『壌歌』のつづき。「Ⅲ」の部分。
西脇のことばと音楽について考えるとき、次の部分はとてもおもしろい。
これは「百人一首」である。
「さてさて農夫の仕事はつらいものだ」は「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」、「夏など洗濯する衣が沢山ある」は「春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山」。
少し前に「結局買ったのは中学生の使つた百人一首の/註釈本」ということばがあるが、これはほんとうのことだったのかしらねえ。(笑い)その註釈本をぱらぱらめくりながら、「現代語」で書き流している。50行くらいつづく。なかには「君に差上げようと野原に出て/若菜をつんでいると淡雪が降つて来て/私のそでにふりかかつた」というていねいな(?)「現代語訳」もあるが、たいていは一部を叩き切るようにしてほうりだしてある。
私は、そのなかでも「夏など洗濯する衣が沢山ある」がとてもおもしろいと思う。持統天皇の歌は、とても絵画的である。白くはためく衣が印象的である。初夏の透明な光がみえる。「衣ほすてふ」の「てふ」から、蝶々のひらめきも見えてくる。そういう「視覚」の世界が消えて、かわりに「洗濯」「沢山」という「音」のおかしさが楽しい。
「沢山」はたぶん、前の行の「農夫の仕事はつらい」の「つらい」がひっぱりだしたことばで、「沢山」という「音」が「衣」を「洗濯」という音を引っぱりだしたのだろう。 こういう操作は西脇の本能のようなものかもしれない。
西脇は、日本語(日本人)が知らずに身につけてきたことばをリズム、音のつながりを、断ち切って「音楽」をつくろうとしているように感じる。
「万葉」から「古今」にかわったとき(?)、日本語の「音」のひびきは劇的に変わった、口語が文語に変わったという印象が私にはあるのだけれど、その文語をもう一度口語にひっくりかえすような変化を西脇のことばに感じる。
こういうことは、まあ、印象に過ぎないので、うまく説明できない。
でも、私の「西脇論」は印象、ここが好き、ここが嫌いということを書いているだけなので、説明できないくてもいいのだと思っている。
この2行というか、2首の口語訳というか……。笑いだしてしまうなあ。
「柿の木の下」って、百人一首に柿の木が出てくる? 思い出せない。「洗濯(もの)」が「衣」なら「柿の木」は何を「現代語」にしたもの?
あ、そうじゃないんですねえ。
柿本人麻呂。あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む。
「ヤマノベの細道からフジをみるとは」も似たような感じの「訳」である。
山部赤人。田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士のたかねに雪は降りつつ。
フジは「藤」。「柿の木」を引き継いでいる。「富士(山)」でもいいのだろうけれど、「ヤマフジ」を思うと、山の中をさまよう感じがして、次の、
が自然に感じられる。
西脇は、ただ百人一首を「現代語訳」しているのではなく、百人一首をつないで長い長い1篇の詩にしようとしている。
そのとき、たとえば「柿の木」から「フジ」への変化(移行?)が何によるものか--「肉体」のどの部分が反応してそういうことばが出てくるかを考えたとき、私には「視覚」ではなく「聴覚」が反応しているように思えるのである。
私が読んでいるように「藤」ではなく「富士(山)」なら「視覚」だろうけれど、「藤」なら「聴覚」と思うのである。「柿本柿本人麻呂」→「山部赤人」→「富士」までは「肉体」は動かない。「富士」が「フジ」という「音」を媒介にして「藤」にかわるとき、そこに「耳」の「誤読」が入ってくる。
どの「肉体」の器官をつかって「誤読」するか--その「誤読」の器官が、その詩人の本質(本能)のようなものだと、私は思っている。
西脇のことばと音楽について考えるとき、次の部分はとてもおもしろい。
さてさて農夫の仕事はつらいものだ
夏など洗濯する衣が沢山ある
雲の上からは声がきこえなくなつた
柿の木の下で長い夜をひとりでねむるとは
ヤマノベの細道からフジをみるとは
おく山で鹿の鳴くのをきくとかなしくなる
これは「百人一首」である。
「さてさて農夫の仕事はつらいものだ」は「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」、「夏など洗濯する衣が沢山ある」は「春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山」。
少し前に「結局買ったのは中学生の使つた百人一首の/註釈本」ということばがあるが、これはほんとうのことだったのかしらねえ。(笑い)その註釈本をぱらぱらめくりながら、「現代語」で書き流している。50行くらいつづく。なかには「君に差上げようと野原に出て/若菜をつんでいると淡雪が降つて来て/私のそでにふりかかつた」というていねいな(?)「現代語訳」もあるが、たいていは一部を叩き切るようにしてほうりだしてある。
私は、そのなかでも「夏など洗濯する衣が沢山ある」がとてもおもしろいと思う。持統天皇の歌は、とても絵画的である。白くはためく衣が印象的である。初夏の透明な光がみえる。「衣ほすてふ」の「てふ」から、蝶々のひらめきも見えてくる。そういう「視覚」の世界が消えて、かわりに「洗濯」「沢山」という「音」のおかしさが楽しい。
「沢山」はたぶん、前の行の「農夫の仕事はつらい」の「つらい」がひっぱりだしたことばで、「沢山」という「音」が「衣」を「洗濯」という音を引っぱりだしたのだろう。 こういう操作は西脇の本能のようなものかもしれない。
西脇は、日本語(日本人)が知らずに身につけてきたことばをリズム、音のつながりを、断ち切って「音楽」をつくろうとしているように感じる。
「万葉」から「古今」にかわったとき(?)、日本語の「音」のひびきは劇的に変わった、口語が文語に変わったという印象が私にはあるのだけれど、その文語をもう一度口語にひっくりかえすような変化を西脇のことばに感じる。
こういうことは、まあ、印象に過ぎないので、うまく説明できない。
でも、私の「西脇論」は印象、ここが好き、ここが嫌いということを書いているだけなので、説明できないくてもいいのだと思っている。
柿の木の下で長い夜をひとりでねむるとは
ヤマノベの細道からフジをみるとは
この2行というか、2首の口語訳というか……。笑いだしてしまうなあ。
「柿の木の下」って、百人一首に柿の木が出てくる? 思い出せない。「洗濯(もの)」が「衣」なら「柿の木」は何を「現代語」にしたもの?
あ、そうじゃないんですねえ。
柿本人麻呂。あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む。
「ヤマノベの細道からフジをみるとは」も似たような感じの「訳」である。
山部赤人。田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士のたかねに雪は降りつつ。
フジは「藤」。「柿の木」を引き継いでいる。「富士(山)」でもいいのだろうけれど、「ヤマフジ」を思うと、山の中をさまよう感じがして、次の、
おく山で鹿の鳴くのをきくとかなしくなる
が自然に感じられる。
西脇は、ただ百人一首を「現代語訳」しているのではなく、百人一首をつないで長い長い1篇の詩にしようとしている。
そのとき、たとえば「柿の木」から「フジ」への変化(移行?)が何によるものか--「肉体」のどの部分が反応してそういうことばが出てくるかを考えたとき、私には「視覚」ではなく「聴覚」が反応しているように思えるのである。
私が読んでいるように「藤」ではなく「富士(山)」なら「視覚」だろうけれど、「藤」なら「聴覚」と思うのである。「柿本柿本人麻呂」→「山部赤人」→「富士」までは「肉体」は動かない。「富士」が「フジ」という「音」を媒介にして「藤」にかわるとき、そこに「耳」の「誤読」が入ってくる。
どの「肉体」の器官をつかって「誤読」するか--その「誤読」の器官が、その詩人の本質(本能)のようなものだと、私は思っている。
Ambarvalia (愛蔵版詩集シリーズ) | |
西脇 順三郎 | |
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