を漏らす。孤独と、孤独であることの至福のなかから、透明な声を漏らす。
 それが勝本の「抒情」である。

 抽象的な感想、印象の羅列になりすぎたかもしれない。
 もう少し勝本の詩集につきあって、何かを書き続けてみたい。

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岡本勝人『都市の詩学』(1)

2007-09-28 10:32:33 | 詩集
 岡本勝人都市の詩学』(思潮社、2007年07月31日発行)
 読みはじめてすぐ興奮する詩集と、読み進むにつれて加速度的に興奮する詩集がある。岡本の詩集は、私にとっては後者である。最初は、その抒情性にとまどった。抒情の性質が20年ほど前、という印象がした。なぜ、今、こうした詩が……と思った。ところが読み進むにつれて、その抒情に引き込まれた。繰り返されることで、その深みが伝わってきた。一篇の詩ではわからなかったものが少しずつ姿をあらわしてきた。--ああ、私は鈍感な読者だなあ、とつくづく思った。詩集を読み終えて、たいへんな傑作である、とうなった。最初の1行で気づかないのは、私がよほどの鈍感だからである。

 読み終えて、私が最初に思い浮かべたのは「距離」ということばである。「距離」ということばが詩集に出てくるというのではなく、「距離」というものを感じたのだ。時間と時間の「距離」、空間と空間の「距離」。その立体的で、同時に歴史的な広がり。その広がりの中、宇宙の中をことばが飛ぶ、飛躍する。ことばは存在に触れて、その内部へ侵入していくというのではなく、ことばは存在に触れ、そこから感じたものをエネルギーにし、別の存在へと飛躍する。そのときにできる時間の「距離」、空間の「距離」--それが一定している。ゆるぎがない。その美しさに私は感動した。

 こうした印象批評を繰り返しても、岡本の作品の魅力を語ったことにはならないだろう。もっと具体的に書かなければ……と思うのだが、まだ、感動がことばにならない。私のことばは岡本のことばが作り出した「距離」のなかでさまよっている。--それでも何か書きたい。そういう感じもする。ようするに、興奮して、私自身がうわずっているのである。
 しかし、書いてみる。とりええず書けることを書いてみる。--これから書くことは、私が書きやすい対象から書き進めるという事情があるので、これから取り上げる詩がこの詩集の最良のものであるということではない、とまず断っておく。そうしないと、たぶんこの詩集の魅力を壊してしまうことになるので。
 「春の人魚のマドリガル」。その冒頭。

雪の降った冬の朝
ベッドからおきあがると首にタオルをかけた
休日の歯磨きには
大きさのちがう三本のブラシを使っている
窓のそとは青空と雪
部屋にあるブルー&ホワイトの中国風染付けは
オランダで買ったデルフト焼きの花柄の皿である
首をかたむけてそとをみあげると
朝の空気が移動した

 1行目の「雪の降った冬の朝」の「ふ」の音の高低の変化の音楽が美しくて、すーっと誘われるようにひきこまれる。何気ない日常の、タオルとか歯ブラシとか、一種の「俗」の温かさのあと、冬の冷たさが「窓のそとは青空と雪」で戻ってきたあと、(この立ち帰りにも「距離」があるが)、不思議な「距離」の拡散がある。
 「青空と雪」「ブルー&ホワイト」「中国」「オランダ」。視線が類似のものを自然に探し当て、青空と雪とを青(空)と白(雪)の陶器へ飛ぶ。そして、陶器(あるいは磁器か)から中国、オランダへと距離を拡げる。その広がりのなかには「現代」から「過去」への飛躍も含まれる。歴史が含まれる。
 朝の何気ない一瞬、起きて、歯を磨こうとするそれだけの日常のなかに、空間的な広がり、時間的な広がりが、すーっと入ってくる。それは日常というよりも、勝本の肉体に入ってくるといった方がいいかもしれない。勝本の肉体のなかに入ってきた空間的な距離、時間的な距離が、勝本の肉体を解放する。そのとき肉体と意識は、ほとんどひとつのもの、区別のつかないものである。
 だからこそ、次の2行がある。

首をかたむけてそとをみあげると
朝の空気が移動した

 「空気が移動した」。「みあげる」と勝本は書いているが、空気の移動は肉眼では見えない。それが浮遊物で汚れていないかぎりは、肉眼では見えない。冬の朝の透明な空気の移動を肉眼で見ることのできる人間はいない。それなのに「空気が移動した」と書いている。--そう書けるのは、岡本が、ここでは肉眼だけで空気を見ているのではなく、精神でも空気を見ているからである。
 「青空と雪」「ブルー&ホワイト」「染付け」「中国」「オランダ」「デルフト焼き」と自在に飛躍した精神が、そのはりつめた力で朝の空気の移動を把握したのである。というよりも、岡本の自在に飛躍する精神が、朝の空気に触れて、精神自身の移動を感じ、自己の移動を空気の移動と勘違いしたのである。そこには「空気」と岡本の「一体感」のようなものがある。
 「青空と雪」「ブルー&ホワイト」「染付け」「中国」「オランダ」「デルフト焼き」と自在に飛躍することで、岡本は「朝の空気」に「なる」。なってしまったのである。

 抒情とは「雰囲気」のようなものであり、岡本が書いていることばを使えば、抒情とは、この「空気」のことなのである。
 岡本の抒情に引き込まれてしまうのは、それが「雰囲気」ではなく、「空気」にまでなっているからだろう。肉体が必要とするものにまでなっているからだろう。「空気」のなかで、精神と肉体が、しっかりと立ち上がっているからだろう。


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米田憲三「歩く人多ければ、即ち道になる」

2007-09-27 01:26:46 | その他(音楽、小説etc)
 米田憲三「歩く人多ければ、即ち道になる」(「原型富山」143 、2007年09月01日発行)
 上海の魯迅故居を尋ねたときの短歌。

魯迅逝きて七十年は過ぎたるに故居の暦、時計はそのときのまま

五時二十五分 魯迅故居の時計は永久にその時を指す

その日のまま時止まれり机、書架、貧しき画学生の淡き絵などにも

 静かな時間が漂っている。魯迅の、無駄の無い、正直な文体を思い出す。いつもの米田節のうねり、精神が華麗に身をひるがえす語法ではないが、そういう語法を知っているためだろうか、この静かな文体がとても不思議な感じで胸に迫ってくる。「時止まれり」ということばが出てくるが、ほんとうに時間が止まっているような静けさである。
 その静けさの中、「暦、時計」「机、書架、貧しき画学生の淡き絵」と読点「、」だけがくっきりと呼吸する。魯迅は死んでいない。時は止まっているけれど、そこへやってきた米田の「時」は止まらない。止まった時に向き合って、息を飲む。それから息が声になる、息がことばになるのを待って、そっと語り出す感じ、このことばなら魯迅と対話できるだろうかというように引き出されたことばと、その呼吸のリズムが美しい。
 読点「、」によって、読点の無言によって、読点の沈黙によって、米田は魯迅の残した静けさ、静寂と向き合っている。読点「、」のなかに、上海の街の、ひっそりと奥まった場所にある魯迅の住居が浮かんでくる。

 そして、いくつもの歌のあとの次の三首。

四辻大人(うし)が朗読をして謝意とせしは魯迅の「故郷」の結びの部分
若き杜さんも諳じていて和したるは原語の「故郷」の同じ結びを
魯迅語録「地に道はなし歩く人多ければ即ちそれが道になる」

 私は、ふいに涙が出てきた。
 人はだれでも自分のことばで何かを語ろうと思う。(この文章書いている私も、私のことばで語りたいからこそ書いている。)ところが自分のことばで語る必要というのは、いつでもあるわけではない。他人のことばであってもいい。他人の生き方であってもいい。それが正しいと思うなら、それに「和す」。(これは「従う」とは違う。)それでいいのだ。
 自分のことばではなく、魯迅のことばを感謝の印として口にする。同じことばをまた「杜さん」(ガイドである)が中国語で語る。そのときの呼吸。そのなかに通い合うものがある。竹内好訳では「もともと地上には、道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。」(岩波書店、魯迅選集第一巻)
 米田は自分のことばを捨てて、ここでは魯迅のことばをそのまま「(5)7・5・7・7」のなかに取り込んでいる。一首だけ取り出したとき、これを「米田の短歌」と呼んでいいのかどうか、短歌の門外漢である私にはよくわからない。けれども、短歌の門外漢である私は、この歌がとても好きだ。
 魯迅の住んでいた家を訪ね、その空気を呼吸し、時間を呼吸し、一瞬、米田は魯迅になる。そういう瞬間の透明な呼吸、読点「、」のようなことばにならない一瞬--そのなかに、あるこころが通い合う。それがいい。その瞬間がいい。

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金井雄二『にぎる。』

2007-09-26 01:17:18 | 詩集
 金井雄二『にぎる。』(思潮社、2007年08月25日発行)
 「握っていてください」の1連目はおもしろい。

蛇口をひねるあなたの手で。包丁を持つあなたの手で。ミトンの鍋つかみのなかに手を入れるあなたの手で。赤ちゃんの手を握るように。やつれた母親の背中をさするように。開いた傷口にそっと薬をぬりこむように。ぼくの陽の当たらない寂しげな部分にあなたの手をそえてやってくださいませんか。

 「握る」ということばは一度しか出てこない。もちろん書かれていない「握る」は存在する。「握っていてください」は存在する。
 省略されている部分を補ってみる。

蛇口をひねるあなたの手で「握っていてください」。包丁を持つあなたの手で「握っていてください」。ミトンの鍋つかみのなかに手を入れるあなたの手で「握っていてください」。赤ちゃんの手を握るように「握っていてください」。

 ここまでは「握っていてください」を補うことができる。ところが、それがつづかない。

やつれた母親の背中をさするように「握っていてください」。開いた傷口にそっと薬をぬりこむように「握っていてください」。ぼくの陽の当たらない寂しげな部分にあなたの手をそえてやってくださいませんか。

 こんな言い方は、普通はしない。では、何を補えばいいのか。

やつれた母親の背中をさするように「あなたの手をそえてやってくださいませんか」。開いた傷口にそっと薬をぬりこむように「あなたの手をそえてやってくださいませんか」。ぼくの陽の当たらない寂しげな部分にあなたの手をそえてやってくださいませんか。

 「握る」「握っていてください」は「あなたの手をそえてやってくださいませんか」と同じ意味を持っているのである。
 金井にとっては「握る」とは「つかむ」とは違うのだ。「把握する」とは違うのだ。それは「握る」とみせかけて、実は「そえる」ということなのだ。そばにいる、ということなのだ。そばにいるという関係が、すぐに離れてしまうそばではなく、いつでも触れられる距離、何かあればすぐ支えられる--そういう関係が「握る」なのである。
 それは力で相手に何かをするというのではなく、何かあればそばにいるひとを助けるという姿勢である。
 この作品と対をなしている「きみの場所だよね」を読むとそのことがいっそうはっきりするだろう。

不思議だな
手を動かして
そっと置いてみると
ちょうどいい場所にあるんだ
子ども心になぜだろうって思っていたけれど
毎晩眠りにつく前に
あきることもなく
自分の手をその場所にあてがって
軽く触れてみるんだ
ときどき握ってみたりもするんだ
すると自然に落ちつく
ぼくの心に平和が訪れたのさ
(略)
人生にはいろいろなことがあるものさ
ぼくはときどき
角度をかえて手をのばすと
そこにはまた
不思議なことに
別なものがあって
たぶんそこはきみの場所だよね
ときどきおじゃましちゃってごめんね
ぼくにはまた
新たなる平和が訪れるのさ

 ここでも「握る」と一回きり。あとは「あてがう」「触れる」。それはやはり力で何かをするというのではない。
 そのときの感覚、握るのではなく、あてがう、触れるという感覚で「きみの場所」に手をのばす。手をのばし、「ふれる」「あてがう」。
 そして、この瞬間「ふれる」「あてがう」が実は「握る」(つかむ)というしっかりしたものにかわる。「平和」をしっかりつかむ。握って、はなさない。手は、そっと触れる、あてがうだけだが、こころはしっかりと「平和」をつかんではなさない。「平和」を握りしめる。

 「握る」とは金井にとって「手の行為」というよりも、「心の行為」なのだ。
 「手」が何かを握るとき、それは心にとっては「平和」ではないかもしれない。それがたとえセックスのはじまりだったとしても(あるいはセックスのはじまりならなおさら)、「平和」ではなく、もっと別のものかもしれない。セックスは、ある意味で戦いである。小さな「死」をもたらす戦いである。
 何かを「握る」、「つかみ取る」のではなく、そっと手をそえる。そばにいるよ、と告げる。そのとき「心」が何かをしっかりと「握る」「つかむ」。金井にとっての「平和」を。

 人に対してやさしいやさしい人なのだ。金井はきっと。そう思った。



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藤本真理子『触れなば』

2007-09-25 01:12:41 | 詩集
 藤本真理子『触れなば』(銅林社、2007年10月01日発行)
 なぞなぞを読んでいるような気持ちになる。「莎草の一穂」。

半球だけがいつも暮れて・・・・・
夕星は ひとつ

無い目を白い包帯で蔽っている。
黒いマントの破れ目を
  またひとつ
       そしてまた
と 明るみを数えながら 女が

 何が書いてあるかわからない。「夕星」とあるから夕方の風景なのだろう。地球は確かに半分は暮れている。そういうことを意識しながら女が歩いている。そういう情景を思い浮かべるが、ほんとうにそうだろうか。もしそうだとしたら「夕星」だとか「眼帯」だとか、「明治」(?)を思わせることばがいやだなあ、と思う。いまではない時代のセンチメンタルな情景はどうも気持ちか落ち着かない。
 引用しないが、このあと「草屋根」「草鞋」「珈琲」「撥条」というような、北原白秋でもでてきそうなことばがつづく。
 そして、最後に。

音が音を待っている ●(フェルマータ)

あれは(目)
ルドンの花の ひとつ(目)

決して閉じない破れ目が見つめている。
  (谷内注 ●は音符記号の「フェルマータ」。半円のなかに●がある記号である
       「(目)」の「(」はほんとうは二重目蓋のように二重。)

 そこまで読んで、あ、書き出しの「半球」とはこのこと? と気がつく。「夕星」とはフェルマータのなかの黒い丸のこと? と気がつく。そして、それは「目」というか、目蓋と黒目の関係のようにも見える。
 え、こんなことを書いていたのか? と私は驚く。

 ほかの詩を読んでも同じである。どこかになぞなぞがあり、その謎解きがある。「莎草の一穂の場合は、「視覚」に訴えてくるなぞなぞだが、音に訴えてくるなぞなぞもある。(両方のものもある。)。

“シ”の表通りに伸びる棘のような爪をツみながら妹は
ムメの香になっている
ユメ摘みする人のユビの曲がり角で
        (「しき-いき」)

(マメ、実も無)
         (「モアレ」)

 (マメ、実も無)は「まめみもむ」である。ま行の入れ替えである。
 「なぞなぞ」というのは、答えにおどろきがあるというよりも、その答えを支える構造におもしろさがある。藤本は、そうした構造のにひかれているのかもしれない。現実にはそのままでは通用しないが、なにかしら「頭脳」をくすぐる構造。そこに現実をはみだしてゆく可能性をみているのかもしれない。
 それはそれでいいのかもしれないが、(そういう「遊び」があってもいいのかもしれないが)、いったい藤本の現実とはなんなのだろうか、という疑問がわいてくる。
 現実に向き合って感じる何かを「なぞなぞ」にして、その答えを楽しんでいるだけでいいのだろうか、という疑問がわいてくる。

 もっとほかの読み方があるのかもしれない。私にはちょっとわからない。


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三池崇史監督「スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ」

2007-09-24 00:41:02 | 映画
監督 三池崇史 出演 伊藤英明、佐藤浩市、伊勢谷友介、香川照之、桃井かおり、クエンティン・タランティーノ
 いいなあ、すっごくいいなあ。時代考証なんてどうでもいい、ただ「男」のアクションを撮ってみたい、という欲望のままに動いていく。いいなあ、ほんとうにいいなあ。この無責任さ(?)というか、純粋な欲望というか。そのために次々に文化を越境して行く。アナーキーを通り越して、これは強烈な越境ゲーム、人は文化をどこまで越境できるかに挑戦した傑作である。
 考えてみれば、黒澤明の「用心棒」も時代考証なんて気にしていないんじゃないだろうか。「七人の侍」だって、いったいいつの時代? 山田洋次の「たそがれ清兵衛」「武士の一分」などとはまったく違って、いまではない時代、侍がいた時代--というだけの設定で黒澤の映画は動いている。「事実」ではなく、純粋な「夢」が描かれている。三池の映画も、全編を貫くのは純粋な「夢」である。「夢」がかけだすとき、人間の欲望がぎらぎらと輝いて見えてくる。
 無法者が生きる時代。無法者としてしか生きられない時代。そこで人間はどんなふうにかっこよく生きられるか。どんなふうに強く生きられるか。どんなふうにやさしく生きられるか。人間をしばりつけている制度が解体し、生な欲望だけが突っ走るとき、そこには人間の肉体だけが強烈なにおいを放つ。
 役者では、伊勢谷友介と桃井かおりがその期待に応えて、鮮やかにふるまっている。
 文化の越境でいえば、侍なのに拳銃だらけ、さらに佐藤浩市の平清盛がシェークスピアを読み、「おまえらシェークスピアぐらい読めよ」と啖呵を切ったり、伊勢谷友介の源義経が武士道を説くなんて、いいねえ。無法者なのに、ボスは「力」だけではなく「教養」もアピールしたいんだよねえ。なかなか「かわいい」ではありませんか。ロマンチックじゃありませんか。
 私はロマンチックなものは苦手なんだけれど、こんなふうにロルンチックのどこが悪い。人間はみんなロマンチックでセンチメンタルだと開き直って、そのロマンチックとセンチメンタルを爆発させるために、なんでもやってしまうというのは好きだなあ。純粋でいいなあ、とほれぼれする。
 赤と白がまじりあった薔薇の名前が「ラブ」とか、ねえ、しらふじゃ恥ずかしくて(酔っていても恥ずかしくて)いえないようなことが、こういう映画では平気でいえるんですよ。
 最後のクライマックスの日本刀と銃の決戦。まあ、昔の流儀でいけば、弾丸を真っ二つにする日本刀が勝つんだろうけれど、そんな律儀なカタストロフィーを否定して、「武士道」なんて糞くらえ、という感じもいいなあ。
 血の鮮烈さを見せるために、唐突に雪が降る、とも恥ずかしくて、とてもいい。(薔薇が咲いている季節に、雪、だからねえ。かっこいいとしかいえません。)
 木村佳乃(?)の、いったいどこの国のダンスという踊りもいいし、桃井かおりの「ばあさん」なのに拳銃ぶっ放し、暴れ回るというのも、おいおい、ほんとうは何歳の設定なんだよ、といいたくなるようなご都合主義もいいねえ。
 タランティーノも大はしゃぎだね。こんな映画を撮りたかった。日本はやっぱり「天国だ」なんて思っているんじゃないだろうか。
  主題歌をうたっているのが北島三郎というのも文化を越境していておもしろい。

 今年のベスト10には入らなくても、50年後にはベスト10に入るかも--という、時代を超えてしまった映画です。

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小柳玲子「煙突夢」

2007-09-23 21:28:33 | 詩(雑誌・同人誌)
 小柳玲子「煙突夢」(「六分儀」30、2007年09月15日発行)
 戦争の記憶。小柳は「煙突」とともに戦争を記憶している。たぶん焼け野原に煙突だけがその痕跡を明確に残っていたからだろう。煙突が残るのは煙突が木材ではなく、煉瓦とかコンクリートでできているためだろう。煙突の高さはなくなっても、そこに煙突の瓦礫が残っている。なくならないものが残っている。そして戦争は夏に終わった。そのため秋は焼け野原の煙突とともにやってくる印象がある、と小柳は書いている。
 そのなかほど。

  町の小児科医院には若い母親が駆け込んでくる
  「庭先に白い小さいものがきています
  どうしたらいいんでしょう」と訴えている
  「落ち着いて」と医師はいい
  「いつですか 夜?夕方?」
  夜明け? とおびただしい時間を並べ立てる
  どっちがあわてているのか判然としないが
  いつか母親は白い小さなものを抱いて
  残暑の路地に消えていくようすだった
  あれはなんの夢だったか

夜明け ということばがどこかに残っていた
夜明けの町を歩いていた

 2字下げた連の「「いつですか 夜?夕方?」/夜明け? とおびただしい時間を並べ立てる」がとても印象に残る。その部分を何度も何度も読み返してしまう。なぜ「夜明け」だけ括弧の外におかれているのだろうか。
 「夜明け」は特別の意味を持っていたのだろう。特に戦争中は。「夜明け」があしたくるかどうかわからないそれは空襲で焼け野原になる、空襲で死んでしまうということがあるかもしれない、という恐怖が「夜明け」ということばを特別なものにしたのかもしれない。
 「夜明け ということばがどこかに残っていた」がそのことを語っている。「夜明け」なんてことばがあるとは思っていなかった。「夜明け」があるかどうかわからないのが戦争だったということだろう。
 「夜明け」は煙突のように、なくならないものだ。焼け野原になれば、その夜明けはいままでの「夜明け」とは違う。焼け野原になれば、いままでの暮らしと同じ暮らしはできない。それでも律儀に「夜明け」はやってくる。
 「夜明け」ということばがある、と気づいて「若い母親」は路地へ消えて行く。「庭先」の「白いちいさなもの」は「夜明け」だったかもしれない。「夜明け」に象徴される「希望」だったかもしれない。
 
煙突が浮かび上がり
喋っているのを聴いた
  あれたちはとてもコワレヤスク
  あれたちはとてもミエニクイ
  八月が終わると ほとんど終ってしまって
  思い出される日が少なくなります

 「思い出される日が少なくなります」と書くのは、小柳がきちんと戦争を思い出すからである。
 多くの人は八月に戦争を思い出す。小柳は、それからしばらくたった「秋」にこそ戦争を思い出す。
 この時差--そこに、小柳が大切に守っている何かがある。何かとは、たとえば、あることがらはすぐにはわからないということ。じっと抱き締めてはじめてわかるものがあるということ。戦争が終わってすぐに戦争がなんだったのかわかるわけではない。空襲にあったそのすぐあとに空襲がなんであったかわかるわけではない。空襲が終わって、もう安全だとわかって、それから焼け野原を歩く。そうしてそこに煙突のあとをみつける。そこに煙突があったんだと思い出す。
 思い出すように、戦争が終わってしばらくたって、たとえば「夜明け」を体験する。「夜明け」というものがまだあったんだと気がつく。そういう時差が、人間には必要なのだ。すぐに何もかもがわかるのではなく、時間をかけてわかる。事件との時差ののちに何かがわかる。そして、そうやって時間をへだててわかるものこそ、ほんとうは大切なものではないだろうか。

 小柳の詩は、そのことばは、そんなふうに私に語りかけてくる。


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白井明大『くさまくら』

2007-09-22 09:41:31 | 詩集
 白井明大『くさまくら』(花神社、2007年08月31日発行)
 不思議な書き方をしている。「昼まの送信」。その1連目。

メールを最近してないな
、ておもって
打った 昼ま

 読点「、」がところどころに出てくるが、その書き方が、たいていこの詩のように文頭にきている。こういう書き方を普通はしない。文章の「禁則処理」というものがある。これは学校でも習うが、ようするに「音」にならないもの(声にならないもの)は文の冒頭(行頭)に来ないようにする。そういう処理を白井は知らないわけではなく、わざとやっている。
 読点「、」は呼吸の「間」である。それを文頭に奥と、「間」がずれる。一呼吸置いた感じがする。そして、その「間」の取り方に白井はこだわっているのである。「間」そのものを詩と感じ、それを表現したいと思っているのである。
 だからこそ、文頭ではなく、行の途中に読点「、」を書くときも工夫している。「、」の前に1字空きつくり、「間」を強調している。
 「昼まの送信」のつづき。

なんにも伝えなきゃいけないこと 、てない
、じつは
しあわせなのかもしれない
なんて
おもえないで

 「間」はことばにならない。
 その、ことばにならないものにこそ、白井はこだわっている。それが読点「、」に象徴的にあらわれている。
 この「昼まの送信」もそうだが、ここに書かれていることがら(意味、内容)は何もない。ことばにして言わなければならないようなことは何もない。いわゆる「主張」がない。
 しかし、ことばは主張するだけのものではない。意味や内容を伝えるだけのものではない。
 誰かといっしょにいて、そのいっしょにいるという感じを納得するためのものでもあるのだ。自分の言ったことを相手が聞いてくれるとか(言ったことばにしたがって何かをしてくれるとか)、ということとは別にただいっしょにいる。そのいっしょにいるときの「空気」(間)そのものを味わうためのことばもある。
 空気を味わう、間を味わう--ということばは、白井にとっては「重すぎる」かもしれない。そういうことではなく、ただ「間」を描きたいだけなのだ。こんなことろにも、ことばは存在する。そしてそのことば、その「間」(特に、行頭の読点「、」のような「間」)はだれも書いて来なかった。誰もが経験しているのに、だれも書かなかったことがここには書かれている。

 ぼんやり読むと、あまりにも何気ないことばかりが書かれているので、これが詩?と思うかもしれない。華麗な比喩がない。まねしてつかってみたいことばがない。こっそりまねしてつかって「かっこいいこというなあ、詩人だなあ」なんて賞讃をあびるようなことばはない。いわゆる「詩」っぽくないのである。
 しかしたいへんな傑作である。
 私たちが日常味わっていることばがていねいにていねいに、「間」を整えてとらえられている。それは変なたとえになるかもしれないが、おいしく炊けたごはんのような存在である。普通はごはんがおいしいかどうかは気にしない。おかずがおいしいかどうかを気にする。大切なのに、それが当然という感じでそこにあるもの--そのそこにあるもののたいせつなおいしさをこの詩集はしっかりと抱き締めている。

 ことばの「間」が人間をしあわせにする。おなじことばでも「間」が狂うととんでもない誤解を招く。「間」は「魔」(悪魔の「魔」)でもあるのだが、いっぽうで「間」の「魔」は人間をしあわせにする「魔法」の「魔」でもある。

 今月お勧めの、絶対読むべき詩集である。


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平野宏「草原のえいち」ほか

2007-09-21 09:29:25 | 詩(雑誌・同人誌)
 平野宏「草原のえいち」ほか(「水盤」2、2007年08月31日発行)
 読み終わって不思議な気持ちになる。「草原のえいち」の1連目。

草の葉を折ったのは
もう終わった風
均された狼藉のどこかで果てている風
(死体は 透明にきらめき)
風へ 船のようにすりよるぼくの歌は捨てて
整える合唱の手前できびすをかえして
風の起こりへ ひとり討伐のようにたどる
えいちってもんだろう

 「抒情詩」として「過不足」はない。それが第一印象である。「終わった風」「果てている風」「船のようにすりよる」「歌は捨てて」「手前で」「踵を返して」「ひとりの討伐」。そのことばのひとつひとつが、とてもとてもなつかしい。70年代の「抒情詩」を復習しているような気持ちになる。70年代には、そういう「風」があり、また「草原」もあった。ただし、それは一種のフォークソングとともに流通していたものであって、ほんものの「風」や「草原」ではなく、遠く遠く夢みられた「風」であり「草原」だった。写真や映画で見た「風」と「草原」。それはひょっとすると、都会へ出てきた少年のこころの奥に残っている「風」「草原」だったかもしれない。「日本列島改造」論といっしょに消えはじめていく風景だったかもしれない。
 なぜ、これが今?
 「ひとりの討伐」なんて、ほんとうに今も平野は意識するんだろうか。「ひとり」ということばと「討伐」が結びつくときの、ありもしないヒロイックなこころ、そのセンチメンタルな夢。
 「えいちってもんだろう」と「ひらがな」で全体をはぐらかす技法--その、あからさまなセンチメンタル否定のセンチメンタル。
 ちょっとびっくりしてしまうのである。



 山本まことは「炬火なくば」の1連目で書いている。

うたう、のではない
うたってしまうのだ
酒を絶つように
リズムを断つことはできぬから

 たしかに「うたってしまう」のだろう。「抒情」に導かれ歌いだしてしまうのだろう。自ら見つけ出した「抒情」というよりは「抒情」としてインプットされてしまったものに導かれことばが動いてしまうのだろう。何かに導かれ、その導きのままにことばを繰り出すというのは、一種の恍惚を味わわせてくれる。いい気持ちになれる。でも、そこで酔ってしまっていいのかな? 私は疑問に感じている。
 「川」は、しかし、「うたってしまう」ことに少しあらがっているように感じられる。しかし、やっぱり溺れる。

川もまた思考するのか
普遍だとか永遠だとか
どこにいたのかいなかったのかと
その度ごとに川は曲がって

でも、もときたように川は曲がらない
曲がるという語の最後の意味は
衰えるということでもあるんだが

 1連目の最後で「まがって」という動詞の、すこし宙にういた感じ。そこで、うとやって現実へ戻ってくるか。
 1連目と2連目のあいだの一行空き。これがくせものである。1連目と2連目の「断絶」。「断絶」があるということは、そこへ行くためには「飛躍」が必要だということだ。「どこにいたのかいなかったのか」というような、ずるずる地面をはいずるようなことばは捨てられれてしまう。
 この転調を気持ちいいと感じるか、ぞっとするか。それはひとによってちがうと思う。私は、ぞっとする。とくに、この引用につづく次の部分に。

だとしたら
一〇〇〇のちの摘み草の少年は
昔、ここには川があったと
意識のような桃の花だって咲いていたと
カワセミや家鴨の死骸さえない
その川の痕跡をどうやってうたうのだろう

 「だとしたら」。仮定。仮定は空想を呼ぶ。もちろん仮定をばねに現実へひきかえすこともできるのだが、山本は空想を選ぶ。1連目から2連目への断絶を、山本は空想で飛躍することになる。それが私には気持ちが悪い。
 「少年」「痕跡」「うたう」。
 山本が詩を書いているのではなく、「ことば」が山本に詩を書かせているのである。

 3連目の途中に「その生臭い沈黙の小宮に川は吸われる」とあるのは「子宮」だろうと思って読んだが、その「沈黙の子宮」ということばも、なんともいえず「うた」なのだ。「うた」は70年代に終わった、と私は感じている。「うた」をどうやって破壊して行くか。そのことを山本や平野は、もう少し考えてもいいのではないだろうか。



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森永かず子「白いカモメ」

2007-09-20 10:15:41 | 詩(雑誌・同人誌)
 森永かず子「白いカモメ」(「水盤」2、2007年08月31日発行)
 森永かず子は風景を描かない。目に見えるものを描かない。目に見えるものを描くふりをして意識を描く。詩とはみなそうである、といえばいえるかもしれないけれど、思わず森永は風景を描かず意識を描くと書いてしまうのは、森永の文体にある特徴があるからだ。
 「白いカモメ」の冒頭。

深夜の灯りが
何かの信号のように
遠くでしきりに合図する
窓に額を押しつければ
退いているはずの闇は
取り憑く魔物になる
振りきって手元の活字に視線を戻すが
気配に襲われ
ふたたび窓へと引き戻されてしまう
始めは自画像 その次だ
かすかに
こちらの目線と平行に動くものがあって
あ、鳥
と思った瞬間
落下する鳥
あとには馴染みの闇が薄く笑っている

 「始めは自画像 その次だ」がすばらしい。1行のなかにあるリズム、スピードが、風景を「意識」そのものに変える。
 それまでの行は1行では完結していない。3行ずつのセットになっている。3行ずつで、いわゆる「意味」が成り立っている。「風景」(描写)が成り立っている。2セット目の「額」、3セット目の「手許」と肉体をていねいに存在させながら、「自画像」という肉体と肉体とは別な存在のあわいに入り込んだあと、それに直接触れる形で「その次だ」と「意識」そのものへ飛躍する。
 「その次」--この「その次」は目には見えない。
 その断絶、その飛躍が、「意識」を自由にする。
 断絶と飛躍を経たあと、それにつづく描写は、もう肉眼で見ていても、肉眼だけでは見ていない。そこには「意識」が反映されている。というより、「意識」そのものが風景となって立ち上がってくる。
 このあと、森永は「意識」そのものと戦い、それをととのえながら、ふたたび「意識」を肉体の中へ押しとどめようとする。

折れないものを折る私は
ひどく疲れていった

 この疲れは「意識」(精神)の疲れが、そのまま肉体の疲れへと変化していっている。「意識」の疲れなのに肉体そのものも疲れるのである。

 森永は肉体から意識への飛躍(断絶)を知っている。そうい飛躍があるから、人間は動物ではなく人間なのだ。そして、飛躍した意識から肉体へと、人間が帰って来なければならないことをも知っている。飛躍したままでは「神」というか、なんというか、人間を超越した存在になってしまう。人間と触れ合うことはできない。肉体へ帰ってこそ、他者(人間)といっしょに生きることができる。

 「鳥辞」という作品も森永は書いている。これはもちろん「弔辞」である。「弔辞」の「弔」を「鳥」と置き換えることで、森永は「意識」を「肉体」そのものへと引き戻す。書き出しは

葬儀場へ向かう途中 1m数千円の空を身長×身長分求めた

 この短い書き出しのなかにある「身長×身長」という肉体と数字のぶつかりあい、肉体と意識の交錯(身長というとき、そこに含まれる数字--それが呼び覚ます意識の抽象性と、実際の肉体の具体性の交錯)が、肉体という具体性と「死」という具体的でありながら誰もそこに含まれるものを体験したことがないという抽象的でしかないものものの交錯が、奇妙な形、ずれているようで、ずれていないような形で重なり合う。
 「抽象」にならないようにするために「鳥」を呼びよせ、「鳥」という比喩を呼びよせることで「抽象」になるという、一種の矛盾のような形の動きがあるのだが、そこからなんとしても「肉体」へ帰って来ようとする意志が、森永のことばを動かし、その動きを他人のものとは違ったものにする。--その瞬間に「詩」が噴出する。

「これより弔辞を賜ります。」
その時だ 左の胸で一匹の鳥がツイーッと鳴いた あわてて胸を押えたがそれを合図に鳥という鳥が鳴きはじめる ツイーッ ツイーッと それは「追、追、追」とも聞こえ切なさがあたりを満たした

 「追」はもちろん「追悼」の「追」である。「鳥」を「一羽」ではなく「一匹」と数えるところに、「鳥」にこめられた「意識性」も感じる。



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池谷敦子『眠れぬ夜のあなたに』

2007-09-19 09:47:31 | 詩集
 池谷敦子『眠れぬ夜のあなたに』(文芸社、2007年10月15日発行)
 「夜の中へ」という詩が好きである。その途中から。

さびしくって
うわあああ と声に出た
どこか遠いあたりでも
うわああ わあああ と
野太い声がこだまする
闇が 水っぽい吐息を漏らしている
まわりには 身動きならぬほど たくさんの牛がいるらしい
するとこの私も もはや牛なのだろう
草が 聞き耳を立てている
草原かと思っていたが
ここは この闇は
何かひどく大きな生き物の体内なのである

まわりの牛たちは消えてしまった
私は その最後の一頭になろうとしている
ひとり居てひとりのさびしさに耐えられず
またしても うわあああ
どこにも届くあてのない長いあくびをしている
消化されてしまうまで
うわあああ あ

 「するとこの私も もはや牛なのだろう」。この1行に驚いた。この1行に池谷の特徴があると思った。「私」が「私」ではなくなる。そしてそれは「共感力」によるのもである。何かを感じ、その感じたものが「私」をのっとり、「私」をかえて行く。そのとき、池谷はそれにあらがわない。それを受け入れる。そして、それを生きる。
 だが、それは単に何かに押し流され、自分を失うということではない。
 常に自己批判がある。
 「何かひどく大きな生き物の体内なのである」の「体内」が象徴的だが、そうした「共感力」が生み出す変化を、あくまで「肉体」の内部のことと受け止める。「牛」は「肉体の内部」の表象化したものである。それは自分の内部をしっかりみつめようとする意思の反映でもある。
 自分をみつめる厳しい目がある。「私」は「人間」である。「人間」が「牛」であっていいはずはない。それでも「牛」であると言うとき、「牛」である「私」、「私」のなかの「牛」というものを見据えているのである。
 この詩のすばらしさは、しかし、そんなふうに自己批判をしながらも、「牛」になってしまうときの「人間」の「解放」を描いていることである。人はときには「牛」になってしまわなければならない。「牛」になってしまわなければ救えないようなものをそれぞれの「体内」にもっている。
 さびしくなったら「牛」になりなさい。ここばにならないものを「うわあああ あ」と声に出して泣いてしまいなさい、と言うのだ。
 この温かさはすばらしい。



 池谷は自分の内部に「不穏」なものがあることを知っている。「人間らしくないもの」(たとえば「牛」)があることを知っている。そして、それをきちんとみつめることも知っている。それは、つまりは他人のなかにある「人間らしくないもの」(人間の行為として否定されるべきもの)を許し、いっしょに生きていこうという語りかけに替わる。
 人間は弱い。いいじゃないか。弱いから、間違うから、いやらしいこともするから、たがいにそれを支えあい、生きていく。そこに不思議な楽しさがある。たがいに弱さ、さびしさ、間違いを知ることで「ひとりではない」という一種の安心感も生まれる。
 池谷の与えてくれのは、そういう不思議な「安心感」なのである。正直さだけがもっている「安心感」なのである。
 「夜ごとの耳」は、そういう正直さが、さびしいまでに書き込まれた作品である。その最後の部分。

 もしかしてあの背筋にくるような声をきたいしているのではあるまいか。私はあの閉ざされた窓を窺う長い耳に過ぎないのではないか。病んだ社会の蟻塚にはまろうとしている者の一人に過ぎないのでは……



 私は池谷の作品を昔から読んでいるわけではないが、何度か読んできた。そしてそのときは池谷を私よりすこし若い「おばさん」、ナイーブさを残した40代の女性だろうと思っていた。このナイーブさは、30-40代の「普通のおばさん」の、詩を書きはじめたばかりのナイーブさだろうかとも思っていた。もしかするともっ若くて、20代の女性であるかもしれないとさえ思っていた。ところがあとがきに「78年生きて参りました。」と書いてある。誤植? しかし、プロフィールにも「1929年生まれ」とある。ほんとうに78歳なのだ。
 びっくりした。
 正直さは年齢を超越する。正直さは人を若くする。

 人間は正直にならなければ生きている意味がない--と、心底思い、こころが震えた。

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萩森勝「鳩」

2007-09-18 10:09:39 | 詩(雑誌・同人誌)
 萩森勝「鳩」(「翻」3、2007年09月23日発行)
 まず全文を引用しておく。

小さな町の中をコンクリートの水路が横切っている
水路の片側は鉄パイプの柵で道路と仕切られ、もう片側には家が立ち並んでいる
水路沿いの家では水路とのわずかな土地を利用して木や草花を植えている
ある家のブロック塀と水路の間に糸杉が五本植わっていた
そのうちの一本の糸杉に鳩の巣があって、つがいの鳩がすんでいた
毎朝、空が明るくなるころホロホロと鳴いた
ある夜、鳩の一羽が猫に襲われて死んでしまった
つれあいを失った鳩はやはりあさになるとホロホロ鳴いた
半年ほどたったある日、市の公園課のトラックが来て五本の糸杉を切ってしまった
ブロック塀にひびが入ってきたのだそうだ
住みかを失った鳩は水路をへだてた向かいの鉄パイプの柵や
水路を横切る電線にとまり糸杉があった空間を毎日見つめていた
時には、明け方にホロホロと鳴いた
三ヶ月ほどそうしていたがいつのまにかいなくなった

今も水路の鉄パイプや電線には鳩の影が張り付いていて
糸杉のあった空間を見つめている

 この詩の魅力は、最後の2行前の「空き」にある。意識の飛躍をきちんと押えている点にある。
 それまでの行は「事実」を語っている。萩森が見た現実(実際に見たかどうかは別にして、肉眼で見ることができ、自分自身の耳で聞くことができる現実)が描かれている。(鳩が糸杉に巣をつくるかどうかは、現実としてありうることかどうかは問題ではない。)その文体は淡々としている。むりやり感情をこめていない。むしろ感情をそぎ落とすようにして書いている。いわゆる詩というより、散文をめざしている。
 そして、その散文のリズムを守ったまま、1行空きのあと、事実とは違うことを書く。「鳩の影」は現実には誰も見ることはできない。1行空き前にかかれていたことが現実だとすれば、ここに書かれているのは現実ではない。萩森はそう見えても、その「現実」を誰かと肉体で(つまり、肉眼で)、共有できるわけではない。「影」をカメラに収めることもできない。では、非現実かというと、そうでもない。空想ではない。「意識の現実」である。
 現実にはありえない。しかし、意識は現実にはありえないことを、意識の現実として存在させることができる。鳩を思う意識が、いまそこにはない「鳩の影」を意識のなかに存在させるのである。
 この言語操作は、すべてのことばを「意識のことば」へと転換させる。

 書き出しの3行は「いる」と現在形で書かれている。ところがそれ以後は「いた」と過去形になる。過去は「意識」のなかにのみ存在する。現実には存在しない。肉眼や耳ではとらえられないものである。
 そういう「意識」の積み重ねのあとに、1行空きがあって、それからふたたび「いる」という現在形へ戻る。「現実」に戻る。
 「意識」は生々しくなると、「過去形」ではあらわれない。「現在形」へ形をかえてあらわれる。--日本語の文法では、こうした「交錯」が起きる。生々しい意識は「過去形」にはならず「現在形」として噴出し、「現在」そのものを変形させる。この詩では、ありもしない「鳩の影」を出現させる。

 意識とことば、ことばと現実の関係が、この詩ではきちんと守られている。

 終わりから3行目もさりげなく書かれているが、とてもおもしろい。「三ヶ月ほどそうしていたがいつのまにかいなくなった」。「いなくなっていた」ではなく「いなくなった」。これは「いなくなっていた」よりも「今」に非常に近い。「今」そのものであるとさえいえる。「いなくなった」と「いない」の区別は、ある状況では、日本語には存在しない。たとえば子供が迷子になる。そのとき親は「子供がいない」と叫ぶ。「子供がいなくなった」とも叫ぶ。その二つは、互いに時制を侵入しあう。日本語はときに「今」を「過去形」で語るのだ。
 この「過去形」に触れている「今」(現在)があるからこそ、1行空きのあと、意識は「今」(現在)としてすばやく動くことができる。

 散文をきちんと書いてきた人、散文で文体の訓練をしてきた人の詩である。
 私は、こうした散文のもっている「時間感覚」をきちんと再現する人のことばが、とても好きである。読んでいて安心する。
 詩は意識のなかにある、という考えも納得ができる。保守的な詩であるが、こういう保守的な言語があって、いわゆる「現代詩」でおこなわれている試み、「意識の外にあることば」こそが詩であるという運動も意味を持ってくる。「前衛」は、ある意味で、萩森の書いていることばのような保守的な文体がなくなれば、「前衛」の意味をもたなくなってしまうからだ。

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甲田四郎『冬の薄日の怒りうどん』

2007-09-18 00:24:03 | 詩集
 甲田四郎『冬の薄日の怒りうどん』(ワニ・プロダクション、2007年09月20日発行)
 読んでいてちょっと困ってしまった。ふたりの孫のことを書いている。「ジーチャン」の立場から書いている。「ジーチャン」と甲田自身で呼んでいる。そういう呼び方は一般的なのかもしれないが、「ジーチャン」ということばをつかわずに「ジーチャン」が書かれているのならまだわかるが、「ジーチャン」ということばをつかって「ジーチャン」を書いたのでは、読んでいておもしろくない。「ジーチャン」であることの「発見」がない。「ジーチャン」であることを最初から受け入れている。孫はかわいい、ということを最初から受け入れている。それでもいいのかもしれないが、孫がかわいい、かわいい、かわいい、かわいいの果てに「ジーチャン」が「ジーチャン」を通り越して、人間的にかわってゆくといいのだが、最初から最後まで孫はかわいいだけでおわっている。孫をかわいがるばっかりで、親馬鹿ならぬ「ジーチャンばか」になっている、というのでもない。「ジーチャンばか」になって、孫をスポイルしてしまうくらいだと、それはそれでとてもおもしろいのだが、そこまではいかず、奇妙に抑制がきいている。孫のかわいらしさも読んでいて、ああ、こんなにかわいくなったのか、という感じがつたわってこない。
 ひとことでいうと「過剰さ」がない。「過激さ」がない。インターネットに流布している「日記」でも、もうすこし読ませる工夫がしてある。「ばかだね」とばかにされる楽しみを書いている。

 驚きが書かれている部分を一か所見つけた。そこだけがおもしろかった。

ユリはおもちゃがほしいとなればむがむちゅう何を言っても聞こえない、店先の地べたにひっくりかえってカッテー、カッテーと大声で泣くのだと。それはしつけだぞみっともないぞと私ジーチャンは言う、(略)電話を替わったママが言う、でもあのね、ちかごろの子はすぐに何でも買ってもらって我慢ということを知らないけれど、ユリは我慢を覚えたんですよ。そんなに泣かれても買わないのかとジーチャンは驚く、買ってもらえなくてもそんなに泣くのか。たくましいママとユリ。

 「買ってもらえなくてもそんなに泣くのか。」に、初めてであった孫の姿がある。「発見」がある。そうしたことがもっと書かれていれば、孫の姿がいきいきしてくる。
 いじめられてもいじめられてもがんばる姿などは、最初から「かわいそう」「けなげ」という気持ちが表に出ていて、退屈である。

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