詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

Estoy Loco por España(番外篇453)Obra, Jesus Coyto Pablo

2024-08-29 21:42:58 | estoy loco por espana

Obra, Jesus Coyto Pablo

 Si Chagall hubiera nacido en la tierra parda y seca de España.
 Y si Chagall hubiera nacido en una ciudad donde vienen de visita animador viajero en lugar de en un pueblo con vacas y gallinas.
 Y si se encuentra soledad porque está rodeado de tanta gente, o  porque perdió a su amante como Zampano.
  ¿No sería su cuadro como este cuadro pintado por Jesus?

 Detrás de la multitud, hay algo a lo que no se puede llegar. De ahí nace todo lo relacionado con el ser humano, incluido el amor y el sufrimiento. Nadie puede volver a la fuente. Aferrándome al único hecho de que nació, camina hacia adelante, mirando hacia algún lugar infinitamente alejado de la fuente. Como el agua que fluye en un río, incapaz de quedarse quieta.

 もしシャガールが、茶色く乾いた大地、つまりスペインで生まれていたら。
  もしシャガールが、牛や鶏のいる村ではなく、旅芸人がやってくる街に生まれていたら。
  そして、人が大勢ひしめくあっているがゆえの孤独を感じたとしたら。
  それは、このJesus が描いた絵になるではないだろうか。

 人のひしめきの奥(背後)には、何かたどりつけないものがある。愛も苦しみも、人間に関係するものは、みんなそこから生まれてきている。しかし、だれも、その源へは帰ることができない。生まれてきたというたったひとつの事実をかかえて、源から果てしなく遠いどこかを見つめながら、歩いていく。川の水が流れるように、立ち止まることができないまま。 

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ダビッド・プジョル監督「美食家ダリのレストラン」(★★)

2024-08-25 16:36:51 | 映画

ダビッド・プジョル監督「美食家ダリのレストラン」(★★)(KBCシネマ、スクリーン2)

監督 ダビッド・プジョル 出演 ホセ・ガルシア、イバン・マサゲ、クララ・ポンソ

 主人公の設定は、スペイン人なのか、フランス人なのか。よくわからないが、なんとも「フランス味」の強い映画だ。妻は出てこないが、娘が出てきて、フランス語でやりあうが、もしかすると登場しない妻がフランス人なのかも。というような、映画とは関係ないことを思ってしまうなあ。
 私は、ダリの作品はそんなに多く見ていないのでわからないが。
 映画の、ひとつの見せ場に、主人公が「ダリの魅力」を語るところがある。これが、さらに輪をかけて「フレンチ」の味。フランスから来たグルメ評論家がダリを批判するので、それに対して反論するのだが、そのことばの動きが「フランス現代思想」っぽい。と言っても、私はその当時のスペインの思想(さかのぼってのスペインの思想)もフランスの当時の思想も「現代思想」も知らないのだけれど。
 なんとなく。
 いやあ、スペイン人は、こんなに「論理的」には話さないだろうなあ。だからこそ、このシーンがスペイン語ではなく、フランス語で交わされるのかもしれない。
 ひるがえって。
 フランス語で論理が展開されたから、フレンチと感じたのか。これは、少し重要な問題かもしれないなあ。
 私は最近スペイン語を学んでいるのだが、「読んだらわかる」でも「書くことはできない」文体というものがある。「Te gusto?」というのは、読んだときはびっくりするが、まあ、理解できる。しかし、それを言ったり書いたりするとなると、ちょっと恥ずかしくて言えない。書けない。そういうことが、どの言語にもあって、そういうことは「思想の文体」「論理の文体」にも影響していると思う。そして、行動(肉体)の文体にも。
 その「行動の文体」で言えば、シェフの弟が反フランコ運動(?)で逃亡するとき、兄が一緒に逃げるのがスペインぽいかなあ。フランス人は、弟思いの兄でも一緒に逃げたりはしないだろうなあ。「お前のかって」がフレンチの兄弟関係かなあ、とかって想像している。
 結婚式の披露宴の料理(デザート?)にチュッパチャプスをつけるというのは、まあ、スペインぽいが、女がシェフの愛を知って、厨房でセックスをする、というのはフレンチかなあ。その二人がウェデングケーキにまみれるというのはスペイン風か、フレンチか、よくわからないが。セックスをのぞいた男が告げ口をするというのは、スペインかも。フランスでは、「他人のことは知ったことではない」だろうし、これがイギリスなら知っていても本人が言わない限り「なかったこと」になるだろうなあ。
 これも、かってな想像だけど。
 バルセロナ(舞台の近くがバルセロナ)とマドリッドでは、それぞれのひとの人格もずいぶん違うと思うが、シェフの生真面目な感じは、これはバルセロナだね。新しい料理を思いついて、そのたびにノートをとる、というのはスペイン人というよりはバルセロナ人かなあ。碁盤の目のようなバルセロナの通りと、マドリッドの勝手気ままな道路の交錯の違いなんかも思い出した。
 ほかにも、ガラがロシア人(だったっけ?)という関係もあって、スペイン語、フランス語、ロシア語が飛び交う映画なのだが、もしかするとロシア人の「特徴」も見えるようになっているのかもしれない。アラカルト料理のように、アラカルト人種の違いを教えてくれる映画かもしれない。その土地その土地に、その土地の味(料理)があるように、その土地その土地に、そこにふさわしい人間がいる。
 というのは、「日本人風の見方」かもしれないが。


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ポスト岸田(読売新聞の「読み方」)

2024-08-17 10:37:36 | 読売新聞を読む

 2024年08月16日、17日の読売新聞の一面の見出し。

ポスト岸田 相次ぎ意欲/小林氏 推薦20人めど
麻生氏 茂木氏支持に難色

小林氏 19日立候補表明へ/麻生氏 河野氏の出馬了承
「早期解散・秋選挙」広がる

 読売新聞は、総裁選を岸田対河野の対戦と見ている。小泉は、総裁選へ目を向けさせるための「ダシ」につかわれている。
 で、なんのために岸田を辞めさせ、「新顔」を必要とするのか。早期解散・総選挙が必要なのか。自民党政権への「不信」がつづいているというのが「表面的」な理由だけれど。それはほうっておけば回復するかもしれない。衆議院議員の任期はまだ1年もある。1年しかないというのが議員の声かもしれないが。なんといっても落選したら収入が途絶えるから、そしてその途絶は4年間つづく可能性があるから。国民のこと、政治のことなんかどうでもいい、自分の生活(収入)だけ守りたい、ということだろう。
 しかし、ほかにも理由はあると思う。
 岸田では、日本の防衛は(アメリカの世界戦略は)機能しないとアメリカが判断したのではないのか。もっと簡単に言うと、岸田が首相では早期(5年以内)の「核配備」が不可能と判断し、岸田を切り捨てたのではないのか。ふにゃふにゃしているが、岸田は広島の出身。日本に核が配備されることになれば、岸田は広島で叩かれ、きっと落選する。そんなことになれば、最初からやりなおさなければならない。アメリカ=日本は、「台湾有事」を5年以内と想定している。岸田政権がふらふらしていては、間に合わない、と考えているのだろう。
 だから。
 小林が急に浮かび上がってきたのは、防衛=軍隊についての「政策」が他の「候補」とは違っているからだろう。
 17日のスキャナーは、

①政治改革 焦点に
②内政 憲法改正・財政も議題
③外交 敬虔・手腕問われる

 という三つの見出しがあって、それぞれ「分析」している。①は、岸田が辞める表向きの理由。「カネ」の問題にケリをつける。でも、派閥は、完全には解消されていない。一面の見出しでもわかるように、麻生は、何人もの議員を支配している。
 ②が「防衛」にからんでくる。憲法改正は「防衛」だけがテーマではないが、アメリカが重視しているのは「防衛」である。
 読売新聞は、どういう書き方をしているか。

 憲法改正や皇位継承のあり方、選択的夫婦別姓といった国や社会のあり方に関する基本政策も主要な議題となる。
 党内きっての保守派の高市経済安保相(63)は「憲法を改正するために政治家になった」と公言し、自衛隊明記、緊急事態条項創設など自民の改憲4項目に加え、「公共の福祉」の意味の明確化などを唱えてきた。皇位継承は「126代、男系の皇統を守ってきた。天皇陛下の正統性と権威の源だ」と男系維持にこだわる。夫婦別姓には反対の立場で「通称使用の拡大」を掲げている。
 同じく保守派の小林氏も、改憲論議の加速を訴え、「憲法に防衛の文字がない」として自衛隊明記などを求める。小泉氏も改憲は結党の理念だとして「約束したことに本気で取り組む」と強調している。
 一方、石破氏は、自衛隊の明記だけで、戦力不保持を定めた9条2項が残れば矛盾が生じるとして「2項削除」を持論としている。皇位継承では「女系天皇の可能性を排除して議論するのはどうなのか」と容認姿勢を示し、夫婦別姓も「やらない理由が分からない」との考えだ。
 野田聖子・元総務相(63)も夫婦別姓導入を訴えている。

 絶対に総裁になり得ないような高市を「まくら」につかって、「憲法改正=自衛隊明記」を取り上げているのだが、ここで小林について「小林氏も、改憲論議の加速を訴え、「憲法に防衛の文字がない」として自衛隊明記などを求める」と明確に書いている。小泉の発言には自衛隊はない。石破は踏み込んでいるが、彼も推薦人が集められるかどうかわからない状況だから、まあ、紙面の「にぎわし」に引っ張りだされているだけだ。野田も同じ。
 読売新聞が「対抗馬」と想定している河野は、ここには登場しない。逆に言えば、絶対に総裁にはなれない、ということだろう。
 その河野については123か国・地域訪問と、様々な閣僚経験を取り上げているが、様々な閣僚経験というのは、「有能」だからではなく、「無能」だからたらい回しされたということだろう。小泉と同じく、「親の七光」議員にすぎない。

 さて。
 小林鷹之。私は、何も知らないのだが、きょうの記事でわかったことは、憲法改正においては「自衛隊明記」が必須と考えている保守派であることがわかった。そして、読売新聞は、ほかの問題(皇位継承、夫婦別姓)などは「改憲のテーマ」ではないと考えていることもわかった。これは、同時にアメリカの「改憲テーマ」が「自衛隊明記」であるということでもある。
 ほかの分野のことは、機会があれば書けばいい、ということだろう。
 小林について触れた部分は短いけれど、的を外さずに小林をしっかり紹介している。

 アメリカは、大統領選を控えている。アメリカの新大統領がだれになるかわからないが、だれになってもアメリカの世界戦略(中国封じ込め)には日本が不可欠と判断しただれかが、岸田の首をすげかえようとしたのだろう。いちばん腰の据わった「保守議員」に目をつけたということなのだろう。
 米軍が自衛隊を指揮下に置くシステムはバイデン・岸田会談で「完成」した。その指揮下で、沖縄・南西諸島に核が配備される(持ち込まれる)のだろう。核配備によって、「台湾有事」は防げるのか、それとも「台湾有事」を拡大することになるのか。アメリカが「世界戦略システム」の早期完成を急いでいることだけは確かである。(バイデン・岸田会談での、バイデンのはしゃぎようは、たいへんなものだった。)

 ところで。
 田中角栄が失脚したのは、田中が自衛隊のベトナム派兵に反対したためだが、そのとき「田中金脈」が問題になった。今回、岸田が失脚(?)するのも「カネ」がらみである。「カネのスキャンダル」を利用して、日本の首相を失脚させるというのは、アメリカのひとつの方法なのかもしれない。(今回の「裏金問題」が話題になったとき、私は、少し、そのことを書いた。)「カネ」の問題をつついて失脚させるかぎり、アメリカは「裏」に隠れていることができる。
 田中失脚後、アメリカに「反対」を唱える日本の首相はいなくなったが、今回の岸田退陣によって、日本の首相の「操り人形化」はさらに加速するだろう。
 で、ここから逆に言えば。
 日本がアメリカにあやつられないためには、「カネ」に潔白な政治家が必要なのである。「カネ」に問題をかかえると、それをつつかれ、必ず失脚させられる。岸田本人は「カネ」に塗れていたかどうかは、よくわからないが。しかし、周辺は、完全にカネによって腐敗していた。
 私は、なんだか、とんでもない世界を見せつけられている、いやあな気分になっている。

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Estoy Loco por España(番外篇452)Obra, Luciano González Díaz

2024-08-16 13:39:26 | estoy loco por espana

Obra, Luciano González Díaz

 O un cisne sueña con una mujer, o una mujer sueña con un cisne.
 No, esta obra es un sueño que tuvo Luciano. En su sueño, un cisne sueña con una mujer y una mujer sueña con un cisne.
 NO, NO, NO.  Ni mujer ni cisne, Luciano ve un sueño que sueña en sí mismo. Nadie puede soñar lo que otros sueñan.
 Los sueños pueden cambiar de forma en cualquier momento. Además, estos cambios nadie los puede controlar. No es la conciencia, sino la vida misma antes de volverse consciente la que se mueve libremente.
 Esta no es la forma que se pretendía originalmente, sino el movimiento del sueño de Luciano que cambió durante el proceso de creación.

 Esta obra puede ser el perfil de una mujer y su cabello al viento. Sin embargo, en mi sueño, una mujer y un cisne se encuentran y se cruzan.


 白鳥が女の夢を見ているか、女が白鳥の夢を見ているのか。
 いや、これはLucianoが見た夢なのか。彼の夢のなかで、白鳥が女の夢を見ている。女が白鳥の夢を見ている。
  女でも白鳥でもなく、Lucianoは夢そのもの見る。
 夢はいつでも自在に形を変える。しかも、その変化はコントロールができない。意識ではなく、意識になる前の命そのものが自由に動く。
 これは最初から意図された形ではなく、つくっていく過程で変化していったLucianoの夢の運動そのものである。

  この作品は、女の横顔と、風になびく髪なのかもしれない。しかし、私の夢のなかでは、女と白鳥が出会って、すれちがっていく。

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芥川賞2作品

2024-08-15 21:36:23 | その他(音楽、小説etc)

芥川賞2作品(「文藝春秋」2024年09月号)

 「文藝春秋」2024年09月号に、第171回芥川賞受賞作が二篇掲載されている。朝比奈秋「サンショウウオの四十九日」と松永K三蔵「バリ山行」。この二作品を選んだ選者は「天才」である。全員が「天才」である。よく二作品の「区別」がついたなあ。私には一人の作者が書いた、一篇の作品にしか見えない。
 少し引用してみる。

 富士山の形をした雲は呼吸に合わせて、大きくなり小さくなる。遠くから園児のはしゃぐ声も遮断機の音に変わり、すぐに何頭かの犬の吠え声になる。獣道はコンクリートの細い路地に変わり、それも次第にひび割れてガタガタになり、しばらくして土道に変わる。草が膝丈あたりから太ももあたりまで伸びだす頃には、土道は木の杭と細い丸太で土止めされた簡素な階段になった。

 斜面に貼りつき足を掛け、手掛かりを掴み懸垂して身体をぐっと持ち上げる。そうやって全身で攀じ登る。登山口から入って登山道を歩く、そんな当たりまえの登山とはまるで違って、アスレチックに近かった。急斜面が続くと息が上がる。ヘルメットから汗が流れ、アウターにも熱が籠もり、私は堪らずジッパーを下げた。

 最初が「サンショウウオの四十九日」、あとが「バリ山行」。では、つぎの引用は、どっち?

 階段を登りきると小さな広場に辿りつく。不思議な懐かしさのある広場だった。周囲は高い樹々で囲まれて薄暗い。ごつごつした岩で縁取られた緑の池、どうやって遊べばいいのかわからないペンキの剥げた遊具が設置されている。林の奥に電線のない捨てられた鉄塔が一本立っている。今は誰もいないが、地面の草が踏み固められていて、ここを訪れる存在はあるらしかった。

 ただ思い付きで引用したのだが、もっと丁寧に読み込めば、もっと「そっくり」の文体を提示できるだろう。ただ、そんな面倒までは、私は、したくない。(三番目の引用が、「サンショウウオ」なのか「バリ」なのか、あるいは私の「捏造」なのか、興味のある人は、調べてみてください。最初に断っておくけれど、私はときどき「捏造」を交えて自分のことばを動かすので、三番目の文章が見つからなかったとしても、大騒ぎしないでください。)
 私が言いたいのは。
 この三つの文章を読み、その筆者を即座に特定できる人がいるなら、そのひとは「天才」だと思う。選評を私は全部読んだわけではないが、選者の誰一人として二人の文体がそっくりであると指摘している人はいない。つまり、彼らには、ふたりの文体の区別がついているらしいのだ。
 それだけではなく、二つの作品が「対照的」だとさえ言っている選者がいる。(「対照的」ということばがつかわれていたかどうか、まあ、いい加減な私の印象なのだが。)
 どこが対照的?
 「サンショウウオ」が空想的な「結合双生児」を題材にし、「バリ」が建築会社の登山好きの人物を題材にしていることだろうか。前者は「空想的」、後者は「現実的」。でも、そんなものは単なる「ストーリー」であって、小説にとって、何の意味もない。
 「サンショウウオ」の双生児が、性格(精神)も肉体的特徴も違う双子が身体的に「結合」したものであるのに対し、「バリ」ははっきりは書いていないが性格(精神)も似通ったところのあるふたりが双子ではなく身体的にべつべつに存在するというだけのちがいである。どちらのばあいも、その似ているのか違っているのか、どうとでも言える「ふたり」が出合い、行動し、そこで何事かが起き、精神的に変化していく。まあ、こんなふうに「要約」してしまえば、どんな小説でも、たいていの場合、誰かが誰かと出合い、似た部分、違った部分を触れ合わせながら「人間として」変化していくことを描いているから、こうした「要約」は批評でもなんでもなく、ただの「後出しジャンケン」のようなものであるけれど。
 それにしてもなあ。
 「サンショウウオ」は「哲学的」な思考がときどき言語化されるのだけれど、それは全部「つまみ食い」。作者が、「私は、こういう哲学的な文章も読んでいる人間です」と宣伝するだけのもの。ほんとうに「哲学」を深めたいなら(小説のなかで展開したいなら)、誰彼かまわず「つまみ食い」をするのではなく、ひとりの思想家の文体と取り組み、苦闘すべきだろう。何も考えていないから、「つまみ食い」をして、「私はこんなに知っている」と宣伝し、何も考えていないことを隠蔽しようとしている。
 他方、「バリ」は、そういうことをせず、ひたすら「昔風純文学文体」を継承しようとしている。しかし、その継承にオリジナルが組み合わさっていないから、なんというか、そのすべてのことばが、やはり「つまみ食い言語」に見えてしまう。
 二作品とも、「つまみ食い」の寄せ集めでできた「盛り合わせ」にすぎないのである。

 筒井康隆や志賀直哉が書いたら、ふたつの作品とも原稿用紙15枚、どんなに長くても30枚で終わってしまうだろう。ただただ長くて、一行として、ぜひこの一行を引用して感想を書きたいという「ことば」がない。

 本が売れないと生きていけない、と選者が感じているのかもしれない。読者を増やすためなら何でもしよう、ということなのかもしれない。でも、非個性的な「つまみ食い大賞」のような小説を「選ぶ」時間があるのなら、いっそ、「古典」をとりあげ、その紹介文でも書いた方がいいのではないだろうか。「古典」をとおして「ことば」にめざめた読者なら、きっと「選者の書いているすばらしい小説」に目を向けるだろう。「コウショウウオ」や「バリ」を読んで、小説はおもしろい、こういうおもしろい小説を選ぶ選者の作品は絶対に読まなければ……と思う読者はひとりもいないだろう。私なんかは、こんな作品を選んでいる作家の作品なんか、もう絶対に読まない、と思うだけである。


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岸田退陣(読売新聞の読み方)

2024-08-15 13:03:34 | 読売新聞を読む

 岸田が突然、退陣を表明した。自民党総裁選(9月30日)まで一か月半。なぜ、いま? 
 いろいろな「見方」があるが、「新総裁」が舞台裏で決まったからだろう。「政治とカネ」の問題に「ケジメ」をつけるためと言っているが、これは表面的。だいたい、そう言わなければ、次の衆院選で敗北は必至。それだけはダメだ、とあらゆるところからケチがついて、もう持ちこたえられなくなったのだろう。
 で、舞台裏で決まった「次期総裁」はだれ?
 読売新聞2024年08月15日の朝刊(14版・西部版)の記事は「刷新 若手に期待」という見出しで、まず小泉進次郎、小林鷹之を紹介している。その記事の書き方が、おもしろい。

 小泉について、こう書いている。

 「総裁選で変わったことを示せなければ、自民党は終わってしまう」
 小泉氏は周囲にこんな思いを吐露している。周辺は「出馬を視野に入れて準備を進めている。気持ちも固まりつつあるようだ」と明かした。

 「周辺」は「出馬もある」と言っている。が、小泉自身の「動き」は書いていない。
 一方、小林は、どうか。

 小林氏は知名度は低いものの、「新顔」として注目を浴びている。14日には首相の不出馬表明を受け、「党が生まれ変わったと思ってもらえるような改革努力を我々が引き継いでいかなければならない」とのコメントを出した。安倍派で当選同期の福田達夫・元総務会長(57)ら中堅・若手が擁立に向けて会合などを重ね、出馬に必要な推薦人20人のメドはついたとされる。小林氏を推す衆院議員は「近く出馬表明に踏み切るだろう」と語った。

 首相退陣を受けた「コメント」を出している。(小泉は、出したかどうか知らないが、読売新聞で読むかぎりは、出していないようだ。出しているなら、紹介するだろう)。さらに「出馬に必要な推薦人20人のメドはついたとされる」といちばんのポイントを明記している。
 これは、他に出馬が予想される(?)石破について、

 石破茂・元幹事長(67)も訪問先の台北市で出馬意向を表明したが、記者会見で「推薦人20人をそろえるのは非常に難しい作業だ」と明かした。

 こう書いているのと比較すると、小林が「先行」していることは明瞭である。岸田退陣劇の裏側で、推薦人20人を確保したのは小林だけである。ほかの候補者は、確保していない。
 つまり、岸田は、小林が総裁選に出馬するのに必要な推薦人20人を確保したことが明らかになったから、退陣表明をしたのだ。単に推薦人20人確保だけではなく、たぶん、根回しもすんだから退陣表明をしたのだ。
 それをうかがわせるのが、次の文章。

 ただ、小林氏は9日のインターネット番組で、政治資金規正法違反事件で処分された安倍派議員が要職などから外れている現状を見直す必要があると発言し、「改革に逆行している」との批判も広がった。

 小林は、すでに「要職」に安倍派議員を復活させる「閣僚名簿」も用意している。それに対しては反発はあるようだが、すでにそこまで準備を進めているのは小林だけである。わざわざ「批判」も紹介しているのは、先に新聞に書いておけば、「衝撃」が少ないからである。これは、読売新聞が「よいしょ記事」を書くときの、重要な要素である。
 小泉については、

 無派閥を貫く小泉氏が出馬を決断した場合、党内で幅広い支持を集めつつ、いかに派閥の力学に左右されないかが課題になる。

 と「課題」を紹介しているが、これは逆に言えば、小泉がまだぜんぜん動いていない「証拠」でもある。

 私は政治には疎いから、小林鷹之という人物については何も知らなかったが、突然、新聞に「候補」と書かれ、しかも、その動きまで、批判を含めて書いている。これは、新首相が小林で決まっていることを「暗示」するものである。
 きっと、これから小林の顔、発言がマスコミでどんどん報道され、国民にアピールされる。そうやって小林人気をあおり、総裁誕生(新首相誕生)後、すぐに国会を解散し、衆院選で勝利する。そこまでシナリオを書いて(そういうシナリオで、いろいろな人を説得し)、その結果として岸田が退陣表明をしたのである。そして、読売新聞は、この「岸田シナリオ=作者は岸田ではなく、ほかの人だと思う)を「応援」している。次の衆院選で「自民党大勝」の先取り応援をしている。
 読売新聞の記事は、ほんとうに、「裏」が透けて見えて、とてもおもしろい。

 (いちいち引用しなかったが、これまで「総裁候補」としてうわさされた石破や河野太郎、茂木敏充、高市早苗、野田聖子については、いろいろ「難癖」をつけている。詳細は、紙面参照。)

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緒加たよこ「お庭のきんぎょ」

2024-08-08 22:37:17 | 詩(雑誌・同人誌)

2024年08月05日(月曜日)

緒加たよこ「お庭のきんぎょ」(朝日新聞、2024年08月07日夕刊)

 緒加たよこ「お庭のきんぎょ」(朝日新聞、「あるきだす言葉たち」)は、「説明」を省略した作品である。その全行。

お庭のきんぎょのお池のよこで
きんぎょたべました
じゅうじゅう焼いて
きんぎょ?きんぎょ?
じゅうじゅう焼いて
きんぎょ?きんぎょ?
そうじゃそうじゃ
そうそうそうじゃ
おじちゃんと
おにいちゃん
にこ 
にこ
にこにこ
にこにこ
お庭のきんぎょ焼いてたべたよ
まま、
まま、
きんぎょをみるたび
これたべた
あたらしいともだちができるたびに
いいました
じゅうじゅう焼いて
じゅうじゅう焼いて
お庭のきんぎょのお池のよこで

 そのまま読むと「金魚を庭で焼いて食べた、バーベキューの食材に、庭の池にいた金魚を焼いて食べた」という情景が浮かんでくる。もちろん、そういう「読み方」があってもいいと思う。
 私は、しかし、そんなふうに読まない。
 この詩に特徴的なことは、同じことばが繰り返されていること。ことばというよりも、「音」と言った方がいい。「音」は「意味」ではない。「音」は「声」であり、「声」はは何よりも「感情の動き(意味)」を伝える。それは辞書にある「ことばの意味(定義)」を超える。
 で、ここからなのだが。
 この詩のなかで「意味」になりにくい「音」は何か。「じゅうじゅう焼いて」の「じゅうじゅう」が、「わかる」けれど、それ「意味」として明確にするのは難しい。何かが焼けるときの「音」。その何かは「乾いた」ものではない。なかから液体(脂、水分)がにじんでくると、熱に反応して「じゅうじゅう」と音を立てる。この詩の主役(?)は、その音に反応している。車をブーブー、犬をワンワン、猫をニャーニャーという「音」で把握するように、バーベキューを「じゅうじゅう」という音でつかみとっている。
 その幼い子(たぶん)にとって、その「じゅうじゅう」という音のいきいきした漢字は「きんぎょ」という音の確かさに似ているのかもしれない。逆に言えば、「きんぎょ」という音は「金魚」ではないものを指しているかもしれない。「きんぎょ」という音の確かさ、音の手応えは「そうじゃそうじゃ」に似ている。同じ音を繰り返す「にこにこ」「まま」もその類かもしれない。その幼い子のまわりにいるひとたち(おじちゃん、おにいちゃん、まま)は、それを理解して、「ことばの意味」ではなく、「声の調子(音のなかに動いているこどもの感情)」に「そうじゃそうじゃ」といい、「にこにこ」する。
 この「にこにこ」が、この詩では、とても重要。「じゅうじゅう」が実際に聞こえる「音」をなぞったものなのに対し(ブーブー、ワンワン、ニャーニャーも同じ)、「にこにこ」はどんなに耳を澄ましても聞こえない「音」である。「音」ではない「音」である。「音を超える音」。声にしなければ、存在しない音。
 詩というものが、ことばにしなければ存在しなかった感情を明らかにするものだとすれば、ここには同じように、ことば(声/音)にしなければ存在しなかったものが、ことば(音)として書かれている。「にこにこ」は誰もが知っていることばである。しかし、それは「音」として存在しないのに、私たちが「音」を通して受け入れている何かである。
 そうしたもの、それに類する何かが、この詩のなかで動いている。「きんぎょ」という音を出発点にして、「じゅうじゅう」という音をとおって、さらに自由に動いていく。
 私は、とりあえず、そういう「説明」をここに書いているが、緒加は、そういう「説明」をしない。ただ、「音」を動かして見せる。「音」「声」のなかにこそ、「辞書に書かれていることばの定義(意味)」を超える大切なものがあると知っている。そして、それを「形」にしようとしている。
 この一篇だけではわかりにくいが、緒加の詩には、独自の「音楽」がある。「音学」ではなく、「音の楽しさ」がある。音を説明すれば「音楽」ではなく「音学」になってしまう。「数学」とか「科学」とかに似たもの、あるいは「文学」もそうかもしれない。「学」にしないで、音を楽しみ、音楽に肉体をあわせれば(音楽に合わせて肉体を動かせば)、緒加の世界へ入っていけるだろう。

 緒加たかよは、朝日カルチャーセンター(福岡)の「現代詩講座(谷川俊太郎の世界)」の受講生。第一詩集「彼女は待たずに先に行く」(書肆侃侃房)は、講座で書いた作品を編んだもの。

 

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三重野睦美『たなごころ』

2024-08-05 21:01:18 | 詩集

三重野睦美『たなごころ』(梓書院、2024年04月30日発行)

三重野睦美『たなごころ』の「満月」。

月の夜に
犬とすれちがった

目があい
近づいて
すれちがい

ふりむいて
ためらいながら またすすんだ

カーンと冷たい
月の夜に

 
 最後の連の「カーンと冷たい」、とくに「カーン」がいい。乾いて、透明な感じがする。「カーン」という音(?)がするのかどうかわからないが、どこかに緊張感もある。
 とくに、どうのこうのという詩ではないのだが、こういう表現に出会うと、いい詩だなあ、と思う。
 三重野が書かなかったら、存在しなかった「一瞬」の世界。
 「中洲のカラス」にも、おもしろい行がある。

中洲のカラスはよじれたカラス
川にうつった自分をみている

 「よじれた」がとてもいい。どんなふうに「よじれ」ているのか。
 詩は、こうつづいていく。

おまえとおれをとっかえよう
つめたい川におれをすてよう
いたんだバナナの皮のように
チョコレエトの包み紙のように

そいつはやがて
よどんだ川の底に沈むだろう
そして朽ちて消えるだろう
地上で朽ちることといったい何がちがうのか

地上のカラスは
黒い翼をばたつかせ
よどんだ空の上を
飛ぶことにしたらしい

 詩は、一行、いや一語、そのひと独自のことばがあれば、それでいい。

 

 

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ネタばれ、その2

2024-08-03 21:55:06 | 考える日記

 映画、あるいは芝居において、監督+出演者と観客とは、どう違うのか。何が違うのか。
 いちばんの違いは、監督+出演者は「結末」を知っている。(ネタばれ、を承知である。)一方、観客は「結末」を知らない。
 しかし、「結末」を知らなくても、対外の場合は「予測」がつくし、こんな奇妙な例もある。男と女が恋に陥る。ふたりはほんとうは兄弟なのだが、幼いときに生き別れになっていて、それを知らない。しかし、観客は、それを知っている。そして、ふたりはいつ自分たちが兄弟であると知るのだろう、とはらはらしながら見守るということもある。
 で、ここで問題。
 兄弟であることを知らない男女という設定でも、役者は(そして監督は)脚本を読んでその事実を知っている。だから、ほんとうに大事なのは、役者や監督が「結末」を知っているにもかかわらず、まるで知らない、初めての「できごと」を体験しているという具合に演じ、演出しなければならないということである。
 いい映画、いい芝居というのは、それが演じられる瞬間において、それを演じる役者(演出する監督)が「結末を知らない」と感じさせるものなのだ。観客は、すべてを知っている。しかし、役者、監督は何も知らない。その「結末」がどうなるか知らない(いましか存在しない)と感じさせなければならない。
 観客が「結末」を知っているのだけれど、もしかしたら、それとは違う「結末」があらわれるかもしれないと感じさせる、あるいは「結末」を忘れさせる演技、シーンが、いちばんいい演技であり、シーンなのだ。観客の知っている「結末」を忘れさせてしまうような「現在」を噴出させる演技、芝居がいい演技、いいシーンというものなのだ。
 こういうことは、非常にむずかしい。だからこそ、ある何人かの監督は、脚本なしに、即興であるシーンを撮ることがある。何が起きるか、だれもわからない。その瞬間、その「いま」がとてもリアルになるからだ。

 ちまたでよく言われている「ネタばれ禁止」問題というのは、結局のところ、役者が下手くそになった(魅力的ではなくなった)、監督が下手くそになったという「証拠」にすぎない。
 また観客の多くが、役者の演技を見なくなったという「証拠」にすぎない。
 だからなのだと思うが、いわゆる「完璧な脚本」の映画が、ただ、それだけでいい映画として評価される傾向が生まれてきている。そんなものは、映画にせずに、ただ「脚本」として発表すればいいのではないのか。映画である以上、あるいは芝居である以上「脚本のでき具合、結末」を忘れさせる充実した「いま」が必要なのである。
 役者や監督に「ネタばれ」を叩き壊してみせる「肉体」の力がなくなったからこそ、「ネタばれ禁止」などということが言われるのだろう。

 具体例なしで書いてきたので、わかりにくいかもしれない。最後に、いい役者の具体例を書いておこう。「さゆり」という映画。役所広司が、たしか足の悪い男を演じていた。彼は、もてない。しかし、渡辺謙に近づきたい女がいて、役所を出汁につかおうとする。ちょっかいを出す。それを役所は、女が自分に気があると勘違いする。そして、その女にとても親切にする。つまり、すこし恋仲の男が見せるようなコビをふる。そのシーンを見た瞬間、ほんとうに役所が振られるかどうか知らないはずなのに、私は「おいおい、役所、お前は振られるんだぞ。出汁につかわれてるんだぞ。脚本を読んでいないのか」と、笑いだしてしまった。役所は、「パーフェクトデイズ」でも、おもしろかった。トイレ掃除のとき、三目並べの紙をみつける。いったん、それを捨てる。しかし、もういちどそれを最初にあった壁の隙間に戻す。それがどうなるか知っているはずなのに、まるで何も知らない。ただ、もしかしたら誰かが三目並べのつづきを書き込むかもしれないと、ふっと予想する感じで肉体が動く。それが、とてもよかった。きっと三目並べをはじめた誰かが書く。役所が期待してるとわかるから。一度もスクリーンに登場しない人間の感じている「見なくても(あわなくても)わかる」という意識の動きさえ引き出して見せる演技だった。 

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小松宏佳『崖』

2024-08-03 20:45:42 | 詩集

小松宏佳『崖』(紫陽社、2024年09月01日発行)

 小松宏佳『崖』の表題作「崖」の最後の部分。

それら経験の底には
崖の機嫌が横たわっている
うふふ、をやっていこう
冬だから怖いのよと言いながら
大股で近づいてくるのは
崖から見ても
わくわくするものだ

 「うふふ」と「わくわくするものだ」の呼応がおもしろい。「わくわくする」ではなく「わくわくするものだ」と「ものだ」をつけくわえているのが、ちょっとさめていて、それもいいかもしれない。
 ことばの動きが、荒川洋治っぽいなあ、と思った。こういうのは「印象」にすぎなくて、だからどうなんだといわれたら、別に何かを言いたくて言ったわけでもないので、説明のしようがない。
 ほかの詩にもそういうものはあるかなあ、と思い、ぱらぱらと読んだが、ぱらぱらがいけなかったのか、みつからなかった。
 でも、この詩集のなかでいちばん魅力的なのは、私が引用した数行だろうなあ。そういう数行、あるいは一行でもいいが、それがあれば詩集は詩集として成り立つと思う。

 

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