詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

斎藤茂吉『万葉秀歌』(10)

2022-10-31 18:56:23 | 斎藤茂吉・万葉秀歌

斎藤茂吉『万葉秀歌』(10)(岩波書店、1980年、06月25日、第58刷発行)

み吉野の山のあらしの寒けくにはたや今夜も我がひとり寝む        作者不詳

 いろいろなことを言っていない。欲張っていない。それが美しい。そのなかにあって「我がひとり寝む」の「我が」が印象的。「我が」はなくても意味は同じだが、「我が」があることで「ひとり」が強調される。

うらさぶる情さまねしひさかたの天の時雨の流らふ見れば          長田王

 「み吉野の」に雰囲気が似ている。とても素朴。いまの「短歌」はいろいろなことを一首にこめすぎているかもしれない。

秋山の樹の下がくり逝く水の吾こそ益さめ御思よりは            鏡王女

 結句に「御思よりは」と出てくるが、これは主語ではない。主語は「吾が思ひ」。でも「思ひ」を隠して「吾」とだけ言っている。隠されていた「思ひ」が結句で重なり合う感じが、ひそかでいいなあ。隠れていたものが、すーっとあわれてきて、寄り添う感じ。「樹の下がくり」とは、そういうことか、と納得する。

 

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Vicente Barbera Albalat 「TENGO LAS MANOS ROTAS DE QUERERTE 」

2022-10-31 13:53:41 | 詩(雑誌・同人誌)

Vicente Barbera Albalat 「TENGO LAS MANOS ROTAS DE QUERERTE 」(DESDE EL AND N, Ol  Libros,2022発行)

 Vicente Barbera Albalat 「TENGO LAS MANOS ROTAS DE QUERERTE 」のソネット。アンソロジーのなかの一篇。フェイスブックに掲載されていた。わからない単語がないので、意味がわかるかと思ったが、やっぱりつまずく。

Tengo las manos rotas de quererte 
y el corazon herido cuando veo
que toda la alegria que poseo 
desaparece si no puedo verte.

Al borde de la noche, al no tenerte,
aparecen mis miedos, mi locura,
y siempre esta conmigo tu dulzura 
en el vaiven continuo de mi muerte.

Ah, mi amor, si pudieras verme a solas 
navegando entre niebla, sin sentido, 
lejos de tu presencia, tan amada,

verias cuan agrestes son las olas:
que en un mar, aunque en calma, estoy hundido, 
y que esta noche, fria, es una espada.

あなたを愛するがゆえに、私の手は壊れた
私の心は傷ついた。私の味わった喜びは
あなたに会えなくなって、
すべて消えてしまったと知って。

あなたのいないこの夜の果から
恐怖と狂気が私を襲ってくる。そして
あなたの甘やかさがいつも私をつつんでくれる
死へつづく揺りかごのように。

愛しいお母さん、私が見えますか。
あなたから遠く離れて、
ひとりで霧の海をゆく、感覚を失った私が。

お母さん、この荒れた海が見えるでしょ?
たとえ海が凪いでも私は難破する。
夜は寒く冷たい刃で私を切りつける。

 「 mi muerte」ということばを手がかりに、「mi amor 」を母と読んでみた。
 スペイン語の詩は、あたりまえだけれど、韻を踏んでいる。「ABBA CDDC EFG EFG」という形。私の「訳」は、逐語訳ではなく、それぞれの行がもとの行に対応しているわけでもない。どっちにしろ「誤訳」なのだから、思い切って「脚韻」を試みればいいのかもしれないが、あまりにも難しい。
 だから、「雰囲気(私の誤解)」を優先して、ことばを動かした。「現実」からはじまり、しだいに「想像」の世界に動いていく。それがスペイン語では「動詞」の活用からわかるのだが、これは私が「頭」でわかっているつもりになっているだけで、「肉体」にしみこんでいないので、自然な日本語からは遠いものになった。
 母を失って、夜の海の底に難破している、というイメージがせつないと感じた。

 

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伯井誠司『ソネット集 附 訳詩集』

2022-10-30 22:53:58 | 詩集

 

 伯井誠司『ソネット集 附 訳詩集』はタイトルどおりソネットが集められている。4・4・3・3で構成された14行詩。「連」というか、「行」によってリズムをつくる。そのリズムが日本語のリズムに合致するかどうか、これが問題だと思う。
 「雨のころ」という作品の一連目。

しめらに雨のふるころは部屋の明かりを消せるまゝ
窓につきたる雨粒を細きまち針にて留めて、
色とりどりのまち針と雨のしづくのきらめきが
互ひに映り合ふさまを眺めき、壁にゐかゝりて。

 文語体。旧かな。それを支配するのは「音」ではなく、「文字」ということか。いや、「音」もある。七五調である。しかし、それはほんとうにリズムなのか。リズムには違いないが、なにか「人工的」な感じしかしない。「声」がリズムになって響くというよりも、文字が支配する何か。「音」よりも、人工的、という感じの方が先につたわってきてしまう。
  私は、そこに、非常に戸惑いを覚える。私の肉体のどこを探しても、その「音」を受け止めるための何かがない。さらに言えば、それを「声」にするのが、とても難しい。喉や舌をどう制御すればいいのかわからない。
  意味的には「細きまち針にて/留めて」だが「音」は「細きまち針/にて留めて」と句割れになってしまう。句割れは万葉集の時代からあるにはあるが、「人工的」な感じはない。貫いている「音」が強いからだろう。
 伯井の書く音はとても繊細だ。それは聞く音ではなく、「目で読む音」なのかもしれない。
 「細きまち針」が「色とりどりのまち針」に、「窓につきたる雨粒」が「雨のしづく」かわりながら「きらめき」「映り合ふ」と変化しながら、視覚を刺戟してくる。「眺める」という動詞がうるさいくらいに、目を意識させられる。
 これは、二連目で「うすく霞め」る色、「あはくガラスにゝじむ影」を経て、こう展開していく。

そのとき雨はあじさゐも、鉄の柵も、長いすも、
あらゆる部屋や病室も、牢屋も、橋もすべて青--
夢のやうなる夕方のかそけき青に染めにけり。

この世に赤や黄の残るところは、されば、ひとつきり--
壁にもたれて座りたるわれのひたひを照らしつゝ
色とりどりのまち針の影に染むその窓にざりける。

 まるく円を閉じるように「色とりどりのまち針」に戻ってきて、念押しのように「影」と「窓」で終わる。その窓は、窓ではあっても、外が見えるわけではない。「視覚」は内に、細部にとどまることによって、空想の「視覚」、空想の「網膜」になってしまう。
 目の悪い私には、なんとも苦しい。
 「音」が読みたい、「音」が聞きたい、という気持ちになる。目で音を聞くのはつらいなあ。
 「映画の帰り」

男はいつも恋人に優しけれども夜更けには
人を殺してまはりたり。女はかれを疑はず
愛したれども、警察ぞ男が罪を見出だせば
しつこくかれを追ひつめて屋根の上にて撃ち殺す。

さる筋書きの映画をば退屈気味に見しわれは
客の少なき劇場を出でたり。外は肌寒く、
すでに黄昏どきなりき。寂しき路地を抜けたれば、
通りにかゝりたる歩道橋をぞ昇りつる。

 ああ、まるで「無声映画」だ。それなのにスピード感がない。無声映画は、「声(肉体の動き)」を超えるスピード感が魅力なのに。「音」や「音楽」は、どこへ消えたのか、と私は疑問に思う。
 訳詩は、こんな具合だ。杜甫「春を望みて」。

かくこそ国はやぶれたれ、山と河とは残りたり。
城下の町は春めきて草木も深く茂れども、
世のありさまを思ふほど花に涙ぞこぼれおち、
辛き別れを恨みたる心は鳥に驚くよ。

 「意味」が「絵画化」されるのを感じる。「音」が時間を破って遠くへ行く感じがしない。やっぱり「国破れて山河あり」の方がいいなあ。技巧的になると、「音」が間延びする。
 ソネット集で覚えた違和感は、それが音楽的ではなく、絵画的だったことが原因だったかもしれない。
 私は、ふと思い立って、万葉集を読んでいるのだが、万葉には太い声の奥に、言い切れない世界の豊かさがあるが、伯井のことばは「絵画的」に豊かだが、装飾的で、表面的な感じがする。
 いま、生活でつかっている「生きている声」を、私は聞きたい。

 

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三木清「人生論ノート」から「嫉妬について」

2022-10-30 21:02:32 | 考える日記

読解はの方法を変えてみた。
(1)全文を読み通す。読めないことばは「なになに」と読んで、そのままつづける。わからないことばも、そのまま読み続ける。
(2)全文を読み終わったとあとで、わかったこと、考えたことを要約する。
(3)最初から、一段落ずつ読み直し、読めないことば、意味わからないことばの質疑・応答。
このとき、愛に関係することば、嫉妬に関係することば、愛と嫉妬の両方に関係することばを抜き書きしながら整理する。
(4)もう一度、(2)でやったように、考えたことをまとめる。

このあと、愛の反対のことば、「憎しみ」があるが、「憎しみ」と「嫉妬」はどう違うかを考えた。

*

読めない漢字や熟語がかなりあったのだが、最後まで読み、要約もできた。
「狡猾」は日本の高校生でも読めない人がいると思う。「術策」「詐術」も説明できる生徒は多いとは言えないだろう。
途中「特殊」を読めなくて、「特別」と読んだ。
あとで「特殊」と「特別」は似ている。全体の文脈のなかでは「特別」と読み替えても論理的には同じだと説明した。

5ページ強のテキストだが、作文の指導を含めて90分で済んでしまった。時間が余った。18歳のイタリア人。驚嘆の理解力。

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斎藤茂吉『万葉秀歌』(9)

2022-10-30 17:03:55 | 斎藤茂吉・万葉秀歌

斎藤茂吉『万葉秀歌』(9)(岩波書店、1980年、06月25日、第58刷発行)

引馬野ににほふ榛原いり乱り衣にほはせ旅のしるしに            長奥麿

 「榛原」は「萩原」(萩が咲き誇っている原)と茂吉は書いている。一方で「榛の木原」という説も紹介している。
 私はこの歌を読んだとき、私の故郷の小学生が作った自由律の俳句を思い出した。正確ではないが「山から帰った父 服が木の匂いする」というものである。同級生の父の、谷内茂という教師が俳句教育に熱心で、小学生に教えていた。何かの機会に、その句集のようなものを読んだのだが、忘れられない。山には山の、つまり木には木のにおいがある。それは服にしみつく。万葉の作者は、自分でにおいをしみこませているのだが、小学生の父はそういうことをしているわけではない。子どもが山のにおいに気がついた。そこには、なんともいえない、父親への愛情のようなものがある。父のことをいつも見ている視線がある。目だけではなく、全身で父をつかみとっている。それに感心した。
 万葉の歌は「にほふ」「にほはせ」と繰り返している。万葉には、こういう繰り返しが多いが、それが自然でとてもいいなあ、と感じる。「は行」の音の、不思議な透明感がにおいを明るくしている。

あられうつ安良礼松原住吉の弟日娘と見れど飽きかぬかも          長皇子

 「あられ」「安良礼」の繰り返しが、とてもおもしろい。「あられうつ」は造語と茂吉は書いている。日本語は、繰り返しが好きなのだと思う。音を繰り返すと「響き」が肉体に残る。「弟日娘(をとひをとめ)」も音が響きあう。

大和には鳴きてか来らむ呼子鳥象の中山呼びぞ越ゆなる          高市黒人

 「鳴きてか来らむ」と「中山」に、「鳴く/鳴かない」の交錯を感じるのは私だろうか。「鳴かない」という錯覚を起こす音があるからこそ「鳴く(鳴きてか来らむ)」の鳴くという動詞が非常に印象に残る。「呼子鳥」と「呼びぞ越ゆ」にも、不思議な呼応がある。万葉の人は、「耳(音)」でことばを動かしていたんだなあ、としきりに思う。

 

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Estoy loco por espana(番外篇226)Obra, Calo Carratalá y Lu Gorrizt

2022-10-29 18:35:19 | estoy loco por espana

Obra, Calo Carratalá
Interior . Baobab subiendo  la escalera , año 2020, grafito sobre papel

Obra, Lu Gorrizt
Blue saturday

¿En dónde ves el cuadro? Esto es una cuestión bastante difícil. Sólo miro cuadros en los museos (exposiciones). Sin embargo, también hay personas que poseen cuadros en privado y los ven en su casa. En estos casos, ¿cómo son los cuadros?

Muchos de los cuadros de Calo son de gran tamaño. Cuando vi sus cuadros en su exposición, me sorprendió la cantidad de espacio que atraían. Es muy difícil exponerlos y verlos en casa. Me pregunto qué haría con ellos. Sin embargo, recientemente los he visto expuestos en el interior. Esta vez, el cuadro está expuesto en la parte superior de la escalera. El árbol de Baobab. Hay una ventana a la derecha del cuadro, pero el cuadro parecía otra ventana. Pensé: Oh, más allá de ese muro (fuera de la casa) hay un bosque con un árbol baobab. Es la entrada a un espacio amplio. Pensé que seguramente podría ver el árbol baobab desde la ventana de la derecha. Si hubiera el Príncipito, podría decir: "Dios mío, debe haber varios elefantes para comer los baobabs".

La obra de Lu también es grande. Sin embargo, no es tan grande como el cuadro de Calo. No puedo tenerlo en mi casa, pero sí en una casa grande. Sus cuadros también crean espacio. Al exponer sus cuadros, la sala se amplía. Si no hubiera cuadros en las paredes, éstas estarían agobiadas y la habitación sería estrecha.

Sin embargo, sigo queriendo visitar el lugar y disfrutar del espacio, no de la foto. Las obras de los dos son cuadros que me hacen sentir así

絵をどこで見るか。これは、かなり難しい問題を抱えている。私はもっぱら美術館(展覧会)で絵を見る。しかし、個人で絵を所有し、自宅で見ている人もいる。そういうとき、絵は、どんなふうに見えるのか。

Caloの絵は、大きいものが多い。私は彼の絵を個展でみて、その絵が引き寄せる空間の大きさに驚いた。とても自宅に飾って見るのは難しい。どうするんだろう。しかし、最近、つづけて室内に飾ってあるのを見た。今回の絵は、階段をのぼったところに飾ってある。バオバブの木。その絵の右側には窓があるのだが、絵はもう一つの窓のように見えた。あ、あの壁の向こう(家の外側)にはバオバブの木がある森がある、と思った。それは広い空間への入り口なのだ。きっと右の窓からもバオバブの木が見えるに違いないと思った。星の王子様がいたら、たいへんだ、象が何頭もいないとバアバブの木を食べてしまうことができない、というかもしれない。

Luの絵も大きい。ただし、Caloの絵ほどは大きくない。私の家は無理だが、広い家なら飾ることができる。彼の絵もまた空間をつくりだす。絵を飾ることで室内が広くなる。壁に絵がなかったら、きっと壁に圧倒されて部屋が窮屈になる。

しかし、写真ではなく、やはりその場に行って、その空間を楽しみたい。二人の作品は、そういう気持ちにさせる絵である。

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Estoy loco por espana(番外篇225)Obra, Joaquín Lloréns

2022-10-29 17:38:59 | estoy loco por espana

Obra, Joaquín Llorens
T.Hierro Título.Silencio.2016
(Si no vas a decir algo más bonito que el silencio callate.  J.LL)


Estoy en silencio porque
Porque mi corazón está gritando fuerte.
Sólo oigo los gritos de mi corazón.
Las mismas palabras.
Una y otra vez.
Tanto que ya no puedo ni hablar.
Incluso cuando tú estás cerca.
Y cuando no estás cerca.
No escucho nada más.
Incluso cuando me tapo los oídos.
No importa lo alto que ponga la música.
Sólo oigo los gritos de mi corazón.
Incluso cuando tú estás cerca.
Y cuando no lo estás.
Estoy en silencio porque
Porque mi corazón está gritando fuerte.

私が黙っているのは、
心が大声で叫んでいるから。
私には、私の心の叫びしか聞こえない。
同じことばを
繰り返し繰り返し
何度も叫んでいる。
もう声か出ないくらいに。
君がそばにいるときも
君がそばにいないときも。
私には、もう何も聞こえない。
耳をふさいでも、
どんなに大きな音で音楽をかけても
私には、私の心の叫びしか聞こえない。
君がそばにいるときも、
君がそばにいないときも。
私が黙っているのは、
心が大声で叫んでいるから。

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斎藤茂吉『万葉秀歌』(8)

2022-10-29 14:42:55 | 斎藤茂吉・万葉秀歌

斎藤茂吉『万葉秀歌』(8)(岩波書店、1980年、06月25日、第58刷発行)

吾背子はいづく行くらむ奥つ藻の名張の山を今日か越ゆらむ       当麻麿の妻

 この歌にも「らむ・らむ」。とても軽快。「奥つ藻のは名張へかかる枕詞」と茂吉は書いている。枕詞には、つぎのことばを呼び出す力がある。(私は「奥つ藻の」と聞いても、名張を思い浮かべないが。)つまり、ここでは、ことばが自然な形で加速していると考えていい。それが「らむ・らむ」をいっそう軽快にしているだろう。今の私が感じる以上に。

ひむがしの野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ    柿本人麻呂

 「ひむがしの野にかぎろひの」は「ひむがしの野に・かぎろひの」と「句割れ」であると茂吉は指摘している。そうなのだろうけれど、「ひむがしの・野にかぎろひの」と読むと、「ひむがしの」で視線が東へ向く感じがする。その視線の先に「野」のひろがりがあり、「かぎろひ」があり、さらに「月」がある。
 視線が動いていく感じがひろびろとしていていいなあ、と思う。

日並の皇子の尊の馬並めて御猟立たしし時は来向ふ           柿本人麻呂

 万葉の人が現代人と同じ発音をしていたわけではないと思うが、万葉の「ま行」「な行」は、私にはとても美しく聞こえる。聞こえるというか、むしろ、声に出したくなる音といえばいいかもしれない。前半「み」の音が繰り返される。「み」のなかには「い」の音が含まれる。それが後半に増えてくる。この「い」の音も、きっと現代と違うだろうなあ。あいまいな「い」ではなく、唇を横に強く引いて、鋭い「い」。英語で言えば「it」の「い」ではなく、「eat 」の「い」。それが「時は来向ふ」の「き」、特に「来向ふ」の「き」を際立たせるように感じる。

 


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斎藤茂吉『万葉秀歌』(7)

2022-10-28 15:49:36 | 斎藤茂吉・万葉秀歌

斎藤茂吉『万葉秀歌』(7)(岩波書店、1980年、06月25日、第58刷発行)

ささなみの志賀の辛崎幸くあれど大宮人の船待ちかねつ         柿本人麻呂

 三句目、字余りなのに、字余りの感じがしない。「しがのからさき、さきくあれど」と「さき」が繰り返され、早口ことばかしり取りのようにのように「さき」の音がのみこまれていく。音の加速は、「ささなみ」の「さ」の重なりからはじまり、「さき・さき」で頂点に達するが、その加速する音を「ど」という濁音でおさえる感じもいいなあ。

山川もよりて奉ふる神ながらたぎつ河内に船出するかも         柿本人麻呂

 「か」の音が美しい。途中「が行」鼻濁音が、その音に陰影を与える。

英虞の浦に船乗りすらむをとめ等が珠裳の裾に潮満つらむか       柿本人麻呂

 「らむ・らむ」。よく読むと「らむ・ら・らむ」。いまなら「らん・ららん」という感じかなあ。音が弾む。「をとめ」の明るさが目に浮かぶ。最後の「か」は推測や疑問の「か」なんだろうけれど、「潮満つらむ」で終わると「む」の音が重い。「か」という音で解放されるところが、「ラン・ララン」の響きを引き立てている。
 私は、あえて「らん・ららん」と読んだけれど……万葉の「ま行」「な行」の音は、深く強く響いてくる。ゆったりしていて、豊かで、同時に、非常になめらかだ。私たちとは違う発音をしていたのかなあ。

 

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Estoy loco por espana(番外篇224)Obra, Joaquín Lloréns

2022-10-28 09:28:48 | estoy loco por espana

Obra,  Joaquín Lloréns
T. Hierro 72x18x20 S. AF

Las sombras reflejadas en las obras de arte despiertan la imaginación.
Parece un paisaje mental que la obra de arte lleva consigo.
Superpuesta al azul oscuro, la soledad de la obra es palpable.

Dibuja el espacio y revela suavemente el espacio dentro de la obra.
La obra respira espacio.

*

Se quedó en la ventana, mirando a lo lejos.
El aire del exterior se reflejaba en su cara, en su pecho desnudo.
La luz de la mañana cambia poco a poco.
Cuando se respira su frío resplandor.
Una noche cálida abandona tu cuerpo.
(Noche cálida, la describiría yo).

Me quedé en la ventana, mirando a lo lejos.
En su cara, en su pecho desnudo, se reflejaba el aire del exterior.
La luz de la mañana cambia poco a poco.
Al respirar su frío resplandor.
La noche solitaria abandona tu cuerpo.
(Noche solitaria, la describiría yo).

Me quedé en la ventana, mirando a lo lejos.
En su cara, en su pecho desnudo, se reflejaba el aire del exterior.
La luz de la mañana cambia poco a poco.
Al respirar su frío resplandor.
Una noche decidida deja su cuerpo.
(Una noche decidida, la describiría yo).

Me quedé en la ventana, mirando a lo lejos.
En su cara, en su pecho desnudo, se reflejaba el aire del exterior.
La luz de la mañana cambia poco a poco.
Al respirar su frío resplandor.
Tu noche sale de tu cuerpo.
(Su noche, es la única forma en que puedo describirla).

 

作品に映る物陰が、想像をかきたてる。
作品が抱え込んでいる心象風景のように見える。
暗い青と重なり、孤独がつたわってくる。

空間を引き寄せ、作品の中にある空間をそっと表に出す。
空間を呼吸する作品。


窓辺に立って、遠くを見ていた。
その顔に、その裸の胸に、外の空気が映っていた。
少しずつかわっていく朝の光。
その冷たい輝きを呼吸するとき、
君の体の中からあたたかい夜が出て行く。
(あたたかい夜、と私は描写したい)

窓辺に立って、遠くを見ていた。
その顔に、その裸の胸に、外の空気が映っていた。
少しずつかわっていく朝の光。
その冷たい輝きを呼吸するとき、
君の体の中から淋しかった夜が出て行く。
(淋しかった夜、と私は描写したい)

窓辺に立って、遠くを見ていた。
その顔に、その裸の胸に、外の空気が映っていた。
少しずつかわっていく朝の光。
その冷たい輝きを呼吸するとき、
君の体の中から決意を固めた夜が出て行く。
(決意を固めた夜、と私は描写したい)

窓辺に立って、遠くを見ていた。
その顔に、その裸の胸に、外の空気が映っていた。
少しずつかわっていく朝の光。
その冷たい輝きを呼吸するとき、
君の体の中から君の夜が出て行く。
(君の夜、としか私には描写できない)

 

 

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Estoy loco por espana(番外篇223)Obra, Jose Manuel Belmonte Cortes

2022-10-27 17:13:36 | estoy loco por espana

Obra, Jose Manuel Belmonte Cortesr
VENUS DE LA PALOMA

 ¿Sería extraño decir que hay un "sentido de la perspectiva" en este relieve?
 Pero, esta obra no sólo tiene una "tridimensionalidad" sino también una "perspectiva". Esto se puede sentir, por ejemplo, en los pechos de la mujer. El pecho en primer plano tiene una forma redonda y un volumen que da ganas de tocarlo. Y el pezón de la izquierda, que se vislumbra más allá. Esta visión es diferente de la sensación que me siento cuando  lo miro a una estatua desnudo femenino. Este relieve despierta mi deseo de "ver el otro lado". Esta sensación de que "existe el otro lado" (hay una distancia) es lo que yo llamo "perspectiva".
 Y este "hay más allá" se hace aún más fuerte cuando miro a una paloma. La paloma no está directamente encima (delante) de la mujer. El pico puede estar directamente encima (delante) de los labios de la mujer, pero todo el cuerpo de la paloma está "lejos". Para decirlo de nuevo, podo ver que la paloma ha volado desde lejos y su pico está ahora justo encima de los labios. El pico está en los labios, las patas en la base del cuello y la cola en los hombros. Estos movimientos en la obra crean un "espacio tridimensional" en el relieve.
 Uuuuum.
 En el momento en que siento que esta obra tiene "espacio", tengo la ilusión de que si cambio la posición en la que estoy (mirando el relieve), puedo ver la desnudez de la mujer, sus otras partes, su vientre, su cintura, incluso sus pies, que no están representados aquí.
 Además.
 Me encontré casi mirando el relieve de la parte superior izquierda y empecé a reírme.

 

 レリーフの中に「遠近感」があるというと、妙な言い方になるだろうか。
 この作品には「立体感」だけではなく「遠近感」がある。それは、たとえば女の乳房から感じられる。手前の乳房は、丸い形も、量感も、ちょっと触ってみたくなる感じだ。そして、その向こうにちらりと見える左の乳首。この見え方は、立体の女のヌードを横から見たときの感じとは違う。「向こう側を見たい」という欲望をそそる。その「向こう側がある」(遠くがある)という感じが、私の言う「遠近感」である。
 そして、この「向こうがある」は、鳩を見るときいっそう強くなる。この鳩は、女の真上(正面)にいるのではない。嘴は女の唇の真上(正面)になるかもしれないが、鳩のからだ全体は「遠く」になる。言い直すと、鳩は遠くから飛んできて、いま嘴が女の唇の上のところまで来たことがわかる。唇が手前、尻尾は遠くにある。嘴が唇の位置だとすれば、足は首の付け根辺り、尾翼は肩の辺り。半分平面であるレリーフに、空間を「立体」として呼び込んでいる。
 うーん。
 私はうなってしまう。この作品には「空間」がある、と感じた瞬間、私が立っている位置(レリーフを見ている位置)を変えれば、ここに表現されていない女の裸、他の部分、腹だとか、腰とか、足まで見えるのではないかと錯覚する。
 そして。
 思わず左上からレリーフを覗きそうになる自分に気づき、笑い出してしまった。

 

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斎藤茂吉『万葉秀歌』(6)

2022-10-27 13:55:40 | 斎藤茂吉・万葉秀歌

斎藤茂吉『万葉秀歌』(6)(岩波書店、1980年、06月25日、第58刷発行)

河上の五百箇磐群に草むさず常にもがもな常処女にて           吹黄刀自

 「常にもがもな」という音は「早口ことば」のようなおもしろさがある。全体に「な行」「ま行」が揺れる。
 茂吉は結句の「にて」を繰り返して味わうべきと書いている。倒置法が「にて」のあとの「省略」に、いっそう余韻を与えているということか。

春過ぎて夏来るらし白妙の衣ほしたり天の香具山             持統天皇

 いくつかの「読み方」があるらしいが、この読み方がいちばん明るい感じがする。「来るらし」「ほしたり」と二回切れるが、「天の香具山」でさらに念押しの、三回目の「切れ」がある。それが不思議とリズミカル。
 「来るらし」でいったん切れるからこそ「白」が目立つ。さらに「ほしたり」で切れからこそ「天の香具山」が引き立つ。
 この「切れ」の効果は、ピーポー、ピーポー注意してください、こっち見てね、次に大事なことばが来ますよ、というようなものかもしれない。
 「野守は見ずや/君が袖振る」「常にもがもな/常処女にて」の倒置法も、次に来ることばが大事ですよ、注意して聞いてください、という効果がある。万葉のひとは、リズムの変化でこれを実現する。とても耳がよかったのだろうと思う。きっと声もすばらしかったに違いない、と私は想像する。

 

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斎藤茂吉『万葉秀歌』(5)

2022-10-26 14:57:35 | 斎藤茂吉・万葉秀歌

斎藤茂吉『万葉秀歌』(5)(岩波書店、1980年、06月25日、第58刷発行)

あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る            額田王

 「見ずや」と反語の問いがあって、そのあとで「君が袖振る」と終わる。この感じがとても自然に感じるのは「野」の音が三回繰り返されて、(「行き」も二回繰り返されて)、スピードにのって、先に問いを言ってしまったという印象があるからだろうか。ことばが先走りする。ここに「激情」がある。「激情」なのだけれど、その象徴的行為の「君が袖振る」でおさえると、それが「激情」の爆発のなかから飛び出した「結晶」のように見えて、わーっ、かっこいい、と叫んでしまう。「君が袖振る」姿が目に飛び込んでくる。まるで、「私の恋人を、見て見て」と額田王が自慢しているようにも見える。「見ずや」と書いてるが、心配などしていないことがわかる。
 茂吉は、このことばの運動を「立体的波動的」と書いている。

紫草のにほへる妹を憎くあらば人嬬ゆゑにあれ恋ひめやも         天武天皇

 この相聞歌は、かっこいいなあ。「紫野」「紫草」の呼応にはじまり、「見ずや」の反問に「恋ひめやも」と、これも反問的に答えている。じっくりというか、どっしりと構えて、恋に答えている。
 「人嬬ゆゑに」もいいなあ。人妻だからこそ。他人の意見など気にしていない。自分の気持ちを言うだけ。純粋だ。村上春樹の『1Q84』には、「十歳年上の人妻とのセックスは、どこにも行きようがないぶん気楽であり、その内容は充実していた」という文章があるが、その「人妻」とのセックスとは、なんという違いだろう。「気楽」はことばとは裏腹に、人の目を意識している。自分の責任を放棄している。
 この違いは、単に「時代の違い」ではないように思う。茂吉は、天武天皇の歌を「心の集中と純粋」と書いた上で「万葉集中の傑作の一つ」と言っている。


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唐作桂子『出会う日』

2022-10-25 20:44:20 | 詩集

 

 

唐作桂子『出会う日』(左右社、2022年10月11日発行)

 唐作桂子『出会う日』の「根も葉も」で、私は立ち止まる。

根も葉もなく
たっている

暴力をふるった ゆめの
なまめいたたかぶり
ひふをかきむしりつづける
かわいた音で目がさめた

もともと
根や葉などなかったのだろう


 「根も葉もない」は「根も葉もないうわさ」のようにつかう。「うわさ」は「うわさが立つ」というふうにつかう。だから「根も葉もなく/たっている」を読むと、「根も葉もないうわさが立っている」を連想するのだが、唐作が書いているのは「うわさ」だろうか。「うわさ」を超えるもののように私には感じられる。つまり「うわさ」を補ってしまうと、もう、それは詩ではなくなる。単なる「報告」になる。
 「うわさ」よりも、「うわさ」を生み出してしまう「欲望/本能」のようなものが「たっている」。そこにあるように感じられる。
 「うわさ」を生み出すものは、たぶん「ねたみ」だろうなあ。「うわさ」を立てることで、うわさの主役を陥れたい。この他人を陥れたいという欲望は、いろんな形であらわれる。たとえば「暴力」もそうなのだろう。相手より強いところを見せる。相手に被害を与える。そうすることで自分を相対的に「高める」。それは「なめまいたたかぶり」かもしれないなあ。一方で、それが「正しい」とは主張できなくて、何かが自分で自分の「ひふをかきむしる」ようなことも起きる。
 どんなものにも「二面性」がある。「二面性」があるから、それは「人」という漢字のように、差さえあって「立っている」のか。
 唐作は、そんなことは書いていないかもしれない。しかし、私は、そういうことを書いていると勝手に「誤読」する。「もともと/根や葉などなかったのだろう」が、そういうことを思わせる。「ある」のはどうすることもできない「欲望」だけである。ことばにすることのできない「欲望」。それは生き抜くための「本能」かもしれない。
 そう思って、そこに「ある」ものを見つめると……。

たっている
根も葉もてんでに

黄色くなりどす青くなり
ふれるふれる
中肉中背の肩に
虫が喰っている

 「てんで」に、がいいなあ。ほんとうはどこかでつながりがあるのかもしれないが、その「つながり」をはっきりとつかみきれない。それが「欲望」「本能」だろう。制御できない。それは、制御を乗り越えて、勝手に生きていく。それは「はつらつ」にではない。最終連で書いてあるように。
 妙に、重くて、粘っこくて、二度読み返した。
 でも、それが何なのか、よくわからない。わからなくてもいいのかもしれない。「青猫はうなる」の三連目。

うなじに湿気がまとわりつく
ふおんなかんじ
前線とか中央とかは
観念なのであり、

 あ、これかな、と思った。「中肉中背の肩」のかわりに「うなじ」が出てきているが、唐作は、「肉体」を「比喩」の根底に据えている感じがある。それがいい。で、そこから「ふおんなかんじ」と言ったあと「前線とか中央とかは/観念なのであり、」と飛躍するのだが、この「観念」というのは、「根も葉もない」の根や葉なのかもしれないとおもった。「根も葉もない」は「根拠がない」という意味だとおもうが、「観念」なんかも、やっぱり「根拠」ではない、と私は思う。それは作り上げた「うわさ」のようなものだ。「実体」がない。「中肉中背の肩」でも湿気がまとわりつく「肩」でもない。

ね このにおい
このにおい
このこのにおい
このね このにおい

 これは「青猫はうなる」の三連目だが、「観念」は「におい」にも似ている。「におい」は確かに存在するが、なぜか、においの中にいるとにおいに気がつかなくなる。そういう性質を持っている(と私は感じている)。「観念」もそれに似ている。出会った瞬間、その強烈さに打ちのめされるときがある。(そのまま、打ちのめされて、シンナーによったみたいに、観念におぼれて抜け出せない人もいるようだが。)でも、たいていは、慣れっこになってしまう。「脱構築って何だっけ」「実存? 古くない?」という感じ。それは「ね このにおい」と「この」をつかって、必死になって「焦点」をあてないと思い出せない類のものである。
 唐作は、そういうこともつかんでいるのだな、と感じた。

 

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Estoy loco por espana(番外篇222)Obra, Jose Javier Velilla Aguila

2022-10-25 17:07:41 | estoy loco por espana

Obra, Jose Javier Velilla Aguilar
Siria. Acrilico 150x120

 Vine tras la palabra, pero la palabra ya no estaba allí. Sin embargo, se sentió más cerca de la palabra que cuando la conoció. La mirada de la palabra permaneció aquí y allá en la ciudad. Inmediatamente supo lo que la palabra había visto. Permaneció en cada esquina como una tela de araña infestando una ruina. Las telas de araña, ya sin dueño, se agitaban con los restos azules que habían caído del cielo. Alto fuera de alcance. De repente, estaba pegado a su cara. A la sombra de una piedra fundacional, visible sólo cuando se gira la cabeza hacia abajo. Es el mismo paisaje desde hace 2.000 años. La palabra ya ha seguido a otra y otra, y aquí sabe que ha visto la misma luz azul y las mismas sombras. Todo se repite. Y sabe que son la misma palabra la que vino aquí, no importa cuánto tiempo haya pasado. Sólo existe la repetición. Como el vacío. Esa palabra, esta palabra, la palabra eliminada, la palabra añadida, son todas una palabra. Palabra que conoce la soledad y lucha por replantearla en su propia y única expresión. La palabra sintió la presencia de una nueva palabra que la perseguía. Debe desaparecer antes de ser encontrado. Aquí, la nueva palabra no puede encontrar nada. No puede ir al pasado ni al futuro. El día que leí que las palabras estaban escritas en los márgenes de una foto de una ruina, como un grafiti, con letras que nunca había visto. 

 

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