詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

志賀直哉(19)

2011-01-06 11:44:35 | 志賀直哉
「朝顔」(「志賀直哉小説選 三、昭和六十二年五月八日発行)

 「朝顔」は虻が蜜を吸う描写が印象的な小品であるが、読み返してみて、違う部分に志賀直哉らしさを感じた。

私は朝顔の水々しい美しさに気づいたと時、何故か、不意に自分の少年時代を憶ひ浮べた。あとで考へた事だが、これは少年時代、既にこの水々しさは知つてゐて、それ程思はず、老年になつて、それを大変美しく感じたのだらうと思つた。
                                (290 ページ)

 「あとで考へた事だが」というのは、きわめて散文的で詩情をこわすような表現だが、この「あとで考える」というのはなかなか厳しい姿勢である。生き方である。何かを感じたことなど、ふつう、ひとはあとからもう一度考え直そうとは思わない。そのとき、ふと感じて、そのままにしておく。
 ところが、志賀直哉は、ふと感じたことを、これはどういうことだったのかと考え、そこに「論理」を持ち込む。「論理」で感情を補強する。
 有名な(と、私が思っているだけかもしれないが)虻の描写のあとにも同じような文章がある。

虻にとつては朝顔だけで、私といふ人間は全く眼中になかつたわけである。さういふ虻に対し、私は何か親近を覚え、愉しい気分になつた。
                                (291 ページ)

 「虻にとつて(略)私といふ人間は全く眼中になかつた」という虻の「論理(わけ)」の発見が、志賀直哉の感情「親近」「愉しい気分」を補強している。
 志賀直哉は、いつでも「感情」に「わけ」をさがしている。そして、それをさがしあてるまで書くのだと思う。
 この作品の最後もおもしろい。志賀直哉は「虻」と書いた来たが、調べてみる虻と蜂は羽が違うということを知る。そして、

朝顔を追つて来たのは何(いづ)れであつたか。見た時、虻と思つたので虻と書いたが、いまもそれが何れかは分からずにゐる。
                                (291 ページ)

 朝顔の蜜を吸ったのは虻か、蜂か。いずれであっても、

虻は逆(さか)さに花の芯に深く入つて蜜を吸ひ始めた。丸味のある虎斑の尻の先が息でもするやうに動いてゐる。
 少時(しばらく)すると虻は飛込んだ時とは反対に稍不器用な身振りで芯から脱け出すと、次の花に身を逆(さか)さにして入り、一ト通り蜜を吸ふと、何の未練もなく、何所かへ飛んで行つて了つた。
                                (291 ページ)

 という美しい描写は変わらないと思う。しかし、それは私(あるいは他の読者)がそう思うだけてあって、志賀直哉にとっては、それが虻か蜂かわからないことには本当の美しさにはならないのだ。
 志賀直哉にとって「わけ」とは「事実」であり、それは志賀直哉だけの「事実」(たとえば、朝顔を少年時代にも美しいと知っていた、ということ)であっては不十分なのだ。「わけ」として成立するためには、他人と共有できる「事実」でなければならないのだ。
 ここに志賀直哉の厳しい美しさがある。ことばの美しさがある。



小僧の神様・一房の葡萄 (21世紀版少年少女日本文学館)
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志賀直哉(18)

2011-01-01 19:57:13 | 志賀直哉
「自転車」(「志賀直哉小説選 三、昭和六十二年五月八日発行)

 志賀直哉は「不快感」について敏感である。何度も出てくる。

最後に何か今まで食つた事のないものを食はうと、窯揚うどんを取り、不味いものだと思つた記憶がある。
                                (278 ページ)

それまでは物を売つたといふ経験がなかつたから、金を受取つた時、何か妙な不快(ふくわい)な感じがした。
                                (280 ページ)

 或日、私は森田から萩原の主人が私に「うまくペテンにかけられた」と云つてゐたといふ事を聞かされた。私はそれまでペテンといふ言葉を知らなかつたが、聞いた瞬間、この初めて聞く言葉の意味がいやにはつきりと解り、急に堪へられない気持になつた。
                                (281 ページ)

 小説は「ペテン」ということばをめぐる気持ちを追いつづける。そこに志賀直哉の正直が出てくるのだが、「ペテンといふ言葉を知らなかつたが、聞いた瞬間、この初めて聞く言葉の意味がいやにはつきりと解り」の、「聞いた瞬間」、「いやにはつきり解り」が、とても志賀直哉らしいと思う。「いやに」が特に志賀直哉をあらわしていると思う。
 「いやに」は「非常に、妙に、変に」というような意味なのだろうけれど、志賀直哉の「いやに」は「否に」と書いてしまいたいようなところがある。はっきりと解りたくはない、けれどはっきり解ってしまった。そこには何か自分のなかにあるものを否定する動きがある。自分のなかにあるものを否定することが「不快」の感覚を強める。
 それは窯揚うどんを「不味い」と感じた不快感に通じる。「不味い」と感じ、それを不快に感じるのは、「おいしい」という期待が裏切られたからだろう。自分のなかにあった「おいしい」という期待が否定されたのである。
 金を受け取ったときの「不快」と比較するとまた違ったものが見える。志賀直哉はそのときの不快の前に「何か妙な」というたとばをつかっている。「いやな」と「何か妙な」は違うのだ。「ペテン」ということばの意味は「何か妙な(に)」感じで「はつきり解」ったのではなく、あくまで「いやに」なのである。
 何が違うのか。
 「物を売つたといふ経験がなかつた」ということと、「ペテンといふ言葉を知らなかつた」の違いがある。「経験」と「言葉」の違いがある。
 「経験」はなくても、志賀直哉は「売る」ということばは知っており、また、その実際を知っている。経験がなくても知っているということは、志賀直哉の「肉体」のなかに「売る」ということに関する具体的なイメージがある。「売る」という行為は対象化できている。
 一方、「ペテン」ということばは知らない。だから対象化できていない。対象化できていないものが「肉体」のなかへ直接飛びこんできた。だから、志賀直哉はそれを全力で否定しようとしている。そのときの「否定」の気持ちが「いやな=否な」ということばを誘い出しているのだ。
 「ペテン」ということばが、志賀直哉の「肉体」のなかに入り、志賀直哉のなかにあるものを暴き出す。それは志賀直哉が否定されることである。その「ことば」と「肉体のなかにあるもの」の相互関係を、その運動を予感してしまう--それが「はつきり解り」ということかもしれない。

ペテンというのはそれを計画的にしたといふ意味なのだから、その言葉だけを取つて云へば、萩原は誤解してゐるのだが、誤解されるのは腹の立つ事である筈なのだが、私は森田から聴いた時、不快(ふくわい)で堪へられぬ気持にはなつたが、萩原に対し、原を立てる事は出来なかつた。私は良心に頬被りをしてゐたのだ。ランブラーを買ふ事にした、その時とそれ程感じなかつたとしても、直ぐ、気付いて、頬被りで、忘れて了はうとしたゐたのである。
                                (282 ページ)

 ここに直接ではないが「経験」が出てくる。「良心に頬被りをしてゐた」という経験はだれにでもあるだろう。それを志賀直哉もしたことがある。何かを「頬被りで、忘れて了はうとした」こともだれにでもあるだろう。それは志賀直哉にもある。
 「ペテン」ということばは知らないが、ペテンであるかどうかは別にして、何かに対して頬被りをしたり、その何かを忘れてしまおうとした「経験」がある。
 そういう「経験」が、いま、ここであばかれている。(抽象的にではあるけれど。)
 ことばが「対象化」されていないものを暴き出し、対象化する。そうすることで、ことばがより正確にことばになる。--そういうことを予感して、「いやに」ということばをつかっているのだ。「いやに」ということばを頼りに、そういう対象化へと志賀直哉は無意識に進んでいるのである。
 「不快」からさらに進んで「堪へられない」というところまで気持ちが動くのは、そういう暴き出しと対象化が必然として予感できたからであろう。



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志賀直哉(17)

2010-11-23 10:56:11 | 志賀直哉
「朝の試写会」(「志賀直哉小説選 三、昭和六十二年五月八日発行)

 映画「パルムの僧院」の試写会を見た(見させられた)ことを書いているのだが、映画の感想なのか、飼っている犬の話なのかわからないような、不思議な身辺雑記である。それでも、ついつい読み進み、最後には笑ってしまう。

 田岡君が、司会者で、第一問で、
 「『パルムの僧院』は如何(いかが)でした」といふのに対し、「寒かつたね」と私は答へてゐるが、全く寒い試写会だつた。

 ここでこの小説が終わると、落語というか「落とし話」というか、そんなものになるのだが、この「笑い」のおさえ方がとてもおもしろい。「寒かつたね」と同じようにおかしくて、笑えるのだが、「わはっはっは」という笑いとは違う。その「笑い」の殺し方がおもしろい。

私は矢張りその為め、風邪をひき、寝込むほどではなかつたが、咳がどうしても去(と)れず、二十日程、それで苦しんだ。

 これはある意味では、「寒かつたね」というような、とんでもない感想口にしたことの「自己弁護」かもしれない。これがおもしろい理由は、ただひとつ。志賀直哉が正直だからである。
 途中にコーヒーをのみ逃げ(?)したくだりもあるが、書かなくていいようなことを正直に書く。そこに不思議な人間的な魅力が出てくる。試写会のために風邪を引き、苦しんだ--というようなことは、書かなくていいというか、そんなことを書かれたら試写会をしたひとだって困るのだろうけれど、そういうひとの書かないことを書く正直さが、不思議と文章を落ち着かせている。

 正直を別なことばで言えば、きっと「気持ちの事実」を書くということなのだと思う。「ものの事実」を書くように、志賀直哉は「気持ちの事実」を書く。
 「気持ち」は志賀直哉のキーワードかもしれない。
 「朝の試写会」で印象に残った次の部分に「気持」ということばがある。そこでも志賀直哉は「気持ちの事実」を書いている。強盗、殺人、詐欺、暴力といった新聞記事は読まないようにしている、と書いた後、こんなふうにつづけている。

昔、内村鑑三先生が、一日中で一番頭のいい朝にさういふ新聞記事を読んで、折角の頭を穢(けが)すのはつまらぬ事だと云つてゐられたが、私自身も近頃、さういふ気持ちになつた来た。

志賀直哉全集 (第1巻)
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志賀直哉(16)

2010-10-22 23:56:03 | 志賀直哉
「山鳩」(「志賀直哉小説選 三、昭和六十二年五月八日発行)

 「山鳩」の最後に、「末つ児」の最後にでてきた「相にく」と通い合うことばがある。「意味」ではなく、そのことばのかかえこむ領域が似ている。
 目になじんだ山鳩の夫婦。その一羽が友人によって撃たれ、どうもそれを志賀直哉は食べてしまったらしい。いつも二羽で飛んでいた山鳩が一羽で飛んでいるのを見て、気が咎めた。
 そんなことを話したのかもしれない。次の猟期がきたとき、当の友人にちょっと語りかける。

 「今年は此辺はやめて貰はうかな」といふと、
 「そんなに気になるなら、残つた方も片づけて上げませうか?」
と笑ひながら云ふ。彼は鳥にとつては、さういふ恐しい男である。

 山鳩にとって必ず命を奪われる「恐しい」相手。文章に書かれているのは一義的な意味は、そうなる。しかし、そこには別のにおいがある。山鳩が恐ろしがるというよりも、そこには志賀直哉が感じている恐ろしさが含まれている。
 山鳩を平気で殺すことよりも、志賀直哉が「気になるなら」、その気になるものを片づけてしまえば、気になることそのものがなくなるから大丈夫じゃないか。そう考えるときの、思考の論理が怖い。この論理は、山鳩には関係がない。関係してくるのは、志賀直哉である。
 けれども、それをくだくだと書いてしまうと、友人の姿がぼけてしまう。書きこみすぎて、友人の輪郭がことばに飲み込まれてしまう。だから、そういうことは書かない。書かなくてもわかることは書かずに、読者に想像させてしまう。
 そうすると不思議なことが起きる。
 読んだ文章は非常に短いのに、読むことで動いたこころ(想像)は、はるかに長い。志賀直哉は「恐しい」とだけ書いてあるのだが、私はそのことをめぐって、ここに書いたようなことを感じ、それをことばにする。志賀直哉の書いたこと以上のことばが私のなかで動く。
 そのとき短編が長編にかわる。
 志賀直哉の小説はたいがいが非常に短い。しかし、読み終わると実際の長さの何倍にも感じる。それは志賀直哉の書かなかったことばを、読者がかってに考え、補うからである。充実したことばとは、そういうものだ。
 だから、読みはじめると、何度でも同じところを読み返してしまう。

和解 (新潮文庫)
志賀 直哉
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志賀直哉(15)

2010-10-20 20:48:45 | 志賀直哉
「末っ児」(「志賀直哉小説選 三、昭和六十二年五月八日発行)

 最後の部分がおもしろい。こどもに傘を持っていけと志賀直哉は言った。けれど、末っ子は持っていこうとしなかった。

私は急に腹を立て、呼びもどし、持つてゐる竹箒で背中を二三度、強く叩いてやつた。K子は一寸涙ぐみ、黙つて傘を持つて出かけて行つた。然し相にくな事に其日は曇つたままで、夕方K子が帰つて来るまで、遂に雨は降らなかつた。

 私は「急に」腹を立て、がいかにも志賀直哉らしい。それよりも、「然し相にくな事に」がさらにおもしろい。「あいにく」は、こんなふうにつかうだろうか。ふつうは、逆だろう。雨を予想せずに傘を持っていかなかった。しかし、あいにく雨が降ってしまって、濡れてしまった。
 志賀直哉がつかっている「相にく」は、ほんらいなくていいことばである。「相にくな事に」を省略して、「然し其日は曇つたままで、夕方K子が帰つて来るまで、遂に雨は降らなかつた。」の方が「学校教科書(文法)」の日本語になる。しかし、志賀直哉は、そこに「相にくな事に」を入れたかった。使いたかった。
 なぜだろう。
 「あいにく」がだれにとって、「あいにく」なのかが関係してくる。その「あいにく」は末っ子K子にとってではない。
 「あいにく」と感じているのは志賀直哉なのである。こどもを殴ってまで傘を持たせた。必ず雨が降ると言って傘を持たせた。腹を立てて自分の考えを押し通してしまったが、その通りにはならなかった。そのことをこどもから問い詰められると、志賀直哉には返すことばがない。
 それ以前に、末っ子が、いささかこましゃくれた物言いで志賀直哉たちをとっちめているだけに、きっとそういう反撃があったに違いないのだ。けれど、そういう実際の「反撃」を書かずに「あいにく」だけで暗示させている。
 この「暗示」がおもしろいのだ。
 書いてしまうと、それはそれで末っ子の面目躍如ということになるかもしれないかもしれないけれど、そこに書かれることはきっと想像の範囲を出ない。「お父さんは雨が降ると言ったのに、降らなかったじゃない」というようなことにきまっている。もし、デパートで優遇されたときのように、あるいは映画を見に行くときのような、「特別」なことばを末っ子が言ったのだとしたら、それはそれで、しっかり描写されているはずである。そういうありきたりは省略し、「あいにく」とだけ書き、末っ子のおもしろい部分を浮き彫りにする。そのことによって、書かれている「世界」が凝縮したまま完結する。
 書かないことによって、短くなるのではなく、書かないことによって、「世界」の描写そのものが充実し、長くなる。「長編」になる。そういう「仕組み」(仕掛け)が、「相にくな事に」という短いことばの中にある。




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志賀直哉(14)

2010-09-21 12:05:09 | 志賀直哉

「奇人脱哉」(「志賀直哉小説選 三、昭和六十二年五月八日発行)

 彫刻師・渡邉脱哉のことを書いた作品である。「人間がぬけてゐるから」というところからつけられた号だという。いろいろな話が出てくるが、最初の方に書かれている「盆栽」に対する志賀直哉の批評がおもしろい。

何(いづ)れも取るに足らぬ駄物ばかりであつた。唯、本統に愛翫してゐた為め、世話が行き届き、苔など、青々と、しつかりついてゐるのには好感が持てた。

 「本統に愛翫してゐた為め」ということばがあたたかい。この一文はなくても意味は通じる。さらにいえば、この「本統に愛翫してゐた為め」の「本統に」も、「意味」上はいらないことばである。けれども、志賀直哉は書く。ここに志賀直哉の「思想」(肉体)があらわれている。特に、「本統」ということばに。
 志賀直哉は「本統」しか書かない。
 「本統」ということば(表記)を私は知らなかった。志賀直哉以外にだれかつかっているかどうかも知らない。しらないからいいかげんなことを書いてしまうのだが、この「本統」という表記の仕方は、志賀の「思想」そのものをあらわしているかもしれない。
 「本統」の「統」は「統一」の「統」である。すべてをまとめる。その「本」というのだから、ものごとの「中心」、あるいは「はじまり」かもしれない。すべてを最初から最後まで統一していく力を指して、志賀直哉は「本統」をつかっている。
 「本統」というのはかるい表現ではなく、志賀直哉が心底共感したもの、志賀直哉が共有しても自分が困らないものに対して向けられたことばなのだ。
 ここでは、何かを愛玩するという気持ち、大切にするという気持ちを評価して「本統」と読んでいる。それはまっすぐに動いていく。だから、世話が行き届く。「本統」でなかったら、その「世話」は行き届かない。どこかでねじれて、水が涸れるように涸れてしまう。
 それはときに「我流」という流れになることもあるが、「我流」というのも「本統」である。独自のこころの「源」であり、そういう「源」から流れてくるものを志賀直哉は高く評価する「おもしろい」と感じている。
 風呂で石鹸をつかわないという脱哉の主張を紹介した部分がある。

人体から脂が出るといふのは健康に必要ガアルから出るので、それをシャボンで落して了しまふのは無謀な事で、例へば鰻でも、ヌラを去(と)ると、弱つて了ふ。人間の脂は鰻でいえばヌラと同じものなのだという理屈である。

 その意見に賛成というののではない。ただ、そんなふうに「本統」に考えるのは、おもしろい。そこにはまちがった論理の流れがない。一直線に流れていく「勢い」がある。
 こういう「本統」の「勢い」を「肉体」のなかにもっている人、そしてそれを生活のなかにまっすぐに実現するひと--そういうひとは「忘れる事の出来ない人」になる。そして、その「本統」の流れは、ときどき、志賀直哉たちの話題のなかに、ふっと噴き出してくる。脱哉とともに。


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志賀直哉(13)

2010-09-12 08:03:09 | 志賀直哉

「蝕まれた友情」(「志賀直哉小説選 三、昭和六十二年五月八日発行)

 同じのものが、気持ちのあり方で違って見える。その違いを志賀直哉は明確にことばにする。「蝕まれた友情」の「二」の部分。( 197ページ)

待つてゐる人の乗つた汽車が遠くからプラットフォームに入つて来る時のあの感じは、不断、自分が乗る為に待つてゐる時の汽車とは別のもののやうな、堂々とした感じで乗込んで来るものだ。

 この印象の正確さ--それに驚くと同時に、それがとてもなつかしいような、つまりそれが志賀直哉の気持ちではなくまるで自分の気持ちのような気がしてしまうのは、「汽車が遠くからプラットフォームに入つて来る時のあの感じ」の「あの」からによる。
 「あの」。連体詞。はじめての感じではなく、いつか経験したことのある感じ。そしてそれは自分が知っているだけではなく、他人も知っているということがら。「あのことは、どうした?」というときの「あの」。その「あの」によって、読者の(私の)記憶のなかから、列車を見た記憶がよみがえってくる。それも誰かをホームで待っているときの記憶が。そして、志賀直哉の記憶と重なる。
 こういう感じを起こさせるもうひとつのことばは「遠くから」である。列車は、わざわざことわらなくても「遠くから」ホームにはいってくる。わざわざほ「遠くから」ということばが書かれているのは、それは「距離」ではなく「時間」をあらわすためなのだ。「遠くから」ホームまでの「距離」ではなく、「遠くから」ホームまでの「時間」。「入つて来る時」の「時」。
 何もせず、待っている。その待つという「時」のなかに、「あの」記憶が入ってくる。列車の動きにあわせて、感情が少しずつ、ことばになってくる。
 その動きが「別のもののやうな」と、いったん突き放され、「堂々とした感じ」でもういちど自分にぐいと近づく。自分のなかから「堂々とした」という印象が力強くあらわれてくる。

 志賀直哉は、ここでも、ことばを感情のリズムを再現するようにして動かしている。



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志賀直哉(12)

2010-07-26 12:53:41 | 志賀直哉

「蝕まれた友情」(「志賀直哉小説選 三、昭和六十二年五月八日発行)

 「一」の部分に、友人が海でおぼれかける場面がある。なんとか泳ぎきり、浜へたどりつく。

 青い顔をして、君は砂の上に水を吐いた。その水に油が浮いてゐた。その昼、佐久間の家(うち)で天ぷらを食つた、その油だ。

 思わずうなってしまった。うまい、というと「小説の神様」だからあたりまえなのかもしれないが、うまい。ほんとうにうまい。リズムが正確である。意識、思考のリズムが、これ以上ないくらいに正確である。

 その水に油が浮いてゐた。

 これは読んだ瞬間、なんのことかわからない。おぼれかけた人間が、丘にあがって水を吐く。海で飲んだ水を吐く。それまでは、わかる。でも、油? なぜ? 海に油が浮いていた? そういう汚い海で泳いでいた? いや、違う。
 何?
 これは、水を吐いている友人を見ていた志賀直哉自身の疑問かもしれない。驚きかもしれない。
 その驚きを解明するようにして、「過去」が思い出される。昼食に天ぷらを食べた。その天ぷらの油が、まじっているのだ。
この、水を吐くという「ありふれた事実」。それに油が浮いているという不思議な現象。それを見る驚き。それから、理由がわかる。納得する。その意識のリズムが、ほんとうにリアルである。
 たとえば、これを、

君は水を吐いた。昼、佐久間の家で天ぷらを食べたので、その天ぷらの油が消化されないまま、吐いた水に浮いていた。

 という具合に、途中に「理由」を挿入してしまうと、意識の流れとは違ったものになる。ある事実を説明するのに、「理由」を途中に挿入すると、そこに起きていることのスピードがにぶる。事実を見て、人間の意識は動くのだが、その動きが、実際に動いたままの動きとは違ってきてしまう。
 意味としては同じことを書いているのに、まったく違ったものになってしまう。

 ことばが伝えるのは「意味」だけではない。いや、「意味」などどうでもいいのだ。重要なのは、ことばの運動(動き)が、意識の動きとどれだけ合致しているかということなのだ。意識の動きのスピードをそのまま再現した文章が、ひとをひきつけるのだ、と思う。


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志賀直哉(11)

2010-07-22 12:10:05 | 志賀直哉

「灰色の月」(「志賀直哉小説選 三、昭和六十二年五月八日発行)

 山手線でのスケッチ。人間描写が、厳しい。

 地(じ)の悪い工員服の肩は破れ、裏から手拭で継(つぎ)が当ててある。後前(うしろまえ)に被つた戦闘帽の廂の下の汚れた細い首筋が淋しかつた。

 志賀直哉は徹底的に「視力」のひとだと思う。目で見たものを「事実」と考えるのである。そして見たものを書いたあと、そこから「淋しかつた」というような感覚を躊躇せずに引き出す。このスピードが独特だと思う。とても速い。そして、その速さのために、それまで視力がとらえてきたものも、ぱっと洗い流される。「よごれた」ということばさえ、不思議と「よごれ」が広がらない。どんなに汚い(?)ものを書いても、それが汚さとしてあふれてこない。
 不思議な文体の力だと思う。

 次の部分は、このスケッチのなかでいちばん不思議なところである。

 少年工は身体を起こし、窓外(そと)を見ようとしたとき、重心を失ひ、いきなり、私に倚りかかつて来た。それは不意だつたが、後でどうしてそんな事をしたか、不思議に思ふのだが、其時は殆ど反射的に倚りかかつて来た少年工の身体を肩で突返した。これは私の気持を全く裏切つた動作で、自分でも驚いたが、その倚りかかられた時の少年工の身体の抵抗が余りに少なかつた事で一層気の毒な想ひをした。

 少年工の体が寄り掛かるように倒れてきた。それを思わず肩ではね返した。それは自分の意思に反していた。なぜなんだろう。そういう一種の「反省」を正直に書いているのだが、三つの文章のなかに、3回「倚りかか(る)」ということばが出てくる。簡潔な文章、「小説の神様」といわれる志賀直哉にしては、志賀直哉らしからぬといいたくなるような文章である。
 けれど、この繰り返しによって、少年と志賀直哉の肉体が何度も何度も接触する。あ、志賀直哉は、この接触をなんとか正確に書こうとして、その「正確」を探しているのだ、ということがわかる。
 志賀直哉は、目にみえるものを「事実」として正確に書くと同時に、自分のこころから「間違いのない感情」を引き出そうとしているのだ。

気の毒な想ひ

 倒れてきた少年を、肉体がかってにはね返してしまった。それは「気の毒なことをした」--志賀は、「気の毒」というこばをさぐりあてることで、やっと落ち着くのである。そのとき、自分自身のしたことを、やはり清潔に洗い清めるのである。
 「気の毒」を、志賀直哉は、しかし目立たない形(感情だけが目立つ形)にはしない。そっと「事実」のなかに返していく。このことばの運動も、とても美しい。
 先の引用した三つの文につづいて、次のようにことばが動いていく。

私の体重は今、十三貫二三百匁に減つてゐるが、少年工のそれはそれよりも遥かに軽かつた。

 ここには「倚りかか(る)」はない。

私の体重は今、十三貫二三百匁に減つてゐるが、「倚りかかつて来た」少年工のそれはそれよりも遥かに軽かつた。

 と書くこともできるし、実際、そういう意味なのだが、ここでは「倚りかか(る)」を省略する。そうすると、そこから少年工の不作法(?)が消え、志賀直哉の「気の毒」がより鮮明になる。
 そんなふうにして、志賀直哉は、少年が寄り掛かってきた「事実」を消し、志賀直哉が少年をはね返したという「事実」に書き換え、「気の毒」を体重で強調する。「気の毒」が志賀直哉の反省であると同時に、読者が納得できる形にする。

 こういう文章を読むと、たしかに志賀直哉は「神様」かもしれないと思う。

暗夜行路〈前篇〉 (岩波文庫)
志賀 直哉
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志賀直哉(10)

2010-07-20 10:03:36 | 志賀直哉

「馬と木賊」(「志賀直哉小説選 三、昭和六十二年五月八日発行)

 「馬と木賊」は、かなりかわった文章である。「「馬」といふ活動写真は面白かつた。」とはじまるが、「馬」がどういう映画なのか、よくわからない。
 映画は、

 母馬(おやうま)が売られた仔馬を気狂ひのやうになつて、嘶(いなな)きながら探し廻はる場面を見、

 という2段落目(2行目)の途中までに書かれた、それだけである。志賀がこの文書をを書いた当時は評判になった映画で、なんの説明もいらないということかもしれないが、誰が出たとも、どんなストーリーとも書いていない。志賀が書いている部分がクライマックスなのか、ほんのエピソードなのかもわからない。
 文章は、このあと、

私は昔、赤城(あかぎ)の山の上で、はぐれた馬の親子が互に呼び合つてゐるのを見た時の事を憶ひ出した。

 とつづいて行く。
 そして映画ではなく、志賀の実際に見た馬の描写がつづく。はぐれた馬の親子がやっと互いを見つけ出したときの喜びの様子、それが一転して何もなかったかのように草を食べはじめたときの様子を書いている。
 それから突然、能「木賊刈(とくさかり)」で、人さらいに連れて行かれた子どもと老翁が再会し、喜ぶ場面を見たときの感想を書いている。
 老翁の喜びの動きを見て、

馬の親が出会つた喜びに暫く跳(と)んでゐたのよく似てゐた。
 私が「木賊刈(とくさかり)」を見たのは今から凡そ二十年前(まへ)、馬のそれを見たのは二十七年前(まへ)、そして最近活動写真の「馬」を見て、前の舊い二つを憶ひ出した。

 と終わる。
 
 映画の感想は?

 まったくのしり切れとんぼというか、映画などどうでもいいような感じの文章なのだが、不思議に、その映画を見てみたい気持ちになる。
 なぜなんだろう。
 志賀直哉は、「馬」という映画を見て、あたかもはぐれた馬の親子がやっと再会したかのような、そして生き別れになっていた子どもと老人が再会したかのような感覚になったのだ。
 その感情が、そこにあふれているからだ。「映画」の説明ではなく、映画にふれたときの志賀の感情が、そのまま、ルール違反(?)のように、直接、そこにあふれているからだ。みたこともない形であふれているからだ。
 「馬」をとおして、赤城山で見た馬の親子に再会し、能「木賊刈」に再会した。そのとき、志賀は馬の親子のように飛び跳ねていた、老翁のように体が動いていた、ということだろう。志賀は、そのとき赤城山の馬になり、能のなかの老翁になっているのだ。
 --もちろん、こころのなかでのことだが。

 文章の途中、

老翁の感情がその儘に映つて来た。

 という表現がある。この「映る」。これが、この短い文章のハイライトであると思う。
 「映る」というのはふつう「反映」のことだが、「はえる・かがやく」というような意味もある。志賀は、老翁の感情が、老翁の動作のなかから、まるで「いのち」のように輝きだしてきて、それが直接、志賀をとらえた、という意味でつかっていると思う。
 赤城山で馬の親子を見たときも、きっとその感情が馬の動きのなかから光となってあふれだし、志賀がそれにとらえられたというのだろう。
 ある感情が、その感情の主体(馬、老翁)を突き破って、ひかりとなって輝き、あふれだす。それが「映る」。そして、それを見るとき、その「いのち」が志賀直哉に「移ってくる」。
 「映る」から「移る」へ。それは「感染する」(うつる)ということかもしれない。
 そして「移る」「感染する」というのは、ある存在と存在、ほんとうは離れているのに、それが接触するということでもあるのだが、そのときの「離れている距離」というのは、その瞬間消えてしまう。
 志賀は、能を見たのが何年前か、赤城山で馬を見たのが何年前か、わざわざ書いている。それは、そこに書いてある「時間--時の距離」が、映画をみたその一瞬、消えてしまったということだ。
 感動というのは距離をなくし(消して)、「いま」「ここ」にあるものとして「共振」することなのだと思う。
 志賀直哉は、この「共振」を剥き出しの形で、ぐい、と押し出してくる。



志賀直哉全集 (第3巻)
志賀 直哉
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志賀直哉(9)

2010-05-30 15:26:12 | 志賀直哉
「早春の賦」(3)(「志賀直哉小説選 三、昭和六十二年五月八日発行)

 雪の描写が美しい。151 ページ。宇奈月温泉へ向かう場面。

陽のあたつた所は桃色に、影の雪は紫がかつて見えた。近い雪の面(めん)は粒立つて光り、地を被ふ雪の厚さは自(おのづか)らそれと知れた。

 桃色と紫。朝の雪はたしかに色が違うのだ。ここでは雪というよりも、朝の光を描写しているというべきなのだろう。
 次のざら雪の描写は、なんでもないようだが、「近い雪の面」の「近い」に私はびっくりしてしまう。
 降り積もった雪が再結晶するというと変だけれど、六角形の美しい結晶がとけて塊、小さな氷になり根雪になる--その根雪の表面の雪。その「粒立つ」感じは「近く」でないと見えない。そんなことはわかりきったことなのに「近い」とわざわざ書く。
 ここに志賀直哉の視覚(視力)の正直さがでている。
 桃色と紫は遠い景色である。その桃色と紫も近くで見ると桃色、紫は意識できない。桃色、紫よりも、雪の「粒立つ」感じの方に視覚が引っ張られるからである。
 「近い」がないと、この描写は生まれてこない。

 視覚の強靱さ、その感覚をきちんと肉体に取り込む力は、剣岳越しに昇る朝日の描写にも強く感じる。155 ページ。

剣山(つるぎさん)の後(うしろ)から湧き上る曙光は恰(あたか)も金粉を吹き出すやうで、後年、伝源信(げんしん)作「山越弥陀(やまごえみだ)」を見て、其時の曙光を憶ひ出し、感心もしたが、未だ物足らぬ気もした程であつた。

 「未だ物足らぬ気もした程であつた。」がとても強い。画家の再現した光よりも、自分の肉体(視力)の記憶を美しい、と志賀直哉はいうのである。
 このあとすぐ、月の描写も出てくる。これも美しい。

月は能登(のと)半島の上へ落ちて行き、その空は銀色に澄んで暗く、東の空は金色から段々明るくなつて行つた。

 富山の早春の朝の、いちばん美しいものだと思う。
 「空は銀色に澄んで暗く」の「澄む」(透明)と「暗い」の対比が強烈である。
 志賀直哉の視力は、ほんとうに驚くほど強い。



志賀直哉はなぜ名文か―あじわいたい美しい日本語 (祥伝社新書)
山口 翼
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志賀直哉(8)

2010-05-18 23:37:21 | 志賀直哉

「早春の賦」(2)(「志賀直哉小説選 三、昭和六十二年五月八日発行)

  140ページ、昔住んでいた家を訪ねる場面。

 私は昔から用もない品々を雑然と身辺に置く癖があり、永くさうしてゐると、つまらぬ物にも愛着を生じ、捨て難い気持になりそれらに取巻かれてゐる事で、自家(うち)といふ感じもするのだが、今、此所に来て、それらが一つもないと、最早自家の感じはなく自家とは家屋よりも寧ろさういふ品々の事かも知れないと云ふやうな事を思つた。

 これは、とても納得がいく。とても納得がいくし、あ、さすがに小説の神様はしっかりした視力をもっているなあ、とあたりまえのことに感心する。
 そして、そのぼんやりした感心に、次の文章が襲い掛かってくる。たたみかける、というのではないが、静かに書かれて、次の段落で、私はうなってしまった。

 二階の客間で昼飯の御馳走になつたが、此部屋には前から余り物を置いていなかつたためか、却つて、ゐた時の感じがあり、懐かしい気がした。戸外(そと)は山国らしく、遠く青空のみえたまま、綿雪がさかんに降つて来た。

 物を置かなかった部屋。それが、部屋そのものなので、「ゐた時の感じがあり、懐かしい気がした。」こういうことは、誰も書いていないのではないだろうか。目があらわれるような気がした。
 そして、このすばらしい文章を、志賀直哉は、「戸外(そと)」を書くことで、そっと隠している。「自家(うち)」は、このとき、まさに「内」になる。「内」の、こころの懐かしさ--それを、知らん顔でひろがっている「外」。
 余韻がある。

志賀直哉随筆集 (岩波文庫)
志賀 直哉,高橋 英夫
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志賀直哉(7)

2010-05-13 23:51:24 | 志賀直哉
「早春の賦」(「志賀直哉小説選 三、昭和六十二年五月八日発行)

 「同感」ということばがある。
 「奈良に来て最初の印象は不相変(あひしはらず)の奈良だと云ふ事だつた。」という感想を志賀直哉が持つ。奈良に着くまでは、なんの感想も持っていないような直吉がふとことばをもらす。そのシーン。( 133ページ)

 「何も彼もあんまり同じだね。二年間高田馬場に住んで来たやうな気が少しもしないぢやないか」
 直吉も同感である。 

 特別な「意味」があるわけではない。同じように感じること、考えること--それだけのことばであるけれど、その意味が、すとん、と胸に落ちる。
 それには、理由がある。
 それまでに「同感」ということばをつかわずに、少しずつ違ったふうに書かれているからである。
 丸い山の裾に畑があり、そこに人が働いている。それを見て、「私は和やかないい気分になつた。」その後。

 此感興は再び来て同じやうに感じられるかどうか分らない性質のものだが、現在の感興が私だけの主観でない事は紫峰君も感心してゐる事で私には分つてゐた。只一緒に居る直吉がどう感じてゐたか、これは訊いて見なかつたが、「いい加減にきりあげて呉れないかな。腹がへつて来た」とこんな事を思つてゐたかも知れない。子供は光りのないかういふ静かな景色、しかも寺は、決して愉快には感じないものだらう。(130 ページ)

私は京都で二年、奈良に十三年、前後十五年間此辺の風景に親しんで来たから、久振りに眺める窓外の景色は珍しくないが、何か淡い楽しみとなつた。然るに奈良で生れ、奈良弁を使つて育つた直吉にはこれらの風景に対し、何の感情も持つ風なく、首を不自然な位に垂れて、持つて来た大衆小説に全心惹込まれ、読耽つてゐた。
 「おい。宇治川だ。工兵の鉄舟が浮いてゐる」
 私がかういつても、一ト言では返事もしない。
 (略)
 「木津川に来た。久しぶりで来たんだ。少しはそとを見ろよ」と云ふと、直吉は困つたやうな変な笑ひを浮かべ、本を伏せ、拳固で首筋を叩きながら窓外を見るが、依然何の興味もない風だ。つまり、私のやうな感傷主義がないのだ。(131 -132 ページ)

 志賀直哉の「感傷主義」と直吉の気持ちの違いがくっきりと浮かび上がっているので、直吉が突然「感情(感傷)」をもらすとき、離れていたものが一気にぴったりと重なり、「同感」が「同じ」「感じ」が凝縮して「同感」になったものであることが、すとん、と納得できるのである。
 「同じように感じていた」では、まだるっこしい。「同感」であるからこそ、すとんと胸に響く。ここは、「同感」という熟語であらねばならないのだ。

 志賀直哉は、ことばのリズムの必然性を熟知しているのだと思う。
 それは、いまの「同感」だけではない。たとえば、先に引用した部分でいうと、「おい。宇治川だ。工兵の鉄舟が浮いてゐる」「木津川に来た。久しぶりで来たんだ。少しはそとを見ろよ」この二つの志賀直哉のことばにもあらわれている。短いことばのたたみかけ。文と文とを結ぶことばはなくて、ぶつんぶつんと切れる。それでいて、その文と文とは強い接着力で結びついている。「久しぶりで来たんだ(だから)、少しはそとを見ろよ」というように、ねちねちしない。ねちねちしているほどの余裕もなく、感情が突っ走るそういうリズムのあとに、「同感」ということばがある。
 さらに。

 「おい。宇治川だ。工兵の鉄舟が浮いてゐる」
 「木津川に来た。久しぶりで来たんだ。少しはそとを見ろよ」
 「何も彼もあんまり同じだね。二年間高田馬場に住んで来たやうな気が少しもしないぢやないか」

 この三つを比較すると、もっとおもしろいことがわかる。
 文章が少しずつ長くなっている。
 ひとは、感情が強く動いているときは、長いことばを言えない。感情はことばにならないまま、ことばからはみだしている。
 「おい。宇治川だ。工兵の鉄舟が浮いてゐる」は、「おい。宇治川に来た。工兵の鉄舟が浮いてゐる。そとを見ろよ」なのである。「に来た」「外を見ろよ」はことばにならないまま、声にのみこまれている。その声を志賀直哉は、そのまま書いているのである。そして、その声のなかのことばになっていない部分が正確に直吉につたわっていないと感じたからこそ、次に直吉に外を見ろよ、というとき、それをことばにしている。「外を見ろよ」といっている。理由も「久しぶりで来た(のだから)」とつけくわえている。
 そういうことばがあって、それに同感するとき、直吉は、その重複するものを省略している。
 直吉のことばは次のように言いなおすこともできるのだ。
 「ほんとうだね。久しぶりに来たのに、何も彼もあんまり同じだね。同じに見えるので、二年間高田馬場に住んで来たやうな気が少しもしないぢやないか」
 直吉のことばには、志賀直哉が二度目のことばで言った「久しぶりに来た」と「見る」が省略されている。
 この省略が「同じ感じ」の「じ」を省略する動きにつながっている。「同感」につながっている。


和解 (新潮文庫)
志賀 直哉
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志賀直哉(6)

2010-04-09 11:14:54 | 志賀直哉
 「鬼」(「志賀直哉小説選、昭和六十二年五月八日発行)

 志賀直哉は短いことばが非常に印象に残る。たとえば、前回感想を書いた「菰野」。列車から見る風景。

遠い百姓家に咲いてゐる凌霄花(のうぜんかづら)が雲を漏れてさす陽を受け、遠いのに度強(どぎつ)く眼に映つた。

 「遠いのに度強(どぎつ)く眼に映つた。」がとても印象的だ。「遠い」は「雲を漏れてさす陽」と呼応している。その調和を「度強く」が破る。
 そういう呼吸とは、逆の文章も、ときどき非常にこころに残る。
 「鬼」は近所にいた「小鬼」のような少年(井上)を描いたものだが、その文章の最後に追加されたことばが、私はとても好きだ。

 井上は駆チク艦に乗つてゐて、艦長から此文章の載つてゐる雑誌を見せられ「お前の事だらう」と云はれて読んだと云ひ、私が新町に移つてから訪ねて来たが、前の井上と変り快活によく話し、如何にもなつかしさうな様子をしてゐた。その後何の便りもなく、どうしたかと思ひ、一年程してからかと思ふが奈良にいつた時、兄の食品店を訪ねたら船が沈んで戦死したといふ事だつた。

 「乗つてゐて……載つていゐる」「云はれて……云ひ」「どうしたかと思ひ、……からかと思ふが」という繰り返しが、ことばをゆったりとさせている。その、すこし間延びさえした感じが、ひとを思い出している気持ちにとてもあっている。あ、と叫んで、突然、強烈な印象で思い出すのではなく、ああ、という感じが伝わってくる。
 そして、そのリズムが、それに先立つ小説の本編の「小鬼」の快活な描写と美しい対比になっている。



志賀直哉はなぜ名文か―あじわいたい美しい日本語 (祥伝社新書)
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志賀直哉(5)

2010-04-01 12:01:44 | 志賀直哉
 「菰野」(「志賀直哉小説選、昭和六十二年五月八日発行)

 私はときどき不思議なことばにひっかかる。98ページの終わりの方。

時間は少しおそかつたが、延ばせば、又気が変りさうなので小さな荷物を持つて、兎に角家を出た。

 この行の「兎に角」に傍線が引いてある。そのことばが気に入ったのだ。「兎に角に志賀直哉の「正直」を感じたのだ。「兎に角」は「意味」がない--というと言い過ぎだけれど、そのことばがなくても、「家を出た」という事実はかわらない。でも、志賀直哉は、そのことばを書きたかった。
 このことばに私がひっかかった理由は、今となっては、ちょっとわからないところがある。
 本を読んだのは、実は、きょうではない。このことばについて書こうと思うことがあって、そこに傍線を引いたのだが、今は、その理由を正確に思い出すことはできない。だから、今から書くことは、そのことばにひっかかったときとは違った感想かもしれないのだが……。

 「兎に角」ということばは余分である。ふつう、余分なことばは、ことばの運動を妨げる。余分なことばが入ると、それだけことばは遠回りすることになる。「兎に角」というのは4音節だが、4音節にしろ、遠回りすることにかわりはない。簡潔な文章で有名な志賀直哉が、4音節とは言え、遠回りするのはおかしい。
 --頭で考えるとそうなるのだが、不思議なことに、この4音節のことばは逆に働く。遠回りではなく、ぐずぐずしているものを駆り立てる。
 たしかに「兎に角」は、なにはさておき、ということだかから、行動を駆り立てるものには違いない。
 ここで、私は、ちょっとうなったのである。(今、思うと。)
 自分自身を駆り立てるようにして動く。そのことをわざわざ4音節のことばをつかって書くということに、なぜか、うなってしまったのである。
 これが志賀直哉ではなく、冗漫な文体の作家の文章なら、うならない。あらら、余分なことばを書いて、文章がだらけている、と感じたかもしれない。けれど、志賀直哉の文章では、なんといえばいいのだろう、文体に紛れ込んでくるかもしれないものを拒絶するために、「兎に角」がつかわれていて、そのことばをバネにして、ことばが動く。
 そういうことが、「肌」につたわってきた。「肉体」に伝わってきた。
 それに驚き、たぶん、私は傍線を引いたのだ。

 この「兎に角」は最後の方にも出てくる。 111ページである。

 兎に角、もう帰らうと思つた。此不愉快な仕事を我慢してする必要はない。自分は矢張り此事件で慢性的に疲れてゐるのだ。

 ここでも「兎に角」は「拒絶」である。
 この小説は、弟とその金銭をめぐるトラブルを題材にしているのだが、そのトラブルを志賀直哉は引き受けるのではなく、拒絶しようとしている。
 その拒絶の「意思」が、そういう、文体の細部に、ことばの細部に影響しているのかもしれない。--と書くと、うがちすぎた見方になるかもしれないが、どうもそんな気がする。

 私の読み方は、うがちすぎはうがちすぎなのだろうけれど、そんなふうに志賀直哉のことばは、いつも志賀直哉自身の「気分」に強く支配されているところがある。そして、その「気分」の支配--支配されていることばに、私は「正直」を感じるのだ。





志賀直哉随筆集 (岩波文庫)
志賀 直哉,高橋 英夫
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