山本育夫書き下ろし詩集「野垂れ梅雨」十八編(2)(「博物誌」48、2020年08月20日発行)
山本育夫のことばは「濁っている」。これは、きのう読んだ吉田広行との「比較」でそういうだけであって、「絶対的な基準」ではない。
何語か知らないが、「日本語以外のことば」が出てくる作品を見ると、その違いがよくわかる。
03あふれだしている
詩はかくあるべしと
延々とつぶやいている
Bot がある
それを読んでいると
不思議な気持ちになる
つまり
詩はかくあるべきではないと
激しく思っているということだよね
Bot くん
そのことがよくわかった午後の
豪雨のしぶきだしぶき
詩は轟々(ごうごう)と
下水からあふれだしている
「Bot 」が何か、私は知らない。知らないことばは知らないままにしておく。それが私の流儀だが、日本語ではないということだけはわかる。アルファベットで書かれているからね。
で、の「Bot 」だが、二度目に登場するときは「Bot くん」と敬称がついている。敬称というのは、ほんとうは他人と距離をおくためのものだが、日常では他人との距離を縮めるためにもつかわれる。「くん」とか「ちゃん」が、とくにそういう働きをする。山本は、ここでは「Bot 」を日常をととのえるにしても、「外国語」の力を借りるためではない。むしろ「外国語(知らない何か)」を日常に引き寄せるためである。私は危険なことをしないよ、近づいておいで、というときの「くん」なのである。「こころを開いているよ、安心して」という証拠の「しぐさ(肉体)」が「くん」なのである。
もし山本が「外国語」をつかってことばを「二重」するとしても、それは日常を引き剥がすためではなく、つまり日常を「外形化」する、虚構化することで日常を「わかりやすく」するのではなく、逆に日常の「内部」を複雑に、見えにくくするためである。
なぜ「Bot 」を「くん」までつけて、自分の内部に取り込むのか。なんらかの「魂胆」のようなものがあるのだ。そして、山本のやっているのは、論理的なことばの運動をどこまでも明確に追うという仕事ではなく、「魂胆」というもの、ことばにするのがはばかられるようなものが人間を結びつけているということを明らかにすることなのだ。
で、ここで山本が「Bot くん」と呼びかける姿勢を前面に打ち出し、山本がこころをひらく優しい人間であるとどうしても読者に伝えたいのは、なぜか。「詩はかくあるべきではないと/激しく思っている」の「主語」がだれなのかを考えるとわかる。「主語」は山本である。「激しく思っている」ことを前面に出す。主張する、とそういうひとはときに反感を買う。その反感をさけるために「Bot くん」のよう猫なで声で、「私はあやしいものではありせん、かわいいこどもに『くん』をつけて近づくやさしい人間なんです。こうアピールしているのである。このアピールの仕方を、私は「魂胆」と呼んでいる。
「魂胆」なんて知ってしまうと、ひととの関係は、とっても面倒くさくなる。否定するにしろ、加担するにしろ、そこで動くのは「透明な論理」(誰にでも共有できるもの)ではなくて、ふたりで、つまり「一対一」で共有する「セックス」のような関係が始まってしまうのだ。そこでは、私はこういう人間ですという「見せかけ(愛しています)」と「本心(早く性交したい)」が交錯している。「論理/見せかけ」は他人に見せてもかまわない。けれど「魂胆の本心(セックスしたい)」は、他人に見せるとみっともない。実際のセックス自体、何でそんなかっこうしているといいたくなるような変なものになってしまうのだ。当人が気持ち良ければ気持ち良いほど、そんなものは「他人(第三者)」にとってはどうでもいいことだ。
その、どうでもいいこと、その「経過」を山本はことばにする。
「詩はかくあるべし」「詩はかくあるべきではない」。これは「論理」としては正反対のことだが、「気持ち」としては同じものだ。「気持ち」は「詩」に集中している。それは、なんといえばいいのか……。「ここは気持ちいいはずだ、ほら気持ちいいだろう」「違う、そこじゃない、そこは気持ち良くない」というセックスの対話のようなものだ。そんなことは、よほどのことがないかぎりいちいち「ことば」にせずに肉体を動かすことで「一対一」のなかで確かめるものだが。そんなあれこれが、「Bot くん」という猫なで声(しぐさ/肉体)をとおして展開する。
だからこそ、
激しく思っているということだよね
この一行で大事なのは、何を思うかではなく「激しく」思うこと。何かはどうでもいい。「詩はかくあるべき」「詩はかくあるべきではない」の「区別(境界、限界)」を叩き壊して、詩そのものを「激しく」思う。「そこ」「ここ」ではなく、まだ「出現」していない「場(エクスタシー)」を「激しく」思い、その存在しないものへ向けて動いていくこと。
もし山本に「透明性」があるとすれば、それは「論理」ではなく、肉体の「激しさ」としての透明性なのだ。猫なで声(しぐさ)の背後に欲望が透けて見えるという透明性なのだ。それは、限界を超えてしまうしかない、射精してしまうしかない、という欲望の「透明性」なのである。
人間には共通する欲望、共有できる欲望というものがあるかもしれないが、「論理」のように複数で共有できると考えない方がいい。論理のように、社会をととのえる形で共有できると考えない方がいいだろう。
「一対一」になって、そこで完結させれば、それで充分である。この「一対一」の「日常(セックスというのは日常の基本)」のなかで、「よくわかった」という境地に達することがすべてなのだ。「よくわかった」あとは、どんな世界でも、それはとても美しい。
豪雨のしぶきだしぶき
詩は轟々(ごうごう)と
下水からあふれだしている
豪雨のさなか、下水があふれだす。その「轟々」という勢い(激しさ)。それが詩のように美しい。限界を超えて、あふれだすものは、すべて美しい。それを共有できるのは、「ととのえる」ための「論理」を無視するときである。「しぐさ」のなかにどっぷりつかり、「肉体」そのもので「論理」をけとばしたものだけが、それを共有できる。
山本の詩から、「論理」を引き出し、それを進展させ、「結論」に仕立てても、何もおもしろくない。「論理」が「そこじゃない、ここ」というのを無視して、「そこ」でも「ここ」でもない「あっち」へ行ってしまう「勝ち」なのだ。
よね、
山本くん。
ほら、この「よね」にも「濁った思想/しぐさ」があるのが、わかるでしょ? こういう「よね」をつかうでしょ?
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