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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ファティ・アキン監督「愛より強く」

2006-07-31 22:30:06 | 映画
 ファティ・アキン監督 出演 シベル・キケリ、ピロル・ユーネル

 トルコの音楽が「章」の幕間に流れる。海峡をバックに男6人の楽団が演奏し、女性歌手が歌う。非常に魅力的である。
 トルコの歌については何も知らない。この映画でつかわれる歌の歌詞には繰り返しが多い。その繰り返しが、まるで自分で言ったことを確認するために自分で繰り返すことばのように聞こえる。相手がその歌を受け止めるというより、ただひとり、自分自身のために歌っているように切なく聞こえる。
 愛のことばは相手に届くとき美しいが、自分自身で繰り返すしかないとき、悲しみにかわる。
 愛していると気がついたとき、相手は手の届かないところにいる。いや、手は届く。セックスさえする。しかし一緒に暮らすことができない。こころは、一緒に暮らした時間のなかにいつまでも彷徨っている。そして、互いのこころをまさぐっている。なぜ、傷つけあったのか、わからないまま、愛が、こころだけが悲しくふるえている。そのふるえそのものがメランコリックなトルコの歌になっている。
 このとき悲しさとは愛なのだということがわかる。悲しみは愛となってこころに残る。

 映像は、そのメランコリックな歌とは対照的にとてもリアルである。生々しい。血と傷にまみれる肉体。暴力的なセックス。肉体が、そうしたものを求めてしまう。酒があり、ドラッグがあり、暴力がある。肉体が、そうしたものを求めてしまう。理由はわからない。どうしようもなく肉体の欲望にひきずりまわされながら、こころがだんだんやわらかくなっていく。こころが傷つきやすくなっていく。その変化が、とても丁寧に映像化されている。
 主役の二人の目の色がいい。シベル・ケキリのしなやかな肉体もいい。弱いものだけが強いという矛盾した思いがふっと沸いてくる。
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甲田四郎『くらやみ坂』

2006-07-31 21:49:56 | 詩集
 甲田四郎『くらやみ坂』(ワニ・プロダクション)。
 冒頭の「身重坂」に不思議なことばがある。「二重に」。ありふれているだけに、不思議である。不可解である。

日盛りをピンクのマタニティが下りてくる
片手日傘をさしていちめん汗の照り返し
片手明日はちきれそうなおなかを撫でながら
泣いているような微笑みで
目をはるか虚空に向けている
七十年前の母のアサの姿だと思う
三十五年前の女房のタエコ
六年前の娘のミホ
明日というものが途切れずに来るなら
二十年後の孫のユリでもあるにちがいない
身重の坂を下りてくる
女が途切れれば二重に途切れる明日があるのは
言うまでもないことだ
私は明日途切れなかった方の子供である

 「二重に」の「二」はが何と何を指すのか。それがすぐにはわからない。そのため13行目が非常に理解しにくい。
 「女が途切れれば」とは、その前の行「身重の坂を下りてくる」を受けて、女が妊娠しなければという意味だろうか。女が妊娠しなければ子供が生まれるということはない。そして子供には「男と女」がある。「二重」とは「女と男」ということであり、「二」とは「男」と「女」であるのだろう。
 女が途切れればとは女が妊娠しなければ、男の子供も女の子供も存在しない、男の子供にとっても、女の子供にとっても、つまり「二重」の意味で明日はない、ということだろうか。「明日はない」というべきところを「途切れる明日がある」と言ったために意味が複雑になっているのだろうか。

 「二重」については、あとでもう一度触れることにして、もうひとつの不思議な(ありふれた)ことばについて書いておく。

 「途切れず」「途切れる」は甲田にとってはとても重要なことばであることが、この書き出しからわかる。ここには甲田自身にはわかりきっているために説明を省略した何かがあるのだ。そのために「意味」がわかりづらくなっているのである。
 「途切れず」(あるいは「途切れる」)が最初につかわれている行に戻って読み返してみる。

明日というものが途切れずに来るなら

 なぜ甲田はこんな書き方をしたのだろうか。
 今日が終われば明日である。それは人間の営みとは関係がないはずである、と私は考える。
 しかし、甲田はそうは考えないのだろう。今日という日に対して何かをしなければ明日はこない。途切れてしまう。物理的な時間はたしかに私が考えるようにつづくだろうが、そういう物理的な時間は甲田にとっては「明日」ではないのだろう。
 「明日」とは甲田にとって何だろうか。「七十年前の母のアサの姿だと思う/三十五年前の女房のタエコ/六年前の娘のミホ」という行のなかにある「…年前」こそが「明日」をつくっている。過去が現在をとおり未来とつながったとき「明日」になる。過去なくしては「明日」はない、ということだ。
 甲田にとっては「現在(今日)」というのは、過去(昨日)を「明日」へと途切れずにつなぐ一日である。人間がそういう一日の営みをしないことには「明日」は途切れてしまうのだ。セックスも含めて、一日の営みをないがしろにしない、というのは、「今日」という日が「過去」から渡されたものであり、引き継がなければならないものであると強く意識して生きる--それが甲田の生き方だ。
 そのための心得として、たとえば「我慢」がある。「繰り返し」がある。それは「毎日」のことである。数えたわけではないが(数えると本当は少ないかもしれないが)、「我慢」「繰り返し」「毎日」ということばが印象に残る詩集である。日々の営みを我慢して繰り返し、昨日から引き継いだものを明日へ引き渡す、その引き渡しの営みを途切れさせない、それが「暮らし」というものである。

 とはいっても、そういうことは簡単ではない。なぜか。ここに「二重に」の「二」の意味がふたたび問題になる。「二」は単に一と一がいっしょになった状態ではない。「二」は「多」の始まりである。
 「身重坂」の「二重に」の「二」は「男と女」であったが、暮らしの中で男(甲田)はひとりの女とだけ向き合って存在しているわけではない。多くの人間と向き合って生きている。その「多く」が「二」からはじまっている。
 「身重坂」に戻っていえば、2連目、身重の女は赤ん坊の名前を考えている。その名前に対して甲田は異議を唱えている。「ヤマト」「サクラ」から戦争を思い出している。3連目で女は、そうした甲田の思いを笑い飛ばしている。「二重に」の「二」はかならずしも重なり合わない。「多重に」というときはなおさら重なり合わない。だからこそ、甲田は自分の思いを書く。「多重に」が「一重に」ならないように、政治に対して、社会に対して異議を唱える。同時に、甲田自身を「多」にかえる。甲田自身を「多重に」広げる。たとえば実印を持っているかとたずねる男に、痛いよ痛いよとわめくシンジョウおばさんに、そのおばさんをなだめるツルサカさんに。あるいは父に、妻に、お菓子を買うお客さんに……。だれもが皆、過去をひきつぎ(いつの時代にもある感情をひきつぎ)、今日を我慢し(今日という日に、過去の人がしたであろう営みを繰り返し)、明日へと人間の感情を引き継いでいこうとしている。喜びも悲しみも、たぶん憎しみも。それが「一重」を狙っている政治(権力)に抵抗する方法だからである。

 「身重坂」の「二重に」は「多重に」である。そう思って読むと、詩集全体が、甲田の祈りが、より明確になる。他者への思いやりが、詩を豊かにしていることがわかる。その豊かさは、きっと社会の豊かさにつながるものである。

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ベラスケス「ラス・メニーナス」

2006-07-30 23:11:25 | 詩集
 ムリーリョの「貝殻の子供たち」を見ながらベラスケス「ラス・メニーナス」を思い出していた。(大阪の「プラド美術館展」には展示されていない。)
 この絵には膨大な「空白」がある。画布の上半分には人物は描かれていない。ひ左5分の1くらいもキャンバスの裏側である。残りの部分に王女と女官たち、犬、絵を描いているベラスケスが描かれている。そしてその背後、すべての中心にある鏡には王と王妃が映っている。
 とても不思議な絵である。
 ベラスケスは何を描いているのか。
 絵を前にしたとき、ベラスケスは王女と女官たちを描いたと思う。(王の一族の肖像画を描くとき、その群像のなかに画家自身を紛れ込ませる手法はしばしば見受ける。)だが、なぜ、鏡に王と王妃が映っているのか。ベラスケスは王と王妃を絵の中では描いているのではないのか。描くベラスケスのまわりで王女と女官たちが遊んでいるのではないのか。
 もしかするとベラスケスは人物そのものではなく、人物が存在するときの空間、その空気の広がりを描こうとしたのではないのか。描かれている王女たちの前に、王と王妃のいる空間がある。今、人が見ている存在、その存在のまわりにはもっと広い空間があり、そこには何かが存在している。そういうことを描こうとしているのではないのか。
 目をこらせば、部屋の背後のドアが開かれている。男がドアを開いて、壁の向こうの空間を見せている。空間はどこにでもある。空間があれば、そこには何かが存在し、何かが存在するとき、そこにはドラマがひそんでいるかもしれない。
 ベラスケスの描く空間(余白)はそういうことを考えさせる。
 この絵の膨大な余白(空間)は天井を除けば、また不思議なものが見えてくる。壁には幾枚もの絵が描かれている。その絵は何を描いているのか(描いていたのか)、私は今思い出すことができないが、複数の絵が飾られていたはずである。その絵と、王と王妃の映っている鏡の関係は? もしかすると鏡に王と王妃が映っているというのが定説だけれど、それは絵ではないのだろうか?
 そういう疑問も呼び起こす。

 ムリーリョの余白が視線を貝殻に集中させるために存在するのに対し、ベラスケスの余白は視線を見えているもの以外に誘い出す。実際、私はこの絵を見るとき、女官たちを見ていない。女官たちの動きが私には不自然なものに見えてしようがないということもその理由のひとつだ。どの女官たちもある動きの瞬間、わざとその瞬間に動きをとめているとしか思えない。そうした不自然な人間群像をベラスケスが描きたかったとは思えない。絵を見るとき、肉眼では見えない何かをこそ、ベラスケスは描きたかったのではないのか。その肉眼では見えないものを想像させるために膨大な余白を描いたのではないのか。

 (これはすべて想像での感想である。実際にベラスケスの絵を目の前にすれば違った感想が浮かんでくるかもしれない。)
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ムリーリョ「貝殻の子供たち」

2006-07-29 21:21:53 | 詩集
大阪市立美術館「プラド美術館展」。

 ムリーリョ「貝殻の子供たち」は私のような素人から見ると構図がちょっと面白い。左下の羊は体が少し切れている。そのぶん右側に余分な空間がある。何か全体的に不安定である。それなのに目は自然と貝殻で水を飲む子供の口元に吸い寄せられる。
 しばらく絵の前に立って眺める。想像上の対角線を引いてみる。するとちょうど対角線が交差するところの貝殻が来る。視線を貝殻に集めるように構成されているのだ。というより、最初に貝殻の位置が決定されていて、そこから構図が決定されたのかもしれない。
 ついでに想像力を働かせて右側の空間をカットしてみる。すると目は貝殻ではなく押さないキリストの顔に動いていく。
 ムリーリョはなんとしても貝殻に鑑賞者の視線を集中させたかったのだろう。

 余分に見える空白(絵の場合、それが白であるとは限らないが)は視線を動かすもう一つの要素である。

 
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トニ・モリスン「ジャズ」

2006-07-28 13:08:41 | 詩集
 トニ・モリスン「ジャズ」(早川書房)に美しい文章がある。

 陽射しは、建物を半分に切り裂く剃刀の刃のように斜めに射しこむ。建物の上半分に、わたしは下のほうを見ている顔を見るが、どれが本当の人間で、どれが石工の仕事か、見分けるのはむずかしい。下の半分は影になっていて、そこではありとあらゆる人生に倦んだ事柄が行なわれている。クラリネットの演奏や、愛の交歓、拳骨の殴り合いや、悲しげな女の話し声。この街のような都市にいると、わたしは大きな夢を見たくなり、いろんなものに感情移入してしまう。わかっている。わたしをこういう気持ちにさせるのは、下の影のちょっと上で揺れている、まぶしい鋼鉄だ。川を縁どる緑色の細長い草地、教会の尖塔を眺め、アパートの建物のクリーム色と銅(あかがね)色のホールをのぞきこむと、わたしは強くなる。

 「わたしは大きな夢を見たくなり、いろんなものに感情移入してしまう」と「わたしは強くなる」は呼応している。大きな夢をみる、わたしは強くなる、をつなぐものが「感情移入」である。
 その感情移入のあり方は、26日、27日に触れた松浦寿輝の「川の光」と大きく違う。松浦は足元の植物、石ころなどの自然だが、「ジャズ」の主人公は「まぶしい鋼鉄」「教会の尖塔」などの人工物だ。「川を縁どる緑色の細長い草地」と自然も登場するが、それは人工の建築物などによって「細長」く閉じ込められた人工的な自然だ。また、松浦の視線が「坂」を移動するようにゆっくり、ジグザグに動くのに対して、この小説の主人公の視線は大きく飛躍する。その飛躍の大きさがニューヨークの街の大きさそのものに重なる。
 大きな飛躍の中では、感情も大きく振幅する。揺らぐことができる。

 強くなる、とは、大きな感情を生きる、振幅の大きな感情を肉体に抱え込み生きるということだ。
 つづきが読みたくなる書き出しだ。
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松浦寿輝「川の光」(2)

2006-07-27 22:53:17 | 詩集
 昨日書いた感想のつづき。

 「坂」--ジグザグの歩行。それは「坂」が登場する前から登場する。

 静かだった。
 西の空はもうきれいな茜色(あかねいろ)に染まりはじめていた。川の水面はもうなかばで土手の影に入っていたが、西日を浴びてきらきら輝いている部分もあって、そのあたりの目を凝らすと、水中に転がる石や岩の回りで大小の渦を作りながら、水が以外に早く流れているのがわかった。

 松浦は水の描写も大好きなようだが、冒頭の水の描写も「坂」の視線で構成されている。空の茜色→西日を浴びている水面→水中→石や岩→大小の渦→水の流れの速さ。視線は、次々に焦点をかえて動いていく。そして、この動きの中に、視線の動きそのものとは別に、「坂」が隠れている。

 水が意外に速く流れている

 水の流れの速さのなかに、「坂」が潜んでいる。見えない「坂」を川の水は流れていく。その流れが速いのは、その隠された坂が予想以上に「急」というこおtだろう。

 松浦の文章は、前後の描写がひそかに通い合う。水の流れは、その流れの方向を決定する土手、その「急坂」の横を流れる。
 主人公の行動を決定するのは、もしかすると主人公の思いよりも、主人公を取り巻く環境かもしれない。何を見るか、何をことばにするか。そのことばは前後のどのことばと通い合うのか。

 松浦の小説は詩を読むようにゆっくり読まないといけないのかもしれない。


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松浦寿輝「川の光」

2006-07-26 22:29:57 | 詩集
 読売新聞夕刊に7月25日から松浦寿輝の連載小説「川の光」が始まった。
 新聞小説の文体とは思えないゆったりした文章である。特に次の部分。

 そんなことはできないに決まっているけれど、もしあなたがまったく足音を立てずに歩けるのであれば、土手の急坂から川原に下りて、水ぎわの近くまで行ってみるといいと思う。
 どんなに足音を忍ばせても、靴で草むらをかき分けるときに葉と葉がすれ合う音だの、踏みしめる小石がほかの石に触れて軋(きし)む音だの、その他どんなかすかな音も、何ひとつ立てることなくそこまで歩いてゆくなどというのは、たぶん不可能に違いない。でも、もし仮にそんな芸当があなたに可能であるのなら、どうか抜き足差し足で水ぎわまで近寄って、かがみこみ、足元の草の葉を、そおっと、そおっと、かき分けてみてほしい。

 「できない」「不可能」と書きながら、その不可能なことを細部にこだわり丁寧に書く。「靴で草むらをかき分けるときに葉と葉がすれ合う音」「踏みしめる小石がほかの石に触れて軋む音」など、なぜ、不可能と知っていて、その不可能に付随することを書くのか。それこそが松浦の書きたいことだからだ。
 小説にはストーリーがある。読者はこの話はどうなるのだろうと思って読む。松浦がストーリーを描かないとは言わないが、ストーリーよりも、ストーリーをかき消してゆく細部をこそ書きたい作家なのだと思う。草むらを音を立てずに歩くことなどできないのはだれにもわかっている。わかっていて、では、それではそのときの「音」とはどんなものか、そのことを書きたいのである。
 わかっていて、しかし、深く認識していないことを、丁寧に描く。それに何か意味があるのかどうかわからない。しかし、そうした細部を丁寧に描くということが松浦は好きなのだ。こういう作者が嗜好があからさまに出た文章が私は大好きだ。
 嗜好は思考そのもの、思想そのものだからである。
*
 嗜好が思考として出てきた部分が先の引用部分にある。

土手の急坂から川原に下りて

 なんでもない文に見えるかもしれない。でも私はこの文は松浦にしか書けないと思う。普通の作家は「急坂」とは書かないだろう。「どんなに足音を忍ばせても」以下の「急坂」を補足した文章を読むと、その「坂」は「道」ではないことが明らかだ。道ではない斜面を「坂」と書く作家がほかにいるだろうか。「土手の急斜面」「土手の崖」とか、そんなふうに描写するのが普通の文章だろう。しかし松浦は「急坂」と書く。松浦は「坂」が大好きなのだ。坂に対する嗜好、それが松浦の思考、思想だ。
 坂を進むときは平地を進むときとは意識の動きが違う。
 ときにはまっすぐではなくジグザグに歩く。歩行距離は伸びるが足への負担は少なく、またジグザグに歩くことで、まっすぐに歩くときには見えなかったものが必然的に見えてくる。目に入ってくる。それを描写するとき、今までとは違った世界が見えてくる。ジグザグにゆっくり歩く、そして視界に入ってくるもの、まっすぐに歩くことでは見落としてしまうものを、ことばとして定着させる。それが松浦のやりたいことなのだと思う。その志向(嗜好)が思考として凝縮しているのが「坂」ということばだ。

 「坂」に、松浦の「詩」がある。


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江代充「自転車乗り」

2006-07-25 00:48:12 | 詩集
 江代の文体には何か悪夢のようなものがある。すべてがくっきりしているが、そのくっきりしていることが、奇妙に苦しい。なぜ、それを、そんなふうに見てしまわなければならないのかわからない。何か見る、というより見せられているという印象が残る。悪夢が、自分の意志に反してむりやり何者かによって見せられる夢のように。

昼間はまだ白い小石のある地面の方にいて
ちかくの草には直接に触れていないが
その草かげに移動した虫が葉の上にきてとまり
上下に白い花を付けた植物のかげを身にまとっている

 1行目の「いて」の主語は何だろう。3行目の「虫」である。その虫は昼間は地面にいた。それが今は草の葉の上で白い花のかげをまとっている。江代は時間の変化とともに虫が動いているのを見ている。何でもない描写のようで、それが悪夢のように見えてしまうのは「時間」が過去-現在-未来と一直線に並んでいないからだ。
 江代の描いた4行を「過去-現在-未来」という時系列にそった時制で書き直すと、次のようになるはずだ。

昼間はまだ白い小石のある地面の方にいて
ちかくの草には直接に触れていなかったが、
やがてその草かげに移動した虫は今、葉の上にきてとまっており
上下に白い花を付けた植物のかげを身にまとっている

 時制をととのえると、単純な描写になってしまう。江代はそうした時系列を避け、時間を不安定にする。時系列が不安定なために悪夢のように感じるのだ。ある存在が、いつ、どこからやってきたのかわからない。ただ、突然目の前にある。それが悪夢の姿だ。理由がわからないから悪夢なのである。その理由とは原因-結果(過去-現在)というと同義のものである。過去-現在という時間の流れで書かれるべきものが、時制が無視されたために、突然、何かが有無をいわさない力で出現してきたという感じがする。3行目の「虫」は、そんなふうにして登場する。
 2行目と3行目との間には明らかに「時間の経過」があり、私はそれをあきらかにするために「やがて」ということばを補ってみたが、江代はそれを省略することで悪夢を強調するのである。

 次につづく2行も奇妙である。

脇の歩道に向けて露店が多くならんだので
背後にながい紅白縞のテントがつづく

 祭りかなにかの露店がならんだ風景なのだが、「ので」が奇妙である。(「歩道に向けて」の「向けて」も奇妙ではあるが)。「ので」は理由(原因)をあらわすが、露店がならんだとき、露店の前は歩道に向かって開かれ、背後は紅白縞で閉ざされるのはあたりまえのことである。そういうことに「理由」など必要ではない。必然的な現象にすぎないのに、なにか重要なことでもあるかのように強調されるために、それが「悪夢」に見える。
 江代は必要なときは原因-結果という因果関係を省略し、必要ではないときに原因-結果という因果関係をつけくわえる。「ので」ということばで。この錯乱のために、書かれていることが「悪夢」に見えるのだと思う。

 必要なとき、不必要なとき、を今引用した4行と2行で見ていくと、もう少し奇妙なものも見えてくる。江代が原因-結果という因果関係を省略したのは「時間」においてであり、つけくわえたのは「空間」においてである。

 悪夢の不思議さは、時間がぴったりはりついていて引き剥がせない(原因-結果という流れがない)ということと同時に、ここがここではなく同時に別な場所でもあるという印象に起因する。ちょうど5-6行目のように。露店を前から見れば背後の紅白縞の幕がずらりとならんでいる風景は見えないはずである。見えないものが同時に見られているのである。
 そして、この見えないものが同時に見られているという点から、1-4行目を読み直すと、それもまた見えないものが同時に見られているということにもなる。過去-現在が時間の経過としてではなく、一瞬のうちにぴったりとはりついて存在している。

 奇妙な密着感、存在を引き剥がせない苦しさ--悪夢。

 それを引き起こしていることばはなにか。「ので」である。「原因-結果」のという因果は江代の精神の内部では、とても強い力で働いているのだと思う。最初の4行には「ので」は書かれていないが、本当は存在する。つぎのように

昼間はまだ白い小石のある地面の方にいるので
ちかくの草には直接に触れていなかったが、
やがてその草かげに移動した虫は今、葉の上にきてとまっているので
上下に白い花を付けた植物のかげを身にまとっている

 書かれていないが「ので」の力、因果関係を無意識のうちに内部にとりこんでしまう力が「悪夢」を生み出している。「ので」の力で、すべての存在が、ぴったりとはりついて、引き剥がすことのできない世界をつくりだすのである。


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『渋沢孝輔全詩集』を読む。(32)

2006-07-24 22:40:20 | 詩集
 引用は、渋沢のこれまでの作品にもあった。だから引用そのものが特に新しい手法というわけではないが、『星曼陀羅』には特に引用が多い。「酒徳頌」に朔太郎が引用されていたことは23日の日記に書いた。引用は、そこでは朔太郎に自己を重ねるという形をとっている。他者に自己を重ねるとはとういうことか。他者になるということか。そういう面もあるが、渋沢の場合、他者の力を借りて自己を動かすという感じがする。

 「金比羅」は

 世界が真っ白になり、あるいは同じことだが、真っ暗になる。

 という文ではじまる。「真っ白」と「真っ暗」は常識的には同じことではないが、渋沢は「同じことだ」と書く。そして、この文章において重要なのは、正反対のものを「同じ」と呼ぶ論理ではなく、その論理を導き出す「あるいは」ということばである。
 この「あるいは」はとても複雑なことばである。
 辞書(広辞苑)には「あるときは」とか「どうかすると」という「意味」と説明している。これはとてもあいまいな定義である。しかし、渋沢のつかう「あるいは」はそういう意味ではないように思う。渋沢は「あるいは」に時間的な意味を込めていない。一瞬、今、という意味しかない。「あるいは同じことだが」は「同時に」と同じ意味を持つ。「真っ白」か「真っ暗」を判断するのは、「時間」の差異ではなく、渋沢の、今そのときの思考の基盤である。そして、その思考の基盤というのが「引用」と関係がある。仮定の論だが、朔太郎を思い出し、朔太郎のことば出発点に渋沢のことばを動かせば「真っ白」、淳三郎のことばを出発点にことばを動かせば「真っ黒」というようなことが起きる。「同じこと」とは、それがほかでもない渋沢自身の内部のことがら、精神にかかることがらだからである。渋沢の外部で起きることについては「真っ白」と「真っ黒」は同じであるとはいえない。そこには他者の判断基準がかかわってくる。しかし自分自身の精神の問題なら「同じこと」といえる。
 「あるいは」には実は意味はない。ただ渋沢の精神を動かすためにのみ存在することばである。ここに渋沢の特徴が非常によく現れていると思う。渋沢は書きたいテーマというものがあって書いているのではない。ことばを動かすために、ただそれだけのために書いている。渋沢が書いた詩に意味があるとすれば、それはことばはこんなふうに動きうるという可能性を示したということに尽きる。
 「金比羅」の2連目の最後の1行。

ますますわたしの中で動くものがある。

 その動くものは前後の文脈から特定すれば「蛇」ということになるかもしれないが、蛇は単なる象徴である。動くのはことばである。ことばを動かすために、引用し、ことばを動かすために故事に触れる。
 このときほんとうに存在するものはなんだろうか。ことばを動かすためのエネルギーと構造である。ことばを動かすエネルギーについては、たとえば「直列の詩学」がある。エネルギーについては、渋沢はさまざまに考察してきている。試みてきている。
 「構造」はどうだろうか。
 渋沢は『星曼陀羅』いぜんには散文体の詩をほとんど書いていない。『星曼陀羅』は散文体で書かれている。そのことを考えてみなければいけないのかもしれない。
 散文は渋沢にとっては虚無の構造なのである。(--この断言は、かなり急ぎすぎたものである。いずれもっと丁寧に書きたいと思うが、きょうはとりえあず、メモとして書いておく。)

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『渋沢孝輔全詩集』を読む。(31)

2006-07-23 14:55:51 | 詩集
 「愛執ぶり」(『星曼陀羅』)。これは、とてもおもしろい。

 ほとんどナンセンスあるいは語義矛盾に近い言い種かもしれぬものの、空無に執着する心、空無への愛執といってものにひそかに取り憑かれている精神というものも、時にみられるのではあるまいか。

 この書き出しを読むと、テーマは「空無への愛執」であると誰でも思う。ところが、この詩はまったく違う展開をする。最初の1行は、次のようにつづく。

愛執。人の男女のあいだのそれならいつの世にも珍しいことではないし、近頃では犬猫はもちろん、グロテスクな爬虫類にいたるまでのペットに対する愛執のほうが人間さま相手を凌いでいる有様で、何につけ上べだけでも愛し執しているふりをせぬことには人扱いされぬ勢いだが、われらが薫習されたところでは、愛執、愛着、哀惜は、その内容如何にかかわらず罪障のはずである。

 「愛執」ということばは、「空無」という仏教に通じることばに誘い出されたものだろうが、このことばに出会った瞬間から、詩が微妙にずれる。「空無への愛執」がテーマから思っていたら、突然、「愛執」そのものがテーマになり、「空無」はわきへ押し退けられる。と、思った瞬間、詩は、ふたたび転換する。

だが、空無への愛執というものがあるとすればどうか。そしてそれはどのような現れ方をするものなのであろう。

 ことばの運動が揺らぐのである。ふたたび「空無への愛執」へ戻る。このときの、論理(?)の転換のためのことばが「だが」なのだが、この「だが」のあとのことばの動きも、奇妙である。「空無への愛執」があるとすれば、それは「罪障」であるかどうか、と問いかけたあと、しかし「空無への愛執」がどのようなものであるか定義されていないことに気づき、それは「どのような現れ方をするものなのであろう」と問いをたたみかける。「空無への愛執」というものが具体的に定義されないまま、それがあるのではないか、と詩ははじめられたことになる。こうしたことばの運動は、たぶん、渋沢の初期からの性質であると思う。何かが明確になっていて、それを書くのではなく、何かよくわからないものがことばとして登場し、それに向けてことばを動かしていく。何も仮定しない。そのとき目の前にあるものを媒介にしてことばを動かしていく。どこまで動いて行けるか確かめる。どこまで動いて行けるか、ということばの実験をする。その実験が「詩」であるということだろう。

 「空無への愛執」というものがどういうものであるかはわからない。わからないまま、渋沢は、ふたたび「愛執」の方へ重心を映す。古典を題材に植物(梅)や小動物への「愛執」の例を紹介する。
 そして突然、

 さて、もし空無への愛執というものがあれば、ここからほんの少しだけ先の話のような気もするのだが……

 何も書いてないのである。「空無への愛執」と書きながら、その実態というか、それがどんな現れ方をするか、それがどんなふうに人間の罪障になるかなど、いっさい書かない。
 これはどういうことだろうか。渋沢が「空無への愛執」につてい何もわかっていないということである。しかし、だからこそ、私はこの詩がおもしろい。わからないこと、ことばにならないこと、ことばにできないことが、今、ここに存在する。それをなんとかことばにするために、わかっていることを書く。書きながら、ことばの運動を励ます。動け、動け、もっと先へと動け、と念じながら、ことばを動かしているようでもある。
 考えてみれば、「直列の詩学」のときから、渋沢はただことばを、今、ここから、ここではないどこかへ動かそうとしていたのだと思う。ただ、ことばを動かす。ことばの、ことば自身で動いていく力を引き出す。そういうものを「詩」のなかで再現したかったのだと思う。
 何もわかっていないもの--それは「空無」に似ているかもしれない。そこには何もないのではなく、何でもが可能性として存在する。そうしたものへの限りない「愛執」が支部沢にはある、ということだ。



 「無」については「酒徳頌」に、朔太郎のことばを引用しながら、次のように書いている。

永遠なるものは「無」のみ。自分に有るものももとその「無」のみであるなら、「過去に何物をも喪失せず、現に何物をも失はなかつた」ということにならないか。かくて彼は「喪心物のやうに空を見上げながら、自分の幸福に満足して、今日も昨日も、ひとりで閑雅な麦酒(ビール)を飲んでる」のである。虚無よ!  雲よ!  人生よ、と、それ自体千切れ雲のような詠嘆の声を挙げながら。

 「無」への共感がある。「愛執」までが、共感できる文章を探し出してきたということかもしれない。
 「無」は何もないのではない。何もかもがある。何もかもをひとことでいえば「自由」「解放」である。「自己解放」する「場」が「無」という時空間なのである。

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豊原清明「象に黒塗りする」

2006-07-22 14:35:28 | 詩集
 豊原清明「象に黒塗りする」(「白黒目」3)。
 豊原のことばは独自のリズムを持っている。ことばの凝縮と解放のバランスが自然に肉体感覚を呼び覚まし、笑いを誘うようになっている。「象に黒塗りする」の冒頭。

心の中の艶なる部分。
天地を刺して雲と成る。
病を押して風の陣。
夢の中で封鎖された
門の前、かすかに鳴る。
白いモンペを着て
飄々とした詩を愛し
愚か者になりましょう

 最初の3行は「漢文」のリズムである。漢文といってももちろん読みくだし文ではあるが。だからといって豊原は漢文のリズムで全体を書こうとはしない。そうしたリズムは現代にも残っているが、そのリズムで現代を描くことにはむりがある。もちろん漢文の文体を確立し、それで詩を書けばそれはそれで厳しい現代批判になるだろう。しかし豊原はそういうことはしない。豊原が目指しているのは意識(精神)を優先させて、ある意識からみれば現実はどういうものであるか、という批判を詩で書いているわけではない。豊原は自分のなかにあるリズムを外へ引き出す。そして、そのときいっしょに引き出されてくる肉体の解放感を楽しむ詩人だからである。(もちろん、そうした姿勢がそのまま現代批判にはなるが、それは豊原の意図したことではない。どういうことであれ、個人が個人の肉体をそのままさらけだせば、そういう肉体のあり方を抑圧している社会が見えるから、そこには現代批判がひそむが、それはまた別の問題だ。)
 「心の中の艶なる部分」とは傷ついていないこころの純粋さだろうか。それが天地を刺して雲に成る。この「成る」がおもしろい。心の中のものが外へ出ると「変形(変身)」してしまう。それを平然と「成る」と言う。まるで最初から「成る」ことを目指していたようなさわやかさがある。豊原はいつでも何かにさせられるのではなく、何かに「成る」というふうに自分の肉体を動かしていくのだろう。そこに不思議な明るさ、軽さがある。肉体が解放されると感じるのは、この明るさ、軽さのためである。書き方次第では暗く、重くなることを豊原は軽く、明るく書くのだ。

 しかし、どんなに明るく、軽くふるまっても、「傷」ついてしまうものがある。「心の中の艶」は「雲」になることで、どんなふうに傷ついたのか。「病を押して風の陣」の「病を押して」には「成る」ことの困難さが手短に書かれている。何かを隠したまま、書かれている。「傷」が隠されているのだ。

夢の中で封鎖された
門の前、かすかに鳴る。

 ここにはその「隠されたもの」が隠されたまま書かれている。何が「かすかに鳴る」のだろうか。主語が省略されている。書いた豊原にしか、何が省略されているかわからない。そして、豊原自身は省略したという意識がないだろう。書かなくてもわかるから書かなかったとしか考えないだろう。だからこそ、その書かれなかったことばが大事だ。前後の文脈からことばを探せば、「心の中の艶」になるだろう。「雲」に成った心の中の艶が、かすかに鳴っている。風に吹かれて鳴っている。そう読むとき、「成る」と「鳴る」が重なり合い、不思議な風景が見えてくる。心の中の艶の小さな悲鳴が聞こえてくる。
 その悲鳴を「詩」と呼んではいけないだろうか。
 豊原は、そこに豊原の「詩」を隠している。それが「詩」であることが豊原には自明のことだから、豊原は「詩が」と主語を書くことを省略してしまったのだ。
 豊原の本当の「詩」は夢の中で封鎖された門の前で、かすかに鳴っている。その「鳴っている」は「鳴いている」であり、同時に「泣いている」なのだと私は感じてしまう。
 そうした「傷」を隠したまま、豊原は明るく、軽く、生き続ける。

飄々とした詩を愛し
愚か者になりましょう

 ここでは「飄々とした詩を愛」することと、「愚か者」が同じ意味で書かれている。現代ではたしかに飄々とした詩のことばが社会を動かすということはないだろう。飄々とした詩は役立たずである。それを愛することは愚か者のすることだろう。自覚して、豊原はそう「なる」ことを選ぶ。
 「傷」は飄々とした詩を愛することのなかに隠したまま、愚か者、役立たずを選びとる。そこには本当は「傷」としての「詩」を守るというひそかな行為もひそんでいるかもしれない。
 こうしたことができるのは、たぶん豊原には肉体に対する強い信頼があるのだと思う。「詩」はどこかでかすかに鳴っている。泣いている。そしてそれは、ことばでつなぎとめるものではなく、肉体でつなぎとめるものなのだ。
 肉体はひとりひとり違う。それは触れ合うことはできても完全に混じり合うことはできない。しかし、本当か。実は、混じり合う。触れ合うときの「感触」のなかで溶け合い、ひとつになる。「詩」もそれに似ているだろう。
 肉体がそこにある。そして、その肉体のなかをことばが通って出てくるとき、「夢の中で封鎖された/門の前」ではなく、肉と骨と血でできた見えない門の前で、こころが泣くのだ。そのかすかな声は肉体が触れ合いながら、かすかに感じ取るものである。

日暮れのオヤジの生暖かい手の平。
オヤジは泣きながら債務者にお詫びする
ことばを便所で考えているのかな。

 オヤジの考えたことばはここには書かれていない。省略されている。それは「詩」である。豊原にとって自明であるからこそ、豊原は省略したが、誰にとっても自明のものである。いったん書かれてしまえば「ああ、そうだった」と読者のだれもが納得するしかないことばである。そうしたことばを「ああ、そうだった」と私たちが感じるのは、実は、そのことばが日々私たちが肉体のなかで繰り返していることばだからである。ことばにはしない。しかし肉体で繰り返している。そっとこころのなかにしまいこんでいる。
 そうしたものがあることを、豊原のことばは、いつも笑いのなかで広げてみせてくれる。ことばではなく、肉体としてみせてくれる。そこから先、ことばを実際に探すのは、たしかに一人一人の読者の仕事なのだから。
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豊原清明「さ迷う詩の炎」

2006-07-21 11:47:25 | 詩集
 豊原清明「さ迷う詩の炎」(「白黒目」3)。これは楽しい。傑作である。

一九九一年の淡路島と
二〇〇六年の淡路島。
まったくの豹変に
弱者が…生きにくい世の中に
なったのう。ワシ位の年になると
残りの人生、の後始末しかないのう。
賛美歌「夕日はかくれて道なお遠し」
ってことよ。
父は侘しそうに言って
お前は昼間やからの
と、付け足した。

 他人(と言っても父親だが)が、他人のまま肉体を持って描かれている。父親のことばにはきちんとした脈絡がないようにみえる。しかし本当は明確な脈絡がある。その脈絡は父親にはわかりすぎている。だから省略する。わかっていることを省略してしまうのが人間である。そして、それが省略されていてもわかってしまうのが、これまた人間である。このあたりのことばの呼吸を、豊原はしっかりとつかみとる。そして、そのまま再現する。加工しない。肉体でことばを呼吸し、肉体でことばを吐き出す。こうしたことができるのは、肉体の感応力(というものがあると仮定してだが)が、とてもすぐれているからだろう。

父は侘しそうに言って
お前は昼間やからの
と、付け足した。

 「侘しそうに」は声の響き(肉体をとおしたことば)から感じ取ったものである。肉体は肉体の微妙な変化を感じ取る。他人が侘しい声を出すとき、他人の侘しさを感じ取ってしまうのが肉体である。耳だけで感じるのではない。体全体で感じる。「付け足した。」のひとことが、また、肉体的である。
 父親は「夕日はかくれて道なお遠し」と言ったあと、それが明確には息子(豊原)に把握されていないことを感じ取ったのだろう。自分は一日にたとえれば「夕日(夕方)」であるが、「お前は昼間やからの」。それは言いたいことの本質ではない。父が言いたかったのは父が人生の夕方にさしかかっているということだけである。だが、それが明確につたわっていないと感じれば、ことばを付け足す。それはほんとうに、いま、ここにないものを、別の場所から探し出してきて、付けて足すというような行為である。
 「付け足す」ということばを、こんなにリアルな手触りのあることばとして感じたのは、これがはじめててある。「付け足す」とは、こういうふうにつかうのだと教えられた思いがする。

 豊原はもちろん父親が「付け足した」ことを知っている。なぜ付け足したかも知っている。だからこそ、「昼間」の豊原は、「夕日」の父親をひっぱるように動きだす。

炎天下、白髪がおもになった父を連れ、
鳥ノ山展望台へと
記憶たよりに進んでく。
そして裏側に入ってしまった。
汗がたぎつ。
孤独がたぎつ。
迷路のように!
でも岩屋のたこ焼きは
たこがちゃんとありましたぜ!

 「白髪がおもになった父を連れ」がなんともユーモラスである。あたたかい。この父親は、このあとも何度も豊原の思いと無関係に動く。その無関係さがとてもいい。他人の肉体なのだから、それが豊原の思いのまま動く方がおかしいといえばおかしいが、人はおうおうにして自分の肉体に合わせてくれる肉体を好むものであるが、豊原は、それが豊原の思いと重ならないからこそ、これが父親だと肉体で反応している。

汗がたぎつ。
孤独がたぎつ。
迷路のように!

の3行のリズム、「たぎつ」ということばのぶったぎったような響きの鮮烈さ、「孤独」ということばの強さもすばらしいが、それにつづく

でも岩屋のたこ焼きは
たこがちゃんとありましたぜ!

がすごい。絶望的なおかしさ、絶対的な笑いが、肉体を攪拌してしまう。この瞬間に、豊原と父の肉体の差異がなくなる。とけあって、ひとつになる。たこ焼きにたこが入っていたということを、二人はそれぞれ別のたこ焼きを食べながら同意する。肉体で同意する。食べることの楽しさ--というものをこの詩は書いているわけではないが、ふいにたこ焼きを食べたくなるような、肉体を刺激することばだ。
 ふたりの肉体は融合し、ひとつになり、そしてそこからふたたび、豊原と父の肉体は離れ、無関係なものとなり、反応し合う。肉体の融合があったからこそ、それが生き生きとというのは変な表現かもしれないが、とてもリアルに立ち上がってくる。
 特に父の描写がとてもすばらしい。頭のなかのことばで受け止めるのではなく、肉体で受け止め、反応し、それがことばになったものだけを書いているからだろう。

 少部数の詩誌とあとがきに書いてあるので、この作品に直接触れる機会のある人は少ないだろう。後半もそのまま引用する。

鳥ノ山…
足の関節を折り
帽子を忘れたから「禿げる! 」
父は叫び 僕はいたたまれなくなって
石の階段に座った。
そこは墓場だった!
不吉なものを感じて
見るな!
墓を見るな!
柩をもって
お経をあげてくる一団
墓の周辺をはいかいしている
そうしきや!
そうしきや!
そうしきや!
父は3回、叫んでアアと落胆した。
僕たちはフェリーのあの岩屋まで
戻ってふたたび舟の人にきき
登っていったら
やっと鳥ノ山展望台!
かんかんと太陽がふりそそぐ
ベンチに坐って
ハンカチを頭に乗せた
父を撮影した。
1991年の時、好きだった
田んぼもコンクリートになっていた!
茶間川を見つめながら、
フェリーに乗って
明石へ帰る

日暮れても尚人類に「道」はない
日暮れても尚僕は詩を唄おう
僕の心には野原の綿がしとしとと、漂う。
小さな夢の、
炎が走る!

 なんだか淡路島へ行って、鳥ノ山展望台へ登れば詩が書けるぞ、という気持ちになってくる。
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新川和江『詩の履歴書』(その3)

2006-07-20 10:28:36 | 詩集
 18日、19日に書いた新川和江『詩の履歴書』(思潮社)の感想の、さらにつづき。

 「頭」で書くこと、「肉体」で書くこと。この違いについて私が考えていることを説明するのに都合がいいので、何度でも新川の作品を引用する。

わたしを通ってゆきなさい
わたしはそれで活力を得て一篇の詩を書きます
あしたになったら
ユリの茎のリフトを昇ってごらんなさい
階上には聖なる礼拝堂がある
それとも庭にくるキジバトに飲んでもらって
思いがけない方角の空に飛んで行く?

 この連に私は新川の肉体を感じるが、ではここに「頭」はないのかというと、そうではなく、「頭」はちゃんとある。ただし、あり方が違う。
 「ユリの茎のリフトを昇ってごらんなさい」には、植物が地下から水を吸い上げて生きているという認識がある。「階上には聖なる礼拝堂がある」はユリの花を「礼拝堂」にたとえているのだが、そのことばの動きのなかには「白(ユリの白)」と「聖なる」ものの「白」が交差している。白を「聖」ととらえる認識がひそんでいる。
 「庭にくるキジバトに飲んでもらって/思いがけない方角の空に飛んで行く?」というのは完全な空想である。空想は「頭」でするものである。
 こう読んでいけば、私が新川の肉体を感じた行も「頭」でつくられたものであることがわかる。しかし、同じ「頭」で動かしたことばであっても、その動かし方が違う。

 この連では、「頭」は遊びのために動いている。「みなもと」だとか「万象」だとか「天」だとかいう、いわば精神を収斂させて、「哲学」を明らかにさせるためには動いていない。ただただ自由になるためにことばは動いている。水の動きを空想するとき、新川の体は人間の体から解放され、自由にうごきまわる。
 私が「頭」で書いていると批判した部分は、「みなもと」「天」など、いわば一点へ向かって収斂する、理想に向かって収斂するのに対し、「ユリ」や「キジバト」は、そういう「収斂する理想」を拒否している。そこに自由がある。解放がある。
 一点を拒否しているというあり方は「それとも」ということばに象徴的にあらわれている。「天」か、それとも「地」か、というふうに普通は「それとも」は対極にあるものを向き合わせ、その一方を選ぶよう決断を迫ることばである。しかし、新川は「それとも」をここではそんなふうにつかっていない。「ユリ」のなかの水、「キジバト」のなかの水はまったく関係がない。対極の関係にはない。
 「それとも」は単なる並列をあらわしている。どっちだっていい。もっといえば、「ユリ」や「キジバト」以外のなんであってもいい。どんな存在のなかに水が流れていってもいいのだ。ここではない、どこかへ行けば、それでいいのだ。子どもが無邪気に目的もなく走り回るようにことばが動いている。ここではないどこかへ、ただそれだけを願って動いている。

 新川の詩を輝かせているのは、そういう自由さである。そして、その自由をささえているのが「それとも」という新川独自のことばのつかいかたである。対立させるのではなく、ある存在を並列して呼び寄せる「それとも」ということば。
 新川の詩作の歴史にそっていえば、批評精神に満ちた「現代詩」か、それとも「愛の詩」か。そのとき、新川は「愛の詩」を選んではいるが、その選びかたは「現代詩」を拒絶してのことではない。「現代詩」を否定してのことではない。「現代詩」は「現代詩」として生きていればいい。新川は、それとは別の「詩」を書く。「それとも」には他者(自己以外のもの)を受け入れる寛容なこころが広がっている。
 寛容さが新川の詩のいのちであるといってもいい。
 ことばをとおして私たちは遊ぶのだ。その遊びを受け入れる豊かさが新川の「それとも」にはある。「ユリになる? それともキジバトになる?」そう誘いかけながら、新川は、私たちの肉体を解放する。遊ばせる。遊びのなかでこそ、誰ともいっしょに暮らすための「知恵」が隠れている。
 新川が「主知的」と批判している「現代詩」の「知」が「知識」の「知」であるなら、新川のやわらかなことばのなかに生きている「知」は「知恵」の「知」である。「知恵」は遊び、他者とのさまざまなふれあいのなかで豊かになっていく。

 このエッセイの冒頭に「ballad」という作品がかかげられている。とても魅力的な詩である。本当はこの作品についてこそ書くべきだったかもしれないと、いま、少し反省しているのだが……。
 その冒頭の4行。

〈あの人を愛している〉
ある日わたしはとうとう言ってしまいました
熟した豆がひとりでに
はじけてこぼれるように です

 ここに書かれている「愛している」は「知識」ではない。人は「愛している」と認識しているから「愛している」と言うのではない。「愛している」と言わないと自分がどうにかなってしまいそうだと知っているから言うのだ。そう言うことで自分自身を守るのだ。人間には、そういう「知恵」がある。
 「熟した豆がひとりでに」の「ひとりでに」は「自然に」と同じである。ある極限がくると自然に動きだすものがある。それが「知恵」である。誰かに教わったものではない。どうしてもそれを教えてくれた誰かを特定しなければならないとしたら、それは、延々とつづくいのちが教えてくれたものである。「知識」は誰かから教わるものである。「知恵」は教わるという意識もなしに、自然に、さまざまのものとの触れ合いのなかで身につけるのものである。体、肉体にしみこませるものである。

 「知識」と「知恵」についての補足。
 この詩には「知」という文字が2度出てくる。「のどがかわいている」と訴えるミューズに対しての答えである。

わたしはりんごの木のありかを知っていました
きれいな水のふき出す泉も知っていました

 ここで書かれている「知」は「知識」のように見えるかもしれない。りんごの木、泉のありかを認識している。「知識」として知っている。だが、それは「頭」だけで知っているのではない。
 新川がここで「知っている」というとき、そこには歩いて行ける距離というものが自然に配慮されている。他人の肉体が配慮されている。他人は常に肉体を持っているということが配慮されている。
 こういう配慮を「知恵」と言う。肉体にしみこんだ「思想」と、私は呼ぶ。肉体を持った「思想」が人を温かい気持ちにさせる。
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新川和江『詩の履歴書』(その2)

2006-07-19 23:15:41 | 詩集
 きのう書いた新川和江『詩の履歴書』(思潮社)の感想のつづきを書く。

 このエッセイの中で新川は何度も「現代詩」に言及している。「現代詩」への違和感を語っている。感性や愛よりも社会批評を重視した作品へのアンチテーゼとして詩を書き続けたと語っている。
 たしかに新川が語っていることはそのとおりだと思うが、その一方、私は新川の作品もまぎれもなく「現代詩」の姿を兼ね備えていると思う。きのう引用した作品についていえば、
 
おまえはいつだって 今がはじまり
いま在るところが みなもと

は「主知的」な発想であり、ことばの動きである。最終連の

萬象のいのちをめぐり
悲しみの淵をほぐし
つねに つねに
天に向って朗らかに立ち昇ってゆく……

も同じように「主知的」であると思う。「今がはじまり」「いま在るところ」「萬象」「天」などは肉体では把握できない。「頭」で把握したものである。特に「萬象」が抽象的で、「頭」でしかとらえられないもののように私には思える。
 「頭」でしかとらえられないものを、無意識につかってしまうのだと思うが、その無意識のありようが、すでに「主知的」なのだと思う。
 唐突な比較、印象的な比較で申し訳ないのだが、谷川俊太郎なら、ここでこういうことばはつかわないだろう。大岡信ならつかうかもしれない。いや、やっぱりつかわないだろう。谷川や大岡は、たぶん、書いていることばに対して、新川よりももっと自覚的である。批判的である。--そういう態度をこそ、新川は「主知的」と言っているのかもしれないが……。

 少し脱線したようなので、もとに戻る。
 肉眼は、2連目の「ユリ」や「キジバト」はくっきりと見ることができる。しかし「萬象」は見ることができない。それがほんとうに「万」あるかどうか肉眼は数えることができない。「萬象のいのち」となれば、いっそう肉体で把握することはできない。「ユリ」や「キジバト」の一本一本、一羽一羽にならさわることができる。その内部で動いているものも感じることはできる。しかし1万本のユリ、1万羽のキジバトはむりだし、1万もの違った花や鳥に触って確かめることもできない。そういうことは、「頭」でしか把握できない。そうした「頭」でしか把握できないものを簡単にできるかのように書いてしまうことを、私は「主知的」と呼ぶ。「万象」というとき、新川は肉体ではなく、頭で万象を整理して、把握している。そこには知の操作がある。
 ただし「主知的」とは言っても、そんなにややこしくはない。哲学書を、あるいはその解説書をそばにおいて読まなければわからないというような「観念的」なものではない。たぶん、私が「主知的」と指摘した部分について、新川は「どうして、それが主知的?」と疑問を持つと思う。私が指摘した部分は、たぶん、新川にとっては「肉体」そのものになっているのだと思う。
 「はじまり」「みなもと」「在る」「万象」「天」ということばは日常において繰り返しつかわれるものかどうか一概には言えないけれど、新川はそういうことばを日常的につかい、それに親しんでいる。先に私が「無意識」と書いたのは、そういうことを指す。
 「ユリ」や「キジバト」ということばをつかうときよりは、ちょっとだけ気取り、緊張のようなものがあるかもしれないが、そうした緊張や気取りそのものが日常的であるのだと思う。
 これはいいとか悪いとかの問題ではない。
 新川はもともと非常に「頭脳的」な人間なのだと思う。そうしたことを小さいときから(子どものときから)、繰り返しおこなってきた人間なのだと思う。たいへん頭のいい子ども、がっこうの成績でいえば優等生だったのだと思う。

 こうした人間にもし問題があるとしたら(主知的であることが問題であるとしたら)、「知」とはたぶんに体制的であるということだ。「主知的」というときの「知」はたいていは権力にとって便利なものであるということだ。体制をスムーズに動かしていく、社会をスムーズに動かしていくことに「知」はしばしばつかわれる。そのとき、そうした「知」は体制に都合がいいものである。体制に抵抗するものは「主知的」というふうには好意的に受け入れられない。
 こんなことを書くのは、実は、きのう引用した文章には省略があり、その部分に気がかりなことばがあるからだ。

 おおかたの真理は、すぐれた先人たちによって、言いつくされているにちがいない。けれども私は、それを実生活の中で、自分の五感を通して体得してゆきたい。それには原初の人たちがそうであったように、水や火のそば--つまり台所が、私にはもっともふさわしく思われるのである。

 「水や火のそば」を新川はすぐに「台所」と言い換えている。ここに私はかなり抵抗を感じる。新川の書いている水、火は生活に密着した水、火である。人間の肉体で制御する水と火である。その管理を、体制は長い間、女性にまかせてきた、といえば聞こえがいいが、そういうものを守る人間が必要だということを繰り返し繰り返し、女性に教えてきた。その結果として「水や火のそば--つまり台所が、私にはもっともふさわしく思われるのである。」と新川に言わせているのである。ここで語られる「私にふさわしい場所は台所である」という認識(知)は、実は体制が長い時間をかけて作り上げてきたものにほかならない。そういうことに対して新川は無意識であるか、無防備でありすぎる。そのことが私には不満である。
 視点を変えていえば、「水と火」なら、現代では何よりも発電所である。巨大な量の水と巨大な量の火をつかって電気を作っている。あらゆる動力のもとをつくっている。こういう仕事は食べ物を料理し、家族に提供するのと同じように、昔からおこなわれてきた。そしてそういう仕事は「男」の仕事と定義され、女性は「台所」に押しやられていた。そうしたことに対する批判が新川には不足しているように感じられる。

 新川が「ユリ」や「キジバト」を魅力的に書き、そうした植物や鳥と、肉体として一体になる感覚はとてもすばらしい。そこから動きだすことばはとても美しい。そうしたものに共感するからこそ、私は、どうしても苦言をいいたくなる。
 その魅力的な肉体のことばから、簡単に「台所」へ引き返さないでほしい、と。新川が「台所」へ引き返すとき、彼女につづく多くの女性詩人が「台所」へ引き返してしまう。そうではなくて、「台所」で鍛え上げた肉体で、「台所」の外へ飛び出していくこと、「台所」の外でもういちど裸の肉体になることが必要なのだと思う。
 新川が「現代詩」のアンチテーゼとして詩を書いているように、いま、多くの女性詩人が「台所詩」をアンチテーゼとして詩を書いている。そうしたことを少しでいいからこころにとめておいて欲しいと私は願う。そして、「台所」とは違う場で、新川の肉体を動かし、ことばを動かしてほしいと祈らずにはいられない。

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新川和江『詩の履歴書』

2006-07-18 23:23:58 | 詩集
 新川和江『詩の履歴書』(思潮社)。
 私は詩人の自注というものをあまり読まない。詩人が力を入れて(?)書いた部分と私が感動する部分はしばしばかさならない。詩人が「思想」を託した行と、私が「思想」を感じる行は微妙にずれている。
 このことは「somethig」によせたエッセイの感想でも書いた。同じことを、繰り返して書く。「火のそば、水のそば」は「水」という作品によせたエッセイである。まず、「水」を引用しておく。

泣いているのか 夜更けに台所で
ぽと ぽと と垂れる水滴
陽の目も見ずに
暗い下水道へ流れこまねばならぬ運命を
コップに受けよう 深い大きなバケツにも
おまえはいつだって 今がはじまり
いま在るところが みなもと
どんなに遠くからやってきたとしても

わたしを通ってゆきなさい
わたしはそれで活力を得て一篇の詩を書きます
あしたになったら
ユリの茎のリフトを昇ってごらんなさい
階上には聖なる礼拝堂がある
それとも庭にくるキジバトに飲んでもらって
思いがけない方角の空に飛んで行く?

ああ わたしがときどき流す涙も
ぜひそのようでありたい
萬象のいのちをめぐり
悲しみの淵をほぐし
つねに つねに
天に向って朗らかに立ち昇ってゆく……

 この作品について、新川は次のように書く。

 私は、コップに受けよう、バケツにも、と実際に応急処置をして不仕合わせな運命の水を慰めた。物理的ないたわりだけでなしに、〈おまえはいつだって 今がはじまり/いま在るところが みなもと〉と、言葉をかけてやっている。この二行は、この詩を書くにあたって、一番深く考えた箇所だった。

 だが、私は、その行には感動しなかった。
 新川はこのエッセイのなかで、新川の詩は「現代詩」とはずいぶん違っていると自覚していると書いている。また、「現代詩」に対抗するように書いても来たと書いている。それはそうなのだろうと思うけれど、自慢の2行が私には「現代詩」に見えてしまうのである。
 私が感動したのは、2連目である。「わたしを通ってゆきなさい」の大胆な表現にまず感動する。私は単純に新川が水を飲み、排泄するという行為を思い浮かべ、この単純さがとてもいいと思う。新川の飲んだ水はあるものは汗になり、あるものはおしっこになる。それはもとの水ではない。汚れている。新川の体を清潔にした反作用として汚れている。その汚れがいいのだ。汚れのなかにある反作用から、新川のどんな部分がきれいに洗い清められたかがわかる。
 新川が水を飲むように、ユリも水を飲む。水を地中から吸い上げる。庭に来るキジバトも水を飲む。そう書くとき、新川はユリになり、キジバトになる。その瞬間、新川がユリやキジバトと同じものでできていることを知る。新川は人間であるけれど、人間以外のものでもあるのだ。人間以外のものを肉体のなかに抱え込んでいるのだ。ときにはユリのことばを話し、ユリの見る夢を自分自身の夢として見てしまう。喉の渇いたキジバトになり、真剣に水を飲む。人間の肉体は、いや、新川の肉体はユリという植物にも、キジバトという動物にも共感する力を持っているのだ。新川の肉体には、そういう自然が残っているのだ。そのことに、私は、まず感動する。
 そして、新川がユリになり、キジバトになるとき、新川の肉体からユリとキジバトが離れていく。ことばになってき、新川から離れていく。そのとき、純粋な新川の肉体、一糸まとわぬ裸体の輝きが広がる。その輝きは、ユリになった「水」、キジバトになった「水」の形で輝いているので、私たちは一瞬、それを新川の肉体、新川の裸体とは思わない。けれども、そのユリ、そのキジバトこそが新川の肉体なのだ。純粋な肉体なのだ。

 これに比べれば、新川が自画自賛している2行は肉体ではなく、「頭」である。新川自身が「一番深く考えた箇所」と書いているように、それは肉体が共感したものではなく、頭で「考えた」ものである。ユリやキジバトの行のように、肉体が反応しているわけではない。新川の肉体がユリやキジバトと重なり合ったようには、ここでは新川の肉体は「いま在るところが みなもと」ということばに重なり合わない。「考え」が重なり合っているだけである。



 「考え」を新川は「真理」とも言い換えている。先に引用した自画自賛の文章のあとに、新川はつづけて書いている。

物理的ないたわりだけでなしに、〈おまえはいつだって 今がはじまり/いま在るところが みなもと〉と、言葉をかけてやっている。この二行は、この詩を書くにあたって、一番深く考えた箇所だった。水の運命を考えながら私は、このことを発見した--とその時点では、得意になっていたように思う。
 しかし、ずっとのちになって、必要があって折り折りに読んだ幾冊かの書物で、同じことを、すでにレオナルド・ダビンチが、老子が、良寛が、言っているのを知ったのだった。
 おおかたの真理は、すぐれた先人たちによって、言いつくされているにちがいない。けれども私は、それを実生活の中で、自分の五感を通して体得してゆきたい。

 「真理」は確かに何人もの先人によって語られている。だからこそ「真理」なのであろう。「考え」というものは、つきつめればどうしたってそこへたどりついてしまうしかないものである。だから、それはあらゆる人によって同じように「考え」られてしまうものでもある。頭、思考によって共有されるのが「真理」である。
 「真理」にたどりつくのもことばの重要な仕事ではあるけれど、そうではなく、「真理」ではないものを語ってしまうのもことばの大事な仕事である。水がユリの茎のなかをリフトをのぼると礼拝堂がある、水はキジバトに「飲んでもらって」遠く飛んで行く。こうしたことは「真理」ではない。新川のかってな思い込み、勘違い、誤謬、いわば「思考の汚れ」のようなものであろう。新川にしかできない「思考の汚し方」といえばいいだろうか。だからこそ、そこには新川しかいない。「先人」が入り込む余地がない。
 「五感を通して体得」と新川は書く。その「体得」と書くときの「体」--それこそが私が「肉体」と呼んでいるものだ。
 この詩では、新川はユリとキジバトを「体得」している。新川の体、肉体はユリになり、キジバトになっている。そこがすばらしい。
 私は、たぶん、いつでも作者が得意になって書いた部分とは違う部分に感動していると思う。たぶん私は、新川がいう「先人」たちによって語られた「真理」にはあまり興味がないのだ。そうしたものより、いま目の前にある肉体の感覚が好きなのだと思う。
コメント (1)
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