伊藤信一「夏の夜」(「東国」134 )。
夢と気づいていて見る夢がある。こうした夢をことばにするのは難しい。伊藤はそれに成功している。
2連目と3連目が特に夢と気づいてみる夢の感じをリアルに伝えていると思う。「気づいている/文字と文字との余白がくっきり見えている/これは夢の中だ」という覚醒と夢との交互の動きが、夢だと気づいてみる夢の、いらいらというか、どうにもならない感じ、完全に冷めてしまうことも夢のなかに没入してしまうこともできない感じを再現している。もどかしさがリアルに再現している。
夢をそのままストレートに、つまり時間列にそって描くのではなく、これは夢なのだという意識で分断しながら描写することで、夢の、時間列を無視した動き、とんでもない飛躍を自在に呼び寄せ、それが3連目につながっていく。
このナンセンスな、夢の描写と、夢だと気づいてあせる描写が特にすばらしく、まるで自分自身の夢の体験、夢だと気づいてみる夢の体験を呼び起こさせられる。
夢には、現実ではありえないこと、たとえば本の活字がぽろぽろと欠け落ちていくというようなことが起きるし、そうした現実ではあり得ないことに対して、意識もまた現実ではありえない動きをする。「はやく左の行に移らなくては」というような、これ以上リアルには考えられないような意識が生まれる。
そして、この「リアルさ」を支えているのは「左」「移る」という肉体感覚である。
本を読む。活字を読む。日本語の場合(翻訳も含むけれど)、それはたいてい縦書きであり、右から左へ1行ずつ読む。普通は右、左を意識しないけれど、追い詰められると「次」の行というような抽象的な概念ではなく、「左」という肉体が立ち上がってくるのだと思う。「次」でも「先」でもなく、「左」。目だけではなく、肉体全体で、「左」へおおきく動いていく感じ。「移る」という動きも、それにぴったりしている。はやく移らないと、ぽろぽろ欠け落ちていく文字(活字)と一緒に、若い二人も、そしてそれを読んでいる伊藤自身も、文字の抱え込んでいる世界から奈落へ落ちてしまうようではないか。
肉体に裏打ちされたことばは、肉体を刺激する。そして肉体のなかでリアルになる。それは夢の中でも(夢の描写でも)同じである。
とてもいい詩だと思った。
夢と気づいていて見る夢がある。こうした夢をことばにするのは難しい。伊藤はそれに成功している。
本を読んでいる
三段組の活字が踊っている
恋愛小説だ
男と女の姿だけがほのかに明るい
気づいている
文字と文字との余白がくっきり見えている
これは夢の中だ
ぱりぱりに乾いたシーツの感触が
この本を読む場面の枠組みなのだろう
ページの端をつまんでいるざらざらした指が
視界に入ってくる
なんだかもどかしいのは
二人の若さのせいか
行儀よく並んでいた文字列がぽろぽろ欠け落ちてゆく
はやく左の行に移らなくてはと思った瞬間
ストンときりがはれて
女が男に口づけする
とたんにぱらぱらめくれていくページたち
ほのかな月明かりにぼくの恋愛小説は溶けてしまう
網戸からすこし冷めた風がしみ込んでくる
2連目と3連目が特に夢と気づいてみる夢の感じをリアルに伝えていると思う。「気づいている/文字と文字との余白がくっきり見えている/これは夢の中だ」という覚醒と夢との交互の動きが、夢だと気づいてみる夢の、いらいらというか、どうにもならない感じ、完全に冷めてしまうことも夢のなかに没入してしまうこともできない感じを再現している。もどかしさがリアルに再現している。
夢をそのままストレートに、つまり時間列にそって描くのではなく、これは夢なのだという意識で分断しながら描写することで、夢の、時間列を無視した動き、とんでもない飛躍を自在に呼び寄せ、それが3連目につながっていく。
行儀よく並んでいた文字列がぽろぽろ欠け落ちてゆく
はやく左の行に移らなくてはと思った瞬間
このナンセンスな、夢の描写と、夢だと気づいてあせる描写が特にすばらしく、まるで自分自身の夢の体験、夢だと気づいてみる夢の体験を呼び起こさせられる。
夢には、現実ではありえないこと、たとえば本の活字がぽろぽろと欠け落ちていくというようなことが起きるし、そうした現実ではあり得ないことに対して、意識もまた現実ではありえない動きをする。「はやく左の行に移らなくては」というような、これ以上リアルには考えられないような意識が生まれる。
そして、この「リアルさ」を支えているのは「左」「移る」という肉体感覚である。
本を読む。活字を読む。日本語の場合(翻訳も含むけれど)、それはたいてい縦書きであり、右から左へ1行ずつ読む。普通は右、左を意識しないけれど、追い詰められると「次」の行というような抽象的な概念ではなく、「左」という肉体が立ち上がってくるのだと思う。「次」でも「先」でもなく、「左」。目だけではなく、肉体全体で、「左」へおおきく動いていく感じ。「移る」という動きも、それにぴったりしている。はやく移らないと、ぽろぽろ欠け落ちていく文字(活字)と一緒に、若い二人も、そしてそれを読んでいる伊藤自身も、文字の抱え込んでいる世界から奈落へ落ちてしまうようではないか。
肉体に裏打ちされたことばは、肉体を刺激する。そして肉体のなかでリアルになる。それは夢の中でも(夢の描写でも)同じである。
とてもいい詩だと思った。