詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

Obra de Luciano González Diaz

2019-03-31 23:01:25 | estoy loco por espana


Luciano González Diazの作品。

不安と信頼の、危うい均衡。
現代を生きる人間を象徴している。

ブランコの人が、落ちる人を支えているか。
落ちる人が、上の人を逆に上にとどまらせているのか。

常識的に見れば、ブランコの人が下の人を吊り上げるように支えている。
しかし、下にいる人がいるからこそ、ブランコの人はブランコにとどまり続ける。
もし下にいる人がいなければ、ブランコの上の人も落ちてしまうかもしれない。

Peligroso equilibrio de ansiedad y confianza.
Simboliza al ser humano que vive en la era actual.

Una persona columpio apoya a una persona que cae?
La persona que cae hace que la persona superior se quede arriba?

En el sentido común, una persona columpio está ayudando a levantar a la persona inferior.
Sin embargo, debido a que hay personas debajo, las personas del columpio continúan en el columpio.
Si no hay nadie debajo, el que está en el columpio también puede caer.

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阪井達生『雨の日のポトフ』

2019-03-31 11:03:27 | 詩集
阪井達生『雨の日のポトフ』(澪標、2019年01月31日発行)

 阪井達生『雨の日のポトフ』に「小骨屋」という作品がある。
               
 小骨は何かが喉を通過できず 引っかかってできるもの その小
骨を 大学の偉い先生に鑑定してもらったところ 先生は「この骨
は言葉の結晶だ」と 言葉だよ 難しいことはうまくいえないが
面と向かっていえない言葉 言ってもすぐ戻されてくる言葉なんか
は よく喉に引っかかると 先生はおっしゃる 数年も喉にあれば
結晶化して 骨になる

 「面と向かっていえない言葉」はすぐわかる。しかし「言ってもすぐ戻されてくる言葉」は意表をつかれた感じがする。そうか、言っても戻ってくることばか。たしかに、そういうものはあるなあ、と思い当たる。
 阪井はとても理性的なひとなのだろう。
 次の部分も、人間観察がこまかい。

                         骨がとれる
と言葉が一気に出てくるはずだが この商売を永くやっているが
そんな人はまずいない 言葉はなかなかでてこない 人の体は単純
ではない 体が先におぼえているものだ 人は小骨を取ると なぜ
か また小骨を欲しがる そのほうが楽だから 人とはそんなもの

 「体が先におぼえている」がきびしくて、やさしい。

 詩集は三部に分かれていて、二部に夫婦のことが書いてある。それは「小骨」のようなものである。詩の形で、そっと取り出されている。「面と向かっていえない言葉 言ってもすぐ戻されてくる言葉」なのか。それは読むひと次第だろう。
 たしかなことは、そのことばが詩に結晶するまでには、長い時間がかかった。
 その時間を、「体が」「おぼえている」。「体」の声を聞く詩集だ。
 そのなかの一篇。「ジャムのふた」の全行。

朝の食卓には
不思議な
ジャムがある

ジャムのふたが硬くてあけられない
妻も知っていて
「あけて」とも言わない

ビンには
感情という 大波に練りこまれた
夫婦の会話が詰まっている

無理にふたをあけるには勇気がいる
つらさを追体験する覚悟がいる

毎日 焼きたての
クロワッサンがあるのに
二人は自分から先に
ジャムのふたに
手を触れることはない





*

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阪井 達生
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池澤夏樹のカヴァフィス(103)

2019-03-31 09:50:17 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
103  葡萄酒鉢の職人

 職人が葡萄酒鉢をつくっている。真ん中に美しい若者を描いている。

裸体の、エロティックな 一方の足をまだ
水に入れたままの姿-- 記憶よ、お願いだ
手を貸してくれ。 私が愛した若者の
あの顔をそのまま よみがえらせてくれ。

 「裸体」を「エロティック」と言い直し、さらにそれを「一方の足をまだ/水に入れたままの姿」と言いなおす。主人公の職人は、若者が水からあがる瞬間を見ている。水の中にいたときは見えなかったものが、いまは見える。そのために一瞬、顔から目がそれたかもしれない。顔よりも、その瞬間を職人は覚えている。そういう「動き」が見える。
 このあと詩は、こう展開する。

これは困難なことだ。 それというのも
彼がいなくなってから もう十年になるのだから、
マグネシアの敗北に 一兵卒として倒れてから。

 ここにも不思議な動きがある。もし若者が戦死していなかったら、職人は若者を思い出したか。戦死したからこそ、若いときの姿のまま記憶に残っている。
 ここには何か「裏切り」のようなものがある。
 ほんとうに愛していたのなら十年たっても忘れないだろう。思い出せないのは十年の月日のせいだけではないと感じさせる。
 池澤は、「マグネシアの敗北」に関係づけて、こう註釈している。

 前一九〇年、セレウコス朝シリアがローマに敗れた戦い。(略)この詩が扱っているのはしたがって前一八〇年頃になり、(略)

 十年前の恋人の顔を思い出せないというだけなら「現代」を舞台にしてもいいのに、わざわざ紀元前を舞台にしている。
 想像力を二重に動かしている。
 歴史の事実を思い、それから十年後にそのことを思い出すという二重性。この「二重性」が水から上がる姿(足)を覚えているのに、顔を思い出せないという「分離」、記憶の不思議な二重性を刺戟する。「現代」を舞台にすると、二重性の「メタ」の感じが薄くなる。
 カヴァフィスはメタ構造の中でことばと感情を交錯させる。そのとき、ことばが感情になるのか、感情がことばになるのか。




カヴァフィス全詩
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ロブ・ライナー監督「記者たち 衝撃と畏怖の真実」(★★★+★)

2019-03-30 19:13:49 | 映画
ロブ・ライナー監督「記者たち 衝撃と畏怖の真実」(★★★+★)

監督 ロブ・ライナー 出演 ウッディ・ハレルソン、ジェームズ・マースデン

 情報があふれる現在、それが本物であるか偽物であるか、どうやって判断するか。
 一番大事なのは、「だれが言っているか」ではなく、「どう言っているか」である。「言い方」のなかに、ほんとうと嘘がある。といっても、これを判断するのはとてもむずかしい。
 私は、そこに語られていることが自分の実感にあうかどうかで見極める。実感できないときは、とりあえず「疑う」。これは、ほんとうだろうか、と。それから「語られていることと自分が知っていることが合致するか」を少しずつ考える。
 この映画では、9・11のテロ事件と関係づけて、ビンラーディンをイラク(フセイン)が支援しているという「見方」が語られる。アフガニスタンもイラクもアメリカから遠い。(日本からも遠い。)だから、そこに語られていることの真偽を見極めようにも、見極めようがない、とも言える。政府が、「イラクは大量破壊兵器を持っている。ビンラーディンと結託している」と言えば、ついついそれを信じてしまう。政府が嘘をつくとは国民はふつうは考えない。
 だから、アフガニスタンとイラクの関係から考えないといけない。二つの国は、どういう関係? イスラム教徒の国だが、だからといって友好的な関係? 私からみれば(そして多くの非イスラム教徒からみれば)、イスラム教徒はイスラム教徒である。しかし、イスラム教徒にはシーア派とスンニ派がある。二つは対立している。敵対している。いっしょに行動するはずがない、かどうかまでは知らないが、対立しているということまでは、私は本で読んで知っている。アメリカにも、それを知っているひとがいるだろう。実際、映画にはそういうことを知っているひとが出てくる。(記者の恋人だ。)
 さらにアメリカ国なんで高まる愛国心(小学校で愛国心について教える)ことに対し、「愛国心なんて対立を生むだけで何の役にも立たない」ということをユーゴ(だったっけ?)で実際に体験してきた記者の妻が語る。「内戦」を引き起こすだけだ。国というものは愛の対象にはならない、ということかもしれない。
 さて、考えよう。生まれてからずーっと対立していた誰かの行動を支援するために、武器を用意するということがあるだろうか。そのだれかと共同して戦うということがあるだろうか。相手は、遠いアメリカである。これは、なかなかむずかしい。目の前に、長い間対立してきた相手がいる。それと戦う方が重要である。アメリカなんか、ほっておけ、というのが普通の態度だろう。
 どうもおかしい。
 イラクを攻撃するために、9・11テロが利用されている。ビンラーディンが利用されているのではないか。
 ストーリーをこんなふうに単純化してはいけないのだが、まあ、こういうことだ。こういう疑問が成り立つなら、それが成り立たないということが証明されない限り、疑問を捨ててはいけない。疑問だけが、真偽を見極める方法なのだ。「だれが言っているか」ではなく、「どう言っているか」。イラクに大量破壊兵器がある、というのは、どういう根拠に基づいて言われているか。もし、イラクが大量破壊兵器を隠し持っていたとして、それは何のためにつかうのか。
 イラクが核兵器を準備しているという情報に対する「疑問」の答えがとてもおもしろい。イラクがアルミ管を入手したというのは事実。核兵器のためにアルミ管が必要というのも事実。でも、そのアルミ管がそのままつかえるのか。ひとりの科学者(?)が、「あれでは細すぎて役に立たない」という情報を教えてくれる。「事実」は細部に隠れている。
 それやこれや。二人の記者が信頼するのは、「末端」の情報(実感)である。
 たとえば、きちんとした情報を提供しているのに、それが無視されつづける。おかしいんじゃないか、と疑問に感じている政府機関の職員。もしかすると、そこには「不満」が反映しているかもしれない。だから、簡単にそのことばを信じるわけにはいかないが、「情報操作」が行われていないかどうかの疑問の「糸口」になる。
 日本では、最近、次々と政府の発表する「統計情報(経済情報)」が意図的に操作されているという問題が起きた。景気は拡大している。好景気はつづいている。でも、ほんとうか。たとえば、コンビニで買い物をする。店員は外国人が多い。日本人は減っている。これはどういうことだろうか。日本人がコンビニ以外の仕事のために手をとられているためだろうか。それとも外国人の方が賃金が安いからだろうか。きっと、外国人の方が安いからだ。
 そうすると。
 もし、日本人がコンビニで働きたいといったとき、雇い主はどういうだろうか。外国人は時給六百円で働いている。同じ賃金でないと雇えない、というのではないだろうか。日本人の賃金を切り下げるために外国人が利用されているということはないだろうか。外国人を搾取し、その搾取を利用して、日本人を搾取する。
 こういうことが、改正入管法で外国人労働者を増やすことで行われようとしている。きちんと外国人を雇うのではなく、さまざまな制限をつけて、短期間だけ利用し、母国へ追い返す。そうすることで外国人の賃金をおさえ続け、それにあわせて日本人の賃金も下げていく。
 日本は人手不足人手不足というが、実際は、安い賃金で働かせることができない人手が不足しているということだ。極端な話、コンビニの店員の賃金が時給2000円なら、そして課税されない収入の上限が500万円なら、店員の年齢制限が80歳なら、パートの主婦はこぞってコンビニ店員に転職することを考えるだろう。年金生活者も、こぞって応募するだろう。
 もちろんここで書いたことは「空論」だが、空論であろうとなんであろうと、疑問を自分のことばで動かしてみることが重要なのだ。そのあとで、空論とわかれば空論を捨て去ればいいだけである。
 とか、あれこれ映画を見ながら、あるいは映画を見終わって考えた。
 考えるための「材料」としては、とても参考になった。マスコミの仕事は「疑問の材料」を提供すること、というのもいいなあ。でも、映画は物足りない。「真実」が権力を倒すという「大統領の陰謀」のような、すかっとした結末ではないからだ。でも、だからこそとても重要だとも言える。★一個は、映画を見てひとりでも多くのひとが考えるきっかけになればという期待を込めて増やした。
 (2019年03月29日、KBCシネマ1)

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新元号と国会の関係は?

2019-03-30 11:22:39 | 自民党憲法改正草案を読む
新元号と国会の関係は?
             自民党憲法改正草案を読む/番外251(情報の読み方)

 2019年03月30日の読売新聞朝刊(西部版・14版)1面の見出し。

新元号の発表手順決定/11時半会見 正午首相談話/4月1日/有識者会議午前9時半

 この見出しだけではわからないが、記事ではこう書いてある。

午前9時半から、有識者による「元号に冠する懇談会」を官邸で開き、意見を聴取する。午前10時20分頃から、衆院議長公邸で衆参両院の正副議長の意見を聞く。その後、官邸で開かれる前閣僚会議での協議を経て、新元号を定める政令を閣議決定する。

 結局、だれが決めるの? 有識者会議のとりまとめ役は誰? 司会というか、進行はだれが担当? 有識者のひとり? それとも「政府関係者」? 衆参両院の正副議長は国会の代表だから意見を聞くのは当然だけれど、だれが聞くのかな?
 私がほんとうに知りたいのは、そこだな。司会というか、進行役の進め方で、議論はまったく違うものになるだろう。
 さらに、今回の動きの中でいちばん不可解なのは。
 新元号を何にするのか、どうして国会で審議しないのかということだ。
 天皇を生前強制退位させる日にちがきまっている。翌日から新元号というのもわかっている。新元号を決める時間はたっぷりある。昭和が平成に変わったときとはまったくちがう。平成に変わったときは、天皇が死んだ。それから国会で審議していたら翌日から新元号というわけにはいかない。ところが、今回は時間がある。それなのに国会で審議しない。
 これって、おかしくないか?
 なぜ有識者会議が審議して、国会では審議しないのか?
 生前強制退位のときも有識者会議のようなものが先行したが、一応、国会でも審議した。今回、国会で審議しないのはなぜ?
 これは「天皇制」の安倍による私的利用というものではないのか。

 3面には解説記事がある。見出しは、

改元「丁寧さ」腐心/発表手続きに2時間 皇室へ報告

 丁寧さを心がけるなら、なんとしても国会審議だろう。
 「皇室への報告」ということに関しては、こんな記事がある。

報告の場で元号案について陛下や皇太子さまの意見を聞けば、元号選定に皇室が関わったことになる。その場合、「天皇の政治的権能を禁じる憲法に違反するおそれがある」(政府関係者)

 では、事前に報告することで、あたかも天皇の「了承」を得たように装うのは、天皇を政治利用することにならないのか。
 
 機密保持を徹底/選定過程 公文書に

 という見出しで、こんなことを書いている。

 政府は新元号が事前に漏れることを警戒している。静かな環境で発表できなければ、「新元号に傷がつく」とみているためだ。

 私は、これがまったく理解できない。
 「新元号に傷がつく」って、どういうこと?
 安倍の口癖の「静かな環境」ということばが、ここにも出てきているが、新元号をどうするかを国会で審議すればだれもが納得するだろう。すくなくとも国民が選んだ議員が審議して決めたのだから。
 国会で審議したり、一般国民があれこれ自分の意見をいうことで、元号にどうして傷がつくのか。もし傷がつくとして、それはいったいどんな傷なのか。
 民主主義なのだから、だれもが意見をいう。うるさく審議するというのがすべての基本だろう。
 元号の「出典」を観衆の「中国の古典」から「日本の古典」にまで広げるということが安倍の一言できまるという方が、物騒だろう。
 いまの日本の静けさは、物騒な静けさであって、健全な落ち着きではない。

 改元をいつにするかが問題になったときも、「静かな環境」を持ち出し、「統一地方選後の5月1日」に決めたが、これも政治利用だ。4月1日に新元号を発表し、安倍が談話を出すのだとすれば、国民の多くが新元号と安倍の発言に注目する。選挙の前に、視線を安倍に、つまり自民党に集める。これ以上の宣伝効果はない。
 天皇を利用し、議論封じと選挙運動を効果的に進める。これが安倍の手法だ。


#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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池澤夏樹のカヴァフィス(102) 

2019-03-30 10:26:17 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
102  高名な哲学者の学校から

 若者が哲学にあきて政界に入る。つまらない。キリスト教徒にもなってみた。でも、つづかない。両親から「小遣い」ももらえなくなった。そこでアレクサンドリアの快楽の巣窟の常連になった。

この分野では彼は実に幸運だった。
彼はぬきんでた美貌にめぐまれていたから、
この神々の贈り物をおおいに楽しんだ。

少なくともまだ十年は
彼の美しさは変らないだろう。その後は--
若いときのようにまたサッカスのもとへ行こう。
もしもその間に老哲学者が死んでしまっていれば
別の哲学者かソフィストのところでもいい。
しかるべき師はかならずみつかるはずだ。

 快楽の追求(快楽への耽溺?)と哲学が同じ比重で語られている。これはカヴァフィスの思想なのだろう。
 おもしろいのは「しかるべき師はかならずみつかるはずだ。」という一行。
 ここでの「師」は「哲学者」あるいは「ソフィスト」を指すのだろうが、私はほかのことも考えてしまった。
 この若者が快楽の巣窟の常連になったのも「師」がいたのではないか。政界入りしたのも、キリスト教徒になったのも「師」がいたのではないか。
 「師」をあてにするという「習性(くせ)」があるのだろう。それは両親から「小遣い」をもらうというところにも反映している。かれはいつも自分以外の何かを「あて」にしている。
 池澤は、

最も注目すべきはこの詩の舞台が三世紀のアレクサンドリアに置かれている点で、少し見かたを変えればこの町の方が主役とも考えられる。(略)禁欲から荒淫までの幅広い帯域をひろげた都市の像を我々は見るのだ。

 と書いている。すべての「師」がいたということだろう。都市そのものが「師」であった、ということだ。




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田中庸介「気持ちのフレーム」、藤田晴央「乳白の空から」、たかとう匡子「うまくいかない」

2019-03-29 09:11:51 | 詩(雑誌・同人誌)
田中庸介「気持ちのフレーム」、藤田晴央「乳白の空から」、たかとう匡子「うまくいかない」(「交野が原」86、2019年04月01日発行)

 田中庸介「気持ちのフレーム」の一連目。

おだやかに青い海が揺れる一月の港に、
どこからか口笛が聞こえてくる。
ここは瀬戸内海、船着場に
午後の陽ざしが明るい。

 あれっ、田中って、こういうことばづかいだったかな? よく思い出せない。何か違ったひとのことばを読んでいる気持ちになる。
 私には私の「気持ちのフレーム」があって、フレームから少し違うところに田中がいるのか、田中がフレームごとどこか違う世界へ行ったのか。

黄色いチェーンが黄色いポールに掛かっている。
ああ、気の毒なことが多い季節だった。

 目が悪い私は「ポール」を「ボール」と読み違え、あ、ここはいいなあ、と思った。船をつなぐチェーンが水面に触れている。そこにボールが流れ着いて引っかかっている。こういう光景は見たことがある。でも、私はことばにしたことがない。だれかのことばで読んだ記憶もない。だから、それを「フレーム」のなかに取り込むことに、ちょっと感激した。あ、この風景、見たことがあるぞ。あれは、こういうことばにすればよかったのか、と。この感覚が、私の覚えている田中。
 でも、それについて書こうとしてワープロに向かっていると。
 あ、「ボール」ではなく「ポール」か。
 また、気持ちがずれてしまった。

 しかし、最終連は、好きだ。

防波堤の間に船は現れる。ぐんぐんと
水面を滑って。口笛の緑の青年が
ちりちりちりちりと自転車を押してきて、
気持ちのフレームに今ま、きっちりと収まった。

 「防波堤の間に」の「間」が、それこそ「フレーム」になって、風景が引き締まる。そのあとの「ぐんくん」がのびやかでとてもいい。「ちりちりちりちりと自転車を押してきて、」の「ちりちりちりちり」もいいなあ。田中がオノマトペを駆使していたという記憶はないが、こういう「ことば以前」ののびやかな響きとリズムがなつかしい。
 最終連で、田中が「フレーム」にきっちりと収まった、という感じ。



 藤田晴央「乳白の空から」は、二連目が美しい。

鴨だろうか
雁だろうか
見きわめかねているうちに
鳥は また
乳白の空に 隠れるように入っていった
もうひとつの世界から
あやまって出てきて
あやまちに気づいたように
もうひとつの世界に戻っていった

 これが、降り出した雪を描写したあと、こんなふうに言いなおされる。

鳥も
鳥も
わたしの知らない
もうひとつの世界からあらわれる

あなたも
そのようにあらわれた
願わくば
鳥のようにではなく
雪のように
わたしをつつんで
降り積もってほしい
あなたも わたしも
この世にあらわれたのは
あやまちではないのだから

 美しい重ね書きだ。美しすぎるかもしれない。
 一方で、「あらわれ」が「あやまち」であってもいいようにも思う。「あやまち」がなければ、ひとは自分の「あやまち」に気がつくことはできないのだから。「あやまち」を教えてくれる「あやまち」。そういうものがあってもいいと思う。こういう詩を読んでいると、なんとなく、そういいたくなる。



 たかとう匡子「うまくいかない」。

喫茶店の片隅で女同士のかん高い声
待ち人来らず
そのひとことをわたしの耳が拾った
なぜかそのままこびりついてしまったその言葉

面白半分ひまつぶしに繰り返し早口で言ってみたら
舌噛んだ
しこたま

たかとうもまたひとを待っていたのか、それとも「待ち人来らず」ということばをまっていたのか。よくわからないが、こういう「フレーム」のズレから動き出すことばのほうが、きょうは気持ちがいい。
 これがきょうの私の「フレーム」なのだろう。

 



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池澤夏樹のカヴァフィス(100)

2019-03-29 00:00:00 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
100  デマラトス

 スパルタの王・デマラトスは王座を奪われペルシャにつかえた。ペルシャがギリシャを攻めたとき同行したが、ペルシャは敗れた。そのときの思いを書いている。ただし、カヴァフィスはそれを「心理」とは書かずに、

デマラトスの性格という主題--

 と「性格」と定義している。
 ギリシャの勝利、ペルシャの敗北を目にした最終蓮。

さまざまな思慮と用心を重ね、ために
デマラトスの日々は懊悩に満ちた。
さまざまな思慮と用心を重ね、ために
デマラトスには一瞬の喜びもなかった。
だからその時に彼が感じたものも喜びではない、
(違うのだ、彼は決して喜びとは認めまい
なぜ喜びなのか? 彼の不運は限りないのに)、
勝利を得るのがギリシャ勢の方であることが
次第に明らかになったその時でさえ。

 喜んでいいのか、喜んではいけないのか。この問題を「性格」と呼んでいる。たしかにここから「性格」が生まれてくるのだろう。
 しかし、そういうことよりも不思議なのは「喜びではない」「喜びとは認めまい」と否定のことばが重なると、逆に「喜び」のこころが浮かび上がってくる。「さまざまな思慮と用心を重ね、ために」の繰り返し、特に「ために」という「論理」の繰り返しが、おさえてもおさえてもおさえきれない「本能」があることを教えてくれる。
 こころはいつでもこころを裏切る。「意志」を「本心」が裏切るといえばいいのか。そして、そう読むとき、これはカヴァフィスの恋そのものに通じるこころと読むことができる。「理性」では何をしなければいけないのかわかっているのに、「本能」はそれを裏切り続ける。

 池澤は、こう書いている。

ギリシャは捨てたとは言え祖国であり、ギリシャ側の勝利に対する心理的反応は微妙だった筈で、この詩の最後の部分はいわば深層心理の喜びを示唆している。





カヴァフィス全詩
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新「元号」で一番心配なこと

2019-03-28 19:21:29 | 自民党憲法改正草案を読む

新「元号」で一番心配なこと
             自民党憲法改正草案を読む/番外250(情報の読み方)

 「平成」の次の元号が話題になっている。
 「康安」「光安」とか、その中に「安倍」の「安」がはいっているらしい。
 で、日刊ゲンダイ(2019年03月25日号)には、こんな「評論」が掲載されていた。

元号は政府が決めるとはいえ、首相が天皇のおくり名に自分の名前の一部を“与える”なんて、不逞の輩と言うほかありません。普通の感覚ではあり得ないが、傲岸不遜な安倍首相なら、やりかねない。元号に自分の名前の一文字を入れれば、永久に歴史に残ることになりますからね。周囲や有識者が忖度して、安の文字を使ったものを選ぶことも考えられます(政治評論家・本澤二郎氏)


 この類の意見をしばしば読むが、元号に「安」の文字が入っていようがいまいが、そこから安倍を連想しようがしまいが、私はどうでもいいと思う。
 たんなる「記号」の類だ。
 安倍は「安倍の安ではなく、安全・安心の安だ」と主張するだろう。それに対して、「いや、安倍の安心だ」と言ってもはじまらない。どう読むかは読み手の解釈にすぎない。
 こんなことろに「批判」を集中させておいて、軍事費を増大させる、戦争を準備することへの批判をかわす。沖縄を民意を踏みにじっていることをごまかす、ということが問題だ。
 アベノミクスの失敗の責任もとらず消費税増税の三度目の先送り、安倍の自民党総裁4 選( 必然的に、首相としていすわりつづける) ことが問題。
 議論のための資料を捏造する、隠す、ということの方が重大な問題。

 元号が「康安」になろうがなるまいが、そんなことで国民の生活は変わらない。
 「不遜」などという批判を安倍が気にするはずがない。
 「嘘つき」という批判に平然としている人間だ。
 ずいぶん前から話題になった「元号」がいつスタートするか。国民生活に影響があるという主張と同じで、そんなものが国民生活に影響するはずがない。
 だからこそ、「元日」や「4月1日」ではなく、「5月1日」から変わることになった。
 官公庁などの「日付」の管理(システム変更)があるから「事前に発表」というのもとても奇妙だ。そんなもの、最初からその日からステートできるように、システムを事前登録しておけばいい。テストだってできるはずだ。国民生活のことなんか、ぜんぜん、気にしていない。

 だいたい「元号」なんて、100 年もつかい続けるわけではない。
 対外的にも、なんの影響もない。つまり、世界との関係でも、なんの影響もない。
 軍備はアジアに緊張をもたらす。
 経済政策の失敗は生活を直撃する。

 私は「年金」と「医療費」がこれからどうなるかが、とても心配だ。
 「元号」などぜんぜん気にならない。
 「平成」を振り返ってみても、何かの書類のとき「平成」で書き込まないといけないときも、「いま平成何年?」と聞いてしか書いたことがない。
 平成何年に何があったか、私が言えるのは、「平成元年の前の日に昭和天皇が死んだ」くらいしか言えない。あとは、ぜんぜん知らない。
 私の生まれた「昭和」にしても、生まれた年が言えるだけで、何年に就職したか、それもわからない。
 でも、それで困ったことなんか、ぜんぜんない。
 
 心配なのは、もし「康安」が元号になったときの、国民の「無力感」である。
学者や何か、いわば自分の生活に心配が少ないひと(生活が安定しているだろうひと)さえもが安倍におべんちゃらをつかっている。
 安倍におべんちゃらをいわないと生きていけないという「風潮」がいま以上に蔓延することだ。

 元号の行方なんかにまどわされずに、いま起きている問題、生活に直結する問題に目を向け、そこから安倍を批判していくということが大切だ。
 (フェイスブックに、03月26日に書いたものを転写した。)


#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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池澤夏樹のカヴァフィス(99)

2019-03-28 08:39:05 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
99 コマゲネの詩人イアソン・クレアンドルーの憂鬱 紀元五九五年

身体と要望が老いてゆくのは
恐しい短剣の傷のようなもの。
わたしは決してあきらめはしない。
詩の技法よ、おまえにこそ頼ろう。
おまえは言葉と想像という薬物について詳しく、
苦痛を鎮めてくれるから。

 「老い」は「短剣」と言いなおされ、「傷」に対して「薬物」が対比される。この「薬物」という訳語に私は驚いた。現代では「薬物」も身体をなおすというよりも、身体をむしばむという印象がある。「ドラッグ」(毒物)を思い出させる。
 池澤は、どういう意味でつかったのだろうか。
 「苦痛」には肉体的なものと精神的なものがある。「短剣」がひきおこすものは肉体的な苦痛だと思うが、「恐しい短剣」の場合には精神的な意味も含まれているかもしれない。
 なぜ「老い」が「恐しい」のか。身体と容貌をむしみ、精神に響く。
 「恋」を媒介させたらわかりやすくなる。老いた容貌は恋にふさわしくない。相手にされない。そのとき「傷」ついてゆくのは肉体ではなく、精神だ。
 精神を紛らわせるには、たしかに「ドラッグ(薬物)」がいいのかもしれない。
 この「薬物」が「技法」の言い直しであるのは、なんとも不気味だが、カヴァフィスは古典の「技法」に触れながら、「毒」を自分のものにしたということかもしれない。
 それでは、このとき「詩」が救うのは、詩人の「傷」だけか。そうではない。詩を読んだひと(老人)は、やはり、その「ドラッグ」に間接的に麻痺させられることになるのだろう。そして「技法」に酔う読者は、そのとき老い始めているというこことになるかもしれない。「技法」を駆使するカヴァフィスも。
 二連目「薬物」は「薬」と翻訳し直される。

恐しい短剣の傷のようなもの。
薬をもたらせ、詩の技法よ、
しばらくの間は傷のことを忘れていたい。

 「薬物」から「薬」への変更について、池澤の註釈はない。ただこう書いている。

主人公の詩人は架空の人物であり、老醜と詩による救済を扱う点ではたとえば38「稀有のこと」などを思わせる。




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藤井晴美『無効なコーピング』

2019-03-27 10:00:11 | 詩集
藤井晴美『無効なコーピング』(七月堂、2019年02月28日発行)

 藤井晴美『無効なコーピング』のなかに、

何かわかんないというのがすべての詩についてのぼくの感想です。

 という一行がある。「ナイロンパンツ」という作品。藤井の詩もまた「何かわかんない」ものなんだけれどなあ。
 たとえば「液体化する舌」

のおれーはしやおれ。
脳 礼 発射 カフェオレ ナイロン フラスコ
青春病院

現実化しにくい女の舌。
惑星直列のように一致していた。
最早、死者の鋳物。
ある解の徴候。

それらしい私、
だんだんそうなっていく、
生まれてから徐々に、
私が私のように。
のおれーはしやおれ。

 これは後半部分。前半の散文スタイルの部分よりも一字下げになっている。
 何のことかわからない。わからないけれど「のおれーはしやおれ。」という一行に「脳 礼 発射 カフェオレ ナイロン フラスコ」がつづくところがおもしろい。「音」を「意味」に言いなおしている感じがする。
 ことばというのは、たいていそういうものなんだろうと思う。「音」がある。それを「意味」でとらえなおす。「音(声)」は違うことをいいたいのかもしれない。でも、あるひとが言いたいこと(あるいは自分自身が言いたいこと)と、それを聞いたひとが聞きたいこと(自分自身で聞きたいこと)は違うかもしれない。違いを抱えたまま、それでも「ことば(音)」は存在する。
 「青春病院」を「精神病院」と読む(聞く)ひとがいるかもしれない。「精神病院」を「青春病院」と聞く(読む)ひとがいるかもしれない。あるいは、そう「言う」ひとがいるかもしれない。
 どの場合でも、「ずれ」(裂け目)みたいなものが感じられる。妙なことに、そのときの「ずれ」とか「裂け目」はどこかで「接続」(連続)の意識を揺さぶる。「切断」されることで、自分が何とつながっているかが、瞬間的に感じられる。
 それって、

ある解の徴候。

 かもしれないと思うのは、もう、間違いのはじまりなんだけれど。
 でも、間違えるから、生きていられるんだろうなあ。
 「正しい答え」なんて、どうしようもない。「1+1=2」というようなことは、誰もが言えるし、誰もが言うとき(共有されるとき)、とんでもない暴力になるかもしれない。
 そういうわけのわからない暴力(意味の暴力/ことばの暴力)に、ことばの暴力で向き合っている、と言えるかもしれない。

 でも、こんなふうに書いていると「だんだん」、それなりの「感想」らしくなってくるから、困る。
 藤井は私の「感想」を捨て去って、さっさと次の詩を書くだけだろうけれど。
 つまり、「困る」のは、単に私の問題。

 「困る」瞬間、実は、私は好きです。困ることが。「困り続ける」を持ちこたえればいいのだけれど。たいてい面倒になってほうりだしてしまうけれど。




*

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池澤夏樹のカヴァフィス(98)

2019-03-27 08:45:33 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
98 アレクサンドロス・バラスの寵児

戦車の輻が折れたからあのつまらぬ競走で
勝てなかったなどと言うつもりは毛頭ない。
今宵は良い葡萄酒と美しい薔薇のさなかに
過すとしよう。アンティオキアはわたしのものだ。
わたしは町で最ももてはやされる若者。
わたしはバラスの弱み、彼の寵愛の的。
明日、みんなは競走が公正でなかったと言うだろう。
(もしもわたしが無粋にもひそかにそう言いはれば、
あの追従屋どもは片輪の戦車を一位にもしたはずだ)。

 「言う」が三回出てくる。この変化がおもしろい。「言うつもりはない」。だが、だれかが忖度(?)して「言うだろう」。そのあとに「ひそかに言いはれば」がやってくる。「わたし」は、公には言わない。けれど「ひそかに」言う。そうすると、まわりの人間が「公に」言う。「ひそかに」だから、いつでも「そんなことは言っていない」と言い張ることができる。「公に」した人間が、「〇〇がそう言っていた」と秘密を言うわけにはいかない。そういうことを、この詩の主人公は知っている。
 池澤は、

 君主の寵愛を受けた若者が、それゆえに集まる連中の阿諛をむしろシニックに受け流している。

 と書いているが、「受け流している」かどうかは疑問だ。むしろ巧みに利用することを知っている。そして、それを楽しんでいるように見える。
 この若者は「戦車の輻が折れたからあのつまらぬ競走で/勝てなかった」とは言わない。絶対に言わない。けれど「戦車の輻が折れたからあのつまらぬ競走で/勝てなかったなどと言うつもりは毛頭ない」とは言うのだ。これが「ひそかに」のほんとうの意味だ。「否定形」をつかって他人を動かすことを知っている。
 「わたしはバラスの弱み、彼の寵愛の的」と言うとき、主人公は「バラスはわたしのもの」と言っていることになる。「わたし」が何も言わなくても、バラスが「戦車の輻が折れた」と一言言えば、それがすべてを動かすということも知っている。そして「ことば」は「声」に出さなくても、ひとには聞こえるものである。
 カヴァフィスは「声」に出されなかった「声」を聞き取り、ことばにできる耳を持っている。







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青山かつ子「月夜」

2019-03-26 09:28:35 | 詩(雑誌・同人誌)
青山かつ子「月夜」(「ぶーわー」41、2019年03月10日発行)

 青山かつ子「月夜」の感想をどう書けばいいか。

熱をだしたおとうとは
チャンバラの夢でも見ているのか
両手の指で輪を作り
刀のつば
刀のつば
とつぶやいている

となりのおクニさんの家に
富山の薬を借りに行く
月の道を

 と昔の思い出が書き始められている。とくに「説明」があるわけではないが、昔の思い出と思ってしまう。「チャンバラ」とか「富山の薬」が、そう思わせるのか。「となりのおクニさんの家」という言い方がそう感じさせるのかもしれない。固有名詞の響き方がなつかしい。昔は固有名詞があたたかな体温といっしょに生きていた。だから「借りる」ということも自然にできたんだろうなあ。
 ここから「固有名詞の体温」は、こう広がって行く。

澄んだ口笛が通る
あれは歌の好きなゆたかさんだ
「俺は北海道のタコ部屋で…」
が 口ぐせの
(タコ部屋には何十匹ぐらい蛸がいるのかなー)

 「意味」的には唐突な展開なのだが、唐突と感じない。自然に感じる。「ゆたかさん」のことなんて、私は知らない。けれど知っている気持ちになる。「体温」があるからだ。「体温」は「口ぐせ」と言いなおされている。「口ぐせ」がわかるくらいに、青山は「ゆたかさん」を知っている。ただし、知っているといっても、すぐそのあとに(タコ部屋には何十匹くらい蛸がいるのかなー)ということばがやってくるくらい、いいかげんというか、ゆるいつながりだ。真剣に(?)知っているわけではない。
 そういうところを通って、詩は「おとうと」に戻って行く。

母が額の手拭いを何度も替えている
おとうとの顔は
まだ赤い

 「ゆたかさん」に比べると、母、おとうととの「つながり」は真剣だね。でも、青山にとってはどうか。
 ちょっと違うかもしれない。
 青山は、「ゆたかさん」のことを思う「ゆるさ(余裕)」がある。「すき」がある、と言ってみればいいのか。
 その「ちょっと」には、母をおとうとにとられたという「嫉妬」のようなものがまじっているのかもしれない。
 こういうことは、厳密に考えない方がいいだろうなあ。ことばにすると、だんだん変なことになってしまう。

「風邪ひくから 早く寝な」
母に急きたてられ
神棚のてんてる大神さまをちょっと見上げて
湯たんぽの寝床に入る

雨戸がなる
風がでてきたみたい

 無造作に「こと」が進んで行くが、その無造作なところに、やはり余裕がある。「ゆるみ」ではなく、余裕というようなものがある。
 他人(たとえば、「ゆたかさん」)の場合は「ゆるさ」だが、肉親には「余裕」。どこが違うかといえば、つながりの「強さ」が違う。「てんてる大神さま」というような言い方はどこの家庭でもしたのだろうけれど、青山の家ではそう言っていた(口癖、とは違うけれど、通じるものがある)ということが、「事実」として、「事実」の強さとして動いている。共有される「口癖」があって、「風邪ひくから 早く寝な」という口調にもなる。みんなが同じことばを話している、と言えばいいのかも。
 だから、

雨戸がなる
風がでてきたみたい

 これは青山の感想なのだけれど、同時に、母やおとうと、書かれていない父の思いにも感じられる。いっしょにいるひと、ひとつ屋根のしたにいるひとのものになる。つられて、私もそのひとりになる。読んでいて、自然に、風の音を聞いている気持ちになる。

 「ここがいいなあ」ということを、はっきりさせることばを私は持っていないのだけれど、こういう詩は好きだなあ。



*

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池澤夏樹のカヴァフィス(97)

2019-03-26 00:00:00 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
97 そのはじまり

彼らは、法にそむく快楽を味わった
寝台から起きあがると、
口もきかずに手早く衣服を身につける。
別々にこっそりとその家の外へ出て、
それぞれになんとなく不安な顔で道を急ぐ。
少し前にいかなる類の寝台に横になっていたか、
道ゆく人々にわかってしまうのを恐れるように。

 一連目の全行だが、その最後の二行が強い。「いかなる類の寝台」は「法にそむく快楽を味わった/寝台」のことだが、問題は「寝台」ではない。「法にそむく快楽を味わった」である。
 でも、ここから先を区別するのはむずかしい。
 「法にそむく」と「快楽」、どちらがより問題なのか。「道ゆく人々」に「わかる」と困るのはどちらなのだろうか。客観的には「法にそむく」ということになるかもしれない。わかってしまえば法に問われる。でも、そうではなく「快楽」の方に重心があるように思える。
 「法にそむいた」も表情というか、肉体に出るかもしれないが、「快楽を味わった」の方が肉体の表に出てくるのではないだろうか。まず「快楽を味わった」が外に出てきて、それからその「快楽」のあり方を問われる。ひとは「法」をくぐりぬけられるが、「快楽」からは逃れられない。

 二連目。

しかし、芸術家の人生はそれでなにかを得た。
明日、明後日、何年もたってから、彼は力強い
詩行をつづるが、そのはじまりはここにあった。

 池澤は、

一つの体験を描写した上で、それがいずれ詩に昇華することを示唆しつつ、この過程が詩になっている。とすると、ここに言う「力強い詩行」はこの作品自身ではないということになるか。円環的なからくりがおもしろい。

 と書いている。
 私は先に書いたように、一連目の終わりの二行は強いと思う。もう、その強い詩ははじまっている。







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「新たな皇室像」

2019-03-25 15:56:49 | 自民党憲法改正草案を読む
「新たな皇室像」
             自民党憲法改正草案を読む/番外249(情報の読み方)

 2019年03月25日の読売新聞朝刊(西部版・14版)の社会面。

新たな皇室像 兄弟で/秋篠宮さま 公務支え

 という見出しで秋篠宮の活動を紹介している。それによると、

昨年の(皇太子)ご夫妻での公的な外出は皇室行事を含め24件を数えたが、秋篠宮ご夫妻は54件に上った。

 単に「事実」が書いてあるように見える。秋篠宮が皇室活動を影で(?)支えているという具合に読めるが、私は「深読み(誤読)」をする。
 秋篠宮へ国民の視線をあつめる(秋篠宮を重視する)という姿勢は、NHKの「天皇生前退位意向」の報道以来、一貫してつづいている。この背景には安倍の「意向」が隠れている。
 天皇「強制」生前退位(と、私は「強制」ということばを補って見ている)は安倍によって仕組まれたものであり、安倍の狙いは、秋篠宮を飛び越して悠仁を「摂政」につかせ、安倍の独裁を完成させることだ。
 天皇の「公務」は夫妻でやるのが原則。皇太子の場合、夫妻での活動には無理が生じることがある。昨年の実績では、皇太子夫妻は秋篠宮夫妻にくらべて半分しか活動していない。
 だから、皇太子が「天皇」をつとめるのは、無理。
 かといって、秋篠宮に交代させるというのは、やはりむずかしい。
 一気に秋篠宮を飛び越して、「摂政」という形で悠仁を担ぎだす。
 悠仁天皇(摂政)を誕生させたのは、安倍だ、ということを国民に印象づけ、独裁を正当化する。
 これが最初からの狙いだろう。
 そのためには、もちろん秋篠宮も利用できるだけ利用する。NHKのスクープも、秋篠宮と親しいNHKの記者経由という「噂」が流れたが、そのころから「裏工作」をしていたのだ。利用していたのだ。安倍主導の「強制生前退位」ではない、というための隠蔽工作である。
 皇太子と秋篠宮の違憲の対立(齟齬?)のような報道も、安倍がどこかで「操作」しているのだろう。
 読売新聞は、

 発言に慎重な兄と率直な弟。天皇、皇后両陛下は、兄弟が比較や対立の構図で見られることを懸念されていると言う。(略)ある政府関係者は「秋篠宮さまの不規則発言は懸念材料の一つだ」という。ただし、秋篠宮さまの30年に及ぶ活動の重みもよく理解している。

 と書いている。「秋篠宮さまの30年に及ぶ活動の重みもよく理解している」の「主語」は「ある政府関係者」なのだろうが、はっきりしない。「主語」を明示しないことで、「国民が」「理解している」という解釈が成り立つように、つまり、そういう考えを誘導するような書き方でもある。
 「兄と弟」というのは、新聞としてはかなりかわった「表現」だと思う。普通なら、

発言に慎重な「皇太子」と率直な「秋篠宮」。天皇、皇后両陛下は、「ふたり」が比較や対立の構図で見られることを懸念されていると言う。
 
 という書き方になると思う。「兄と弟」というような表現も、「天皇生前退位」と同じように「誰か」が用意したものなのだろう。
 昭和天皇、いまの天皇の「兄弟関係」についての報道でも、「兄の昭和天皇」「兄の(いまの)天皇」という言い方は、しないだろう。昭和天皇の「弟の〇〇宮」、天皇の「弟の〇〇宮」とは言っても、天皇に「兄の」とう形容詞はつかないだろう。「唯一無二」の存在なのだから、形容詞はいらない、というのが「日本語の経済学」である。
 私は天皇制というばかげた制度はなくなればいいと思っているが、そういう私でさえ「兄の〇〇天皇」ということばは思いつかない。天皇を支配するのはおれだ、と思っている誰かしか思いつかないことばだろう。
 「誰か」というのは、もちろん安倍サイドである。この「誰か」は「生前退位」報道のときもそうだが、有頂天になった瞬間、日本語の常識を逸脱する。(「生前退位」は皇后が誕生日に、そういうことばは聞いたことがなく胸を痛めたというまで、マスコミに流れ続け、皇后の発言以来、ばっと消えた。ミスに気づいた「誰か」がつかわないように指示したということだろう。)

 読売新聞は、また、こういうことも書いている。

 代替わりの後の「兄が天皇、弟が皇位継承順位1位の皇嗣」という後世は「父が天皇、長男が皇太子」という流れがつづいた明治以後の天皇制で初めてのことだ。

 私は歴史を知らないからわからないが、明治以前はどうたったのか。なぜ「明治以後」に限定して天皇制を見ないといけないのか。継承権が「1位」「2位」ときまっているなら、特に「皇嗣」というような呼び方もいらないと思うが、なぜわざわざそう呼ぶことにしたのか。そういうことも、私は疑うのである。
 だいたいいまの天皇が即位するとき、だれが「新たな皇室像 兄弟で」などと言っただろうか。「兄弟で」ということばを持ち出してくる限りは、そこに「弟重視」の視点があると見なければならない。
 皇太子が天皇の間に、法律を改正し、「女性天皇」を誕生させるよう制度をととのえることもできる。そういうことを封印しようとする人間が背後にいて、それが「兄弟」を全面に出し、その延長に「悠仁天皇」を思い描いていると想定する必要がある。

 自民党総裁「安倍3選」からまだ1年もたっていないが、すでに「4選」の話まで出ている。安倍は絶対に「悠仁天皇」まで居すわる。独裁のためなら、なんでもする。そう思って、安倍の行動を見守る必要がある。





#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


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