詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

杉惠美子「カラス」ほか

2023-03-31 17:31:48 | 現代詩講座

杉惠美子「カラス」ほか(朝日カルチャーセンター、2023年03月20日)

カラス  杉惠美子

誰もいない
この場所に
不思議な視線がある

遥かを見つめ
足もとを見つめ
狙いを定めて
一気に襲う不思議な視線

夕日に映える
その光線こそが
生命をつなぐ
刃となる

そこに生まれた渦は
大きくそして小さく息づいて
次の瞬間を待つ

人の隙間を狙う
一瞬のベクトル
いのちの煌めき

人が抵抗できない
黒い野心
自然と生命 

 「緊張感がある」と講評だった。「黒い野心」がわからないという声もあったが、単純にカラスの黒と思えばいいのだはないか。ただし、カラスに終わらせずに、その先へ発展させていくのも楽しい。
 この詩には「視線=光線」ということばの連絡があり、それがさらに「煌き」ということはにかわっていく。「刃」ということばを考えると、その「視線=光線」は「刃の煌き(光の反射)」とも連絡する。
 私はここで、たしか森鴎外だったと思うが、真昼の海の波を描写して「黒い波」、あるいは「黒い光」ということばをつかっていたのを思い出す。光を反射した波は、ふつう「白」で描かれる。しかし、その強い反射の周辺は、目くらましになったときのように黒い。黒があるからこそ「白」が引き立つ。
 それに似ている。
 まぶしすぎて「黒い光」。「黒い光」は、一種の撞着語だが、そういうことばに出会うと、そこに見落としていたもの、論理では書けないことばがあるのだと気づく。「黒い野心」には、それに通じるものがある。

スタート  徳永孝

春は自然が動き出します
草木は芽生え花を咲かせ
虫達が土から出てきます
分かれと旅立ちの季節でもあります
渡り鳥達は北の国へ帰る長い孤独な旅路へ
飛び立つ準備を始めました

私の心も動き出したようです
新しい気付きが次々と訪れて来ます
遠く旅立った人もいます
うれしい事楽しい事も多いけれど
時には涙する事も……
(もしかして花粉症?)

卒業を前にRADWIMPSは歌います
次の空欄にあてはまる言葉を
書き入れなさい ここでの最後の問い
「君(という友)のいない 明日からの日々を
僕は/私は きっと□□□□□□□□□□□□□□□□□□□」
制限時間はあなたのこれからの人生

臆病な私も
あの人この人の応援の眼差しを励みに
小さな勇気をふりしぼって
この守られた安心の日々から
一人で生きる明日への一歩を
踏み出して行こうとしています

「よーい、はじめ」

 この詩には、いくつかの問題がある。いちばん大きな問題は、RADWIMPSの詩が引用されているのだが、その引用が、どこからどこまでなのか明記されないない。徳永によれば、三連目の「次の空欄」の5行は引用だという。そういうときは、明記しないと著作権法に違反する。もちろん、ほとんどの人が知っていて、引用と断わる必要のないものもあるかもしれないが(たとえば西脇の「覆されたような宝石」)、そういう例は少ない。もうひとつは、同じ問題かもしれないが、この作品では三連目がいちばんいいということである。三連目には、このことばを書いた人(私は、だれが書いたかを知らないのだが)の発見(徳永のことばを借りて言えば「気付き」)がある。
 これに反して、他の部分には、「新しい気付き」ということばが書かれているが、私にはどこが「新しい気付き」なのか、わからない。四連目の、「一人で生きる明日への一歩を/踏み出して行こうとしています」ということが徳永の発見なのかもしれないが、「明日への一歩」がいままでの一歩とどう違うか書かないことには、読者には伝わらないだろう。「明日」ということばだけででいままでとは違うということを伝えるのは、むずかしい。本人が気づいているから、気づいたと書けば他人に気付きが伝わるというわけではない。
 むしろ「気付き」と書かないで、あ、この詩人は、私の知らないことに気づいていると感じさせることが大事である。詩人は、かならずしも気づいていなくてもいい。気がつかなくてもいい。

下の子  池田清子

ぼくは
まじめに話してる
ことばがおかしかったら
おかしいと言えばいい
使い方がちがっていたら
アドバイスをしたらいい
ぼくは
わらわれるのは いやだ

 「下の子になりきっている(演じきっている)」のがいい、という声があったが、その批評がすべてをあらわしている。
 池田は、そうは書いていないが、ここでは「下の子」の気持ちに「気づいた」のである。そして、その「気付き」をそのまま書いた。
 気付きとは、ある意味では、自分ではなく、だれか(何か)になってしまうことである。
 西脇は「覆された宝石」と書いたとき、「朝」になったのか、「宝石」になったのか「覆された」という動詞になったのか。それは、読者が判断することであって、西脇の知ったことではない。
 杉の詩では、カラスの視線に気づいたのだが、ただ気づいただけか。最後はカラスになって人間を見ていないか。詩を書き始めたときはカラスを見ていたが、最後はカラスになって世界を見ている。
 書くというのは、そういう自己変革をともなう冒険である。

琥珀  青柳俊哉  

林檎のかけらに 
蜜をうすく垂らす
桜の樹脂がとけて 
琥珀の中の 蟋蟀が
羽音を立てる

秋の間 
それは頭蓋の高い空で
百合の釣り鐘を敲きつづけた
わたしを花粉で統べて

樹液の石化する場へ  
数億年の桜の分子の森を飛行する 

 結晶を無時間の函へ収めた

 青柳の場合、どういう変化が起きているか。簡単に描写すれば、最初は琥珀のなかに閉じ込められたコウロギを見た。あるいはコウロギを閉じ込めている琥珀を見た。それは「数億年」という時間の発見につながり、その「数億年」は「無時間」へと変化する。このときの「無」は「無限」の「無」にもなる。

嫌いなことを排除していたら嫌いな自分が残った  木谷明

嫌いなことを排除していたら嫌いな自分が残った

駐車場でクルマを降りて いつものように くるりと樹々の間を歩いた。
伐採と剪定をしまくられた栴檀や楠木の根元で、見たことのない鳥がチョンチョン跳んでいる。一羽だ。目が合った。逃げない。寄ってくるようにあそぶ。じっとしていよう。
突っ立ったまま「わたしとあそんで」という題の絵本を想い出していた。
マリーホールエッツはお墓の中にいる自分を想像して描いたのではないか、という趣旨のことを言ったら、ひとりのおばあさんが激怒した。
これは!この本は‼幼い少女のあどけないいい話なんです‼(at 小さな読書会) 

そうかなぁ。わたしはいまでもマリーはお墓になっているんだと思い続けている。

鳥はウグイスだと直感していた。二十日程前から鳴いている。姿は見たことがない。
この一生のうちで初めての対面をしている。

すこし紅の尾っぽ、まだら模様のむなばら、まんまるい目。
灰かぶりの草木色みたいなかろやかなやさしいからだを覚えて、帰った。

うぐいすにあったよ うぐいすに

 「タイトルがとてもおもしろい」と好評だった。あとの感想は、その付け足しのようなものになったかもしれないが、それではタイトルと内容の関係は、というと、まあ、そういうことは考えたい人が考えればいい。私は、ほとんど、そういうことは考えない。どこがおもしろかったか、しか考えない。おもしろいというのは、そこに私の知らない、あるいは知っていてもことばにしなかったことが書かれているときに起きる。
 描写がリズミカルでいいという意見もあった。私もそう思う。「一羽だ。目が合った。逃げない。寄ってくるようにあそぶ。じっとしていよう。」は、起きていることが瞬間瞬間完結している。完結しながら運動になっている。たとえて言えば、ストップモーションの連続が動きになっているということ。ここには、やはり「発見」があるのだ。「気付き」があるのだ。「一羽と目が合ったが、逃げないで寄ってくるようにあそぶので、じっとしていよう。」と書き換えてみるとわかる。「事実」に詩があるのではなく、ことばの運動に詩があるのだ。だから、「大発見」をして、それを書けば詩になるのではなく、どんなことであっても「書き方」で詩になったり、詩にならなかったりする。
 「発見」しなければならないのは、「事実」ではなく「事実の書き方」である。

 

 

 


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暁方ミセイ『青草と光線』

2023-03-29 14:42:50 | 詩集

 

暁方ミセイ『青草と光線』(七月堂、2023年03月25日発行)

 詩集に限らないが、何かを読んでいて、不意に立ち止まることばがある。何度も読み直してしまう。暁方ミセイ『青草と光線』の「早春賦」のなかほど、74ページ。

シャツの間からさわやかな針葉樹林の香りがする
熱され燃え落ちる雪の針の香りがする
もし呼んでいいのなら
黒く水を吸った小枝を土の上に結び
こだまにこの声を一度は渡し
風のひとむれのひとつになって
透明にまた冷たく雫のように
灰色の曇り空のしたを歩くあなたの肩に降りかかる
半分は蒸発し半分は滴り落ちる
そういうことを思いながら
まるで何も話さない

 私は「もし呼んでもいいのなら」という行にぶつかり、はっとした。暁方の詩は、いたるとこにろ「もし呼んでもいいのなら」が隠れているのだろう。「呼ぶ」という動詞を「書く」にかえれば、「もしこう書いていいのなら」になる。「もしこう書いていいのなら、私(暁方)は、こう書く」。そうやってできたのが、暁方の詩である。
 ここには、「あなた(読者)はそう思わないかもしれないが、私はこう思う」が隠れている。それは静かな声である。「絶対に、私の声を聞いてくれ、私のことばに賛成してくれ」という主張ではない。しかし、控え目だからといって、その声を捨てるわけではない。だから、書いているのである。
 その「呼んだ声」は、しかし、どうなるのだろうか。
 「こだまにこの声を一度は渡し」という行も、決して忘れることができない。「一度は渡す」。「一度」という限定があるところが、とても切ない。「こだま」を「詩」と置き換えると(書き換えると)、暁方の生き方(思想)になるのだろう。
 もし感じていることをことばにして書いていいのなら、それを書く。詩として書く。詩に、暁方のことばを一度渡す。それから、読者がどう読むかは別にして、暁方のことばが詩のなかでぞう変化していくかを見つめる。ことばの動きを、ことばにまかせ、暁方はことばの声を聞くのかもしれない。それを抱きしめるために。
 自分の声が詩になる。そのあと、詩の声に耳をすます。だまって、その声を聞く。それは「こだま」かもしれない。どこかに、きっと暁方の声の響きを残しているはずだから。つまり、暁方は、自分の声がどんなものかを、そっと抱きしめ、確かめている。
 この静かな往復があるからこそ、「もし呼んでいいのなら」というような書き方になっているのだろう。
 宮澤賢治に通じるような「針葉樹林の香り」「雪の針」「黒く水を吸った小枝」のことばの奥には、やはり「もし呼んでいいのなら」があるのだろう。「もし好きになっていいのなら」「もし好きと言っていいのなら」。それがあるから、それらのことばが美しい。

 

 

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Estoy Loco por España(番外篇334)Obra, Jesus Coyto Pablo

2023-03-28 15:45:23 | estoy loco por espana

Obra, Jesus Coyto Pablol
POSTALES de la serie "los perfumes del tiempo" 

 Al contemplar la obra de Jesus, me vinieron a la mente las palabras "mar de memoria". Entonces escribí un poema.
*
 En las orillas de la memoria, desde el mar de la memoria, había llegado a la playa una postal de memoria. ¿Donde en el ancho mar se habían encontrado las memorias? Una serie de paisajes ciudades se habían superpuesto y vuelto a desgarrar. El arco del puente de piedra estab arrancado, el techo de la torre de las iglesia estaba rasgado y el suelo estaba forrado de largas sillas. Allí  la palabra le esperaba a otra palabra. Cuando el ruido de la arena en la suela de sus zapatos rompiendo en el duro suelo se apagó, la luz que entraba por las vidrieras parecía luz brillando en el mar. Incluso cuando la superficie 
 del mar está agitado, la interior del mar está tranquila. Incluso cuando la mente está perturbada, la memoria está tranquila. Aunque mi memoria esté perturbada, mi corazón está tranquilo. Las memorias destruidos por las olas y hechos añicos, por ejemplo, las palabras que describían las callejuelas de la ciudad en la que navegaban, el perfil de las memorias dibujado en las postales y, sobre todo, las palabras no dichas, separadas por una fuerza poderosa, unidas por el azar, bailando, superponiéndose, desgarradas y despedazadas, las postales. Aquel día en que intenté convertir mi tristeza en palabras y tirarlas. Letras ilegibles. Palabras. El color cambiado de la tinta. Por eso las memorias son legibles. Este rojo nebuloso es el estampado de la camisa de última vez, estas letras forman parte del rótulo de la librería a la que siempre iba, este espacio en blanco es el espejo desde el que no logró trasladar las palabras de entonces. En la orilla de la memoria, del mar de la memoria, ha aparecido una postal de memoria. Palabras borrosas, sentimientos inolvidables.

 Jesus の作品を見ていたら「記憶の海」ということばが、降ってきた。そして、私は詩を書いた。
*
 記憶の岸辺に、記憶の海から、記憶の絵はがきが流れ着いていた。広い海のどこで出会ったのか、いくつもの街の風景が重なり、また引き剥がされていた。石橋のアーチはとぎれ、教会の塔は天井が破れ、長い椅子が並んだ床が見えた。ことばは、そこで待っていた。靴底に残る砂が、硬い床に砕ける音が消えたとき、ステンドグラスから入ってきた光は、海に差し込む光のように思えた。海が荒れていても、海のなかは静かだ。こころが乱れていても、記憶は静かだ。記憶が乱れていても、こころは静かだ。波に破壊され、くだけちった記憶、たとえば出航してきた街の路地を描写することば、絵はがきに描いた記憶の横顔、何よりも語られなかったことばが、強い力で引き離され、偶然に引き寄せられ、舞いながら、重なり、引き剥がされ、やぶれてしまった、その絵はがき。悲しみを、ことばに変えて、捨ててしまおうとしたあの日。読むことができない文字。ことば。変わってしまったインクの色。だからこそ、記憶は読み取ってしまう。このかすんだ赤は、最後に見たシャツの模様、この文字はいつもいった本屋の看板の一部、この空白はあのときのことばを移し損ねた鏡。記憶の岸辺に、記憶の海から、記憶の絵はがきが流れ着いた。不鮮明なことばが、忘れることのできない感情が。

 

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Estoy Loco por España(番外篇333)Obra, Paco Casal

2023-03-28 11:34:39 | estoy loco por espana

Obra, Paco Casal
Atlántico. Acrílico 100 x 100

 Sumergiéndose en el mar, Lu Gorrizt ve el profundo fondo marino. Pero Paco Casal, a diferencia de Lu, vuelve la mirada horizontalmente y busca la orilla opuesta, que no puede alcanzar. Para Paco el mar es un grueso muro. En el cuadro de Paco, la enorme pared gruesa se eleva como una sección transversal.
 Lu, que se sumerge verticalmente, puede flotar verticalmente hacia arriba, y la "salida" puede estar en cualquier parte. Sin embargo, en el caso de Paco, que se desplaza horizontalmente, sólo hay una "salida". No hay "salida" hasta que llegas a la otra orilla. Esto es a la vez un miedo y un éxtasis. La única salida es renunciar a la idea de escapar y convertirse en un trozo de mar azul oscuro.
 El mar como "puerta" de la que no hay retorno.
 Flotando en la superficie del mar, Lu nada hacia la orilla visible. Paco, que no puede ver la orilla, deja de ser él mismo y deambula como agua de mar. Sólo quien esté dispuesto a hacerlo puede sumergirse en el mar de Paco.

 海に潜る。そのとき人は何を見るか。Lu Gorriztは深い海底を見た。しかし、Paco CasalはLuとは違って、視線を水平に向けて、たどりつくことができない対岸を見るのではないか。海は分厚い壁である。その、巨大な分厚い壁が断面として立ち上がってきたのが、このPacoの絵である。
 垂直に潜るLuは、垂直に浮き上がれば、「出口」はどこにでもある。しかし、水平に動いていくPacoの場合は「出口」はひとつしかない。対岸にたどりつくまで「出口」はない。これは、恐怖であると同時に、ひとつの陶酔である。脱出することを諦めて、暗く青い海という塊になってしまうしかない。
 帰還することができない「入り口」としての海。
 海面に浮き上がったLuは見えている岸に向かって泳ぐ。岸の見えないPacoは、自分であることをやめ海水になってさまよう。その覚悟があるものだけが、このPacoの海のなかに飛びこむことができる。

 

 

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Estoy Loco por España(番外篇332)Obra, Lu Gorrizt

2023-03-27 21:37:48 | estoy loco por espana

Obra, Lu Gorrizt

 Este cuadro de Lu elige el lugar donde se expone. También elige otro interior.
 Delante del cuadro hay un sofá azul. Y el azul es muy parecido al azul del cuadro. Incluso la cubierta del libro de la mesa es azul. Además, el motivo geométrico del suelo también es azul. El amarillo de la mesa es un fuerte acento. No sólo el cuadro, sino también la habitación es una "obra de arte".

 Me imagino una parte de la habitación que no se ve en la foto. El mar se ve a través del gran ventanal a la derecha del cuadro. El azul del mar invade esta habitación y se lleva consigo al mar todo el azul de esta habitación.
 Después, esta habitación sólo se llenará con el tranquilo sonido de las olas.
 O quizás el mar se ha llevado a Lu en la camisa azul y ha dejado este azul como prueba de que se la ha llevado.


 Luのこの絵は、場所を選ぶ。あるいは、他のインテリアを選ぶ。
 手前に青いソファがある。しかもその青は、絵の青にとても似ている。テーブルの上の本の表紙まで青い。さらに床に描かれた幾何学模様も青い。テーブルの黄色が強いアクセントになっている。絵だけではなく、この室内が「作品」である。

 私は、ここから写真には写っていない部分を想像する。絵の右側の大きな窓から海が見える。海の青は、この部屋に侵入してきて、この部屋の青を、すべて海へ連れ去ってしまう。
 そのあと、この部屋には、静かな波の音だけが響くだろう。
 あるいは、青いシャツを着たLuを海は連れ去ってしまい、連れ去った証拠に、この青を残していったのかもしれない。

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読売新聞を読む(2023年03月23日)

2023-03-26 21:37:54 | 読売新聞を読む

 2023年03月2 3 日の読売新聞(西部版・14版)。読売新聞の記者ではないが、山内昌之・富士通FSC特別顧問が「ウクライナ戦争」に関する「作文」を書いている。読売新聞は、どうしても「台湾有事(中国の台湾侵攻)」を望んでいるらしい。「台湾有事」がないかぎり、日本経済は立て直せない、と思っているらしい。「台湾有事待望論」としか、いいようがない。山内の「作文」は、そういう意向を汲んでの「作文」である。「ウクライナ戦争」というタイトルなのに、最後は「台湾有事」で終わっているのが、その「証拠」といえるだろう。
 だいたい「ロシアの侵攻」ではなく「ウクライ戦争」というところが、すでに今回の「戦争」が、アメリカがウクライナにけしかけて引き起こした戦争であることを暗示しているのだが(こういうところに読売新聞の「正直」が出ている)、それは「わき」においておいて、山内「作文」の問題点を指摘しておく。
 最後の方の部分に、こう書いてある。
↓↓↓
 中国は台湾侵攻作戦を、数日で決着がつく「小戦争」と見ているのではないか。だが、米国はウクライナ戦争を意識し、台湾軍の抗戦能力を高めるための軍事援助を強化する構えだ。中国はこうした情勢を直視するべきだ。
↑↑↑
 この文章に「米国はウクライナ戦争を意識し」ということばがあるが、「台湾有事」はあくまでも「アメリカの意識」のなかにある「戦争」である。山内はアメリカと読売新聞の意向を汲んでことばを動かしているのだが、山内が決定的に見落としている「事実」がひとつある。それは「台湾」はウクライナと違って、他の国と「陸地」でつながっていないという点である。ここがウクライナとは決定的に違う。
 アメリカはウクライナへの軍事支援(武器支援)をNATOを通じて「陸地経由」で続けることができる。しかし、台湾に対しては、それができない。もちろんアメリカ以外の国もそれができない。つまり、中国は簡単に台湾への他国からの武器供与を遮断できる。だからこそ、アメリカは台湾に非常に近い日本の南西諸島に基地をつくらせ、そこから台湾支援をしようとしている。
 陸地で、支援する国(地域)とつながっていないと「軍事支援」は非常にむずかしいのだ。
 それはアメリカが、中国のチベットや新疆ウィグル自治区に対する政策を批判しながら、軍事支援をできないことからもわかるし、なによりも香港で問題が起きたとき、香港を支援できなかったことからもわかる。香港は中国と「陸続き」である。中国は簡単に軍隊を香港に派遣できるが、アメリカはそれができない。(当然、NATOもできなかった。)
 さらに山内は、台湾のもうひとつの「地理的条件」を無視している。台湾はウクライナと違って、非常に「狭い」。つまり、あっと言う間に全土を中国軍が支配してしまうことができる。ロシアが東部から侵攻し、キーウにまでたどりつけなかったのとは、地理的に条件が違いすぎる。中国が台湾に侵攻するとしたら、「陸地」からは無理で、どうしても海、空からしかないのだが、これはアメリカが支援するとしたら、やはり海、空から支援するしかないのと同じである。NATO諸国は、中国が台湾に侵攻したとしても、その軍隊がヨーロッパまで押し寄せてくる可能性はないと知っているから、わざわざ海、空から台湾支援をするはずがない。
 どうしたって中国が台湾を侵攻すれば、それは「数日」で解決するだろう。
 それが「数日」で終わらないようにするために、アメリカは、日本に対し南西諸島に基地をつくれとせっついているのである。北朝鮮がアメリカ大陸までとどくミサイル開発を進めているのと同じだ。日本の南西諸島から攻撃できるんだぞ、というわけである。

 さらに山内は、世界の動きも見落としている。読売新聞ウェブ版は3月26日づけで、「中米ホンジュラス、台湾と断交し中国と国交樹立…蔡英文政権で9か国目」というニュースを伝えている。山内はこのニュースの前に「作文」を書いているだが、「9か国目」は別にして、それまでに「台湾と断交し中国と国交樹立」した国があることを知っているはずだが、それを「なかったこと」として書いている。そして、この「台湾と断交し中国と国交樹立」した国のなかに「パナマ、ドミニカ共和国、ニカラグアなど中米・カリブ海の国々が5か国を占める」ということを無視している。
 アメリカ周辺では、「台湾離れ=中国接近」が進んでいるのである。これに対抗する手段としてアメリカができることは「台湾有事」だけなのである。
 この「状況」は、ロシアがウクライナ侵攻をはじめる前の、ヨーロッパとロシアの関係に非常に似ている。ヨーロッパの多くの国は天然ガスや小麦などをとおして、ロシア依存を深めていた。ロシアとヨーロッパの経済関係は非常に緊密になっていた。それはつまり、アメリカとヨーロッパの経済関係が疎遠になるということを意味していた。それを打開するために、つまり、アメリカとヨーロッパの経済関係を協力にするために、ロシアとヨーロッパの関係を切り離すという政策を打ち出したのである。それがウクライナをあおって、ロシアのウクライナ侵攻を誘い出すという作戦である。
 ヨーロッパでは、それが「成功」したようにみえる。少なくとも、アメリカよりの報道しかしない日本の報道からは、そう見える。
 これに味をしめて、アメリカは「台湾」を舞台にして、アジアでも同じことをしようとしている。岸田はアメリカの言いなりになって、それに従っている。
 アフリカ諸国や中南米諸国はアメリカの政策をどうみているか。私は何も知らないが、世界に存在するのはアメリカとヨーロッパだけではないということを忘れないようにしたい。

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中井久夫集4

2023-03-26 13:38:39 | 考える日記

中井久夫集4(みすず書房、2017年09月25日発行)

 中井久夫集4の「統合失調症の陥穽」に次の文章がある。

いずれにせよ、血液の選択的供給低下という事態は何らかの中枢神経内の血液分布を制御している機能があることを仮定している。             (70ページ)

 わたしは、はっとして、思わず傍線を引いた。「いずれにせよ」。これが中井の思想を雄弁に語っていると思った。
 世界の見え方は「複数」ある。「事実」はひとつかもしれないが「真実」は複数である。複数の人間が生きているのだから、それは「複数」になるしかない。中井は、このことを前提として「いずれにせよ」というのである。つまり、「複数」から、そのひとつを選んで生きる。
 そのとき、その「ひとつ」を選ばせるものは何か。中井の場合、それは何か。

だからこの陥穽は相当部分が心理的なものであり、決して宿命的なものではないと仮定しておくほうが、その反対の仮定よりもよいだろう。         (72ページ)

 「真実」は「仮定」にすぎない。つまり「宿命的」(決定的)ではない。そう「仮定するほうがよい」。
 ここには「事実」を自分で引き受ける「覚悟」がある。
 「いずれにせよ、私は、これを選ぶ」という覚悟である。

 それは同時に、中井以外の人間が、中井とは「反対の仮定」を選んだとしても、その選択を拒絶しないということである。中井の選択に従わせる、ということはしない、ということである。
 これは、実際に、私が経験したことでもある。
 中井はギリシャの詩人の作品を翻訳している。詳細な註釈も併記している。私はその註釈を無視して、ただ中井の訳(日本語)だけを読んで、私の感想を書いている。だから私の感想は、中井の「解釈」と合致しないことがある。
 リッツオスの詩について私が感想を書いたあと、中井がその翻訳の一部を変更したことがある。当然、私の感想も変わる。私が感想を書き換えると、中井が再び翻訳の一部を変更した。私もさらに書き換えた。
 『リッツオス詩選集』(作品社、2014年07月15日発行)の編集過程で起きたことである。
 これは「いずれにしろ」の「複数の仮定」の「複数」を具体的に提示して見せるということである。リッツオスの書いたことば、「事実」は変わらないが、それをどう読むかはそれぞれの読者によって違う。あらゆる解釈は「仮定」であり、同時に「真実」である。「仮定」「真実」は、いつでも変更が可能である。それは、一種の「交渉」である。中井がしていた別の仕事に関連づけて言えば「治療」ということかもしれない。それは、患者自分自身で生きる方法を探すということに似ている。中井は、それに立ち会う。立ち会うということを中井は選んでいる。
 この「交渉」の結果、中井の「真実(解釈/仮定)」と私の「真実(感想/仮定)」は一致したか。一致などしない。中井は中井の「読み方(解釈)」を私に押しつけない。中井の註釈と私の感想を読み比べてもらえばわかるが、そこには「一致」はない。
 こんなことで、いいのか。
 たぶん、ふつうの翻訳者なら、そういうことを受け入れない。ふつうの出版社なら、そういうものを受け入れない。しかし、中井は、それでいいと言った。
 はっきりとは言えないのだが、一緒に本を出そうという誘いが中井からあったとき、私は、「私の詩は、詩の背景を無視している。いわば、誤読だらけだ。中井の翻訳を邪魔することにならないか」と質問した。中井は「詩なのだから、どんな読み方があってもいい。ギリシャ語の詩、中井の訳、谷内の感想を一冊にできれば楽しい」と言った。ギリシャ語の原典を収録するという中井の夢は実現しなかったが、あのときの電話で、中井は「詩なのだから」のまえに「いずれにしろ」と言ったのではなかったか。突然、中井の「声」が耳に読みがえったのである。「いずれにしろ」を読んだとき。
 私は、実際に中井と話したことは少ない。だから推測するしかないのだが、中井はふつうの会話のなかで、ときどき「いずれにしろ」に似たことばをつかっているのではないだろうか。それは中井の「キーワード」ではないだろうか、と思ったのである。「キーワード」とは、無意識に、しかたなくもらしてしまうことばであるのだが、そして、だからこそ私はそれを「思想」と考えているのだが。 

 

 

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Estoy Loco por España(番外篇331)Obra, Joaquín Llorens

2023-03-25 13:35:49 | estoy loco por espana

Obra, Joaquín Llorens

 Me di cuenta de que nunca lo había visto. Ese día, por primera vez, lo vi. Era transparente y temblaba. Era tan transparente que se suponía que era invisible, así que eso era todo lo que podía ver. En aquel esquina. En aquiel día. Aún no sabía cómo se llamaba. Cuando se estremeció un poco, las luces de la puerta de la librería se apagaron. El olor de las flores de mulmello se extendió. Las palabras del periódico vespertino en la acera raspaban las persianas de la cafetería. Aun así, se quedé allí, inmóvil. Me tapé los ojos con las manos, intentando no mirar. Y entonces huí. De aquella esquina. Cuando volví a aquiel esquina, lo encontré allí de pie, igual que aquel día. Extendiendo suavemente las manos, los dedos, cubriéndose los ojos. Tristeza. Era tristeza. Ahora sé cómo se llama. Es algo transparente e invisible que se desborda incluso cuando intentas ocultarlo. Debería ser transparente e invisible, pero lo vi porque era la primera vez que lo veía. El marmelo de aquel día vuelve a florecer. Tembloroso, con olor a manos.

(Escribí un poema inspirado en la obra de Joaquín. No sé si los poemas, que no se entienden ni en japonés, podrán entenderse en español.)


 気がついたのは、それを見たことがなかったからだ。あの日、初めて、見た。透明で、震えていた。透明で、見えないはずのものが見えたので、それしか見えなくなった。あの街角。あの日。まだ、その名前を知らなかった。小さく震えると、本屋のショーウンドーの明かりが消えた。マルメロの花の匂いがした。歩道に落ちていた夕刊のことばが、コーヒー店のシャッターをこすった。それでも、そこに動かずに立っていた。見ないように、見えなくするために、手で目を覆った。そして、逃げた。あの街角。あの街角に再び行ってみたら、あの日と同じ姿で、そのままそこに立っていた。そっと手を、指を広げて、顔を覆っている。悲しみ。あれは、悲しみだった。いま、その名前がわかった。隠そうとしても溢れてくる、透明で見えないもの。透明で見えないはずのそれが見えたのは、それを見るのが初めてだったからだ。あの日のマルメロが、また、咲いている。震えながら、手の匂いをただよわせて。

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村上春樹「イエスタデイ」

2023-03-24 22:32:29 | 詩集

村上春樹「イエスタデイ」(『女のいない男たち』文春文庫、2022年04月05日、第15刷)

 私は何度か書いたことがあるが、村上春樹の小説が嫌いだ。ただ、日本語を外国人に教えるには最適のテキストである。同じことを何度も繰り返して説明するからである。(描写ではない。)「わからなくてもつづけて読んで。同じことが別のことばで書いてあるから」と、生徒のとなりにいて、そう言うだけで日本語を教えられる。
 それ以上、言うことはないと思っていたのだが。
 いま日本語を教えるテキストにつかっている文庫本に「イエスタデイ」という作品がある。それを読んでいて、121ページまで来た。主人公が、かつてデートした女性と再会し、彼女とのデートのことを話す。話題は、彼女が見た「氷でできた月の夢」である。

「その夢のこと、まだ覚えていたのね?」
「なぜかよく覚えている」
「他人の夢のことなのに?」
「夢というのは必要に応じて貸し借りできるものなんだよ、きっと」と僕は言った。

 この会話のあと、彼女は姿を消す。そして、「たぶん化粧室にアイメイクを直しにいったのだろう。」という文章がある。ページの最後に「空白」がある。ここで、おわった、と私は思った。そして、非常に感心した。村上春樹の小説に感心するとは思いもしなかった。
 余韻がある。
 「夢というのは必要に応じて貸し借りできるものなんだよ、きっと」は、小説を書いていて、突然ひらいめたことば、どこかから降ってきたことばなんだろうと思った。そういう強さがあって、そのあと彼女が消えてしまうのもとてもいい。
 うーん、すばらしい。

 ところが。
 日本語教師をしていなかったら、そこで本を閉じるのだが、次に読む作品を予習をしておこうと思ってページを繰ったら、つづきがあるのだ。小説は終わっていない。
 そして、その最後の「説明」がとてもくだらない。「説明」にもなっていない。
 その前に収録されている「ドライブ・マイ・カー」も終わる直前、65ページの、みさきのセリフはとてもよかった。「ドライブ・マイ・カー」は、そのあとが短くて、まだいいのだが、それでも最後の一行はいらないだろう。

「少し眠るよ」と家福は言った。

 ここで終われば、もっとよかった。
 で、何が言いたいかというと、村上春樹の小説の文体は「描写」ではなく「説明」であり、村上春樹が「説明」してしまうのは、読者を信じていないからだ。読者を信じていないということは、村上春樹が村上春樹自身のことばを信じていないということなのだ。だから、どうしても長くなる。
 別の生徒とは「18Q4」を読んでいるのだが、「高速道路の非常階段を降りるのに、なぜ、こんなに長い時間がかかる?」と質問されてしまったことを思い出すのだった。
 だらだらと書いてしまうのは、私自身の癖でもあるのだが、だれか、村上春樹に、「ここはいらない」と助言する編集者はいないのだろうか。

 

 


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Estoy Loco por España(番外篇330)Obra, Jesus Coyto Pablo

2023-03-24 10:38:54 | estoy loco por espana

Obra, Jesus Coyto Pablo
"El vendedor de Evangelios" fragmento, Mixta 2023

 "El vendedor de Evangelios" de Jesus. Los colores son muy extraños. Hay varios colores, pero no se mezclan. Desde el momento del contacto, cada uno intenta condensarse hacia su propio centro. Como una gota de agua que se redondea debido a la tensión superficial. Hay algunos colores mezclados, pero acaban separándose y convirtiéndose en colores independientes. Más que un rechazo a la fusión, hay un movimiento autónomo hacia la coexistencia. Hay aquí una fuerte voluntad hacia lo individual.
 Tal vez debido a los muchos blancos dispersos, mis pensamientos se desbocan desde aquí. ¿No son estos blancos del semen? Se combina con el óvulo y se convierte en una "vida" que nunca antes había existido. Innumerables blancos se combinan con el negro (el huevo) que existe detrás del mundo y cristalizan en nuevos colores. Azul, rosa, verde, amarillo. Tengo la impresión de asistir al nacimiento de los colores.
 Incluso el ser humano en la cruz me parece una mujer. El sacerdote parece estar leyendo la Biblia, pero para mí, que no soy cristiano, esta serie parece representar el "nacimiento de los colores". El azul, el rosa, el verde y el amarillo son puros y bellos. Tienen el poder de brillar aún más en el futuro.

   

 Jesus の"El vendedor de Evangelios" 。色が、とても不思議だ。いくつもの色があるが、それは混じり合わない。接触した瞬間から、それぞれが、それぞれの中心へ向かって凝縮しようとしている。表面張力で、水滴がまるくなるように。混ざり合っている色もあるのだが、それはやがて分離し、独立した色になるだろう。融合の拒絶というよりも、共存をめざした自律的な動きがある。ここには、何か、個への強い意思がある。
 多くの白が散らばっているせいか、私の思いは、ここから暴走する。この白は、精液の白ではないのか。それは卵子と結びつき、いままでなかった「いのち」になる。無数の白が、世界の背後に存在する黒(卵子)と結びつき、新しい色になって結晶する。青、ピンク、緑、黄色。色の誕生を見ている気がする。
 十字架に架けられている人間も、私には女の見える。司祭は聖書を読んでいるようだが、キリスト教徒ではない私には、このシリーズは「色の誕生」を表現しているように見える。青、ピンク、緑、黄色のどれもが純粋で美しい。これからさらに輝く力を秘めている。

 

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君野隆久「冬の地図」ほか

2023-03-23 11:14:07 | 詩(雑誌・同人誌)

君野隆久「冬の地図」ほか(「左庭」52、2023年03月15日発行)

 君野隆久「冬の地図」は、定型詩が乱れたような詩である。

ゆきのはだらの
なげきはあれど
うすらひをふみ
ふゆのひを
法外なひかりの
つよさのもとに
ひとどもの
恐るおそる歩む
さまはさながら
地に
ひそむいかづち
を避けるが如く
蛇行し、跛行し

 ことばの形を統一しようとする思いと、乱れても書くしかない思いが交錯しているのか。ここにあるのは邪心か、正直か。よくわからない。そういう風に乱れるのがこころかもしれないと思うが、君野がそれを意識しているか無意識なのか、それもよくわからない。そして、そのよくわからないことが、私にはとても気になる。
 何よりも「はだら」「うすらひ」という柔らかな音と、「法外」「蛇行」「跛行」の硬い音の交錯が気になる。視覚も、聴覚も、何か、統一されることを嫌っている。

そのような地図
があったとして
折り目が
綻ばないように
音のない動悸の
苦しみに緊張し
しずかにたたむ

 詩を「意味」に要約してしまっては詩にならないが、ここには確かに「苦しみ」という名前の「緊張」が「たたまれている」のだろう。「折り目」はどんなに注意してみても、くりかえせばかならず「綻びる」。そうであるなら、「たたむ」と同時に、それを「逃がす」ということも必要だろう。
 その「逃がす」行為としての、詩、ということになるのか。
 そのことを告げる、この最終連は、とても美しい。「冬の地図」とは「折り目」がつくる地図である。「苦しみ」とは言わずに、私は、それを「時間」と思って読んだ。

 江里昭彦が俳句を書いている。

樹下にして省く色なし岩清水

 「樹下にして」という漢語調(?)の響きが「省く色なし」と強く結びついていて、とても美しい。「省く色なし」のあとに「即」が隠れていて「岩清水」とつながる。遠心・求心の強さがある。
 これが少しずつほどかれて

やがて来む弟を待て湧きみずよ
みず飲んで旅も盗みも同じこと
風哭かずば弟の声聴きとれず

 と静かに悲しみに変化していく。「弟」が実在か、虚構か、私は知らないが、ここには何か虚構の響きがある。こころは虚構のなかで解放される、その解放のために詩はあるのかもしれない。
 私は弟を持たないが、江口の句を読みながら、弟を思ったひとの、悲しみ(苦悩)と甘えを思った。「甘え」と書くと語弊があるかもしれない。「安心」と言い換えれば、それは君野の書いた「地図」になるだろう。
 「地図」は、その道を歩いたときだけ、ほんとうの「地図」になる。「地図」は、歩いたあとに、うしろにできるものである。あらゆることばが遅れてやってくるように、地図は遅れて完成する。つまり、地図にしたがって歩いても、どこにもたどりつけない。その不可能の記録が詩である。

 君野は、また中井久夫の思い出を書いている。私なりに要約すれば、それは「ことばはとどく」ということである。冨岡郁子の「なんて強いことば」というエッセイも、同じことを語っているかもしれない。
 私の経験を書いておくと。
 「ことばはとどく」と感じたのは、つい先日、中井久夫集3(みすず書房、2017年07月10日発行)を読んでいたときのことである。私は「解説」というものを、ほとんど皆無というくらいに読まない。先日、その本を読んでいたとき、たまたま、解説の中に中井の訳した詩が載っていたからである。最相葉月は詩をどう読んでいるのか、とふと思って読み始めた。そうしたら、そこに私の名前が出て来た。私は、どんなひとのことばに対する感想でも、その書いたひとに向けて書いている。ほかのひとが読んで、何もわからなくてもいい、書いたひとに伝えたいことがあって書いている。私が書いた中井訳の詩に対する感想も、中井に向けて書いたものである。だから、平気で「誤読」を書きつらねている。カヴァフィスやリッツオスの詩に対する批評でも感想でもないからだ。カヴァフィスやリッツオスの詩の読者に向けての「紹介」ではないからだ。翻訳した中井に向けて、この詩はこういう詩です、といってみたってしようがない。中井の方が私よりはるかに詳しく知っている。私が考えることができるのは、中井のことばについてだけだからである。そういうことばが、中井以外のだれかにとどくとは思ってもいなかった。ところが、最相にとどいたように見える。これは、私にはたいへんな驚きであった。そして、たいへんな励ましでもあった。
 しばらく「詩はどこにあるか」で詩の感想を書くのを中断していたのだが、再会する気になったのは、そのためである。

 

 

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Estoy Loco por España(番外篇329)Obra, Belen Diaz

2023-03-22 10:04:37 | estoy loco por espana

Obra, Belen Diaz

 El 3 es extraño y misterioso.
 El 0 no es nada; el 1 está aislado, pero tiene fuerza. El 2 es una estabilidad que se enfrenta y coopera. El 3 estimula al 2 y cambia esa estabilidad. Ahí empieza el infinito desde el 3.
 La obra de Belen es cósmica porque los tres anillos triangulares se mueven libremente. Como es una escultura, los tres anillos están fijos. Sin embargo, parecen moverse.
 He escrito que se mueven libremente. Sin embargo, esta libertad no significa que sea aleatoria. En algún lugar existe una "ley" que desconozco. Las tres anillos se mueven de acuerdo con la ley. No, se mueven creando "ley de movimiento". Así que por mucho que se muevan, hay estabilidad. Libertad significa crear su "propia ley" y vivir de acuerdo con ella.
 Belen es un escultor que crea movimiento libre.

 3という数の不思議さを思う。
 0は何もない。1は孤立している。しかし、そこには強さがある。2は向き合い、協力する安定感がある。3は、その安定したものを刺激し、変化させる。そこから無限がはじまる。
 このBelen の作品が宇宙を感じさせるのは、三つの三角の輪が自在に動くからだろう。彫刻だから、その三つの輪は固定されている。しかし、動いて見える。
 自在に動く、と私は書いた。しかし、この自在は、でたらめということではない。どこかに、私の知らない「法則」がある。それに守って動く。いや、「運動の法則」をつくりながら動く。だから、どんなに動いても、そこには安定がある。自在、自由とは、自分で「法則」をつくり、それに従って生きることだ。
 Belen は、自由な運動をつくりだす彫刻家だ。

 

 

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Estoy Loco por España(番外篇328)Obra, Jesus Coyto Pablo

2023-03-21 22:47:45 | estoy loco por espana

Obra, Jesus Coyto Pablo

 En los dos cuadros detrás de Jesús hay las fotos. Probablemente sean las de sus padres.
 Delante de estos cuadros, Jesús parece un niño que acaba de pintar por primera vez. Parece como si dijera: "Mira, mira,he pintado un cuadro". Al pintar, Jesús está volviendo a su infancia.
 Los padres en el cuadro dicen: "A este niño le encanta pintar. Ha nacido para ser pintor". Es como si contemplaran asombrados que sale de sus manos y se adentra en el mundo del arte.
 Cuando vi una obra parecida a estos cuadros en el taller de Jesus, no me di cuenta de la sorpresa de sus padres. Por esro me pregunto a si mismo. ¿Conoce Jesús, de espaldas al cuadro, esta sorpresa de los padres?
 Hay algo aquí, entre la mirada de Jesus y las de sus padres, una fuerte conexión y una violenta desconexión entre la vida humana y la recepción de la vida. Me parece que es el propio destino humano.

 Jesus の背後の2枚の作品には、写真がコラージュされている。両親の写真だろう。
 この絵の前では、Jesus の姿が、まるで絵をはじめて描いた少年のように見える。「ほら、絵が描けたよ、見て、見て」と言っているように見える。絵を描くことで、Jesus が童心に戻っている。
 絵のなかの両親は、「この子は絵を描くのが好きなんだ。画家に生まれてきたんだ」と思って、見守っている。それま、まるで、自分の手を離れて、芸術の世界へ行ってしまうことを、驚いて見ているような感じである。
 その両親の驚きは、この絵を単独で見たときは気がつかない何かである。だから、思うのだ。絵を背にして立っているJesus は、この驚きを知っているだろうか。
 ここには、なにか、人間がいのちを受けること、生きることの、強い接続と、激しい断絶がある。

 

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ツチヤタカユキ「プラネタリウム・テイクアウト・デイズ」

2023-03-21 18:17:55 | 詩(雑誌・同人誌)

ツチヤタカユキ「プラネタリウム・テイクアウト・デイズ」(「ココア共和国」2023年2月号)

 ツチヤタカユキ「プラネタリウム・テイクアウト・デイズ」は、こうはじまる。

地球上の人類全員に、つけられるようになった順位。
政府から届いた封筒には、『あなたが最下位になりました』。

その夜、神様がなくしてしまった、地球を作るレシピを拾う。
そこには『ビックバン大さじ1+アダムとイブ』と書いてあって、
私は自分の脳内で、大さじ1のビックバンを起こして、そこに小さな
地球を作った。

 空想の世界である。空想の世界だから何が起きてもいい。だいたい空想にストーリーは必要がない。そういう点では、詩、そのものである。だれも過去に何が起きたか気にしない。これから起きることだけを期待して読む。ストーリーに整合性はなくてもいい。整合性がない方がおもしろい。整合性のかわりにあるのは、何か。人によって、違う。ことばのエネルギーの場合もあれば、「文体の統一」(リズム感の統一)というのも、ある。
 ツチヤタカユキは「文体の統一」で動いている。

その帰り道、神様がなくしてしまった、天使の採用試験問題を拾う。
そこに書いてあった質問に答えた瞬間、
私の順位は1位になった。

Q.『人間の平均寿命が3分間になった世界で、君は何をして、一生を
   終える?』

「カップラーメンにお湯を入れて、次に生まれた奴に食わせる」。

 最後の「奴」がとてもいい。
 3分間、カップラーメンだけでは、ちょっと気の利いた「落語」のようなものである。気取った詩人が見落としていたものを拾い上げて世界を作ってみた、という感じ。「論理」が目立ってしまう。
 この「奴」が「人」だったら、とても気持ちが悪い詩になる。
 「奴」には、軽蔑と親しみの、ふたつの響きがある。それは「人類」や「政府」「神様」「天使」にも通じる。
 私は、ツチヤタカユキがつかっていることばで何か語ろうとは思わないが、「奴」はつかってみたいかな、と思った。「奴」には、何か、「人類」「神様」、それから「順位」というようなものを、ちゃらにする力がある。その力で、詩が統一されている。

 

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ガストン・ドゥプラット&マリアノ・コーン監督「コンペティション」(★★★★)

2023-03-21 13:31:45 | 映画

ガストン・ドゥプラット&マリアノ・コーン監督「コンペティション」(★★★★)(キノシネマ天神、スクリーン1)

監督 ガストン・ドゥプラット&マリアノ・コーン 出演 ペネロペ・クルス、アントニオ・バンデラス、オスカル・マルティネス

 この映画が成功しているいちばんの理由は、リハーサルを超豪華な建物のなかでやっていることだ。映画の撮影ならともかく、リハーサルに、そんな場所をつかう必要がない。でも、これは映画をつくる、リハーサルをするという「映画」なのだから、豪華な舞台の方が見栄えがするし、いかにも「映画」という気持ち(現実ではないという気持ち)になる。
 というようなことを書いていると、これが映画なのか映画ではないのか、よくわからなくなる。
 これが、ミソだね。
 何もかもが嘘なのに、そこに「ほんとう」がある。人間の、かぎりないエゴイズム。登場人物が、みんなエゴイズムのかたまり。
 でも、それ、「ほんとう」? 演技として演じられているだけでは?
 ほら、また、わからなくなる。
 映画のなかでは「ほんとう」を演じながら、その「ほんとう」は嘘だったという部分があるし、こんな安直な「嘘」で結末をつけてどうするんだと思っていたら、ちゃんと別の「ほんとう」(安直な「ほんとう」)が用意されている。
 これでは、終わりがない。映画のなかでは、この「終わりがない」さえ、ちゃかされている。
 どこまで書いても繰り返しになるので、繰り返しにならない「もの」について書いておこう。
 ペネロペ・クルスの「腋毛」である。ペネロペ・クルスが処理していない腋毛を見せる。もちろん、それは映画のための「嘘」ではあるのだが、その腋毛はペネロペ・クルスの腋毛であることは事実なのだ。
 いいなおすと。
 この映画に出てくる役者の、その「肉体」そのものは「ほんもの」である。(もちろん、この役者の肉体は「ほんもの」ということも、アントニオ・バンデラスの二役という形で「ほんもの」を否定されるが、その否定はことばだけなので、まあ、役者の「肉体」の「ほんもの性」は揺るがないと考えていいだろう。
 これを言い直すと。
 観客は、映画(芝居でもいいが)を見るとき、何を見に行くのか。自分の日常とは違う「ストーリー」か。そんなものではない。ひたすら「役者の肉体」を見るだけなのである。ペネロペ・クルスの腋毛が欲望をそそる、とか、あ、そんなもの見たくない、とか。つまり、腋毛がない方が好き、とか。
 この「肉体」を見ているだけ、というのは、笑ってしまうことに、これも映画のなかでひとつのテーマとして描かれている。脇役の女優とキスするリハーサルがある。アントニオ・バンデラスとオスカル・マルティネスのキスがへたくそ、というのでペネロペ・クルスが演じて見せるのだが、それは演技? それとも本気? つまり、脇役の女優にその少女を選んだのは、役者としての才能にほれこんだから? それともキスしたかったから? それは、わからない。わからなくていいのである。アントニオ・バンデラスとオスカル・マルティネスは、わからないまま、それを見つづける。わからなくなって、つまり、困惑した出資者だけが、そのキスを見ることに耐えられず、その部屋を離れる。
 役者の「肉体」を見ることが嫌いなら、映画を見なくてもいい、でも「肉体」を見ることが好きなら、「スケベごころ[があるなら、見に来て、ということだ。
 で、その「肉体」にも、いろいろ種類(?)がある。ペネロペ・クルスもアントニオ・バンデラスも、簡単にいうと「色」を売っているが、オスカル・マルティネスはさすがに「色」を売る年齢でもない殻かもしれないが、「声」を売っている。「声」がとても聞きやすい。それが「舞台俳優」という役柄にぴったりでおもしろかった。さらに、その「声」がスペイン人とはちょっと違うかも、と思ったら、アルゼンチン人だった。知らず知らずに、そんな「肉体」の違いを見ていたことになる。


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