詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

池田清子「レモンあい詩」ほか

2023-10-31 21:39:59 | 現代詩講座

池田清子「レモンあい詩」ほか(朝日カルチャーセンター、2023年10月16日)

  受講生の作品を中心に。

レモンあい詩  池田清子

セイロンティーに
レモンの輪切り

青い空に たくさんの
レモンの輪切り

紅茶の海に たくさんの
レモンの輪切り

刈ったばかりの田に 立てかけられてる
レモンの輪切り

緑の木々に 斜めにささった
レモンの輪切り

すずめ達と群れて 旋回している
レモンの輪切り

本当は
レモンティーより
ミルクティーより
ストレートティーが好き

檸檬 ではない

  「最後の一行だけ、漢字。作者のこだわりがあるのだが、どんなこだわりだろうか」「レモンの輪切りのバリエーション。イメージをふくらませた詩。漢字の檸檬は輪切りにそぐわない」「刈ったばかりの田に 立てかけられてる、が好き」「緑の木々に 斜めにささった、はイメージしにくいので好き」。
 タイトルについては、「あい、のひらがながいい。哀は、酸っぱさと哀しみ、愛だと直截すぎる」「レモンの輪切りに愛着を持っているから、愛かな、と思った」。
 この詩、試しに最終行から逆に読んでもらった。
 レモンの輪切り、とまず言って、それからそれにつながるイメージを展開する。拡がるイメージをレモンの輪切りという繰り返しで「脚韻」のように閉じ込めるよりも、イメージが開放的になるかもしれない。
 ただし、その場合、「檸檬 ではない」という最終行とその直前の四行のあつかいが難しくなるのだが。
 

九月の影  杉惠美子

彼岸花が野道を飾る
懐かしさと
不思議な鎮静が
道の向こうで待っている

哀しみがどこにあるか
わからないまま
九月が過ぎようとしている

日没がきても
パスワードが見つからない

 「鎮静ということばに象徴される同質なものが展開していく。パスワードの行は思いつかない。不思議ということばと呼応しているのか。答えを提示しないで終わる、その終わり方がいい」「二連目、わからないまますぎていくが九月っぽい。パスワードは何のパスワードかな?」「季節が過ぎていく不思議さ、そのわからなさのパスワードでは? 時を動かしていくものが何なのか。把握できないことの何かでは」
 作者は「パスワードがわからない、ということ。二連目のわからないを、言い直した」と語った。
 私は、この終わり方は、谷川俊太郎の書き方に似ていると感じた。ふいに、それまで書いていたものと違ったものがあらわれて、世界を別の次元につれていく。あるいは、別の次元をのぞかせる、というか……。
 この日、谷川俊太郎の次の詩も読んだ。

未完 谷川俊太郎

見慣れた庭を見ていたら
不意に胸がいっぱいになって
びっくりした
悲しいことなんかないのに
庭木の緑が朝陽に
輝いているだけだったのに

単気筒のバイクが出て行った
懐かしい排気音が耳から
心に反響して物語のかけらが
記憶の曇天に舞う
話は未完で終えたい
言い訳なしで

勅語とかいう巻物が
蔵われていた石造りの建物が
地面の下に埋められて
戦争は終わったが
言葉は朽ちない
アイウエオは意味なく生き延びる

意味を離れて言葉を
音で整理整頓した五十音図
小学校の国語教育は
そこから始まった
どんな聖賢の言葉も
どこかに幼児の喃語を秘めている

 この詩は、紙面の都合(約束の行数を書くため)に長くしたという印象がある。三連目以降は、非常に説明的な感じがする。そういう意味では、杉の書いた詩とは似ていないのだが。
 ただ、一連目は、杉の詩と共通するものをもっていると感じる。
 二連目までで終わった方が静かな印象の詩になったと思う。
 受講生からも不満の声が聞こえた。

砂に  青柳俊哉 

砂に頬をかざし 頬にみちてくる潮へ 
星の成分を溶かす無数の部屋へ
言葉を 時とわたしから自由な
心の葉をながしつづける 

海のまなざしが言葉の船を運んでくる 

最果てのこぎつねの歌 赤いばらの思い
入れ替わる夕日 わたしのうえを通過
する星 蜂蜜色の水車と昇天する蛇
見出された形見のブレスレット……

おなじ元素からうまれた心が
わたしをみている 空を覆して頭上で輝く
無数の星の部屋へわたしを船が運ぶ

 「三連目がわからない。一連目の心の葉は言葉と同じ意味かなと思って読んだ」「黙読したとききれいだなと思った。四連目が印象に残る。心の葉と、おなじ元素からうまれた心がつながる。三連目はことばが多すぎると感じた」
 作者は、「三連目は星の王子様からの連想」と語った。「星の王子様の作者は飛行機事故で死亡したが、地中海から彼の身につけいてたブレスレットが見つかった」という説明にくわえて、「イメージの重なりをつかんでもらえばいい」とも。
 三連目、イメージの展開は、体言止めで改行した方が、イメージの独立性が際立つような気がする。しかし、それでは「重なり」ではなくなると感じる人もいると思う。
 池田の「レモンあい詩」のとき、「レモンの輪切り」を頭韻のように提示して、そのあとイメージを広げると印象はどうかわるかということを試してみたが、書き終わった後、ことばの順序を変える、改行の位置を変えるということをやってみるのも、詩を考えるときのヒントになると思う。

 


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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(49)

2023-10-31 18:10:42 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「一九〇三年九月」。

あまたたび、ああ、あれほども、あのひとの近くに、

 「あ」の音が繰り返される。「あ」は「あのひと」の「あ」に向かって、まっすぐに動いていく。この繰り返される「あ」の声のなかに、いったい、いくつの「あ」の変化があるだろうか。
 「ああ」は、ことば(意味)を探している。「意味(ことば)」は見つからないが、感情があふれてくる。
 「あ」、その単純な音。口を大きく開き、喉を開き、いや、意思で口を開き、喉を開くのではない。感情が、開かせてしまうのだ。その感情に酔っている。その感情に酔いたくて「あ」を繰り返している。

 

 

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野沢啓「吉本隆明の言語認識--『言葉からの触手』再読」

2023-10-23 16:12:06 | 詩(雑誌・同人誌)

野沢啓「吉本隆明の言語認識--『言葉からの触手』再読」(「イリプスⅢ」5、2023年10月10日発行)

 野沢啓「吉本隆明の言語認識--『言葉からの触手』再読」が、これまでの「言語暗喩論」とほんとうに連続している(関係している)のかどうか、私にはわからない。
 野沢の「言語暗喩論」を私なりに整理すると、こうなる。

 ひと(野沢は「詩人」と限定し、詩と詩人を特権化しているか、私は「ひと」と読んでおく)が、直接的に自己のいのちを生きるとき、ひとはいのちの本質(まだ名づけられていない深奥・根源)と合致している。それは既成のことば(表象/表現の仕方)ではあらわすことができないから、ただ暗喩的にのみ表現される。

 こう整理してみると、何のことはない、それはすでに誰それが言っていることのように思える。言い直せば、私はどこかで読んだこと(聞いたこと)がある誰それのことばを借りて野沢の言っていることを要約していることになる。誰それとあいまいに書くのは、私は野沢のように読書家ではないし、記憶力も悪いからだが、あ、こんな誰それの言ったことを、しかも私が知っているくらいだから多くのひと私より詳しく知っているだろうことをいくら書いてみたって、これじゃあ、つまらないね、というのが私の正直な感想である。

 絶対真理は説明されるべきものではなく、暗示させられるものである、とか、真理はことばによっては表現され得ない。ただ、いのちが直接的に交渉するものである、というようなことは、たぶん、あらゆる「古典」から引き出しうる「哲学」だと思うが、私はこういう「結論(要約)」にはまったく興味がない。「結論(要約)」をひとつずつ解体し、ことばが動き出す場に戻りたいという欲望だけがある。
 結論(論理の到達点)に関心がないから、私は平気で矛盾したことを書く。
 つまり、「同一」を否定し、「論理」から自由になることが私が求めている「ことばの運動」だからである。
 きのうだったか読んだ読売新聞に走り高跳びの選手のことが書いてあった。走り高跳びは、走ってきて、突然走るのをやめて上へジャンプする。跳ぶ前に走ることを「助走」というが、助走の力を借りた方が、その場で跳び上がるよりも高く跳べるというのはとてもおもしろくないだろうか。ひとの考えにも、何かそういうものがある。助走と同じ方向(たとえば、走り幅跳び)とは違った方向へ跳んでみせる。それもまた、ひとつの「運動」である。

 関係ないことを書いたかもしれない。
 書いているうちに、ほんとうは何を書きたかったのか、半分以上忘れてしまったが、別に「結論」を求めているわけではないので、私は気にしていない。
 野沢は、私が変な「いちゃもん」をつけていると思うだろうけれど、私は野沢と共同で仕事をしたいわけではないから、まあ、気にしない。

 今回の「いちゃもん」は、吉本の言う「文学作品」に対する野沢の把握の仕方である。野沢は「文学作品の運命は、生活のなかの運命とおなじに、大なり小なり物語をつくっていて、物語の起伏のなかにみつけだされるのだろうか?」という『言葉からの触手』のなか文を引用しながら、次のように書いている。

 ここで吉本がイメージしている〈文学作品〉とは詩ではなく、物語(小説)であることは明らかだ。(略)あたりまえのことがあたりまえのように生起するのが一般的であるとしても、長い目で見れば、人生のなかに思いがけない転機やら不可解な事件・事故が起こってドラマチックな変転を余儀なくされることなどある意味では平凡な事実に属することである。物語(小説)はそうした人生一般を縮図のように時間空間を圧縮し、あたかもそこに〈意味の流れ〉があるかのように仮設したものである。そこには偶然があるのではなく、偶然の表情をした必然が立ちはだかっているにすぎないのである。そこにあるのは〈無意識の連鎖〉ではない。たしかに小説家にとっては叙述のなかで次なる叙述を最終的に決定している審級はことばへの意識であるだろう。しかしそれは叙述の審級が決定されれば、しばらくは叙述のスタイルが持続される、いわばひとつの転轍機の役割を果たすのが偶然のように見える意識の作業なのであって、物語(小説)はそうした文脈のなかでいくつもの転轍機が導入されながら進展するほとんど意識的な産物なのである。
 ところが詩においてはこうした言語の散文性は本質的なものではない。ひとつのことば(あるいはことばのブロック)が偶然のような必然として生まれ、それが次にどういう形で展開されるべきなのかまったく見えないなかで、ことばは手探りの状態で次の言葉の到来が待たれている。

 うーん。
 次のことばの「到来を待つ」というのは、小説家もおなじだろう。どう展開するか、それがわかっている小説家はいないだろう。わからないことが起き、それと向き合ってことばを動かしていくとき、小説は動いていく。
 「小説」に限らず、どんなことば(思想)であれ、「結論」がわかっていて、それに向かってただことばを整えていくということはないだろう。だからこそ、とんでもなく長くなったり、途中で終わったりするのだが、それでは途中で終わったからといって、そこには何も書かれていないかというと、そうではない。
 野沢は「小説」を「物語」と同じものとしてとらえている。「小説(物語)」と書いたり「物語(小説)」と書いたりしているが、それと同じように、多くの詩の読者は詩のなかに「物語」を読んでいないか。詩のことばを詩人の生活と結びつけて、その「意味」を考えたりしていないか。詩のなかの登場人物と自分を重ね合わせて、何ごとかを考えたりしていないだろうか。哲学にしろ、ほかのあれやこれやの「ことば」にしろ、ひとは、そのことばに自分を重ね合わせないで、それを読むことはできないだろう。
 それにねえ。
 これは私だけかもしれないが、小説(散文)を読むとき、私は「物語(結論にいたるストーリー)」だけを読んでいるわけではないし、むしろ、そんなものには興味がない。(いわゆる「哲学」「思想」もおなじ。)たとえば近年でいちばん感心した小説に「コンビニ人間」があるが、私は主人公がどうなったか、結論がどうだったかなんか、ぜんぜん覚えていない。コンビニを中心として、ある世界を描くのに「音」を中心にして書いていたということしか覚えていないし、その「音を書く」ということに感心した。その「音を書く」ことが「小説(物語)」なのか「詩」なのか、あるいは「哲学」なのか「思想」なのか。もし、「コンビニ人間」を読み返すことがあったとして、そのときも私は「物語(の展開)」なんか気にしないで、ただ「音」を探して読むだろうなあ。私の聞いたことのない音があるか、聞いたことがある音ばっかりなのに、なぜ、私はその「ことば」に感心したのか、そのことを考えるだろうなあ。
 それにしてもね。
 「ここで吉本がイメージしている〈文学作品〉とは詩ではなく、物語(小説)であることは明らかだ。」と野沢は簡単に決定しているが、どうせなら「誰それの、どの小説」まで書いてほしかったなあ。そうでないと、私なんかは、いったいどういう小説を思い浮かべていいかわからない。
 詩を特権化したことばを読むたびに、私は、詩に限らず、ことばはみんな何らかのおなじ動きをしており、詩を特権化することへの疑問を感じるのである。

 

 


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Estoy Loco por España(番外篇404)Obra, Jesus del Peso

2023-10-21 22:50:18 | estoy loco por espana

Obra, Jesus del Peso

 Mientras me quito la última ropa interior, mi cuerpo vacila en el espejo al sentir tu mirada. No, ¿es mi corazón el que vacila?
 En el momento en que pensé en ello, mi cuerpo se congeló en el espejo. Es frío y agudo, como un corazón helado. No es el cuerpo sino el corazón lo que se refleja en el espejo.

 Tengo miedo de mirar atrás.
 Si me doy la vuelta, encontraré tu mirada. Tu mirada no mira mi cuerpo, sino mi corazón reflejada en el espejo.

 きみの視線を感じ、鏡の中でためらっているのは、私の肉体だろうか。私のこころだろうか。
 考えた瞬間、鏡の中で、フリーズした肉体。フリーズしたこころのように、冷たく、鋭角的になっている。肉体ではなく、そのこころが鏡に映っている。

 振り返るのが怖くなる。
 振り返れば、きみが、私の肉体ではなく、私のこころを見ている視線に出合ってしまうだろう。

 

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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(48) 

2023-10-21 22:05:03 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む


 「精神の成長のためには」何をすべきなのか。どうすべきなのか。法(社会)に「違反せよ」ということばが途中にある。そうであるなら、

官能の喜悦こそ大いなる教育。

 というときの「官能」は、世間(社会)に認められている官能ではないだろう。世間が否定する官能、そしてその「喜悦」が精神を成長させる、つまり精神を教育することになる。
 この書き方は、論理的である。
 それは、その論理が、誰でもが認める公理であるという意味ではない。別のことばでは「超越(する)」とも言う。だから、この詩には「超越せよ」ということばも出てくる。そもそも「官能の喜悦」とは、官能の超越でもある。

 


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マーティン・スコセッシ監督「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」(★)

2023-10-21 17:56:15 | 映画

マーティン・スコセッシ監督「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」(★)(中州大洋、スクリーン1、2023年10月21日)

監督 マーティン・スコセッシ 出演 レオナルド・ディカプリオ、ロバート・デ・ニーロ

 この映画がつくられるというニュースを知ったとき、見たいと思った。予告編を見たとき、期待できないと思った。そして、実際に見て、がっかりを通り越して、スコセッシもディカプリオもデ・ニーロも、もう見なくていいと思った。
 映画としては、まず、あ、このシーンをもう一度みたいという衝撃的な美しさを感じさせるシーンがない。(ラストの、上空からとったシーンが、反動で?、美しく見えてしまう。)
 映画はただストーリーを追っていくだけ。それに3時間半もつきあっていると、ただただ、疲れる。
 ディカプリオ。昔は気がつかなかったたが、歯が汚い。歯並びが悪くて、しかも汚れている。そのため、(なのかどうかわからないが)、ひたすら口をへの字に歪めている。派を見せてはいけないと自覚しているようだ。
 ちょっと頭が足りない感じ(「ギルバート・グレイプ」の少年は、ディカプリオにぴったりだった)の表情をするとき、目が輝くように見えるが、映画のなかで「青い目が(目の青が)美しい」とセリフで説明されるようでは、もう「美男子」ではない。魅力的ではない。頭が足りないまま、デ・ニーロにふりまわされ、さらにリリー・グラッドストーンの最後にさしのべられた手をつかみきれない愚かさが、演技(顔の表情)だけからは伝わってこない。太ってしまった肉体を隠す衣裳は、まあ、時代背景もあるからそれはそれとして許せるが、肉体全体を動かす演技、そこにただ佇むだけで感情や意識の変化を表現する演技ができない。
 デ・ニーロもデ・ニーロで、顔だけで演技する。年齢から考えて、もうアクションはできないのだけれど、ほら、ハンフリー・ボガートなんて、両手をだらりとぶらさげてつったっているだけ、「おいおい、手を動かして演技しろよ」と軽口を叩きたくなるようなかっこうをしているが、なんとなく引きつけられ、見てしまうのとは大違い。だいたい、笑ったときの顔が「人がよすぎる」ので、裏に何か隠している感じがしない。というと、いいすぎだけれど、深みがない。
 と書くと、私の書きたいこととは違ってしまう感じもするが。
 私は映画を見るとき、実は、「役」そのものになりきった演技というものには、ありま感心しない。「これは演技ですよ」という軽い感じ、どこかで「地」をのぞかせるような演技が好き。
 だから、メーキャップにこだわった「そっくりさんショー」の演技なんかは、見ていて、ぞっとする。ぜんぜん似ていないけれど、「あ、これが〇〇(モデル)なのか、そのひとの感情はこう動くのか」と感じさせる演技が好き。映画にしろ、芝居にしろ、やっぱり「役者」を見に行くもの、「スター」を見に行くもの。
 なんというか。
 この映画では、演じられできあがって「ディカプリオ」「デ・ニーロ」を見るという感じで、そこには「地のディカプリオ」「地のデ・ニーロ」がいない。
 これじゃあ、つまんないね。
 スコセッシが最後に顔出ししているのが、まあ、そういうことでもしないとこの映画を見に来る人がいない(売れる要素がない)ということだね。それを自覚している。途中、ロバート・デュバル(私は、彼の演技が大好き)が出ていたように見えたけれど、違ったかな? 私は目が悪くなってしまっているし、セリフまわし(声)もはっきり聞こえなかったので勘違いかもしれない。

 映画とは、ちょっと関係ないが、中州大洋が来年3月で閉館する。建物の老朽化で、取り壊し。「天神ビックバン」の一貫かもしれない。その後、再開するかどうかは未定という「お知らせ」が貼ってあった。ミニシアター系の作品も多く上映してきたので、なくなるとしたら寂しい。最近は映画館から遠ざかっている私だけれど。

 


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Estoy Loco por España(番外篇403)Obra, Luciano González Diaz

2023-10-20 23:25:08 | estoy loco por espana

Obra, Luciano González Diaz

 El hombre se dio la vuelta para ocultar su tristeza. No quería mostrar mis lágrimas. No quería que viera sus labios temblorosos. Quería ocultar hasta la más mínima voz.

 Sin embargo, la tristeza no lo perdonará.
 La tristeza le torció la espalda y trató de desbordarse de su espalda.

 Aunque podía cubrirse la cara, sus manos eran demasiado pequeñas para cubrir su espalda. El hombre no entiende esa cosa tan simple. Por la tristeza. Cuanto más intenta el hombre ocultar sus lágrimas, más triste se vuelve su rostro. Cada vez que sus manos y dedos tiran de su espalda, su espalda se contorsiona y se convierte en la cara de un hombre.

 悲しみを隠すために、男は背を向けた。涙を見せたくなかった。震えるくちびるを見られたくなかった。どんなちいさな声さえ隠したかった。

 だが、悲しみは許してくれない。
 背を向けたその背中を歪ませ、溢れ出ようとする。

 顔を覆うことはできても、背中を覆うには手は小さすぎる。男にはその単純なことがわからない。悲しみのために。男が涙を隠そうとすればするほど、背中は悲しみの顔になる。手が、指が、背中を引き寄せるたびに、背中は歪み、男の顔になる。

 

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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(47)

2023-10-19 23:26:46 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「ユリアノスと神秘」。

こう言われて、このアホウは、

 この一行だけでは、ユリアノスが、いつ、どこで、誰に、なぜ、何を言われたのかわからないのだが、つまり、私の引用は、とても不親切でどうしようもないものになってしまうのだが。
 それでも、カヴァフィスがユリアノスをバカにしていることは、はっきり伝わってくる。「このアホウ」ということばの、強さ。よほど嫌いだったのだろう。そう感じるからこそ、「このアホウ」という訳語を中井は選んでいる。
 詩を読めば、何もかもわかるのだが、そして、それがわかったとき、読者もやはり「このアホウ」と思うかどうか。ユリアノスの行動と、そのときの周辺のひとの言動に引っ張られて、歴史の一こまを思い浮かべてしまうかもしれない。それでは、まずい。なんとしても、カヴァフィスのユリアノス嫌いを明確にする必要がある。中井は、そう思って「このアホウ」ということばを選んでいる。
 詩のなかに、詩の登場人物、あるいは歴史の一こまを見るか、それとも作者カヴァフィスを見るか。中井は、カヴァフィスを見ることを選んでいる。

 

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林達夫と「勉強」

2023-10-18 22:55:22 | 考える日記

 ようやく「林達夫著作集」の再読を終えた。これから読み始める本(中井久夫や林達夫より古い本)のための、なんというか、「ウォーミングアップ」のつもりで、中井久夫のエッセイ、中井久夫著作集、林達夫著作集と読み進んできたのだが、正月から10か月もかかってしまった。このままでは、死ぬまでに読みたい本を読み終えることができない、とかなしくなる。
 福大病院の検診には、診察券もマスクも忘れてしまった。物忘れが激しくなったし、検査の結果も、予想はしていたがつらいものがあった。
 でも。
 林達夫には励まされる。晩年になってから、ロルカに出会い、スペイン語の勉強をはじめている。NHKのラジオ講座で。かつて勉強したことがあるロシア語もラジオ講座で復習している。何歳になっても、勉強している。
 そういえば。
 林達夫の文章には、よく「勉強」ということばが出てくる。生涯、勉強をつづけた人なのだ。林達夫からはいろいろ学んだが、この「勉強」ということばは、林達夫の思想をとてもよくあらわしていると思う。
 林達夫は、いろいろなことに対して、異論・反論を書いている。ある「学問」に対して、別の視点を提供している。それは、多くの「学問」が何ごとかを整理・要約するのに対して、その整理・要約された「学問の周辺」を勉強して、領域をひろげるという作業のように思える。
 「山」には頂点がある。そして、山にはすそ野がある。それだけではなく、山には「周辺」がある。山は、思いもかけないところから始まっている。どこから山へ上りはじめるか。それは、「きり」がない。「きり」がないとわかっているのに、林達夫は、そんなことはない、と信じて「周辺」をひろげ、そのために勉強している。
 「勉強」ということばに触れるたびに、私は、林達夫の書いているあれこれを思い出し、自然と、それをまねしたくなる。

 

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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(46)

2023-10-18 22:21:27 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む


 「紀元前二百年」。

我等の共通ギリシャ語、

 「我等のギリシャ語」ではなく、「我等の共通ギリシャ語」。こういうとき、その「我等」のなかには「異質」が存在するということである。「異質」を超えて「共通」がある。そのとき、単に「我等の共通言語」といわずに「ギリシャ語」という。
 ここには乱暴な「思い上がり」のようなものがある。その「思い上がり」のために、たぶん、ギリシャはローマに屈した。

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Estoy Loco por España(番外篇402)Obra, Joaquín Llorens

2023-10-15 22:53:08 | estoy loco por espana

Obra, Joaquín Llorens

 El círculo del centro se mueve libremente, subiendo y bajando. La  curva en la parte superior también se mueve libremente hacia arriba y hacia abajo, ya sea de acuerdo con este movimiento o en contra del círculo. A veces puede girar una vez en el aire y regresar al círculo.
 En ese momento, ¿la curva inferior simplemente soporta estos dos movimientos?
 No me parece así. La imaginación de la curva de abajo puede moverse con mayor flexibilidad que la curva arriba o círculo. Estimulados por la imaginación de la curva de abajo, el círculo y la curva de arriba se mueven. La imaginación de la inferior se mueve mucho más libremente y más lejos que el movimiento real del círculo o de la curva superior.
 Por eso pude ver la forma de arriba girar una vez en el aire y regresar al círculo como un acróbata.

 La imaginación hace posibles todos los movimientos.

 中央の円は上ったり下りたり、自在に動く。その動きにあわせて、あるいはその動きに逆らって、上のカーブした形も動く。ときには円を離れ、空中で一回転し、ふたたび円の上に戻ってくるかもしれない。
 そのとき、下のカーブした形は、その二つの動きを支えているだけなのだろうか。
 そうではないだろう。下のカーブした形、その想像力は、上のカーブした形や円よりもしなやかに動いているかもしれない。下のカーブした形の想像力に刺戟されて、円と上の形は動く。下の形の想像力は、円や、上の形の現実の運動よりも、はるかに自在に、遠くまで動く。
 だから、私は、アクロバットのように上の形が空中で一回転して戻ってくる運動も見ることができたのだろう。

 

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山之口獏「大儀」、すぎえみこ「かたえくぼ」ほか

2023-10-12 22:29:36 | 現代詩講座

山之口獏「大儀」、すぎえみこ「かたえくぼ」ほか(朝日カルチャーセンター、2023年10月02日)

  受講生が、みんなと一緒に読みたいという作品、山之口獏「大儀」を持ってきた。

大儀  山之口獏

躓づいたら転んでゐたいのである
する話も咽喉の都合で話してゐたいのである
また、
久し振りの友人でも短か振りの友人でも誰とでも
逢へば直ぐに、
さよならを先に言ふて置きたいのである
あるいは、
食べたその後は、口も拭かないでぼんやりとしてゐた
 いのである
すべて、
おもふだけですませて、頭からふとんを被って沈殿し
 てゐたいのである
言いかえると、
空でも被って、側には海でもひろげて置いて、人生か
 何かを尻に敷いて、膝頭を抱いてその上に顎をのせ
 て背中を丸めてゐたいのである。

 「空でも被って、何かを尻に敷いて、がいいなあ。面倒なことを放り出していたい。後半が大きくていい」という。「自然体がいい。最後の三行がいい」「ゐたいのである、で統一している。何が起きてもかまわない感じ、悠然としている」と感想がつづく。
 私は意地悪な人間なので、こういう質問をしてみる。「大儀って、どういう意味?」
 すると、「めんどう」「億劫」「何もしたくない」という答えが当然のことのようにして返って来る。
 さて。
 「めんどう」「億劫」「何もしたくない」という気持ちが、どうして「大きな感じ」、「悠然とした感じ」、あるいは「自然体」というような印象に変わっていくのか。
 これは、なかなか難しい。「めんどうなこと、おっくうなこと」に出合うと、そんなことはしたくなくなる。「何もしたくない」。それが「大儀」だとして、その大儀の瞬間、最後の三行に書いてあるような「気持ち」にはない。「ああ、いやだ、いらいらするなあ」と言う感じが強いと思う。
 少なくとも、「大儀」と感じた瞬間は。
 そこから出発して、ことばが、少しずつ変わっていく。ことばが変わると、書いた人も変わってしまう。
 その変化が、この詩の、実は一番おもしろいところではないだろうか。
 そういうところに注目すると、この詩のなかで何が起きているかがわかる。
 この詩には「また、」「あるいは、」「すべて、」「言いかえると、」という、それ自体は何も伝えないことばが、威張って一行を独占している。この独立した一行でいちばん重要なのは「言いかえると、」だろう。
 そこで、私は質問するのである。
 「どういうとき、言いかえると、ということばをつかう?」
 「別のことを言いたいとき」「もっと伝えたい」「深く伝えたい」
 そうだね、この詩は単に「大儀である」ということだけを伝えたいのではなく、つまり「面倒である」というようなことだけを伝えたいのではない。誰もが知っている「大儀」とは別のものを伝えたいのである。「大儀だなあ」と言うだけでは伝わらない何かを伝えたい。考えてみれば、転んだときに起き上がるのも大儀である。食べたあと、口を拭くのも面倒である。そういうことは「おもふだけですませて」、ほかのことをしたい。それくらい「大儀である」。
 大儀なことは、「おもうだけですませて」、本当は別のことがしたい。思うだけでは終わらせたくない。それが最後のことばなのだ。
 何気なくつかわれているように見えるけれど、この詩では「おもうだけですませて、」ということばを「起承転結」の「転」にして、すべてを「言いかえる」。ここには、信じられないくらいの「大転換」が隠されている。
 最後の三行は、もちろん詩そのものだけれど、その詩の奥には、「また、」「あるいは、」「すべて、」「言いかえると、」という短いことばを動かしていくエネルギーがあって、そのエネルギーが最後に爆発し、解放されているのだと思う。
 だから、感動的。

かたえくぼ  すぎえみこ

さびしいこころは みみをすます
たのしいこころは かぜをさがす


わたしは わたしのきおくを
ととのえながら
いまの じかんをととのえる


きおくをやみに けすこともなく
ゆがめることもなく


まんなかにおいて
ちんもくでつつむ


そのちんもくのなかには


ささやかな よろこびを
わすれないうちにと
かきとめる かみがある


かろやかなこころは みちをさがす
かぜをうけるこころは たびをする

 「ひらがなで書かれていて、それが非常になめらかで、心地よい。四連目、特に、ちんもくでつつむ、がいい。詩でつつむ感じ」「最初の二行と最後の二行がとても印象的」「対になった構造は、すぎさんの詩では、あまりみない手法だと思う。詩の入り方がさっと入り、終わりがさりげなく終わるのがいい」
 作者は、四連目がいちばん書きたかった、と言う。
 私は、そのあとの五連目「そのちんもくのなかには」は、とても印象に残った。この一行が好きである。(講座で読んだときは「その ちんもくのなかには」と、一字の空白、空きがあった。)「その」ということばはなくても意味は同じである。「その」がなくても、読者は、直前の「ちんもく」以外の沈黙を考えない。
 しかし、「その」がある。
 「その」があると、意識がぐいと直前に書かれている「ちんもく」に引きつけられる。粘着力というか、牽引力が強く、ことばがその沈黙に集まって来る。ブラックホールのように、すべてを飲みこんで、ビッグバン(爆発)を起こす。
 この動きがいい。
 タイトルも、なかなかおもしろい。受講生は「思いつかないタイトル」という。作者は、両えくぼだと百%になってしまうので、それが避けた、と言った。

水蜜  青柳俊哉

古代の朝 緑の雨がふる
桃やかえるが囁く 

畝(うね)の中のこみちを
口ずさみながら渡っていく天使の少年 
ほぐされた黒い土に滴がはねる 
うかびあがる水蜜を農夫が素早く掬い取る
いくすじか土や草に光が点り
瞼をひらくように
誰かが囁きかえす

古代の神性を ひとがうまれるころの
情感を 野に灯しながら少年が
霊歌を奏でる

 「自然、農夫のイメージを抱くことができた」「桃が囁く、というのはおもしろい。古代というのは、どれくらいの古代かなあ、吉野ヶ里くらいかなあ」と言う声に対し、作者は「人が生まれる前、あるいは生まれるころ」を想定している。天使はおおげさすぎたかな、という」
 たぶん「天使の少年」とことばが重なっているから、イメージが濃くなりすぎるのかもしれない。
 しかし三連目には「少年」があり、それと呼応させるためには「天使の少年」と書かなければならなかったのかもしれない。呼応といえば、「囁く」と「囁きかえす」という呼応もあるが、「緑の雨」に対して「滴」があり、「うかびあがる」には「掬い取る」がある。「緑の雨」は「いくすじ」と呼応するし、「滴」は「光(が点り)」と呼応するだろう。「光が点り」は「野に灯し」と呼応する。ことばの呼応が、情景が立体的にしている。
 最終行の「霊歌」がよくわからないという声が聞かれた。「霊歌」に呼応することばがないからかもしれない。「囁く」に対して「霊歌を奏でる」が呼応している、かもしれない。「囁く」と「奏でる」が呼応しているかもしれないが、私も「霊歌」は「天使」以上に、全体の中では、ことばとして浮いていると思う。

風鈴  池田清子

風鈴が鳴っている
最近越してきた家からか
扇風機を止めてみる

虫の音を
かき分け かき消して
澄んで 届く

風鈴が鳴っている


泣いてる?

よしきりは鳴く
ひぐらしは鳴く
とか 詩われてきたのに

ごめんごめん

風鈴も 鳴っている

 「朗読を聞いて、風鈴が生きているものとしてあつかわれているのを感じた。黙読したときは二連目が詩的だと思った。朗読を聞いたあとは、最終行に向かって意識が動いているのがわかった」「風鈴の音から静かさが伝わって来る。鳴ると泣くの書き分けもおもしろい」
 風鈴が鳴っている。虫の声は泣くか鳴くか。風鈴は、どっちだろう。泣くだろうか。よしきりは鳴く、ひぐらしは鳴く。そうであるなら、風鈴も鳴る。この「も」に作者のいいたいことが集約されているのだと思うが、少し論理的すぎないだろうか。
 ほんとうは、どう思いたいのだろうか。
 思ったことを書くのも詩だが、思いたいことを書くのも詩である。山之口獏の「大儀」のように。山之口獏の書いている最後の三行は、思ったことというよりも、思いたいこと、つまり、そこには欲望がこめられている。「大儀」なとき、つまり私たちが、あれやこれなのなかで生きる力を失いかけたとき、その失いかけた欲望を呼び覚ます何かが書かれている。

 

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Estoy Loco por España(番外篇401)Obra, Jesus Coyto Pablo

2023-10-12 17:16:18 | estoy loco por espana

Obra, Jesus Coyto Pablo
"aquel lugar" 100 X 81  1990, Óleo lino

 Me dijo la voz: "Estaré esperando en aquel lugar", y la voz colgó el teléfono. Era la voz que había escuchado antes, pero no podía identificar quien me llamó. Aunque no sabía dónde estaba aquel lugar, lo recordé. Aquel lugar donde te perdí. Me dijiste que abriera los ojos, y cuando lo hice, una negrura gloriosa me tragó aquel lugar. Una luz negra iluminó una ciudad como un espejismo. "Vamos a aquel lugar". Dicho esto, me dejaste atrás. Puedo ver aquel lugar. Pero no sé cómo hacerlo. Aquel lugar. Además, ¿estás esperando aquella ciudad espejismo, o el lugar donde viste el espejismo? La voz que dice: "En aquel lugar te espero", se convierte en una luz negra que me obliga a cerrar los ojos, removiendo mis recuerdos.

 「あの場所で待っている」と告げて、その電話は切れた。聞いたことがある声だったが、はっきりと断定できない。だから、あの場所がどこなのか、それもわからないはずなのに、私は、あの場所を思い出してしまった。君を見失った、あの場所。目を開けていい、と言われて目を開けると、輝かしい黒が、私を飲みこんだ、あの場所。黒い光が蜃気楼のような街を浮かび上がらせていた。「あの場所へ行こう」。そう告げて、君は私を置き去りにした。あの場所は見える。だが、どうやって行けばいいのかわからない。あの場所。それに、君が待っているのは、あの蜃気楼の街なのか、それとも蜃気楼を見た場所なのか。「あの場所で待っている」という声が、思わず目をつぶってしまうしかない黒い光になって、私の記憶をかき混ぜる。

 

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原田眞人監督「BAD LANDS バッド・ランズ」(★★)

2023-10-10 22:30:53 | 映画

原田眞人監督「BAD LANDS バッド・ランズ」(★★)(ユナイテッドシネマ・キャナルシティ、スクリーン3 、2023年10月10日)

監督 原田眞人 出演 安藤サクラ

 安藤サクラを見たくて行ったのだが。
 タイトルが出てくるまでの部分は、まあ、おもしろかった。詐欺グループも、捕まらないように工夫しているのか、スパイ映画みたいだな、と妙に感心した。
 しかし、それからあとがおもしろくない。
 いちばんの問題は、登場人物の、「詐欺」の仕事以外の部分がぜんぜんわからないことだ。安藤サクラの「過去」は、いちおう映画の中で語られるが、ほかの人物には「過去」がない。つまり、「役」を納得させる「存在感」がない。
 映画の中で、自分を見せるのではなく、単に「役」を演じて見せているだけ。映画にしろ、芝居にしろ、もちろん「役」も見るのだけれど、「役」を超える「人間の存在」そのものを見たい。
 全員が(安藤サクラでさえも)、「役」になりきっているだけ。言い換えると、これは人間が演じた「アニメ」である。
 それを典型的に語るのが安藤サクラの「過去」。なんというか、紋切り型。だいたい、彼女の過去にはセックスの問題があるのに、そのセックスは「過去」として語られるだけで、「いま」の肉体として動いていない。そんなものは、セックスではない。「書き割り」である。
 だいたい、この映画には「日常」が描かれていない。えっ、そんなことがあるのか、そんなことがきっかけで詐欺グループにのめりこんでいくのか、という説得力というか、もしかしたら私も詐欺グループの一員になったかもしれない、という不安を引き起こす魅力がない。
 最近、私は気づいたのだが、もう私くらいの年齢になると、「新しい」ものは「古い」もののなかにしか存在しない。つまり「古い」ものをもう一度見つめなおし、自分はどんなふうに生きてきたのか、残りの人生をどんなふうに生きていけば、「過去」が「未来」となって私を整えてくれるだろうか(死んでいけるだろうか)ということにしか関心がなくなる。
 別に特殊詐欺をして金を稼ぎたいとも思わないし、彼らがどんな行動をしているか知りたいとも思わない。
 そのことで、ふと思い出したのだが。
 私は、病気や怪我で何度か入院した。ある日、入院費の還付金があるという電話がかかってきた。傑作なのは、そのとき電話してきた男(銀行の従業員と名乗った)が、「私の方でもATM画面を見ています。残高がいくらと表示されているか言ってください。本人かどうか確認に必要です」というのだ。「そちらから確認できるなら、その金額を言ってください。そうしたら、あなたがほんとうにATMを遠隔操作で見ているかどうかわかりますから」と答えたら、「ばかだなあ、本人確認に必要だと言っているだろう」と言う。どっちがばかだか。だいたい、銀行の従業員が客に対して「ばか」とは絶対に言わない。私は、その瞬間笑い出してしまった。詐欺をやる人間は、やはり、どこかばかである。そういう、ばか、がどこかに描かれていれば、少しはまともな映画になったかもしれない。
 見るだけ損、とは言わないが、見るだけの価値がある映画とは思えない。安藤サクラを主演にする必要もない。

 

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神原芳之「熱帯夜」

2023-10-09 21:43:08 | 読売新聞を読む

神原芳之「熱帯夜」(「午前」2023年10月25日発行)

 神原芳之「熱帯夜」、荒川洋治「枇杷の実の上へ」、工藤正廣「賛歌」と読み進んで、あれ、三人は申し合わせでもしたのだろうか、と思ってしまった。書いていることは違うのだが、私には、同じことをことを書いているように思えた。簡単に要約すれば、とりかえしのつかないことをしてしまった、という気持ちが、ことばの奥に動いている。とりかえしがつかないことは忘れてしまえばいいのだが、忘れられない。そのときの、忘れられないという気持ちのどうしようもなさ。
 荒川洋治の作品が、いつものながらに手が込んでいて(ことばが、論理=意味になる前に肉体の方へ引き返してきて)刺戟的なのだが、神原芳之「熱帯夜」について書くことにする。

眠りに入ったと思ったら
眠りから放り出されてしまった
夢の門が開きかけたが 姿が見えたのは
会いたくない人たちばかり

はっと身構えた途端に
夢の門は閉じ その人たちの姿も消えた
浜辺に打ち上げられた魚は
なかなか眠りの海に戻れない

 一行目の「思ったら」は、二連目の一行目で「途端に」と言い換えられている。「途端」はそのあとも出てきて、最後には「瞬間に」ということばに言い換えられている。熱帯夜の「長い夜」は「瞬間」でもある、という、まあ、どうしようもなさ。
 荒川は、それを「一つ」、あるいは、そこから派生する「一同」と交錯させるのだが、これが、とてもおもしろい。

生涯の思い出は
数えてみればきりがないと思ったのに
ぼくにはたった一つだ
見たくなかったかげろうの
黄色い羽をはねあげる

 ああ、ここにも「思った」があるね。「思う」とは、ことばにすること。
 工藤は、こんな具合。

愛しい丘の上の
たった一人ぼっちのパヴロヴニア
高貴なあなたが不死の限り
わたしもまた不死を生きるだろう

 工藤は「思った」と書いてはいないが、生きるだろうと「思った」がことばの奥に潜んでいる。
 で。
 脱線しながら、神原の詩に戻るのだが、「会いたくない人たち」というのは、死んだ人だろうなあ、とも、私は勝手に思うのである。誤読するのである。
 そうすると、神原、荒川、工藤のことばは、死でもつながっているなあ、と感じる。
 神原は、死ということばをつかっていないが。

浜辺に打ち上げられた魚は
なかなか眠りの海に戻れない

 「浜辺に打ち上げられた魚は」は、きのう読んだ石毛の作品に出てきた「馬鹿貝」に似ている。
 この詩では、まあ、神原自身が、一種の「臨死体験」をしているのだが、「魚」と眠りの「海」の呼応が平凡だけれど、この平凡がいいなあと思う。
 荒川の作品では「枇杷のある家は病人が絶えない」という俗信と強い関係があるのだけれど、その平凡さが、やはり、とても効果的だ。作為的ではない。奇をてらっていないところが、読者を(私を)安心させる。
 この奇をてらっていない感じは、神原の作品にも言える。
 詩のつづき。

そのまま虚空を 薄墨色の空間を見つめた
岩戸のような頑丈な夢の門のことを思う
そこには意地の悪い小人の番人がいて
その夜にみる私の夢を決めるらしい

救急車のサイレンが遠くから聞こえてくる
その音はどんどん大きくなり
目標はうちではないかと胸騒ぎした途端
サイレンの音は止んだ

 短編小説の「予定調和」の展開みたいだけれど、私は、けっこう「予定調和」が好きである。
 でもね。
 最終連は、かなり、嫌い。
 そして、私は、実は、この「嫌い」を書きたくて神原の作品についての感想を書いている。
 一連省略するので、ちょっとわかりにくいかもしれないが、問題の最終連。

気がつくと刺客が私に迫ってくる
逃げる足は何故か鉛のようで
たちまち追いつかれ
背中をぐさりと刺された
その瞬間に目が覚めて
刺された痕がひりひり痛んだ

 最初に取り上げた「思った(ら)」は、「気がつく(と)」と変化している。「思う」と「気がつく」は似ているかもしれない。「思った途端」「気づいた途端」「思った瞬間」「気づいた瞬間」。どのことばも、とても似ている。
 でも。
 私は、「思った」と「気がつく(気づく)」には大きな違いがあるように感じる。「気がつく」には何か反省的なところがある。言い換えると「意識の操作」がある。それは、ことばを「肉体」ではなく、「理性」に従属させてしまう。
 神原の作品は、「肉体」が刺され、「痕がひりひり痛んだ」と書かれているのだが、私にはどうも、その「肉体」(痛み)が感じられない。「主観」ではなく「客観」になってしまっている感じがする。
 荒川の詩の中に、

こうなってしまうと 取り分けにくい

 という、なんというか「理性」を拒んで、「肉体」そのものに判断を迫ってくることばがあるのに対して、神原は、「理性」で「思い」と「肉体」を「区分け」してしまっていると感じるのだ。
 ことばが「整理」されてしまうと、「意味」はわかるが、味気ない。

 


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