詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

オリンピックは中止すべきだった(34)

2021-08-31 12:50:50 | 考える日記

 28日から始まった東京での、若者対象の抽選ワクチン接種は、まだ続いているらしい。読売新聞(31日・西部版・14版)の「編集手帳」にこう書いてあった。
↓↓↓↓
初日はたくさんの希望者が訪れながら、先着順で300人余りの接種にとどまった。小さな規模にがっかりして帰った若者が多数におよんだ◆高齢者にはネット予約を、若者には行列を、というチグハグぶりが際立つ。2日目の28日は抽選に切り替えたものの、倍率は6倍にのぼった。電車賃を使い、暑気のなかを何時間も待たされた末の帰り道になった。外れた人はふたたび酷なくじ引きに挑戦しなければならず、渋谷会場はきょうも変わらず抽選を予定している
↑↑↑↑
 この記事(感想文?)を読みながら思ったのは、若者はなぜ怒らないのか、という疑問。黙って権力(菅や小池)の言うことを聞くだけ? 「がっかりして帰っ」て、それでおしまい? そんなに菅や小池が怖いのか。菅や小池の言うままに、おとなしく「行列」をつくり、「抽選漏れ」に我慢し続ければ、菅や小池が若者を救ってくれるのか。コロナに感染せずにすむのか。さらには、我慢したかわりにたとえば就職の世話をしてくるのか。
 この「おとなしさ」に私はびっくりしてしまう。
 この「我慢」現象をパラリンピックと結びつけると違和感をおぼえる人もいるだろうけれど、私は、どうしても結びつけてしまう。パラリンピックの「学校観戦」にしても、非常に疑問に思ってしまう。
 障碍を抱えながらスポーツをする姿はたしかに感動的だが、これが感動の押し売りだけではなく、もっと進んだらどうなるのか。
 つまり。
 戦争が起きる。負傷する。負傷者は病院で治療を受ける。しかし、傷が完治したら、後遺症として障碍があったとしても、「動けるのだから、戦場へ」と駆り出されるのではないのか。究極の「総力戦」へと突き進むのではないのか、と不安に駆られる。
 スポーツがあくまで「平和」のときの楽しみならば、コロナ感染が拡大している中でオリンピック、パラリンピックをやる必然性がどこにあるのか。
 菅はコロナ感染下でもオリンピック、パラリンピックをやり遂げることができた、というかもしれないが、それは「戦時下、障碍者も活躍できる(障碍を抱えていても戦場で戦うことができる)」にかわってしまうような気がする。菅、安倍なら、絶対にそうする。「まず、自助」という菅なら「障碍を抱えていても、自分の命は自分で守る。そして、仲間の命を守るために戦うこと(共助)が重要だ」と言うだろう。

 きのうの感染状況。
↓↓↓↓
国内で新たに1万3638人感染、累計死者1万6千人超え…重症者は最多更新
 国内の新型コロナウイルスの感染者は30日、全都道府県と空港検疫で計1万3638人が確認された。46人が死亡し、累計の死者は1万6000人を超えた。重症者は前日から5人増えて2075人となり、18日連続で過去最多を更新した。
 東京都では新たに1915人の感染がわかった。前週比532人減で、1日の感染者が2000人を下回るのは約1か月ぶりとなった(略)。都内ではこの日、30~90歳代の男女12人の死亡が判明し、うち男性2人は自宅療養中に亡くなった。
 一方、大阪府では月曜日としては最多となる1605人の感染が確認された。軽症・中等症の入院患者は2326人で、病床使用率は90%に達している。
↑↑↑↑
 「重症者」が増えている。自宅療養中に死亡したのは、また2人。この人たちは「重症」と診断され、治療を受けることもなく死んだのである。これは、私の感覚では「殺された」に等しい。菅の、小池の「未必の故意」である。

 東京オリンピックは中止すべきだった。パラリンピックは中止すべきだ。

 

 

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細田傳造「うみづきの山」、田中庸介「ひるがお」

2021-08-31 11:09:30 | 詩(雑誌・同人誌)

細田傳造「うみづきの山」、田中庸介「ひるがお」(「妃」23、2021年08月21日発行)

 細田傳造「うみづきの山」は「北韓四題」のうちの一篇。北朝鮮旅行記。「うみづきの山」がいちばん短いので、引用する。

  右手をごらんください
  女の人が仰向けになって
  ねているのが見えます

  窓から山が見える
  山が
  女の人になって
  ねているのがみえる
  おっぱいがとんがっている
  おなかが空に向かってふくらんでいる
  彼女は妊娠しています
  ガイドの男がうれしそうに告げる
  いわれなくてもわかる
  この山は
  もう一つの山を産む日が近い
  ほかにいうことはない
  おんぼろバスに
  がたびし揺られ
  開城までを行った

  四篇のなかでは、たぶん、この詩がいちばん「文学的」な要素、「詩的」な感じが少ない。一般的に言われている意味でだが。
 バスの車窓から見る山。きっと、名前のない山。でも形が変わっている。だれが最初に気づいたのかわからないけれど、臨月の女のように見える。それを暇つぶし(?)のようにして見ている。「ことば」で説明する。
  「ガイドの男がうれしそうに告げる」の「うれしそうに」がとてもいい。なぜ、うれしいのかな? 私は俗な人間だから、女が妊娠するには、男とのセックスが必要。きっとセックスのことを思っているのだと想像する。そういうとき男は「うれしそうな」顔になるものである。
 だから、

  いわれなくてもわかる

 は単に、その山が「妊娠している女に見える」(臨月の女が寝ている姿に見える)ということがわかるだけではないのだ。名もない、なんでもない山。もしかすると、他の人は「妊娠している女」以外のものを想像したかもしれない。でも、このガイドの男は、その山は「名所」ではなく、名前もないことを利用して、自分はこんな想像をしたと言ったのだ。そして、その想像は単に「見える」ものについて語るのではなく、「見える」以前のものについても語ることになる。「想像力」には「過去」がある。それが「いわれなくてもわかる」。なぜか、細田もまた「妊娠している女」から「過去」を想像するからである。
 もちろん「妊娠している山」から別のことも(未来も)想像することはできる。それが「この山は/もう一つの山を生む日が近い」だが、そんなことは、どうでもいい。言ってはみたが、それは「ほかにいうことがない」からだ。そういう想像をしているとき、男の顔(細田の顔)は「うれしそう」にはならないな、きっと。
 そう考えると「うれしそう」のひとことが、この詩でいかに重要なことばかがわかる。
 ひとはいつでも「うれしそう」になる。「うれしい」ことがある。これは、この詩の前にある「ふつうの国」についても言える。「ふつうの国」は「つまらないだろう」と思ってみるが、それでもその「ふつうの国」へ行ってみる。たしかに「ふつう」。そして、「ふつう」ということは、そこには「うれしそうな」顔をした人間がいるということだ。「世界中どこへ行っても同じですね」という一行が「ふつうの国」に書かれているが、「ふつう」「同じ」「うれしそう」重なっている。
 ほんとうにいいなあ、と思う。ことばのひとつひとつに、無駄なものが何もない。ことばが肉体の中から生まれてきた瞬間を、そのままに書き留めている。これは、今回の芥川賞を取った誰かの作品とは全く違う。タイトルも作者の名前も忘れてしまったが、あれは余分だことばだけでできていた「虚飾」のようなものだった。細田のことばは、それとは対極にある。
 で。
 全然関係ないことだが、ふと私は思い出すことがある。何年か前に、一度細田に会ったことがある。韓国であった詩人の集い。テーマごとに分かれて語り合う。私は細田と一緒のグループ。いろんな意見が飛び出す。その意見を聞きながら、これはどう考えても細田の考えていることとは相いれないなあ、細田はきっと違う意見を持っているだろうなあと思い、「細田さんは違う意見なんじゃないですか? 何も言わなくていいんですか?」と水を向けると「私はほかのひとのようには言えないから」というような返事だった。私はそのことばを「私には私の文体がある。ここで議論されているときの文体は、私の文体ではない」と言っているように聞こえた。そのときの衝撃は、非常に大きかった。そうか、細田はいつでも「細田の文体」で語るのだ。そして、その「文体」はテーマさえも決定するのである。私は目の前にあるものに対しては何に対しても反応してしまうので、細田の一種の「禁欲の文体」に驚いたのである。自分の肉体をくぐりぬけてきたことば、それだけを語る。そのことに徹した「文体」の厳しさが、いつも細田を支えている。

 「文体」ということで言えば、私は田中庸介の「文体」も好きである。「妃」は、いまでは有名詩人が大勢集う同人誌だが、最初のころは田中や高岡淳四(この詩人の「文体」も私は大好きである)ら数人の、それこそ「高貴なことば」をめざす集団だった。つまり、「高貴」になる前の輝かしさに満ちた「文体」の集団だった。のびやかさがあった。いまは、言ってしまえば「高貴」になってしまった集団というところ。だから、ちょっとおもしろくない。みんないい作品だけれど、「わくわく」感が弱くなっている。「高貴」が「当たり前」になっているところが残念。
 脱線したが、その田中の「ひるがお」。

  この宿のとなりの日本めし屋に
  うな丼を買いにいく夢で眼がさめた。

  うなぎと言ってもこのあたりのうなぎはごく小さい。
  小指の先ほどのぶつ切りが甘ったるい汁で煮込まれている。
  白い大きな皿に盛られたスチームライスに
  まとめて大きなお玉でぶっかけられる。

 田中の文体は「手順」がとてもいい。とても頭がいい人なのだと思う。「手順」が全部「肉体」になっている。そして、その「肉体感覚」が「頭」を隠すところまで行っている。これは、なかなか難しいことである。「妃」には、それこそ「頭」を前面にだし「手順」をひけらかすように書かれた詩もあるけれど、田中の詩は、そういう作品とは違う。
 「小指の先ほどのぶつ切りが甘ったるい汁で煮込まれている。」という一行なんか、食べているのか作っているのかわからないくらい。まるで、田中が作って食べている感じ。それは「白い大きな皿に盛られたスチームライスに/まとめて大きなお玉でぶっかけられる。」も同じ。「肉体」を他人と共有している。
 細田の詩の「いわれなくてもわかる」に通じるところがある。こういう「肉体でわかることば」が動いていく詩が、私は大好きである。私は「甘ったるい」味というのは苦手だが、ちょっと食べてみたくなる。それは何と言えばいいのか、どこかの食堂へ入って、誰かがおいしそうに食べている(うれしそうに食べている)を見たら、それを食べてみたいという気持ちになるのに似ている。「味」よりも「食べている人間が放つ味(おいしい感じ)」に誘われるのである。
 たしか田中には「うどん」を食べる詩があったと記憶している。あれも、うどんが食べたくなるような詩だった。

 

 

 

 

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「憲法」を持ち出すよりも

2021-08-31 08:51:19 |  自民党改憲草案再読

 8月31日の読売新聞(西部版・14版)。アフガニスタンからの邦人救出が遅れたこと(失敗したこと)に関して、3面の「スキャナー」で「解説」している。
 そのなかに、政治部・前田毅郎の「作文」が載っている。
↓↓↓↓
(見出し)自衛隊機派遣 憲法上の制約も
(記事)自衛隊法が自衛隊輸送機の海外派遣に厳しい制約を設けている背景には、自衛権の発動の場合を除いて武力行使を禁止している憲法9条がある。
 今回の派遣は、外国で災害や騒乱などの緊急事態があった場合について、邦人らの輸送を定めた自衛隊法84条の4の規定に基づく。同条項は外国人の同乗も認め、「安全に実施することができる」ことが要件として定められている。
↑↑↑↑
 「憲法」を持ち出した後、すぐに論理が破綻している。自衛隊法84条の4の規定を適用すれば、救出ができるではないか。憲法の制約などない。
 実際は、何が起きたのか。
↓↓↓↓
 タリバンが全土制圧を宣言した15日以降、首都カブールの国際空港では、離陸する米軍輸送機に国外脱出を図るアフガン人らがしがみつく姿も報じられ、大混乱に陥った。外務省は「安全な輸送」はその時点では不可能だと判断した。
↑↑↑↑
 簡単に言えば、判断が遅れたのだ。韓国は、「憲法」の問題がどうなっているか知らないが、ちゃんと救出している。日本にそれができなかったのは、単なる判断ミスだろう。 それなのに、前田毅郎は問題を「野党」に押しつけている。
↓↓↓↓
 防衛省によると、邦人輸送の準備行為として、ひとまず近隣国まで輸送機を飛ばすことは法的に可能だ。だが、自衛隊派遣には一部野党などからの反発も出かねないだけに、外務・防衛両省は慎重に検討を重ねるのが通例だ。
↑↑↑↑
 しかも、記事に書いてあるように、「自衛隊派遣には一部野党などからの反発も出かねない」という「予測」があるだけで、実際に野党が反発したわけではない。
 問題は。
 野党が反発するかどうかではなく、政府が方針を示し、それを国会で論議するかどうかなのである。政府は国会で論議しようとしていない。
 緊急事態なのだから、国会を開けばいいではないか。
 国会で「日本人を救出するために自衛隊機を派遣したい。そのためには臨時立法が必要だ。時間が差し迫っているから、緊急に議論してほしい」と言えばいいではないか。
 国会の場で、たとえば野党が「自衛隊機の派遣はだめだ」と言えば、その野党に対して国民がどう反応するか。国民に判断を任せればいい。議論をしないで、「自衛隊派遣には一部野党などからの反発も出かねない」と野党に責任を押しつける。
↓↓↓↓
 自民党内からは、「現行法では今回のような事案に対応が難しいことが明らかになった」として、関連法を見直す必要性を指摘する声も出始めている。
↑↑↑↑
 出始めている、というのんきなことを「指摘」するのではなく、国会を開いて議論しろ、となぜ書かないのか。
 国会を開けば、「自衛隊機派遣の賛否」だけではなく、菅の姿勢、救出へ向けての動きが遅かったことへの批判が必ず出る。総裁選、衆院選を気にして、今何が起きているかを見ていない。それが日本人救出に失敗した原因であると追及される。菅は(安倍もそうだったが)、自分が追及されなければそれでいいと考えている。それだけを考えている。
 そして、「自分が追及されない」という「保証」の先に「憲法改正」がある。
 憲法を改正し「独裁政権」を確立すれば、あらゆる批判(追及)は拒否できる。自民党の改憲草案(2012年)を読めばわかる。「独裁政治」を確立するための改正草案である。国民が権力を縛るという憲法の基本を逆転させ、権力が国民を縛るというのが改正草案の狙いである。
 その片棒担ぎのひとりが読売新聞の政治部・前田毅郎である。

 アフガン問題だけではなく、コロナ問題も終わっていない。国会を開いて議論しろ、と読売新聞はなぜ書かないのか。
 国会を開いて議論すれば、菅が正しいのか、野党が正しいのか、それを国民が判断する。菅が正しいのなら、衆院選で自民党は圧勝するだろう。そういう「圧勝するための機会」を菅は、自分の手で葬っている。菅を支持するのなら、菅に「国会で議論しろ。必ず国民の支持が得られる。衆院選に圧勝できる」と助言すればいい。
 議論を促す提言をせずに、「憲法上の制約」と菅の(自民党の)言い分だけを代弁するのはジャーナリストとして失格だろう。

 

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フレッド・ジンネマン監督「真昼の決闘」(★★★★★)

2021-08-30 17:37:01 | 午前十時の映画祭

フレッド・ジンネマン監督「真昼の決闘」(★★★★★)(2021年08月30日、中洲大洋、スクリーン3=午前10時の映画祭)

監督 スタンリー・キューブリック 出演 ゲイリー・クーパー、グレイス・ケリー

 何がおもしろいかと言って……。映画の長さが約90分、映画が始まるのが10時半ごろ、問題の列車が街に着くのが12時。つまり、映画の中の時間と、映画そのものの長さがほぼ同じ。これが緊張感を高める。実際は列車が着いてから「決闘」が始まるわけだから、映画の中の時間の方が、映画そのものの時間よりも長いのだけれど。でも、忘れてしまうね。そういうことは。頻繁に映し出される時計が「時間」が少なくなっていく、という緊張を高める。「007」の何と言うタイトルだったか、時間との戦い可視化し、時限装置の残り時間「007」で終わせるのは、この「真昼の決闘」がヒントになっているかもしれない。
 で、何の時間が少なくなっていくか。
 ゲイリー・クーパーは復讐にやってくる殺し屋と対決するために町の人の協力を求めるが、なかなか協力者が集まらない。当然協力してくれると思っていた判事は逃げ出す。親友らしい男たちも、自分の命が大切と、戦いを拒否する。最初は協力すると言っていた人間も去っていく。「時間」が減るのと同様に、協力してくれるはずの人間も減っていく。この「正比例」の関係が、なんともいえず、にくい。
 いろんな人間模様が描かれるが、教会での「議論」がおもしろい。いま、こういう映画ができるかどうかわからないが、この当時(私の生まれる前)は、こういうことができたのだ。こういうこと、というのは「議論」である。民主主義は、自分にできることに責任を持つこと。それを自分のことばで語ること。「理想」を語るだけではなく、「理想」はそうだけれど自分の「現実」を考えると、こういうことはできない。殺し屋に街を支配されるのはいや、でも戦って死んでしまったらなんにもならない。戦いたくはない。そういうことを、教会の中で語る。その「議論」が正しいかどうかではなく、「議論する」ということが、なんとも刺戟的。アメリカは「民主主義」の国なのだとあらためて思った。いまはどうかはっきりしないが、1952年当時は「民主主義(ことば)」が生きていた。
 「ことば」を実行することは難しい。その難しさを、ゲイリー・クーパーが一人でやってのける。ゲイリー・クーパーは背が高いだけの、どちらかというと線が細く弱々しく見える人間だが、それが次第に追い詰められていく。それを見ていると、確かに、これはゲイリー・クーパーのようなやせた男が演じないとおもしろくない、と思った。ジョン・ウェインのようながっしりした男がやると、追い詰められていく感じがしない。美男美女というのは、追い詰められる(いじめられる)と妙に「色気」が出てくる。わっ、追い詰められていくのをもっと見たい、という気持ちになる。トム・クルーズのように小さい(背の低い)人間もだめ。くじけそうになり、くじけながら、その体を立て直していくとき、「長身」でないと、立て直す、という感じ、ふたたび立ち上がるというときの「高さ」の印象がないからだ。(あ、これって、差別発言かな?)
 美女で言えば、世界一の美女、「ガス燈」のイングリット・バーグマン。気が触れるんじゃないかと苦悩する顔、よかったなあ。シャルル・ボワイエになって、バーグマンをいじめてみたい、と興奮したことをおぼえている。
 グレイス・ケリーも、バーグマンとは違うけれど、苦悩するから美しい。殺し合いなんかいや、逃げたい。でも、ゲイリー・クーパーがいなければ生きていけない。「逃げたい」という気持ちがなければ、「どうすればいいのか」という気持ちがなければ、美しくないとは言わないけれど、美しさが迫ってこない。
 途中に、若い男と殴り合うシーンがあるが、血や傷、汚れというのは美男美女にこそ似合う。やっぱり映画を見るなら、美男美女に限る、と思う。ほかにも見どころはあるんだろうけれど、ミーハーなので、ほかのことは書かない。

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Estoy loco por espana(番外篇100)Joaquín Lloréns

2021-08-29 08:43:38 | estoy loco por espana

 

見る角度によって表情が変わる。これは、どんな作品についても言えることだが、私は非常に困惑した。

左の写真の方が開放的で明るい。けれど、私はなぜか右のアングルの方に引きつけられた。中央の曲線の中に「苦悩」がある。

下の曲線に支えられていることを知っている。それを上の曲線に知らせるのではなく、むしろ知らせない。それは、中央の曲線が上の曲線を支えているということをも知らせないことなのだ。上の曲線が自由に飛翔することを支える。自己の存在を知らせずに支える。中央の曲線が自己主張してしまうと、それを支える下の曲線を否定することになってしまうからだ。

ここから聞こえてくる音楽は、とても不思議だ。静かで強く、しかも「苦悩」する愉悦がある。

 

La expresión facial de obra cambia según el ángulo de visión.

Yo estaba muy confundido.

 

La foto de la izquierda es más abierta y brillante.

Pero por me sentí atraído mas por ángulo derecha que porel ángulo izquierda.

Tiene "angustia" en la curva central.

Ella sabe que está respaldado por la curva abaja.

Pero ella no le dice eso a la curva de arriba.

Tampoco le dice que la curva central apoya a la curva superior.

Apoya la curva superior para volar libremente.

Apoya sin notificar su existencia.

Si la curva central se afirma, negará la curva abaja que la sustenta.

 

La música que escucho desde este obra es muy extraña.

Es silencioso, fuerte y tiene el placer de estar "angustiado"

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徳永孝「夏 沖縄」、池田清子「上手いとか下手だとか、好きだとか嫌いだとか」、青柳俊哉「水にうかぶ葉」

2021-08-28 20:26:16 | 現代詩講座

徳永孝「夏 沖縄」、池田清子「上手いとか下手だとか、好きだとか嫌いだとか」、青柳俊哉「水にうかぶ葉」(2021年08月02日、朝日カルチャーセンター福岡)

 受講生の作品。

夏 沖縄 徳永孝

深夜のTVの天気予報のBGM
沖縄の歌
tinktinkかな

翌朝久しぶりに
旅行の時買っていたCDを
聞いてみた

今すぐにでも飛んで行けたなら

空には夏の雲
太陽(ティーダ)照らすビーチで
伊禮俊一のライブが聞けたら最高だろうなあ

夜は民謡酒場で
島唄にひたるのもいい
みんなとエイサーをおどりたいなあ

でも夏になったら暑さにへたばって
冷房の効いた部屋に
閉じこもるかもしれないけどね

今は
夏への沖縄への
あこがれでいっぱい

 「いまはコロナ感染が拡大しているのでどこにも行けないが、沖縄が具体的にイメージでき、沖縄に行きたくなる」という受講生の声。作品は、夏になる前、五月に書いたもの、という。
 BGMから、沖縄の歌、伊禮俊一のライブ、民謡酒場(島歌)と音楽が自然につながっていく。
 三連目の独立した一行は、思いをそのまま書いたものだが、それが「空には夏の雲」と空想に結びついていくのが、さわやかな感じがする。技巧のない美しさ。
 六、七連目は、軽い感じで「本音」を語っている。それが四、五連目の沖縄の魅力を語ることばを支えている。

上手いとか下手だとか、好きだとか嫌いだとか  池田清子

「そこで走るのよ」と
仲間からのヤジ
「いつまでも初心者のような取り方をしない」と
監督からの叱咤
「肩を痛める投げ方をしている」と
審判の人は言う
一番近いのに
セカンドからファーストへのコントロールが悪い
ファーストが上手くなければ、知ーらない

努力は報われるというけれど
努力は報われない方が多いと思う
好きこそ物の上手なれというけれど
いくら好きでも上手くはなれない
下手の横好きというけれど
これは当たっている
下手だけれど大好きなのだ

というわけで
練習は好きだけれど、試合は好きではない
でも、人数がギリギリだと出るしかない

試合が始まると
流れるようなグラブさばき
取った後のシュッと投げるフォーム
バットの芯でとらえる技術
何てかっこいいんだ!
相手チームと顔見知りになる

そんな上手い人たちが
スーパーのレジを打っていたり
花屋さんで働いていたり
最初に会ったときは、「えっ」と笑い合った
ママさんソフトだねえ

 「ソフトという非日常と、スーパーの日常がリンクする。そこにちょっとした驚きがあって楽しい」「展開がおもしろいし、言い回しにリズムがあって楽しい。四連目の試合のシーンは飛躍があって、そのあと最終連で別の世界へ連れて行かれる」という声。
 池田は「何を言いたいのか、自分で何か決まらない。タイトルのよう」というけれど、そうではないと思う。
 詩は「結論」とか「内容」というよりも、ことばが生きて動いているかどうかが大事だと思う。「結論」が些細なことであったとしても、ことばが動いていれば、そのことばの動きの中に書いた人の「人間性」のようなものが見えてくる。
 一連目の「知ーらない」とか最終連の「えっ」ということばにも、池田の人柄のようなものが出ている。何よりも四連目の、自分よりも上手い人を「何てかっこいいんだ!」と感嘆するところがいい。そのあと、顔見知りになるというのもいいし、顔見知りになった人をスーパーや花屋で見かけ、これが「ママさんソフト」なのだと納得するところに不思議なユーモアがある。生きている喜びがある。

水にうかぶ葉  青柳俊哉

水面にうかんでいる
いま散ったばかりの 柔らかい一枚の葉 
葉の下の 朽ちていく水の時間と 
空中の 鳴りさざめいていた命の空間を
うすい身にうつし 支えている
生と死のはざまで揺れうごく 水のうえの葉かげと
葉の縁へながれ きえていく雲のかたちを
円形の身体にとかし つつみこんでいる
空のうえから水中へ 星や鳥や波に
ぐるりと取り巻かれてめぐる軌跡のつらなりに
意識のかすかな糸を通すように
うかぶ一枚の葉

 「一枚の葉から世界が広がっていく。その豊かさが、円形の身体にとかし つつみこんでいるという一行に集約されている」「一枚の葉と自分の意識の融合。一枚の葉が人生を象徴している」という声。
 私は五行目の「支えている」ということばに注目した。水面に浮かんだ一枚の葉は、物理的に言えば水に「支えられている」。しかし、青柳はこれを逆に見る。一枚の葉が世界を「支えている」。一枚の葉によって、世界のあり方が違ってきている。この「支える」を後半では「糸を通す」と言いなおしている。世界にあるものを、一本の糸でつなぐ。その「一本の糸」とは、ことばである。青柳がことばによって必要なものを集め、動かし、ことばの宇宙(意識の世界)を作り上げる。その中心が、この詩では「水にうかぶ葉」なのである。

 

 

 

 

 

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オリンピックは中止すべきだった(33)

2021-08-28 15:33:38 | 考える日記

 8月28日の読売新聞(web版)
https://www.yomiuri.co.jp/national/20210827-OYT1T50345/
↓↓↓↓
(見出し)都内でコロナ死者18人確認、うち2人はワクチン2回接種…全国の感染者は2万4200人
(記事) 国内の新型コロナウイルス感染者は27日、47都道府県と空港検疫などで新たに2万4200人確認された。重症者は前日から26人増えて2000人となり、15日間連続で過去最多を更新した。死者は57人だった。
 東京都では4227人の感染を確認。1週間前から1178人減少し、5日連続で前週の同じ曜日を下回った。だが、重症者は前日から18人増の294人で、入院患者も70人増の4226人となり、いずれも過去最多を更新した。
 都内の死者は30~90歳代の男女18人。このうち2人は、2回のワクチン接種を終えていたという。
 愛知県では過去最多となる2347人の感染が判明した。大阪府も過去2番目に多い2814人。神奈川県も2662人で、2000人を超えた。
↑↑↑↑
 重症者が2000人になった。東京ではワクチンを2回接種している人も死亡している。3回目の接種を真剣に考えないといけない。しかし、2回目の接種さえ進んでいない。

 こんなニュースがある。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20210828-OYT1T50213/(28日13時46分)
↓↓↓↓
(見出し)渋谷から原宿まで、抽選券求め1キロの列…若年層向け接種会場
(記事) 東京都が渋谷駅近くに開設した若年層向けの新型コロナウイルスワクチン大規模接種会場では28日、若者が早朝から訪れて列を作った。
 都は、予約なしで接種が受けられる施設を渋谷区立勤労福祉会館に27日に開設したが、未明から希望者が並ぶなどして混乱。そのため、28日からは先着順を取りやめて抽選に切り替えた。
 この日は初の週末となり、抽選券を求める人の列は約1キロ離れた原宿駅近くにまで達した。約300人の接種枠に対し、午前10時半までに並んだ人たちに抽選券が配られた。江戸川区の会社員の女性(30)は「少しでも早く打てればありがたい」と話した。
 接種の対象は都内に住んでいるか、通勤・通学している16~39歳。接種券の持参が必要で、1日に300人程度を上限に接種を行う。
↑↑↑↑
 菅や小池は若者がワクチン接種を拒否しているように言っているが、若者はワクチン接種を求めている。需要に供給が追いついていない。そのことを今回のニュースは明るみに出した。
 予約システムが機能していないし、接種をスムーズに進める進めるシステムが機能していない。
 これでは3回目の接種がいつになるか、見当もつかない。
 それなのに、菅は「非常事態宣言」の解除をどうするか「出口作戦」を考えている。すべては、総裁選、衆院選をにらんでのことである。「重症者」が減れば非常事態宣言の効果があった、解除する、というつもりなのだろう。
 しかし、入院できず自宅療養者が増えている。
↓↓↓↓
(見出し)コロナ自宅療養者、初の10万人超…1週間で1・5倍に
(記事) 全国で自宅療養中の新型コロナウイルス感染者(25日午前0時時点)が初めて10万人を超え、埼玉県を除く46都道府県で11万8229人に上ることが、厚生労働省の集計でわかった。1週間前に比べ、約3万7000人増えた(埼玉県除く)。自宅療養者には原則、入院先などを調整中の人が含まれておらず、実際にはさらに多くの人が自宅で療養している可能性がある。
 最も多かったのは東京都の2万5139人で、神奈川県(1万5222人)、大阪府(1万4732人)、千葉県(1万560人)と続いた。埼玉県は数千人規模の過大計上が発覚し精査中で、人数が公表されなかった。岩手、秋田、群馬、福井、山梨、奈良、和歌山、鹿児島の8県はゼロだった。
↑↑↑↑
 何も改善されていない。菅の得意の「自助」を国民が強いられている。
 東京オリンピックは中止すべきだった。パラリンピックは中止すべきだ。高校野球も中止すべきだ。


「自助」といえば、こんなニュースもあった。

きょうの読売新聞。
↓↓↓↓
アフガン残留の日本人1人、自衛隊機で出国…退避想定は500人
 外務省幹部によると、航空自衛隊の輸送機が27日、アフガニスタンに残っていた邦人のうち1人を乗せ、首都カブールの国際空港から隣国パキスタンに出発した。
 政府は27日中の退避完了を目指し、拠点とするパキスタンの空港に空自輸送機3機を待機させていた。邦人がカブールの空港に入れる見通しが立ち、輸送機をカブールに派遣した。
 カブールの空港で情報収集などにあたっていた外務省職員と自衛隊員も邦人とともに退避した模様だ。政府は邦人数人と、日本大使館で働いていたアフガン人職員ら最大計約500人の退避を想定していた。
↑↑↑↑
500人想定、救出1人。
この大きな差は、何が原因か。
輸送機さえ出せば救出できると考えていたのではないのか。
アフガンを脱出したい人は、空港までやってくる。どうやってやってくるかは「自助(自己責任)」ということなんだろう。
きっと日本が「戦場」になっても、同じことを言うだろうなあ。
「安全な場所は確保している。安全な場所まで自己責任(自助)でやってきた国民だけ守る。やってこれない人は知らない」
これが菅のやり方だ。

 

 

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新井啓子「声のかたち」、平田俊子「鳩尾」

2021-08-28 14:27:30 | 詩(雑誌・同人誌)

新井啓子「声のかたち」、平田俊子「鳩尾」(「かねこと」20、2021年08月12日発行)

  新井啓子「声のかたち」は、どこか南の離島をふたたび旅行したときのことを書いているのだろうか。私が暮らしている街では見かけないものを、三つのパートに分けて書いている。その最後の部分は「郵便船」で海を渡っている。

  陽がかさんで
  船長さんの背中からは
  ひゅんひゅんと
  小さな魚が飛び立って行く

  ち ぶ り   にしの し ま
  どっ さり くっ さり
  なみ の は な さ く
  キン ニャ モニャ

  目利きで
  寡黙で
  いとおしいことばたちよ
  わたしの目の前を
  ひゅんひゅんと
  行き過ぎて
  いつか
  そんなことが
  あったように
  白い光にまぎれて
  波に消える

 「いつか/そんなことが/あったように」というのは、ありふれたことばだが、この詩を確実に押さえている。新井が書いていることは「いつか/そんなことが/あったように」としか言えないことである。「ふたたび旅行したときのこと」と私は最初に書いたが、「ふふたび」が「いつか/そんなことが/あったように」のなかにある。すべては「いつか/そんなことが/あったように」なのである。初めての場所であっても、知っていることを思い出させてくれる旅。だから、新井の書いている「情景」は新しくはない。新しくないが「ふたたび」という視線に耐える強さがある。「ふたたび」を超えて、もういちど新しくあらわれてくることばの力がある。それは「白い光にまぎれて/波に消える」かもしれないが、かならず「ふたたび」「いつか/そんなことが/あったように」あらわれる。そのとき「ふたたび」は「永遠」になる。
 そういうことを感じさせてくれる。
 「ち ぶ り   にしの し ま/どっ さり くっ さり/なみ の は な さ く/キン ニャ モニャ」という一連は、波にきらめく光のようにまぶしく美しい。

 平田俊子「鳩尾」。私は平田の「ごろあわせ」(だじゃれ)のようなことばの運動が好きではない。「ごろあわせ」は、私にはただの面倒くさいことばの運動に感じられるからである。しかし、平田、新井の詩と読み進んで、新井の「いつか/そんなことが/あったように」を読んだ後、ちょっと印象がかわった。そうか、平田も「いつか/そんなことが/あったように」を書いていたのか。

  わたしのからだにも
  みぞおちはある
  鳩
  いるのか
  そこにいるのか
  尻尾のほかはどこにいった

 と書き出された詩は「祖母のみぞおちは買い物帰りに/町内の溝に落ちてしまった」とつづき、「ねらうなら相手のみぞおちだ/パンチパンチ/みぞおちパンチ/胴長の叔父は人体模型で/喧嘩のコツを教えてくれた」と動いていく。「ごろあわせ」(だじゃれ)は「いま」と「いつかどこかで」を結びつける方法だったのだ。
 平田の詩は「落ちるものは落ちる」で始まる最終連を「叔父の形見の人体模型は/まだ微かに息をしている」と閉じられる。その「微かに」を私は「いつか/そんなことが/あったように」と入れ換えて、「いつかそんなことがあったように息をしている」と「誤読」してしまうのである。

 

 

 

 

 

 

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野沢啓『言語隠喩論』

2021-08-27 10:28:23 | 詩集

野沢啓『言語隠喩論』(未來社、2021年07月30日発行)

 野沢啓『言語隠喩論』は「未来」「走都」に連載されていた評論を一冊にしたもの。その時々、思いついたことを書いてきたが、一冊になったので、また少し思っていることを書いてみる。私は目が弱く、一気に全部を通して読むことができないので、せっかく一冊になっているのだが、少しずつ。
 「序章 隠喩の発生」。その最後の方に美しいことばがある。

詩を書くことの倫理とは、自己模倣から離脱し、自己差異化による自己からの転移をそのつどどれだけ実現しうるかにかかっており、ことばが自身において未知の世界との接点をもとうとする決意性にある。


 これは、たぶん、この部分だけを取り出してみてもすぐには理解できないだろうと思う。最初から読んできて、ここにいたると「美しい」と思ってしまう。だから、そこには「正しい」ことが書いてあるのだと考えるのだけれど。
 野沢の書いていることのいくつかに、私は疑問を持っている。

 その一。
 ヴィーコというイタリアの哲学者の論を紹介している。私の「要約」は間違っているかもしれないが、私は、こう「要約」する。
 雷を見て衝撃を受けた人間(巨人)が雷に驚く。天を見る。そして、天を生命を持った何かであると想像し、「ゼウス」と呼んだ。それが、ことばの始まり。
 私は、この「神話」のような定義に落ち着かなくなる。この巨人が雷を最初に見たのはいつだろう。ものごごろついたあとなのだろうか。私自身の体験を振り返ると、よく思い出せないが、少なくともことばを知る前だろう。「雷」ということばを知らずに、その光や音に驚いただろうと思う。怖がる(あるいは喜ぶ。私は突然何かが起きると笑いだしてしまう)私に対して、そばにいた父か母か兄弟が「あれは雷だ」と教えてくれたと思う。つまり、自然現象に驚いて、それに名前をつけたというようなことは、どう考えても「ことばの始まり」とは思えない。
 ヴィーコの書いていることは「事実」ではなく、ある何かを表現するための「神話」のよらうなものである。
 「雷」ではなく「雷」を「ゼウス」と呼ぶこと、その「ゼウス」が「最初のことば」とというのであれば、それは「ことばとして最初に意識されたことば」である。つまり、「喩」である。「喩」が成り立つためには、まず「ことば」がなければならない。「ことば」が先に存在して、その後「喩」が成り立つ。つまり、「詩」が成り立つことになる。
 このことと、それに先立って書いている吉本隆明の魚津での体験の関係、吉本の書いている「さわり」との関係がわからない。吉本は、初めて海にであった人間が叫びを発する。たとえば「う」。それからそれが「海」という「ことば」になっていく。その「う」という声(音)が「うみ」にかわっていくとき、そこに「意識のさわり」が込められる。それは「自己表出」であるという。「意識のさわり」と「自己表出」の関係が、私にはやはりわからないのだけれど、それよりも。
 海を始めてみたとき、驚く、というのはわかるが、その驚きから「うみ」ということばが生まれてくるというのも、私には納得ができない。私が海を始めてみたのはいくつのときか。私は病弱だったので、たぶん、小学校に入って学校ごと「海水浴」に行ったときだろう。しかし、私が海を見て、その大きさに驚く前に、すでに海は存在していて、海と呼ばれていた。この関係はどれだけ時間を遡っても同じだろう。ある人が海を始めてみる。そして驚きのことばを発する。しかし、それ以前にだれかが海のそばに生きていて、それを海と呼んでいただろう。それは、海を始めて見た人の驚きをあっと言う間に修正してしまう。「ことば」には、そういう強烈な力があり、この強烈な力をはねのけて、海を見た驚きから「新しいことば」を発するというのは、私にはとても難しいことに思われる。「海」ではなく、別なことばを発するためには、かなりの訓練を必要とする。訓練なしにはできないと思う。つまり、こういう言い方が正しいかどうかわからないが「原始」の人間にはできない、と私は考える。ヴィーコに戻れば「雷」を「ゼウス」と呼ぶのは「原始の巨人」ではあり得ないと思う。ヴィーコの論理にはヴィーコの夢が託されているだけだと思う。

 その二。
 野沢は「ことば」ではなく「詩のことば」を問題にしている。「隠喩の発生」を問題にしている。だから私が「ことば」と単純に呼んできたものは「隠喩」と言いなおして読み直せば「論理」として成り立つのかもしれない。
 しかし、そのときは「ことばの発生」と「喩の発生」を明確に区別して語る必要があるように思う。
 野沢は「ことばの発生」から書き起こして、「喩の発生」へと論を展開しているのだとしても、原始詩人たちの「幼児の本性」が世界を再創造するというのは、私にはやはり理解できない。「論理」としては理解できるが、自分の体験(ことばをどうやっておぼえ、喩どうやって理解するようになったか)を振り返ると、「原初的な感覚と想像力をもって世界と対峙していく詩人」という「定義」に、私は違和感を覚える。私はむしろ、私の周辺にいる人間から聞かされ、おぼえてきたことばに、疑念を持って近づくことで世界と向き合いたいと考えている。「原始」は想像しない。創造できない。死後が創造できないように、私は私の生まれる前を想像できない。想像しない。私が生まれる前のこと(私がことばをおぼえる前のこと)は、すべて私以外の人間が語り継いできた「ことば」であって、それに向き合うには「疑う」ということ以外に、私は方法を知らない。
 これは信じてもいいかな? これは納得できない。これは、よくわからないから、当分そのままにしておこう。あとで考えよう。あるいは、めんどうだから考えるのはやめて放置しておこう。エトセトラ。
 さらに、ことばにはいくつもの種類がある。たとえば、「名詞」と「動詞」。「ことば」は「存在」と対応するだけではなく、「動き」とも対応する。野沢が語っているのは「海」にしろ「雷」にしろ、名詞である。「名詞」だけが「喩」になるわけではない。「動詞」も「喩」になるし、「動詞(肉体の動き)」によって「ことば」を「理解する」ということもあるのではないだろうか。
 ちょっと俗な例だが、たとえば「性交する」。これを「食べる」ということばで語るときがある。「味わう」と言い換えるときもある。そういうことばの方が、吉本の言う「意識のさわり」に近くないか。「さわり」は「さわる」。「触る」「障る」どちらをあてるべきかわからないが、「女と性交した」という「ことば」を読むときと、「女を食べた」「女を味わった」という「ことば」を読むときとでは、私の場合「意識」の印象(さわり?)がずいぶんと違う。
 私は「動詞」こそが「ことば」の基本だと思っているので、野沢の論理につまずいてしまうのである。吉本が「さわり」と呼んだものを「さわる」という動詞の形で動かしていくことばの運動を読みたいなあ、と思ったりする。私は吉本を一冊も読んだことがない。多くの人が引用している「部分」を通して間接的にしか吉本を知らないのだが、誰が書いている吉本を読んでみても、あ、そうなのかと思うことがなくて、結局、吉本を読んでみようという気持ちになれない。そんな人間が、「さわり」を「さわる」と読んだらどうなるのだろうと考えるのは、まあ、へんな話だけれどね。

 

 

 

 

 

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2021-08-27 09:47:18 | 考える日記

 8月27日の読売新聞(西部版・14版)。コロナ感染状況。
↓↓↓↓
(記事)国内の新型コロナウイルス感染者は26日、全ての都道府県と空港検疫で新たに2万4976人が確認された。青森、群馬、愛知、岐阜、三重、京都、大阪、徳島の8府県では過去最多の新規感染者数となった。死者は52人。重症者は1974人で14日連続で過去最多を更新した。
↑↑↑↑
 きのうは2万4321人。変動の「誤差内」ということなのか、何人増えたとか減ったとかの記述は、最近は見ない。焦点を「重症者」に当てている。菅の「出口戦略」をにらんでのことである。重症者が減り始めたら、即座に「重症者○人減」という見出しで「菅政策の効果」と「よししょ」するつもりなのかもしれない。

以下はweb版。https://www.yomiuri.co.jp/national/20210826-OYT1T50278/
東京の状況が書かれている。
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 東京都の新規感染者は4704人だった。1週間前より830人減少し、4日連続で前週の同じ曜日を下回った。一方、入院患者数は過去最多の4156人となり、自宅療養者数も2万5934人に上った。死亡が判明したのは50~90歳代の男女11人で、2人は自宅療養中に容体が急変した。
↑↑↑↑
 「4日連続で前週の同じ曜日を下回った」とあるけれど、入院患者は最多。自宅療養者は増えたのか減ったのかわからない。内、自宅療養中の2人が死亡している。はっきり記憶していないが、自宅療養中の感染者の急変、死亡が都内だけで「複数(二人以上)/1日当たり」になるのは初めてではないか。
 web版の見出し。
↓↓↓↓
都内のコロナ入院患者、過去最多4156人…自宅療養中の2人死亡
↑↑↑↑
 一応見出しにはとっているが、順序は逆だろう。「自宅療養中の2人死亡」が先だろう。自宅療養は危険なのだ。自宅療養をやめて、全員が入院できる体制をととのえるべきなのだ。
 菅の「出口戦略」には「自宅療養者」の数が入っていなかったようだが、「自宅療養者ゼロ」を達成しないかぎり、コロナ対策が終わりに近づいたとは言えないだろう。いつでも急変し、死亡する恐れがある。「重症者」から除外されたまま、突然、苦しみながら死んでいくのである。
 「自宅療養中の2人死亡」ですませるのではなく、自宅療養がどんな具合だったか、急変を確認したのは誰なのか、その確認から死ぬまでの「経緯」を取材し、書き込めば、
コロナ対策の問題点が見えてくるはずである。
 発表されたことを発表されたままに書くのは「正確」ではあっても、「事実」を書いたことにはならないだろう。

 パラリンピック関係者ではどうか。
↓↓↓↓
 東京五輪・パラリンピック大会組織委員会は26日、パラ関係者の新型コロナウイルス検査で、選手2人を含む15人が新たに陽性と判定されたと発表した。
 同日現在、陽性判定を受けたパラ選手は計10人となった。
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 感染が止まらない。何度も書くが、パラリンピックの選手には介助を必要とする選手がいる。介助は「濃厚接触」である。濃厚接触者にも目を向けて、きちんと報道すべきである。選手が勝手にあちこち出歩いて感染したというよりも、「濃厚接触者」から感染した可能性の方が高いだろう。いつもと違う人から介助を受ける、いつもと接触するというのは、コロナ感染が拡大しているときは危険が伴う。
 選手のことを思えば、パラリンピックは中止すべきだ。東京五輪は中止すべきだった。高校野球も中止すべきだ。

 

 

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小島きみ子『楽園のふたり』

2021-08-26 10:18:39 | 詩集

小島きみ子『楽園のふたり』(私家版、2021年08月10日発行)

 小島きみ子は『現代詩の広い通路へと』のなかで、こう語っていた。(32ページ)

詩の作品の中で主体が発話するというのは非自己が作品の中にあるということ。作品の中で主体が発話しているかどうかは、とても重要なことで、その作品を読んだときに、自己を超越した自己、これが感じられるというのは作品として普遍ということだと思う。


 これは、私には非常に難解ことばである。詩がある。当然発話者(詩の作者)がいる。この発話者を小島は「非自己」と読んでいる。「非自己」が発話することで「自己」を超える「超越的自己」になるということか。そういうことを「感じられる」作品は「普遍(性)」を持つということか。
 これは、わかったようでわからない。
 実は、この小島の発言は、対談をしている松尾真由美の次の発言を踏まえている。

  詩を書く意味からすると、自己は作者であり、非自己は主体だと思う。

 この発言では「書く=作者(自己)」。これは、少し「等式」を変えると「作者=書く=自己」のようにも見える。一方、「非自己」と「主体」がどんな「動詞」と結びついているかわからない。「非自己=書かない=主体」なのか。
 この私のわからない部分を、小島は「主体が発話する」という動詞を補って、松尾のことばを引き継いでいる。「主体=発話する」、「非自己=発話する=主体」。非自己(主体)が発話することで自己(書く人、作者)を超越し、普遍に到達する。
 そうだとして。
 「書く」と「発話する」という「動詞」の違いは、どう定義されるのか。
 私は、どうしても理解できない。
 これは小島が「真理が女であると考えてみてはどうだろう」に飛びついたのと同じくらい、私にはわからない。

 わからないまま、しかし、私は考えることができる。ただし、小島の考えていることがわからないのだから、私の考えることは、小島の考えていることと「無関係」かもしれない。詩集『楽園のふたり』のなかでは、「どの水音を遡ってここまで来たのか」「(声の影が、)」「黄泉の國は此の世と瓜二つなのです」の三篇がおもしろかった。「瓜二つ」ということばが象徴的だが、作品の中には「瓜二つ」と呼べるものが出てくる。それは、たとえて言えば「自己と非自己(主体)」「作者と話者(主体)」「書くと話す」のようなものかもしれない。
 こんな抽象的なことを書いていてもしようがないので……。「(声の影が、)」を引用しながら、私が考えたことを書いてみる。また抽象的になるかもしれないが。

  凍土の地で暮らす姉から、 (届いた、)
  封書の中に入っていたのは哀しみという (文字が、)
  群青の小鳥の羽と (声の影が、)
  森の奥へ (入って行く、)
  森の中の (少女が、)
  白い皮膚を曝して (眠る、)
  羊歯植物の仄暗い (茂みの中で、)
  湖面を揺する水鳥の (ざわめきと、)
  レース模様に翻る (黒い蝶の、)
  言葉と言葉が迷い (ぶつかり合う、)

 この詩にある「瓜二つ」とは、括弧にくくられていないことばと、その下の括弧にくくられていることばである。
 さて、このうちのどれが「自己」でどれが「非自己」か。あるいはどれが「作者」でどれが「話者」のことばか。さらには、どれが「作者」でどれが「話者」のことばか。わからない。わからないのは、私の「設問」の立て方に間違いがあるからだろうが、私は「間違い」を承知の上で、誤読していく。
 「凍土で暮らす姉から、」と書いた後、それだけでは不十分だと感じる何かが(届いた、)ということばを発する。それは「凍土で暮らす姉から、」を補うというよりも、言いたいのは(届いた、)ということばの方だと主張しているように見える。そうすると「凍土で暮らす姉から、」が「自己」であり(届いた、)は「非自己(話者)」になる。
 私は先に便宜上「話す」に対して「書く」を対立させたが、どちらもことばを発するということでは同じなので、「書く=話す」は最初からひとつのものであり、「書く=話す」を通して「自己」「非自己」の動きがあるということかもしれない。
 いったん「凍土の地で暮らす姉から、 (届いた、)」という一行が「非自己」として成立すると、成立した瞬間にそれは「自己」にかわり、それを次の「非自己」があらわれることでことばを動かしていく。それが「封書の中に入っていたのは哀しみという (文字が、)」である。もちろん二行目にも「自己と非自己」が存在する。「自己」を「非自己」のことばが突き破り、そうすることで出現してしまうことばをさらに「非自己」で破壊し続けるという運動がある。それは破壊であると同時に創造でもある。そういう関係になっていると思う。
 「言葉と言葉が迷い (ぶつかり合う、)」という一行が象徴的だが、ことばが続けば(ことばが増えていけば)、どのことばがどのことばなのか、所属を明確にすることは意味がない。そこにあるのは「ぶつかり合う」ことで世界が展開するという運動だけである。
 で、私は。
 小島とは違って、「自己」「非自己」の関係を、「話す=発話する=書く」、もっと言い換えると「動詞」そのものとして見ているので、ほんとうは、「動詞」を基本にしてこの詩を読むとどうなるか、ということを書きたいのだが、書き始めるとちょっとめんどうくさい。ここでは、丸括弧で書かれている部分を、(届いた、)(入って行く、)(眠る、)のように動詞だけで構成すると、もっとおもしろくなったかなあ、とだけ付け加えておく。「動詞」が「話す(=話者)」になる。それでは単調かもしれないが、丸括弧内が動詞だけの詩が私の好みである。そして、それは私の好みだから、小島とは関係ない、という反論を承知の上で、書いておく。

 

 


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オリンピックは中止すべきだった(31)

2021-08-26 08:41:36 | 考える日記

 8月26日の読売新聞。コロナ感染状況。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20210825-OYT1T50275/
↓↓↓↓
(見出し)国内で新たに2万4321人感染、大阪など10府県で過去最多…重症者は13日連続で最多更新
(記事)国内の新型コロナウイルス感染者は25日、全都道府県と空港検疫で新たに2万4321人が確認された。10府県で過去最多となった。重症者は前日から29人増えて1964人となり、13日連続で過去最多を更新した。死者は45人だった。
 東京都の新規感染者は4228人。1週間前から1158人減り、3日連続で前週の同じ曜日を下回った。直近1週間の平均新規感染者は前週から5%減の4471人。平均感染者が前週を下回ったのは6月19日以来となる。
 大阪府では、過去最多の2808人の感染が判明した。お盆明けの17日以降、前週比1・4~1・5倍で増加を続けており、軽症・中等症病床の使用率は75・2%と8割に迫っている。
↑↑↑↑
 東京は減っているように見える。しかし、木曜、金曜が週のピークのことが多いので、もう少し(最低2週間)経緯をみないと減少しているかどうかは判断できないだろう。
 東京は減っているが、感染が地方に拡大している、と言えるだろう。このことは、東京がたとえ減ったとしても、地方から東京へ出てくる人が増えれば再び拡大することを意味するだろう。菅は、緊急事態宣言を解除するための「出口戦略」を探っているが、東京だけ減少すればいいというものではない。
 私の住んでいる福岡県も、一時新規感染者が1000人を下回ったが、再び1094人と1000人を上回った。減少していたのは、雨で検査を減ったということかもしれない。(きのうは、久々に晴れた。)九州では佐賀をのぞく各県が100人を超している。交通の便がいいとは言えない宮崎でも114人。
 記事には書かれていないが、大阪のほかに、愛知1815人、沖縄809人も最多である。北海道も568人と高い数字が続いている。

 パラリンピック関係者はどうか。
↓↓↓↓
 東京五輪・パラリンピック大会組織委員会は25日、パラ関係者の新型コロナウイルス検査で、東京・晴海の選手村に滞在している海外選手2人を含む16人が、新たに陽性と判定されたと発表した。
↑↑↑↑
 相変わらず感染者が発生し続けている。この記事で気になるのは、いままでは「累計」を書いていたのに、今回は書いていないことである。「濃厚接触者」は、何度も書くが、
初期の段階では書くが、途中からは省く。たぶん人数が多すぎるのだろう。しかし、パラリンピックの選手には介助が必要な人がいるだろう。濃厚接触者は必然的に存在すると思う。その人たちから感染が拡大する恐れがあるし、何よりも感染した選手が介助を必要とする場合、濃厚接触者がますます増えるということにもならないか。介助する人も、厳しく注意を払わないといけなくなる。
 三重国体は中止が決定されたが、東京オリンピックも中止すべきだったのだ。パラリンピックは中止し、高校野球も中止すべきだ。

 

 

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小島きみ子『現代詩の広い通路へと』

2021-08-25 10:25:57 | 詩集

小島きみ子『現代詩の広い通路へと』(私家版、2021年08月10日発行)

 小島きみ子『現代詩の広い通路へと』は「Essay 集」と書かれている。なぜ「Essay 集」なのか。「あとがき」に、こう書いてある。

 ニーチェ著・中山元訳『善悪の彼岸』(光文社古典新訳文庫)に「エッセイ:essay」という語について、解説(503P)の「新しき哲学者」の中にこのような文章がある。〈「真理が女であると考えてみては--、どうだろう?」と。〉翻訳者の中村元が続けて「ドイツ語では真理(ヴァールハイト)は女性名詞だし、フランス語でヴァリテは女性名詞。フランス革命のときは真理が女性の姿でアレゴリー的に表現されたことは有名であり、古くはグノーシス主義について、知恵(ソフィア)が女性として示されていた長い伝統がある。グノーシス主義のソフィアは下界の人間たちの真の母親なのだった。」と、いうものです。
 ここに集めた文章は「現代詩・詩集批評」の文章ですが、「真理が女であると考えてみてはどうだろう」という角度から「essay 集」としました。


 私は、この文章に違和感を覚えた。そして、この違和感は、いま書かれている多くの「評論(批評)」に対する違和感、詩に対する違和感に通じる。
 「ことば」と「真理」と「人間」というものの関係を考えるとき、人間がことばを発する。そのことばの先に真理がある、と多くの人が考えているように私には感じられる。真理をつかむために、ことばを発する。真理(現実に存在するのだけれど、明確につかみきれないもの)を明確にするためにことばがある、と言い換えることもできるかもしれない。
 でも、私は、ことばをそんな風に読むことはできない。
 人間はことばを発する。そのとき真理があるとすれば、ことばの先(向こう側、ことばを突き抜けた先=まだ見えない場所)にあるとは考えられない。ことばが出てきた「肉体」そのもののなかにある、そのことばを発したときの「肉体」の必要性(必然性)のなかにある、と思う。
 そのことを、ニーチェのことばなのか、中村元のことばなのかわからないが、「真理が女であると考えてみてはどうだろう」ということばについて言いなおすと。
 「真理が女であると考えてみてはどうだろう」と言ったのは、ニーチェだったにしろ、中村元だったにしろ、男である。これがいちばんの問題。もしボーボワールだったら、あるいはウルフだったら、そうは言わないだろう。「真理が男性であると考えてみてはどうだろう」とも言わないだろう。可能性のひとつとして「真理が自分であると考えてみてはどうだろう」と言うだろうと、何となく、思うことはできる。まず「真理は自分であると考えてみてはどうだろう」を言いなおすと、ボーボワール、ウルフの場合「真理は女性であると考えてみてはどうだろう」に言い換えることができるかもしれないが、そう言いなおした瞬間に、いや、ボーボワール、ウルフはそういうことは言わない。「真理が自分(=女性)であると考えてみてはどうだろう」とは、絶対に言わないだろう、と私は思う。
 何と言うだろうか。
 「真理が他者(自分以外のもの)であると考えてみてはどうだろう」
 そう言うのではないだろうか。
 そして、この「真理が他者(自分以外のもの)であると考えてみてはどうだろう」は、ニーチェ、中村元に当てはめると「真理が他者(=女性)であると考えてみてはどうだろう」になると思う。ニーチェ、中村元が「他者」と言わずに「女性」と言ってしまうのは、無意識に人間世界(言語世界=哲学世界)を「男のもの」と考えているからだろう。「男根主義」が強すぎて「他者」と言うべきところを「女性」と言ってしまっていると思う。
 それは時代をさかのぼって、プラトンや孔子、荘子がもし「真理」を定義したとしたらと考えてみると、もっと違った印象で見えてくると思う。プラトンや孔子、荘子が「真理が女性であると考えてみてはどうだろう」という言い方をするとは、私には想像できない。プラトンは「私は無知である」と言った。私の「誤読」ではこれは「私は真理ではない」ということである。「真理は私以外のところにある」になる。
 中村は「真理」のドイツ語、フランス語を例に引き、「女性名詞」の「女性」に注目しているが、私は、それでは「真理」の反対、たとえば「誤謬」はドイツ語、フランス語で何と言い、それは「女性名詞」なのか「男性名詞」なのか、と即座に思ってしまう。
 さらに「真理」に類似することば、「真実」とか「ほんとう」とかの「類義語」は、どうなのかなあ、と思ってしまう。女性名詞か男性名詩かよりも、「真理」の定義そのものが問題になるなあ、と思う。つまり、最初に戻ってしまうのだけれど、「真理」をどう定義したかによって、何が見えてくるかが違う。何を明確にするために、「真理」をそう定義したかが問題になってくる。
 「真理」を自分の「肉体」ではたどり着けない絶対的なものと「定義」すれば、男にとって「女性」は自分ではあり得ない。そこには自己否定がある。自己否定し、自己を超越したときに獲得できるものがあるとすれば、それは「比喩」として「女性」ということばになるかもしれない。
 なぜ「真理は女性である」ということばを選んだのか。なぜ、「女性」を「真理」の「比喩」にしたのか。それこそ、私が、ことばを読むとき(詩を読むとき)つかみ取りたいものである。
 こんなことも考える。「真理が犬であると考えてみてはどうだろう」「真理が猫であると考えてみてはどうだろう」。比喩として犬を選ぶか猫を選ぶか。それは、そのひとの、それまでの暮らし(生き方)と関係してくる。「比喩」は「比喩」が生まれてくる瞬間が大事なのだ。どうしてそのことばを選んだか、それが問題なのだ。
 
 小島は松尾真由美との対談の中で、「自己」「非自己」「主体」ということばをつかって、こんなことを語っている。(32ページ)

詩の作品の中で主体が発話するというのは非自己が作品の中にあるということ。作品の中で主体が発話しているかどうかは、とても重要なことで、その作品を読んだときに、自己を超越した自己、これが感じられるというのは作品として普遍ということだと思う。


 「主体」の定義がわからないが……。「普遍」を「真理」に類似したことばと把握して「誤読」すれば、「自己を超越した自己」が「真理(普遍)」ということだろう。そして、この「自己を超越した自己」というものを「絶対的他者」と言いなおせば、それはニーチェ、中村元にとっては「女性」という比喩として動くかもしれない。
 そこまで考えると、中島が「真理が女であると考えてみては--、どうだろう?」に託そうとした「思い」が、私にはわからなくなるのである。

 さらに。
 私は中村元の文章を読んでいないのでわからないのだが「エッセイ:essay」をどう定義しているのだろうか。私はたまたま今、ホセ・サラマーゴ(ポルトガル人)の小説「白い闇」をスペイン人に手伝ってもらいながらスペイン語版で読み始めたのだが、そのスペイン語版のタイトルは「Ensayo sobre la cegera」である。「ensayo」は「essay 」である。直訳すれば「盲目(視覚障害)に関するエッセイ(随筆)」という訳のわからないタイトルになってしまう。スペイン語の「ensayo」には随筆(エッセイ)以外の意味もある。
 日本語であっても、そのことばの「定義」は難しい。外国語なら、なおのこと難しい。「essay 」ということばは、たぶん、いろいろな意味を持っていると思う。「あとがき」がなければ、「Essay 集」というくくりに疑問を持たなかったと思うが、「あとがき」を読んだばっかりに、余分なことを考えてしまった。
 もし「真理が超男性(=超人?)であると考えてみてはどうだろう」とニーチェ、
中村元が書いていたとしたら、中島はそれでも「Essay 集」にしたかどうか、そういうことを考えてしまうのである。

 

 

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自民党憲法改正草案再読(22)

2021-08-24 10:04:15 |  自民党改憲草案再読

(現行憲法)
第36条
 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。
(改正草案)
第36条(拷問及び残虐な刑罰の禁止)
 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、禁止する。

 改憲草案では、現行憲法の「絶対に」が削除されている。もしかすると、「拷問及び残虐な刑罰」が行われるかもしれない。「絶対に」がなくなったのだから、可能、と判断することがあるかもしれない。ことばは常に何かと対比することで「意味」が確定する。「絶対に」が削除されたのだから、してもいいのだ、と判断するおそれがある。
 憲法は権力を拘束するものである。「絶対に」が削除されたのだから、「禁止は絶対ではない」と主張する根拠を、権力に与えてはいけない。
 しかし、どういう条件のときに「公務員による拷問及び残虐な刑罰」が許されるのか。「公務員」という主語を手がかりにすれば、「公益及び公の秩序に反する」と「公務員」が判断したときだろう。「公」が判断したときだろう。そして、このとき「公」とは「公共」ではない。あくまでも「権力が考える公」、言いなおすと「権力」である。既に菅は、政府方針に異議のある人(公務員)は移動(左遷)させると明言している。権力の「いいなり」になっている「公務員」が「権力の意向に反する(=公益及び公の秩序に反する)」と判断すれば「拷問及び残虐な刑罰」は許されるのである。
 これはいま「犯罪者」以外に対して行われていることに当てはまるかもしれない。「拷問/刑罰」ではないが、機動隊がデモを必要以上に規制したり、選挙演説へのヤジを力ずくで排除するということが行われているのをみると、「絶対に」の削除は大きな影響を与えると思う。
 また、「これを」というテーマの提示は、ここでも変更されている。テーマ隠しが改憲草案の大きな狙いである。「このテーマについて考えよう」という姿勢がないのだ。

(現行憲法)
第37条
1 すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
2 刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。
3 刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する。
(改憲草案)
第37条(刑事被告人の権利)
1 全て刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
2 被告人は、全ての証人に対して審問する機会を十分に与えられる権利及び公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。
3 被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを付する。

 この条項では、「及び」のつかい方が奇妙である。これまでみてきたように、改憲草案の「及び」は「イコール」である。「公益及び公の秩序」は「公益=公の秩序」であり、それはともに権力にとっての利益、権力が考える秩序である。権力の考える秩序そのものが、権力の利益である。権力の考える秩序にしたがって国民が行動する限り、権力批判、権力否定(革命)は起きないからである。
 現行憲法が「又、」と別のものであと定義していることを「ひとつ」のこと、イコールで結ばれたものというところから逆に見ていくと、前の方に出てくる「全ての証人」は「公費で求めた証人」に言い換えられるかもしれない。「公費(権力)が認めた証人」に対して審問する権利するは認めるが、権力が認めない証人(被告人、弁護人が探し出してきた証人)は認めないということが起きるかもしれない。
 こういうことは「刑事事件の裁判」ではないが、実際に、何度も起きている。野党が国会で、ある人の「証人喚問」を求める。しかし、政府、自民党がそれを認めない。そのために、国民の多くの知りたいと思っていることが不明のままになる。森友学園問題の佐川がその代表例である。政府の考える「公益及び公の秩序」に反することが明らかになると判断した場合、「証人」は採用されないのだ。採用される証人は、政府が認定した人間だけなのだ。前川、鴻池が国会に証人喚問されても、佐川、安倍安恵が証人喚問されない例を見ると、そう考えてしまう。裁判と国会は別のものではあるけれど。権力にとって「都合のいい」証人だけが、きっと集められることになる。
 「刑事事件」ではなく、民事事件、国の姿勢が問われる裁判では、特にそうなるだろう。「刑事事件」の被告に関する条項だから(自分は刑事事件の被告になる可能性はないから)という理由で見逃してはいけないものがあるように思う。前回(5年前)、改憲草案について考えたとき、私は「刑事事件か、犯罪さえ犯さなければ自分には関係ないなあ」と思い、読みとばしていた。
 憲法はあらゆる法律の大本である。その変化は、形を変えながら現実に反映されていくし、改憲草案を先取りする形で権力が動いていることに注目すべきだと思う。

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U-NEXT光01とのトラブル

2021-08-24 09:23:15 | 考える日記

 8月11日の夜、win10 のアップデートをした。「更新し、再起動する」を選んだ。途中、「初期化しています。電源を切らないでください」という奇妙なメッセージが出た。始めてみるメッセージなので、どう対処していいかわからないが、そのまま見守ることにした。しかし、いつまで立っても終わりそうにないので、翌朝確認することにして、眠った。翌朝(12日)、パソコンは動いたが、インターネットがつながらない。もう一度、再起動すると、接続設定画面(?)があらわれ、プロバイダー名とパスワードを要求してくる。さらに、再び「初期化」が始まった。そしてまた、プロバイダー名とパスワードの要求。どうすることもできずに、プロバイダー「U-NEXT光01」に問い合わせた。「U-NEXT光01」は、当初契約した会社名ではなく、「有線(USENだったかも)」が委譲や統合(?)を繰り返し、現在の名前になっている。
 対応があまりにもひどいので、その経緯(メールのやりとり)を、ここにアップしておく。
 なお、一部、文意を明確にするために補った部分がある。【 】で示している。メールアドレスは削除、電話番号●に変えた。また、一部改行を変更した部分、一行空きを省略した部分がある。時系列を明確にするために、日時を最初に明示した。「本メールの内容につきましては、無断転載・引用することを堅くお断りいたします。」にあるが、電話応対した「今井」という人物に、経緯をブログに書くと伝えてある。『 』の部分は、メールやりとりでの補足と感想である。


 最初の問い合わせは、「問い合わせフォーム」を利用して問い合わせたので、わたしの手元には記録が残っていない。インターネットに接続しようとすると、win 10が「プロバイダー名」と「パスワード」を要求してくる。どうすればいいのか、というのが「概略」。何が原因でわからないので、問い合わせた。


(1)8 月12日(木) 12:33 "U-NEXT 光01カスタマーセンター" 
谷内 修三 様
このたびはお問い合わせありがとうございます。
U-NEXT光01カスタマーセンターです。
ご質問の件、弊社のサービスはDHCP方式の回線の為、設定不要でご利用いただけるインターネット回線となります。
上記より、弊社のインターネット回線には、接続IDやパスワードのご用意がございません。
なお、ご自宅で無線ルーターをご利用の場合は無線ルーターのSSID、暗号化キーの入力が必要となりますので、ご注意いただけますと幸いです。
ご不明な点などがございましたら弊社カスタマーセンターまでご連絡ください。
今後とも変わらぬご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。
※本メールの内容につきましては、無断転載・引用することを堅くお断りいたします。


(2) 8月12日(木) 13:04  谷内修三 To "U-NEXT 光01
しかし、接続できないから聞いているのです。
確かに、当初は接続するだけででしたが、今は繋がりません。

(3) 8月12日(木) 13:09 谷内修三 To "U-NEXT 光01
再度、問い合わせ。
接続しても繋がらないときは、どうすればいいか教えてください。
ルーターのwifiはいったん電源を切り、ラインを接続しなおしたとき【一時的に】復活しました。

↑↑↑↑
『これは、U-NEXT光01とLANで接続すると同時に、タブレット、スマホをwifi利用するためにルーターを接続しているため。wifiルーターのメーカー、バファローに問い合わせたところ、無線ルーターは電源などをいったん抜き再接続するとつながることがあるので試してほしいということだった。やってみると確かに一時的に復活したが、すぐにダウンした。この段階で、私は、U-NEXT光01に問題があることを確信した。私の部屋は外からの電波を受けにくいために、パソコンはLANで接続している。また別の部屋にもパソコンがあるので、U-NEXT光01とは二口契約している。その両方ともがつながらないのも、U-NEXT光01の回線に問題があると判断した理由。このことは、メールではなく、このあと電話で応対した「さの」に伝えている。「さの」は二口契約にも、なかなか納得しなかった。そのことからも、顧客の現状を把握しないまま、「我が社に問題はない」を押し通そうとしていることがわかる』

(4)8 月12日(木) 17:40"U-NEXT光01カスタマーセンター"  To 自分
谷内 修三 様
このたびはお問い合わせありがとうございます。U-NEXT光01カスタマーセンターです。
恐れ入りますが、いただいた内容につきましては弊社回線ではなくご利用の機器側の設定により発生している症状かと存じます。
つきましてはPCのメーカー様へご相談いただけますようお願い致します。
せっかくお問い合わせいただきましたのに、お力になれず誠に申し訳ございません。
何卒よろしくお願い致します。

↑↑↑↑
『私は、すでに、上に書いたようにバファローには問い合わせているし、パソコンメーカーのデルにも問い合わせている。「いただいた内容につきましては弊社回線ではなくご利用の機器側の設定により発生している症状かと存じます」という回答から、U-NEXT光01が回線状態をまったく把握していない、調査していないことがわかる。「存じます」は「考える」と同じであって、「事実」が含まれていない。「存じます(考える)」というとき、だれが「存じる(考える)」のか主語が必要だが、このメールからは「主語」がわからない。しかも、後半のメールにはっきり書いてあるが、調査は8月16日である。さらに、電話で応対した「今井」は調査が「協力会社」が行ったものであり、その「協力会社」の名前はいえない、と言っている。』

(5) 8月12日(木) 18:27 谷内修三 To "U-NEXT 光01
再度の問い合わせは。
使っている機器は貴社が契約時に設定したもので、私が買ったものではありません。NEC のVF200F7 です。機器に問題があるなら、機器を交換してください。いい加減な対応はやめてください。

(6)8 月13日(金) 12:10 "U-NEXT 光01カスタマーセンター"  To 自分
谷内 修三 様
ご返信いただき誠にありがとうございます。U-NEXT光01カスタマーセンターでございます。お客様へはご不便をおかけしており誠に申し訳ございません。
ご申告の状況に関しまして、調査に必要な情報の為以下項目の詳細をお知らせいただけますでしょうか。
※情報が不足したままメールを返信されますと調査にお時間をいただく場合や明確な回答が出来ない場合がございます
ーーーー
■症状の発生を確認された日時:
■症状が発生している通信端末について右から該当するものを選択してください:PC/ スマートフォン/ タブレット/ 全端末
■レンタル機器(モデム)の機器名:VF-200F7
■レンタル機器(モデム)のランプ状況:
※機器によりランプの名称が異なります、全てのランプの状態をご記載ください
※点灯、点滅、消灯からご選択の上、ランプの色についてもご記載ください(緑、橙、赤など)
※お写真では点灯/ 点滅の区別が出来かねますので必ずテキストでお知らせください
■ご自宅内の配線環境について有線接続を『ーーーー』、無線接続を『)))』で表記の上お知らせください:
※例 壁ーーーーモデムーーーー無線RT)))スマートフォン1 台、ゲーム機1 台
ーーーーPC
■レンタル機器(モデム)とPCをLAN ケーブルで直接お繋ぎいただくことは可能でしょうか:可 /不可 / PC 非所持
ーーーー
お手数をお掛けしてしまい誠に申し訳ございませんが、何卒よろしくお願い申し上げます。

↑↑↑↑
『ここで初めて、回線状況の調査を始めようとしている。それまでは何の問い合わせもなく、回線に問題はないと答えている。どうして最初に利用状況を確認し、回線状態を調べようとしなかったのか。』

(7)谷内修三 8月13日(金) 15:46 To "U-NEXT光01
発生 8 月11日に完全にダウン。
Win10 のアップグレード中で障害が発生。パソコンが暴走し、初期化されてしまった。
発生端末、PC, スマホ、タブレットの全部
レンタル機器 vf200f7 
ランプ、パワー 緑点灯
ライン 緑点滅
リンク、アクト 緑 点灯
フェイル 消灯
接続方法 壁ー有線ーモデムー有線ーパソコン、
壁ー有線ーモデムー有線ーwifi機器( バファロー) ー無線(wifi)ースマホ、タブレット
パソコンとは有線で繋いでいる。

我が家は二口契約している。二台とも同じ症状。貴社の配線状況に問題があるとしか思えない。ふつうはパソコンとモデムを繋ぐと自動的に繋がるのに、プロバイダー名とパスワードを要求される。あまりにも応答が不親切。仕事のため、キンコーズまででかけている。
私は目の手術をして、スマホでメールを書くのは、非常に困難。電話で対応してほしい。コロナ対応はわかるが、目が悪い人間にとっては、対応が難しい。バリアフリーの対応とは言えない。許せない。

↑↑↑↑
『このあと、「さの」から電話。メールに書いてある内容の確認。そのあと回線を調査するので、パソコンの電源を切らないで、つけっぱなしにしておいてほしいと依頼された。いつから調査を開始し、いつ終わる予定かのめどもいわない。調査が終わったとの連絡もない。後の方のメールでも書いているが、この何時間かかったかわからない調査のあと、パソコンでもう一度トラブルが起きている。(22、23メール参照)』

(8)8 月14日(土) 13:25"U-NEXT光01カスタマーセンター"  To 自分
谷内 修三 様
重ねてご連絡いただき、お手数をおかけしております。U-NEXT光01カスタマーセンターでございます。昨日はお電話にてご対応いただき誠にありがとうございます。
本件、既に回線調査の依頼を実施しており調査の結果が出次第、改めてご連絡させていただきます。お時間をいただき大変恐縮ではございますが今しばらくご猶予を賜りますようお願い申し上げます。何卒よろしくお願い致します。

↑↑↑↑
『既に回線調査の依頼を実施しており、と書いているが「既に」がいつかわからないが、さのの電話の後だろう。つまり、やっと回線調査を始めているのである。私の最初の問い合わせから、それまで回線調査はしていなのだ。調査の結果が出次第、と書いているが、連絡を受けた時間と、その後の今井の言っている回線復旧時間との間には、かなりの「ずれ」がある』

(9) 8月14日(土) 15:07 谷内修三 To "U-NEXT 光01
調査結果はいつ出る予定ですか。仕事ができずに困っています。スマートフォンと電話回線経由のネットしか使えない。
私は網膜剥離の手術をしていて、目が非常に弱い。大腿骨骨折の手術後は移動や身動きも不便。外国との連絡も取れなくなり、トラブルになりそう。すぐに連絡をください。
●●(電話番号)

(10)8 月14日(土) 19:29"U-NEXT光01カスタマーセンター" To自分
谷内 修三 様
平素は格別のご高配を賜り誠にありがとうございます。U-NEXT光01カスタマーセンターです。ご連絡にお時間をいただき誠に申し訳ございません。ご不便をおかけいたしまして誠に申し訳ございません。
ご申告の情報を基に回線の調査を実施させていただきましたところお住まいのマンション全体で通信障害が発生していることを確認致しました。
現在、8 月16日(月)に修理対応が出来るよう調整をおこなっております。
メンテナンスの対応日時確定、または復旧確認後に改めて担当よりご連絡をさせていただきます。
ご不便ならびにご迷惑をお掛けし、誠に恐縮ではございますが、今しばらくお待ち下さいますようお願い申し上げます。
↑↑↑↑
『どうして私のパソコンとの接続状況を調べるだけで、マンション全体のことがわかるのか。「確認いたしました」の主語はだれなのか。しかし、何よりも不親切なのは、なぜ修理が16日になるか説明がないことである。だから、メールを読んだ直後に、次のメールを書いた。』

(11)8 月14日(土) 19:59 谷内修三 To "U-NEXT 光01
なぜ、あす15日ではなく、16日、あるいはそれ以降になるんですか? 
通信障害のために起きたパソコンの障害に対する復旧支援はありますか?

(12)8 月15日(日) 17:40"U-NEXT光01カスタマーセンター"  To 自分
谷内 修三 様
重ねてご連絡いただき、お手数をおかけしております。U-NEXT光01カスタマーセンターでございます。
8/15に対応できない件に関してですが、現在コロナウイルス感染拡大に伴い作業員の稼働を縮小しており、お客様の物件へ訪問可能な作業員の確保が難しい為でございます。
ご不便をおかけしておりますところ大変恐縮ではございますが現在8/16訪問予定で調整中でございますので復旧まで今しばらくお待ちいただきますよう、よろしくお願いいたします。
また、パソコンの障害に対する復旧支援に関しましてはこちらも大変恐縮ではございますが、弊社では対応いたしかねる内容となります。
せっかくご相談いただきましたのに、ご希望に沿う回答を差し上げることが出来ず誠に申し訳ございません。

↑↑↑↑
『(10)のメールには不明点が多すぎる。それで、つぎの質問をした。』

(13)8 月15日(日) 20:56 谷内修三 To "U-NEXT 光01
質問
(1) マンション全体の通信障害とはどういう意味か。【私のパソコンとの接続関係を調査しただけで、どうしてマンション全体とわかるのか】unext 契約回線全体という意味か。それは全部で何口あるのか。明示してほしい。被害が複数に及んでいるのなら、被害者の会を組織し、対応したい。
(2) 他社でも通信障害が起きているのか。それはプロバイダー別に何口なのか。個別の件数を明示してほしい。先に書いたことに通じるが、被害がマンション全体なら、被害者の会を組織したいと考えている。
(3) もしunext 回線のみの障害ならば、今回の問題の責任は貴社にあるし、他社の回線障害の影響がunext に及んだものなら、該当プロバイダーを含めた責任問題になる。貴社でも、各社と連絡を取り、どう対応するのか連絡してほしい。
(4)1 に書いたことに関連するが、通信障害はいつから発生したのか。
(5) いつ、通信障害を確認したのか。
(6) 通信障害の有無の確認体制はどうなっているのか。
(7) 損害賠償は、どうなるのか。
(8) この問題の責任者は、どの部署の誰なのか、明確にしてほしい。先日、電話応対したひと(女性と記憶している)は、さの、と名乗ったが、その人が責任者か。

私は網膜剥離手術の関係で、目が非常に悪い。このメールはスマホで書いているが、画面が限られているので、見落としている問題もあると思う。
何度でも納得できるまで質問するので、対応の責任者を明確にしてほしい。

(14)8 月16日(月) 3:20谷内修三To "U-NEXT光01
質問追加
通信障害が起きた場合、対応をどうするつもりだったのか。
私はたまたまスマートフォンにg メールをインストールしていたが、スマートフォンを持っていなかったら、メールでの問い合わせしかできないのであれば、永遠に放置されることになる。
目の問題を訴えたあとも、メールでの応対を強要するのはなぜなのか。

(15)8 月16日(月) 3:27谷内修三To "U-NEXT光01
再追加
質問には電話とは別に、必ず文書(このメールに直接書き込みも可) でもこたえてください。今後のための記録です。私のスマートフォンも、家の固定電話も録音装置を備えていません。

(16)8 月16日(月) 13:21 谷内修三 To "U-NEXT 光01
回線復旧は、いつになるのですか。
すでに、貴社に私は目が悪い旨、通知しています。
目が悪いから、放置しておけばいい、メールも読まないだろうという判断でしょうか。
今回の初期対応でも、他社メーカーの機器( 貴社が設置した機材) の問題があると言って、回線状況の調査を後回しにしている。あまりにも私をばかにしていないか。責任者は誰なのか。
他社のプロバイダーを探そうにも、ネット接続ができなければなにもできない。
何もできないことを利用して、料金だけ搾取するつもりなのか。
責任者を明確にして、即座に対応してほしい。
自宅電話は、●●

(17)8 月16日(月) 16:58"U-NEXT光01カスタマーセンター"  To 自分
谷内 修三 様
重ねてご連絡いただき、お手数をおかけしております。U-NEXT光01カスタマーセンターでございます。
ご申告の件については、特定の部署を設けず弊社U-NEXT光01カスタマーセンターにて責任をもって対応させていただいております。
本件につきましては、U-NEXT光01の共有部機器の障害懸念があり本日15時頃から要因の特定の後、修理作業予定となっております。
同様の症状が他社様でも発生しているかは弊社でも確認不可ではございますが今回の障害において他社回線が影響しているとは考えにくい状況でございます。
また、現状弊社にて障害を自動検知するシステムがございませんのでお客様のご申告を基に調査を実施し障害か否か判断しております。
そのため、本件ですと8 月13日にお客様から申告をいただき、調査を行った事で障害であると判明いたしました。
本日の訪問対応で障害がいつから発生しているのか詳細な日時が確認できる可能性もございますが、現状では確約することはできかねます。
なお、障害によってインターネットがご利用いただけなかった期間につきましては
復旧後に日割りにて8 月ご利用分から減額させていただきます。
お客様へはご不便ならびにご迷惑をお掛けし誠に申し訳ございません。
ご不明な点などがございましたら弊社カスタマーセンターまでご連絡ください。
何卒宜しくお願い致します。

↑↑↑↑
『マンション全体の回線障害ではないことを、調査をする前から断言している。これは、調査をする前から、回線に問題はない、機材(それもプロバイダーが提供しているもの)、パソコンに問題があると断定し、メーカーに問い合わせろと4のメールで書いてきている。10のメールでは「マンション全体」の障害と書いていたが、このメールでは「U-NEXT光01の共有部機器の障害懸念」と書いている。少しずつ「軌道修正」している。その際、前回書いたことは間違いだったと訂正していない。』

(18) 8 月16日(月) 17:47 谷内修三To "U-NEXT光01
メールをさかのぼって読んでください。
私のメールは12日です。そして12日に一回目の返事が来ています。なぜ、でたらめを書くのですか。私の目が悪いから、適当に書いてもいいと思っているのですか?
回線障害がいつからか解明したくないということなのでしょうか。
11日のwin10 アップデート途中に、初期化の表示が出て、それから再起動したものの、12日突然パソコンがおかしくなった。
最初の問い合わせに、貴社は、回線に問題はないと答えているだけでなく、貴社が持ち込んだ機材にも関わらず、モデム(コネクター? 正式名称はわからない) に問い合わせろと書いている。
このメールには、回答者の名前が書かれていないが、誰が担当者、責任者なのか。はっきり教えてもらいたい。
いつ復旧するのかも、あいまいなままなのはなぜなのか。

(19)8 月16日(月) 18:04 谷内修三To "U-NEXT光01
質問追加。
使用できなかった分の料金を割り引くというが、回線が利用できないために、たとえばキンコーズを利用した料金、通信費、交通費、本来できるはずのことができなかった損失などはどうなるのか。どの範囲まで補填するのか。
なぜ、電話で、回線回復の進捗状況を連絡してこないのか。
コロナ対応というが、さの、という人は一度、問い合せの電話をしてきている。
電話番号●●

(20)8 月16日(月) 22:44 谷内修三 To "U-NEXT 光01
質問追加
15時からの調査の結果はどうなったのか。いつ復旧するのか。
今回の処理の責任はカスタマーセンターということだが、責任者はだれなのか。
一度、電話をかけてきた、さの、という認識でいいのか。
カスタマーセンターの配下に、回線調査、修理部門が存在するのか。
カスタマーセンターはどこにあり、修理指示を、どこに、どう伝達し、その結果、どういう結果がカスタマーセンターに上がってきたのか。文書で、きちんと報告してほしい。
使えなかった期間の料金を割り引けばいいという問題ではないだろう。


(21)8 月17日(火) 11:49"U-NEXT光01カスタマーセンター" To自分
谷内 修三 様
平素は格別のご高配を賜り誠にありがとうございます。U-NEXT光01カスタマーセンターです。
この度は、お住まいのマンション共有部における不具合の発生によりご不便ならびにご迷惑をお掛けいたしましたことを心よりお詫び申し上げます。
8/16 16時ごろに作業員による復旧作業を終えましたので現在接続が可能な状態に改善されているかと存じます。
恐れ入りますが、ご利用のパソコン等の機器を再起動の上、インターネットの接続状態をご確認いただけますようお願い致します。

障害原因:共用部機器の不良
対応内容:共用部機器の交換

また、ご申告の件、回線調査を行ったのが13日、お客様よりメールをいただいた日は12日でございました。誤ったご案内によりご不快な思いをさせてしまい、大変申し訳ございません。
ご質問につきまして、以下回答となります。
・料金調整はご利用いただけなかった期間を月額の料金から日割りで調整を致しますが
こちらは約款に則って行います。
申し訳ございませんが、日割り調整以外の料金は対象外となりますのでご了承をお願いいたします。
・現在窓口は閉鎖しておりますが、毎日ではないものの一時的にお客様へのご連絡のみ実施可能な日を設けている状況でございます。
※詳細は社内情報を含む為開示不可となります
・電話・メールを問わず応対しているオペレーター全員が責任を持ち対応しております。お客様や物件毎の担当者はご用意がございません。
また何かお困りの点やご不明の点などがございましたら、弊社カスタマーセンターまでご連絡いただけますと幸いです。
何卒よろしくお願い申し上げます。

(22)8月17日(火)13:21 谷内修三 To "U-NEXT 光01
接続しなおしたところ、パソコン( デル、mac とも) 変調。MAC は初期化、win10 のデルは、テストを始めた。
デルに問い合わせたら、状況がわからないが、修理は五万円くらいかかる、新品購入がいいと勧められた。本当に【回線を】修理したのか。回線操作の時、何かしたのではないか。
なぜ、きのう16時に回線が復旧しているのなら、連絡が17日なのか。目が悪いから電話してほしいと何度か書いているが、なぜ、メールなのか。対応がでたらめすぎないか。誰が応対しているか、名前さえ名乗らないのはなぜか。

↑↑↑↑
『上記のことを証明するために、次のメールで写真を三枚送った。win10 アップデート途中の「初期化」メッセージの出た画面を写真にとっておかなかったことが悔やまれる。対応に疑問があるので、記録として残すためにとった。』

(23)8 月17日(火) 13:38 谷内修三  To "U-NEXT 光01
ネット接続したら、こうなった。(3枚の写真)
【デルのパソコンの画面。パソコンの診断テストであることが、マイクロソフトに問い合わせてわかった。デルでは、表示されるメッセージがわからない、ということだった←この項は、メールには書いていない。かわりに3枚の写真を添付して送っている。】

(24)" 8 月17日(火) 19:45"U-NEXT光01カスタマーセンター To 自分
谷内 修三 様
重ねてご連絡いただき、お手数をおかけしております。U-NEXT光01カスタマーセンターです。
ご申告の内容につきまして、担当者より明日お電話にてご連絡させていただきます。
ご心配をおかけしておりますところ、大変恐縮ではございますがご対応の程お願い申し上げます。
何卒よろしくお願い致します。

******「今井」から電話***********
回線障害は8月11日11時35分から8月16日15時43分。調査は「協力会社」が行った。以前のメールで「マンション全体の回線障害」とあったので、マンション全体のことを聞いたが、契約口数、苦情があったなかったかも「個人情報」を理由に明示しない。何口契約しているか開示すると、契約者が特定されるというが、契約口数だけで個人は特定できない。だいたい「被害」を受けているものが連携できなければ、「加害者」のいいなりになってしまう。被害者を分断し、被害を小さく見せている恐れがある。私よりももっと大変なことになっている人がいるかもしれない。このとき、今井は「長いメール」ということばを発している。全部読んだのかと問い合わせたが、名言はなかった。「長いメール」なので読まずに、ただ回線障害のあった時間だけを答えればいいと思ったのだろう。私の不満はネットが通じないというだけではない。(13)のメールに書いたことへの回答がない、ということである。
*************************

(25)8 月19日(木) 12:05"U-NEXT光01カスタマーセンター"  To 自分
谷内 修三 様
重ねてご連絡いただき、お手数をおかけしております。U-NEXT光01カスタマーセンターでございます。
ご申告の内容につきまして、担当者よりお電話にてご連絡させていただきます。
この度は弊社対応にてお客様へご不快な思いをさせてしまい誠に申し訳ございません。
なお、ご希望のお時間がございましたら、お手数ではございますが以下の項目につきまして可能な範囲でご返答をお願いいたします。

===========================
ご契約者名:
ご対応者:
続 柄 :※ご契約者様以外の場合にご記載下さい。
連絡先:第1 希望、第2 希望(携帯電話と固定電話など)
折返希望日:第一希望○月○日、第二希望○月○日、第三希望○月○日( 必ず第三希望までご記載お願いいたします)
指定時間帯:①13~15時まで/②15~17時/③17~19時まで/④19~19時半まで

※即日のご希望ですと、ご要望に添えない場合がございます。
 別日で第三希望まで記載いただけますと幸いでございます。

(26)8月19日(木)14:44 谷内修三 To U-NEXT光01

===========================
ご契約者名:谷内修三
ご対応者:谷内修三
続 柄 :本人
連絡先:第1 希望(固定電話 ●●)、第2 希望(携帯電話 ●●)、ただし、携帯電話は、私の部屋は通じない。
折返希望日:第一希望8月20日 15 ~17時  、第二希望8月21日15~17時、第三希望8月22日15~17時( 必ず第三希望までご記載お願いいたします)

明確にしてほしいこと
①回線障害が起きた時間帯
②回線状態の把握はどうやって実施しているか
③最初の問い合わせはいつあったか(わたし以外に何件問い合わせがあったか)
④マンション全体で回線障害が起きているということだったが、何件契約者がいて、何件苦情があったか。
⑤回線復旧から、復旧したの連絡まで「時差」があるのはなぜか。
⑥顧客の苦情はカスタマーセンターで、どう共有しているのか。
⑦さの、という人物が最初に電話してきて、次に今井に変わったのはなぜか。このメールへの返答にはいったい何人がかかわっているのか。
ほかにもいろいろあるが、すでにメールに書いている(今回書いたことも重複している)
電話までに、質問事項をさらに整理しておくので、きちんと答えてください。
トラブルが起きたことはしようがないが、トラブルが起きた後の対応の方が大事なはず。今回のメールにも、誰が書いているか明記されていない。
これはおかしいのではないか。この苦情はメールでも書いたし、今井にも伝えた。
今回の件と、それに付随する問題でパソコンメーカー、マイクロソフトにも問い合わせたが、電話にしろ、メールにしろ、すべて「名前」を明示している。

(27) 8月19日(木) 18:36"U-NEXT光01カスタマーセンター" To自分
谷内 修三 様
ご返信いただき誠にありがとうございます。U-NEXT光01カスタマーセンターです。
ご申告の内容につきまして、担当者よりお電話にてご連絡させていただきます。
ご心配をおかけしておりますところ、大変恐縮ではございますがご対応の程お願い申し上げます。
何卒よろしくお願い致します。

(28) 8月19日(木) 20:56谷内修三 To "U-NEXT光01
20日はリハビリ時間が変更になったので、16:00-17:00 に。

(29) 8月19日(木)8:53谷内修三 To U-NEXT光01
電話は、結局、いつかけてくるんですか?

↑↑↑↑
この文章(メールの整理)を書いている途中、突然インターネットがつながらなくなった。8 月20日10時30分頃。
回線調査のためにパソコン電電を入れておくように言われた。接続状況をランか無線か聞かれた。しかし実際は協力会社がログを遡って調べたと今井は言った。
なぜ、1 日電源を入れておかなければならなかったのか。
その日、接続解除の連絡はなかった、調査終了の連絡はなかった。
パソコンをリモート操作、ハッキングしたということはないのか。
そういう不安も生まれた。

⑧過去に回線障害が起きたことはあるか。
⑨そのときどう対応したか。
⑩今後、回線障害かもしれないという問い合わせがあったとき、どう対応するか。
(これは、メモ)

(30)8 月20日( 金) 10:30 谷内修三To "U-NEXT光01
再び、インターネット接続ができなくなっている。回線はほんとうに復旧したのか。電話できちんと対応してほしい。  

(31)8 月20日(金) 13:01 "U-NEXT 光01カスタマーセンター" To自分
谷内 修三 様
ご返信いただき誠にありがとうございます。U-NEXT光01カスタマーセンターです。
ご申告の内容につきまして、担当者より「8/20 16時~17時」にお電話にてご連絡させていただきます。
ご不便をおかけしておりますところ、大変恐縮ではございますがご対応の程お願い申し上げます。
何卒よろしくお願い致します

****8月20日16時過ぎ、「さの」から電話**********
明確になったのは、回線障害が8月11日13時35分から8月16日15時43分までという、今井が先に言ったことだけ。いちばん知りたい回線障害の影響を受けた件数である。通産省の通達(?)か何かに書いてあるということだった。「そこには何口被害を受けたか開示してはいけないと書いてあるのか」と聞くと、「書いていない」。「だったら、教えてください」。「教えられない」という押し問答になったので、通産省の通達かなにかしらないけれど、その条文を明記して、これまで質問したことに対する答えを文章で送ってほしい、と伝えた。「一週間以内に返答する」ということだったので、その返事を待っている。先の「今井」からの電話は録音しているということだったから、今回の電話も録音しているだろう。私の家の電話は録音機能を持っていないので、録音していない。不確かなことは書かない。メールは、そのまま残っているので、それを転写した。
********************************

(32)8 月21日(土)  15:32谷内修三 To U-NEXT 光01
きょう、8 月21日にわかったことをお知らせしておきます。
回線障害は復旧したということですが、完全には復旧していません。
午前中に一回、このメールを書く前の午後3 時10分ごろにも回線は途切れました。
そのためにキーボードの認識ができない(デバイスの準備ができない)ということがつづきました。
キーボードの修理業者に電話をしていたところ、突然、パソコン上に「キーボードのデバイスの準備ができました」というメッセージが出て、それ以後、キーボードが使えるようになりました。
キーボード修理業者の話によると、インターネット接続が不安定だと、そういうことが起きることがあるということでした。
集合住宅の場合、特に、そういうことがあるらしい。
先日の質問の際、私のマンションの契約口数、苦情があった件数を質問しましたが、答えてもらえなかった。
回線障害というよりも、回線容量が不足しているのではないのか。
集合住宅で、たとえば10件の契約がある場合、どういう回線容量の設定になっているのか、「一週間以内に回答する」というメールには、そういうことを含めて書いてください。
不安定な回線状態のままでは、いろいろなソフトもダウンロードできない。
初期化のために消えてしまったソフトを再インストールするために、念のため、「もし途中でインターネットの接続に不備があったとき、接続が切断されたときはどうなるか」問い合わせたところ、ソフトに不具合が起きる不安が大きい、そういうときはネットでのダウンロードに責任が持てないという返事だった。
いままで、回線の不具合による、そういうトラブルはなかったのか、その点もあわせてメールで回答してください。

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 このこととは関係がないが、みずほ銀行でまたシステムトラブルが起きた。原因はいろいろあるだろうが、8月23日に起きたATMのトラブルについて「この日のATM障害は、まさにその準備の最中に起き、約1時間半にわたり合計で約130台が利用不可になった。みずほ銀は原因を「通信環境の乱れ」としている。」と読売新聞には書いてあった。(https://www.yomiuri.co.jp/economy/20210823-OYT1T50164/)通信障害が起きれば、その通信設備をつかっている機器に影響が出るということだろう。
 私の体験したトラブルも通信障害と関係しているだろうと考えている。
 あまりに影響が大きかったので、私はなかなか立ち直れない。パソコンを新たに一台導入し、備えることにした。トラブルを起こしたパソコンもなんとかつかえる環境だけはととのえた。
 「 U-NEXT 光01」から回答が来たら、それをアップします。

 

コメント (1)
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