詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

須藤洋平『赤い内壁』(1)

2018-09-21 12:00:11 | 詩集
須藤洋平『赤い内壁』(1)(海棠社、2018年09月30日発行)

 須藤洋平『赤い内壁』は「赤い内壁」「プラスチックバット」「ワゴンの記憶」とみっつの章に分かれている。
 きょうは「赤い内壁」を読んだ。
 とてもおもしろく、ぐいぐい引き込まれる。一気に読み通した方がいいのかもしれないが、ぐっと我慢した。
 立ち止まりたいからである。

 巻頭の「染み出るピンク色の手の中で」は、

一度、股を通過した蟻は、たとえ、踏まれてもそう簡単には潰れ
やしない。

 と、始まる。「蟻」が何のことかわからない。
 この「わからない」が私には重要だ。わからないとわかったときから、私は考え始める。
 詩は、こう続いていく。

アルコールを垂れ流した大男は思う。死にたいんじゃなく、
(確かに身体は面倒だが)別に死んだって構いやしないってこと。
それでも中には、何度も何度も、小さな蟻になろうとして、いつ
しか圧縮されていた記憶があふれ、ピストルに弾を込める奴もい
るだろう。けれど、それは別に不思議なことでもなんでもない。
僕も似たような時があった。ただ、こういう奴等は、何かと偉大
な力のようなものを感じることが多いようだ。
実際に僕もそうだった。

コンビニの駐車場でポケットからウイスキーの小瓶を取り出し
叩き割り短い雄叫びを上げた時もそうだった。

袋詰め作業を思い切って辞めて、無一文になった時にもそれを感
じた。

それはつまり全面降伏を認めた時だ。

 読み進んでも、わからない。わからないけれど、「偉大な力」と「全面降伏」が固く結びついていることが感じられる。そして、その「接着剤」のようにして、

コンビニの駐車場でポケットからウイスキーの小瓶を取り出し
叩き割り短い雄叫びを上げた時もそうだった。

袋詰め作業を思い切って辞めて、無一文になった時にもそれを感
じた。

 という「ことば」がある。
 「コンビニの駐車場でポケットからウイスキーの小瓶を取り出し/叩き割り短い雄叫びを上げた時」は、「アルコールを垂れ流した大男」と結びつく。
 コンビニでウイスキーを買って、駐車場でラッパ飲みする。それから瓶を叩き割る。男の口からウイスキーが垂れている。アスファルトの上には瓶に残っていたウイスキーが垂れ流しになっている。「雄叫び」と、自分への怒り、絶望の声かもしれない。「死にたいんじゃなく」ということばも、それに重なる。
 私は、どうすることもできなくて、自分で自分を制御することもできなくて、怒り、絶望している男を想像する。そして、怒り、絶望した瞬間、「偉大な力」を感じている、という「矛盾」のようなものに引き込まれる。
 絶望している瞬間に感じる「偉大」とはなんだろうか。「生きてしまっている」ということではないだろうか。生きているから「怒り」も「絶望」もある。
 途中に出てきた「ピストルに弾を込める」というのは「自殺」のことかもしれない。絶望して、自殺を試みる人(試みた人)もいる。そのときも、その人は「生きてしまっている」ということを向き合っていた。
 そういうことを思っていると、突然、「蟻」が「大男/僕」と結びつく。「僕」は「大男」であると同時に「蟻」である。
 そこから書き出しにもどる。「蟻」を「僕/大男」と書き換えてみる。読み直してみる。

一度、股を通過した「僕/大男」は、たとえ、踏まれてもそう簡単には潰れやしない。

 「股」は「女の股」、「母の股」のことだ。「通過する」は、セックスではなく、「生まれる」ということだ。人間は誰でも「女の股」を通って生まれてくる。そして、生まれてきてしまったら、「踏まれてもそう簡単には潰れやしない。」
 これは須藤の実感なのだ。
 何もかもがいやになって、絶望し、怒りの声をあげる。「こう生きろ」と押しつけてくる社会に対して、「全面降伏」する。その瞬間に、まだ「自分は生きている」(自分を生かしてくれている力がある)と感じる。
 人間は死なない。いや、死ねないのだ。
 詩は、続いている。

何かが手助けしてくれた。医者でもない、カウンセラーでもない、
家族なんて端からいない。
それはずっと自分の中にあるものだった。
おそらく、体液だ。皮肉にも体液のしなやかさだったのだ。
もし、偉大な存在がほんとうにいるのなら、言うだろう。

「それは、私の手の中でこしらえたものだ」と。

染み出るピンク色の両の手の中で。

 最後がまた、わからないのだが、わからないものはわからないままにしておく。
 「偉大な力」を「それはずっと自分の中にあるものだった」ということばをとおして、私は「生きている力」と読み替える。
 須藤は、「生きている力」と向き合っている。「生きている力」は須藤を突き破って動こうとしていく。それは、混乱(困惑)を引き起こす。しかし、そこから逃げずに、須藤は向き合う。つまり「偉大な力」そのものになる。
 一篇の詩に。
 それは血がにじむ。血がにじんでピンク色をしている。
 残酷と美の、不思議な結合。結晶、と呼べるかもしれない。
 「赤い内壁」には、そういう美しさが、やさしさにかわって、静かに動いている。

「ちくび、かくせるまでのばすのゆめ」
はっきりとは聞きとれなかったが、真黒い髪を弄りながらあなた
は笑い、
そして、机の上にあった画集を開き
「これ好き!」
と言い、開いて見せてくれたのは、
シャガールの『緑色のバイオリン弾き』だった。
「僕も好き」言うと、いきなりハグしてきた。

 ことばが自然に動いている。幸せというのは、こういう具合に、ことばがリズムをもって動く瞬間なのだ。
 なんとやさしい人間なのだろう、とこころが震える。

鼻の下にうっすらと髭を生やし、
毛玉のついたセーターを着て、
黒縁メガネのレンズはいつも汚れていて、

あなたと野生のカモシカを見てみたい。
僕はあなたを殴ってしまうこともあるかもしれない。
あなたの胸元を乱暴にはだけてしまうかもしれない。

あなたを指差し、
「同じ顔をしたの何人いるんだよ!」
笑う奴らにはどうあがいていも勝てないかも知れないけれども、
フナムシには時折、立ち向かってくるものもいる。

あなたの服を優しく脱がせたい
あなたと背向いて生きたい。
よじ登る、赤い内壁を。











*

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谷川俊太郎の『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
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1 コメント

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須藤洋平 1 (大井川賢治)
2024-09-16 10:34:20
書評中の谷内さんの印象深い1文、/幸せというのは、こういう具合に、ことばがリズムをもって動く瞬間なのだ/。
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