詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(58)

2023-11-30 19:38:18 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「夏」。

ヒナゲシは夏の手首にはまった腕時計。

 この「はまった」は原語では何と書いてあるのだろうか。
 ふつうは、手首に「はめた」かもしれない。ボタンをはめる、は、ボタンをとめる。ある決まった位置に「はめる」。その位置でなければならない。
 真夏の強い光のなかで、すべてが「定位置」に存在する。
 この強烈な感じが、他の行に登場する「吊るされている」「宙吊りにする」という不思議なことばをいっそう印象づける。「吊るされている」「宙吊りにする」をゆるぎないものにするためには、「はまった」の一言が絶対に必要なのだ。他動詞「はめる」ではなく、自動詞「はまる」が。「びったり、はまる」。
 書かれていないが、「ぴったり」が、「吊るされている」「宙吊りにする」を「ぴったり」に変える。それでしかあり得ないものに変える。


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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(57)

2023-11-29 21:09:17 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「顔」。たとえば鏡を見ていると仮定する。鏡のなかで「きみ」が涙を流す。きみは、それを見ているのか。それとも鏡のなかの「きみ」から見られているのか。涙は、二筋ほほを伝う。

そして、きみは知らない。どちらの水がきみの心をいちばん動かそうとしているのかを。

 「答え」を探し始めるとき、「いちばん」ということばが気にかかる。選択肢はいくつあるのか。「いちばん」ということばがなければ、たぶん、悩まない。「いちばん」ということばがなければ、たとえば私は、その「顔」が鏡のなかにあるとも思わなかったかもしれない。
 「いちばん」ということばのなかにあるのは「ひとつ」。しかし、その「ひとつ」ということばが、「複数」の選択肢を生み出してしまう。
 カヴァフィスのことば、世界には選択肢はひとつしかない。しかし、リッツォスの世界には、いつも選択肢が複数ある。世界はしずかに分裂していく。

 

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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(56)

2023-11-28 22:40:53 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 ここからはヤニス・リッツォスの詩。カヴァフィスとは、声(音)の響きが違う。カヴァフィスの詩のように一行だけ抜き出して、そこからリッツォスの魅力を語るのは難しいかもしれない。しかし、一行だけ、をつづけてみる。
 最初の詩は「単純性の意味」。

(きみに語るためにこういう言い方になるのです)

 「文体」がストレートではない。カヴァフィスのことばはまっすぐだけで構成される。そして、そのスピードは、とても速い。リッツォスはスピードに抑制がある。そして、その抑制がストレートさえも微妙に揺らいでいるように見せかける。
 「きみに語るためにこういう言い方になる」でも「きみに語るためにこういう言い方になります」でもない。「なるのです」。追加された「のです」が、この詩の独特のスピードである。

 

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田原『犬とわたし』

2023-11-28 16:15:07 | 詩集

 

田原『犬とわたし』(絵・いがらしみきお)(澪標、2023年11月20日発行)

 田原『犬とわたし』は絵本。
 犬と出会い、犬と別れる。思い出が残る。思い出は死なない。死なないというよりも、何度でも生き返ってくる。思い出が生き返るとき、また、犬も生き返る。
 しかし、このとき、そこには「哲学」がない。「思想」がない。そして、その「哲学がない、思想がない」ということこそ、「絶対的な哲学」なのだ。世界で存在しうる(存在に耐えられる)たったひとつの「事実」だ。
 こう言い直そう。
 哲学なしに、思想なしに、どんないのちも生きてはいけない。生きているいのちは、みんな哲学、思想をもっている。それをことばにするか、ことばにしないか、だけである。ことばにしなかったからといって、そこに思想がないとは言えない。ことばをもたないいのちに対して思想がないと考えるのは、ことばもたないいのちと向き合っているその本人に思想がないからだとも言える。
 ことばを発しないいのちから何を聞きとるか。
 安易にことばを与えれば、それは嘘になる。
 田原のことばは、嘘になる前で踏みとどまっている。だから、何も語らない犬からのことばが自然に聞こえてくる。
 絵本の主人公の少年が犬のことを忘れないように、犬もまた少年を忘れることはない。

いつも一緒、
いつも一緒に走っていた。

 前半に出てくるなんでもないようなことばだが、繰り返されている「いつも一緒、」が、この絵本を貫く思想である。哲学である。世界に存在しうるに値するたった一つの事実である。
 人間が語る哲学(思想)で、私は「みんなが幸せになれるように」ということば以上のものを聞いたことがないし、読んだこともないが、「みんなが幸せになれるように」のなかにも、実は「いつも一緒」がある。「いつも一緒」以上の哲学、思想は、この世には存在しない。

お正月に、
肉のついている骨をかじるわたしを
じっと見つめて
よだれを垂らす犬はとてもかわいかった。

 ああ、このとき、犬はただよだれを垂らしているのではない。一緒に骨つきの肉にかぶりついているし、骨つきの肉にかぶりつく少年を「とてもかわいい」と思って見ているのである。まるで母親が骨つきの肉にかぶりつく子どもを「とてもかわいい」と思って見ているように。そして、同時に、母親は、子どもになって骨つきの肉にかぶりついている。この「いつも一緒」を「一体になる」という。
 おかしいのは(楽しいのは)、絵である。
 この絵本の犬は、田原そっくりの目をしている。田原に出会っていなかったら、いがらしみきおは、こんな顔の(こんな目の)犬を描かなかっただろう。いがらしの描く犬は、その絵は、犬と田原が「いつも一緒」にいること、「一体」であることを証明している。それがとても愉快だ。

 

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粕谷栄市『楽園』

2023-11-28 00:28:33 | 詩集

 

粕谷栄市『楽園』(思潮社、2023年10月25日発行)

 粕谷栄市『楽園』の、一連の詩を「森羅」で読み始めたとき、「困ったなあ」と思った。感想はあるのだが(そして何回か書いたことがあると思うのだが)、ほんとうの感想はないのだ。「あ、これは、おわらないなあ」と思う。簡単に言えば「夢をみた」、その夢を書いているのだが、「夢をみた」ということを繰り返し読んでも、それから先に進まない。「ああ、そういう夢をみたんですね」と言えば、それでお終い。
 いや、そうじゃないんだなあ。
 「要約」してしまえば、そうなってしまうが、その「要約」を拒んで、ただ、そこにことばがある。「要約」を粕谷はすでに知っていて、それでもことばを書いている。「要約」したとき、そこからこぼれおちるもの(?)こそが詩だからである。こぼれおちるではなく「要約」のシステムでは掬い取れないものが詩だからである。
 それは、なにか。
 「小さな花」は、こうはじまっている。

 この世の日々をよく生きるためには、どんなささやか
なものでもいい、何かしら楽しみを持つことだ。
 誰もが、そう思うだろう。特に、心に悩みがあって、
苦しい暮らしを過ごしている者には、一層、それが、必
要だと言える。

 一段落と二段落のあいだには「飛躍」がない。ずるずる、っとつづいている。粕谷は読点を多用する。読点は、一種の「区切り」だが、そこにあるのは「見せかけ」の区切りであって、それは「区切る」というよりは、むしろ「接続」を促している。ずるずる、っとつながっていく。
 一連目の「楽しみ」と二連目の「こころに悩みがあって」の関係など、反対のことば(概念)が、ずるずるつながっているのだが、それが、わかるように、わからないように、なっている。

 だが、そのような人々に限って、そのための自由な時
間がない。それでも、何とか、努力して、それを見つけ
て、悦びを得ている男を、私は知っている。もちろん、
誰も気づかないような、ささやかな楽しみだ。

 ここまで進んで、何か変わったのかなあ。「男」が出てきて、「私」も出てきたのだが、「ささやかな楽しみ」というくらいだから、びっくりするようなことは起きない。言い換えれば、特に書かなければならないようなことは起きない。
 でもね。
 「ささやか」。そう、それは「ささやか」と書くことができる。大したことではない。書くようなことではない。でも「ささやか」と書くことができる。この「ささやか」は、ほら、一行目にもあった。循環する。つまり、終わらない。
 これだね、問題は。
 書くことはない。しかし、書くことはできる、と書くことができるだろうと書いたのはベケットの小説のなかのだれかだったか、戯曲のなかのだれかだったか、私はもう忘れてしまったが、粕谷が書いているのはそういうことだ。ことばを書くということは、終わらないことだ。終わらなくても、かまわない。結論がなくてもかまわない。「要約」なんか、意味がない。どんなときにも、どんなことでも、大事ではないこと、いらないこと(不要なこと)でも、書くことができる。
 つまり。
 ことばは、なんにでも「かかわる」ことができる。「ささやか」なもの。書かなくてもいいようなこと、終わらないようなことも書くことができる。変化があればあったと書くし、変化がなければなかったと書くことができる。そうやって、ことばで「時間」を埋めていくことができる。
 そして、これがいちばんの問題なのだが。
 そのことばで時間を埋めていくときの「リズム」、これが、粕谷の場合、変わらないのだ。粕谷は「関わり方」を変えずに、生きているのだ。よくもまあ、こんなに変わらないリズムのまま、「夢をみた」の「夢の対象」だけを入れ替えたような詩を延々と(ずるずると)書けるもんだなあ。
 書けるもんだなあというのは、私のいい加減な感想なのだが、粕谷は「いい加減」なことはせず、実にていねいにていねいに「ずるずる」と書く。繰り返しになるが「関わり方」を変えない。「生きるとは関わることだ、関わり方を変えると死んでしまう」と言っているようにも感じられる。
 だから。
 わああ、すごいなあ。よく飽きないなあ。よく、終わらないことをつづけられるなあ。この変わることのない「文体」というのは、やっぱり、すごいものだ、と私は思わず書かずにはいられない。

 一度だけ、短い夢のなかで、私は、菫の花の鉢を抱え
て、笑っている彼のすがたを見た。
 おそらく、死ぬまで、私が、それを忘れないだろう。
彼は、本当に、楽しそうだった。深く、心に残ることは、
夢のなかにあるということだろうか。

 ここに書かれていることばをまねして言えば、私は、粕谷がことばがつまった鉢を抱え、彼が知っているたったひとつのリズムにのせて、その鉢のなかのことばを全部つかってしまおうと遊んでいる姿をみた。ほんとうに楽しそうだ。私のこころに残るのは、そのとぎれることのない「ずるずる」のリズム、読点を多用して「ずるずる」ではなく「ぶつぶつ」を装った果てしなさを愛している粕谷の姿である。

 

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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(55)

2023-11-27 22:11:53 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「半時間」。詩人は、バーでミューズに会う。半時間を過ごす。そして、それを詩に書いた。

分かってらしたのだと思います。

 分かっていることが、分かっている。そのことを念押しをするようにして書いているのだが、「分かっていたんだと思う(思います)」とは印象が違う。「事実関係」はかわりないのだが、その「事実」に対する「関わり方」が違う。
 この「……てらした」という言い回しは、女性的で、その情勢的な部分を「控え目」と言い直すと、「女性=控え目」という定義を押しつけることになり、いまの時代にはそぐわないかもしれないが、この「控え目」な関わり方に、何か絶対的な真実がある。絶対的な「生き方」、行動の仕方がある。そこには、カヴァフィスの絶望と、あきらめもある。そして、その絶望、あきらめが、カヴァフィスのことばを絶対的なものにしている。
 中井の訳は、その絶対的なものを、非常に的確につかみ取り、生々しく日本語にしている。

 

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Estoy Loco por España(番外篇411)Obra, Xose Gomez Rivada

2023-11-25 18:12:23 | estoy loco por espana

Obra, Xose Gomez Rivada  

 "No importa lo que represente. Lo que importa es cómo interactúa con lo que hay allí", respondió el hombre. ¿Se trata del objeto o del material? "Las cosas creadas o pintadas no son objetos ni materiales. Existen separadamente de los objetos y materiales. Mirando las cosas creadas o pintadas, e imaginando su existencia (modelos) ya es una falta de imaginación", añadió el hombre.

 "El arte o el artista se acerca a la forma de existencia de la existencia. Y la forma de existencia sólo se puede encontrar en el movimiento. Las obras son el resultado de una implicación continua con algo, y cuando una obra existe, la existencia que existía hasta entonces, ya sea era un modelo o un material, ha desaparecido. Además, el movimiento que implicaba también ha desaparecido, y si alguna vez vuelve a existir, será porque el espectador está involucrado en la obra". 

 「それが何をあらわしているかは問題ではない。そこにあるものに対して、どう関わったかが問題なのだ」と男は答えた。それは対象のことか、素材のことか。「つくられたもの、描かれたものは、すでに対象でも素材でもない。対象きも素材とも別の存在である。つくられたもの、描かれたものを見て、存在(モデル)を想像することは、すでに想像力の敗北である」と男は付け加えた。

 「そこにある存在の、存在のあり方に迫るのが芸術だ。そして存在のあり方というのは、運動のなかにしかない。何かに関わりつづけた結果生まれたのが作品であり、作品が存在するとき、それまでの存在はモデルであれ、素材であり、消滅している。そして、関わり続けたという運動も、消滅しており、それがふたたび存在するとしたら、それはその作品に対して鑑賞者が関わっていくときだけである」

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Estoy Loco por España(番外篇410)Obra, Joaquín Llorens

2023-11-24 22:34:10 | estoy loco por espana

Obra, Joaquín Llorens 
Técnica ,hierro a,d. 55x27x10 A,S,Y.

 Este trabajo parece haber surgido de forma natural en lugar de haber sido creado. No hay ningún artificiosa.
 Hay "MUSIN (o sin-corazón)".
 Preguntó Joaquín mientras tocaba las chatarras cercanas. "¿Qué forma quieres tener?" La chatarra no responde, pero sus manos que tocaa el hierro sienten la respuesta. Sus manos se mueven mientras  oyendo las voces de los hierros. Muy silenciosamente.
 Esta obra transmite la quietud de esos movimientos de sus manos.

 De repente recordé la palabra "wabi-sabi". Algo que me haga sentir "wabi-sabi". Ni siquiera hay en ello "MUSIN". Sin embargo, el hecho de que ni siquiera exista este "MUSIN" es un "MUSIN absoluto". La “MUSIN  absoluto” está aquí.

 Mis palabras son contradictorias, pero hay cosas que sólo se pueden decir de manera contradictoria.

 作ったというよりも、自然に生まれてきたという感じのする作品。作為がない。
 「無心」がある。
 そばにあった鉄屑に触れながら、ホアキンは尋ねる。「きみは、どんな形になりたいのか」。鉄屑は答えないが、鉄に触れた手は、その答えを感じてしまう。その感じたままに、手が動く。とても静かに。
 その手の動きの静けさを、この作品はそのまま伝えている。

 私は、ふと「わび・さび」ということばを思い出した。私が「わび・さび」を感じる何か。そこには「無心」さえもない。しかし、この「無心」さえもないということが、絶対の「無心」なのだ。「絶対的無心」が、ここにある。

 私のことばは矛盾しているが、矛盾した形でしか言えないことがある。

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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(53) 

2023-11-21 23:17:42 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(53) 

 「ギリシャより帰郷する」。このタイトルは微妙だ。不思議な矛盾、愛憎が、ここに存在する。ギリシャが嫌いなのか、好きなのか。絡み合っている。

なぜ黙りこくっている。胸に尋ねてみな。

 嫌いというとき、胸は好きと叫んでいる。好きというとき胸は嫌いと叫んでいる。
 原文がどういうことばをつかっているのか私は知らないが、「こころ」ではなく「胸」と、中井は訳したのだと思う。
 「胸」の方が「こころ」よりも肉体に近い。「こころ」が思っていることを「胸」は隠すとも言える。

 この一行に、私が驚くのは、「胸」と書いた次の行には「心」ということばがあるからだ。つまり、中井は「胸」と「心」をつかいわけているのだが、カヴァフィスがそのつかいわけをしているとは、私には感じられない。
 中井はカヴァフィスの詩を日本語にすることで、いっそう完璧なものにしている。

 


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Estoy Loco por España(番外篇409)Obra, Jesus Coyto Pablo

2023-11-20 21:50:52 | estoy loco por espana

Obra, Jesus Coyto Pablo

 Hay cosas que son invadidas por tiempo. Y hay cosas que no son invadidas por tiempo. El hombre dijo. Hay cosas que siguen existiendo aunque sean abandonadas. El hombre continuó diciendo. 
 ¿Qué es?
 Cuando le pregunté, el hombre se fue sin responder.
 Sólo quedaba tiempo. Quedaba tiempo que no se vio afectado por ninguna existencia, ningún recuerdo, ni siquiera el amor, el odio o al rencor. Como la tristeza de ser abandonado.
 Tarde me han llegado las palabras de que hay tiempo que son invadido por el silencio y tiempo que no son invadido por el silencio.
 Estaba cayendo la lluvia.

 時間に侵されるものと、時間に侵されないものがある、男は言った。見捨てられても存在し続けるものがある、と男はつづけた。
 それは、なんですか?
 問いかけると、男は答えずに去って行った。
 時間だけが残った。どのような存在にも、あるいはどのような記憶にも、いや、どのような愛にも憎しみにも、恨みにも侵されない時間が残った。見捨てられた哀しみのように。
 無言によって侵される時間と、無言によって侵されない時間がある、ということばが、遅れてやってきた。
 雨が降っていた。

 Hay cosas que son invadidas por la lluvia. Y hay cosas que no son invadidas por la lluvia. El hombre dijo. Hay cosas que siguen existiendo aunque sean abandonadas. El hombre continuó diciendo. 
 ¿Qué es?
 Cuando le pregunté, el hombre se fue sin responder.
 Sólo quedaba el olor de lluvia. Quedaba el olor de lluvia,que no se vio afectado por ninguna existencia, ningún recuerdo, ni siquiera al amor, al odio o al rencor. Como la tristeza de ser abandonado.
 Más tarde me han llegado las palabras de que hay formas que son invadidas por la lluvia y colores que no son invadidos por la lluvia.
 Estaban cayendo la luz y la oscuridad.

 雨に侵されるものと、雨に侵されないものがある、男は言った。見捨てられても存在し続けるものがある、と男はつづけた。
 それは、なんですか?
 問いかけると、男は答えずに去って行った。
 雨の匂いだけが残った。どのような存在にも、あるいはどのような記憶にも、いや、どのような愛にも憎しみにも、恨みにも侵されない雨の匂いが残った。見捨てられた哀しみのように。
 雨によって侵される形と、雨によって侵されない色がある、ということばが、遅れてやってきた。
 光と闇が降っていた。

 

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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(52)

2023-11-18 22:53:55 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「人知れぬもの」。その人が「わかる」、その手がかりは何か。

私の一番ベールを被せた書き物、

 ただの「書き物(ことば)」ではない。「ベールを被せた」という修飾がある。秘密、暗示。しかも、「一番」ということばも重ねられている。
 この「一番」は、直前の行にも書かれている。同じことばが二度書かれている。しかも、目立つ形で。
 それがとてもおもしろい。
 「人知れぬもの」は、「一番」知ってもらいたいことなのだが、この「一番」という音の響きが、なんともいえず軽くていい。「最も」だともったいぶった感じになる。中井の訳の魅力が、ここにある。

 

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Estoy Loco por España(番外篇408)Obra, Juan Manuel Arruabarrena

2023-11-18 22:13:46 | estoy loco por espana

Obra, Juan Manuel Arruabarrena
Técnica mixta sobre madera, Medidas 125x95 (2023)

 Hay una extraña sensación de perspectiva, como mirar un cuadro dentro de otro cuadro.
 Por ejemplo, una pequeña casa situada en una llanura vacía. Su techo, sus paredes, sus ventanas y sus puertas reflejan el mundo.
 El techo refleja la noche que aún está por llegar, las paredes reflejan el viento de ayer, las ventanas reflejan el mar lejano que nunca he visto y la puerta refleja la sombra de la bicicleta que se ha ido.
 ¿Qué hay realmente allí? ¿Una casa? ¿Es lo que refleja la casa? ¿La conciencia de un pintor?

 Mis palabras están equivocadas. Sólo puedo escribir cosas incorrectas. Pero este color demasiado tranquilo acepta mi error y espera a que pase. Una generosidad infinita reside en la perspectiva de esta pintura. 

 絵のなかの絵を見るような、不思議な遠近感がある。
 たとえば、何もない平原にたっている小さな家。その屋根が、その壁が、その窓が、そしてその扉が世界を映している。
 屋根はまだやって来ない夜を、壁はきのうの風を、窓は見たことのない遠い海を、扉は去って行った自転車の影を映している。
 ほんとうにあるのは、何なのか。家か。家が映し出すものか。

 私のことばは間違っている。私は間違ったことしか書けない。しかし、このあまりにも静かな色は、私の間違いを受け入れ、それがとおりすぎていくのを待っている。果てしない寛容さが、この絵の遠近感のなかにある。

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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(51)

2023-11-17 21:56:58 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「アントニウスの最後」。女たちが泣き叫んでいる。「泣くな」と告げることばは、こうつづいている。

おちぶれはしても、おれはみじめにおちぶれはせぬ。

 強い誇りがある。「おちぶれる」というのは「みじめ」なものである。しかし、「みじめにおちぶれはせぬ」という。ことばにすれば、まるで、事実(現実)か違うものになるかのように。
 実際に、ことばにすれば、現実は違ってくる。ことばこそが現実である。いや、ことばは現実を超え、真実をつくる。だからこそ、「泣くな」とも告げたのである。「誉め歌」を歌えとも告げる。
 この、ことばへの強い意思は、カヴァフィスそのものの声でもあるだろう。カヴァフィスは、最後に言うだろう。「おちぶれはしても、おれはみじめにおちぶれはせぬ。」と。

 


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Estoy Loco por España(番外篇407)Obra, Miguel González Díaz

2023-11-16 23:02:42 | estoy loco por espana

Obra, Miguel González Díaz

 Un hombre capturado. No puede moverse.
 Quizás no fue capturado por alguien, sino por el hombre mismo. Por su propio pensamiento.

 ¿Estoy mirando a un hombre capturado? ¿O estoy viendo el pensamiento de que está atrapado? Si no hubiera ventanas redondas alrededor de su cara (cabeza), yo no pensaría en esto.
 ¿Quién hizo esa ventana redonda? ¿Alguien que capturó al hombre para mostrarlo en público? ¿O el hombre lo hizo él mismo para que otros supieran de su sufrimiento?

 Cuando imagino el pecho (torso), las manos y las piernas de su hombre, que no ha sido hecho en esta obra, siento que la parte inferior de esta obra, su forma abstracta, apela a la tristeza del ser humano que tiene una cabeza. ¿Por qué yo (o el hombre de esta obra) hago lo que llamo "pensar"? 

 囚われた男。身動きがとれない。
  だれかに囚われたのではなく、男自身が男に囚われたのかもしれない。男自身の考えに。

  私は囚われた男を見ているのか。それとも、私は囚われているという思考を見ているのか。もし顔(頭)の周辺に、円い窓がなければ、こんなことを私は考えはしない。
 その丸い窓はだれがつくったものなのか。男を捕らえただれかが、見せしめのために空けたのか。自分の苦悩を人に知らせるために、男が自分でつくったのか。

 作品化されていない男の胸(胴体)、手、足を思い描くとき、この作品の下部、その抽象化された形が、人間が頭をもつことの悲しさを訴えてくるようにも感じられる。なぜ、私は(あるいはこの作品の男は)、「考える」ということをするのだろう。なぜ人は、考えてしまうのだろうか。

 

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緒加たよこ「夕べのごぼう今朝の白菜」ほか

2023-11-16 22:05:48 | 現代詩講座

緒加たよこ「夕べのごぼう今朝の白菜」ほか(朝日カルチャーセンター、2023年11月6日)

 受講生の作品、ほか。

夕べのごぼう今朝の白菜  緒加たよこ

こうして台所にいると
2時間もたっていて
夕べのごぼう
今朝の白菜
ごはんつくるの?
と訊かれるけれど
つくるよだってだんだんきついいやになる
ずっと
こうして
暮らしてた
あのひとは
なにも
言い残しは
しなかった
けれど
こうして
時間は
残り
ときどきは
いつも
家にいれば
こうして

ときどきは
いつも
家にいれば
こうして

 「こうして」の繰り返しに感想が集中した。時間がうつりゆく。日常を省みる。独り暮らしの寂しさ、無聊。
 繰り返されていることばは、ほかにもある。
 「残る」。最初は「言い残し(残す)」という形のなかに隠れている。それが一連目の最後に「残り」という形で静かにあらわれる。そして、最終行。「こうして」のあとに「残る」が書かれないまま、書かれているように感じる。
 何が残るのか。私は「時間」と読んだ。それは「私の時間」、あるいは「あなたと私の時間」であると同時に、誰のものでもない「絶対的な時間(永遠)」のようにも感じる。「時間」のなかには、すべてが「残っている」。だから、それは永遠なのだろう。
 タイトルにも意見が相次いだ。とてもおもしろい。そして、もしこれが「今朝の白菜夕べのごぼう」だったら印象は違ってきたと思う。今朝から夕べへの動きだと、時間の流れが日常的すぎる。さかのぼる感じが、意識をひっかく。それがおもしろい。そしてそれはそのまま「過去(変わることのない時間=永遠)を思い出す」という意識の動きを隠している。

みのり  杉惠美子

曇天の日が続いた
視点も定まらず
季節も忘れて歩き続けた

降り立った処は
無人駅

音のない空気感と
音のない呼吸感

吸い込まれるように歩いていたら
私を呼び止める まあるい実

濃い緑の中に膨らんだ
たくさんの椿の実

不思議な爆発を感じる
小さな実の確かさ

初めて感じた
弾けるエネルギーを包む
空気の新鮮さ


遠くに一心に歩く人がひとり


満月の夜がきた

 「曇天の日」からはじまり「満月の夜」に変化していく、途中に登場する「椿の実=新鮮」の効果に、共感が集まった。
 私は四連目の「呼び止める」ということばが、とてもおもしろいと思った。その直前の三連目には「音のない」が二度繰り返されている。「呼び止める」とき、そこにはたいていは「声(音)」が存在する。しかし、この詩では「音(声)」をもたない椿の実が呼び止めるのである。
 そして、音を聞かなかった杉は、椿の「爆発」を思う。そこには書かれていないが「音(爆発音)」が隠れている。この爆発は、ブラックホールのようなエネルギーをもっている。
 この詩は、かなり「ぜいたく」な終わり方をしている。受講生が共感したように、曇天から満月への動きが速くて(多彩で)引きつけられるのだが、「遠くに一心に歩く人がひとり」で終わっていたとしても、とてもおもしろいと思う。椿の実と出合うことで生まれ変わった杉自身が、「ひとり」となって自分よりも遠く(未来)を一心に歩いている。それは杉を導く歩みだろう。
 しかし、そこで終わらずに「満月」を登場させる。この満月は、遠くを歩く「ひとり」を真上から照らしているのかもしれない。

わたしの手から  青柳俊哉

わたしの手からわかれた鳥が 
空の向こうのひらかれた無限の空間へ

水面からつきだす彫刻のような指先に
稲妻がともる それは光をもとめる
手の空の結晶作用である 

水辺に重ねられた葦とすすきの
葉先に氷のつぶがとまる ふきわたる
天体の息の二相系として

かれをうみだしたもうひとつの世界へ
光や氷とよばれるこの世界の外へ

かれはそこからわたしへ信号を送る 
わたしたちがひとつでありつづけると

 杉の詩に、満月と作者の「交信」があったように、あるいは椿の実と作者の「交信」がある。最後に「わたしへ信号を送る」ということばが、そ「交信」を語っている。
 「わたしの手からわかれた鳥」という書き出しがとても印象に残る。「手からわかれた」は「手が鳥になって」飛び立ったということだろう。「かれ」と書かれているが、それは第三者ではなく、もともと作者自身だった。だからこそ「交信」することで「ひとつ」になる(戻る)。
 宇宙観、輪廻を感じたという感想があったが、輪廻とは「無限」ということでもあるだろう。

貧乏な椅子 高橋順子

貧乏好きの男と結婚してしまった
わたしも貧乏が似合う女なのだろう
働くのをいとう男と女ではないのだが
というよりは それゆえに
「貧乏」のほうもわたしどもを好いたのであろう
借家の家賃は男の負担で
米 肉 菜っ葉 酒その他は女の負担
小遣いはそれぞれ自前である
当初男は毎日芝刈りに行くところがあったので
定収入のある者が定支出を受け持ったのである
そうこうするうち不景気到来
男に自宅待機が命じられ 賃金が八割カットされた
「便所掃除でもなんでもやりますから
この会社に置いてください」
と頭を下げたそうな
そうゆうところはえらいとおもう
家では電灯の紐もひっぱらぬ男なのである
朝ほの暗い座敷に坐って
しんと煙草を喫っているのである
しかし会社の掃除人の職は奪えなかった
さいわい今年になって自宅待機が解除され
週二回出勤の温情判決が下った
いまは月曜と木曜 男は会社の半地下に与えられた
椅子に坐りにゆくのである
わたしは校正の仕事のめどがつくと
神田神保町の地下の喫茶店に 週に一度
コーヒーを飲みに下りてゆく
「ひまー、ひまー」
と女主人は歌うように嘆くのである
「誰か一人来てから帰る」
わたしは木の椅子にぼんやり坐って
待っている
貧乏退散を待っていないわけではないのだけれど
何かいいことを待っているわけでもない

 車谷重吉との生活を彷彿とさせる作品だが、高橋順子を知らない受講生から、「芝刈り」や「自宅待機」ということばをめぐって、「いつの時代だろう」という声が出た。
 実際の生活を描きながらも「毎日芝刈りに行く」とか「週二回出勤の温情判決」というような「比喩」が、そのまま「物語」を呼び込みそうな構造になっている。
 私は「そうゆうところはえらいとおもう」が、この詩をささえていると思う。
 他の行は「比喩」ではあっても、「事実」である。たとえば「芝刈りに行く」は「出社する」を言い換えたものと書き直せば「客観的」になる。ところが、この「そうゆうところはえらいとおもう」だけは「客観」にはなり得ないこと、「主観」である。
 なんというか、のうのうと(?)主観を、しかも肯定的な主観(えらいとおもう)をあからさまに書いている。ここに不思議な「愛している」という感情があふれている。貧乏であっても愛があるから楽しい、という、ごくあたりまえのことが平然と書かれている。しゃあしゃあと書いている。
 偉いと思う。

 

 

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(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

 

 

問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

 

 

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