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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

建畠晢「死語のレッスン」

2007-05-31 15:13:47 | 詩(雑誌・同人誌)
 建畠晢「死語のレッスン」(「現代詩手帖」06月号、2007年06月01日発行)。
 連作。その第1作「風の序列」の第1連。

どこまで駆けていっても
誰一人、追い抜くことはなかった
回転木馬のように、ではない
野を渡る風の序列のように、だ

 建畠が「序」に書いているように、「回転木馬」も「野を渡る風」も「時代の中から忽然として消え去ってしまった言葉」だと、私も思う。ただし、こんなふうに思うのは、たぶん建畠と私の年代が近いからだろう。ある世代の人間は「回転木馬」や「野を渡る風」ということばで何かの夢を見た。その夢はたしかに、いま、ここに再現しても、新しい夢にはならない。かつてこういうことばで夢みることができた、ということがあきらかになるだけだ。
 それでも、建畠は、そういうことばをつかう。
 この抒情は手ごわい。
 もうそんな夢は存在しないという夢ほど始末に困る(?)夢はない。

さらに戦えばいいと
草原の未熟な少女はいった
過酷な夢を追う娼婦のようなものだ
共に駆け、共に倒れる
それでも風の序列はかわらない

 修飾語のない「少女」ではなく「未熟な」によって強調された「少女」。その「未熟な」にこめられた強い夢。「娼婦」と比較するとき、「少女」は「未熟」ゆえに「娼婦」を凌駕する。「娼婦」に敗れながら、敗れることができるという力で「娼婦」を凌駕する。敗れるものだけが正しいのだという夢、抒情。そこにも、やはりかつての「時代」の「夢」が潜んでいる。
 この夢は、もう一度形をかえて、念押しをする。

戦いを唆した昼の少女は
薄暮の老兵たちの緩慢な欲望の陰で
影絵のように
汚れた旗を束ね、古い貨幣に紐を通す
少女は、そう、この日もまた
幼い死語の娼婦になるのだ
影絵のように黙した
死語の娼婦に

 「死語」と念押しすることで「少女」は「娼婦」を超越する。「死」、その絶対的敗北を利用して、「娼婦」を超越し、「老兵たちの緩慢な欲望」を超越する。
 途中に差し挟まれた「そう、」ということば。それは第1連の「野を渡る風の序列のように、だ」の「、だ」と同じ呼吸である。
 ここにあるのは、呼吸の抒情と言い換えることができるかもしれない。
 意味は消え去り、夢が消え去っても、呼吸が残る。呼吸は人間を生かしている力である。ことばが死んでも、呼吸が死ぬことはない、ということかもしれない。呼吸は、すっと何者かに変化して生き続ける。
 最後の3行。その何かひそむ呼吸のゆらぎ。

誰一人、追い抜きはしなかった
回転木馬のように、ではない
野を渡る草の波のように、だ

 とても美しい、と同世代の私は思う。若い世代の読者が、あるいは老いた世代の読者がどう思うかは、ちょっとわからないが。

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入沢康夫と「誤読」(メモ33)

2007-05-31 14:42:02 | 詩集
 入沢康夫『駱駝譜』(1981年)。
 「泡尻鴎斎といふ男」(谷内注・「鴎斎」は原文は正字体)よりもさらに作為に満ちているのが「熊野へ参らむと--大岡信に」、「蟻の熊野・蟻の門渡り--すべてが引用からなる本文と、註と、付記による小レクイエム」である。
 前者と後者の関係は、後者の「付記」に次のように書かれている。

 「引用による本文」と「註」からなる本篇の構成と配列の根拠を成すものは、前出「熊野へ参らむと--大岡信に」である。

 この創作過程はとても奇妙である。『かつて座亜謙什と名乗つた人への九連の散文詩』のように、まず「完成品」があって、それから「完成品」ができあがるまでを「捏造」していったような形になっている。
 あらゆることばは出典(本歌)を持っている。出典をもたないことばなど、どこにもない。ことばは、他人が話しているのを聞いて覚える。他人がつかっていることばのなかへ、他人のことばをつかって参加していくという以外に、ことばの使用方法はないからである。
 「熊野へ参らむと--大岡信に」の第1行、

枯あらす 枯らす

 と入沢が書いたとき、彼の意識に

かぁらす、鴉、勘三郎。
あの山火事だ。    (童謡)

 がふとよぎったとしても、それをわざわざ「出典」という必要はないだろう。あることばを思い付いたとき、そのことばがどこからきているかを、わざわざ克明に説明する必要はないだろう。
 というよりも、そんなことが人間にできるだろうか。
 たしかに、いま引用した「童謡」の類なら、まだ、「出典」を即座に明記できるだろうけれど、ある本のなかからインスピレーションを受けている、それはこの部分であるということをひとつひとつ克明に明示することは、大変な困難をともなう。
 入沢は「古事記」「日本書紀」「梁塵秘抄」などから、その箇所をひとつひとつあげているのだが、こうした「引用」箇所をひとつひとつ数え上げ、抜き出すという作業は、私には労力の無駄としか思えない。読者が、あ、これはもしかしたら「古事記」を踏まえているのだな、あの部分だな、と思えばそれで十分なことであって、入沢がいまつかったことばが「古事記」に準拠しているなどといちいち考えても、何も理解したことにはならないだろう。
 「引用」のなかには、たとえば

唐辛子、羽をつければ赤蜻蛉。(出所忘失)

 というようなものもある。1970年代、歌謡曲、コマーシャルソングに流れていたことばだが、それはもちろん歌謡曲を歌ったひとの「オリジナル」ではない。昔からある歌である。「出所忘失」もなにも、「出所」というべきものなどないのである。
 これはたとえば、ブッセ、上田敏訳「山のあなた」の引用、出所明示も同じである。ひとの口に上って久しいものに、わざわざここから「引用」しました、と言っても無意味である。言う必要がない。
 「唐辛子」「山のあなた」の引用が、出所を言う必要がないと同様、他の引用も言う必要がない。引用と引用したことばのあいだには何の関係もない。たまたまことばがそこにあったというだけである。出典の「思想」を踏まえ、それを引き継ぎ、発展させているわけではないからだ。
 それなのに、なぜ、入沢は出所を明示しているのか。
 ことばはかけ離れた「場」、たとえば「古事記」ということばの「場」と入沢の作品ということばの「場」において、同時に存在しうるといいたいからである。関係があろうがなかろうが、同時に存在しうる。同じことばだから、その「無意識」をさぐっていけば何らかの脈絡はあるかもしれないが、そんなか細い脈絡など、「妄想」である。そこに「脈絡」を見出すのは「誤読」である。
 ことばは「出所」と無関係に存在できる。したがって、「出所」と無関係に「誤読」できる。「正しい解読」と「誤読」は同時に存在しうる。そういう可能性を、入沢はここでは証明している。その証明のためだけに書かれているのがこの作品だ。
 
 「同時」ということが、ある意味ではこの作品の重要なことがらかもしれない。
 先行する「熊野へ参らむと--大岡信に」、その「構成と配列の根拠」を示す「蟻の熊野・蟻の門渡り--すべてが引用からなる本文と、註と、付記による小レクイエム」は、前者が先に書かれ、後者があとから書かれたのではなく、たぶん同時に書かれたのである。同時でなければ、こんな詳細な「引用」の明記など不可能である。前者のことばが、その意識の奥にどんな先行作品、その作品のどの部分を踏まえているかなど、書くことは不可能である。
 不可能なものを、わざわざ別個の時間に書かれたかのように入沢は装っている。入沢は、いわば嘘をついてまで、あらゆることばは出所とは無関係に、かけ離れ「場」で「同時」に存在しうるといいたいのだ。

 そのかけ離れた「場」を結んで「誤読」するのも楽しい。あるいはかけ離れた「場」を絶対に結びつけない形で「誤読」するのも楽しい。いくつもの方向へ、入沢は読者を誘っているのだといえる。
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井筒和幸監督「パッチギ!LOVE&PEACE 」

2007-05-30 14:41:16 | 映画
監督 井筒和幸 出演 井坂俊哉、西島秀俊、中村ゆり

 「家族」の問題に国境はない。民族の違いはない。家族の命を守るために何ができるか。そのために自分を犠牲にして生きる姿が描かれる。その家族の問題に、民族の問題が絡んでくる。
 一家は在日朝鮮人。筋ジストロフィーの幼い弟がいる。弟を救うために姉は芸能界へ入る。そこで手に入れた仕事は太平洋戦争を描いたものである。男たちは家族、国のために死んでゆく。一方、一家はその戦争のために苦労した。戦争がなければ家族は日本へくることもなかった。特攻隊員を見送る娘を演じながら、姉のこころのなかに、矛盾がうずまく。
 姉の父の脱走の物語と、姉が出演した映画が交錯し、その交錯がそのまま姉のこころの矛盾をあぶりだす。特攻隊員を礼賛する映画をそのまま受け入れることは彼女自身だけではなく、一家そのものの存在を否定してしまうことになる。そう気づいて彼女は在日朝鮮人であることを打ち明ける……。
 ここには在日朝鮮人の苦悩がていねいに描かれている。怒りと悲しみが観客にストレートにつたわるように描かれている。戦争末期の、日本軍の徴兵をのがれ、脱走する父と、つくられる映画が交錯するシーンは、在日韓国人・朝鮮人に対して、日本軍に責任があることを明確に描き出す。日本軍が侵略戦争を起こさなければ、現在の在日朝鮮人の問題はなかったことがはっきりつたわってくる。
 歴史を学ぶにはとてもいい映画だと思う。
 ただし、歴史を学ぶという点を除外すると、映画の魅力としては、いささか乏しい。出演者がみんなカメラのフレームのなかで演技をしている。映画自体が、徴兵からの脱走と特攻隊の映画が交錯するという「フレーム」をもっているせいか、どうしても「フレーム」を守ろうとする意識が働くのだと思うが、フレームをはみだしてゆくものがない。
 観客は確かにスクリーンをみつめる。スクリーンのなかで起きていることをみつめる。しかし、実際はフレームの外も見ている。スクリーンに映っていない部分でも人は生きていて、生活している。動いている。それがつたわってこない。冒頭の列車内での国粋主義の大学生と在日朝鮮人の乱闘もフレームの中だけである。まわりで撮影している、カメラに映っている部分だけ、乱闘している。派手な肉体の動きは見えてくるが、こころが見えない。
 唯一の例外は、ごみ出しされた百科事典などを在日朝鮮人が回収し、それを警官がとがめるシーン。警官が暴言をはき、それに対して在日朝鮮人といっしょに行動している国鉄マンが問責する。そこには国鉄マンの、スクリーンではそれまで紹介されなかった過去が噴出する。誰もが過去をもっている。過去の視点があって、現在をみつめているということがはっきり描かれている。
 こうした描写が、脱走する父の姿としてではなく、いま生きている一家の肉体として描かれれば、この映画はとてもすばらしいものになっただろうと思う。一家の肉体のなかに噴出してくる過去があまりにも少なすぎた。脱走兵の父に頼りすぎた。クライマックスの過去と映画の交錯というフレームに頼りすぎた、という感じだ。


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入沢康夫と「誤読」(メモ32)

2007-05-30 13:56:43 | 詩集
 入沢康夫『駱駝譜』(1981年)。
 入沢の詩集はどれも作為に満ちているが、この詩集も作為に満ちている。作為こそが「詩」である、と入沢が考えているからだろう。

  「泡尻鴎斎といふ男」(谷内注・「鴎斎」は原文は正字体)には「泡尻鴎斎」が「第一号」から「第七号」まで書かれているが、それが最後ではない。

 また、泡尻鴎斎といふ乞食がゐた。四辻で逆立ちをし
たまま、一しきりゲロを吐き出して死んだ。これが泡尻
鴎斎第七号なのだが、……

 それにしても、このゲロの中にだつて逆立ちした泡尻
鴎斎ののつぴきならなぬ真実の何がしかはあるのさ、と、
龍髭の葉陰で、今は亡き泡尻鴎斎第何号かが、未だ世
に出ぬ泡尻鴎斎第何号かに、訳知り顔で言ひきかせる。
     (谷内注・ルビ「乞食」に「ほいと」
            「龍髭」に「りゅうのひげ」
            「未だ」の「未」に「いま」
          字体「辻」は正字体
          傍点「このゲロ」の「この」
            「何がしか」の全文字)

 あらゆる人間が「泡尻鴎斎」である。そしてあらゆる人間が「泡尻鴎斎」である理由は、どんなものにも「真実の何がしか」があるからだ。しかし、「何がしか」というだけで、具体的には何も言わない。この特定しないことが「誤読」をひきだす。誤読」を誘う。特定されていないから、人は(読者は)、そこに何を見出してもいい。
 そして、その真実が「ゲロのなかにも真実がある」という「入れ子構造」でもかまわない。というより、そういう「入れ子構造」こそが、この場合唯一の真実かもしれない。
 その証拠は、「このゲロ」の「この」の傍点である。「この」という特定。「ゲロ」というものは誰でも吐く。誰でも吐くけれど「この」ゲロは特定されている。「泡尻鴎斎第七号」が吐いたものである。それも逆立ちをして吐いたものである。
 何を特定してゆくか、つまり何に目を向けてゆくかということだけが、「真実」と「誤読」にとっての問題なのである。

 第1連は「むかし、泡尻鴎斎といふ儒者がゐた。」で始まる。その後、泡尻鴎斎の職業(?)は変遷し、同時に、その人物の描写も変遷する。その変遷を貫いてかわらぬものがあり、そのひとつは「泡尻鴎斎」という名前。もうひとつが「泡尻鴎斎」は全員死ぬということ。死ぬことによって「第二号」「第三号」と引き継がれてゆく。
 というより、新しい「泡尻鴎斎」が勝手に「過去」を「第七号」「第六号」と逆につくりだしてゆくのだ。
 最後の「今は亡き泡尻鴎斎第何号かが、未だ世に出ぬ泡尻鴎斎第何号かに、訳知り顔で言ひきかせる。」(改行を無視して引用)は、こうした「構造」を語って、象徴的である。ここに描かれていることは、現実には絶対不可能なことである。死んでしまった人間が生まれる前の人間に何かを語り継ぐということは現実にはありえない。ところが、ことばのうえではそういうことが可能であり、それだけではなく、そのことばに対して「何がしか」の意味づけをすることもできるのである。いま、私がしたように。
 この「意味づけ」が「誤読」である。「誤読」は「誤読」したいから「誤読」という形をとって動く。
 現実にはありえない、と切って捨ててしまえば、現実には何の問題もない。しかし、そう批判してしまうと、ではなぜ入沢がそういう世界を描いたのかということについては、何の答えも出せない。それはそれでもいいのだけれど、人間は、ひとの行動(ことば)に対して何らかの「理由」(思い)を見出して安心したいものである。自分との接点を、たとえそれが自分にできないことではあっても、その接点を求めたいものなのだ。そして、そこから「誤読」が始まるのだ。

 「誤読」は古いことばになるが「自分探し」の方法なのだ。
 ひとは誰でも、ことばを読むとき、そのことばのなかに自分自身を探したいから読むのだ。自分のなかにあって、まだことばにならない自分--それを掬い出してくれることばをひとは求める。

 (これは、作者自身についても言えることかもしれない。--これは『漂ふ舟』のための、メモとして書いておく。)

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岡本勝人「続シャーロック・ホームズという名のお店」

2007-05-30 09:34:34 | 詩(雑誌・同人誌)
 岡本勝人「続シャーロック・ホームズという名のお店」(「現代詩手帖」06月号、2007年06月01日発行)。
 こういうタイトルの詩は「うさんくさい」。これは、もちろん言い意味での「うさんくさい」なのだが。

昨日の朝から降った雨のためだろうか
テムズ川を流れる水は非詩的に濁っていた

 この書き出し。特に2行目の「非詩的に」の「非」。ここに「うさんくささが」集約している。詩ではない部分、「非」にこそ「詩」は存在する。「非」こそが、これからの「詩」である、というわけである。詩から除外されてきたものをことばにする。そのとき新しい「詩」がはじまる……。
 テムズ川が出てくるからというわけではないが、あ、エリオットか……と思っていると、ほんとうにエリオットが出てくる。
 詩のなかほど。

エリオットだって河岸べりの青物市場跡にたたずんで
ロンドンブリッジを眺めれば
寒さのなかでコートの襟を立てて歩き出したろうさ

 「歩き出したろうさ」の「さ」の孤立感。「わかるのだろう? 反論なんかするなよ」というような響きの、冷たさの美しさか。
 さらに自己と風景の分離、分離のなかの「不協和音」のような「調和」。(不協和音というのは「非」音楽であり、「非」こそが新しい可能性という意味では「非詩的」の「非」に通じるものをもっている。)その「不協和音」としての「調和」の孤立、寂しさの輝き……。

テムズ川の匂いがポケットからほんのりとこぼれ落ちた
夕暮れは深い闇の都市に溶けたようだった
テムズ川はこうして黙然と時間を食べたまま流れている

 「時間を食べたまま」。
 ここに、この詩の主張のすべてが集約している。「時間」は「文学」(あるいは「歴史」といった方がいいかもしれないが)と同じ意味である。
 そして、この作品も「文学」を食べて動いている。「文学」の約束事を守ってことばが動いてゆく。こんなにきちんと約束事を守られると、批判のしようがない。それが、この詩に対する、唯一可能な批判かもしれない。
 読み終わったとき、なんといえばだろうか、岡本の作品を読んだという気持ちになれない。エリオットの作品を読んだという気持ちにもなれない。何を感じるかといえば、「文学を読んだ」という、不思議な感じなのだ。

 最初に書いた「うさんくさい」は、「文学を踏み外さない」という抑制によって成り立っている、「文学」を知り尽くしていて、反論を許さないという「うさんくささ」なのである。「いい意味」で書いたが、それは「文学」を岡本が熟知している、反論を許さないほど熟知している、という意味だ。「知」に整然と磨かれ、統一されている、乱れがないという意味だ。「歩き出したろうさ」の「さ」さえ、「知」である、という意味だ。

 こういう作品を読んだあとは、猛烈に噴出してくるだけのことばを読みたくなる。

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和田まさ子「壺」

2007-05-29 11:46:57 | 詩(雑誌・同人誌)
 和田まさ子「壺」(「現代詩手帖」06月号、2007年06月01日発行)。
 「新人作品」の入選作。蜂飼耳が選んでいる。

あいさつにいったのに
先生は
いなかった

出てきた女は
「先生はいま 壺におなりです」
というのだ
「昨日は 石におなりでした」
ははあ 壺か
「お会いしたいですね せっかくですから」

わたしは地味な益子焼の壺を想像したが
見せられたのは有田焼の壺であって
先生は楽しい気分なのだろう

先生は無口だった
やはり壺だから

わたしは近況を報告した
わたしは香港に行った
わたしはマンゴーが好きになった
わたしはポトスを育てている
わたしは
とつづけていいかけると
「それまで」
と壺がいった
聞いていたらしい

「模様がきれいですね」というと
「ホッホッ」と先生が笑った

わたしは壺の横に座った
たとえばこんな一日が
わたしの好きな日だ

 傑作だ。「壺」は何かの象徴であるとか、何かの比喩であるとか、そういうこはいっさい言わない。なんだっていいからである。
 3連目に「想像した」ということばが出てくる。「なのだろう」ということばも出てくる。これも、表現を変えた「想像」、推測である。この想像するという精神、こころの動きがとてもスムーズである。無理がない。
 このスムーズさを支えているのは、日常のことばの確かさ、日常の人との対話の確かさ、対応の確かさである。
 2連目。

ははあ 壺か
「お会いしたいですね せっかくですから」

 こころの中で思っていることと、実際に口にすることばの落差。その落差を利用しながら、私たちは相手の反応をうかがう。反応をうかがうというところに、無意識の「想像」が働いている。そういうものを和田は無理なく引き出している。そして、そこに「対話」という「場」をつくりあげる。
 4連目も傑作だが、5連目もすばらしい。
 近況(?)報告。先生が何も言わないのでエスカレートしていく。「わたしはトポスを育てている」。この「現在形」。(それまでの「近況」は「行った」「好きになった」と過去形である。)「現在形」の次は、とうぜん「未来形」がくるはずである。
 しかし、

わたしは
とつづけていいかけると
「それまで」
と壺がいった

 「未来形」は「近況」の報告ではなく、願いの報告、実現していないことの報告、「想像」に属する。だから、それは言う前にぴしゃりとはねつけられる。「先生」が「先生」であるのは、こういう日常の対応において和田よりも「一日の長がある」ということなのだろう。
 和田の「近況報告」も一種の対応の「さぐり」のようなものである。
 だからこそ「聞いていたらしい」とこころの中で振り返る。

 1行あいて、また実際の「対話」が始まる。この1行あきは、対話の途中の「ひと呼吸」である。こういう日常のリズムも和田は正確に書きことばとして定着させている。再現している。日常の対話能力にすぐれたひとなのだろう、と思う。

 3連目の「想像」にもどる。
 最終連、「たとえば」。この「たとえば」は、それまで書いてきたことが実際にあったということよりも、和田自身が「想像」したことを意味しないだろうか。「たとえば」こんな一日が好き--と想像している。その想像を和田は書いた。想像だから「壺」が何の象徴だとか、何の比喩だとかは関係ない。純粋に、先生が「壺」になってしまっているだけなのである。

 こんなに軽々と、日常をことばに定着させることができるのは、たぶん高岡淳四以来である。和田のことばの底には強靱な散文精神がある。精神が(こころが)動いていく動きを、余分なものを排除して明確にし、鍛えてゆく力がある。--魯迅、森鴎外の精神に通じる力とやさしさがある。

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稲葉京子「忘れずあらむ」

2007-05-28 16:22:56 | その他(音楽、小説etc)
 稲葉京子「忘れずあらむ」(読売新聞2007年05月22日夕刊)。
 垂直に立っている人間が見えてくる。

えごの花こぼれやまずも私のいのちあなたのいのちの上に
針桐(はりぎり)の林さは立ちほろほろとはだれの光あそびゐるなり
葱(ねぎ)の畑葱の坊主はつんつんとおのが丈もて天に触れゐる
億万の偶然必然に導かれ今われは北上青柳町の辻に立ちをり
杉山の杉の緑はたつぷりと墨を含みて佇(た)ちゐるものを
道の辺の大蕗(おおふき)の葉に雨こぼれ手折らばわれの傘となるべし
都忘れ五、六本ほど咲かしめてしづけきかもよみちのくの家

 2首目「立ち」、5首目「立ちをり」、6首目「佇(た)ちゐる」。繰り返しつかわれている「立つ」のことばの響きのせいだけではなさそうだ。
 「杉山の」の歌が私は一番好きだ。この歌には(そして他の歌もそうだが)、私は省略されている。省略されているが、なぜか作者が見えてくる。歌の対象と正確に向き合い、対象と一体になり、そしてもう一度「私」に帰ってくる。そういう印象がある。
 自然の草木をくぐりぬけるというのは人間には大切な時間かも知れない。人事ではない時間の中でこころを洗うのは大切な時間かもしれない。

 「大蕗」の歌は、最後の「べし」がとても気持ちがいい。大蕗と作者がまったくの同等の存在となっている。同等と認めるから「べし」というのだ。

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荒木元「砂浜についてのいくつかの考察と葬られた犬の物語」

2007-05-27 22:04:28 | 詩(雑誌・同人誌)
 荒木元「砂浜についてのいくつかの考察と葬られた犬の物語」(「ガニメデ」39、2007年04月01日発行)。
 途中途中に、活字のポイントを大きくした行がある。たとえば、

命は、あるものとして与えられるからだ。

あるいは

夏がひざをうながす。

 荒木が強調したいことばなのかもしれない。その行もたしかにおもしろいけれど、それよりももっとおもしろい行がある。たとえば

時間は不連続に連続するものだ。
だから夏はくるしい。
父が語るたびにあの夏は私の夏になった。

 「語る」ことが時間を呼び寄せ、そのつど遠い時間と今の時間が連続する。そのあいだの時間は連続のあいだから抜け落ちて行く。
 この哲学に沿うようにして犬の物語、犬の埋葬の物語が不連続に連続する。
 そして、そのあいだから抜け落ちていったものが遠い遠い底にたどりついて、そこから落下の音を立ち上らせてくるようにして、かすかな抒情が響いてくる。その瞬間が、とても美しい。

父よ。
あなたの足うらにひろがる砂は、海へつづいていたのか。

 東北の、荒木の海まで行ってみたい気持ちになった。


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入沢康夫『牛の首のある三十の情景』

2007-05-27 21:38:11 | 詩集
 入沢康夫『牛の首のある三十の情景』(1979年)。
 「三十」の情景のうち「『八つの情景』のための八つの下図」だけが、この詩集の例外をつくっている。それ以外の「情景」には「わたしたちの、わたしの」「わたしたちは、わたしは」というような、一人称複数形と、すぐそのあとにつづく一人称「わたし」が頻繁に出てくるが「八つの下図」だけには出てこない。これは「下図」だからであり、「下図」にもとづいて「情景」が書かれた場合、やはり「わたしたちの、わたしの」「わたしたちは、わたしは」という文体が登場するのだろう。
 「八つの下図」は「わたしたちの、わたしの」「わたしたちは、わたしは」という文を含まないことによって、そうした文体が存在することを強調しているのだといえる。こういう「虚」による強調は入沢の詩の特徴のひとつだろう。

 なぜ、入沢は「わたしたちの、わたしの」「わたしたちは、わたしは」という文体を詩のなかに持ち込んだのか。「わたしたちは」あるいは「わたしは」だけでは何が違ってくるのだろうか。
 「牛の首のある六つの情景」の「1 」。

昨日の昼された牛どもの金色の首が、北東の空に陣取つ
て、小刻みに震へながら、(今、何時だらう)わたしたち
の、わたしの、中途半端な情熱の見張り役をつとめてゐる。
わたしたちは、わたしは、藻のやうな葉をなま温い風にしき
りに漂はせる樹々に背を向け、地べたで、安つぽい三十枚ば
かりのプログラムを次々に燃やし、その光でもつて、石柱の
表面にはめ込まれた縞瑪瑙の銘板の古い絵柄を読み解かうと
する。少なくとも、読み解かうとするふりをしてゐる。

 ここまで読んできて、「わたしたちの、わたしの」「わたしたちは、わたしは」の句点「、」のあとにひとつのことばが省略されていることがわかる。「少なくとも」ということばが省略されている。
 「わたしたちは」というと言い過ぎになるかもしれないが、「少なくともわたしは」と言いたいのである。この場合「少なくとも」には、「わたし」のしていることが「わたしたち」(わたしを含む複数の存在)によって「共有」されたいと願っていることを暗示している。「わたし」の行為が、わたし以外の存在によって共有されることを願っている。
 「誤読」は「わたし」の内にとどまるかぎりは「誤読」ではなく、単なる「間違い」だ。誰かによって「わたし」の間違いが共有され、間違いではなく、ありうることにかわり、ぜったいそうでなければならないということへと変っていく。それが「誤読」である。
 そのことを暗示させる「少なくとも」が、「読み解かうとする」という文、「さらには読み解かうとするふりをしてゐる」という文といっしょに登場しているのは、なにかとても象徴的なことのように思える。
 何かを読み解く--それは「読み」を共有するのではなく「解く」つまり「解=答え」を共有することである。
 たとえば私が今回引用した8行。それは誰が読んでも「同じ」ように読むことができる。しかし、そこから何らかの「答え」、たとえば入沢の思想はどのように具体化されているかということをさぐりはじめると、その「答え」はたぶんひとつではなくなる。複数になる。「わたし」ではなく、それぞれの「わたし」の、それぞれの「答え」になる。読んで、答えを求めるとき、答えは複数になり、わたしもまた複数「わたしたち」になる。
 だからこそ「わたしたちは、わたしは」と主語を絞り込む必要があるのだ。
 そして主語を「わたし」に絞り込んだとき、その「答え」は「わたしたち」によって級有されるものとなることも可能なのである。

 「ふり」ということばも入沢の作品を読むとき、とても象徴的なことばに感じられる。
 「答え」を求める。しかし、「答え」を出す必要が必ずしもあるわけではない。「すくなくとも」「わたし」には。自分が「答え」を出さなくても、「わたしたち」のうちの誰かが答えを出せば、その答えを共有することができる。共有し、「誤読」として育てて行くことができる。

 詩のつづき。

                        すでに
いくつかの意味をなさない文字が、わたしたちの、わたし
の、ひそめた眉の間から生まれて、燐光を放つ熱帯魚さなが
らに、闇の中へと泳ぎ去つた。

 誰もが「正しく読み解こう」とはしていない。正しく読み解かなくても、というより「誤読」したものだけが延々と語り継がれて行くのだ。「誤読」だけが求められている。

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坂多瑩子「並んでいる」

2007-05-26 15:13:11 | 詩(雑誌・同人誌)
 坂多瑩子「並んでいる」(「青い階段」83、2007年04月01日発行)。
 とても不思議な詩である。

いすが
並んでいる
原っぱの真ん中
背もたれの上に
小さな頭
みな
お行儀よく
前をむいて
たんぽぽが咲いている
綿毛がとんでいる
誰かが
節をつけて歌いはじめた
たんぽぽ
たんぽぽ
ひとり増え
ふたり増え
声をそろえて
合唱隊みたい
誰かふりかえってよ
近づいても
遠くから
見ているように
小さい
誰もふりむかない
あしたも
あさっても
しあさっても
綿毛のはりついた空が
もえ
授業中の窓がひろがって
いす

 最後の4行を何度も読み返してしまう。「もえ」というのとは、最近の流行語の「萌え」の「もえ」だろうか。
 坂多は、それに完全に同化してしまっているわけではない。それを少し離れてみているということかな?
 なかほどの「合唱隊みたい」は、坂多の見ているものがほんとうは「合唱隊」ではないことを明かす。「誰かふりかえってよ」は坂多のみつめているものが、向こうの方では坂多を気にしていない(無視している)ことを明らかにしている。
 これが坂多と「萌え」の関係? 
 「近づいても/遠くから/見ているように/小さい」。その頭が夢中になっているものと坂多は重なり合わない。その頭と「空」がいっしょになっているのをただみつめる。
 そして。
 「授業中の窓がひろがって/いす」と突然、「いす」にもどってきて、萌え」の世界と坂多の現実が完全にくっつく。「いす」という最後の1行を読んだ瞬間、また書き出しの「いすが」に引き戻され、ぐるぐると同じ所をまわってしまう。

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入沢康夫と「誤読」(メモ30)

2007-05-26 11:43:56 | 詩集
 入沢康夫『かつて座亜謙什と名乗った人への九連の散文詩』(1978年)。
 「第九のエスキス」に私は困惑する。その「一、」の文体、そこに書かれていることがらが、それまでの「エスキス」とは異なる。本文はルビ付きだが、ルビを省略して引用する。

詩碑の裏側から、甲高い嗤ひ声とともに立ちのぼる苔水晶
の雲。その底面の鉤に吊るされ、茶色の幟のやうにたなび
いてゐる二重の夢--昨日までの私たちにとっての、かけ
がへのない目当。
  (谷内注・「苔水晶」のルビは「モスアガード」)

 「あなたの足あとを辿つて(しばしばは逆に辿つて)」「あなたを追ふ(あるいはあなたを迎へる)」「あなたたちに追はれる(あるひはあなたたちを迎へる)」「あなたに追はれる(あるいはあなたを迎へる)」というふうに変遷してきた関係がここでは消えている。
 消えながら、しかし不思議な痕跡を残している。「二重の夢」。
 「かつて座亜謙什と名乗った人」の作品を追う。視点をかえて「かつて座亜謙什と名乗った人」が追われる立場から追う人を見る。その「二重」の追跡。「二」は最小限の複数だが、その複数であることに、そして複数が「重」なることに、入沢の「誤読」の基本がある。
 書かれたことばは常に一つである。しかし、書かれたことばが読まれたとき、その「一」は「書かれたことば」と「読まれたことば」に分裂し、「二」になり、「二」になりながら「重」なる。「二重」になることで動いてゆく。揺れる。
 そこに可能性(夢)がある。いま、ここにはない夢、実現されていないけれど、実現されることを願う何か、願われている何かがある。夢はここに現実にあるものではない。だから肉眼では見ることはできない。何かを見間違え、その瞬間に、見たと錯覚する。「誤読」する。その「誤読」のなかにあるものが、夢であり、それは「二重」の干渉によって引き起こされる「ことばの物理学」の世界である。--この「ことばの物理学」の「構造」を解きあかしたい、というのが入沢の根本的な思いだろう。(以前、ことばの数学、ことばの数式という表現をつかったが、数学と物理学は、基本的に同じものである。)

 「第九のエスキス」は、「反歌」のようなものだろう。先行する「長歌」のエッセンスを照らしだす「鏡」のようなものである。
 鏡もものを映す。しかし、その鏡をとおして見る姿は「逆像」である。「あなたの足あとを辿つて(しばしばは逆に辿つて)」につかわれていた「逆」、その姿。正像と逆像。その「二重」のなかで、私たちは、たとえば自分自身の姿をととのえる。「正しい形」にととのえる。「逆」というまちがいをとおして「正しい夢」を見る。--そういう関係が、この「第九のエスキス」で象徴的に描かれている。
 「三、」の部分。その凝縮された三行。(ルビはここでも省略。以下同じ)

馬と雪の匂いのなかで、私たちは立ちすくむ。あなたは知ら
ない。あなた自身が生み落とした子供たちの行方を、子供た
ちの現在の顔はおろか、虫喰ひだらけの画像のことも。

 「あなたの生み落とした子供」とは、「かつて座亜謙什と名乗った人」のことば、彼の作品である。その作品、ことばは時代とともかわっている。たとえば、異稿、校異の発見により、修正される。「決定稿」が「かつて座亜謙什と名乗った人」の「意図(夢)」の推測にしたがって、それを読んだ人によって決定されていく。それは、ある意味では「虫喰ひだらけ」の「顔」(画像)になっているかもしれない。
 そうではあっても、その変形(?)させられた姿があるからこそ、それは「子供」として、永遠に生み落とされ続けてゆくのである。何かを継承することとは、それを守るだけではなく、それを変形させ続けることなのだ。変形させなければ、引き継ぎ続けることはできないのだ。
 これは、ことばの宿命である。その宿命を入沢は「誤読」という形で積極的に受け入れる。
 「九、」の四行。

もつれにもつれた白髪(それはあなた自身の魂)によつて
封印された十重二十重の挑発。いま、一つの時節を終るに
当つて、わづかに身じろぎし、身じろぎしつつ凍えて行く
掟の鶏たち。

 「十重二十重」。ここでは直接的には「かつて座亜謙什と名乗った人」の残した「異稿」(校異)を指すのだろうが、その重なり合う複数が、読者の存在によって増幅され、拡大する。増幅され、拡大されるにしたがって、それは「原型」とは違ったものになるのだが、その違ったものになるということさえも、「かつて座亜謙什と名乗った人」が最初に仕組んだ「挑発」なのかもしれない。
 魅力的なことばの「挑発」。挑発されて、読者自身も分裂し「二つ」になる。それまでの自分とは違った自分になる。「二つ」になりながらも肉体は一つであるから、ほんとうは「二重」である。いくつもの「二重」が重なり合って「十重二十重」になる。そのゆらぎ、その「誤読」の集積のなかに、人間のいのちがある。ことばのいのちがある。
 この「反歌」はそういう姿を象徴的に照らしだしている。


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鳴海宥「渋滞マニア」

2007-05-25 15:11:38 | 詩(雑誌・同人誌)
 鳴海宥「渋滞マニア」(「カラ」4、2007年05月01日発行)。
 渋滞が気分的に爽快なものではないことは誰にも共通した感覚だろう。しかし、この渋滞を「いいね」と肯定している。

このクルマは口止め料も請求せず
従卒のように 濃霧のように黙っている
いいね・・
そうやって 遠慮なく
わたしを わるくわるく わるくわるく
無穹動に 無限定に 無頓着に
そしてもっとも無頓着な あそこに
宅配しておくれ

いいねいいねいいね・・・
わるいわたしが本当だ
わたしの渋滞は
脈打っている
わたしの渋滞はわたしの血管だ 内蔵だ 鼻腔だ
大脳辺縁系だ
だからこの道は
晴れやかだとおもしろくない
道は わたしの一部のように 内蔵が損壊している
  (谷内注・本文中2か所の「内蔵」は「内臓」の誤植と思われる)

 「いいね」はもちろん反語である。「わるくわるく」と繰り返される「わたし」のなかなの「渋滞」(血栓による血流の渋滞だろうか、閉塞による腸の渋滞だろうか)との「和解」がこころみられている。
 外界の肉体化、ではなく、肉体の外界化。
 などということを考えもするのだが、私の思考(嗜好? 指向?)は激しくずれていってしまうのである。
鳴海の「いいね」と「わるく」は一対になって、「いいね」と「わるく」を超越して世界全体に、宇宙全体に拡大する。みわけがつかなくなる。そのみわけのつかないことをとりあえず「和解」と呼んでみたのだが、「受諾」「受領」「受け入れ」と呼んだ方がいいかもしれない。いや、いっそう「超越」がよかったかな……、と考え、そして。

道は世界ではないが
世界のあらゆるでっぱりと
くぼみにだけは まだ つうじている・・
だからわたしはまだまだ渋滞マニア
このまだまだを 飲み終わるまで

 これって、セックスの詩、性交の最中の詩じゃないんだろうか。
 こういう詩については、ただセックスの詩だと感じた、とだけ書けば批評になるだろうな、と思うので、これ以上書かない。
 引用は一部なので、ぜひ全編を「カラ」でご確認ください。そして、くすくすとお笑いください。わたしは、くすくす、あはは、わっはっは、と笑いが止まらなくなりました。

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入沢康夫と「誤読」(メモ29)

2007-05-25 14:20:56 | 詩集
 入沢康夫『かつて座亜謙什と名乗った人への九連の散文詩』(1978年)。
 「第六のエスキス」では「第五のエスキス」の「あなたたち」は「あなた」に、「私」は「私たち」に変わる。「一」の冒頭。

あなたに追はれる(あるひはあなたを迎へる)私たちの長
旅のなかばで、つひにとり戻すすすべもなく失はれた私た
ちの真の役割。

 「私たち」とは何だろうか。なぜ「かつて座亜謙什と名乗った人」は複数になるのか。手がかりが「二」の冒頭にある。

あなたは終始踏み迷ふ、私たちの作つたフローチャートの
上で。

 「第五」の「地質図」が「フローチャート」にかわっている。「フローチャート」とは生産工程の一覧表、手順図のことだろうか。第一稿、第二稿、第三稿、第四稿……、と順番にならべたもののことだろうか。「校異」に踏み迷うだけではなく、どれが「第一稿」手あり、どれが「第二稿」、どれが「最終稿」かも迷うとということだろう。
 「私たち」の「たち」、その複数形は、第一稿、第二稿、第三稿、第四稿……、という原稿の複数の存在をあらわしている。「たち」と複数ではあっても、「かつて座亜謙什と名乗った人」はほんとうはひとりであり、複数を追うのは、「ひとり」をより鮮明に把握するためである。
 そしてこのとき「ひとり」は、どれが「最終稿」であるかを特定したときに「ひとり」の姿が鮮明になるのかというと、そうではない、ということが問題として残る。「最終稿」にとだりつくために「作者」が訂正、加筆、削除を繰り返した、そのことばの乱れ、ひとつに修正しようとする姿勢そのものが「ひとり」の全体像であり、その過程を省いてしまえば「ひとり」の人間のある一面を見たことにしかならない。
 「踏み迷ふ」。迷わないことが「正しい読み」につながるのではなく、迷うこと、迷いながら「誤読」を繰り返すこと--そこにこそ「正しい読み」が潜んでいる。「誤読」こそが「正しい読み」であるということもありうるのだ。「誤読」抜きではつかみとれないものがあるのだ。

 「かつて座亜謙什と名乗った人」を追う詩、この作品は、また、入沢の詩と読者との関係にもなる。入沢のこの詩集の複数のバリエーション。そのなかでどれが「最終稿」なのか、どれが「第一稿」なのか。数がさかのぼるほど「初稿」に近付くのか。逆に、それは「初稿」から遠ざかるのか。数が増えるほど「草稿」が捏造されているのではないのか。そういう疑問が、常に私の頭にはつきまとっている。校異が増えれば増えるほど、「エスキス」が「最終稿」であると同時に「第一稿」という印象が強まる。他の部分は「エスキス」のあとに捏造された、架空の「過去」という感じがする。
 なぜ「過去」を捏造する必要があるか。
 「テキスト」のなかで読者は「踏み迷」わなければならない。迷い、「誤読」しないことには、読者自身が自分の読みたいものを発見できないからだ。読者自身が自分の読みたいものを発見し、その発見を作品に託すとき、作品は読者とともに生きるのである。「思い入れ」を省いた「科学」のなかには、文学のいのち、ことばのいのちは存在しない。「誤読」の「誤」の部分に、ことばを引き継いでゆくエネルギー、ことばを育ててゆくエネルギーがある。

 ことばは、そうやって「誤読」で引き継がれてきた。
 だからこそ、その「誤読」の過程をたどり直す、ほんとうに作者が言いたかったことは何なのか、「フローチャート」を克明に分析し、たどり直すのは、「誤読」を修正するためである。ただし、修正するといっても「正しい理解」をするためではなく、いま、ここで流布している「誤読」から自分自身の目を洗い直すためである。
 他人の「誤読」、「私たち」の「誤読」ではなく、「私」オリジナルの「誤読」をもとめる--それが、この作品のテーマだろう。



 「エスキス」が「最終稿」であり、また「第一稿」あり、数が増えるにしたがっての「エスキス」は次々に捏造された架空の草稿である--というのが私の考えだが、もちろん、その証拠はない。
 ただし、とても不思議なことがひとつある。
 「かつて座亜謙什と名乗った人」の残したとされる「作品」の数が違っている。「第五のエスキス」では「千百七十八枚の紙を連ねて作られた白い道」。「第六のエスキス」では「千九百七十一枚の黄色い紙を綴り合はせた細い道」。そして「第八のエスキス」、「第六」から「第七」(詩集にはそれ自体の形では存在しない)の「校異」を「フローチャート」にしたものには「千九百七十一枚の黄色い紙を綴り合はせた細い道」。
 この「第八のエスキス」には「あなた→私たち」という主語の変化、追うものと追われるものの転換を書いているにもかかわらず「千九百七十八枚」と「千九百七十一枚」の違いには触れていない。ここに、この作品の誕生の秘密が隠されている。

 「エスキス」の最初の発表年を私は正確には知らない。「1971年」に『倖せ それとも不倖せ 続』が発行され、1977年に『「月」そのほかの詩』が発行されている。「エスキス」は1977年の詩集のなかに含まれている。1977年以前の作品、おそらく1971年に書かれたものであると思う。
 そして『かつて座亜謙什と名乗った人への九連の散文詩』は「1978年」の発行である。これは1971年に「第一稿」があり、それを1978年までに「校異」を捏造する形でつくったということを読者に知らせるための「暗号」のようなものだろう。
 「九連の散文詩」といいながら「八」の部分は欠落し、詩集では「第八のエスキス」が存在する。この複雑な暗号(暗号があることを知らせる暗号)のような部分に、問題の「千九百七十一枚」「千九百七十八枚」が出てくる。しかも「校異」には触れずに。

 これは私の「誤読」か。
 たしかに「誤読」なのである。私の推測が正しかろうが間違っていようが、それは問題ではなく、私は、入沢が「1971年」に書いた「かつて座亜謙什と/名乗った人への/九連の散文詩(エスキス)」を出発点に、1978年までかけて詩集を完成させたと読みたいのである。



 「かつて座亜謙什と/名乗った人への/九連の散文詩(エスキス)」が発表された正確な年代、および初出誌をご存じの方がいましたら教えてください。

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入沢康夫と「誤読」(メモ28)

2007-05-24 23:25:41 | 詩集
 入沢康夫『かつて座亜謙什と名乗った人への九連の散文詩』(1978年)。
 「第五のエスキス」はそれまでの素描と大きく異なる。「一」の書き出し。

あなたたちに追はれる(あるひはあなたたちを迎へる)私
の長旅のなかばで、つひにとりかへすすべもなく失はれた
私の真の役割。

 主客が逆転する。それまでは「私たち」が「あなた」を追ってきた。「追われる」立場の人間が「私」になり、「追う」方が「あなたたち」になる。「私たち」は「座亜謙什と名乗った人」を追っていたが、「第五のエスキス」では「座亜謙什と名乗った人」が「私」になって追われている。
 これは「事実」を複数の視点からとらえなおし、より客観的にするためのものだろうか。それともさらに「誤読」をつみかさねるためのものだろうか。
 「座亜謙什と名乗った人」がいまも生きていて、その生きている人物そのものを追っているのなら、立場をかえてみるというのは客観的なものを引き出すのに役立つだろう。しかし、もし「座亜謙什と名乗った人」がすでに存在せず、「座亜謙什と名乗った人」の視線そのものが「架空」のものだとしたら、どうなるだろう。
 そこには「座亜謙什と名乗った人」には、彼を追っている「私たち」をこんなふうに見てもらいたい、「座亜謙什と名乗った人」にとっての「あなたたち」はこうとらえられたいという欲望が反映されていないだろうか。きっと反映されるはずである。
 「誤読」と「誤読」がぶつかりあう。
 マイナスとマイナスをかけるとプラスになるように、そしてここでは「誤読」の上に「誤読」がつみかさねられることで、「誤読」ではないものが浮かび上がる--そういうことが意図されているのである。最初の「誤読」を、もうひとつの「誤読」が「誤読」であると指摘する。そうすることで最初の「誤読」が修正される。ただし、掛け算であるから、最初の「誤読」から「誤読」部分を削除するという形の修正ではなく、「誤読」に「誤読」をつみかさねることで、最初の「誤読」ではたどりつけない領域に達する、「誤読」を超越するということが意図されていることになる。

 「誤読」の超越とは何か。

 「二」の部分を対比してみる。(「エスキス」から「第四のエスキス」の部分は「エスキス」で代表させておく。)ここに誤読の「超越」の手がかりがある。

私たちは時折り踏み迷ふ、あなたの作つた庭で。
                               (「エスキス」)

あなたたちは終始踏み迷ふ、私の作つた地質図の上で。
                            (「第五のエスキス」)

 「座亜謙什と名乗った人」が作ったのは何だろうか。「庭」だろうか。「地質図」だろうか。「ことばで書かれた庭」「ことばで書かれた地質図」というふうに補ってみると、「ことばで書かれた」が共通する。「私たち」は「座亜謙什と名乗った人」の「ことば」のなかで迷っているのである。
 もうひとつ、大きく違うものがある。「時折り」と「終始」。「私たち」は「時折り」迷っている(たいていは迷っていない、正確にあなたのことばをたどり、理解している)と感じている。しかし、「座亜謙什と名乗った人」から見れば、それは「終始」である。「座亜謙什と名乗った人」は、「座亜謙什と名乗った人」の残したことばを「私たち」が迷わずに辿っているとは感じていない。常に(終始)「誤読」の領域へ迷い込んでいると感じている。
 この「時折り」と「終始」の対比から明らかになるのは、「座亜謙什と名乗った人」への絶対的な評価である。
 この絶対的な評価こそが「誤読」の「超越」である。「座亜謙什と名乗った人」、そしてそのことばの世界が「絶対的」であると想定すること。そこに「超越」がある。

 「座亜謙什と名乗った人」の世界を「私たち」はたどり、ある程度「正確に理解」しているつもりだが、それは「私たち」の希望的観測であり、「座亜謙什と名乗った人」から見れば「終始」、「誤読」している。「私たち」は「正しい理解」の仕方では「座亜謙什と名乗った人」の世界にはたどりつけない。彼の世界は、「私たち」を「超越」しているのだ。

 「超越」の発見。それこそが「誤読」の目指すところなのである。あらゆる「誤読」は「私」を超えたものの発見とともにある。そして、その発見した「超越」にあずかろうとする、あずかりたいと願うからこそ「誤読」が生まれる。
 この「誤読」による「超越」の発見は、別のことばで言えば「楽観」である。「第五のエスキス」の「三」の部分に「楽観」は出てくる。「途方もない楽観」と。

「あなたの後姿がちらと見えたと思つたのは、あれは流砂
のほとり」とあなたたちは読み、私がその途方もない楽観
ぶりにひとりいらだつとき、雪が来て、馬たちを埋める。

 「悲観」ではなく「楽観」。なぜか。「誤読」と「超越」の発見は、「私たち」のできないことをするスーパースターの発見だからである。

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林嗣夫「花ものがたり 35 梅花幻想」、小松弘愛「ここなく」

2007-05-24 09:55:45 | 詩(雑誌・同人誌)
 林嗣夫「花ものがたり 35 梅花幻想」、小松弘愛「ここなく」(「兆」134、2007年05月07日発行)。
 林嗣夫「花ものがたり 35 梅花幻想」は行分けのスタイルで始まり、途中から1行が長くなり、散文のようなスタイルになる。

ロビーに入り エレベーターに乗り
廊下を歩き 自分の部屋に向かうのだが
部屋はどこだったかな この階にまちがいはないのだが
番号がわからない わたしの頭のすみにはまだ小さな風が住みつ
いているらしく ドアの並ぶ壁面が揺れ 廊下がたわむ あるいは
かすかに傾斜する 番号の順序をたよりにやっと自分の部屋にたど
り着いた キーを差し込む うまくいかない もう一度キーを差し
込む 回らない どうしたことだろう まちがえたかな

 意識のもつれぐあいがそのまま1行の長さの変化となっている。そのもつれた部分の「あるいは」ということばに私はびっくりしてしまった。林はとても冷静な人間だ。私にとって、夢というか錯乱の世界には「あるいは」は存在しない。そして、そして、そして、とどんな矛盾も「そして」でつながってしまい、つながってしまうことのなかに、のがれられなくなる悪夢がある。
 「そして」ということばは書かれないが、林の「幻想」も「そして」の連続でつながっていくことは、その後を読めばわかる。
 なぜ林は「あるいは」ということば、何かを対比することばを書いたのだろうか。対比の感覚、冷静な感覚を捨てるために、あえて「あるいは」を書いたのだろう。だからこそ、林のことばは「幻想」のなかでずるずるとのめりこみ、ホテルが生家にかわり、その向こうから満開の梅の花があらわれる。
 意識を捨てる、その捨て方がおもしろいと思った。



 小松弘愛「ここなく」。「ここなくで草をかった人/道具が落ちていましたので/預かっています」という立て札を見て、小松は「ここなく」という方言があったことを思いだす。「なく」は「ここ」「そこ」「あこ」「どこ」のあとについて場所を指示する。「なく」がなくても意味はかわらない。そういうことを考えた後……。

時代は あらかた
「……なく」を刈り取ってしまい

わたしは
「ここなく」
の立札の杭(くい)に
子供の頃に飼っていた山羊の親子をつなぎ
しばらく草を食べさせてみる

 小松は「なく」と同じように消えてしまった思い出をそっとひっぱりだして眺めてみる。この抒情への変化がとても自然で、あたたかい。山羊を見るように「なく」を見つめている視線を感じる。

 このあたたかな視線は魅力的だが、それよりももっとおもしろい部分がこの詩にはある。

 ここなくで草を刈った人
 道具が落ちていましたので
 預かっています
 ……

「……」は預かっている人の電話番号
「道具」とは何のことだろう
草刈り鎌?

 「 ……//「……」は預かっている人の電話番号」。この部分に、私は小松の正直なこころを感じる。「山羊」の部分もすてきだが、この部分の方がもっとすてきだ。魅力的だ。
 この部分は「ここなく」について考えるとき、まったく不要なものである。「 ……//「……」は預かっている人の電話番号」がなくても、小松の書いていること、その「論理的意味」はまったくかわらない。省略されていた方が論理がすっきりするかもしれない。
 それでも書かずにはいられないのだ。
 小松の目の前にそれがある。それがあるなら、それがあるままに書く。その姿勢が土佐方言をめぐる小松の詩の基本姿勢なのだと思う。
 方言があるとき、そこには人間がいる。方言だけが、ことばだけが存在するのではなく、人間がいて、人間が生きているということがある。そこには「余分なもの」がたくさんある。何かを考えるとき、私たちはそういうものを省略して考える。「方言」のかかえこむ余分なもの、たとえば「ここなく」の「なく」を省略して、ものごとを考える。そして、その省略によって具体的な不都合が起きるわけではないから、そういう省略は加速する。それは視点をかえていえば、切り捨てたものがそれだけ増えるということでもある。
 小松は、そういう切り捨てたものをもう一度見つめてみようとしているのだ。無意識に切り捨てたものを見つめなおそうとしている。
 そうした切り捨て(省略)のなかには「電話番号」のように「……」と伏せて書くしかないものもあるかもしれない。しかし、それは存在する。存在した。存在するもの、存在したものを、存在する、存在したと意識するこころだけが、「山羊」の記憶のような美しいものを、もう一度輝かせる。
 そして、その延長線上に、さらにさらに美しいものが、小松の記憶を(意識を)越えてあらわれる。まるで「土佐」に生きている人間のすべてのこころを通過してきたかのように、美しいものがあらわれる。
 最終連。

そして
「あこなく」
と 腕を斜め上方に伸ばしてもよいあたりに
ぽかっと浮かんでいる白い雲
あまり形はよくないが
その昔の
握り飯のような雲を眺めることになった。

 この美しさは、「 ……//「……」は預かっている人の電話番号」を通ってこないことにはたどりつけない美しさだ。
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