詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

2020年11月30日(日曜日)

2020-11-30 10:45:05 | 考える日記
 私は少しずつスペイン語を勉強している。どうしてもわからないことがある。特にややこしいのが「接続法」である。日本語にはない概念である。「主節にこの動詞(ことば)があるとき、従節は接続法になる。覚えるしかない」という乱暴な人もいる。そのうちになれる、というのである。
 そうかもしれない。
 しかし、私は突然、気づいた。「ことば」とはなによりも「哲学」である。つまり、人間そのものである。「ことばをつかむ」ということは「人間をつかむ」ということである。「文法をつかむ」ことではない。
 「接続法」はスペイン語だけではなく、フランス語にもある。たぶん、イタリア語にもドイツ語にもあるだろう。そして、その言語を話す「人間」はどういう人間か。私はある日、インターネットでスペインの友人と話していて、突然、気づいたのだ。あ、このひとは「他人」なのだ。独立した存在なのだ、と。あたりまえなのだが、この「個人(他人)の重視」という哲学が「接続法」のなかに生きている。
 言い直すと、私(主節)が何を考えようが、従節(他人)は別個の次元を生きている。主節と従節で「主語」が変わるならば、動詞(私の好きな言い方で言うと、肉体の動き)は私とは関係がない。無関係に生きている。他人は私の感情や意志では動かない。そういうことをヨーロッパの言語は「文法」として人間にたたき込むのである。

 日本で「同調圧力」というものが語られる。そんなものはスペイン語やフランス語では成立しない。日本語は、日本語を話す相手は「自分と同じように考える」ということを前提としている。でもヨーロッパのことばは、「他人は自分の考えとは関係なく生きている」と明確に意識している。
 「文法」の正しさをいくら追求しても何も始まらない。まず「人間」をつかむこと。そこから出発しないといけないのだ。

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小笠原茂介『幻の白鳥』

2020-11-30 10:20:57 | 詩集
小笠原茂介『幻の白鳥』(思潮社、2020年10月30日発行)

 小笠原茂介『幻の白鳥』の「折れた洋傘」は、詩集の中では少し変わっている。詩集全体をつらぬくテーマとは違っているかもしれない。しかし、だからこそ小笠原の「正直」が静かに呼吸をしている。
 1960年5月19日の夜から20日にかけてのことが書いてある。20日のことをだけを書いてもいいのだが、19日の夜から書き始めている。ここにまず小笠原の「正直」がある。すべてのことがら(事件)は、その瞬間だけで存在するのではない。それを成り立たせる「ひろがり」をもっている。「ひろがり」というのは散らばっているということでもある。その散らばっているものをひとつひとつあつめて、これは「自分のもの」と確認し、「私」というものをつくっていく。こういうことが、この詩集の大きな流れであり、その中心に「朝子」がいる。朝子とのつながりのなかで育ってきた小笠原がいる、ということを静に語っているのがこの詩集なのだが、この「折れた洋傘」は少し変わっている。
 こんな具合だ。

しらじらの夜明け 雨もよい
玄関の傘立てから
いちばん古ぼけ浮き上がっているのを引っ掴み
始発の電車を目指し 走り出る
朝子が追ってきて
--それ お父さんの洋行記念の…ロンドンの…
呼びかけたのを聞き流し 走り去る

 朝子を置き去りにして、走り去る。朝子の言うことを聞かずに走り去る。朝子よりも大事なものがある。傘の意味を、小笠原は、このとき理解していない。
 60年5月20日は、忘れてはならない日である。

代々木公園のいつもの一郭には
学生らしい連中がパラパラいたが
見知っている顔はない 全学連の旗もまだ立っていない
なんとなく いまいるものだけで
とりえあずデモろうということになり
にわか仕立ての三列縦隊 みんな手ぶらで
ぼくの華奢で長身の傘を先頭の三人が前に構え
気づくと その真ん中が持ち主の小柄なぼく
右 左と見あげれば
日焼けした屈強な大男 かつて中野重治が
「ふっとぼおるばかり蹴っているものものいる」と詩に書いた種族だ
(逃げられない!)

 ここに存在するのも、まだ「ひろがり」であり、「核」ではない。「なんとなく」があるだけだ。「核」があるとすれば「気づくと」ということばの「気づく」である。気づいて、それを確かめると、それは小笠原の「肉体」になる。「なんとくなく」ではなくなる。つまり、忘れられない「事件(できごと)」になるのだ。
 「できごと(事件)」は新聞やテレビで報道されることだけではないのである。

あたりには人影もまばら
国会議事堂までの一〇キロを黙々と進む
正門の扉は閉まったまま
警官はおろか 衛視らしいのもいない
目的地で流れ解散がいつものしきたり
(とりえあずこれが 新安保反対の最初のデモということか)
満足して両端の歩道をぞろぞろ戻る

 「とりあえず」と「満足して」が、のんびりしていて、不思議に楽しい。これも「気づき」のひとつである。中野重治の「ふっとぼおるばかり蹴っているもの」に通じる何かがある。最初は何かわからない。それでも納得し「満足」してしまう。
 ところが。

遠く壮んな掛け声が やがて姿をあらわす
色とりどりの鮮やかな組合旗 みごとな隊列からジグザグデモ
路上いっぱい 活気は空高く舞いあがる
(あの頃 日本の労組はまだ生きていた…)
二、三の声が 帰り道のぼくらに呼びかける
「行こう! いっしょに行こう!」
それはただの昂揚した気分の陽気な呼びかけ
「卑怯者!去らば去れ!」ではなかったが--

 「なんとなく」だったものが「とりあえず(満足して)」をとおって「やがて」「活気」になる。「活気」のなかに「気づき」の「気」がある。それは「空高く舞いあがる」。「活気」は「陽気」でもあるのだが、この「陽気」のなかには、小笠原をつらぬく素朴な「正直」がある。
 そういうことがあったあと……。

細身の傘が真ん中で折れているのは
帰りの電車に乗るときに気づいた
--また警官隊と揉みあったんでしょ!
いくら違うといっても朝子は信じない
--警官どころか 衛視みたいなのさえ まだ一人もいなかったよ
いっても まだ信じない

 「気づいた」ということばはいっしょに朝子が戻ってくる。
 いま、小笠原がこの詩を書いているとき、朝子はないのだが、小笠原はその「いない朝子」に対して語りかけ、「まだ信じない」とことばを補う。
 この最後の一行が、たまらなく「正直」である。
 言い直すと、「無意味」である。
 つまり、そこから何かがはじまり、現実に対して働きかけることができるわけではない。でも、その「無意味」を言うしかない。そして、これからが、大事。その「無意味」を受け止めてくれる人がいるということが、人間が生きていく上での支えなのだ。
 朝子が信じなければ、小笠原の言っていることはすべて「無意味」。「無意味」であるけれどというか、「無意味」という形で受け止めて、新しく一歩を踏み出すことができる。その新しい一歩は「60年安保」とは直接関係がない。でも、なんとなく関係している。その「なんとなく」の存在を許してくれる力と言えばいいのか。
 小笠原は、もう一度、あのときのこと、60年5月20日のことを語りたかった。それを朝子に語りたい。語って、そのことばを「嘘でしょう」と否定されたい。「信じない朝子」であるからこそ、信じさせたい。矛盾でしか言えない「正直」が、ここにある、と私は感じる。切実さがある。
 いままた小笠原が何かのデモに出かけ、帰って来たら、やっぱり朝子は信じないだろう。信じないからこそ、小笠原は出かけるだろう。そして帰って来て報告するだろう。そういう「無意味」ができるというのが、生きているということなのだ。

 ふと、また、私たちは、いまどんな「無意味」を実行できるだろうか。私たちの「無意味」を受け止める力をもった人間が何人いるだろうか、という気持ちにもなる。そして、突然、書いておきたい気持ちになる。私の感想は、小笠原にとって「無意味」だろう。見当外れな「誤読」を書きつらねているだけだ。でも、私は「無意味」になることで、ただ、その詩の隣に座っていたい。私はあなたではない。しかし私はあなたのそばにいる。それが迷惑であろうと、というのが私の詩を読むとき考えていることだ。








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萩野なつみ『トレモロ』

2020-11-29 10:38:13 | 詩集


萩野なつみ『トレモロ』(七月堂、2020年10月21日発行)

 萩野なつみ『トレモロ』の「午睡」にこんな行がある。

日付は打たないでおく
無数のまなうらに
あかるく濡れた切手を貼って
誰へともなく送りたい
ぬるくたわむ午後
ここにいてここにいない
やがて
むせかえるほどしずかな凪がくる
そのまえに

 とても美しい。とくに「むせかえるほどしずかな凪ぎがくる」が輝かしい。「むせかえる」と「しずかな凪ぎ」の対比が「太陽がいっぱい(アラン・ドロン主演)」のラストシーンを思わせる。「くる」という動詞も端的で強い。森鴎外の動詞の使い方に似ている。
 充足と倦怠と、なにもないことだけが孕む巨大な巨大な不安の暴力がある。

 だが、私がいま抜き出して書いた部分、そして私の抜き出した感想は、詩の全体とは相いれないものなのである。
 一連目には、「リネンの隙間を泳ぎわたる」という一行がある。その「リネン」をどう読むかによって、詩の世界は大きく変わるが、私が最初に引用した連のあと、詩は大きく転換する。

看取るべきものを看取り
わらったはずの窓辺に
余白のようにさざめくカーテン
ふれて、
なくした呼気をにじませながら
濃い影をしたがえて
あらゆる景色に
ひるがえる

 だめ押しのように、ことばはつづく。

出会いたかったあなたに
うたいたかった歌を
まどろみの底に浅く埋める
いつか
墓碑を濡らす朝にめざめて
ほそく立ち上がる
めぐりの果てで

 書こうとしている世界はわかる。まあ、私の「誤読」かもしれないが。愛する人が死んだのだ。だが、詩ということばを使いたくなくて「午睡」と呼ぶ。その瞬間、「嘘」が始まるのだが、その嘘を真剣につらぬくとき「詩」という別の次元の真実が生まれる。それを頼りに、いまを生きる。そういうこころの動きを書こうとしている。
 でも、私は、それを信じることができない。
 私が最初に引用した連のことばと、他の連のことばに連絡がない。いや、連絡はある。「日付」「まなうら」「濡れた」「送りたい」。とくに「ここにいてここにいない」は臨終に立ち会った人間なら感じるいちばんの矛盾を端的にあらわしている。
 だが、

むせかえるほどしずかな凪がくる

 この一行は、どうも違う。「文体」が違うと感じてしまう。この一行から「虚脱感」を引き出すことは、私にはできない。
 「祝日」の次の連の、

鳴る、ために
さみしさをためこむ
わたしたち
昨日の鍋を火にかければ
にんじん だいこん
ことこと、と
くずれていくかたち

 「昨日の鍋を火にかければ」という行を起点にして動くそのあとのことば、そのあとのことばを動かす「昨日の鍋を火にかければ」という行の強さに私はひかれるが、ひかれるからこそ「文体が違う」と感じてしまう。
 萩野の基本的な「文体」は、おなじ「祝日」から引用すれば、

あさ
ちぎれた五線が
寡黙で清潔な庭で
しらじらと燃えつづける

 というような「非日常の肉体」にあるだろう。そういう「文体」のなかに突然、「動かしがたい肉体(過去をもった肉体)」があらわれると、私はびっくりしてしまうのである。
 「夏の声域」はタイトルも美しいが、次の部分も美しい。

水面にくるめく
夢のような青白い雑音にくるまれて
息絶えたかった
夏の、

次第に翳る頬に
淡い読点を散らして
待つことはいつもさみしい

 ほんとうに美しいのは「次第に」以降の三行だが、その直前の連の「青白い雑音」という嘘っぽさ、「息絶えたかった」という嘘っぽさが、「次第に」からはじまる嘘を真実に変える「踏み台」になっている。
 特に「夏の、」の「、」が「読点」ということばになって復活し、「散ら」されるところが輝かしい。
 「頬」ということばは出てくるが、ここには「肉体」はない。「肉体はない」ということを強調するために「頬」が書かれているだけだ。
 「頭」から「肉体」を見つめ、その「肉体」から「本能」というか「欲望」を洗い流した上で、欲望、本能を失った「さみしさ」を書くと、萩野の世界になるんだろうなあ、と感じる。









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高橋睦郎『深きより』(12)

2020-11-28 11:08:18 | 高橋睦郎『深きより』


高橋睦郎『深きより』(12)(思潮社、2020年10月31日発行)

 「十二 その女によつて」は「清少納言」。

輝かしい女があつた その女を中心に 後宮が
宮廷があつた 国家があつた 世界が存在した

 この二行を読んだとき、私は「その女」を清少納言だと思った。「主人公」を客観的に(散文的に)語っているのだと思った。ところが、読み進むと「その女」と「定子」であることがわかる。

わたくしはその女に仕へて その女の光儀を写し記す
その女によつて存在する世界を 記しとどめる

 そして、その二行を引き継いで書かれる次の一行が、この詩のポイントである。

その女の終焉は わたくしの末路は どうだつたか

 つかえる女(定子)が死んでしまったとき、それにつかえていた女(清少納言)はどうなるのか。
 定子を「詩(あるいは、ことば)」、清少納言を「高橋睦郎」と置き換えて読むと、高橋の書いていることがよくわかる。

その女に終はりなど 断じてあつてはならぬこと
だから その女の世界も 世界の端にあるわたくしも
永遠に現在形として 生きつづける といふこと

 よくわかるが、わかりすぎて「詩」から遠くなってはいまいか。ここに書かれているのは高橋の「夢」というより「理想」である。「理想」と「夢」は、どう違うか。「理想」は「論理」によって語ることができ、「論理」によって説得力を持つ。つまり、問いによって(わたくしの末路は どうだつたか)によって必然的に成立してしまう答えを獲得する。逆に言えば、問いを発したときから答えは存在し、その答えを乗り越えられないということ。
 「論理」とは、つまり「散文」でもある。そして、こういうときの「散文」は清少納言が書いた散文とは違う。
 高橋が書いているように、清少納言が書いたのは「散文」ではなく「散文詩」である。「散文詩」をつらぬくのは「論理」ではなく、なまなましい感覚。「論理」を拒絶して動く、ことばそのものの「肉体」である。詩の「答え」は「結論」にあるのではなく、ことばが動いていくときの「肉体性」、その場限りの躍動、欲望のあらわれ方、その暴力性にある。
 この作品では、あまりにも「論理」が前面に出ていて、欲望が欲望の暴力を失っている。








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「内輪話」は読売新聞の独壇場

2020-11-28 09:55:08 | 自民党憲法改正草案を読む
「内輪話」は読売新聞の独壇場

 2020年11月27日の読売新聞(西部版・14版)はとてもおもしろかった。
 「編集手帳」で菅を、夏目漱石の『三四郎』を引き合いに出して、揶揄している。

<用談があって人と会見の約束などをする時には、先方がどう出るだろうということばかり想像する。自分が、こんな顔をして、こんな事を、こんな声で言ってやろうなどとはけっして考えない>◆「会見」という言葉を含むのを思い出して、菅首相の顔を浮かべながら文庫本に先の記述を探した。新型ウイルスの感染が急拡大して以降、立ち話の取材は受けるものの、一度も記者会見を開いて国民への呼びかけをしていない

 やっと批判する気になったらしい。
 でも、この視点から言えば、23日の「桜を見る会」の特ダネを掲載した日のトップ記事、「goto札幌除外26日」は、やはりこんなに手間取ると指摘すべきだったのだと思う。
 で、きょうは一面に「大坂・札幌市発 自粛要請」という見出し(記事)がある。これは、菅のどたばたを象徴するニュースだが、おもしろいのは二面の「裏話」。「GoTo見直し 不協和音」という見出しの記事の後半に、こういう記事がある。

トラベル事業利用者の感染者は26日時点で202人にすぎないこともあり、政府は事業と感染拡大に因果関係は認められないとの立場だ。首相は運用見直しを最小限にとどめたいのが本音とされる。首相官邸は分科会が「出発地制限」を求めたことにいら立っており、政府高官は「勝手な意見だ。のりをこえている」と不快感をあらわにした。
 別の高官は「何もしなくていいならそれが一番いいが、分科会の意見を無視するわけにはいかない」と打ち明けた。「目的地制限」とは異なり、出発地については自粛要請にとどめたのは、分科会の主張を全面的に受け入れるわけにはいかないとの判断が働いたようだ。

 非常に「克明に」菅周辺の「心理」を描写していることである。「首相は運用見直しを最小限にとどめたいのが本音」と説明したあと、これでもか、これでもか、というぐらいに説明している。
①首相官邸は分科会が「出発地制限」を求めたことにいら立っており
②政府高官は「勝手な意見だ。のりをこえている」と不快感をあらわにした
③別の高官は「何もしなくていいならそれが一番いいが、分科会の意見を無視するわけにはいかない」と打ち明けた
 びっくりするは「主語」が①②③と別人であることだ。「首相官邸」「政府高官」「別の高官」と三人も「証言」している。いっしょうけんめい菅の心理を代弁している。「分科会の主張を全面的に受け入れるわけにはいかないとの判断が働いた」というのは読売新聞の記者の判断だろう。だから「だろう」とつけくわえているのだが、これだけではまだ菅の周辺でおきていること(菅のいらだちにみんながピリピリしていること)がつたわらないと思ったのか、こうつけくわえている。

分科会との橋渡し役の西村経済再生相への風当たりも強い。政府関係者は「分科会にきつく言われるたびに、政府がずるずる付き合っている」と苦言を呈する。

 あらたに「政府関係者」が登場した。合計四人もの人間が「菅の思い通りにならない」(ということに菅が怒っている)と証言しているのだ。
 異常じゃない? こんな書き方。
 これを、どう読むべきなのか。読売新聞は、菅にこんなに同情している、と読むべきなのか、「自分の思い通りにならないからと会見も開かずすねてしまう菅はもうだめだ」と印象づけたいのか。23日の新聞に「二階派閥の伸張」を語る「作文」が載っていたが、菅から二階に乗り換えよう、ということを誰かに語りかけているのかな?
 よくわからないが、こんな「内幕」を長々と書いてしまうところが読売新聞のおもしろいところ。ニュースとは関係ないように見えて、こういう「ごちゃごちゃ」が意外とニュースの本質なのかもしれない。
 「学術会議」にしても、結局、「なぜ菅の思い通りにならないんだ」といういらだちが、むちゃくちゃに拡散してしまった。「首相は俺だ、俺の言うことを聞け」が通らなかったために、いくつもいくつも「理屈」をでっちあげ、でっちあげるたびに破綻した。菅の政策は、たったひとつ「首相は俺だ、俺の言うことを聞け」という「独裁」が就任以来つづいている。そういうことを読売新聞は間接的に(独裁)ということばをつかわずに書いている。

















#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



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「学術会議」の基本的問題

2020-11-28 08:30:02 | 自民党憲法改正草案を読む
 「桜を見る会前夜祭」と「goto中止(コロナ感染拡大)」で書く人が少なくなったいまだからこそ、書いておきたい。

 「学術会議」を「国の特別機関」から切り離すという案がある。
 その意見の根幹にあるのが、国から予算が支出されているのだから、国(内閣)の方針に反対するのはおかしい、という意見である。つきつめていえば、国から金をもらうものは、国に反対してはいけない、ということになる。
 でも、これはおかしい。
 まず、国と内閣は違うということを理解していない。また国民のなかは、内閣(国)の政策に反対する人もいる。そういうひとも税金を納めており、その税金から予算が成り立っている。だから、内閣の方針に反対する人にも、税金は再分配されるべきである。
 いちばん簡単な例で言うと、国会議員には国の方針に賛成の「与党議員」と反対の「野党議員」がいる。国の方針に反対する議員に金を出す必要はない、切り離せ、ということになったらどうなるのか。
 いったん、菅が主張している「学術会議独立(実際は、分離、切り捨て)」を認めてしまうと、きっと、そうなるのである。
 もちろん、すぐに野党国会議員を排除する(当選を認めない)ということはおきないだろう。しかし、徐々に、そうなっていく。国会議員の排除は目立つが、学者の排除は国民には見えにくい。その見えにくいところから、「事件」はおきる。学者の次は、市民活動家がねらわれる。そのあと、国会議員が排除対象になる。そして「独裁」が完成する。

 しかし、アメリカやイギリスでは「学術会議」に類する組織は国から独立しているではないか、日本はどうして独立した組織になれないのか、という意見もある。
 これは、アメリカ、イギリスと日本の歴史が違うからだ。
 「憲法」から見ていけばいい。
 日本の憲法は、第二次世界大戦を引き起こしたのか日本の政府であるという認識の上に成り立っている。日本政府は暴走し、戦争を引き起こした「歴史」を持っている。政府に反対する国民を弾圧し、自由を奪い、国民を死に追いやる戦争を引き起こし、近隣諸国にも大きな被害をもたらした。そういう政府を二度とつくらないという決意のもとに日本の憲法は成り立っている。
 つまり、常に政府を監視するときのよりどころ(ついつでもだれでも国民は政府を批判できる根拠)として憲法がある。
 「学術会議」もおなじ。政府を監視し、批判する組織として、存在する。もちろん批判、監視だけではなく、さまざまな提言もするだろうが、そういう提言もまた「こうしなさい」というすすめであり、「監視」の一種である。政府の「手先」になって国民を説得するための「道具的組織」ではない。
 私の書いているようなことは、もちろん「学術会議法」には書いてはいない。しかし、同時に「学術会議」は内閣(国の方針)にしたがわなければならないとも書いてはない。学術会議法の3条には「日本学術会議は、独立して左の職務を行う」とある。「独立して」ということばが、明確に書かれている。「独立して」というのは自分の判断で、ということであり、他人の判断にあわせて、ではない。

 私は何度も書いているのだが、税金を納める国民の全員が内閣の方針(施策)に賛成しているわけではない。反対している国民のためにも、税金は再配分されるべきなのである。どんなに国に反対しようが、「反対者」を排除、除外してはいけない。どんな反対意見も、それを言う権利を「保障」するのというのが国のいちばんの仕事(責任)である。言い直さば、「倒閣運動」を保障するのが憲法である。
 私は他国の憲法を読んだことがないのではっきりとは言えないが、国(政府/行政機関)を批判してはいけない、革命を起こしてはいけない、ということを規定している憲法は、民主主義を掲げている国には存在しないだろう。
 いま、菅がやろうとしていることは、民主主義そのものの否定、破壊である。
 これは、コロナ感染が拡大しているさなか、「goto」を実施し、批判を浴びてやっと「中止/抑制」はしたものの、そのことに対して国民に具体的に説明をしない菅の態度に露骨にあらわれている。「マスクをしろ、手を洗え、三密はだめ」とは言うが、国は何をするのか説明しない。国がやっていることを、ただ黙って聞け、という態度にあらわれている。
 「桜」と「goto」に目を奪われて、「学術会議」を忘れてはいけない。みっつの問題の根っこはおなじである。権力が権力の利益のために、国民の税金をつかっている。「学術会議」の会員(候補)のなかには、そういうことに反対するひとがいる。だから、それを排除しようとしている。「学術会議」そのものを排除しようとしている。

 「桜を見る会」問題は、菅がリークしたという説もあるが、もし菅がリークしたのなら、それは「学術会議問題」から国民の目をそらすための「誘導作戦」といえるだろう。

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高橋睦郎『深きより』(11)

2020-11-27 10:49:02 | 高橋睦郎『深きより』


高橋睦郎『深きより』(11)(思潮社、2020年10月31日発行)

 「十一 泉を怖れよ」は「和泉式部」。

まだ恋も知らぬわたくしを 歌が訪れたのは 闇の中
それとも 歌そのものが纏つた闇 だつたろうか
いいえ もともとわたくし自身が耐へがたい闇の渦巻で
その暗い渦の力が 抗ひがたく吸い寄せた歌 ではなかつたか

 この書き出しは「紫式部」について書いた「十 わたくしではない」に似ている。「わたくし」ではないものが「わたくし」のところへやってくる。紫式部はその結果「わたくしではない」ものになる。和泉式部は「わたくし」のまま、歌はやってきたのではなく呼び寄せたもの、というところが違うが。
 そして、この「わたくし」を和泉式部は「闇の渦巻」「黒い渦の力」と呼んでいる。この「闇」「渦」は、こう言い直される。

それならば わたくしの竟の居場所は ほかならぬ恋の闇
さう思ひ定めて 渦巻く 闇の底に 立て膝に座を決めた

 「闇の底」。「底」ということばが出てくる。「底」は、しかし、「行き止まり」ではない。「底を打つ」ということばがあるが、そういう「底」とはかなり違う。
 有名な歌の一部を引いて、高橋は、こう言い直す。

つぎつぎに わが身よりあくがれ出る 歌の蛍火
点滅する火虫を産みつづける 闇の泉こそが わたくし

 「底」から、何かが溢れ出る。噴出してくる。「泉」というのはたいてい「底」から水を噴き出している。「闇の泉」は水ではなく「あくがれ」を噴出する。それは蛍になってどこへともなく消えていく。
 この噴出(出る)を「出る」にまかせるのではなく、和泉式部は「産む」のである。

 この「産む」をキーワードとして読むならば、高橋は「詩を産む」。自分以外の誰かになることで、詩を産む。詩は生まれてくるものであるだけではなく、また、産むものなのである。
 冒頭の一行にもどって言えば、詩(歌)は訪れてくるのではない。「わたくし(和泉式部)」が産み出したものが呼び寄せるのだから、その訪れそのものも「産む」と言える。つまり、和泉式部を訪れることで、「産み直される」ものなのだ。
 詩はいつでも「産み直されるもの」と言い直せば、それはそのまま、この詩集の定義になるかもしれない。










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「東京」の意味は?

2020-11-27 08:39:02 | 自民党憲法改正草案を読む
「東京」の意味は?(ニュースは最後まで読もう)(情報の読み方)

 2020年11月27日の読売新聞(西部版・14版)の1面。「桜を見る会前夜祭」の続報。

秘書供述「記載必要だった」/「桜」前夜祭補填分 安倍氏側収支報告

 安倍晋三前首相(66)側が主催した「桜を見る会」の前夜祭を巡り、安倍氏の公設第1秘書が東京地検特捜部の事情聴取に対し、費用の一部を補填したことを認めた上で、「補填した分は政治資金収支報告書に記載しなければならないとわかっていた」と供述したことが関係者の話でわかった。主催した政治団体の報告書には補填分の記載はなく、特捜部は政治資金規正法に違反する疑いがあるとみている。

 「政治資金規正法」に違反することがわかっていて、記載しなかった、と供述したという部分が「特ダネ」なのだと思う。だから「記載しなかった」ではなく、「記載しなければならないとわかっていた」という「供述」を前文にとっているのだろう。見出しの「必要だった」は必要性を認識していたということを強調している。
 ここから、責任はあくまで秘書にある、というところへ「事件」がむかっていることがわかる。安倍は無関係。あくまで秘書がやったこと、ですませるつもりなのだろう。「違反」も「政治資金規正法」が対象であって、「公選法」を含まない。
 こんな見方はよくないのだが、これはいつものパターン。また、これで逃げるのか、というのかと思ってしまうが……。
 読売新聞の記事で注目したのが、最後の部分。(番号は、わたしがつけた。)

①公設第1秘書は10月頃から特捜部の任意の聴取に応じ、当初は「補填分の会計処理は東京に任せていた」などと説明していたが、
②「後援会の収支報告書に記載すべきだった」との供述を始めた。
③また「書かないことが慣例となっていた」とも話しているという。

①の「東京」とは具体的には何を指すのか。あるいは誰を指すのか。「公設第1秘書」の仕事を、記事中には「公設第1秘書は安倍氏の地元の「金庫番」として、後援会を含めた複数の政治団体の会計処理を実質的に担当」と書いている。「地元の金庫番」。それなのに「東京に任せていた」。どうしたって「東京」は知っていたということになる。
②は供述を翻したのかどうか、判断がむずかしい。「変化」したことだけはたしかだ。東京に処理を任せていたのだから、東京が何かをすべきなのにしなかった。その結果、「(地元の)後援会の収支報告書」の記載が必然的に漏れてしまった、ということなのか。(後援会というのが、地元の外にあるのかどうか知らない。)
③の「慣例」と重要だ。一回の「記載漏れ」なら気づかない、見落としたということがあるかもしれないが、「慣例」になっているなら誰かが気づくのではないか。あるいは「慣例」ならば、そのことは当然報告されているのではないか。
 ほんとうのニュースは「見だし」にとっている部分ではなく、見出しにとっていない最後の部分にあるのではないだろうか。「東京」と「公設第1秘書(地元)」の「やりとり」にあるのではないだろうか。「公設第1秘書/地元の金庫番」から「東京」ということばを引き出したこと、それを記事にしていることにあるのではないか。
 さらに。
 問題は「公設第1秘書」が「東京に任せていた」という記事は直接つたえず、それを翻して(?)、「後援会の収支報告書に記載すべきだった」と「東京隠し」をしはじめた段階で報道する、という姿勢にある。
 もちろん「東京に任せていた」は、この段階で初めて入手した情報なのかもしれないが、それにしても、この見出しと記事の書き方では印象が、やはり秘書が悪いのだということろに落ち着いてしまう。
 書き方次第では、「見出し」はこうなる。

「桜補填、処理は東京任せ」/秘書供述、記載必要と認識

 悪いのは「東京」という感じになるでしょ?
 ひそかに書かれている「時系列」にしたがって、つまり「時系列」を中心に事件をとらえ直せば、そういうことになるでしょ?
 私の読み方(見出しのつけ方)が事実を隠蔽しているのか、読売新聞の見出しのつけ方が事実を正確につたえているか。「ことば」はいつでも「事実」をつたえるけれど、同時に何かを隠すものでもあるという認識で、「報道」を読むべきだと思う。
 読売新聞のおもしろいところは、ときどき、「隠しているもの」を書いてしまうところ。今回の記事も「当初は「補填分の会計処理は東京に任せていた」などと説明していた」はなくてもニュースとして成立する。実際、前文にはそれが省略されている。でも、ついつい書いてしまう。「忖度」しているふりをしながら、秘密を暴いている?








#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



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高橋睦郎『深きより』(10)

2020-11-26 14:06:22 | 高橋睦郎『深きより』


高橋睦郎『深きより』(10)(思潮社、2020年10月31日発行)

 「十 わたくしではない」は「紫式部」。

それはわたくしではない 世に名高い源氏の物語を産んだのは
思ふに 歌のたま 物語のものが わたくしの裡に入つたのだ
いつのこと? おそらくは未生の闇から光へ押し出されたとき
そのとき以来 わたくしは尋常のわたくしではなくなつた

 もし「源氏の物語」ということばがなかったら、ここに描かれている「作家」は誰のことを指すかわからない。それは逆に言えば「歌」を含む「物語」のすべての作者にあてはまる。二行目に「歌のたま」「物語のもの」と書いているが、「歌」だけ、あるいは「物語」だけに限定すれば、「作者」というのは「わたくしどはなくなつた」人のことだろう。
 実際、高橋の場合はどうなのか。
 この詩集を書いているとき、高橋は高橋であることをやめている。この作品では、高橋は紫式部という「わたくし」以外の人間になっている。
 だから、この書き出しの四行には、何かが書かれているようであって、何も書かれていない。高橋が書きたいのは「わたくしではない」ということではないのだ。
 紫式部の本名は何かと問うたあと、高橋は、こう書いている。

物語のなかの源氏の君とて 女君の誰彼とて 同じこと
そのつどの通り名はあつても 本当の名は隠されて
つひには肉身も雲隠れ 夜半の月ならぬわたくしもまた

 「本当(の名)」は「隠されて」いる。隠れているものこそ「本当」である。もし「本当」というものがあるとすれば。
 これは「あらわす」(たとえば、物語を、書き、あらわす)、あるいは「あらわれる」ものが「本当」ではないということだ。
 私たちが読まなければならないのは、そこに「隠されて」いるものがなにか、あるいは何が「隠れている」か。
 この詩にキーワードがあるとすれば「隠れる/隠す」である。
 この詩では、紫式部に「なって」書くという行為は「あらわされ/あらわれている」。その行為によって隠されているは「わたくしではなくなりたい」という欲望である。しかし、その欲望は「夜半の月」のように、どんなに雲隠れしようとも、存在が見えてしまうものである。
 虚構のことばを生きる高橋の絶望の絶対性が隠されている。







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さとう三千魚『山崎方代に捧げる歌』

2020-11-25 10:31:37 | 詩集


さとう三千魚『山崎方代に捧げる歌』(らんか社、2020年11月01日発行)

 さとう三千魚『山崎方代に捧げる歌』は歌人・山崎方代の短歌に触発されて書いた詩集。私は山崎方代を知らない。さとうの詩で初めて存在を知った。どの作品も、冒頭に山崎の歌を引き、そのあとさとうのことばが動く。

 「04」

とぼとぼと歩いてゆけば石垣の穴のすみれが歓喜をあげる

朝に
めざめて

モコを庭におろす

おしっこを
させる

モトは
いつも上目遣いに

わたしをみてしゃがんでする

朝には
高橋悠治のシンフォニア11を聴く

くりかえし聴く
それからモコと散歩にいく

 読んだ後、あ、さとうは犬との散歩のとき、山崎の見たすみれを見たのか。同じ体験をしたのか、と思う。とぼとぼと歩く散歩なのだろう、というようなことも思う。
 犬が上目遣いにみあげながらおしっこをするというのは、「上目遣い」がこまかな描写で、そのことばのなかに、さとうと犬の交流(関係)がうかがえて楽しい。散歩にゆくのだから、散歩まで待てばいいのかもしれないが、その待つということが厳しくなっている犬、老犬なのかもしれないなあ、と思ったりする。
 最後の「くりかえし聴く」は毎日繰り返しなのか、その朝何度もなのか、ちょっと判断に迷う。まあ、どっちでもいいことだけれど。
 どちらにしろ、すべてのことが「くりかえし」なのだ。
 そして、散歩に出た高橋は、いま山崎の歌を、少し違うかたちで「くりかえし」ている。みる花が「すみれ」ではなく、いまの季節なら石蕗かもしれない。なんであれ、とぼとぼ歩いて、そばに咲いている花を見て、「あ、すみれだ」「あ、石蕗だ」と思う。
 ことばは「くりかえす」ためにある。受け止めて、それを自分で言ってみるためにある。音楽もまた受け止めて、それを確かめるためにある。いぬのおしっこも、まあ、似ているかもしれない。
 「05」は、この詩のつづきなのかと思ってしまう。

一昨日の

朝も
モコと散歩にいった

赤紫の白粉花が
咲いていた

紫の朝顔も咲いていた

それから
仕事にでかけていった

こだまから
青い海をみていた

素数の椅子に座る
青い海が平らにひろがっていた

 「素数の椅子」というのは座席番号が「素数」という意味だろう。ちょっとこのことばの展開だけが非日常的だが、私の知らない日常をさとうが生きているのだろう。
 ということを別にすれば、散歩の途中で花を見つけるのは「04」と同じだなあ、と思う。
 でもこの詩は、

ネクタイに首をくくりていでくれば町は働く人ばかりなり

 という歌に捧げられた詩なのである。
 さとうもネクタイを締めて仕事に出た、ということなのだろうが、「04」に捧げられた詩だとしても違和感はないだろうと思う。
 たぶん、ここが大事なのだと思う。
 ほんの少しの違い。しかし、それは私から見たほんの少しの違いであって、さとうには大きな違い。でも、そのことがちがっていたからといって、特に問題になるわけでもない。そういう世界を私たちは生きている。そして、そのとき何に目を向けるか。他人とどう生きるか、ことばとどう生きるか。考えるとややこしいが、ややこしいことは、ぼんやりとやりすごせばいいのだろう。
 くりかえしていれば、何かがなじんでくる。
 「17」は、こんな詩。

柚子の実がさんらんと地を打って落つただそれだけのことなのよ

土曜日だったのかな
今日は

夜中にタクシーで帰った

今朝
車を取りにいった

用宗でラーメンを食べた
それから海辺のプールで五百二十m 泳いだ

夕方
ビールを飲んで

眠った

いまペルトを聴いている

 すべては「それだけのことなのよ」。でも、山崎の「さんらんと」という表現は「それだけのこと」ではなく、何か、重大な「発見」である。しかし、それにしたって「それだけのこと」ということもできる。「それだけのこと」というとき、こころは何にもとらわれていない。あるがままを受け入れている。このあるがままを受け入れ、それを自分のことばにしてみる、ということでさとうは山崎と向き合っているのだろう。
 で、そのあるがまま、なのだけれど、あるがままと簡単にいってしまうけれど、実は微妙。
 さとうは「用宗」(たぶん店の名前)にこだわっている。「五百二十m」という中途半端な数字にこだわっている。「ペルト」にこだわっている。それがさとうにとっては「あるがまま」なのに、きちんとことばにする。
 そして、このとき、そこには「嘘」がまったくない。うそがないから「あるがまま」というのだが、これはむずかしいぞ、と私は感じる。
 むずかしいところを、さとうは、軽く乗り越えている。ほんとうは「軽く」ではないのかもしれないが、重く感じさせないで乗り越えている。前作の『貨幣について』(傑作!)も同じだ。とても正直な詩人なのだと思う。






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「桜」の行方/答弁してもらった?(情報の読み方)

2020-11-25 08:26:03 | 自民党憲法改正草案を読む
「桜」の行方/答弁してもらった?(情報の読み方)

 2020年11月25日の読売新聞(西部版・14版)の1面。「桜を見る会前夜祭」の続報。気になる点がふたつ。

「桜」前夜祭/安倍氏側 領収書破棄か/不足分 周辺者、補填認める

 安倍晋三前首相(66)側が主催した「桜を見る会」の前夜祭を巡り、安倍氏側が費用の一部を補填した際、会場のホテル側から受け取った領収書を廃棄していた疑いのあることが関係者の話でわかった。東京地検特捜部は安倍氏側の補填額が昨年までの5年間で計800万円超に上るとみており、政治資金規正法違反(不記載)容疑などでの立件の可否を検討している。

 これが、見出しと前文。
 23日の第一報(特ダネ)では、「容疑」の部分を、こう書いていた。

 前夜祭を巡っては、市民団体や法曹関係者ら複数のグループが、政治資金規正法違反や公職選挙法違反の容疑で告発状を提出していた。

 24日続報でも、こう書いていた。

 前夜祭を巡っては、差額分を安倍氏側が補填していたのではないかと野党が追及。市民団体なども政治資金規正法違反や公職選挙法違反の容疑で特捜部に告発状を提出していた。

 23日、24日の報道では「政治資金規正法違反や公職選挙法違反の容疑」となっているが、きょう25日の紙面では「政治資金規正法違反(不記載)容疑など」となっており、「公職選挙法違反の容疑」が消えている。
 もちろん「消えている」といっても「など」に「公職選挙法違反」が含まれると「説明」はできる。
 でも、「政治資金規正法違反(不記載)」と「公職選挙法違反」では問題の重さが違うだろう。書類への「不記載」はいつでも「記載漏れでした。修整します」ということができる。実際、そういう事例がこれまでもたくさんあるのではないか。しかし「公選法違反(たぶん、買収)」となれば「お金を補填することが買収にあたるとは知りませんでした」とは「言い逃れ」できない。
 だからこそ、これまで安倍は「安倍(事務所)はいっさい支出していない」と言ってきた。
 で、この「報道の仕方」からわかることは、読売新聞の追及が「政治資金規正法違反(不記載)」に傾いている、「政治資金規正法違反(不記載)」の範囲内で問題をかたづけようとする「方針」(だれの方針かは、いまのところわからない)に加担しているのではないか、ということだ。
 これは見出しの「主語」が「安倍氏側」「周辺者」ととっていることからもわかる。書類をつくっているのは安倍自身ではなく、「事務所の職員」である。見出しでは、このあたりを強調するために「安倍氏側」の「側」をわざわざ「周辺者」と言い直している。「安倍氏側」というのは「安倍氏ではなく、その側(そば)にいる人」という意味であり「「側にいる人」は「周辺者」である。新聞の見出しは、基本的に短さを目指すはずである。同じ「主語」を二度繰り返す必要はない。「主語」をことばを変えて繰り返すくらいなら、かわりに「800万円」を補って、

800万円、補填認める

 とすべきだろう。もちろん「800万円」はまだ「推計」であり、「安倍側」が「認めた」のは「補填」という事実だけであり、金額には触れていない、ということなのだろうが……。また、「800万円」はすでに24日に、

安倍氏側 800万円超補填か/東京地検 「桜」前夜祭 5年間

 と報道しているから省略したと言うこともできるが。
 で、ここで問題になるのは、やはり、何を省略したか、なのだ。
 「10万円」でも「800万円」でも「補填」は「補填」。しかし、読者の印象は違うだろう。
 だからこそ、私は、こういう部分に「忖度」を感じるのだ。「800万円」を省略し、「政治資金規正法違反(不記載)」を強調するために、「安倍氏側」「周辺者」を繰り返す書き方に。
 記事は、こんな書き方をしている。(番号は私がつけた。)ここからが、気になった点のふたつめ。読売新聞は、とてもおもしろい書き方をしている。

①24日に取材に応じた安倍氏周辺によると、前夜祭の問題を巡り、安倍氏が事務所の担当者に対し、事務所で差額を補填していないかどうかを確認した際、担当者は「支出はしていない」と虚偽の説明をしていたという。
②安倍氏は昨年11月の参院本会議で、前夜祭の費用に関して「後援会としての収支は一切なく、政治資金収支報告書に記載する必要はない」と答弁していた。安倍氏周辺は、「収支報告書に記載していなかったため、そういう答弁をしてもらう以外にないと判断した」としている。
 
 ともに、安倍には問題はない、という書き方である。
①は、安倍が事務所に問い合わせたら、担当者は虚偽の説明をした。つまり騙されたのは安倍である。安倍は進んで虚偽を語ったわけではない。
②も、周辺(①では担当者)が、不記載を隠すために「そういう答弁をしてもらう以外にないと判断した」という。ここでも「主語」は安倍ではない。悪いのは「周辺(者/担当者)」であり、安倍は進んで虚偽答弁をしたのではない、と「弁護」していることになる。
 それにしても。
 ②の最後の記事の「周辺(者)」の「説明」が非常に長いのが、なんといっても不自然である。「答弁をしてもらう」と「もらう」という表現も、非常におかしい。
 「もらう」というのは、私の感覚ではふたつの方法がある。ひとつは、自分が不都合なことをした場合、それを「隠蔽して」と頼んで、隠蔽「してもらう」。もうひとつは、「隠蔽して」と頼んだわけではないが、相手が「忖度して」くれた。後者は、ふつうは「してくれた」という。「もらう」ではなく「くれた」。これは「主語」をどう認識するかという問題がからんでくる日本語特有の微妙な表現なのだが、「もらう/くれる」にしろ、そこには単なる「事実」ではなく「心理」が動いている。「周辺(者)」が「もらう」という表現をつかっているかぎり、そのとき、そこには安倍と周辺(者)の間で「交渉」があったのだ。どうしたって、安倍は、「事実」説明だけではなく、「事情」説明も知っているはずである。
 そして、それは周辺(者/担当者)が独断でやれることではないだろう。「800万円」の金が動いている。簡単に言い直せば、「800万円」補填するということは、会計に「800万円」の赤字が発生することである。そういうことを「黙って」担当者がやれるのか。責任者が支持しないかぎり、できないだろう。
 読売新聞の記事の書き方は、そういうことを「暗示」しているとも言えるが、知っていてそれを隠すために複雑な書き方をしているともいえる。

 しかし、まあ。
 今回の読売新聞の「手柄」は「そういう答弁をしてもらう以外にないと判断した」という周辺(者)の声を引き出し、「正確に」再現しているところにあるのかもしれない。周辺(者/担当者)、つまり、部下が、安倍に「答弁をしてもらった」。「もらった」としか言いようのないことがあったとつたえていることだ。
 くりかえすが、「もらう」というのは、かなり日本語独特の含意の多いことばである。そういうことばが、一面の記事にまぎれこんでいるのは、たいへんたいへんたいへん、おもしろいことである。この「もらう」ということばが、安倍自身の「関与」を濃厚に浮かびあがらせるからである。「周辺(者/担当者)」説明を鵜呑みにして、安倍が知らずに間違った答弁をしたときは、それ「してもらう(してもらった)」とは言わないからである。





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高橋睦郎『深きより』(9)

2020-11-24 10:08:14 | 高橋睦郎『深きより』


高橋睦郎『深きより』(9)(思潮社、2020年10月31日発行)

 「九 物語が始まる」は「藤原道綱母」。

男が女を求めるのは 誰のためか

 という書き出しで始まる。ここでは肉の欲望は語られない。「意識」が語られる。「意識の欲望」は「目の欲望」でもある。詩の最後の方で、こう語られる。男は男にどう見られているかを意識して女を求めている、と。このとき目と意識は一体である。

そのじつ 意識してゐるのは男の目のみ

 そして、つづける。

苦しみの果て そのことに気づいた女がある

 ここから詩が急展開する。
 なぜ、女、藤原道綱母に、そう語らせなければならなかったのか。「気づいた男がある」と、高橋自身が語ってもいいではないか。男が、男のまま「意識してゐるのは男の目のみ」と主張して不都合があるわけではない。
 たぶん、「意識してゐるのは男の目のみ」は高橋自身の体験を含んでいる。だが高橋は体験をそのまま語るのではなく、「体験」を「意識」という抽象にして語りたいのだ。
 その「方法」を、高橋は「蜻蛉日記」に見つけたのだろう。高橋は、高橋自身を「物語」に閉じこめることで、「意識の記録=日記」を完結させる。
 女、藤原道綱母になった高橋は、こう語り直している。

それがわたくし 日記を借りて物語を始める
実の日記 物語はここに始まる 女たちよ

 「日記」は「事実」を書くものである。「物語」は「虚構」であり、「事実」ではない。しかし、虚構の「日記」こそは、真実を表現する方法である。「虚構」であると言い張って「真実」を書くとき、その「書く」という行為、意識の運動、ことばの運動こそが「事実=真実」になる。
 
 この詩のなかには、高橋が男のままでは書けなかった行がある。

そのじつ 意識してゐるのは男の目のみ

 これは高橋の自覚だが、女になって、女から告発するというかたちでしか書けない高橋の「苦しみの果て」の叫びなのだ。告白なのだ。







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「桜」続報(情報の読み方)

2020-11-24 08:01:03 | 自民党憲法改正草案を読む
「桜」続報(情報の読み方)

 2020年11月24日の読売新聞(西部版・14版)の1面。

安倍氏側 800万円超補填か/東京地検 「桜」前夜祭 5年間

 安倍晋三前首相(66)側が主催した「桜を見る会」の前夜祭を巡り、会場のホテル側に支払われた総額が、昨年までの5年間に計約2300万円に上ったのに対し、参加者からの会費徴収額は計1400万円余りにとどまっていた疑いのあることが関係者の話でわかった。東京地検特捜部は、差額の計800万円超を安倍氏側が補填していた可能性があるとみて、捜査している。

 デジタル版には「独自」のマークがついている。「特ダネ」ということらしいが、この800万円は、すでに23日夜のNHKで報道されていた。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201123/k10012727211000.html?fbclid=IwAR1tJbsfGhUAc0A-7Tw3k2HphU4AKE4KH6dcBGr-t9L8PZrm7QmlHxfKWYY

 23日の「特ダネ」を、後追いのNHKに追い抜かれたかたちだ。
 23日の新聞にはすでに、

 特捜部はこれまでに、安倍氏の公設第1秘書や私設秘書のほか、地元の支援者ら少なくとも20人以上から、任意での聴取を実施。安倍氏側からは出納帳などを、ホテル側からは明細書などの提出を受けて分析を進めている。関係者によると、前夜祭の飲食代などの総額は、参加者の会費だけでは不足していたという。

 と書かれていた。たぶん、このときすでに「800万円」はわかっていたはずである。わかっていたけれど、「続報」として書くために「隠して」おいた。
 ほかのメディアが読売の記事を追いかけても、「秘書ら任意聴取」までしか取材できなはずと想定して、そういう書き方をしたのだと思う。他のメディアが「任意聴取」と報道しているときに「800万円」を報道すれば、読売の「特ダネ」が際立つからである。
 しかし、そういう小賢しい小細工をしているから、NHKが先に「800万円」を報道し、それを追いかけるかたちになってしまた。
 さらに、毎日新聞デジタルは、こう書いている。
 https://mainichi.jp/articles/20201123/k00/00m/040/210000c?fbclid=IwAR0XkMdkbpk3pl5pR0KueAc7OGNsMnXenXJN4WNJHiukzDwoa6KgkStO5CY

特捜部は立件の可否を判断するため、前首相への事情聴取も検討している模様だ。

 「模様だ」という憶測だが、この「前首相への事情聴取も検討」くだりは読売新聞にはない。
 読売新聞は「特ダネ」を大事にかかえこんでいる内に、他のメディアに大事な部分を攫われてしまった感じだ。

 で、ここからちょっと思うのだが。
 読売新聞は続報で「800万円超補填か」ということまでしか書けなかったということは、ニュースはここでおしまいになるおそれがあるということだ。
 それ以上、「リーク」されていないというよりも、これ以上ニュースは進まない。いや、進むのだが、野次馬の私が期待しているようには進まない。安倍の逮捕というようなことはおきないなあ。

 前夜祭を巡っては、差額分を安倍氏側が補填していたのではないかと野党が追及。市民団体なども政治資金規正法違反や公職選挙法違反の容疑で特捜部に告発状を提出していた。

 と読売新聞は書いている。きっと「政治資金規正法違反」が適用されるくらいで終わるのだろう。そういうことを「暗示」する書き方だ。安倍は「記載ミスでした。秘書の処理が間違っていました」と、いままでの主張を言い直すだけなんだろうなあ。
 それではいけないのだが。
 なんというか、メディアの「本気度」がぜんぜん伝わって来ない「続報」なので、がっかりしてしまった。






#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



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「桜」のもうひとつの見方(情報の読み方)

2020-11-23 19:23:20 | 自民党憲法改正草案を読む
2020年11月23日(月曜日)

「桜」のもうひとつの見方(情報の読み方)

 2020年11月23日の読売新聞(西部版・14版)の1面の一面の

安倍前首相秘書ら聴取/「桜」前夜祭 会費補填巡り/東京地検

 については、すでに書いたのだが、また別の視点から考えたことを書いておく。
 なぜ、このタイミングか。

 これはトランプが敗れ、バイデンが大統領になることと関係しているのではないか。簡単に言えば、アメリカは安倍はもう「用済み」と判断し、逮捕されようがどうしようが関係ないということを「誰か」につたえたのではないのか。
 田中角栄が逮捕されたとき、立花隆の「角栄研究」が引き金のように言われたこともあったが、立花が書いたことはジャーナリズムの世界では周知のことであって、それが原因ではないという説も聞いた。
 角栄は、アメリカからのベトナム戦争に自衛隊を派兵するよう要求された。しかし、それに反対した。だから角栄を追放するために逮捕させた、という説である。
 どちらが正しいのか、まあ、わからないことだと思うが。

 コロナ対策に失敗した菅。その菅への追及を弱めるという「国内事情」だけではなく、トランプ以後のアメリカが安倍をどう見ているか、という視点も必要なのかもしれない。こういうことは、なかなか新聞には載らない。アメリカの機関が日本のジャーナリズムに情報を「リーク」するということがないからかもしれないが。
 NHKが読売新聞の記事を「後追い」報道しているのを見て、そんなことを思った。NHKも読売新聞と同様、「ニュースソース」を明確には言っていない。隠しておきたい「情報源」なのだ。

 ふと気になったので、メモしておく。



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なぜ26日? (情報の読み方)

2020-11-23 14:36:05 | 自民党憲法改正草案を読む
なぜ26日? (情報の読み方)

 2020年11月23日の読売新聞(西部版・14版)の1面の一面。

GoTo札幌除外へ/北海道方針、26日にも/旅行停止 再生相「数日中に詳細」

 これを読んで、私がいちばん疑問に感じたのは、なぜ「26日にも」ということなのか。なぜ、すぐ除外しないのか、ということ。そして、こんなのんびりした記事のどこが「特ダネ」なのかと不思議でしようがなかった。
 記事中には、こんなことが書いてある。

 政府が21日に決めた一時停止の方針では、まずは都道府県知事が判断し、政府が最終決定することになっている。道は23日に同市と協議し、政府に意向を伝達する。道幹部らによると、早ければ26日にも停止し、期間は12月上旬までを想定しているという。

 で、なぜこれが「特ダネ」なんだろうと、思いながらネットを見ていたら、どこかのテレビ局の放送で、そのテレビ局の「経済局長」が出てきて、「キャンセル料をどうするかなどの制度設計に時間がかかる。担当の職員はいま大忙しだ」というようなことを言っていた。
 私はテレビを見ないので、どこの局か忘れた。ネットで探してみようとしたが、見つからなかったので、「情報源(出典)」は不明のままに書いておくが、これを聞いて、あ、そうか読売新聞の「特ダネ」は、「26日にも札幌を除外する」ではなく「札幌を除外するまでに時間がかかる、最速でも26日」という意味だったのかと思いなおした。
 でも、そういうことは、読売新聞の記事を読んでもわからない。かろうじて、

 西村経済再生相は22日のNHK番組で、事業の一時停止について、「この何日かで方向性を出し、感染が拡大している都道府県の知事と連携しながら対応していく」と述べ、数日中に対象地域などの詳細を決める考えを示した。停止によって生じたキャンセル料は国が負担する方向だ。

 という部分の後半、「数日中に対象地域などの詳細を決める考えを示した」からうかがえるだけてある。ここは「見出し」にもとっているが、まさか「詳細」な「基準」が設定されていなかった(つまり、GoToを売り出したものの、中止せざるを得なくなったとき、キャンセル料などはどうなるのかは考えられていなかった)のだとは……。
 しかし、こんなことは「見出し」と「記事」を読んだだけではわからない。
 しかし。(わた、しかし、をくりかえしてしまうが。)
 しかし、この記事を書いた記者はわかっているはずである。そして、「見出し」にもそのことを明示するように要求したはずである。私のようなふつうの読者には「数日中に詳細」というようなことが見出しにとってあったとしても、それがどういう意味かさっぱりわからない。なぜさっさと中止しないのか、おかしいじゃないか、という疑問しか思い浮かばない。

 で、ここから、言うのだ。

 読売新聞の「見出し」と「記事」はおかしいだろう。たしかに「方針としての事実」を伝えているが、ニュースの本質はそんなところにあるのではない。「26日から札幌が除外される」と知って、急いで札幌へ旅行に行く人がいるだろうか。札幌が危ないとわかったら、お金を損してもいいから行くのはやめよう、でも、キャンセル料はどうなるのかなあ、それも自分の負担になるのかなあ、大損だなあ、というようなことを考えるのではないだろうか。さっさとGoToを中止にしてくれれば、金の問題は国が解決してくれる(国の負担になるのでは)と考えるのではないだろうか。
 そして、これこそが問題だったのだ。
 「GoToをやめたら経済がまわらなくなる」と菅は言い続けたが、「GoToを中止しなければならなくなったとき、どういう問題が発生するか、損失はどういうかたちで補填するか」をいっさい考えていなかった。コロナ感染は終息すると勝手に予測していた。「希望的観測」で、「希望的施策」を実施した。
 やっていることが、まったくデタラメだったのだ。
 旅行の計画を立てた国民も困るが、客を受け入れるために設備投資をしたホテル、旅館も困るだろう。
 読売新聞は「26日にも札幌除外」という方針を、ただ「リーク」されたまま報道するのではなく、なぜ「26日まで除外できないのか」という視点でこそ、記事を書き、問題を提起すべきだったのだ。
 「GoTo中止」が「後手後手」だっただけではなく、中止時の制度設計をしていなかったために、その中止さえ「後手後手」になってしまっている、というのがニュースなのだ。

 こういうことを書けば、それこそ、もう一本の「特ダネ」、

安倍前首相秘書ら聴取/「桜」前夜祭 会費補填巡り/東京地検

 というニュースどころではなくなる。安倍はすでに首相をやめている。捜査が拡大し、安倍が逮捕されたとしても「やっとか」くらいの衝撃しかないだろう。しかし、菅の政策に大問題があるということが指摘されれば、菅政権はさらに揺らぐ。野党の追及、国民の批判にさらされ、崩壊するだろう。
 GoToとコロナ感染拡大の「因果関係」は科学的に指摘されているわけではないが、ずさんな政策しか菅は打ち出せないということが国民に知れ渡る。信頼感が消えてしまう。マスクしながら会食だとか、三密回避だとか,手洗い励行だとかは、「政策」ではないからね。
 菅がコロナ対策で実行した唯一の「政策」が「GoToの見切り発車」だからね。
 菅の「無能さ」が、「Goto」であからさまに露顕したのだ。

 うがった見方をすれば、読売新聞の記者は、GoToをすぐに中止できない(最低でも26日まで時間がかかる)のは、制度そのものに問題があるからだということから読者の目をそらさせるために「26日にも札幌を除外」というトーンで記事を書いた、そういう見出しにしたということになる。
 国民のいのちがかかわっている問題なのに、国民よりも菅に「忖度」していて、どうするのだ。「リーク」されたことをそのまま「特ダネ」と大いばりして書いて、どうするのだ。









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