詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

高橋順子「砂漠の国ナミビア」

2007-12-31 12:52:36 | 詩(雑誌・同人誌)
高橋順子「砂漠の国ナミビア」(「現代詩手帖」2007年12月号、初出「神奈川大学評論」56、2007年03月発行)
 旅行記である。ことばが自在に動いてゆく。自然と共鳴することば(そのなかには日本の感性が生きている)、そこで会ったひとのことば、そしてそのことばは日本人とアフリカの人の視力の違いを浮き彫りし、その視力の違いに触発されて動き始める高橋のことば。

いまはレイニー・シーズンだというが
フォギー・シーズンといったほうがよくはないか
ナミビア砂漠には霧が降っていて小石はしんから濡れていた

 雨と霧の区別。砂漠ではしないかもしれない。雨にいくつもの表情を読み取る感性が「レイニー」と「フォギー」の違いを気にする。そしてその視力が「小石はしんから濡れていた」という繊細な世界を描き出す。
 一方、ナミビアのひとの視力はどうか。

小動物のまるい糞がかたまって落ちていて
タクシー・ドライバーの青年はわたしたちの手帖に
「英語では」と言って「springbok」と書いてくれた
砂漠の中に生き物がいるようには見えないが
彼らはちゃんと生存の証しを置いているのだ
アフリカの人はよく見える目をもっている
また彼の指さす地面を見ると
錆びた薬莢があった
「南アフリカと戦ったときのものだ
ぼくらはその戦いに勝って独立した」

 「よく見える目」は単に視力の問題ではない。視力は歴史を、つまり時間をも見るのである。風景は風景であると同時に歴史なのだ。
 これはいわば当たり前のことかもしれないが、その当たり前のことを自然に描いてゆく。そこに高橋のこころの、ものごとへのこだわりのなさというか、広がり、寛容の力がある。
そして次のようなことばにたどりつく。

砂漠では何も起こらなかったかのように見えるが
戦いがあったことの証拠をとどめている
砂漠は黙っていようとしても
黙っていることができない
息が凝(こご)ったような物たちを漏らしてしまうのだ

 砂漠が「黙っていようとしても/黙っていることができない」ように、高橋も黙っていようとしてもことばが動いてしまう。その動きがとても自然で、深みがある。そして、その深みを抱えてことばはゆっくり浮上する。それがまた非常に自然だ。

道なき道を
といってもドライバーには見えるんだろうが
走りに走ると
ゴミの集積場と
水の製造工場があって
砂丘にのぼると遠くに大西洋が見えた

 近くと遠くを見る目。その視力の背後で動く精神。そのとき見えている大西洋は砂漠を横断してきた(横断しながらアフリカの人と会話する)という体験によって初めて見える大西洋だ。
 何も説明せず、ただ読者に放り出している。「自由に想像して」というように。これは、砂漠を横断し、新しいものを見た高橋の自信だ。それが、とても頼もしい。
 と書いて気づくのだが、高橋のことばにはいつも事実を通り抜けてきたものの頼もしさがある。

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相生葉留実「沼について」

2007-12-30 01:08:31 | 詩(雑誌・同人誌)
 相生葉留実「沼について」(「鰐組」225、2007年12月01日発行)
 沼について何人かが語り合っている。その後半がおもしろい。

誰かが沼に手をいれてみたら
一年前と同じように冷たい水だと言った
なんとなく生温かいと思い込んでいたので以外だった

今日は昨日より全体に重くなっている
沼に体重があるという
どこを測ってそういっているのかわからないのだが

測量士が沼の重さを知っていると言っていいた
沼の総量を言っているの
いやちがう外側の土で囲われている部分
水を逃がさないようにしている全体が沼の重さだという

どうやって測ったの
水の重さなら計算して測れるけれど
といくら言っても
ちがう 沼の重さだと言い張っている

 「なんとなく」「思い込んでいた」「ので」「意外に思った」。
 私たちは何かについてなんとなく思い込んでいることがある。実際を知らないで思い込んでいることかある。「先入観」である。それが破られたとき「意外に思った」という現象が起きる。
 その後も、相生のなんとなく思い込んでいたことが次々に否定される。そのときの変化がとてもおもしろいのである。沼の水が冷たいと知らされたとき「意外に思った」だけだったが、「沼の重さ」に関しては「意外に思った」と「先入観」が引き下がらない。「おかしいではないか」と食い下がる。(同じ「下がる」ということばをつかいながら「引き下がる」と「食い下がる」ではまったく違うなあ、と私は一瞬脱線してしまうが……。それは、こうやって、括弧に閉じておいて。)食い下がる根拠は、

水の重さなら計算して測れるけれど

 である。
 これがまた、実におもしろい。「重さ」の測り方には器具を使ったものとそうでないものがある。また「手秤」という肉体を使った測り方や、目分量というものもあるが、こうしたものには「人間の経験」がかかわっている。これも一種の「器具」に当たるかもしれない。「経験」というのは肉体に備わった「器具」なのである。相生はそういうものをも頼りにしていない。相生の反論は「計算して」に根拠がある。「思い込み」を訂正するのは「計算」(いわば、頭)であると主張している。そして食い下がっている。
 相生の食い下がり方--まっとうでしょ? 正しいと思うでしょ? 論理的だと思うでしょ?
 私も正しいし、論理的な反論だと思う。測量士の言っていることは変だと思う。
 そう思いながら、そうなのかな? という疑問も湧き出てくる。水の重さを計算して測るというのは、沼の容積を求め、それを1リットル=1キロに換算して求めるということだが、重さというのはそれだけでいいのだろうか。それ以外のものを含んでいないだろうか。よどんだ水。透明な水。生ぬるい水。凍るような水。その印象が私たちに与えるものが計算では除外されるけれど、それでいいのだろうか。そしてその印象には、たとえば沼を取り囲んでいる土の状態、草木の状態も影響しているかもしれない。それは計算に含まれないけれど、いいのだろうか。
 相生が食い下がることによって、そういうもの、奇妙な疑問がどこからとも湧いて来る。そして、その疑問の背後にあるのは、というか背後そのものは「なんとなく」「思い込んでいた」なのである。私が「なんとなく」「思い込んでいた」ものなのである。
 相生は、そういう世界へは入って行かず「計算」(頭)のなかへ入って行くのだが、そのときの進入の照らし返しとして、奇妙な疑問が私の中に生じるだけなのかもしれないが、そういう「照らし返し」の運動を引き起こすことばの動きが相生のことばのなかにあるということだろうと思う。

なんとなく生温かいと思い込んでいたので意外に思った

 という1行が、最後になって、沼の底から湧き水のように立ち上って来る。そんな仕掛け(?)が隠されているのかもしれない。

ちがう 沼の重さだと言い張っている

 には、「ちがう、それは変だ」と言い張っている相生の気持ちが絡みついている。その絡みつき方が、おもしろい。いろいろなことを考えさせてくれる。


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坂多瑩子「茂み」

2007-12-29 10:36:48 | 詩(雑誌・同人誌)
 坂多瑩子「茂み」(「鰐組」225、2007年12月01日発行)
 認知症の母を施設に訪ねる。母は坂多を認知できない。その後半。

天使は記憶を持っていないと
昨日 本で読んだけど
頭のなかにはつながっている線みたいなものがあって
どこで切れば
今だけになれるのだろうか
なぜ帽子をかぶるのと聞くと
だって こっちのほうがあれだもの
ぼそぼそという
母のまわりにあるものはぼやけている
はっきりしたカタチのものは
なにもないが
すべてはっきりしたカタチを持っている
小さなものまでが自らのカタチを誇示している
私は
茂みに石をほうり投げた
石は草の上に落ちるはずだったが
何かにあたった
とても澄んだ音をたてた

 最後の方の「茂み」は母のが入所している施設の近くの駅のホームの茂みであるだろうと思うけれど、その「茂み」がそのまま母の認識している世界と重なる。また坂多自信の認識している世界と重なる。
 ひとはいつでも思いもかけぬものとぶつかる。
 そのとき、それをどう認識するか。ここに、そのひとの人間性が出てくる。

とても澄んだ音をたてた

 認知症の母と話す。母の見ている世界は坂多の認識している世界とは違う。だから会話が会話にならない。そのとき、そのことの不便さ、理不尽さのを通して、何を見るか。感じるか。坂多は「とてもすんだ音」を聞いたのだ。帰って来たものを、答えを「澄んだもの」(透明なもの、汚れのないもの)と感じた。
 それは坂多に「天使」を思い出させる。
 「天使」は実在しない。実在はしないけれど、実在しないがゆえに、そこには人間の夢や願いや、あるいは欲望が存在している。
 母を通して天使に出会う、あるいは母の中に天使を見いだしている--ということは、実は、坂多自身の中に天使とつながるものを見いだすということでもある。だからこそ「澄んだ音」が聞こえる。
 なかには、この音を「いやな音」と聞く人もいるかもしれない。「澄んだ音」、しかも「とても澄んだ音」と聞き取るこころのつよさが坂多の力だ。
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小林尹夫「棲息33」

2007-12-28 11:01:45 | 詩(雑誌・同人誌)
 小林尹夫「棲息33」(「鰐組」225、2007年12月01日発行)
 3連目がとてもいい。

時は遠ざかるばかりなのに、記憶は近づくばかり。
母の汗を吸った敷き布団のにおう、なま温かさ。
しっかりと握りしめた伯父の手の力、手の言葉。

 亡くなった母を布団から柩に移すときの描写だ。遺体の下へ手を差し入れ、向こう側から伸ばされてくる手と出会う。
 「手の言葉」がいい。手はもちろんことばなど持たない。持たないけれど、ことばが伝わってくる。それはことばにならないことばである。ことばにならないだけではなく、ことばにしなくてもわかることばである。
 そして「手の言葉」と小林が明確に書くことによって、そのと伯父の手と小林の手が会話したことがわかる。
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倉橋健一「足裏に汗が」

2007-12-27 09:19:59 | 詩(雑誌・同人誌)
 倉橋健一「足裏に汗が」(「現代詩手帖」2007年12月号、初出「PO」126、2007年08月)
 「夢」を描いた詩を最近多く読むようになった気がする。夢をひとはどうやってみるのか。「映像」で見るのか。「ことば」で見るのか。「見る」ということばが「夢を見る」ということばのなかに含まれるから、視覚は含まれているのだろうけれど、どうも「映像」を見る、という感じがしないのである。「ことば」で見るのだ、という気持ちがするのである。
 倉橋の作品を読みながら、その思いをいっそう強くした。倉橋の詩は「飯だ」と呼ぶ声にさそわれて「厨」へゆく夢を描いている。その前の方の部分。

仕方かないので膳の前に正座して
うたた寝をするふりをしていたら
箸が木に成長したら風呂に入れ
と今度ははっきり背中からおばばの声がした
といって相変わらずひと気はない
ただ滴の落ちる辺りからは
いつのまにか味噌汁の匂いがする
味噌汁の匂いがすると
空腹にもなり淫蕩にもなる

 いちばん夢らしいのは「箸が木に成長したら風呂に入れ」という理不尽な(?)指示だろうか。「空腹にもなり淫蕩にもなる」という突然の飛躍だろうか。どちらもとても魅力的な行であり、たしかにそこに「夢」の、「夢」でしかないものを感じる。そういう世界は「映像」ではなく「ことば」でしか再現できない。「夢」は「ことば」で見る--という理由のひとつはそこにあるのだが、そうした特異な(?)状況・状態よりも、もっと強く、「夢はことばなのだ」と思う部分がある。
 「今度は」「はっきり」「といって」「相変わらず」「ただ」「いつのまにか」。このことばの一連の動き、逆説と連続を引き起こすことばの動きが「夢」なのである。違うものを意識する。そして意識したとたんに、意識は動いてしまって、それを取り込んでしまう。存在を柔らかに溶かして融合させるのではなく、存在を存在の固体のまま流動させてしまうことばの動き。
 続きを読むと、さらにそういう気持ちが強くなる。

そういえば前夜は不寝(ねず)の番で
神聖な石の周りを巡りながら
雨乞いの行(ぎょう)をしていた気がする

 「そういえば」「気がする」。ここには「映像」は含まれない。「そういえば」や「気がする」を「映像」では伝えられない。(私は、その方法を知らない。思いつかない。)ことばだけが意識を動かしてゆき、「夢」を「つくる」のである。ことばの動きのなかで「夢」は「夢」になる。

 「夢」をことばにするのは難しい。語ろうとする先から「夢」はするりと逃げていく。どうにも、さっき見た「夢」と同じものにはならない。「うまくいえない」。誰もが経験するこの感覚は、「夢」がことばでできているからにほかならない。ことばでできているからこそ、ことばが少しでも違った風に動くと違いがはっきり自覚でき、あ、いいたいことはこういうことではないのに、これは私の見た「夢」とは違っているという感じが、語る人のなかで生まれるのだろう。
 「夢」はことばでできている。「夢」はことばで見るものである。だからこそ、強靱な文体を持った詩人や作家にしか「夢」は書けない。「夢」が描かれ、そしてそれがリアルに迫ってくるというのは、その詩人が強靱な文体を持っている証拠でもある。

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野木京子「繊維草、えのころくさ」

2007-12-26 23:28:01 | 詩(雑誌・同人誌)
 野木京子「繊維草、えのころくさ」(「現代詩手帖」2007年12月号、初出「スーハー!」創刊号、2007年03月)

私は足を水辺に濡らしたのです
(渡り切ることなどできないのにね)
小さな妖鬼が赤い実をぶら下げたまま、くくうとあざける
空が割れているよ、空が割れたよ
私のなかの幼い舌がそうささやいたのに
ここには空なんかないよ

 この6行のうちの、「私は足を水辺に濡らしたのです」を私は、実は

私は足に水辺を濡らした

 と読んでいた。引用するまで、ずーっと、そう読み続けていた。そして間違えたまま、
感想を書きたいと思い続けていた。
 「私は足に水辺を濡らした」は文法的におかしい。そんなことはあり得ない。そうわかっているのに、私はそう読み続けたのである。
 なぜか。
 野木の「私は足を水辺に濡らしたのです」ということばの動かし方は私の動かし方からすると乱れている。私なら、こういう書き方はしない。「私は水辺で足を濡らした」になる。「てにをは」が違う。「足」という目的語(?)の位置が違う。そのために、とんでもない具合に「てにをは」が動いてしまって、私の意識のなかで

私は足に水辺を濡らした

 ということばの動きになったのである。
 だが、この乱れゆえに、乱れを引き起こす力ゆえに、実は私は野木の詩が好きなのである。
 私の意識のなかで動いたことばほどではないが、野木のことばにも乱れはあるのだと思う。「私は水辺で足を濡らした」ではなく「私は足を水辺に濡らしたのです」と書くときの乱れ。野木は「私は水辺で足を濡らした」とはそうは書かない。そして、そう書かないのは書かないだけの理由があるのだ。その、ことばにはならないような理由がこの1行に含まれている、と私は感じる。
 ことばにならない何かがあるということを明らかにするために、野木はわざと乱れた文体を採用している。--私は、そんなふうに思い、その書かれていないものに惹かれるのかもしれない。

空が割れているよ、空が割れたよ
私のなかの幼い舌がそうささやいたのに
ここには空なんかないよ

 この3行にも類似のものがある。
 矛盾がここにはある。空がないのに、空が割れたとことばにする矛盾がある。しかも、そのことばを発するのはここにはいないとも、ここにいるとも断言できる「私のなかの幼い舌」である。
 「私のなか」と「私」が入り乱れて揺れている。そして、そういう乱れのなかに巻き込まれてゆくとき、何かが見える感じがする。私が見えると感じたものは野木の書いているものとは無関係かもしれない。それでも私は、そういう錯覚が好きなのだ。他人のことばをとおって、いままでの自分のことばで花たどり着けない場所をいってしまうことが好きなのだ。その瞬間に、詩を感じるのだ。

 「私のなかの幼い舌」も刺激的だ。 「私のなか」と「私」が入り乱れて揺れているとき、「幼い」時代の舌なのか、それとも本当は幼くないのだが「幼さ」を残している今の舌なのか。どちらともとれる。どちらともとれることが、詩を誘うのだ。
 そして、ここまで書いて、私は、「私は足を水辺に濡らしたのです」を「私は足に水辺を濡らした」と読み違えた理由に出会う。そのとき「足」と「水」は区別がないのだ。一体になっているのだ。だから、「足を水辺に濡らす」も「足に水辺を濡らす」も同じなのだ。足と水とが一体になる瞬間にかわりがないのだ。
 ある存在と別の存在が出会い、その瞬間に二つの存在の区別がなくなる。どちらともとれる状態になる。そして何かが動き始める。まだことばにならない何かが動きだす。
 詩は、そういうところにあるのだと思う。


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鶴見俊介「自由はゆっくりと来る」

2007-12-25 14:13:18 | 詩集
詩と自由―恋と革命 (詩の森文庫)
鶴見 俊輔
思潮社

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2007年12月25日(火曜日)

 鶴見俊介「自由はゆっくりと来る」(「現代詩手帖」2007年12月号、初出『詩と自由』2007年01月)
 鶴見俊介の詩は初めて読んだ。(本屋で詩集を立ち読みしたが、それは眺めた、という程度のものであり、特に感想を書こうとも思わなかった。)「アンソロジー」に選ばれているは次の詩である。

知っている多くの人に
心を分かとう。
千々にくだいて。
それが冷たくとも
なにかのしるしになるだろう。

人が死んで行くごとに
おれは自分から自由になり
静かに薄れてゆく。

 こうした詩は1篇だから読むことができる。2篇までも大丈夫かもしれない。しかし3篇以上続くとたぶん私は読むのをやめてしまう。感想を書こうという気持ちにもならない。
 なぜか。
 「意味」があるからだ。
 鶴見が誰かと知り合いになる。その知り合いの中で「鶴見像」というものができあがる。それは「親切な鶴見」「勤勉な鶴見」だけではなく、「冷たい鶴見」であるかもしれない。(「それが冷たくとも」と鶴見はきちんと書いている。)それがどんなものであれ、鶴見が生きている「しるし」である。それが社会に広がり、少しずつ鶴見という人間をしばる。「鶴見はこうした人間だ」という声が鶴見をしばる。その声に合わせるにしろ、あるいは逆にその声を裏切るにしろ、一種の拘束として鶴見には感じられる。だが、その知人たちが死んでゆくと、知人たちの「鶴見像」も一緒に消えてゆく。そして、鶴見は「鶴見像」から自由になり、同時に自由になること存在の厚みを失って「薄く」なってゆく。
 こんな「意味」を追いながらことばを読むのは楽しくない。楽しくなければ、詩ではない。

 また、ここに書かれているセンチメンタルも私にはとても気持ちが悪い。そういう意味でも、楽しくない。(詩には、気持ちが悪くても、何度でも読みたいものもある。)
 だいたい人間関係のなかでさまざまな「自画像」があふれ、それが知人の死によって消えてゆくことが「自画像」の全体量が減り、自己が薄れてゆくという「算数」がナルシスティックである。今、鶴見が何歳か知らないし、この詩を書いたのが何歳のときか知らないが、いわば「おとな」がこんな「算数」に酔いしれて、「算数」をわざわざ発見であるかのように書いて、鶴見自身で楽しかったのだろうか。
 だいたい、「鶴見像」は「知人」の中だけで存在するのだろうか。
 私は鶴見とは何の面識もない。知人ではない。けれども「鶴見像」というものを持っている。(面倒だから、ここでは、この詩にあらわれた鶴見とは違っている、とだけ書いておく。)そういう人は無数にいる。そしてまた、たとえ鶴見が死んだとしても、多くの人は鶴見の残した文章を読み、「鶴見像」をつくりあげる。そういう人(簡単に言えば、鶴見よりも若い人)は今後もどんどん増えるだろう。鶴見が死んだとしても、「鶴見像」は減りはしないのである。死んでしまえば、鶴見が反論できない「鶴見像」があふれ、その「鶴見像」の行き違いで、鶴見とは無関係な人々が「本当の鶴見はこれだ」と言い合うようなことだって起きるのである。「古典」の作家はみな、そうである。たとえばプラトンはプラトンの実際の知人よりもはるかに多くの人に知られ、その「プラトン像」はプラトンが生きていた時代よりはるかに多い。プラトンは、他人がつくりあげる「プラトン像」からは永遠に自由にはなれない。
 鶴見もそういう「古典」につらなる一人である。(詩人としてではないかもしれないが……)--と、ここまで書いてきて、あれ、鶴見は、こういう感想、「鶴見は古典につらなるひとりであるから、死後もその存在は薄れはしない」という文章を求めて、こんな詩を書いたのかなあ、となんだかわびしい気持ちにもさせられた。ふいに、わびしさが込み上げてきた。知人が死んで「鶴見像」が消えるよりも、何かをきっかけに「鶴見像」そのものが読者のなかで変わってしまう(時には消えてしまう)ということの方が、ホラーなのだが、鶴見はそういうことは考えないのかもしれない。生きている人のなかでも「鶴見像」は消える。そのことをちょっと思い出してもらいたい。

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城戸朱理「世界-海」

2007-12-24 11:50:31 | 詩(雑誌・同人誌)
 城戸朱理「世界-海」(「現代詩手帖」2007年12月号、初出「文学界」2007年08月号)
 どうしても魅力を感じることができない詩人というものがいる。たとえば城戸朱理がそのひとりである。

「壊れた心臓」のような花が咲き
樫の木を夏が昇っていくころ
陽光は大気と衝突して少し速度をゆるめ
誰かの心のように屈折しながら
子供たちの影を伸ばしていく

 これは西脇の語法である。「ambarvalia」の「天気」「太陽」がすぐに蘇る。もちろん城戸は「態と」(西脇の詩のキーワード)西脇を感じさせるように書いているのである。城戸はいつでも「歴史」を視野に入れて詩を書いている。それは西脇以降、あたりまえのことなので、「歴史」を視野に入れながらことばを動かすということ自体が気に入らないわけではない。(むしろ、「歴史」を視野に入れていない詩、そういう詩を書くひとの方が私には、気に食わないことが多い。)
 城戸のことばの何が気に食わないかといえば、その「音楽」である。西脇の詩にある「音楽」が欠如している。
 もちろんどんな詩にも(ことばにも)音楽自体はあるのだが、城戸の場合は、その組み合わせがとてもセンチメンタルで、私はときどきぞっとしてしまうのである。西脇が拒絶することで作り上げた音楽が、どこにその残骸があったのか不思議でしようがないのだが、城戸のことばのなかに唐突にあらわれ、ことばをねばねばにする。
 西脇は破壊の諧調の美しさを音楽にしたが、城戸は、破壊をこばみ、亀裂、綻びをせっせっとセンチメンタルで繋ぎ止めていく。壊しているつもりなのかもしれないけれど、そこには壊れたものが元の形をもとめている未練のようなものがねばねばしている。

誰かの心のように屈折しながら

 こんなことばの選択は西脇にはない。こんなことばの運動は西脇にはない。こんな行を西脇は書かない。--だからこそ、それが城戸の個性である、という評価の仕方があるかもしれないが、ここで「個性」ということばを登場させてしまえば、もう西脇が必要ではなくなる。個性なんて関係ない。個性(個性神話)を破壊して行くこと--そこにこそ西脇の詩のおもしろさがある。(エリオットも同じだろう。)
 個性を否定する詩の語法に準拠しながら、個性(城戸のセンチメンタリズム)を一方で擁護するのであれば、これは詩法(詩論)として完全に矛盾していることになるだろう。
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池井昌樹「密言」

2007-12-23 14:26:08 | 詩(雑誌・同人誌)
 池井昌樹「密言」(「現代詩手帖」2007年12月号、初出「歴程」2007年08月号)
 池井の詩は、とつぜん「うた」ではじまる。「こえ」ではじまる、と言い換えてもいいかもしれない。「意味」からはじまらない。「意味」を語ろうとはしない。

だれもいない……なつやすみ
まだあさにちかいおひるまえ
ミルクのような陽があたり
ぼくはこの世にひとりいた

 ただ「こえ」が出て、「うた」になる。「うた」といっても、最初は、ただの音のゆらぎである。何かいいたいことがあって「こえ」を出しているのではない。赤ん坊のばぶばぶという「こえ」よりも、池井の「こえ」の方がしまつがわるい。赤ん坊は「こえ」を出すことは自然に身につけているが、まだことばを具体的に言うことろまで肉体が発達していないし、「意味」も知らない。ところが池井はちゃんとことばを発音することも知っていれば「意味」も知っている。知っていながら、「意味」を捨て去って、「こえ」そのものになろうとする。

まだあさにちかいおひるまえ

 ここには「意味」はない。「こえ」のよろこびだけがある。実際に発音してみるとわかる。「まだあさにちかい」には「あ」と「い」のうねりがあるだけである。「おひるまえ」には「あいうえお」の音がある。池井の肉体は自然にこういうことをやってのける。「意味」を捨て、肉体そのものになることで、「意味」以前のものと共感するのである。感覚を開放し、肉体そのものをも池井ではないだれかと共有するのである。

押入れのあかずのとびら
あかずのとびらのむこうには
ぼくのしらないおお祖母が
いきたえたままいきていて

 「押入れのあかずのとびらのむこうには」ではなく、「あかずのとびら/あかずのとびらのむこうには」と「おと」を繰り返す。そのリズムにのって、「意味」を超える。超越する。「ぼくのしらないおお祖母が/いきたえたままいきていて」という「意味」を超越した世界へ入って行く。そのために「おと」が必要なのである。「おと」によって肉体を酔わせる。肉体そのものをも忘れさせる。「おと」の愉悦が肉体の愉悦と重なり合って、肉体の輪郭、肉体にも及んできている「意味」を超越する。

だれもいない…なつやすみ
まだあさにちかいおひるまえ
万象はみなぼくをゆびさし
ささやきかける……なにごとか

くちぐちに……ささやきかわす
ミルクのような陽のなかで
ぼくはだれかの名を呼びかけて
………………その名をわすれた

 池井の肉体は、ここにはない。消えてしまっている。「万象はみなぼくをゆびさし」ているのは、「ぼく」が「万象」そのものだからである。「池井」という枠が消え、あらゆる存在としてそこに存在する。どこを指差しても「ぼく」をゆびさすことになるのである。
 こういう状態、世界と一体となり、どこに存在するのか、その一点を指し示すことができない状態を「放心」という。「心」はあらゆる「場」に放たれて、そのときそのとき、自在に形をとるのである。
 そこで池井は「なにごとか」を聞く。「なにごとか」としか言えないのは、そこには「意味」がないからだ。ただ、放心する、そのときに、あらゆるものの「こえ」が聞こえる。「あらゆる」というのは、もちろんそのなかに「池井」自身も含まれるからである。「万象」が「池井」の分身である。「万象」がささやくのは「池井」の「こえ」でもある。
 「ぼくはだれかの名を呼びかけて/………………その名をわすれた」と池井は書くが忘れたのではなく、名前など存在しないのだ。どう名づけてもいいのだ。名前を超越してしまうのだ。

 池井は「こえ」を出した瞬間から、それが「詩」へとむかってゆらめき、「こえ」は詩をつかんでくる。池井の「こえ」は「詩」しかつかめない。「こえ」は「詩」になってしまう。
 詩しか書けない人間がいる、というのは、驚愕すべきことである。

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建畠晢「葉桜の街」

2007-12-22 11:11:30 | 詩(雑誌・同人誌)

 建畠晢「葉桜の街」(「現代詩手帖」2007年12月号、初出「文藝春秋」2007年07月号) 木坂涼の「止まる」を読んだあと、この建畠の作品が急に気になりはじめた。
 木坂の作品は、世界が一点に集約し、その一点を木坂自身が通り抜けると、その瞬間に宇宙があらわれる。一点への凝縮と瞬間的な宇宙へのひろがり。そういうものをやわらかな感性のなかでつたえるのが木坂の詩である。
 建畠の詩は、木坂とは逆である。

畳屋の二階で、鳥が殺されました
その時、窓の外では葉桜が我関せずと春風に揺れ
緩やかにカーブする道では
何も知らない家族のワゴン車が行き交っていました
公園の斜面を連なって降りる幼児たちの沈黙
そして木立の中に集う麻服の老女たちの嬌声
ささやかな集団は、それぞれに音を立て、また立てない
大小の陶器もまた我関せずと木漏れ日の市に並び
葉桜は柔らかな風に揺れ
ああその時、畳屋の二階では、鳥が殺されたのです

 鳥が殺された。そこから出発し、建畠の世界は拡散して行く。凝縮を拒む。葉桜。道。ワゴン車。幼児。老女。陶器。それらはすべて「我関せず」(何も知らない)という意識で存在している。併存している。何の脈絡もない。どんなにていねいに描写しても、たとえば、道を「緩やかに」「カーブする」と修飾語を重ねてみても、意識はその修飾語へ集中するのではなく、ただ上滑りにすべり、道は主役の座を「ワゴン車」に譲るのだが、その「ワゴン車」も「何も知らない」「家族」の特定されながら、何の意味も持たないまま「行き交っていました」と修飾語があろうがなかろうがかわらない述語を割り当てられるだけである。ここではなにも起きない。
 幼児と老女が並列して存在し、音を立てるものと立てないものも、無関係に並列して存在する。「それぞれに音を立て、また立てない」ということばに含まれる「また」ということばが非常に印象的なのは、そのことば「また」が建畠の描く世界を象徴しているからだろう。
 世界は「また」を繰り返しながら広がり続ける。建畠は10行で詩を閉じているが、実際は、世界は「また」を繰り返しながら延々と広がっている。ともどもない。書こうと思えばどこまでも延々と描写は続くのである。
 そうした世界のなかで、建畠は「ああ」と声を洩らす。(最終行)
 ここにこの作品の「詩」がある。
 世界が拡散する。建畠のことばにのって、上滑りしながら、「また」を省略したまま、永遠に広がり続ける。ことばはそんなふうに延々と広がり続けながら、建畠へとは帰って来ない。ただ建畠だけが取り残される。「一点」が取り残される。何にも出会えない。ただ自分の感情とだけ出会う。それが「ああ」という詠嘆である。他人を無視して自分とだけ出会う。それが「ああ」である。

 そうではなく、建畠は「鳥」と出会っている、という読み方もあるかもしれない。しかし、もしほんとうに出会っているなら(一期一会と呼べる瞬間がそこにあるなら)、世界は「また」を繰り返し中らばらばらに拡散はしない。「我関せず」「何も知らない」ではなく、強い関係で緊密につながって広がる。新しい連続の糸が複数の存在を貫き直すのが「出会い」というものである。
 世界を仮に閉じる形をとって、建畠は最終行で、書き出しに戻っているかのように見えるが、それは「ああ」というために戻ってきたにすぎない。何もかわってはいない。建畠は「鳥」とは出会わないのだ。何とも出会わず、ただ拡散するのである。タイトルが「鳥」でもなければ世界の象徴としての「街」でもなく「葉桜の」という修飾語つきの「街」であることも、建畠のこの作品自体を象徴している。常に何かの修飾、飾りたてるものが必要なのである。なぜ飾りたてる必要があるか。飾りたてるという行為をとおしてしかことばが動いてゆかないからである。
 「ああ」は、そうした修飾語のように、建畠自身を飾りたてる。自分の感情を自分のことばで飾りたてることを、私は「センチメンタル」と定義している。

 建畠の書いている「ああ」は古い「ああ」である。センチメンタルな「ああ」である。詩の全体のことばの動き自体もなにかしら古いものを感じさせるが、2007年に、この古い「ああ」を書く--。それは、これまでの建畠の詩からすると、やはり「わざと」書かれたものであり、そうした点からも、「ああ」にこそ建畠の「詩」があるのだと言える。ここには選びとられたセンチメンタルがある。酔っていない。酔っているふりをして見せる冷静な知の運動の健全さが、この作品でも、きっちりとあらわれている。
 木坂の詩は感性を開放し、世界とまるごと重なる。一点と重なることで宇宙と重なる。建畠は知性を守り、世界と重なることを拒絶しながら世界を回る。「ああ」などと世界と自己の断絶のなかで自己自身にだけ向き合っているふりをしながら世界を見据える。重なり合わないことでしかとらえられない世界というものを描く。センチメンタルが「わざとの装い」であるがゆえに、すべての行が感情に汚れず美しく屹立する。

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木坂涼「止まる」

2007-12-21 09:00:00 | 詩(雑誌・同人誌)
 木坂涼「止まる」(「現代詩手帖」2007年12月号、初出「花眼」4、2007年07月発行)
 木坂の作品にはいつもとても美しいことばがある。繊細な感覚がある。

森の奥に日が入り込む
すると
日の破片が
二度と抜け出せないほどに細かな枝と枝
葉と葉の間に
引っかかってしまう

止まる

 この光の描写はとても美しい。そしてただ美しいだけではなく、1行アキを挟んで「引っかかってしまう」が「止まる」へと変化した瞬間に、単なる美しさではなく、詩に変わる。哲学を含んだことばに生まれ変わり、木坂の内部を耕しはじめる。風景の描写ではなく、内面の描写へと変わる。

やがて止まる
もろもろ

いっぺんにではなく
一人分ずつ
一回分ずつ

 「一人」という発見、「一回」という発見。
 一期一会ということばがあるが、それは単に何か(だれか)と会うということではない。会って、自分そのものが変わる。つまり、自分を発見するということだ。
 木坂の見たもの、感じたもの--それはすべて一期一会である。そしてその瞬間ごとに、木坂は生まれ変わる。そうしたことへの感謝のようなものが、木坂のことばを輝かせている。
 それが一番強く出ているのが「二度と抜け出せないほどに」の「二度」ということばだ。
 一期一会、「一人」「一回」--その「一」という意識が「二度」の「二」のなかで強烈に炸裂し「二度と」「ない」という文脈を引き寄せる。その意識の動き、それがとてつもなく美しい。
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福間健二「ばらばらにになった部位のなにが」

2007-12-20 10:36:59 | 詩(雑誌・同人誌)
 福間健二「ばらばらにになった部位のなにが」(「現代詩手帖」2007年12月号、初出「ペーパー」1、2007年05月発行)
 福間健二「ばらばらにになった部位のなにが」はかつて「ペーパー」で読んだはずである。そのときは印象に残らなかった。「ペーパー」が大きすぎて、私の手にあまり、意識が散漫なまま読んだのだろうと思う。
 「詩はオブジェである」と野村喜和夫はかつて言ったことがある。(詩集はオブジェである、だったかもしれない。)
 私は、どんなものに書かれていてもことばはことばであってそれ以外のものではないと考えている。どんなものに書かれていても、詩の形式(?)ではなくても、ついつい詩かもしれないと思って読んでしまう。頭の中でことばを動かして、それが気持ちよく動くかあるいは逆にとんでもなく気持ち悪く動くか、ようするに私を刺激するかどうかだけが問題だと考えている。
 しかし、そうとばかりは言えないのかもしれない。私は、気楽に広げられない大きさのものは敬遠してしまうのかもしれない。
 「現代詩手帖」という雑誌が詩の媒介として最適であるかどうかはわからないが、このサイズの本だと読んでいてことばに集中できるのである。(体調も影響するかもしれないが。)あ、福間はこんなにおもしろい詩を書いていたのか、とちょっと驚いてしまった。

土曜日、問題が発生した
日曜日、精霊たちのいる河原を
自転車で通っても、とりかえせる部位はなく
くらやみで、他人の手で
ハサミを使いながら、私は切り抜く記事を見失っていた

月曜日、目のつりあがった「美しい国」との対決を
回避する他人の足で
庭のクリスマスローズを踏み
「さようなら、お世話になりました」

 2度出てくる「他人」ということば。それはもちろん比喩であって、ほんとうは「私」の手足である。「私」のものなのに「他人」と、わざと書く。その瞬間に、世界の関節がはずれてしまう。福間の書いていることばをつかえば「ばらばら」になる。ばらばらになるとはいいながらも、人間の体は、あるいは意識もそうかもしれないが、関節以外でもつながっている。ばらばらになっても、それは完全な切断ではないのである。逆に言えば、新しい接続の形をもとめる意識が「ばらばら」を生み出しているのかもしれない。
 ばらばらでありながら、不思議な形でつながる。それは、ちょうど、福間の書いていることばが、ばらばらのまま詩行をつくるのに似ている。
 たとえば2連目の「美しい国」。安倍が首相だったころさかんに口にしたことば。そのことばは2007年という時代と社会を超えて、どこまで射程をもちつづけるかわからない。そしてそれが「射程」を失ったとしても、ことば自体としては存在する。ばらばらであることを自覚しながら、日本語そのものとして、永遠に存在し続ける。--そうした関節のはずれた感じと接続なの感じが、現実をさびしいものにする。現実との接続をいっさい説明せず(「美しい国」がだれのことばであるか、それをどう聞いたかなどはいっさい説明せず)、逆にはずれた関節のように機能不全というかたちでほうりだす。そこに、不思議なさびしさがある。ことばがつくりだす熱狂のさびしさと、同時に熱狂が覚めていくときの平静な感じがある。

私は切り抜く記事を見失っていた

 こういうセンチメンタルは私は大嫌いなのだが、この作品のなかでは、とてもさびしい感じにおさまっている。そして、そのさびしさをとおして、現実が少し活性化する。あ、これは西脇の新バージョンか、とふと、思ったのである。さびしさが、福間そのものになるのである。

 ただし最終連(引用を省く)は私にはとてもつまらなかった。げんなりしてしまった。そこにあるのはさびしさではなく、気取った孤独である。安易なセンチメンタルである。
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山崎るり子「美しい朝」

2007-12-19 11:28:37 | 詩(雑誌・同人誌)
 山崎るり子「美しい朝」(「現代詩手帖」2007年12月号、初出「東京新聞」2007年05月11日)
 ことばは繰り返しているうちに変質してくる。どんなふうに変質してくるかを明確にいうことはできない。いうことができないままに、変質してしまう。
 山崎るり子「美しい朝」は、何の説明も加えず、ただ変質をほうりだす。

美しい朝
大丈夫。
波は波のまま 繰り返している
繰り返している。

美しい野。
大丈夫。
捨て猫はまだ鳴いている
聞こえない声で まだ鳴いている

美しい朝
大丈夫。
空からは何も落ちて来ない

私は靴紐を結び直そうと屈んだ
私が靴紐を結び直して
体を起こしたとき
それはもう終わっていて
わたしは何も知らずに歩きだした

美しい今日、
大丈夫。
わたしは何も知らないでいる。

 最終連には隠されたことばがある。その隠されたことばこそが、この詩の中で変質してしまったものだ。変質してしまったから、そこに存在するにもかかわらず見えない。ことばとしてあらわれることができなかったのである。

 この詩のなかにはいくつかのことばが繰り返されている。「繰り返している」も繰り返されているが、そのほかに「美しい朝」「大丈夫」「まだ」「鳴いている」「靴紐」「結び直す」。
 最終連では「美しい朝」は「美しい今日」に変質している。「大丈夫」は同じ形で繰り返されている。「美しい朝」が「美しい今日」に変化したけれど「大丈夫」はそのまま変化しないでいる。というのは、みせかけで、「美しい朝」が変質したのなら「大丈夫」も「大丈夫」ではなくなっているはずである。だが、そのことについて「私は何も知らないでいる」。
 何がほんとうに変質したのか。

 繰り返されることばと、繰り返されないことばがある。その違いのなかに、ほんとうに変質してしまったものがある。
 「まだ」は 2連目のなかに繰り返されている。「もう」は4連目のなかで1回だけ使われている。そして、よく読み返すと「まだ」は実は書かれてはいないが4連目以外には隠れひそんでいる。1連目では「波は波のまま (まだ)繰り返している」、3連目「空からは(まだ)何も落ちて来ない」、4連目「私は(まだ)何も知らないでいる」。
 「まだ」が変質したのである。
 1連目は「まだ」が隠れているが、書く必要はなかった。3連目では「まだ」は消えかかっている。4連目で「まだ」は「もう」に変化してしまって、5連目の「まだ」は1連目から3連目までの「まだ」とは完全に違ってしまったために、存在するにもかかわらず、登場することができない。登場するときは、はっきりと2連目と5連目で違ってしまったこと、その具体的な内容を書かなければいけなくなる。ところが、その変質は書くことができない。だから、省略するしかないのである。
 「私は(まだ)何も知らないでいる」とは、取り返しのつかないことなのである。人間は、その何もできないことの前で、それでも、「まだ」にすがろうとしている。「もう」変質してしまっているのに、「まだ」大丈夫、と思い込もうとしている。思い込めば現実そのものが変質してくれるとでも信じているかのように。

 このとき、「美しい朝」は逆説である。山崎は、わざと「美しい朝」と書いている。「美しい今日」と書いている。美しくないから、美しいと書く。このわざののなかに詩がアリ、そのわざとを支えているのが「まだ」という意識が変質しているという認識なのである。
 ここには詩と哲学の出会いがある。批評がある。

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川田絢音「カサブランカ」、須藤洋平「孤独とじゃれあえ!」

2007-12-18 11:47:34 | 詩集
それは消える字
川田 絢音
ミッドナイト・プレス

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 川田絢音「カサブランカ」、須藤洋平「孤独とじゃれあえ!」(「現代詩手帖」2007年12月号)
 川田絢音「カサブランカ」の初出は『消える字』(2007年04月発行)。異国で「詩」について語る、というより、「詩」ということばが引き起こす衝撃を書いている。

詩と言うだけで
激情のように
なにかを破る
読まれていないのに
詩が
伝わることがあって
手に入れることのできない現実のものを
獲たような思いがした

 詩として書かれたものではなく「詩」ということばがもっているものが他者と共有される。ことばにはそれぞれの定義というか、文脈があって、そのなかでことばの意味が確定されるのだけれど、ことばの通じない異国で、「詩」ということばだけが独立して流通する。そのときの不思議な幸福。
 美しいことばがある。

なにかを破る

 詩は何かを破ることで誕生する。何かを破らないと、つまり、日常の文脈を破り、日常の生活を破り、いままで存在しなかったものを破壊しないことには誕生しない。何かを破壊し、同時に生まれてくるものが詩である。
 川田はここでは詩を定義しているのだ。
 そして、もう一行。念を押すように。

読まれていないのに

 詩は読まれる必要はない。何かを破ればそれでいいのである。これは、詩は理解できなくていい、という定義の裏返しである。詩は理解できないものなのである。なぜならそれはそれまでの流通している文体を破るものである。そこに書かれていることばは、それまでの日常の文体では把握できない。「意味」がわからない。「詩はわからない」とよくいわれるが、わからないから詩なのである。「意味」がわかれば詩ではない。
 ただし、何かを破っている、という印象を引き起こさないと詩ではない。

 詩ということばには、それだけで現実を破る何かがある。詩は、その全体が読まれなくても、詩ということばだけで、詩が好きな人には、すでに現実を破っていると感じられるのである。
 川田は詩を愛するひとと異国であったのだ。詩ということばだけで、現実を破る何かを感じるひと、それほどまでに詩を愛するひとに出会ったのである。
 それは確かに、たとえば日本では「手に入れることのできない」ものかもしれない。



みちのく鉄砲店
須藤 洋平
青土社

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 詩は現実を破るもの。それはことばという形をとらずに肉体そのものの運動、行為としてあらわれることもある。そうした行動・行為を詩と定義することはむずかしいかもしれない。しかし、一方で、行動を、肉体の欲求、動きを詩と定義して、そこにいのちのよりどころを見出し、そこからことばを再獲得する詩人もいる。須藤洋平である。
 「孤独とじゃれあえ!」(初出『みちのく鉄砲店』、2007年04月発行)のなかほど。

家を飛び出し、堤防から海に飛び込んだ。

夢中になって小さな岩場まで泳ぐと仁王立ち、まわりを見渡すと何もない黒い海にぽつんと「障害」という孤独が際立った。

芸術なんだ!僕の身体は芸術なんだ!

 「障害」ということばを「芸術」ということばで破る。そして、そのことばをよりどころに、いのちを現実のなかへ、その奥へ奥へと侵入させてゆく。「孤独」が叫び声を上げはじめる。その叫び声を須藤は叫びと自覚して、さらに叫ぶのである。
 詩が、現実と向き合いながら、ことばの鋭さを磨きはじめる。

芸術なんだ!僕の身体は芸術なんだ!
それがその時の僕の唯一の逃げ場だった
「いきるという事は恐ろしいね」
祖母が畑にはびこる雑草を見て言っていた事を同時に思い出していた。
岸に戻り砂浜に寝転んでいると急に腹痛に見舞われた。薄暗い便所のなかで脂汗を流しながらしゃがんでいると、様々な落書きが目に入る。そのなかに一際大きく、力強く書かれているものがある。
「今は孤独とじゃれあえ!」
それは間違いなく中学の頃、僕が書いてものであった……
僕は便器を舐めながら誓った。
いつだってしぶとく生き抜いてやろうと。

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犬塚堯「言葉とねずみ」

2007-12-17 11:49:58 | 詩集
 犬塚堯「言葉とねずみ」(「現代詩手帖」2007年12月号、初出『犬塚堯全集』、2007年04月発行)
 犬塚堯には一度だけ会ったことがある。私は詩人とはほとんど会ったことがない。最初に会った有名詩人だった。北九州で講演会があり、聴衆として駆り出された。そして、偶然、会ったのである。講演会の世話人のような人に呼ばれて何人かでいっしょに会話した。そのとき印象に残っているのが、ほかのひとはみな犬塚の詩集を持っていてサインをしてもらっていた。私は詩集を持っていなかったのでただ座っていたのだが、その私に「きみは?」と聞かれたことである。そのあと少し話したのだが、犬塚は詩を書くとき、非常に禁欲的に(?)書くということを、犬塚みずからが語りだしたことである。ことばがやってくるまで、ひたすら待ち、その間に自分を痛めつけることもある。精神を集中させるのだという。雑念を取り払うのだと言う。座禅のようなことはもちろん体験したし、ときには二の腕を刃物で切ったりもするという。「なんなら見せようか?」見せてもらうことは遠慮したが、びっくりしてしまった。
 私は詩を書きはじめたばかりで、そのとき、そこに居合わせた人間のなかでは一番若かったので、犬塚がちょっと驚かそうと思って言っただけのことかもしれないが、とても印象に残っている。
 「言葉とねずみ」を読みながら、ふいに、そのことを思い出した。

ある日 口の中が熱くなって
思わず洩らした一つの言葉
出所不明の だがそれは
確か ずっと以前に一度
僕の口をついて出た言葉
あの女を掬い上げて草間に立上がらせたもの
地球が回っているうちに
ふいに戻ってきた意味不明の言葉

 犬塚はいつでもことばを待っている詩人なのだ、と、あらためて思ったのだ。ことばとふいに出会ってしまった犬塚の姿が、30年も前の記憶を蘇らせたのである。
 この詩のなかには犬塚の特徴が凝縮している。
 4行目「ずっと以前」、7行目「地球が回っているうちに」。そのことばのなかにある時間感覚。犬塚の詩はいつでもことばのなかに時間を抱え込んでいる。「ずっと以前」、つまり太古の時間。それは人間の単位の時間ではなく「地球」(宇宙)の単位の時間である。巨大な時間、人間を超越した時間である。その時間巨大な時間が人間の「雑念」(これは犬塚が私に語ったことば)をそぎ落とす。人間が、その瞬間に一個のいのち、生成するいのちになる。
 犬塚は「意味不明の言葉」と書いているが、人間の「雑念」がそぎ落とされ、いのちそのものになった瞬間のことばには、もともと「意味」などないだろう。「意味」はことばが動いたあと、それを追いかけてやってくる。追いかけながら次々に形をかえてゆく。「意味」はあとから生まれるのである。
 犬塚は「意味」をもとめていない。ただ、ことばをもとめている。ふいに、人間の時間を超越して、太古からやってくることばを。そして、それがやってくるまでは、詩を書かないのである。
 2連目。

僕はノートの紙片に書き込んだ
言葉は一篇の詩になろうとして
ノートのなかで身動きしている
もう一度大地がぐらりと揺れて
姉妹のような言葉がくるのを待ちながら
僕は季節の中を歩いて帰ってきた
空きにすったり疲れた夜の
十一月の風が柱に巻きついている

 「言葉は一篇の詩になろうとして/ノートのなかで身動きしている」。そうなのだ。犬塚は詩を書くのではない。ことばが詩になるのだ。みずからの力で詩になるのである。犬塚は、ただその瞬間を待っているのである。「もう一度大地がぐらりと揺れて」というような巨大な時間を待っているのである。

 犬塚のことばを巨大な時間を内包している。魅力的である。しかし、簡単に近づかない方が無難かもしれない。自分がどうなってもかまわないという覚悟をした上で近づいた方がいいかもしれない。一篇の詩を読むのはいい。一冊の詩集はかなり危険である。全集となると、とても危険だ。そうとうな覚悟がいる。
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