詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(93)

2024-03-31 21:58:25 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 ここからはヨルゴス・セフェリスの作品。最初は「愛の歌」。

風のバラが無知なぼくらをさらったのだね。

 この一行の「意味」はわかったようで、わからない。風、バラ、無知、ぼくらということば交錯する。「さらう」という動詞が、その交錯をさらに攪拌する。万華鏡をのぞいたときのように、何か、とてもあざやかなものを見たという印象がある。しかし、それを論理的に説明することはできない
 この一瞬の混乱、そしてその混乱を美しいと思うとき、そこに詩が存在する。
 中井のように論理的な人間が、この混乱を混乱のまま一行にしているところに、中井の訳詩のおもしろさがある。「論理的に説明してもらえますか?」と質問してはいけないのである。


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自民党のキックバック問題

2024-03-31 21:41:26 | 読売新聞を読む

 自民党の裏金、パーティー券収入のキックバック問題。いまでは、だれもキックバック問題とは言わないようなのだが。2024年03月31日の読売新聞(西部版・14版)を見ながら(読みながらではない)、私は不思議な「フラッシュバック」に襲われた。
 見出しに「安倍派元幹部 離党勧告へ」。どうやら、安倍派の大物(?)を処分することで、問題にカタかつけようとしているのだが、ふと私の頭の中に蘇ってきたのが、田中首相の逮捕である。表向きは、やっぱり金銭問題。ロッキードから金をもらっていた。それを適正に処理しなかった。それからロッキード問題はさらに拡大もしたのだが。
 でも、田中が失脚したのは、ほんとうは金が原因ではない。アメリカがベトナムへの自衛隊派遣を要請したのに対し、田中は憲法をタテに拒否した。それを怒ったアメリカが田中を追い落とし、アメリカの政策をそのまま受け入れる首相に代えようとしたのである。田中が「汚れた金」を手にしていたことは、たぶん、だれもが知っている。田中が汚れた金でさらに金もうけをしていたことも、だれもが知っている。ほかの政治家も、数億の金をなんとも思っていないだろう。だれもが少なかれ汚れた金を手にしている。
 私が奇妙に思うのは、キックバックの問題が、だんだん安倍派崩しに動いて行っていることである。「政治資金規正法改正」という問題も動いてはいるが、それよりも自民党内の勢力争いの「地殻変動」のようなものが起きており、それが田中角栄事件を思わせるのである。すでに二階は次の総選挙に出ないと表明し、二階は「自民党処分」の対象外になったようだが、そういう追い落としの動きも、田中角栄、金丸信追い落としの動きに似ている。
 で。
 思うのは、アメリカがやはり裏で動いているのではないか。安倍よりももっと言うことに従うだれかを見つけた。もちろん、岸田のことである。しかし、その岸田が思うようにアメリカ政策を実行できない。岸田を邪魔するやつを追い落とせば、きっとうまくいく。そう考えて、動いているのではないか。
 いまのままでは岸田の支持率は下がりっぱなし。なんとか岸田を首相にしておくために、安倍派をたたきこわしてしまえ。安倍派の幹部に対する国民の批判も強い。ちょうど、田中が庶民宰相ではないとわかったときに、国民が田中を指示しなくなったように、安倍派の議員が金に汚い、権力を悪用しているという評判が高まれば、それを捨ててしまっても国民のだれも文句を言わない。いまが、安倍派をぶっつぶし、岸田政権を支えるチャンスだと「仕組んで」いるのではないか。
 「私は知らない」という安倍派幹部の主張をそのまま受け入れていたはずの岸田の姿勢の劇的な変化を見ると、アメリカが「お前を支えてやるから、さっさと安倍派をつぶしてしまえ」と言われているのではないかと、私は思う。

 春闘の賃上げや、物価の上昇もみんな同じだ。アメリカの都合である。日本の給料があがらなければ、アメリカの製品が日本で売れない。アメリカの製品を買わせるためには日本人の給料を上げる必要がある。ロシアのウクライナ侵攻も同じ。ロシアのガスやほかの製品がヨーロッパ市場を占めてしまったら、アメリカの製品がヨーロッパで売れなくなる。ロシアの製品を買わせないようにするためには、ロシアを戦争犯罪人に仕立ててしまえ、ということである。そのためにウクライナのひとが犠牲になろうが、ヨーロッパで物価が上昇しヨーロッパのひとが苦しもうが関係ない。アメリカの製品が売れて、アメリカがもうかればそれでいい。
 ロシアのウクライナ侵攻以後、円安はどんどん進んでいる。円安が進めば(ドル高が進めば)、アメリカ製品は日本では売れない。アメリカ製品を売るためには、日本人の給料が上がらないことにはむりなのだ。なんでもかんでも、アメリカの都合なのである。春闘の「満額回答」も経営者側の判断というよりも、アメリカから「社員の給料を上げないなら、お前の所からは何も買わないぞ」と脅された結果かもしれない。
 私は「妄想派」の人間だから、どんな可能性でも考えてしまうのだ。
 アメリカの強欲主義は「グローバリズム」の名を借りて、世界を支配している。一部では賃金の上昇を大歓迎しているようだが、そんなものは商品の値上げ(物価上昇)で消えてしまう。物価が上昇し、喜んでいるのは、アメリカの産業だけである。金もうけをするには、コストダウンをはかる方法と、値段を上げる方法がある。アメリカの商法は、もちろん値段を上げ、利潤を増やすというとても簡単な方法である。彼らは金を持っている。金が足りなくなったら、何度でも値段を上げて金を稼げばいいだけである。
 これが、いま起きていることではないのか。

 

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「オッペンハイマー」の問題点、その2

2024-03-30 17:30:20 | 映画

 物理学者、数学者は、核分裂、核融合の夢を見るとき、あの映画のような光が飛び回るシーンを夢見るか、という疑問を書いた。私は彼らはイメージではなく、数式で夢見ると思ったからだ。これに対し、ある友人が「それではふつうのひとにはわからない」と言った。なるほど。では、ふつうのひとはあのシーンで、核分裂や核融合の仕組み、あるいはブラックホールのことがわかるのだろうか。私はふつうのひとのように想像力が豊かではないのか、あんなシーンを見ても、何も感じない。「もの」のなかで、電子や素粒子があんなふうに動いているとは想像できない。
 たしかに数式を書き並べられても、それが何を意味するかわからないが、しかし、彼らは数式で世界を理解しているということは理解できる。だって、アインシュタインはオッペンハイマーが持ってきた数式を一目見ただけで、それが何を意味しているか理解したし、別のシーンではある考えが提案されるとオッペンハイマーは黒板にすぐに数式を書き始めた。ほかのときも、黒板に数式を書いて、考えを整理している。だったら、夢のなかでもきっと数式を書いているに違いない。どこからか、数式があらわれてきて、それが消えていく、それを必死になってメモしている、覚えようとしている。それが数学者、理論物理学者の真実ではないのか。少なくとも、奇妙な、「2001年宇宙の旅」の模倣のようなシーン以外では、彼らの「頭脳」のあり方は、そんなふうに描かれていた。
 脱線して、「2001年宇宙の旅」について書いておくと、私がいちばん感動したのは、HALが宇宙飛行士にメモリーを一個ずつ削除されるとき、必死になって昔覚えた「デイジー」の歌を思い出し歌うシーンである。大きなカセットテープ(これを知らない若者もいるかもしれない)のようなメモリーの一つずつに、何かのメモリーが記録されており、それが連携している。そのメモリーが一つずつ失われ、HALは何も計算できなくなる、実行できなくなる。そのことが、「具体的」に、肉体に迫る形で表現されていた。あのとき、私はHALの「肉体」そのものを感じ、びっくりした。
 だから、何かアイデアが閃いた瞬間に、主人公たちが次々に数式を展開する、ある結論が提示されると、それを数式を自分で展開しながら確認するというシーンが映画のなかで展開されれば、私は、それに感動したと思う。主人公たちの肉体の動きを感じたと思う。その数式が、ふつうのひとにわかるかどうかなんて、関係がない。
 タイトルは忘れたが、アメリカのアポロ計画を裏側で支えた数学者(女性たち)を描いた映画でも、ふつうのひとにわかるかどうかなんか気にしないで、巨大な黒板に数式がびっしりと書かれるシーンがあったと思う。数式が何を意味しているか、その計算があっているかどうか、ふつうのひとにはわからないだろう。私ももちろんわからない。けれど、あ、すごい、彼女たちはこんなに長い数式を頭の中から引き出し、それを点検することができるのだということは、わかる。肉体の動きがわかるのである。それが自分にはできないこともわかり、わかるから、「すごい」と思う。「オンペンハイマー」で描かれていたの核分裂、核融合、物質内の電子や素粒子の動きは、そっくりそのままではないが、ある映像なら、ふつうのひとにも描かれるだろう、想像できるだろう。そうであるなら、それはやっぱり、「見え透いたうそ」なのである。観客を馬鹿にした「映像操作」なのである。

 この映画は、もうひとつ、観客を馬鹿にしている点がある。
 この映画は、原爆の開発と同時に、アメリカで起きた「赤狩り」を描いている。オッペンハイマーは共産主義の運動にある程度共感していた。そして、共産党員とつながりもあった。実際に「赤狩り」の対象にもなった。しかし、実際は、共産党員ではなかった。アメリカを裏切っていなかった。だから、一時失脚したが、最期には復権した、ということが、権力闘争をからめて描かれている。ここには、なんとも言えない気持ちの悪い、アメリカ特有の「隠蔽」がある。
 オッペンハイマーは共産党員ではなかった。共産主義者ではなかった。だから「正しい」。この「論理」はアメリカ主義そのものだろう。
 もしオッペンハイマーが共産主義者であり、共産主義者だけれど原爆を開発し、戦争終結を早めることに成功した(アメリカでは、たしか、原子爆弾は戦争終結早める効果があったという評価が存在する)というのであれば、彼はどのように「再評価」されるのだろうか。オッペンハイマーは彼の知っている知識を共産主義の国(ソ連)に提供し、その後の核配備競争を押し進め、アメリカを危機に陥れたとして弾圧されるのだろうか。
 しかし、オッペンハイマーが彼の知識を共産主義の国家のだれかに知識を提供しなくても、それぞれの国の物理学者、数学者は、核兵器の開発に成功しただろう。だいたい、その後の世界の動きを見れば、わかる。インドやパキスタン、イスラエル、さらに核兵器開発能力をもっているいくつかの国は、かならずしも共産主義の国ではない。そして、その国の科学者は、何もオッペンハイマーの知識だけを借りて核兵器をもっているわけではない。
 この映画は、明確に言っているわけではないが、暗に「アメリカ、あるいはその同盟国が核兵器を持つのは世界の安全に役立っているが、共産主義の国が核兵器を持つのは世界を危険に陥れることであり、許すことができない」と言っている。それがオッペンハイマー復権のほんとうの理由だ。この、明確にしない「アメリカ絶対主義」、共産主義の国が核兵器を持つことを許してはならないという思想こそがいちばん危険な問題である。そして、それを明確に言わないところが、とても陰険で、とても危険である。
 映画をよく見てみるといい。この映画では、共産主義のどこに問題があるかはいっさい描かれていない。共産主義だからダメ、共産党だからダメと、批判さえも放棄して、ただ主張している。アメリカは「自由主義」の国だから、それがいちばん。それ以外の考えは認めない、と言っているだけである。アメリカは「自由主義」の国家ではなく、「アメリカ第一主義(アメリカ絶対主義)」の国家である。
 この問題を脇に置いたまま、この映画を評価することはできない。
 この問題をごまかすために、赤狩りの問題を、「権力闘争」のドラマに仕立てているのである。私が、この権力闘争ドラマだけがおもしろいと思うのは、そのドラマを「落下の解剖学」のようにもっと掘り下げていけば、赤狩りの本質、アメリカ自由主義の本質が、別の形で浮き彫りになる可能性があると感じるからだ。いまのままでは、見えそうで見えない「ヒント」の「ヒント」がありそうな感じがするだけだが。


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クリストファー・ノーラン監督「オッペンハイマー」(★)

2024-03-29 22:05:21 | 映画

クリストファー・ノーラン監督「オッペンハイマー」(★)(Tジョイ博多、スクリーン9、2024年03月29日)

監督 クリストファー・ノーラン 出演 キリアン・マーフィ、ロバート・ダウニー・Jr、エミリー・ブラント

 私は数学者でも物理学者でもないから、私の想像が間違っているのかもしれないが、オッペンハイマー(キリアン・マーフィ)の頭の中で繰り広げられる「核爆発」の映像(イメージ)がなんとも理解できない。星が爆発し(死に)、ブラックホールが誕生するという映像(イメージ)も信じがたい。あんな、アナログのイメージで物理世界を見ているのか。私は、勝手な想像だが、数学者や理論物理学者は「数学」(数字の動き)で世界をとらえていると思っていた。頭の中で、つぎつぎに数式が動いていく。その変化、そのときの美しさに夢中になっている。いまでも、そう思っている。彼らの頭のなかには、光も色もない。数式だけがある。これを象徴的にあらわしているのが、ちらりと出て来るアインシュタイン。彼は、オッペンハイマーの持ってきた「数式」を一目見ただけで、それがどんな運動(動き)をあらわしているか、意味しているかを理解する。映像なんか、見はしないのだ。だからこそ言うのだが、この映画のなかで繰り広げられる「2001年宇宙の旅」のつづきのような映像は、数学や物理のことを知らない映画監督の「空想」にしか見えない。
 で、このことと逆説的に関係するのだが。
 核爆弾投下後に苦悩するオッペンハイマーの、苦悩の根拠とでもいうべきものが、なんとも「空想的」で説得力がない。広島・長崎について語る部分だが、ここでは星の誕生、星の死の映像の裏返しのように、彼は「死者の数」を口にする。直後の死者が何人、その後の死者が何人。そこには「数字」しかない。実際の「人間」がいない。死んでいく人間の映像がない。彼は、アメリカ政府(アメリカ軍?)の主張している「死者の数」に対して抗議して、「もっと多い」と主張するのだが、この「数字だけの反論」のシーンで、私は、思わず何かを投げつけたくなった。「ばかやろう」と声を出しそうになった。
 途中に、原爆で皮膚がただれ、はがれていく映像があるが、それは原爆被害の実情を矮小化して描いていないか。映像の「うそ」が、この映画を支配している。この映画を見たアメリカ人は(あるいはほかの外国人でもいいが)、この映画で、広島・長崎の惨劇を理解できるのか。オッペンハイマーが口にした死者の数の衝撃を理解できるか。たとえば5万人と10万人の違い。これは、頭でなら理解できるが、肉体では理解しがたい。5万人と5万1人では、もっとわけがわからなくなる。しかし、死んでいくときは、いつでも1人である。それは、きっと死んでいく人、その肉親や友人にしか識別できないひとりである。そのことを多くのアメリカ人、この映画を称賛するひとたちは決して知ることはないだろう。
 この映画では、原爆を開発してしまったオッペンハイマーの苦悩を描いていることに「なっている」が、その苦悩は「理論」の苦悩にすぎない。「可能性」の苦悩にすぎない。原爆は(そして水爆)は多くの市民を殺してしまうという「理論」の苦悩にすぎない。だが、死んでいくひとは「理論」で死ぬのではない。肉体そのものが破壊されて死んでいくのである。その肉体には、オッペンハイマーはどう思っているか知らないが(どう思っているか映画では描かれていないが)、ひとりひとりに名前がある。先に書いたことの繰り返しになってしまうが、10万人というとき、そこには一人一人はいないが、その10万人のひとりひとりの名前を読み上げてみるといい。そして、その一人一人にはさらにそれにつながる多くの人がいる。死んだ人の悲しみ。親しい人を失った人の悲しみ。その悲しむ人、一人一人にも名前がある。それを、オッペンハイマーは声に出して言うことができるか。できないだろう。「現実」とは、そういう、実際に肉体でかかわろうとすると手に負えないものでいっぱいだ。
 オッペンハイマーの苦悩を描くのなら、そういうところまで掘り下げないといけない。この映画は、原爆開発計画の裏側(そのときのアメリカの野心家たちの人間関係)を描いているにすぎない。「原爆」は、その野心的な人間ドラマの「飾り物」になっている。オッペンハイマーの妻(エミリー・ブラント)の「戦わなければいけない」ということばが象徴的だが、アメリカで成功するには「人間関係で戦わなければならない」のである。その「過酷な戦い」を描いてはいるが、それはオッペンハイマーの原爆を開発してしまった苦悩そのものではない。巧妙なすり替えが、映画を支配している。
 こんな、ごまかし、空想に酔って、オッペンハイマー(原爆開発)やアメリカに「良心(反省するこころ)」があると「宣伝」するのは、とてもおそろしい。アメリカには「良心」がある、という「宣伝」は、これからもつぎつぎに繰り広げられるだろうが、強欲主義を隠すための「良心」に、私は絶対に与することはできない。

 この感想は、映画の感想ではなかったかもしれない。
 映画として、もし、見どころがあるとしたら、アメリカ強欲主義の人間関係の、なんともリアルな部分をロバート・ダウニー・Jrが熱演していたことだ。彼がいたから、この映画は強欲主義のアメリカ人の「生き方」を描いた映画だとわかる。


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こころは存在するか(30)

2024-03-28 23:03:04 | こころは存在するか

 「ことばは人間とともに生きている。語る相手を待ってのみ発達していく。」という文章が和辻哲郎全集第十巻のなかにある。相手を「持って」ではなく「待って」。「待つ」と「持つ」は漢字が似ているが、意味とずいぶん違う。「待つ」とき、「待っている人(ことば)」にできることは何もない。
 「ことば」は語る相手=聞いてくれる相手のなかで発達していく。新しいことばになっていく。筆者が書けば「新しいことば」になるのではなく、「相手のことば」のなかで変化することで「新しくなる」。これは、「聞いてくれるひと」の、それまでのことばが否定され(破壊され)、新しく生まれ変わるということだ。ことばは、常に、発した人を超越し、他者のことばを否定しながら生まれ変わり、そのあとで話者に帰ってくるものなのだ。
 「間柄の本質」については、こう書いている。

我れの志向がすでにはじめより相手によって規定せられて、また逆に相手の志向を規定している。

 これは「ことば」について語っている部分と完全に重なる。ことばを相手に語り始めるとき、何を語るかは相手によって規定せられていると言えるが、語り始めればその瞬間から(語り始めなくても、語ろうと思ったときから)、そのことばのなかには相手のことばを破壊する何かが秘められている。相手のことばを破壊し、生まれ変わって帰ってくることばをこそ、話者は「待っている」。

 こういう「読み方」は、たしかに「誤読」なのだが、私は「誤読」をやめることができない。私の「誤読」は和辻には帰っていくことがない。和辻はすでに存在しない。しかし、本のなかで、和辻は「待っている」と、私は感じる。
 これは「自惚れ」ではなく、さらに大きな「誤読」というものだが、私は私の肉体のなかで、和辻のことばも私のことばも変わっていくのを「待っている」のだと言えばいいのだろうか。

 こういうことを書く瞬間、「喜びにこころがおどる」というのかもしれないが、これは「胸のなかで(奥で)こころがおどっている」ということか。しかし、私は「こころ」は存在しないと思う。「おどっている」のは「こころ」ではなく、たとえば顔の筋肉、足の筋肉である。ときには、その動き(おどり)を抑えることでさらに激しく「おどる」ものもある。「こころ」があると仮定したら、そのとき「こころ」は「胸の奥」にあるのか、押さえつけられた足の筋肉にあるのか。顔や、足や、手や、方々の肉体に散らばって、「こころ」は存在するのか。
 和泉式部の「千々にくだくれどひとつも失せぬ物にぞありける」みたいだなあ。(脱線)

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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(92)

2024-03-28 22:22:31 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「アクシオン・エスティ、創世記より」。

この世界。この小さな世界の大きさ!

 「この世界」と呼ばれているものは、世界のなかにある「ひとつ」の存在である。たとえばオレンジの花。それは世界のなかにあることによって、世界と向き合っている。そのとき、「この世界(ひとつの存在)」は、それをとりまく世界(複数のつながり)に比べると確かに「小さい」。しかし、世界と向き合っている限り、そこには世界に対応するだけの「秘密」がある。その「秘密」は世界に存在するすべての「秘密」に同時につながっている。
 「秘密」ということばを詩人はつかっていない。中井の「訳」のなかには登場しない。しかし、私は、その書かれていない「ことば」を読んでしまう。「小さい(な)」と「大きさ」が結びつく一瞬に。
 「小さな世界」のなかに「大きな世界」が吸収され、どこまでも凝縮していくのか。「小さな世界」が「大きな世界」のなかに飛び出し、どこまでも拡散していくのか。往復運動を繰り返しながら、つぎつぎに新しい世界になっていくのか。新しいつながりが生まれるのか。終わりのない時間が一瞬になり、一瞬が永遠にかわる強さが、この一行にある。

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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(91)

2024-03-27 22:40:11 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(91)

 「石と血と鉄とで……」。

心の樹は枝を広げて行く。それが私の眼に見える。

 ここに書かれている「眼」は「肉眼」のことである。けっして「心眼」ではない。「心の樹」と比較すると、その意味がわかる。「心の樹」は、いわば「想像」である。つまり、実在するのではない。それを「心の眼」で見れば、それら「空想の空想」になってしまう。「肉眼で見る」とき、「心の樹」という非現実(空想)は「肉体」の力よって現実の世界に引っ張りだされてくる。つまり「実在」になる。
 詩人は「見る」、そして「ことばにする」。そうすると、それは「現実」になる。
 ここには何か、ソクラテス、プラトンの時代からの、偉大な(強靱な)ギリシャ人の集中力がある。真摯な力がある。他の部分では「きみ」「僕」ということばをつかっているが、この行だけ「私」になっている。何か、あらたまってことばを動かしている。「あらたまる」のは、集中するためであり、真摯になるためでもある。中井の「訳語」は、そういった変化を抱え持っている。


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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(90)

2024-03-27 00:07:01 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「日がな一日野を歩いた……」。

生命の眼を覗く。生命の眼は我等の眼差を返す。

 同じことばと違うことばが交錯する。あえて書くと、「我等の眼が生命の眼を覗く。生命の眼は、我等の眼に、我等の眼差しを返す」。生命の眼のなかで、我等の眼差が反射し、帰ってくる。我等が覗いたのは、我等の生命の眼。そして、それは「反射する」ではなく、もっと積極的な「返す」という動き。「反射する」なら、鏡や水でもできる。しかし、「返す」は違う。そこには「動き」がある。「覗く」が動きだから、やはり動きとしての「返す」が絶対的に必要なのだ。
 繰り返される同じことばが、違うことばのなかにある「本質的な同じもの」を強烈に浮かび上がらせる。生きていることは、「動く」ことである。「動く」ものは死なない。つまり、決して消えない。なくならない。それを「生命」と呼ぶ。

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こころは存在するか(28)

2024-03-25 22:34:38 | こころは存在するか

 「絵は我々が見ないときでも美しい。酒は我々が飲まないときでもうまい」というのはほんとうか。
 私は、そもそも「絵を見ないとき、その絵は存在しない。酒を飲まないとき、その酒は存在しない」と考えている。「見る」「飲む」のかわりに「想像する」をつかえば、「ある絵を想像する(想起する)とき、その絵は存在する。ある酒を想像する(想起する)とき、その酒は存在する」と言えるが、それはあくまで「想像のなか」に存在するのであって、現実に存在するかどうかはわからない。いろいろ考えるとめんどうくさくなるので、便宜上「どこかに存在している」という形で対応してはいるが、こんなことは何の意味もない。
 和辻は、「絵は我々が見ないときでも美しい。酒は我々が飲まないときでもうまい」ということばから、別のことを考えている。「美しい」「うまい」というのは価値である。価値には志向性がある。価値は、人間が「対象」に対して「与える」ものである。「与える」という動詞が、このとき動いている。そこには「生きている人間」がいる。
 つまり、「価値を与える」ということで、自分自身をあらわしている。「顕現化」していることになる。

 ところで、この顕現化とはどういうことか。「価値を与える」にかえって考えるとわかりやすいかもしれない。
 というか。
 私は、こんなふうに「誤読」している。
 私が和辻に惹かれるのは、和辻のことばの動かし方が「個人的」にとじこもらないからである。「哲学」というのは、なにか「個人にとじこもって考える」印象が強いが、和辻は「個人」から踏み出していく。どこかに「いまの自分」を否定して、「いまの自分」以外のところへ踏み出していく印象がある。
 簡単に言いなおせば、「専門以外」のところへ踏み込んでいく。「専門以外」のところで、和辻なりの「価値付け」をする。それが、おもしろい。そして、その「踏み出し(新たな価値付け)」から、いままで存在しなかった時間と空間がひろがる。新しい時間と空間が和辻のなかから出てきて、それが新しい和辻になる。そういう印象がある。
 すべてのこと(世界)は、和辻という「肉体」のなかにある。それが少しずつ何かに「価値を与える」につれて、「肉体」のそとへあふれてくる。

 以上は少し前に書いた「日記」。
 きょう読んだ文章のなかに「倫理」を定義した部分がある。
 倫=なかま=一定の行為的関連の仕方
 理=ことわり、すじ道
 大胆に「要約」すると、そういうことになる。「すじ道」の「道」にも私は関心を持ったのだが(「古寺巡礼」で「道」ということばに出会って以来、私は、それが気になっている)、もうひとつ「一定の行為的関連の仕方」ということばに、何か、肉体をつかまれた気になった。「行為の仕方」を「行為のかた(型/形)」と「誤読」した瞬間、「歌舞伎」を思い出したのである。私は「歌舞伎」をほとんど知らないのだが。
 島流しになっているある役者が、仲間と別れるシーン。彼は島に残され、仲間は許されて京都(?)へ帰っていく。それを岬で見送る。そのとき、その役者の手の動きがとてもすばらしかった。「さようなら」と力いっぱい叫んでいるときは、振っている手の(指の)隅々にまで力がこもっている。それが船が見えなくなるに連れて、力をなくし、次第に腕がさがり、指先もまがる。そこには「張りつめた感情」が変化していくときの肉体の動きが「新しい型/形」として具体化されていた。腕、指の動きに「感情の価値(形)」を与え、「表現」を創造していた。
 歌舞伎は、引き継がれてきた「型/形」を繰り返して見せるものであり、まあ、そこで肉体の動きを確認し、自分のなかに感情を蘇らせる「仕組み」になっているのだと思うが、その役者がやったことは「型」の継承ではなく、昔からある「型」を破って、新しい「型」へ踏み出していくということだった。そうすることで、新しい「人間」に成ったのである。
 和辻なら、もっと的確な表現で批評するかもしれないが。
 なんとなく、私は、和辻がことばでやっていることを、その役者は肉体でやってみせたように感じたのである。
 これは(きょう書いたことは)、「誤読」をはるかに通り越して、脱線の脱線かもしれないが……。


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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(89)

2024-03-25 21:23:39 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「マルメロの林にたゆとう風……」。

蘇りの形象は

 二連目の、第一行。これだけでは何のことかわからない。主語(あるいはテーマ)が提示されているだけである。つまり「文(名詞+動詞)」になっていない。しかし、「文」にならないことによって、逆にドキリとさせるものを含んでいる。この一行に、ほんとうに「動詞」は存在しないか。
 「蘇り」のなかに「蘇る」という動詞がある。ギリシャはいつでも「蘇る」と詩人は言っているのだ。それは、どんな風にか。この詩に書かれている「形」に。詩人が「形象」と呼んでいるすべての「形」に蘇る。だれも、それを壊せない。だれも、それを阻止できない。なぜなら、それはことばとして生きているからである。
 この一行は、もっとわかりやすい形に翻訳できたかもしれない。しかし、中井は、ここではあえて「わかりにくい」形で翻訳しているように感じられる。わかりやすかったら、ことばは読みとばされ、既成の文体のなかに消えてしまう。


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池田清子「もっと向こう」ほか

2024-03-25 18:21:09 | 現代詩講座

池田清子「もっと向こう」ほか(朝日カルチャーセンター福岡、2024年03月19日)

 受講生の作品。

 「三連目がユニーク。際限のない甘えが印象に残る。最後の一行で悲しさがあふれてくる」「一連目は谷川俊太郎みたい。最終連は、気持ちが解放されて書かれている」「すんだ青い空、純粋さが昇華されている。最終連の泣くには、泣いていられる喜びに近いものがある」「空を見たときのピュアな気持ちを思い出す」
 最終行の「泣こうか」は、受講生が指摘したように、「がまん」と「甘え」が交錯し、そこに不思議な美しさがある。
 三連目☆★彡とそれを取り囲む円。ここから何を感じるか。「絵画的」「視覚的」という声が多かった。「ことばにしなくてはいけないのに、ことばにできない」と作者は言ったが……。
 私は、この「ことばのない世界」を「絵画」というよりは、「音楽」として受け止めた。星の動く音が聞こえる。それはたとえて言えば「楽譜」のようなもの。散らばりながら、響き合う透明な音がある。それは「聞こえない」、しかし、逆に、その「音楽」になれていないので、ただ「聞こえない音楽(沈黙の音楽)だけが聞こえる」という印象がある。
 音譜の読み方をならったとき、突然、そこに音が存在しないのに、音が聞こえたときの驚き、文字をならったとき、そこに音が存在しないのに声が聞こえたときのような一瞬を思い出した。

ものがたり  杉惠美子

起点と終点を どこかで感じたいけれど
自分で 確かめられるはずもないけれど

        でも
自分をのせる舟に乗って
漂へる 寛やかな
河に出会い

その河の広さと深さに
満足しながら

ちょうど良いと感じる
速さと流れがあれば

それで良い

風にのって落ちてくる
木の葉とか
花びらとかを眺めつつ

うつらうつらと
夢見つつ

私を炙り出す
言葉を探す

 「起点と終点、感じたくないけれど感じた。『漂へる 寛やかな』ということばがあるが、その感じがよく表現されている」「タイトルがおもしろい。物語には起点と終点がある。三、四連目から河が見えてくる。最終連の『炙り出す』がいい」「自分の人生を題材にして詩を書いている。三、四連目の対句表現が自然でいい。対句がことばに流れをつくりだす。『花びらとかを眺めつつ』からつづく三行が心境をあらわしている」「風にのって漂う死のイメージがある。この世はまぼろし、はかない。それを越える明確な意思を最後の連に感じた」
 私も、河の描写、対句的表現がとてもいいと思った。「出会う」という動詞が、河を人間のように浮かび上がらせる。「広さと深さ」「速さと流れ」に分かれ、「満足」と「ちょうどよい(と感じる)」で統合される。この離れたり、集まったりする感じが、水の動きのようだ。
 私がびっくりしたのは「漂へる」という旧仮名遣いと「つつ」という、いまではあまりつかわない文語的なことば。しかし、そのことばが詩全体のトーンを引き締めている。適度な緊張感となって、ことばを支えている。

貝殻  青柳俊哉

砂に立ち
吹きおろす風を巻く 真珠層へ 
空の成分を濾す

大白鳥の風切羽のしなり
深く軽く空がふるえる

靭帯が軋む 流砂の中へ青いまましずむ

螺旋もようを辿り
かれがうまれた海へ
青を開放する

そこに新しい空がある
大白鳥が飛び立ち 風切羽が
空を吹き合わせてうたう

 「人生の輪廻を感じる。『青を開放する』が印象的」「貝殻というタイトルだが、本文には出てこない。一連目はイメージが雄大。『空の成分を濾す』は理解できないが、ことばを全部つなげると理解できる感じがする」「最後の二行がすてき。青の意味はわからないが、白鳥との関係はよくわかる」「広大な大気圏を感じる。特に『青を開放する』に広大さを感じる」
 作者は、貝殻が砂に立って風を感じている、という世界だと語った。
 貝は二枚貝ではなく、サザエのような内部が螺旋になった貝なのだろう。「かれがうまれた海へ/青を開放する//そこに新しい空がある」の海と空の対比が、対比を越えて融合する感じが「雄大/広大」という印象を引き起こすのだと思う。限界がなくなる。
 ことばが急ぎすぎているかもしれない。「 靭帯が軋む 流砂の中へ青いまましずむ」は、もう少しゆっくりと書き込んだ方がイメージがわかりやすくなると思う。「わかりやすい」が必ずしもいいことではないけれど。

 

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Estoy Loco por España(番外篇438)Obra, Joaquín Llorens

2024-03-24 17:20:20 | estoy loco por espana

Obra, Joaquín Llorens 

 Me gustan las obras de formas simples de Joaquín. En lugar de crear una forma, el hierro que ya estaba allí se transforma naturalmente en una nueva forma. Joaquín lo apoya tranquilamente. Hay algo así como la mirada de un padre que ve crecer a su hijo. El hierro es su familia. Sabe de hierro como los padres saben de niños. Y Joaquín crea en el poder del hierro.
 Ahora, este hierro está a punto de convertirse en un hermoso cisne. Está a punto de levantar la cabeza y extender las alas. Dentro del hierro, el sueño de volar por el cielo crece y se extiende. El cisne se convertirá en un viento brillante en el cielo y volará hacia una libertad infinita.

 ホアキンの、シンプルな形の作品が、私は好きである。形をつくるというよりも、そこにあった鉄が、自然に新しい形に変化していく。ホアキンは、それを静かに支えている。こどもが育っていくのを見守る親の視線のようなものがある。鉄は、彼にとっては家族なのだ。両親がこどものことをよく知っているように、彼は鉄のことを知っている。そして、鉄の力を信じている。
 いま、この鉄は、美しい白鳥になろうとしている。首をもたげ、羽を広げようとしている。鉄のなかには、大空を飛ぶ夢がふくらみ、広がる。それは大空のなかで白鳥から風に変わっていくだろう。

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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(88)

2024-03-20 22:29:20 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「私は愛する名に生きた……」にも「再生」に通じる一行がある。

我が生命(いのち)尽きるとも変わらぬ海の轟きの中に。

 一行と書いたが、この一行は一連目の最後と最終連の最後にある。つまり、繰り返されている。だから二行ということもできるのだが。
 海の轟きは変わらない。だから、私はいのちが尽きても「再生する」と私は「誤読」するのである。そして、「我が生命」の「我が」とは「私」ひとりではなく、「我々」なのである。「我々」だからこそ、「私」はいつでも「我々」なかに「再生」する。「我々」とは「海の轟き」である。ギリシャは海と共にある国だ。ギリシャ人は海と共に生きている。
 ところで。
 この「再生」ということばを抱え込むこの三篇には、もうひとつ、共通するものがある。タイトルがいずれも書き出しの一行と重複する。ただし、本文に「……」はない。タイトルにだけ存在する。
 もしかすると、原文にはタイトルがないのかもしれない。「無題」の詩かもしれない。しかし、中井はそれを区別するために書き出しの一行をタイトルとし、そのあとに「……」を追加したのかもしれない。「……」を重複させることで、三篇をひとつの作品であると暗示しているのかもしれない。(タイトルに「……」がある作品はほかにもあるのだけれど。)
 それにしても、というのは奇妙な言い方になるが。
 このエリティスという詩人は、なんとギリシャ的なのだろうと思う。あらゆることばが、ギリシャ悲劇やプラトンの著作にあったような気がしてくる。私はギリシャを実際に知っているとは言えないけれど、どのことばからもギリシャの光、匂いが噴出してくる。
 

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こころは存在するか(27)

2024-03-20 22:24:27 | こころは存在するか

 「人間の存在は行為である」。これは和辻哲郎全集(9)に出てくることばだが、「論語」のなかに書かれていたとしても疑問に思わない。カントにしろハイデガーにしろ和辻にしろ、ひとは結局同じことを、それぞれのことば(孔子語、カント語、ハイデガー語、和辻語)で語る。
 これは、ふつうは「翻訳」というかもしれない。しかし、私は「誤読」と呼ぶ。違っているが、重なり合う。重なり合うが、ずれてしまう。ひとの肉体は、それぞれ「個別」だからである。「理念(イデア?)=精神」が「一致する」という考えに、私は与しない。「肉体は個別でも共通(一致する)精神、理念がある」とは、私は考えない。

 肉体と精神(こころ)を分けて考える必要はない。肉体と精神(こころ)--それがあると仮定して--は同じものである。肉体を、ときどきひとは「精神」と呼んだり「こころ」と呼んだりする。私は、それを「肉体」というひとつのことばのなかに統一する。
 そして「精神(こころ)」を「肉体」の用語(?)で言えば、それは「行為(する)」なのだと思う。

 

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Estoy Loco por España(番外篇437)Obra, Jesus Coyto Pablo

2024-03-20 18:10:11 | estoy loco por espana

Obra, Jesus Coyto Pablo


 El paisaje de la ciudad se superpone con el perfil del hombre. El perfil del hombre se superpone con el paisaje de la ciudad. ¿Cuál es el pasado (memoria) y cuál es el presente? Esta pregunta no tiene sentido. El tiempo que llamamos "el pasado" realmente no existe en ninguna parte. Porque el tiempo nunca pasa. Todas las memorias  siempre existen con el tiempo del "ahora". Se superponen y nunca abandonan el momento presente. Hemos vivido en "ahora", vivimos en "ahora" y viviremos en "ahora".
 Un recuerdo solitario, el hombre recuerda el día en que murió su caballo favorito mientras miraba el monumento. Si la memoria de ese caballo hubiera podido desaparecer en algún lugar con el paso del tiempo, el hombre no se sentiría triste. Sin embargo, cada vez que el hombre ve el monumento se pone triste. Se construyen nuevos edificios en la ciudad y su apariencia cambia, pero el tiempo no pasa.
 El hombre lo sabe. El caballo de ese monumento recuerda al hombre.  Cuando llueve, se lo puedeentender claramente cuando la luz se debilita.

 男の横顔に街の風景が重なる。街の風景のなかに男の横顔が重なる。どちらが過去(記憶)で、どちらが現在か。この問いには、意味はない。「過去」と呼ぶ時間は、ほんとうは、どこにも存在しない。時間は過ぎ去ったりしないからだ。どんな記憶も、いつも「いま」という時間といっしょにある。重なって、いまという瞬間から離れることはない。
 たとえば寂しかった記憶、モニュメントの馬を見ながら、昔飼っていた馬が死んだ日のことを男は思い出す。その馬の姿が、流れ去る時間とともに、どこかに消え去ってしまうなら、男は悲しくならないだろう。しかし、モニュメントを見るたびに男は悲しくなる。街には新しいビルが建ち、その姿は変わるけれど、時間は過ぎ去りはしない。
 男は知っている。あのモニュメントの馬は、男を覚えている。思い出している。雨が降ると、光が弱くなる時間になると、そのことが鮮明にわかる。

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