村上春樹の日本語
私は外国人に日本語を教えるとき、村上春樹の小説をつかうことが多い。とても便利だからである。村上春樹の文体には「繰り返し」が多い。そして、そのことが日本語を教えるのに好都合なのである。
「繰り返し」の特徴のひとつの「述語」の省略がある。
きのう読んだ「シェラザード」の最後。わかりやすくするために省略された述語の部分を(***)で示しておく。
羽原は目を閉じ、シェラザードのことを考えるのをやめた。そしてやつめうなぎたちのことを想った。石に吸い付き、水草に隠れて、ゆらゆらと揺れている顎を持たないやつめうなぎたちを(1***)。彼はそこで彼らの一員となり、鱒がやってくるのを待った。しかしどれだけ待っても、一匹の鱒も通りかからなかった。太ったものも、痩せたものも、どのようなものも(2***)。そしてやがて日が落ち、あたりは深い闇につつまれていった。
(1***)は「想った」、(2***)は「通りかからなかった」。ともに、直前の文章の末尾の熟語を省略している。重ねて書くと「うるさい」ということがあるのかもしれないが、それなら文章をふたつにわけずにひとつにすればいいのだが、そうすると長くなる。だから、こんな「工夫」をしている。
これがどうして日本語を教えるのに有効かというと。
日本語の会話は(会話だけではないが)、最後まで聞かないと意味がわからないというがほんとうはそうではなく、途中まで聞けば末尾は推測できる。その末尾の推測能力を鍛えるのに、とても役立つのである。
末尾を推測するというのは、そんなに複雑なことではなく、日本人ならだれもが自然にやっていることだが、外国語の文体は「動詞(述語)」が主語につづいて、文頭近くに出てくるので、それを推測するということには、外国人はあまり慣れていない。
「(1***)のあとには述語(動詞)が省略されているけれど、それは何?」
と、私は生徒に質問する。さっと答えられたら、その生徒の日本語能力は高い。これは日本人相手にやってみても、きっと有効な「能力検査」になる。じっくり読めば、わかる。そうではなくて、即答できるかどうか。
私が教えている18歳は、これができる。読めない漢字がいくつかあるが、これは「知識」の問題。述語の推測は「知識」ではなく、「理解能力」の問題。彼は、それをクリアーしている。
この「シェラザード」の末尾には、村上春樹を教材に使う別の理由もある。最後の文章。
そしてやがて日が落ち、あたりは深い闇につつまれていった。
この文章は、小説を読み慣れた人なら「そしてやがて日が落ち」まで読めば、「(あたりは)深い闇につつまれていった。」が推測できる。「常套句」で成り立っている。村上春樹の小説は「常套句」の宝庫である。「そしてやがて日が落ち」まで読み、それにつづくことばを推測できれば、これは完全に日本語をマスターしているといえる。
私は生徒にここまで質問はしないが、推測できるようになれば、きっと村上春樹の文体が、たまらなく「退屈」になる。私は、退屈で仕方がない。だから、村上春樹の小説は嫌いだが、日本語教材としては、とてもいい。だいたい「語学教材」というのは、退屈なものだ。
もうひとつ、村上春樹の「文体」の特徴に、ちょっと「わかりにくいことば」をつかったあとは、必ず、それを「説明する」というものがある。「わからなことば」に出会っても、つづけて読んでいけば、その「意味」を推測できる。
「木野」という小説に、妻を寝取られた男(木野)が登場する。木野は、妻の浮気に気がついていなかった。浮気現場を目撃して、はじめて気がつく。
そのあと、こんな文章。
木野はそういう気配にあまり聡い方ではない。夫婦仲はうまくいっていると思っていたし、妻の言動に疑念を抱いたこともなかった。もしたまたま一日早く出張から戻らなければ、いつまでも気づかないまま終わったかもしれない。
この文章の「聡い」ということばは、かなりむずかしい。しかし、末尾の「いつまでも気づかないまま」が、それをていねいに説明している。(余分なことだが、さらに、このあと段落をかえて、実際に妻の浮気の現場が描写されるのだが、これもまあ、なんというか、想像力を刺戟しないというか、即物的(説明的)である。
村上春樹は、細部まで即物的に説明しないと何が起きているか(主人公が何を感じているか)、理解できないと思っているのかもしれない。
脱線したが、「わからないことば」に出会ったとしても、一文を全部読ませる。ときには、一段落を全部読ませる。そのうえで、「聡い」の意味をどう考える?と問いかければ、上級の日本語学習者なら推測できる。そういう推測ができるような「文体」が村上春樹の特徴である。
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きのうは、もうひとり38歳とも村上春樹を読んだ。「海辺のカフカ」。彼は「語感」が鋭くて、日本人がしないような質問をする。新潮文庫の17ページに「薄手の服」ということばが出てくる。「薄い服」ではなく「薄手の」。
「薄い」と「薄手」はどう違うか。「最近の若い人は、薄いというでしょ?」。まあ、「薄手」よりも「薄い」の方が通じるかもしれない。「手」は何を意味しているか。手でさわった感触である。そして、それは「感触」というよりも、なんというか「肉体の参加」である。そこには「親身」というのに近い感覚がある。
おなじ「手」のつかい方は、おなじページの次の文章の中にある。
15歳の誕生日は、家出をするにはいちばんふさわしい時点のように思えた。それより前では早すぎるし、それよりあとになると、たぶんもう手遅れだ。
「手遅れ」と「遅い」の違い。「手遅れ」の方が「親身」である。抽象的(物理的)というよりも具体的、実感的である。先に「肉体の参加」と書いたが、「手」は「実感」を代弁しているのである。
この38歳は、ここに注目すると同時に、いま引用した文章の「想われた」にも注目する。「思った」ではなく「思われた」。「思った」は主幹、「思われた」には、どこか客観的なもの(主体だけではないという印象)がある。そして、彼はここから、この小説の主人公は15歳の設定だが、どこか父親の意識を引き継いでいると指摘する。
とても、鋭い。
彼もまた漢字の読解には問題があるのだが、小説の読解については、問題はない。むしろ、私の方が耳を傾けなければならないとさえ感じる。
漢字の問題については、ちょっとおもしろいことがあった。「木野」のなかに「寡黙」ということばが出てくる。その意味を、18歳は「寡占」と結びつけて、「完全に沈黙しているわけではないが、それに近い沈黙」と定義した。「寡占はほとんどだが、独占なら完全。寡占の寡があるから、そう思う」。
この「推測」は完璧。
私は常に漢字熟語が出てきたときは、それぞれの漢字を含む別の熟語を紹介することで、意味を「ふくらませている」のだが、18歳には、これができる。だから、「読む」ことはできないくても「理解」(推測)ができる。
「語学」というのは、結局、「推測能力」のことだと思う。村上春樹の文体とは直接関係ないが、書いておく。
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