浦歌無子『光る背骨』(七月堂、2021年11月12日発行)
浦歌無子は、私にとっては「骨」の詩人だ。最初に読んだ詩が「骨」を題材にしていた。いままで見たことがないもの、見えなかった世界に入っていく感じだった。この詩集の中にも「骨」が出てくる。やっと、もう一度、骨に出会えるのか。こういう感想は浦にとっては迷惑かもしれないが、私は「最初」を忘れることができない。
「海鳴り」はメアリー・アニングを描いている。タイトルは忘れたが、彼女を主人公にした映画を見た記憶がある。化石探しの名人である。この作品は、彼女の視点からではなく、発見された「プレシオサウルス」の視点から描いている。
私の骨に刻まれたいちばん新しい記憶は
振り下ろされたハンマーの響き
ちいさな犬の鼻の頭の冷たい感触
そして
メアリー・アニングのあたたかい指さきだ
さらりと書いているが、ことばの目配りがとても丁寧だ。(ほんとうは全行引用したいのだが、長いので省略しながら引用することになる。)
「新しい記憶」の「新しい」には「目覚め」が含まれている。「発見」といってもいい。それは「ハンマー」。しかもそのハンマーは「響き(音)」としてやってくる。ハンマーの衝撃の痛みではなく、痛みを伴わない目覚め。それは、感触(触覚)を覚醒させる。「冷たい」と「あたたかい」が対比される。この、複雑で、しかも静かな動きがとてもいい。
そこにほんとうに犬はいたのか、ということは、まあ、どうでもいいが、犬の登場によって世界が広がる。プレシオサウルスを私は知らないが、恐竜(?)だろうから犬なんか怖くない。怖いのは犬の方だ。しかし、そのプレシオサウルスは死んでしまって骨になっているのだから、犬はもう怖くない。単純に好奇心で近づいてくる。ここに、不思議な「逆転」がある。人間だって、プレシオサウルスが生きていたなら、きっと近づくことはできない。死んでしまっているから近づくことができる。そういうことをも、この短い連は的確に教えてくれる。
「いちばん新しい記憶」から、骨は過去へと、つまり「いちばん古い記憶」の方へと進んでいく。この展開も、自然で、美しい。つまり、丁寧だ。
むかしむかし
地球上でいちばん大きな生き物だったわたしたちは死に
流れ積もる泥に身を任せると
あまたの微生物たちによって肉は分解され
堂々と朽ち果てていった
あらあらしい砂が
粘りけのある土が
青い石灰岩が
果てしなく重なり
骨にしんしんに鉱物が浸透してゆくのは
おそろしいような安心なような不思議な心持ちであった
ここでもことばの呼応が非常に的確だ。「いちばん大きな生き物」は「微生物」と対比され、腐敗(ということばはつかっていないが)は「堂々」ということばと向き合う。「いちばん大きな生き物」だから敗北するときも「堂々」としていないといけない。ここに、不思議な「虚構」というか「みえ」のようなものがあり、この「精神性」が作品全体の「骨格」となる。
呼応、対比をいちいちあげないが、その結果生じることに対して「おそろしいような安心なような不思議な心持ちであった」というのも、非常にいい。「精神性」と私は書いたが、精神にしろ、こころにしろ、それは一瞬の内に「矛盾」を行き来する。もう死んでしまったのに、骨なのに、そういうことを思ってしまう。
さて。
また途中を省略するが、こういう部分があらわれる。
いまにも岩のかたまりが落ちて競うな場所で
メアリーは辛抱強く丁寧に
わたしを掘り起こしていった
彼女のよく動く腕、力強い鼓動
喜びに満ちたしぐさ、きらめく瞳を
はっきりと思いだせる
家に運び込まれたわたしを見てメアリーはつぶやいた
「なんて美しい骨格!」
--わたしは美しいものだったのか--
メアリーのまなざしによって
わたしは美しいものとして地上に現れた
「美しい」と言われて「美しい」と気づく。この呼応のなんと自然で、力強く、美しいことか。「メアリーのまなざしによって/わたしは美しいものとして地上に現れた」を、私は何度も何度も読み返してしまう。
何かが「出現」するとき、そこには必ず「呼応」があるのだ。人は探しているもの(既に知っているもの)しか見つけることができないし、既に知っているもの(探しているもの)は必ず現われる。そして、現われたものは、単に現われるだけではなく、その存在を呼び出したものを、この世に「現わす」のだ。
プレシオサウルスの骨格(化石)はメアリー・アニングによって発見されたが、発見されることでプレシオサウルスはメアリー・アニングをこの世界に存在させたのだ。メアリー・アニングとメアリー・アニングは、幸福な「一体」となって、この世界に、もう一度生まれ直したのである。「再び」はプレシオサウルスを超えてメアリー・アニングにもつながっていくのだ。
これは「現在形」である。「現在進行形」である。
「いまにも」から「再び地上に現れた」までは、形式的には「過去形」で書かれているが、よく読むといい。
「はっきりと思いだせる」は「現在形」である。そして「なんて美しい骨格!」「わたしは美しいものだったのか」という「思い」も「現在形」である。
「いちばん新しい記憶」ということでいえば、もしかすると、メアリーの「なんて美しい骨格!」の方が「あたらしい」記憶かもしれない。時系列的には。しかし、そういう揚げ足取り的な指摘を跳ね返す力がこの部分にはある。それは、この部分が「現在形」で動いているからだ。「はっきりと思いだした」ではなく「思いだせる」。「思いだす」とき、それは、いつでも「現在」なのだ。
そうなのだ。
この詩は、プレシオサウルスのことを書いているが、そしてその基本は「過去形」なのだが、その「過去」のなかに「現在形」が動くところが、ことばとしてとても強い。
「むかしむかし」の連を振り返るだけでわかる。「朽ち果てていった」ということばにたどりつくまでは、「身を任せる」「分解され(る)」と「現在形」であり、「果てしなく重なり」「浸透してゆく」も「現在形」である。もちろんこれは単に日本語の日常的な文法にしたがった動詞のつかい方とも言えるのだが、だれもがこんなふうに書くわけではない。浦の「意識」が正確に描き出さなければならないものをつかみ取っているから、こういう文体になるのである。現在形は、メアリー・アニングという「過去」の人物を、いま、ここに現在形として出現させるかたちでつかわれる。
そして。
詩は、このあとプレシオサウルスからメアリー・アニングへの呼びかけになる。目覚めを提供してくれたメアリー・アニングに、さあ、眠ろうと呼びかける。ここにも呼応がある。なつかしく、やさしい呼応だ。
他の詩もすばらしいが、私は、この「海鳴り」がいちばん好き。
昨年のいまごろ、ある詩集に感心して、その詩集がH賞にふさわしいと書いたが、受賞作は違った。ここでまた浦のこの詩集こそ賞に値する傑作と書くと、再び、賞が逃げていくかもしれない。でも、書いておきたい。とてもいい詩集だ。
「海鳴り」ではプレシオサウルスとメアリー・アニングが一体になっている。その一体に浦自身も重なり、さらに一体になっている。他の作品でも、浦は「主人公」と一体になっている。だれかと(自分以外の人間、存在)と一体になるためにことばを動かしている。浦にとってことばとは「他者」になるための方法なのだ。
明確で、揺るぎがなく、美しい。
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