八木忠栄「母親・父親・兄」(「交野が原」87、2019年09月01日発行)
八木忠栄「母親・父親・兄」は、たぶん、ほんとうのことなんだろうけれど、嘘であってもかまわないくらいに楽しい。八木の結婚前のことが書いてある。いわゆるデートの様子が書いてある。
デートに、N子の母親がついてきた。それで、何があったかというと。
いや、何があったかというより、何を覚えているか。問題は、これだね。覚えていることだけが、ことばになる。そして、その覚えているということは、不思議な「広がり」をつかみとる。
あ、そうだった。昔は、カレーライスにソースをかける、ということは特に珍しいことでもなかった。食堂にソースが置いてあった。そのソースも一種類ではなく、ふつうのソース(?)とは別に「豚カツソース」というものまであったなあ。「薬味」が加わって、ソースよりも「どろどろ」感が強い。
きっと昔のカレーはまずかったのだ。カレーを食べるというよりも、大げさに言えば、ソースで味付けして、なんだかよくわからないものを食べるという感じ。
しかし、詩の眼目は、そこにはない。
八木は、カレーもソースも、その味を覚えていない。覚えているのは、母娘が八木を見ていた。その視線に八木が気づいた。母娘はカレーにソースをかけなかった。行動の違いが、「驚き」を生んだ、というそのこと。
「驚き」は、どこにでもある。そして、それをことばにすれば、そこに詩が生まれてくる、という事実がここにある。
この詩には、まだまだつづきがある。「父」も「兄」も出てくるが、彼らが出てくる前に、母親がもう一度登場する。二度目のデートだ。
今度は、八木が驚いている。
いや、カレーのときも、八木は驚いたんだろうけれど、母娘の驚きによって八木が驚かされた。今度は、母娘は驚いていない。当然と思っている。(か、どうかは、わからないけれど。)
で、この「驚き」。八木は「内心驚いた」と書いている。表にはださなかった。でも、つたわっただろうなあ。「内心驚いた」は「遠慮がちに驚いた」とは違うんだけれどね。この「違い」もおもしろいなあ。
覚えているのは、もしかすると、「遠慮がちに驚いた」と「内心驚いた」の違いかもしれないぞ、とさえ私は思うのだ。「驚く」という「動詞」が書かれていなかったなら、この詩はぜんぜん違っていただろうなあと思う。
これに比べると、後半、父と兄が出てくる部分は、ちょっとつまらない。兄の行動は風変わりだが、つまらない。なぜかなあ、と言えば、そこには「驚き」が書かれていない。事実は「驚き」によって、強いものに変わるのだと教えられる。
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八木忠栄「母親・父親・兄」は、たぶん、ほんとうのことなんだろうけれど、嘘であってもかまわないくらいに楽しい。八木の結婚前のことが書いてある。いわゆるデートの様子が書いてある。
デートに、N子の母親がついてきた。それで、何があったかというと。
御苑を出て間もなく三人で入った新宿の食堂で、カレーライスを注文した。その
とき私は、実家でしていたようにカレーライスにソースをかけて食べた。母娘は
遠慮がちに驚いていたようだ。そのことははっきり今でも憶えている。
いや、何があったかというより、何を覚えているか。問題は、これだね。覚えていることだけが、ことばになる。そして、その覚えているということは、不思議な「広がり」をつかみとる。
あ、そうだった。昔は、カレーライスにソースをかける、ということは特に珍しいことでもなかった。食堂にソースが置いてあった。そのソースも一種類ではなく、ふつうのソース(?)とは別に「豚カツソース」というものまであったなあ。「薬味」が加わって、ソースよりも「どろどろ」感が強い。
きっと昔のカレーはまずかったのだ。カレーを食べるというよりも、大げさに言えば、ソースで味付けして、なんだかよくわからないものを食べるという感じ。
しかし、詩の眼目は、そこにはない。
母娘は遠慮がちに驚いていたようだ。
八木は、カレーもソースも、その味を覚えていない。覚えているのは、母娘が八木を見ていた。その視線に八木が気づいた。母娘はカレーにソースをかけなかった。行動の違いが、「驚き」を生んだ、というそのこと。
「驚き」は、どこにでもある。そして、それをことばにすれば、そこに詩が生まれてくる、という事実がここにある。
この詩には、まだまだつづきがある。「父」も「兄」も出てくるが、彼らが出てくる前に、母親がもう一度登場する。二度目のデートだ。
唯一記憶に鮮明なのは、母親が手作りの栗ご飯のお
にぎりを持参したこと。その素朴さに内心驚いた。母親と、栗ご飯のおにぎり付
きデート。両者は妙にしっくり符合していた。
今度は、八木が驚いている。
いや、カレーのときも、八木は驚いたんだろうけれど、母娘の驚きによって八木が驚かされた。今度は、母娘は驚いていない。当然と思っている。(か、どうかは、わからないけれど。)
で、この「驚き」。八木は「内心驚いた」と書いている。表にはださなかった。でも、つたわっただろうなあ。「内心驚いた」は「遠慮がちに驚いた」とは違うんだけれどね。この「違い」もおもしろいなあ。
覚えているのは、もしかすると、「遠慮がちに驚いた」と「内心驚いた」の違いかもしれないぞ、とさえ私は思うのだ。「驚く」という「動詞」が書かれていなかったなら、この詩はぜんぜん違っていただろうなあと思う。
これに比べると、後半、父と兄が出てくる部分は、ちょっとつまらない。兄の行動は風変わりだが、つまらない。なぜかなあ、と言えば、そこには「驚き」が書かれていない。事実は「驚き」によって、強いものに変わるのだと教えられる。
*
評論『池澤夏樹訳「カヴァフィス全詩」を読む』を一冊にまとめました。314ページ、2500円。(送料別)
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「詩はどこにあるか」2019年4-5月の詩の批評を一冊にまとめました。
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注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
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(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
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