杉惠美子「カラス」ほか(朝日カルチャーセンター、2023年03月20日)
カラス 杉惠美子
誰もいない
この場所に
不思議な視線がある
遥かを見つめ
足もとを見つめ
狙いを定めて
一気に襲う不思議な視線
夕日に映える
その光線こそが
生命をつなぐ
刃となる
そこに生まれた渦は
大きくそして小さく息づいて
次の瞬間を待つ
人の隙間を狙う
一瞬のベクトル
いのちの煌めき
人が抵抗できない
黒い野心
自然と生命
「緊張感がある」と講評だった。「黒い野心」がわからないという声もあったが、単純にカラスの黒と思えばいいのだはないか。ただし、カラスに終わらせずに、その先へ発展させていくのも楽しい。
この詩には「視線=光線」ということばの連絡があり、それがさらに「煌き」ということはにかわっていく。「刃」ということばを考えると、その「視線=光線」は「刃の煌き(光の反射)」とも連絡する。
私はここで、たしか森鴎外だったと思うが、真昼の海の波を描写して「黒い波」、あるいは「黒い光」ということばをつかっていたのを思い出す。光を反射した波は、ふつう「白」で描かれる。しかし、その強い反射の周辺は、目くらましになったときのように黒い。黒があるからこそ「白」が引き立つ。
それに似ている。
まぶしすぎて「黒い光」。「黒い光」は、一種の撞着語だが、そういうことばに出会うと、そこに見落としていたもの、論理では書けないことばがあるのだと気づく。「黒い野心」には、それに通じるものがある。
*
スタート 徳永孝
春は自然が動き出します
草木は芽生え花を咲かせ
虫達が土から出てきます
分かれと旅立ちの季節でもあります
渡り鳥達は北の国へ帰る長い孤独な旅路へ
飛び立つ準備を始めました
私の心も動き出したようです
新しい気付きが次々と訪れて来ます
遠く旅立った人もいます
うれしい事楽しい事も多いけれど
時には涙する事も……
(もしかして花粉症?)
卒業を前にRADWIMPSは歌います
次の空欄にあてはまる言葉を
書き入れなさい ここでの最後の問い
「君(という友)のいない 明日からの日々を
僕は/私は きっと□□□□□□□□□□□□□□□□□□□」
制限時間はあなたのこれからの人生
臆病な私も
あの人この人の応援の眼差しを励みに
小さな勇気をふりしぼって
この守られた安心の日々から
一人で生きる明日への一歩を
踏み出して行こうとしています
「よーい、はじめ」
この詩には、いくつかの問題がある。いちばん大きな問題は、RADWIMPSの詩が引用されているのだが、その引用が、どこからどこまでなのか明記されないない。徳永によれば、三連目の「次の空欄」の5行は引用だという。そういうときは、明記しないと著作権法に違反する。もちろん、ほとんどの人が知っていて、引用と断わる必要のないものもあるかもしれないが(たとえば西脇の「覆されたような宝石」)、そういう例は少ない。もうひとつは、同じ問題かもしれないが、この作品では三連目がいちばんいいということである。三連目には、このことばを書いた人(私は、だれが書いたかを知らないのだが)の発見(徳永のことばを借りて言えば「気付き」)がある。
これに反して、他の部分には、「新しい気付き」ということばが書かれているが、私にはどこが「新しい気付き」なのか、わからない。四連目の、「一人で生きる明日への一歩を/踏み出して行こうとしています」ということが徳永の発見なのかもしれないが、「明日への一歩」がいままでの一歩とどう違うか書かないことには、読者には伝わらないだろう。「明日」ということばだけででいままでとは違うということを伝えるのは、むずかしい。本人が気づいているから、気づいたと書けば他人に気付きが伝わるというわけではない。
むしろ「気付き」と書かないで、あ、この詩人は、私の知らないことに気づいていると感じさせることが大事である。詩人は、かならずしも気づいていなくてもいい。気がつかなくてもいい。
*
下の子 池田清子
ぼくは
まじめに話してる
ことばがおかしかったら
おかしいと言えばいい
使い方がちがっていたら
アドバイスをしたらいい
ぼくは
わらわれるのは いやだ
「下の子になりきっている(演じきっている)」のがいい、という声があったが、その批評がすべてをあらわしている。
池田は、そうは書いていないが、ここでは「下の子」の気持ちに「気づいた」のである。そして、その「気付き」をそのまま書いた。
気付きとは、ある意味では、自分ではなく、だれか(何か)になってしまうことである。
西脇は「覆された宝石」と書いたとき、「朝」になったのか、「宝石」になったのか「覆された」という動詞になったのか。それは、読者が判断することであって、西脇の知ったことではない。
杉の詩では、カラスの視線に気づいたのだが、ただ気づいただけか。最後はカラスになって人間を見ていないか。詩を書き始めたときはカラスを見ていたが、最後はカラスになって世界を見ている。
書くというのは、そういう自己変革をともなう冒険である。
*
琥珀 青柳俊哉
林檎のかけらに
蜜をうすく垂らす
桜の樹脂がとけて
琥珀の中の 蟋蟀が
羽音を立てる
秋の間
それは頭蓋の高い空で
百合の釣り鐘を敲きつづけた
わたしを花粉で統べて
樹液の石化する場へ
数億年の桜の分子の森を飛行する
結晶を無時間の函へ収めた
青柳の場合、どういう変化が起きているか。簡単に描写すれば、最初は琥珀のなかに閉じ込められたコウロギを見た。あるいはコウロギを閉じ込めている琥珀を見た。それは「数億年」という時間の発見につながり、その「数億年」は「無時間」へと変化する。このときの「無」は「無限」の「無」にもなる。
*
嫌いなことを排除していたら嫌いな自分が残った 木谷明
嫌いなことを排除していたら嫌いな自分が残った
駐車場でクルマを降りて いつものように くるりと樹々の間を歩いた。
伐採と剪定をしまくられた栴檀や楠木の根元で、見たことのない鳥がチョンチョン跳んでいる。一羽だ。目が合った。逃げない。寄ってくるようにあそぶ。じっとしていよう。
突っ立ったまま「わたしとあそんで」という題の絵本を想い出していた。
マリーホールエッツはお墓の中にいる自分を想像して描いたのではないか、という趣旨のことを言ったら、ひとりのおばあさんが激怒した。
これは!この本は‼幼い少女のあどけないいい話なんです‼(at 小さな読書会)
そうかなぁ。わたしはいまでもマリーはお墓になっているんだと思い続けている。
鳥はウグイスだと直感していた。二十日程前から鳴いている。姿は見たことがない。
この一生のうちで初めての対面をしている。
すこし紅の尾っぽ、まだら模様のむなばら、まんまるい目。
灰かぶりの草木色みたいなかろやかなやさしいからだを覚えて、帰った。
うぐいすにあったよ うぐいすに
「タイトルがとてもおもしろい」と好評だった。あとの感想は、その付け足しのようなものになったかもしれないが、それではタイトルと内容の関係は、というと、まあ、そういうことは考えたい人が考えればいい。私は、ほとんど、そういうことは考えない。どこがおもしろかったか、しか考えない。おもしろいというのは、そこに私の知らない、あるいは知っていてもことばにしなかったことが書かれているときに起きる。
描写がリズミカルでいいという意見もあった。私もそう思う。「一羽だ。目が合った。逃げない。寄ってくるようにあそぶ。じっとしていよう。」は、起きていることが瞬間瞬間完結している。完結しながら運動になっている。たとえて言えば、ストップモーションの連続が動きになっているということ。ここには、やはり「発見」があるのだ。「気付き」があるのだ。「一羽と目が合ったが、逃げないで寄ってくるようにあそぶので、じっとしていよう。」と書き換えてみるとわかる。「事実」に詩があるのではなく、ことばの運動に詩があるのだ。だから、「大発見」をして、それを書けば詩になるのではなく、どんなことであっても「書き方」で詩になったり、詩にならなかったりする。
「発見」しなければならないのは、「事実」ではなく「事実の書き方」である。
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