詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ひどすぎる。

2020-04-30 15:59:45 | 自民党憲法改正草案を読む


2020年04月29日の参議院予算委員会。https://twitter.com/i/status/1255424764153298946

森議員「そんなに検査してますか?この国の国民は一体どのくらい感染してるんですか」
この質問に、安倍が答えられない。

ひどすぎる。
国民が何人感染しているか、毎日、新聞などで報道されている。
端数は正確に言えなくても、1万人を超えているとか、1万5000人近くだとか、2万人目前だとか、それくらいのことは多くの人が知っている。(4月30日現在は1万5000人)
自分の住んでいる地域のだいたいの感染者数も知っている。
ところが安倍は知らない。
それなのに、いろんな指示だけは出そうとしている。
(方針を決めるに当たっては、専門家会議の意見を聞いているというが、聞いているならおおよその数字は言えるはずなのに、言えない。)
いったい、全国の知事で、自分の自治体の感染者の数、数字の変化の状況を知らない人間がいるだろうか。
安倍のやっていることは、「ぼくちゃんがいちばん偉い。だから、どんな指示でも出せるんだ」と自慢するだけだ。
「非常事態宣言」も「休校」も、全部、ぼくちゃんが決めた、偉いんだ。
でも、非常事態宣言や休校の影響で、休業に追い込まれひとの暮らしは、どうなろうと気にしない。休業補償は、ぼくちゃんの責任じゃない。休業を要請した自治体の責任、と知らん顔をしている。

問題は、それだけではない。予算委員会なので、そこにいるのは安倍と森だけではない。閣僚がいて、官僚もいる。
だれか感染者数の知っている人がいれば安倍に助言できる。だれも助言しない。だれも知らないのだ。
よく官僚が、答弁する大臣に「メモ」を渡したりするが、メモを渡す人さえいない。
安倍は、補佐する官僚から文書を見せられて、「ここに、その質問は書いてない」と答えている。これは「官僚が答えを書いてくれていないから、ぼくちゃん答えられない」と言っているのに等しい。

そして、このおそろしい「事実」は、安倍が、毎朝「きのうの感染者、死者」というのような基本的な事実さえ、だれとも共有せずにいるということを教えてくれる。
そばにいる麻生も、菅も、ぽかーんとしている。(ように、見える。)
それとも水面下では、安倍を見切った動きがあって、麻生も菅も、安倍がどれだけ困ろうが知ったことではないと決め込んでいるのか。
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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(44)

2020-04-30 15:57:12 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (時が大ゆれにゆれているときがある)

霙がふっている街はずれの
一軒の家は何年も空家になっている

 そこでは「時」がとまっている。揺れていない。
 嵯峨の「時」が激しく揺れているから、止まっているものが見えるのだろう。「空家」は死を象徴しているかもしれない。世界に存在する客観的な「時」ではなく、個人の「固有の時」が動かなくなったときが死であるなら。
 いまの時代なら、嵯峨は「街はずれ」ではなく、街の真ん中に「空家」を置いたかもしれない。「街はずれ」では、死の寂しさが先行してしまう。衝撃がない。抒情になってしまう。抒情が嵯峨の世界ではあるけれど。





*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
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どさくさ紛れ

2020-04-30 09:24:22 | 自民党憲法改正草案を読む
どさくさ紛れ
       自民党憲法改正草案を読む/番外343(情報の読み方)

 2020年04月30日の読売新聞( 西部版・14版) の1面に、

9月入学 首相検討

 という見出しがある。全国知事会議などで、そういう意見が出てきたことを踏まえたものだ。内容は、その通りなのだが、とても気になる。
 学校が休校で、授業に支障が出ていることはわかるが。
 そう思っていたら、たぶん私と同じように違和感をおぼえる人がいるらしく、2面に再度記事があり(見出しは「9月入学 社会に広く影響/入試・採用・会計年度」)、末尾にこう書いてある。
 小池・東京都知事が9月入学を提唱したのに対し、大阪、神奈川の知事も賛同し、埼玉知事は社会全体の連動が必要と訴えた。一方、

他の知事からは「どさくさ紛れに導入すべきではない」といった声もあった。

 この知事の名前は書いていないが、彼だけが「まとも」に思える。
 なんでもそうだが、急いでしなければならないことがある一方、急いでいるからといって「どさくさ紛れ」でやってはいけないことがある。
 安倍も小池も「どさくさ」を利用している。
 コロナ問題で東京五輪を延期したのはいいが、「どさくさ紛れ」に「1年延期(来年開催)」を決めてしまっている。まだ、何の見通しも立っていないのに、である。そのことを批判している余裕は、世間にはない。自分のいのちのことが気になるからである。
 年金支給75歳開始、種子法も、そうである。時間をかけて検討しないといけないのに、時間をかけない。その一方で、ほんとうにすぐに実行しなければならない休業補償問題はあとまわし。10万円支給も、やっと決まりそう。

 安倍は、コロナ感染を「危機」とは感じていなくて、チャンスととらえているのだろう。何のチャンスか。「緊急事態事項」を憲法に盛り込む、憲法を改正し、独裁を確立するチャンスと考えているのだ。
 小池も、ただ都知事選を前にして、ひたすらコロナ問題を利用することを考えているとしか思えない。

 休校が長引いていることに対しては、まず、この長い休校をどうするのか、その「指針」を策定することの方が先だろう。対応を「現場」に丸投げしておいて、「9月入学」にすれば問題が解決すると考えるのはおかしい。だいたい9月までにコロナが終息する保証など、どこにもない。さらに悪化するかもしれないに、「9月入学」にしてしまえば、何かやった気持ちになると思えるらしい。
 小学生から大学生まで、教育を受ける権利をもっている人間を放り出して、あれこれ考える前に、いま、何をすべきなのか、それを考えないといけない。一部の大学では、学生支援に金を出すところもある。そういうことを大学まかせにするのではなく、国が制度化しないといけないだろう。やることの順序が逆だ。






#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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Estoy loco por espana(番外篇50)

2020-04-30 06:50:19 | estoy loco por espana
Joaquinの作品


新型コロナウィルス。スペインの「隔離期間」が終わる。


長い夜が明けた
一羽の鳥が飛び立つ
羽ばたきの中から、一羽の鳥が生まれる
その羽ばたきの中から、また一羽の鳥が生まれる
よろこびの羽音が広がって行く
新しい空に、
君の上に広がる空に


Al final del período de cuarentena.

Amanecer, se acabó la larga noche,
Un pájaro despega
De sus alas batientes, un pájaro nace.
De ese aleteo, nace otro pájaro.

El sonido de la felicidad se extiende
En el cielo nuevo
En el cielo sobre ti

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(44)

2020-04-29 22:26:08 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (ぼくにとっての美は)

あるときは足早に去っていくが
夜はぼくの傍らにきて眠る

 このとき、「ぼく」は起きているのか。眠っているのか。眠っているのだろう。
 そうすると、「ぼく」と「美」の区別はないことになる。
 「無意識のぼく」が「美」である。
 嵯峨が何歳のときに書いた詩なのかわからないが、ここには詩人の特権としてのナルシズムがある。



*

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「第二波」?

2020-04-29 22:08:36 | 自民党憲法改正草案を読む
朝日新聞デジタル版に、以下の見出しの記事がある。
https://www.asahi.com/articles/ASN4X5V9PN4WULBJ00X.html?fbclid=IwAR3gaePPEamKkPa1BL5lvNBDHkqyFrQWWbv-PmPQ3mO_BegcNNHzPa-GVGk
「国内のコロナ、武漢ではなく欧州から伝播? 感染研調べ」
(記事の引用は省略する)

これを読んで私が考えたこと。

こういう判断をできるほど、日本は検体を持っているのか。
いつ、それを採取したのか。
(第一波と第二波の「検体」の数は、それぞれいくつなのか。記事には、合計数しか書いていない。)
当初から国立感染症研究所の情報独占、情報支配が指摘されていたが、この問題もコロナの実体と同様に解明されなければいけない。
つまり、ここに書かれていることを「情報操作」という点から見つめなおすと、次のことが指摘できる。
①国立感染症研究所は、初動の対策には成功した。
②しかし、第二波が押し寄せたために感染が拡大した。
③4月からの感染拡大は、初動の対策とは関係がない。(つまり、現在の感染拡大に国立感染症研究所は関係がない。=無実である)
しかし、この三段論法は、おかしい。
もっと別の「情報操作」も加わっている。
①オリンピック開催のために、感染者数をおさえておく必要がある。
②オリンピック開催が延期になったから、感染者は増やしてもいい。しかし、増やすとき、その理由付けからオリンピック開催を除外する必要がある。
③武漢で発生したウィルスと、ヨーロッパで広がっているウィルスの型が違う(変異した)という説がある。これを利用して、「第一波」「第二波」説をとなえる。
この「第二の三段論法」の影には、国立感染症研究所だけではなく、安倍の「意図」も絡んでいる。
かんぐれば、国立感染症研究所が安倍に「忖度」して、「第一波」「第二波」説をつくりあげたことにある。
「科学的事実」もまた「人為的事実」を背後にもっている。

こう考えてみれば、わかりやすいかもしれない。
「第一波」を封じ込めることに成功したのなら、なぜ「第二波」の封じ込めができなかったか、という問題が起きる。
中国も韓国も「第一波」と苦闘した後、その経験を生かし「第二波」を封じ込めている。
日本は、そもそも「第一波」の封じ込めに失敗している。封じ込めの実績がない。だから「第二波」にのみこまれている。
ちょっと冷静に、隣国と比較するだけでそのことがわかる。

日本のコロナ対策は、最初から「人為的」だったということを思い起こす必要がある。
「科学的分析」だからといって、すべてが「科学的」とは言えない。
新聞記者は、そのあたりにも目を向けないといけない。
ただ発表されるままに報道すればいいというものではない。
この記事はたぶん科学部の記者が、国立感染症研究所からレクチャーを受けて書いたのだろうが、こういう大きな問題は、同時に「政治部」「社会部」も加わって分析し、報道する必要があると思う。
「科学的分析」(科学記事)だから科学部まかせでいい、というものではないだろう。
最初に書いたように、「日本の検体は、いったいいくつあるのか」(分析の分母数はどうなっているのか)と質問するだけでも、公表された「情報」への見方が違ってくるのではないか。

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2020年04月28日(火曜日)

2020-04-28 10:30:31 | 考える日記
2020年04月28日(火曜日)

鴎外『伊沢蘭軒』を読む。読むというより、眺める。漢文が読めないので、引用してある詩や手紙、日記(?)がわからない。
 しかし、引き込まれる。
 鴎外は原文に句読点を付け加えている。つまり、句読点の存在によって、鴎外が単に資料をコピーしているのではなく、きちんと読んで引用しているということがわかる。句読点に、鴎外の誠実さ(正直)があらわれている。
 人を引き込む力とは、正直なのだとあらためて実感する。

 なぜ鴎外は、伊沢蘭軒を書こうとしたのか。伊沢への批評が、そのまま鴎外の仕事をあらわしている。こう書いている。

 新邦の興隆を謀(はか)ののも人間の一事業である。古典の保存を謀るのも亦人間の一事業である。

 「古典」ということばが強く、重い。古典には天にのびる幹と枝、葉がある一方、その巨体を支える根のひろがりがある。鴎外が古典と呼んでいるのは、根のひろがりの方である。根が死ななければ、木は生きる。蘇る。

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(43)

2020-04-28 10:07:30 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (ぼくにとっての美は)


時がぼくのなかに眠りこんだときに現われる

 「眠りこむ」を「動かなくなる」と言い直せば、時がとまったとき、美が現われる。この「とまった」をさらに言い直せば「時」が「なくなる」かもしれない。「時」は動いていてこそ「時」だ。

 「美」は「時」を超越している、ということかもしれない。


*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(42)

2020-04-27 17:01:21 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (第三者が二人に近づいてきたが気づかずに通りすぎた)

そのまま丘の向こうへ消えていった
どこでも人生のくりかえしがある

 「第三者」とはだれだろうか。
 嵯峨である、と私は読む。二人がいっしょにいた。それは貴重な時間なのに、その貴重さに気づかずに、その時間と場所を通りすぎてしまった。
 過去の、あるとき、ある場所を思い出している。
 だから「通りすぎた」「消えていった」と過去形で書かれる。そして、過去形で書くことで、過去を思い出している。

*

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マスク、マスク、マスク

2020-04-27 10:46:49 | 自民党憲法改正草案を読む
マスク、マスク、マスク
       自民党憲法改正草案を読む/番外342(情報の読み方)

 2020年04月27日の読売新聞(西部版・14版)の3面。新型コロナをめぐるニュース。世界中でマスクの争奪戦が起きているという。その世界の動きと関連して、日本のことを書いている。

日本 国内生産広がる/秋には月8億枚

 記事には、こう書いてある。

(日本衛生材料工業連合会)会長の高原豪久ユニ・チャーム社長は、業界全体で今秋に8億枚の生産が可能になるとの考えを示している。

 ふーん。私は、ちょっと息をついてしまう。たしか安倍は2月末のやらせ記者会見で、記者にマスクのことを問わせて、自慢げに「3月には6億枚供給できる」と言っていた。なぜ、自慢げに言ったかというと、その直前にあったアメリカの公聴会(?)でこんなやりとりがあったからだ。議長「国内にマスクは何枚あるか」、担当者「2000万枚ある」、議長「充分な量か。何枚必要なのか」、担当者「1億枚」。これを見た人は何人いるか知らないが、安倍に入れ知恵をした今井だか和泉だかは、もし「6億枚で足りるのか」と再質問されたら、アメリカではこう言っていると言えばいいと助言したのだろう。アメリカをはるかに上回る供給量だ。しかし、そのとき書いたのだが、6億枚を日本人に配ると、1人に6枚も行き渡らない。使い捨てなら1週間ももたない。何も考えずに、ただ、そう言ったのだろう。それが証拠に、スーパーや薬局、コンビニには、いつ言ってもマスクがない。

 脱線した。脱線するしかないほど、私の「ふーん」と深かった。ため息だったのだ。なぜ、ため息が出たか。
 8億枚の前に、こんなことが書いてある。(私が箇条書きに、抜き出した。)

①ユニ・チャーム 5月中に月1億枚の供給をめざす
②シャープ(3月から製造) 当面1日15万枚生産しネット販売する(月450万枚)
③パナソニック 5月末をめどに従業員向けに生産(枚数不明、たぶん市販されない)
④アイリスオーヤマ 6月から月1億5000万枚
⑤王子ホールディングス 6月下旬から月2000万枚。

 製造開始がばらばらなのだが、6月末には全部そろったと仮定して、
 ①+②+④+⑤で、何枚? 約3億1500万枚。
 たぶん、秋までにはもっと生産が増えるはずだ。だが、増えないと仮定しても、さらに充分に生産ができないと仮定しても、
 8億枚-3億枚=5億枚
 「3月末に6億枚」なんて、最初からうそじゃないか。3月中に6億枚なら、秋には6億枚+3億枚=9億枚にならないとおかしい。他の企業が参入してくることを考えれば10億枚ぐらいにならないとおかしいだろう。金もうけのチャンスに、参入して来ない企業がないと考える方がおかしいだろう。

 私の書いていることは、ささいな、どうでもいいことかもしれないが、こういうささいなところに「事実」というものがある。
 マスク騒動では、安倍が朝日新聞の記者に「朝日の通販サイトでは高額で売っている」とかみつくということがあった。安倍が全国に配ることにした布マスクについて問われたときだ。しかし、朝日の通販サイトの商品は、泉大津市の業者が地域再生の一環として取り組んだ「高級品」であり、「高額」に値する商品だった。
 この話には、まだまだ「おまけ」がついていて、安倍の配ったマスクには黴がついていたり髪の毛が混入しているという不良品だった。そのため回収し、配布を中止するということが起きている。
 さらにマスク受注業者は最初は「4社」と発表されたのに、公表されたのは「3社」、しかも受注額も予算を大きく下回っていることが明らかになっている。

 私が今回指摘した「月8億枚」の問題は、予算が絡むわけでも、安全衛生の問題がからむわけでもない。だからきっと誰も問題にしない。だからこそ、私は書いておくのだ。「発覚したうそ」の影に、「発覚しないうそ」が無数にあるはずだ。マスクは「高額」といっても、少し節約すれば買える値段であり、ふつうのマスクは使い捨てにされることが多い。だから見過ごされてしまうかもしれないが、そういうものでも数が重なれば大きくなる。小さいことを見逃してはいけないのだ。
 布マスク配布を提案しただれかは、安倍に「マスク2枚をぱーっと配れば国民は安心する」と言ったらしいが、たしかに具体的な「もの」には人を説得する力がある。だからこそ、その「もの」の背後にあるものを、きちんと認識しないといけない。
 つまり、どこまでもどこまでも、「具体的」につかみ取らないといけない。私はあるひとから「論理的」と言われたことがあるが、わたしは「論理的」ではなく「具体的」なのだ。「具体的」なもの、自分で「具体的にわかる」ことしか信じないのだ。自分で言い直せることしか信じない人間なのだ。
 「3月中にマスク6億枚供給できるは、うそだった」という指摘は「無意味」だろうが、私は「無意味」にこそ「意味」に変えたいと思っている。
 「詩」というのは、「無意味」につまずいて、意識が目覚める瞬間のことだからね。

 いま、ここに一枚のマスクがある。そのとき、そのマスクから、どれだけ具体的なことを自分のことばで言えるか。そういうことが、いつでも問題なのだ。






#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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自宅療養中に急変し死亡相次ぐ 東京都内 新型コロナ(再録)

2020-04-26 17:42:43 | 自民党憲法改正草案を読む
自宅療養中に急変し死亡相次ぐ 東京都内 新型コロナ

今月、東京都内で微熱などとして自宅療養していた80代の男性2人が相次いで倒れて死亡したあと、新型コロナウイルスに感染していたことが捜査関係者などへの取材でわかりました。このうち1人は症状が改善しないため病院に向かう途中で倒れたということで、専門家は「症状が急激に悪化することを示したもので、常に先を見据えた処置を取る必要がある」と指摘しています。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200425/k10012405741000.html?fbclid=IwAR3NOThtH8ECm76wH6NkzMIpLE0n-rGThOWmonMpSwWd96fYMfCkD39RzDY

↑↑↑

これと類似の情報は中国・武漢でも報告されている。
路上で突然倒れ、死んでしまう。そういう映像が何度もネットにアップされている。
そういう「情報」を共有しようとして、あるサイトにシェアしたら「不確かな情報」「不安を煽る」という理由で削除されたことがある。
しかし、日本でも、同じことが起きている。
新型コロナに感染すると、突然、死んでしまうこともあるのだ。
病院へ歩いていく途中で倒れて死んでしまうこともあるのだ。
日本は、武漢のピーク時に近づいてきている。いや、そうなっている、ということか。
自分を守る方法が、他人と接触しないこと、だけというのは非常につらい。
「変だと思ったら、すぐ病院にきてください。検査し、陽性なら、すぐ入院してください」という体制をつくるのが、国(政治)の責任だ。
そういうことをしていたら「医療崩壊」が起きる、という人(医療関係者)がいるが、病院へたどりつく前に、国民が「健康崩壊」をして、路上で死んでいるのだ。
国民を路上で死なせておいて、「医療崩壊」を訴えるというのは、どう考えてもおかしい。
「医療崩壊」を起こさせない方法は、感染者が病院で受診しないこと、以外にもあるはずだ。
一方、国民の「健康崩壊(死ぬかもしれない)」は、病院へ行くしかないのである。
路上で死んでいく人も、「救えるかもしれないのに、救えなくなる人」なのだ。
早く中国のように病棟を造れ、
早く韓国のように検査を徹底しろ。
マスクを配っている段階はもうすぎている。
マスクがなければタオルでもハンカチでも代用できる。
でも、病棟は、国民の「手作り」というわけにはいかない。
検査も、国民が「手作り」でできるものではない。
国民が自分でできることは国民に任せて、国は国にしかできないことを、もっと手早くやれ。
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象徴的なニュース

2020-04-26 17:38:12 | 自民党憲法改正草案を読む
新型コロナウイルスによる院内感染が起きている北海道がんセンターがNHKの取材に応じ、感染経路がわからないことから、すべての患者と職員600人以上の誰もが感染している可能性があると想定して検査を急いでいることを明らかにしました。
(https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20200425/7000020547.html?fbclid=IwAR3K32kZ-DZbwqpH8Db2DSiG0bf_sYuXWNxKwwVQbv1ZMgvcnr79Y1FaTow)

↑↑↑
NHK北海道 NEWS WEB

このニュースは、きわめて象徴的だ。
コロナウィルス感染が問題になったとき、まっさきに言われたのが、「症状が軽い人がほとんどだ。そういう人が受診に殺到すると、救えるいのちも救えなくなる。医療崩壊が起きる」だった。北海道のがんセンターのように、治療の最先端の場の治療が行えなくなる、ということだった。
ところが、その最先端の場が、コロナ感染に苦悩している。
何が失敗だったのか。
最先端医療の現場が対象としている病気が「感染症」ではないのに対し、新型コロナは感染症だということだ。
人から人へ感染していく。病気は「個人」のなかで完結しない。
最先端医療と呼ばれる現場が「得意」としているのは、あくまで「個人限定」の病気である。そういう病気を救うには、たしかに特別な治療かいる。そういう治療ができなくなることは困った問題だ。
感染症は、「個人」で完結しない。死んでも終わりではない。死んだ人に触れる機会がある人は感染するかもしれない。しかし、触れて問題になるのは「死者」ではなく、そこにあるウィルス。しかも目に見えない。
そういう単純なことを見落としたのだ。
感染症の問題は「個人」で完結しない。ひとからひとへ、社会へと広がっていく。
病気で苦しむのは「個人」なのに、「個人」では完結しない問題が、どこまでもひろがっていく。
「医療崩壊」の前に、国民の「健康崩壊」があり、「ほうっておいても治る人が多い。そういう人のために、高額の治療費を払ってくれる人を犠牲にはできない」という経済優先の「医療倫理崩壊」があったのだ。
「からだに異変を感じたら、すぐにきてください。いっしょに病気と闘いましょう」という国民が信じている「医療倫理」が崩壊していて、「感染症対策」が手抜きになってしまった。
感染症が発生したら、すぐに隔離する。病院が足りないなら建設する。感染者を早く発見するために検査を徹底する。
そういうところに金をつぎ込んでいたら、こんなことにはならなかったと思う。
すべては「初動」のミスだ。
初動のミスが拡大し、日本を覆っている。
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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(41)

2020-04-26 16:13:42 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
                         2020年04月26日(日曜日)

* (愛よ)

ぼくらの寝所へひっそりと素裸でやってきて
一時に熟れてしまう

 「愛」は抽象的である。「素裸」「熟れる」は具体的である。
 あらゆるものは「熱」によって熟れる。「冷やす」と熟れない。
 そして、「熟れる」は「時間」を必要とするが、この詩では「一時に」と時間を欠いている。
 「情熱」という「熱」が時間そのものを焼き尽くすのだ。
 しかし焼尽派のバタイユなら「ひっそり」とは書かなかっただろう。

*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(40)

2020-04-25 10:26:00 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (どうしてぼくは荒野と人間とを忘れたいのか)

その二つのものはぼくには関りがない
空気のように 光のように存在じたいそれだけで充分だ

 「忘れたい」は「忘れたいけれど、忘れられない」だろう。この「忘れたいけれど、忘れられない」は「関わる」という動詞で言い直される。「関わる」には自分の方から関わるというのと、他者が関わってくるという二つのあり方がある。その両方とも断ち切らないと「関わる」という動詞は残ってしまう。
 「関わる」の反対の動詞は「孤立する」かもしれない。この詩には「孤立する」ということばはないが「存在じたい」ということばがある。そして、それは「充分」ということばで言い直される。「自己完結」ということを言いたいのだろう。
 しかし、「空気」「光」ははたして「関わる」という動詞とは無関係なものか。「自己完結」しているか。むしろ、常に「他者」と「関わる」のが「空気」「光」だ。
 「関わる」、つまり「広がる」のではなく、「空気」「光」のように「透明」なものとして、「自己完結」したいという欲望が書かれているのだろう。


*

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粕谷栄市「にぎりめしのはなし」、谷川俊太郎「ほん」

2020-04-24 18:02:07 | 詩(雑誌・同人誌)
粕谷栄市「にぎりめしのはなし」、谷川俊太郎「ほん」(「森羅」22、2020年05月09日発行)

 粕谷栄市「にぎりめしのはなし」は、いつものように「終わらない」。と、いうか、同じことを繰りかえしている。

 毎日、苦しいことばかりあって、悩みぬいたあげく、
弱り果てて、ある日、とうとう、私は、死んでしまった。
 死んだ私については、一切が、それで終わりだ。この
ことは、それで、何もかも、決着がついたはずだった。
 だが、そうはならなかった。もちろん、誰も、それを
信じることはなかったが、面倒なことに、死んだ私が、
そこに出てきて、そうではないといいはじめた。

 なぜ、終わらないか。どんなことでも「語る」ことができるからだ。死んだら人間は何も語らないが、「ことば」は「死んだ人間が語る」と語ることができる。「ことば」に語ることができないことはないのだ。
 しかし。
 何でも語ることができるはずの「ことば」なのに、ひとつ「苦手」なことがある。自分の言いたいことを、言いたいように、つまり相手に納得してもらうように語るということはむずかしい。
 なぜか。
 「相手」がいるからだ。ひとはそれぞれ「ことば」に対する「自己流の意味」をもっている。それが重なり合わないと、何を言っているかわからない、ということが起きる。
 さらに、「意味」というものは、ある点では「でたらめ」であって、どんなふうに書いても「意味」になる。つまり「意味」から逃れることはできない。だからこそ、「でたらめ」が書けるということである。「でたらめ」を書いても「意味」として受け止められてしまうということも起きる。予期しない「誤解」だ。
 だから(と書くと、飛躍があるか)……。
 「意味」が詩を支えている、「意味」が読者を詩の世界へ引っ張っていく、というのは、間違っている。詩を支えているのは「意味」ではなくて、「意味」にならないものだ。

 では、何か。

 粕谷の場合、「リズム」である。読点の多い文体である。

 毎日、苦しいことばかりあって、悩みぬいたあげく、
弱り果てて、ある日、とうとう、私は、死んでしまった。

 「読点」の区切り、そこに閉じこめられた「ことば」は、それだけでは「わからない」ものが何一つない。「わかる」ことばを区切りながら、次の「わかる」ことばへとつなげていく。この「リズム」が大切なのだ。
 「リズム」を守りながら、「ことば」を少しずつ変えていく。そうすると「ことば」の変化が(意味の変化)が「リズム」によって統一されているように感じられ、「意味の飛躍」が消えていく。「意味」は常識的に見れば「非現実」なのだが、「リズム」が現実的なので、「意味」を現実的と錯覚してしまう。「意味」が連続していると感じてしまう。「リズム」しか連続していないのに、である。「持続するリズム」と言い得ることができるかもしれない。

 で。

 とても奇妙なことなのだが、この「持続するリズム」は単なるリズムを超えて、「持続するリズム」という「新しいリズム」にもなるのだ。読点で「ばらばら」にされてるはずなのに、「持続」がリズムになって、ことばをずらしていく。「意味」をずらしていく。この詩の場合、最後の部分の前に一行空きがあって、そこから「リズム」が微妙に変化する。

 だが、そうではなかった。もう一つ、その後のことが
あるのだ。その日、路地裏の空き地で、その死んだ私が、
木箱に腰かけて、にぎりめしを食っていたという。
 何だか、ばかに淋しそうだったらしい。根も葉もない
でたらめの世間で死んだ私のことだ。かなしいが、どう
でもいいことだ。
 しかし、誰もが、最後は、死ぬからであろうか。なぜ
か、自分のことのように、それが、気になって、誰もが、
いつまでも、そのにぎりめしのことが忘れられないとい
うはなしだ。

 「にぎりめし」という具体的な「ことば」が、強い粘着力になって「持続」に加担している。それまでの「ことば(意味)」を分断するはずの「にぎりめし」が接着剤になって、「さびしい」「かなしい」を引き寄せる。
 そこが、とてもおもしろかった。



 谷川俊太郎「ほん」の三連目。

はじめてかいた
じは
ねとこ
ねこだった
かたちがねこみたいで

 へーっ、と思った。私は、そんなふうに「じ(ひらがな)」を感じたことがない。たしかに「じ」に形はあるが、わたしはそれを形と感じたことがなかった。
 これはたとえばアラビア文字やベトナムの不思議な文字、ハングルでも同じ。私はそれらを読めないが、それは「形」が識別できないから読めないのではなく、音が聞こえないから、その結果として「形」が見えない。
 単純に、驚いた。驚きで、その部分だけが印象に残っている。
 「ほん(本)」も谷川にとっては「かたち」なんだろうなあ。
 私にとっては、本は、「音」がつまった何かである。だからというと変だけれど、さまざまな本の形というのが苦手。いわゆる「全集本」で「かたち(文字の大きさ)」を気にせずに読むのが好きだなあ。
 また、脱線してしまった。






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