詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(104)

2024-04-29 21:55:25 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

  アンゲロス・シケリアノスの詩が一篇だけ訳されている。詩集の最後に置かれている。「パーン」。

浜の石にも錆色の山羊の熱気にも静寂が落ち、

 「静寂が落ちる」。この「落ちる」は強烈だ。真昼の光のように、空を超える高みから、まっすぐに、垂直に落ちてくる感じがする。
 この「落ちる」と、その後の「昇る」を経て「立ち上がる」という動詞の動きがつづくのだが、「落ちる」が強烈だけに「立つ」も鮮明になる。その「立つ」は最後の行にも登場するが、それは書かれていない「立つ」を浮かび上がらせる構造になっている。
 一行だけの引用なので、まるで謎解きのような書き方だが、それが実際にはどういう行、どういうことばの動きなのかは、ぜひ、詩集で確かめてください。

 「静寂」ということばがくれば、私はついつい「つつむ」という動詞を思い浮かべてしまう。ギリシャ語がわからないからテキトウなことを書くのだが、もしその一行を読んで「落ちる」という動詞がわからなかったとき、私は「つつむ」と訳してしまうだろう。どんな国語にもコロケーションがある。私たちは、それに縛られている。詩は、そういうコロケーションを破壊し、ことばにいのちを吹き込むものだが、この一行ではアンゲロス・シケリアノスは「落ちる」をほんとうにつかっているか、ということも気になる。「落ちる」をつかっていても「こういうときは日本語ではつつむだなあ」と思い、「つつむ」と訳す翻訳家もいるかもしれない。また「つつむ」という動詞であったとしても、前後の関係から「落ちる」と解釈する翻訳家もいるかもしれない。
 中井の訳は、いつも、そういうことを考えさせる。訳詩が「翻訳」にとどまらず、新しい日本語の運動として感じられるからである。

 

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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(103)

2024-04-28 21:42:59 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「夢」。

心はじっと見る、星を、空を、舵輪(だりん)を、

 詩そのものの魅力的な行ということになれば、引用した次の行なのだが、「訳詩」、つまり中井の訳の魅力ということになれば、この行である。
 この行には、日本語の特徴が生きている。助詞「を」の繰り返し。ギリシャ語は知らないのだが、たぶんギリシャ語で何かを見ているとき、ひとつひとつ「を」とは言わないだろう。(動詞「見る」のあとに、助詞ではなく、前置詞をつかうかもしれないが、対象のそれぞれに前置詞をつけないだろう。)そして、そのひとつひとつに「を」がなくても、読者は(私だけかもしれないが)、それらを見ていると思う。

 心はじっと見る、星、空、舵輪を、

 であっても、「意味」は変わらない。
 しかし、リズムが決定的に違う。「を」が繰り返されると畳みかける感じがし、スピードが上がる。星、空は二音節、舵輪は二音節半(?)という感じだが、その微妙な二音節半の「半」の増加が、次に大胆な変化がくることを予感させる。そして実際に、詩では、その次の行がすばらしく美しい。その美しさを引き出す準備が、この「心はじっと見る、星を、空を、舵輪を、」というリズムの中にある。これを支えているのが「を」の繰り返しである。

 

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こころは存在するか(34)

2024-04-28 15:39:39 | こころは存在するか

 和辻哲郎が、マイヤーのことばを引用している。マイヤーは「歴史の基礎理論をアントロポロギー(人類学)」と呼んでいる。それは「しばしば誤って歴史哲学と呼ばれている」。
 歴史哲学は人間学と呼ばれるべきである。これはマイヤーの理解の仕方であり、理解は常に「表現」をもっと具体的に示される。おもしろいのは(重要なのは)、その理解の仕方を「誤って」と呼ぶところにある。たぶん、マイヤー以外のひとは、マイヤーの説(表現)を「誤っている」というだろう。
 「歴史哲学=人間学」を統一することばあれば、この「誤り」は止揚されるだろう。
 和辻は、それを「倫理学」ということばで止揚(統一)したいのである。
 この私の「理解」は「誤っている」か。
 「誤って」いても私はかまわない。私はもともとすべてのことばを「誤読」したい人間である。つまり「誤読」をとおして、私自身の考えていることを書きたい。和辻の感じ得ていること(考えたこと)を「説明」したいわけではない。

 いま書いたことと、直接関係はないのだが、私はときどき思い出すことがある。
 私が小学1年・2年のときの担任は石田先生。参観日に、その先生が「私は、遠眼鏡をもっている。だからみんなが家で何をしているか、すべて見える」というようなことを言った。無学の母は、そのことばを真実と思い、よく私に「石田先生は遠眼鏡をもっているから、なんでも見ている」と言った。幼いながらも、私はそんなものがあるはずがないと思っていたが、つまり母は間違っていると思っていたが。
 最近思うのである。母もそんなものがあるはずがないと知っていたかもしれない。知っているけれど、わざと、そのことばを繰り返したのかもしれない。その場合、母は間違っていたのか。母の行動は「誤っている」のか。これが、むずかしい。私に間違ったことをさせないために、あえて、そう言いつづけたのか。もし、そうだとすると「誤り」は、どこに存在するのか。
 「理解」というものに「誤り」は存在するのか。「理解」はつねに「表現」をともなう。「誤り」というものを、どこで把握するか。それがむずかしい。もし「誤り」というものがあったと仮定して、それでは、それをどうやって「乗り越える」か。
 誰も、「誤り」たくて「誤る」わけでは、ない。

 この歳になって思うのだが。
 私は両親といっしょに暮らした期間が意外と短い。そのせいばかりではないと思うが、いちばん身近な両親のことを語ることばをもたない。何を考えていたのか。それを私のことばで語り継ぐことができない。これは、とても奇妙なことである。どんな人間もことばをもっている。ことばで考えている。そして、だれもが幸せというものを目指して生きている。「石田先生は遠眼鏡をもっているから、なんでも見ている」と繰り返した母のことばも、そうしたものを目指していたはずだ。そう思うけれど、どうことばにすれば、そのことばに近づくことができるか。どう「誤読」すればいいのか。

 

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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(102)

2024-04-27 23:10:19 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「カリグラフィー」。

空(そら)の非在の中に

 私は、後先を考えずにはじめてしまうので、こんなはめに陥るのだが、セフェリスの短い詩のなかから一行を選んで、そこに中井の訳の特徴と詩の魅力を重ね合わせ語るのは、ほとんど無謀な試みである。
 途中で方針転換をすればよかったのかもしれないが、もう終わりも近い。つづけてみるしかない。

 中井は「空」に「そら」とルビを振っている。前に「ナイル(河)」が出てくるから、その対比として「空(そら)」を想像するのは自然な気がするから、逆に「そら」というルビが気にかかる。ナイル河だから、その周囲に広がる砂漠を思う人がいるかもしれないし、中井は最初に砂漠を思ったのかもしれない。
 何もない砂漠。空(くう)としての砂漠。何もないから「非在」ということばもやってきたかもしれない。突然やってきた「空(くう)」と「非在」。そうした抽象的な概念と戦いながら、中井は「空(そら)」と書いている。原文が「空(くう)」ではなく「空(そら)」だから……。
 こんなことを想像するのは「非在」ということばがあるからだ。「非在」、何もない、だから「空(くう)」と感じるのは、私が日本人で、「空(くう)」ということばを知っているからかもしれない。
 そして、その「空(くう)」が「空(そら)」ということばで否定された瞬間、そこに書かれている「非在」もまた、抽象ではなく、具体として立ち現れてくる。具体としての「非在」というものなど存在しないかもしれないが、その存在しない「非在」が存在しないことを否定されて具体になるしかないという、激しい目眩のような瞬間が、この一行に凝縮している。
 詩人が書いた以上のことが、中井の訳語からあふれてくる。なんだか、全ての詩が、中井のことばをしてギリシャの詩人に詩を書かせているという感じがする。もちろん、そんなことは非現実的で、時系列的にいってありえるはずがないのだが。
 あるいは、中井は「訳詩」をとおして、誰も書かなかった新しい詩を生み出していると言った方がいいのかもしれない。

 

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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(101)

2024-04-25 23:41:53 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「ジャスミン」。

かわらぬ白さ。

 この一行を読んだとき、何か衝撃を受けた。「白さ」が、私の目のなかで、一瞬強くなった気がした。
 ギリシャ語のことは知らないが、この一行の思いがけない強烈さは、日本語ならではのものかもしれない。
 「白さ」は「白い」という形容詞の語幹に「さ」をつけることで、状態をあらわす名詞に変えたもの。日本語の形容詞は「用言」である。動詞と同じように活用がある。変化する。
 しかし、名詞は変化しない。名詞の白は白であり、変わることがない。
 形容詞の白いは「白かった」「白くなる」「白い」と変化する。「白さ」という状態は、変化する。形容詞派生だから、そこには変化が含まれているということなのか。(こういう論理でいいかどうかわからないが……。)
 その変わることを含んだことば「白さ」を「かわらぬ」ということばで否定するとき、「白い」という変化を含んだものが、変化を拒絶して、根源の輝きを投げかけてくる。そんな感じがした。
 「かわらぬ」という響き、表記も、何かそのことに影響している。
 「かわらない」では間延びする。「かわらぬ」という短い響き、強く重い響きがことばをひきしめる。「変わらぬ」では漢字をとおして「意味」が前面に出てくるが、「かわらぬ」の場合は文字から「意味」は出てこない。ひらがなの場合、「意味」は読み手が音のなかから引っ張りださないといけない。
 詩人の意識と、読者の意識が、その瞬間ぶつかり合う。その「衝撃」も「白さ」を輝かせるかもしれない。
 ギリシャ語も、その原文も知らないのに、こういうことを書くのは変かもしれないが、こうした短い「訳語」のなかにも、中井の鋭いことばへの感覚を感じる。

 もし、この一行が「白はかわらない」と訳されていたら、と想像してみれば、私の書いたことがわかってもらえるかもしれない。

 


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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(100)

2024-04-24 23:56:02 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「栓をひねると出てくる温水は……」。

私のそばには他にいのちのあるもののないのを。

 三行の短い詩。
 引用した行では、音(母音)の揺らぎが「あ」から「お」へとかわっていくのだが、何か、音を飲み込んでしまうブラックホールのようなものが、その行のうねりのなかにあり、その重力のそばで音(声)が動く。そのときの不思議な音、聞こえない音が聞こえる。
 最後を「あるもののないものを」と書くと、文法的に間違いになるのか。意味が違ったものになるのかわからないが、その消えていった「も」(お)の音が、暗く暗く、真っ暗に瞬間的に輝いて、聞こえる。
 私は、引用しながら正確に引用しているか、何度も何度も確かめたが、確かめるたびに不安になるのだった。

 


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野沢啓「藤井貞和、自在な〈ことば力〉--言語隠喩論のフィールドワーク」

2024-04-21 11:48:36 | 詩(雑誌・同人誌)

野沢啓「藤井貞和、自在な〈ことば力〉--言語隠喩論のフィールドワーク」(「イリプスⅢ」7、2024年04月15日発行)

 野沢啓「藤井貞和、自在な〈ことば力〉--言語隠喩論のフィールドワーク」は、とても「正直」な文章である。藤井の『ピューリファイ!』の数篇の断章を引用し、「まったくわからない」ということについて、書いている。
 なぜ、「正直」というか。
 いままで野沢は「わからない」ことがあると(つまり考えていて自分のことばが動かなくなったとき)、もっぱら西洋の哲学者やら日本の評論家やら、他人のことばを引用していた。自分のことばを組み立て直すのに、自分のことばを点検し、変更するのではなく、それはそのままにしておいて、他人のことばで新たな「言語構造」を作り上げていた。野沢の「根本」はそのままにした「自己拡大」、「野沢のことばの世界の拡大」である。その「拡大」の仕方を評価する人もいるのだが、私はこういう「自己拡大」は「誇大妄想」に似ていると思う。「正直」とは思わない。
 「わからない」ときは、何か自分のなかに「不完全(間違った)」ものがあり、それが「かわる」をつまずかせる。その「つまずきの石」を取り除くこと、解体することが大事。つまり、つまずきの石の周辺を平らかにし、そのまま歩けるようにすることが大事。「つまずきの石」を越えるために、そこに「巨大な橋」をかけてわたるのは、まあ、確かにつまずかないことにはなるが、そんな方法では「巨大な橋」がいろんなところにできてしまい、「巨大な橋」のつくりだす迷路のために、どこの橋をわたれば目的の場所につけるか迷ってしまうだろう。野沢は、いや、迷うことはない、と言うだろうが、野沢の文章を読んだひとは迷う。少なくとも、私は迷う。
 迷った挙げ句に、迷ったと白状するのが嫌いなひとは、ときどき野沢の構築した巨大な橋の群れに「すばらしい」と声をあげるのだが、私には、そのすばらしいは「私は面倒だからもうその橋をわたらない」と言っているように聞こえる。
 「わかる」というのは、基本的に「単純化」して消化することであり、「複雑化」してみせることではないと私は考えている。

 で。
 藤井貞和の詩を「わからない」と言った上で、野沢が「わかろう」としているのは「書かれなかった『清貧譚』試論のために」という作品である。藤井は、この詩のなかで太宰治の娘・島津佑子と旅行したときのことを「小説風」に書いている。島津が藤井に、「あなたのいちばんすきな/太宰治の作品は/なに?」と聞く。

わたしはそくざに『清貧譚』と答えました
太宰の娘の両のひとみから
おおつぶの涙があふれ出ました


 そのあと藤井は、太宰の妻・美知子(島津の母)に会って、この話をする。それを聞いて美知子はいろいろ語る。その部分は、最初は

あのおおつぶの涙は
太宰の流した涙ではなかったか
美知子さんはそうおっしゃいました

 という形だった。藤井は、そのことが気になっていた。そして最終的に、

あのおおつぶの涙は、娘の涙を借りて
太宰の流した涙ではなかったか
美知子さんはそうおっしゃいました

と整える。「娘の涙を借りて」を追加している。このことに対して、野沢は

藤井がどうしてこのフレーズの挿入にここまでこだわったのか、それがどれほどの意味があるのか、それを解明しないではそれこそわたしの言語隠喩論が泣く。

 と書いている。そして、「わからない」を「わかる」にかえるために、野沢は考え始める。その過程で、野沢は『清貧譚』を読み直し、「要約」して紹介もしている。しかし、いつもの「他人のことば」はここには出てこない。つまり、だれそれがこの『清貧譚』についてこういう批評をしている。あるいは、その小説の時代背景について、だれだれがこういう分析をしている、というような「他人のつくった巨大な橋」を持ち込んでいない。ただ野沢が野沢のことばで考えたことが書かれている。だから「正直」があふれ、書かれていることが、私にも「わかる」。
 野沢は、文章の末尾で、こう書いている。

〈娘の涙を借りて〉という挿入句の不在がこの作品に決定的な欠落をもたらすというのは、藤井の観念のなかにしかないのではないか、という素朴な疑問が湧く。〈あのおおつぶの涙〉は島津佑子のものであることはすでにテキストの上でも明らかであるから〈あのおおつぶの涙は/太宰の流した涙ではなかったか〉でも意味論的には同じことになる。そこに〈娘の涙を借りて〉を挿入することは意味の強調にはなっても、特別に意味が変容するとも言えないような気がしてくる。

 おもしろいなあ。「正直」だなあ。「隠喩論」を展開し、その「隠喩の意味は(その隠喩が指し示しているものは)」という問いに対しては「隠喩は意味ではない」というような形で「説明」を拒絶していた(排除していた)野沢が、ここでは「意味」にこだわっている。
 しかも、その「意味」というのが……。
 藤井が「太宰の娘」というときと、太宰の妻が「太宰の娘」というときでは、その「意味」は同じではない。そのことを無視して(気づかずに?)、野沢は「意味」を書いている。
 藤井が詩の最初の部分で「太宰の娘」と言ったとき、藤井は太宰と島津佑子しか想定していない。母のことを思い浮かべたとしても、それは形式的・観念的だ。しかし、妻が「太宰の娘」というとき、それは「私の娘」でもある。肉体の関与の仕方がまったく違う。「私の娘」が涙を流しているとき、「母である私/太宰の妻でもある私」も涙を流している。美知子は、藤井の話を聞きながら、藤井の前では涙を流さなかったかもしれないが、その「肉体の奥」で娘と同じように大粒の涙を流している。そこには妻としての涙も当然含まれている。そのことに藤井は気がついた。妻が、涙をこらえている、と気がついた。対面していれば、誰でも、そのひとが涙をこらえているかどうかは、肉体の感じで「わかる」ものである。そして、その「こらえている涙」があることを何とかしていわなければならないと感じ続けていた。だが、どう書いたらいいのか藤井にはそのときわからなかった。「あなた(藤井)が『清貧譚』がいちばん好きな作品ということを聞いて、私も娘と同じように涙がこみあげてきました。それを私はいま必死にこらえて、こうやって語っています」と書いたのでは「説明」になってしまう。
 「こらえている涙」、見えない涙、言い換えればそこには「隠喩としての涙」がある。それを言うために、「娘の涙を借りて」と書き加えずにはいられないのだ。この追加(挿入)で、こころが震えないとしたら、野沢は「ことば」は読むけれど、その「ことば」とともにある「肉体」をまったく見ていないことになる。そのときの「声」も聞いていないことになる。ことばには「意味」と「論理」もあるが、そこには常に「肉体」がある。その「肉体」は「意味/論理」を揺り動かしている。そして、それは「意味/論理」よりも直接的に「人間の肉体」に迫ってくるものである。
 「隠喩(論)」「隠喩」と言いながら、野沢は、実際の「隠喩」に出会ったとき、その「隠喩」に反応していない。「隠喩」に対応する(反応する)「肉体」を欠いている。「頭でっかち」というのは、野沢のためにあることばだろう。

 「隠喩」というものは、いや、隠喩にかぎらず、表現というものは最初から表現としてあらわれてくるものではない。書いてみなければ、それがはたして隠喩になっているかどうかわからない。言ってみなければ、はたして隠喩になっているのか、あるいは誰かにつたわることばになっているのか、わからない。
 ことばとは、そういものである。だからこそ、なんどでも言いなおすし、書きなおすのである。作りなおすのである。ほんとうの(正直な)ことばが出現してくるまで、ことばをひとは作りなおしつづけている。個人的にもそうであるし、文化的にもそうである。だから「文化」というものもある。「文化」とは「時間」であり、「歴史」でもある。
 で、追加して書いておけば。
 ひとの前で涙を見せない、というのは、「日本的な文化」でもある。太宰の妻が涙をこらえているのも、そういう「文化」がどこかで影響しているだろう。

 

 

 

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Estoy Loco por España(番外篇440)Obra, Calo Carratalá

2024-04-17 22:05:32 | estoy loco por espana

Obra, Calo Carratalá 

  En el momento en que vio estas pinturas de Calo, me siento mareado. Cada uno de paisaje está muy lejos. Y siento que cada uno de ellos es "de tamaño real". Sin embargo, el término "tamaño real" significa "el tamaño real del paisaje visto desde aquí". Las cosas que están lejos parecen más pequeñas. Esa pequeñez es el tamaño mismo que se ve desde aquí.
   Voy a escribirlo con otras palabras. Hay un espacio mucho más grande que rodea el paisaje aquí representado. Me siento abrumado por la enormidad del espacio no representado, y la distancia que estoy mirando parece aún más lejana. Ah, esos están muy lejos. No creo que llegue nunca allí, y suspiro.
   Sin embargo, la mirada de Calo llega hasta allí sin cansarse y, además, lleva la atmósfera lejana, el color y la luz directamente a la mano, aquí. El poder de sus ojos es asombroso.

 Caloの一群の絵を見た瞬間、私は、目眩に襲われた。その一枚一枚が非常に遠い。そして、その一枚一枚が、「実物大」だと感じたからだ。ただし、この実物大というのは、ある場所に立って、そこから「見えたときの風景の実物大」という意味である。遠くにあるものは小さく見える。その小ささが、いま、そこから見える大きさそのもの、という意味である。
  言いなおそう。ここに描かれている風景の周辺には、はるかに巨大な空間がある。その巨大さに圧倒されて、見ている遠くが相対的に小さく見えてしまう。ああ、遠いなあ。あそこまでたどりつけないなあ、と私はため息をつく。
  しかし、Caloの視線は、その遠くまで、疲れることなくたどりつき、しかもその遠い遠い空気、色と光をそのまま手元まで運んでくるのだ。ものすごい目の力だ。

 

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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(98)

2024-04-16 23:00:00 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「海の洞の中には……」。

きみが誰かも分からず、きみも私を知らずに。

 恋の始まり。
 さて。
 「分かる」と「知る」。ギリシャ語では区別があるか。ギリシャ語が「分かる」「知る」を使い分けていたから、中井はそれにあわせて使い分けたのか。ギリシャ語には使い分けがないが、中井が使い分けたのか。これは大事ではない。大事なのは、中井が使い分けているということである。同じことばであっても訳し分けることはできるし、違うことばであっても同じ語(ことば)にすることもできる。
 だから、これは「中井語」そのものなのである。
 「私」は「私を知っている」。たとえば「きみが誰かも分からない」のが「私のいまの状態であると知っている」。その意識が「私」と「知る」を結びつけ、「きみ」は「私を知らない」ということばを選ばさせるのだ。「私は私が誰であるか知っているが、きみは私が誰であるか知らない」。非常に冷静な眼が働いている。
 ふたりの恋を描いているように見えるが、実は、「私」が恋をした瞬間のことを書いている。そのことを明確にする日本語だ。中井は、なによりも日本語を深いところでつかみとって動かしている。
 「きみが誰かも知らず、きみも私が誰かを分からずに。」と書き換えてみるといい。とても奇妙な印象になる。「意味」は頭では理解できるが、こころは追いついていかない。

 

 


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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(97)

2024-04-14 23:03:55 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「過酷な瞬間と瞬間との……」。

きみの表情が次の表情にかわるあいだに、

 いちばん短い「瞬間」とは、どういうものだろうか。きみの「どんな表情」が「どんな表情」にかわったのか。この詩では「かわった」ではなく「かわる」と書いてある。このときの「かわる」は日本語では「現在形」ではなく「未来形」である。まだ「かわっていない」、「かわりつつある」のでもない。しかし「かわる」ことがわかっている。「かわる」ことを詩人は何度も見てきている。そして予測している。
 その予測は「過酷」と関係しているのか。その「過酷」がどういうものかわかるのは、私が引用した行の、次の行である。それは読んでもらうしかないのだが、そこに書かれていることは未来形「かわる」と同じように、いわゆる動詞の「原形(活用しない形)」で書かれている。
 ギリシャ語のことはわからないが、この「未来」を「現在形」と同じ形で書く文法は、考えてみると「未来形」よりも「過酷さ」を浮き彫りにする。この「未来形=現在形」とという文法は、そのことが「瞬間」であるよりも「永遠」を感じさせる。言いなおすと、そこには「時間(時制)」がない。活用がない。かわりに、不変の、普遍の、「事実」がある。
 それが「きみ」とともに、ある。「あなた」ではなく「きみ」とともに、ある。この「きみ」という訳語の選択も、とても深い印象を引き起こす。
 四行の、非常に短い詩なのだが。

 


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こころは存在するか(33)

2024-04-14 21:39:30 | こころは存在するか

 和辻哲郎はハイデガーについて言及することが多い。「風土」はハイデガーの「存在と時間」を念頭に置いている。
 ハイデガーは人間存在を時間をもとに考える。空間性を考えない。しかし、和辻は常に空間を考える。その「空間性」を「間柄」という、とても日本的なことばで考え続ける。だからだと思うが、私の知っているコスタリカ人は「風土」を読み、これは日本人論だと言った。
 そこから私は、ハイデガーの「時間論」に引き返し、「風土」が日本人論ならば「存在と時間」は「西洋人論」なのではないか、と思った。「西洋人論」というのは変な言い方になるが、別の言い方をすれば「キリスト教の人間論」(一神論の人間論と言った方がいいかもしれない)になる。コスタリカ人を「西洋人」とは、日本人はたぶん呼ばないが、コスタリカはキリスト教が信じられている国、一神教への信仰が強い国である。だから、私の知人も無意識的に、「一神教」の影響を受けていると思う。
 西洋人(だけではなく、アラブ人もそうだが、いわゆる一神教を信じるひとたち)の意識は、「個人対神」の関係のなかで動く。唯一の神に向き合い、自分を考える。しかし、多くの日本人は「絶対神」というものを考えない。「絶対神」の意識がない。「神」とどこにでもいる。木々も神なら山も神。川も石も神かもしれない。神が無数に存在するから、「神」と向き合うことで「個人」に立ち返るということがない。
 西洋の「神」が「一人」(絶対的)であるのに対し、日本の「神」は無数(多数)に存在している。日本人は「一神教」の信者とは違って「神」と「一対一」にはならない。個人的立場から見れば、いつでも「一対多」である。
 そして、この「一対多」というのは、どうも「社会」(世界)そのものの構造でもあるように感じられる。「私」が存在するとき、いつも周囲に「多数のひと」がいる。そして、この「多数の存在」を考えるとき、そこにはどうしても「多数」を受け入れる「空間」が必要になる。
 「神」と「一対一」で向き合うとき、そこに「空間」があるとしても、それは「直線」である。「面」のひろがりを必要としない。この「直線(あるいは線)」の意識は「時間」の意識にとてもよく「似合う」。「時間」を表現するとき、ひとはしばしば「直線」を描き、その延長線上に「時」を割り振る。「面」を想定し、そこに「時」を配置しない。だから、「空間」の存在を忘れてしまうのだ。
 それは「良心の声」についても言える。「良心の声」は「神」につながる一直線の根源から聞こえてくる。それは「一神教」を生きる「時間の根源」からの「声」でもある。
 しかし、日本人は、「良心の声」に関係しているのは「間柄(世間と個人との関係)」である(と、和辻は考えている、と私は「誤読」している)。


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Estoy Loco por España(番外篇439)Obra, Jesus Coyto Pablo

2024-04-12 22:23:51 | estoy loco por espana

Obra, Jesus Coyto Pablo 

¿Cambiará de azul a amarillo? ¿Cambiará de amarillo a azul?
¿De dónde vienen el azul del cielo y el amarillo de los campos?
Durante el tiempo que tardó el azul en convertirse en un azul brillante, ¿el amarillo estaba cerrado sus capullos como si esperara su amante? ¿Habría soportado el azul la soledad durante el tiempo que tardó el amarillo en abrirse en forma de pétalos?
Cuando el azul y el amarillo se encuentran, el tiempo detenido comienza a moverse y algo explota.
La voy a llamar luz. El azul y el amarillo renacen con la luz.
La primavera nos ha llegado.

 青から黄色に変わるのか。黄色から青が生まれるのか。
 空の青と野の黄色はどこからやってきたのか。
 青が輝く青になるまでの時間、黄色は恋人を待つように蕾を閉ざしていたのか。黄色が花びらの形に開くまでの時間、青は孤独に耐えていたのか。
 青と黄色が出会ったとき、止まっていた時間が動き出し、何かが爆発する。
 光と名づけてみる。光によって青と黄色が新しく生まれ変わる。
 春が来たのだ。

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こころは存在するか(32)

2024-04-12 21:57:50 | こころは存在するか

 和辻哲郎の「倫理学」。こんなことを書いている。(私のノートに残っているメモなので、正確な引用ではない。)

 個人と全体者(社会)とは、それ自身では存在しない。他者と関連において存在する。個人は社会を否定し、個人になる。社会は個人を否定し、社会になる。否定という行為をとおして、個人も社会も、その姿をあらわす。

 ここには二重の否定、相互否定がある。この否定の否定、絶対的否定性から、和辻は「空」ということばを引き出している。あるいは「空」ということばに結びつけて考えている。「色即是空/空即是色」の「空」である。
 「混沌」、あるいは「無」ではなく「空」を思考(ことばの運動)のなかに取り込んでいる。「空」は、私にとっては「無」よりも「理念的」である。
 「無」は定まった姿のあらわし方がない(無)であり、つまり、そこからはどんなものでもあらわれうる(限界/制限がない=無)である。何も制御されていないから「混沌」なのである。
 「空」は「無=混沌」の対極にある。「混沌=無」を洗い清めるのが「空」である。「混沌=無」は「空」をとおることで、「存在」として顕現するのである。
 で。
 私の頭のなかに、こんなことばが突然やってきた。
 色否是空/空否是色(色を否定したら空が顕現する/空を否定したら色が顕現する)
 「即」と「否」は同じく、ひとの「行為」である。ひとが色や空に対して働きかける。肉体が動くとき、色も空も顕現する。色も空もひとが動かない限り、顕現しない。つまり、ひとが動かない限り「世界」は存在しない。
 ひとの動きによって、「世界」は生まれる。

 それに関するメモがひとつ。

人間が時間のなかに存在するのではない。時間が人間のなかから出てくる。
(人間が空間のなかに存在するのではない。空間が人間のなかから出てくる。)

 私が先に書いたことばは、きっとこのことばの影響を受けている。
 もうひとつ、メモ。

内容は過ぎ去らず、常に現在である。

 この「内容は過ぎ去らず」ということばは、「漢字」のことを思い起こさせる。中国語(漢字文化)には「時制」がない。ないといってしまうと、語弊があるが、日本語のように動詞の語尾を見て、過去かどうかがわかるわけではない。動詞の「活用」がない。「動」は「動いた」「動く」「動くだろう」でもある。
 漢字は「表意文字」であり、表意の意は「意味」の意であり、それは「内容」でもある。確かに意味や内容は、過ぎ去ったりせず、いつも「いま(現在)」そこにある。中国語は、いつも「意味/内容」を問題にしているのである。「永遠」を問題にしているともいえるかもしれない。
 そこで思うのだが。
 中国では、いま漢字は「簡略体」がつかわれている。これは、日本人の私がいうのは変なことであるけれど、文化の否定そのものではないだろうか。簡略体によって「表意」の「意」が変わってしまうということはないのか。

 脱線したついでに、さらに脱線しよう。
 日本語の表記、漢字、ひらがな、カタカナの混在は、めんどうくさそうで、意外と便利ではないだろうか。「動いた」「動く」。漢字の「動」からは「意味/内容」がわかる。「いた」「く」という「活用語尾」で「時制」がわかる。英語やその他のヨーロッパのことばでも、語幹から意味、内容がわかり、語尾から時制がわかるが。ただし、アルファベットの国では、ことばのくぎりを「空白」にしないといけない。いわゆる「分かち書き」。でも日本語は漢字があるので、それがアクセントになり、分かち書きをひなくてもすむ。ひらがなだけで書くときは、きっと分かち書きにしないと読みづらいだろう。
 私はときどき外国人に日本語を教えているが、上級者はみんな「漢字が好き」という。漢字のおかげで意味がわかる。文章が読みやすい。漢字で書けばいいところをひらがなで書いてあると意味を把握するまでに苦労する……。外国人といっしょに日本語のテキストを読んでいると、その気持ちがよくわかる。


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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(96)

2024-04-11 22:44:56 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「もう少し先に行けば見えるよ……」。

ちょっと背伸びしていい?

 行く手を阻むのは丘だろうか。背伸びをすれば、視線が丘の頂点を越えて、その向こうが見える。でも、丘でなくても、何か遠くを見るとき、見えないものを見るとき、思わず爪先立つ。つまり背伸びをすることがある。
 待ちきれないのだ。
 この「肉体感覚」が、私には、とてもうれしい。読んだ瞬間に、私の肉体が動いてしまう。思わず背伸びをしてしまう。背伸びをして、遠くを、いまは見えないものを見たとき、見ようとしたときを思い出してしまう。


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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(95)

2024-04-10 20:50:45 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「眠り」。魅力的な行が多い。そのなかから、中井独特の「語感」をもった行を選ぶとすれば、

でも きみの影が伸び縮みしつつ他の影の間に消えるのを見ていた、

 「でも」は非常に口語的だ。一方「……つつ」はどちらかといえば文語的(書きことば的)だ。「でも」と書き始めたひとは、たぶん「伸び縮みしながら」と書くと思う。「伸び縮みしつつ」を優先させるひとなら、「でも」ではなく「しかし」と書くのではないか。
 私の印象では、この一行は、なんとなく「ちぐはぐ」である。
 しかし、それがおもしろい。
 この詩のタイトルは「眠り」だが、書かれていることはけっして「眠り」ではない。「半覚醒/半眠」という「はざま」の雰囲気がある。正反対のものが出会って、「半分」のところ(中間点?)で動いている感じ。それが「でも」と「……つつ」の出会いに、なんとなく似ている。
 こういうことは、書いている私がいうのも変なことだけれど、この私の「似ている」と感じる印象は、私の文章を読んでいるひとに伝わるのだろうか。疑問を抱えながら、私は書いているのだが、でも、詩というのはそんなものかもしれないなあ。
 こういう印象を引き出す「訳」は、中井以外ではありえないだろなあ、と思う。「文体」を統一したくなるのがふつうなのに、あえて、文体を乱すことで、「意味」だけではないものを伝える。表現する。
 少し(かなり)乱暴な言い方になるが「意味/内容」ならば「正確」に伝えることはできても(翻訳はできても)、「文体(の持っているニュアンス)」で伝えるのはとてもむずかしい。その「むずかしさ」が刺戟的である。そこには、確かに「他人」がいる、という印象がある。


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