詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

松浦寿輝『吃水都市』

2009-03-31 11:08:43 | 詩集
松浦寿輝『吃水都市』(思潮社、2008年10月30日発行)

 松浦寿輝『吃水都市』の一番の特徴は文字表記がいままでの詩集とは違うということである。旧かな遣いと、をどり字(おどり字)の採用。「まだまだ」というような表記を松浦はとらず、二度目の「まだ」は「く」が2字分にのびた文字を採用している。同じ音を繰り返すときにつかう特殊文字である。現代では、多くの人はそういう文字を表記に利用していない。それを、松浦はあえて採用している。
 これは、これは重要なことである。
 をどり字を多くの人がつかっていた時代(新聞や教科書でもそれを見かけ、また実際に手紙などで書いていた時代)の人間とは違って、現代ではそういう文字をつかわないから、それを読むときには、読者の方で繰り返しを意識して読まないと、それが「ことば」にならない。
 そして、この意識された「繰り返し」がこの詩集の(あるいは、松浦の文学すべてに共通する)思想である。繰り返しを意識するとき、その「繰り返し」の「間」のなかに生じる意識が松浦が文学(ことばの活動)の本質である。「繰り返す」ということは「間」をつくりだすことである。

 巻頭の「眠る男」。その書き出し。(をどり字を再現できないので、ここでは○をかわりにあてておく。をどり字に濁音がついたものは、濁音を省略した。原文はテキストで確認してください)

眠る男、眠る男よ、きみはかなしい、眠る男よ、きみはとてもかなしい、きみの頭蓋のなかにはきら○かな悪の金粉が舞つてゐて、おほきな黒猫の毛並のやうな悪い艶をおびてゐるその暗闇を、きみはた○降下してゆくことしかできない、

 をどり字以外にも、松浦は「繰り返し」を多用している。冒頭の「眠る男、眠る男よ、きみはかなしい、眠る男よ、きみはとてもかなしい、」が特徴的である。「眠る男」が3度、「かなしい」が2度繰り返されている。その「間」で変化したことは2点ある。
 1点目。「とても」が挿入された。
 2点目。「眠る男」が「きみ」に変化した。
 この2点が、松浦の思想である。1点目は「間」の拡大、「間」のなかみを充実させること。2点目は「ずれ」。そして、その2点に共通していえることは、ふつうは「意識できない」間のひろがり(あるいは充実)、「ずれ」であるということだ。ふつうは意識しないことを、松浦は意識的にことばにする。「わざと」ことばにする。
 をどり字の採用は、そういう「わざと」がくっきりとあらわれたものである。「くりかえし」を「わざと」意識させる。そして、その「くりかえし」の「間」に、ふつうは意識しないことがらを、意識できないことがらを書き込んでゆく。ふうつ、それを意識できないのは、それが非常に微細なことだからである。どんなに風変わりなこと、華麗なことが書かれていても、それは「間」が見えて来ないかぎり、そこには存在しなかったものなのである。
 「眠る男」に、「よ」がつけくわわって「眠る男よ」になる。そこには呼びかけが付け加えられたことになる。呼びかけであるから、「眠る男」が「きみ」と呼称がかわっても、ふつうは何かがかわったとは意識しない。自然な変化に思える。無意識に読んでしまう。「きみはかなしい」から「きみはとてもかなしい」の変化には「とても」がつけくわえられている。「とても」というのは「微細」なものではないが、具体的ではないので「巨大」ともいえない。微妙な変化であり、それは、いわば「情緒」である。感情でしか把握できないもの、感情の意識(?)だけが感じることのできるものである。理性にとってというか、客観的なことがらと比較すると、その「とても」は測定不能なもの、つまり非常に微細なものということができる。言い換えると、クォークが3個から6個になったときのような「とても」大きな「微細」なのである。ことば(論理)にしたときにのみ、はじめて存在するものなのである。

 「間」の拡大、「ずれ」によることばの運動は、どうなるか。どう展開するか。詩のつづき。

からだは縦になり横になり斜めになり、厚ぼつたい寒気の淀みではふはりと横にそれ、かぐはしい精気はざつくり切り裂いて滑空し、少しづつ少しづつ、着実に、眠りの底に向かつて近づいてゆく、下へ行けば行くほどあたりは茫漠と広がつてゆくやうだ、しかしきみの眠りの底の底はた○一点に収斂してもゆくやうだ、はるか下方にひときは猛々しく輝いてゐるあの一点、あれは町だ、きみの街、そこに、きみはどうしても行き着けない、

 「間」の拡大、「ずれ」は、結局「行き着けない」という結論に達してしまう。カフカの「城」の世界である。
 「行き着けない」世界のなかで、人間は、感覚をただ濃密にする。拡大する「間」、「ずれ」ることで増殖する「間」。「ずれ」とは、最初に存在したものとの「間」によって生じるものだから、松浦は、結局、「間」だけを書いていることになるともいえる。
 「間」は「魔」でもあり、そこでは、人間は、その意識、感情は、つぎつぎに最初の形を失なってしまう。失ないながら、それでも人間でいつづけている。その矛盾。矛盾の連鎖。--「間」があるから、そこに感情や意識が誘い出されるか、それとも感情や意識が揺れ動くから「間」が生まれるのか。
 わからない。
 たぶん、それは同時におきることなのだろう。

 そして、この「同時」ということが、また重要なのだと思う。(松浦は「同時」ということばはつかっていないけれど……。)
 「間」「ずれ」の増殖。増殖するには、ふつうは「時間」がかかる。なんでもそうだが、増殖するのに「時間」のかからないものはない。けれども、松浦にあっては、その「増殖」は「時間」とは無縁なのである。「同時」なのである。「間」「ずれ」の増殖は瞬時というか、人間が存在することと不可分の「一瞬」のできごとなのである。どんなに拡大し、ひきのばしても「一瞬」でしかない。それは「行き着けない」のではなく、すでに「行き着いている」ことだからでもある。
 「行き着けない」と「行き着いてしまっている」を松浦は往復するのである。その往復は拡大すればするほど接近する。接近すればするほど遠くなる。

 松浦は、そういう「世界」へ、「繰り返し」と「をどり字」をつかって、誘い込む。
 その世界は、「意味」ではなく、音、音楽の世界である。「意味」を拒絶している。「をどり字」が「踊り字」でもあって、読者は、松浦の音楽に誘われて、ただ踊る。意識の、感覚のダンス。どこへも行かない。ここで、ただ、踊ることで「ここ」が「ここ」ではなくなる陶酔の愉悦--そういう世界だ。そしてそれは、読者が自分から積極的に「繰り返し」の意識し、その「繰り返し」に参加しないことにはあらわれない「世界」でもある。



吃水都市
松浦 寿輝
思潮社

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『田村隆一全詩集』を読む(40)

2009-03-31 00:27:25 | 田村隆一
 『スコットランドの水車小屋』(1982年)。田村は空間と時間を旅する。詩集のタイトルにもなっている「スコットランドの水車小屋」。

ときおり驟雨があった
アラレが降ったかと思うとだしぬけに青空がひろがった
三月の厳寒の緑の野をぬけると
川がながれていた
産卵期には歌をうたいながら北海から鮭の群れがのぼってくる
その川のほとりに
パゴダ風の乾燥窯と水車小屋と水車があってアヒルが二羽
十七世紀の動力を見張っている 水車は
紀元前一世紀に西アジアに出現し それから
中国とギリシャへ そして中世のヨーロッパへ
水車も風車も自然の力を動力にかえた

 「水車」。その人間の発明した「動力」と鮭、とりわけアヒルの組み合わせが新鮮である。鮭もアヒルも人間のつくったものなどとは無関係である。「動力」がなんにかわろうが、鮭、アヒルにとって重要なのは、「動力」ではない。自然そのもの。川の流れそのものである。
 この絶対に融合することのない「動力」という人工物と鮭、アヒルという「いのち」の衝突。それが時間を浮き彫りにする。そして、空間をも浮き彫りにする。ここでの空間は、つまるところ、人間の移動する「空間」、つながりの「空間」である。そういうものも鮭、アヒルには無関係である。
 この世界には、人間と「無関係」なものがあるのだ。
 もちろん「無関係」といっても、人間は川を利用し、風を利用し、つまり自然を利用して「動力」を手に入れるという「関係」をつくりあげた。そうやってできた「時間」が「空間」を越えて、世界へひろがり、そのひろがる速度がまた「時間」をつくった。そういう時間・空間のなかに人間は生きている。
 そして、それを鮭、アヒルは「無関係」に見ている。

 人間のつくりだしたものは、自立する。そこに、たぶん問題がある、と田村は考えている。
 詩の中盤。

それから二百年後の進歩と発明の世界は
蒸気機関と電力が人間を支配し 水と風は死に
川には鮭ものぼってこない失われた鮭の歌
ロンドンのテムズもパリのセーヌの掘割も
世紀末の芸術家のように死んだふりをして
二十世紀には石油の大戦争が二つもあって
大量生産大量消費は大量殺戮の銅貨の表裏
どっちが出たって 人間に勝ち目はないさ

 「蒸気機関と電力が人間を支配し 水と風は死に」は強烈である。死んだのは「水と風」だけではなく、人間も死んだのである。「支配」しているのは人間ではなく、人間がつくりだした「動力」であり、それは自立してどんどん拡大する。「蒸気機関」から「電気」へと、急成長する。それはある意味で、「第二の自然」である。人間のおもわくなど気にしないで、つまり「無関係」に自立して成長する。拡大する。この「無関係」とは「非情」ということでもある。「非情」というのは人間を考慮しない、ということである。
 自然も人間を考慮しない。たとえば水車をみつめるアヒルは人間を考慮しない。「非情」である。しかし、自然の「非情」がユーモアであるのに対し、人間が創造した「動力」の「非情」はただ人間を破壊するだけである。
 こうした「動力」と人間の「無関係」を田村は批判している。

 後半。

ぼくたちが
歌をうたいながらパンを得たいなら
ただ一つ
自然と共存することだ ほんとうに
ぼくたちの都市が建設したいなら自然を豊かにすることだ
もう一度 自然の創造的な力をかりようじゃないか
水と風と太陽から

風見鶏さえ人間の手の形をしているプレストン・ミル
十七世紀の製粉所

 「ぼくたちの都市が建設したいなら自然を豊かにすることだ」。この逆説。この矛盾。いつでも「思想」は矛盾のなかにある。「共存」とは、「無関係」を否定することだ。「無関係」を破壊し、「関係」に戻る。
 「自然から創造的な力をかりる」と田村は書いているが、これは「かりる」というよりも、人間が「自然」にもどる、立ち返るということだろう。いま、もっているものを捨てる。「動力」の自立を捨てる。

 田村は、そういうことを夢見ている。

 --こういう詩の読み方は、あまりにも「意味」に支配されすぎているだろうか。たぶん、支配されすぎている。楽しい読み方ではない。
 そうは思うけれど、こういうふうにしか、私にはこの作品を読むことができない。
 初期の作品は、ことばが自立していた。ことばが意味を拒絶して自立していた。
 この時期の田村のことばは、一方で「意味」を見据え、「意味」と戦っている。そして、それが「意味」に溺れてしまわないように、必死になっている。旅をして、アヒルや鮭を発見し、驟雨を発見し、「無関係」なもので、世界をかきまぜようとしている。「無関係」がそのままいきいきしている「世界」を取り戻そうとしている。
 私には、そんなふうに感じられる。




泉を求めて―田村隆一対話集 (1974年)
田村 隆一
毎日新聞社

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「朝日歌壇俳壇」

2009-03-30 10:45:36 | その他(音楽、小説etc)
「朝日歌壇俳壇」(朝日新聞2009年03月30日朝刊)

 朝日歌壇に、とてもおもしろいことが起きていた。永田和宏が1席2席に選んでいる歌。(他の選者も選んでいるが。)

温かき缶コーヒーを抱きて寝て冷めれば冷えしコーヒーを啜る
                     (ホームレス)公田耕一
囚人の己れが〈(ホームレス)公田〉想いつつ食むHOTMEALを
                     (アメリカ)郷隼人

 アメリカで刑に服している郷が、公田の歌を読み、彼のことを思いやっている。郷は公田が今回投稿してきた作品を読まずに今回の歌を詠んでいるはずだが、そこに不思議なつながりがある。公田は缶コーヒーで暖をとりながら眠り、目覚めて冷めたコーヒーを飲む。一方、郷は獄中にあって、温かい食事をとっている。公田はどうしているだろうと思っている。そして、自分のいまを静かに責めている。まるで、公田が必死の工夫で暖かさを手に入れようとしているという歌を詠んでいるのを知って書いたかのようである。
 ふいに、涙が体の奥から(目からというより、もっと奥から)あふれてきた。
 どうして、こんなふうに、まるで相聞歌のようなやりとりが起きたのか。
 私は二人の歌をつづけて読んできているわけではないから簡単にはいえないけれど、たぶん、短歌という形が必然的に今回の二人の作品を引き寄せたのだろう。短歌には、相聞のながい歴史がある。そういうものが、ふたりのことばをつらぬき、互いを呼び合ったのだ。
 いいなあ、と思う。こういうことが偶然おき、そしてそれが必然に思える。そういう歴史というか、伝統というか、そういものがことばのなかにあるというのは、とてもすばらしいことだと思う。
 私は短歌を書かないが(読むこともめったにしないが)、短歌という文学形式をもっていることを、なぜか誇らしく感じた。



 同じページに掲載されている「短歌時評」。種村弘「本物そっくりがリアルか?」という文を書いている。

初めて演歌を聴いた外国人は「着てはもらえぬセーターを寒さこらえて編んでます」という歌詞の「味」を理解できるだろうか。不合理な後ろ向き感が全く非現実的だ、と思うのではないか。
 だが、演歌を好む日本人にしても、これが現実に近いからいいとか共感できると思っているわけではない。演歌的「女心」とは、あくまでジャンルに特有のカタルシスに向かうために編み出された一種のスタイルなのだ。

 「カタルシスに向かうために編み出された一種のスタイル」という指摘にはっとした。そうか、文学とは(芸術とは)カタルシスに向けてのスタイルだったのか。芸術は結局、カタルシスとスタイルのふたつが存在しないと芸術にならないということだろう。そして、重要なのは「スタイル」ということになる。さらにいえば、「スタイル」の共有が重要になる。

 先に取り上げた公田と郷のふたつの歌は、自分の境遇を読みながら、自分の苦悩を解放するという「スタイル」が呼び寄せ合ったものということになるのかもしれない。「スタイル」の共有が偶然を必然にかえたのである。

             以上は、歌に関する感想。以下は、少し、違った感想。



 種村は、つづけて書いている。

 ならば、この歌詞がそのリアルさを失うのは、現実の「女心」が絶滅したときではなく、このスタイルがカタルシスを生み出せなくなったとき、ということになる。外国人ならぬ若い世代の日本人が「ぴんとこない」と思ったときが危機なのだ。

 この一文にはどきりとした。
 私は「北の宿」の歌詞のカタルシスとスタイルは理解できるが、逆のことを考えたからだ。
 たとえば、私よりずっと世代の若いひとたちの書く詩、そのことば、そのスタイルがぴんとこない。これは、私にとって、一種の危機なのかもしれない。私が詩を読むときのスタイルの危機なのかもしれない、と思った。
 具体的にいえば、たとえば私は森川雅美の書いていることばのほとんどが「ぴんとこない」。「肉体」を感じない。ことばを「頭」で書いているのではないか。そうしたことをあるとき指摘したら、森川から「肉体を書いている」と反論があった。同じようなことが、浜江順子の詩の感想を書いたときにも起きた。
 しかし、どうにも、私にはわからないことがある。
 たとえば、いま、さくらの季節だが、花の美しさにひかれるように、その体に触ってみたくなる。その幹に手で触る。ごつごつ、ざらざらしている。触覚がそう感じる。それを感じる手は「肉体」か。たしかに「肉体」であるだろうけれど、私にとっては、それだけでは「肉体」ということばをつかう気持ちになれない。手がさくらの幹に触れて、触れることで、目で見ているだけでは感じなかったごつごつ、ざらざらを感じ、そこにさくらの生きてきた年月を感じるだけでは「肉体」でさくらを知ったという気持ちにはなれない。そこから、手(触覚)でも目(視覚)でもない領域にまで「肉体」がぐらりと動いたとき、初めて「肉体」ということばをつかいたい。さくらを見て美しいと感じ、幹に触ってごつごつした感じを確かめ、年月を感じ、そのあと、その手を通してさくらの声が聞こえたとき、あるいはその瞬間さくらのいろからいきいきとしたにおいがひろがったととき、--そういう変化がことばでつたわってきたとき、私は「肉体」を感じる。その人の「いのち」を感じる。
 目も手も「肉体」の一部である。視覚も触覚も人間の感性の一部である。それにはそれぞれ名前がついているから、それはそれで独立したものである。しかし、人間の体から目と手を切り離すことはできない。切り離しても目は目であり、手は手であるかもしれないが、切り離された痛みは、目、手、それとも残された体のどちらに属するのか。それは切り離せないのではないか。どこかでしっかりつながっている。そのつながっている体の奥深い部分を、ことばがくぐりぬけ、手で触ったのに、目で見たのに、耳が何かを聴いてしまう--そういうときに「肉体」が「肉体」になる。
 「肉体」のなかで「感覚」の領域侵犯がおきる。ことばが、そういう「スタイル」をとるとき、私は「肉体」を感じる。その「スタイル」にリアルさを感じる。
 森川の詩の一部には、そういうものを感じない。浜江の作品の一部にも感じない。彼等が書いているのは「本物」の肉体らしいけれど、私にはリアルには感じられない。これはきっと、ことばの書き方の「スタイル」が全く違ってきているということだろう。
 二人が新しいのか、私が古すぎるのか。



 短歌は、「スタイル」の「肉体」を共有している。けれど「現代詩」は「肉体」を共有していない。いや、私だけが共有していないのか。
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吉浦豊久「禿頭蕪村について」

2009-03-30 00:43:32 | 詩(雑誌・同人誌)
吉浦豊久「禿頭蕪村について」(「ANTHOLOGY TOYAMA2008」2008年11月01日発行) 

 吉浦豊久「禿頭蕪村について」は俳人蕪村、南画家蕪村のふたりについて書いたものである。

深夜二時頃
ハゲた蕪村が 尻からげて 土砂降りの室町通を小走りに
馬提灯が欲しいなどと 連れの太祇に話しかけながら
師走の句会の帰えり

そんなことを思いながら
研ぎだされたカエデ葉やつつじの花に 蕪村を嗅ぎ廻った
五月晴れの京都の朝は気持ちいい
ここは 詩仙堂の山続き 金福寺の裏山
ここには 蕪村が再興したカヤ葺きの蕪村庵や 与謝蕪村の墓があり
門人呉春景文兄弟の墓などもある

祇園祭が一名屏風祭とも呼ばれ
蕪村の俳諧一門に京の富裕層が多かった
そこで生まれたのが屏風講
病いで倒れる位描きまくった軸屏風の稼ぎを
茶屋遊びに注込んでいた蕪村という男

  ほととぎす平安城を筋違に

俳人蕪村は中学生でも知っているが 南画家謝春星となると それ中国の人け
竹田曰く「大雅逸筆 春星戦筆」
謝春星は蕪村の画号の一つである
門人松村呉春の描いた法衣の禿頭蕪村像が残っている

 どう感想を書いていいのかわからなかった。なんにも考えずに、ただ、蕪村の禿頭の肖像(呉春が描いたもの)を見て、思いつくままに、ことばを動かしている。そのことばにしたがって蕪村が、ふわっと浮き上がってくる。それだけ--といっていいのかどうかわからないが、そういう詩である。そして、思いつくままなのに、なぜか、そこに「文体」がある。「わざと」を感じる。「わざと」そういう書き方をしているのだ、という印象がある。つきはなしたような、一種の「距離」がある。そのために、不思議な「清潔感」がある。なまなましくない。蕪村が、たとえば金稼ぎのために軸屏風を描きまくった、そしてその金で茶屋遊びをした。放蕩をした、と書かれているのだが、そのことが、不思議に「くらし」と密着してこないのである。さっぱりとした「笑い話」のように響いてくるである。
 なぜか。
 「それ中国の人け」
 ふいに挿入された富山弁が、蕪村を「くらし」から引き剥がしてしまうのである。「それ中国の人け」とは「それは中国の人ですか?」という疑問形、質問なのだが、そういう蕪村を知らない人の「くらし」がふいにでてきた瞬間、吉浦の書いていることが「くらし」から切り離される。
 吉浦のことばは「文化」のことばである。そこに書かれている蕪村像も「文化」の像である。茶屋遊びで放蕩しても、それは放蕩という「文化」なのである。
 富山で、ふつうにくらしている人とは無関係である。
 この「無関係」という視点が「清潔感」をひきだしている。

 きのう、私は、廿楽順治の詩の感想を書いた。廿楽のことばは「無関係」とは逆である。何から何まで、ずるずるっとつながっていく。境目がなくなる。そして境目が消えた瞬間、「肉体」が浮かび上がってくる。それはなつかしくて、同時に、あたたかい。
 廿楽とは逆に、吉浦のことばは「無関係」ということを「くらし」に対して宣言している。「くらし」とは無関係である何か--それは、一方で、「文化」と深く結びついている。
 「文化」の「くらし」からの切り離しがおこなわれている。ちょっと、高踏的である。そのために、「現代詩」とは「距離」がある。「現代詩」と無縁のまま、「詩」をめざしているのかもしれないけれど、うーん、と考え込んでしまった。
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『田村隆一全詩集』を読む(40)

2009-03-30 00:03:03 | 田村隆一
 『小鳥は笑った』には鎌倉の詩がたくさんある。そのうち、私は「白波」と「冬」に強くひかれる。特に「白波」の次の部分。

「杉本観音は、海道より北にあり」
 と『新篇鎌倉志』にあるが、その「海道」を、いま金沢八景行きのバスが走っていて、ぼくは「わかれ道」でおりて、ブラブラ歩くことにする。「わかれ道」のそばに、魚屋があって、「ちょっとお伺いしますが」の、「ちょっと」と云ったとたん、ゴム長をはいたいせいのいいおかみさんが、デバ包丁をふりかざして、「チズ!」と一声。なるほど、店の横手に自家製の地図が打ちつけてあって、その杉板に、杉本寺や報国寺、荏柄天神などの所在が黒のボールペンで描かれている。

 道をたずねようとしたとたん、道をたずねられていることになれている(辟易している)魚屋のおかみさんが、教える代わりに「地図を見て」と言う。いや、「チズ!」とだけ叫ぶ。田村は、私が書いたようなことは省略して、単に「チズ!」という一声があったという事実だけを書いているのだが、この省略--そこに、詩がある。
 詩とは異質なものの出会い。
 人間にとって、いちばん異質なものとは、人間以外のものではなく、人間でありながら自分とは違う時間を生きている人間、つまり「他人」である。
 田村にとって、この作品のなかで近しい人は、『新篇鎌倉志』を書いた人であり、またその本にしたがってブラブラ歩いている人である。遠い人、「他人」とは、そういうブラブラ歩きの人から道を聞かれてうんざりしている人--つまり、魚屋のおかみさんである。ふたりが出会うとき、ふたりの向き合う「ベクトル」はまったく逆である。いわば「矛盾」している。(こういうとき、矛盾ということばはつかわないだろうけれど、いままで私がつかってきた「矛盾」にはこういう組み合わせも含んでいるので、あえて「矛盾」と書いておく。)
 そして、その「ベクトル」は、単に方向をもっているだけではなく、「過去」をもっている。そして、そのふたつのベクトルがぶつかったとき、長い「過去」をもっているベクトルが短い「過去」しかもたないベクトルを破壊してしまう。膨大な過去が、一気に噴出してきて、少ない過去をけちらかしてしまう。
 「チズ!」と一声叫ぶだけで、おかみさんが何度道を聞かれたか、そういう経験をしてきたかがすぐわかる。そして、その一声といっしょに見えてくる地図の、その書き込みによって、いったい何を聞かれたかもわかる。
 その一気に噴き出してきた「他人の過去」に詩人が打ち勝つ方法はない。道を尋ねようとしていた自分を否定し、地図をみつめ、そして単に場所だけではなく、いやむしろ、場所というよりも、別の田村(田村に先だっておかみさんに道を聞いた人)のめざしていたひととのやりとりまで聞いてしまう。田村は「杉本観音」の場所を聞こうとした。しかし、別の田村は杉本寺や報国寺などを聞こうとした。この瞬間の、「他人」の「自己」への闖入。--そこに、詩がある。「他人」の闖入により、「自己」が破壊される一瞬。そこに詩がある。

 「冬」では、田村の「十三秒間隔の光り」という作品に対する土砂からのはがきが引用されている。田村は「岡田港」の灯台と思ってその作品を書いたが、それは「風早崎」の灯台であり、光りの間隔も十三秒ではなく、三十秒周期だという。
 それが「事実」であるかどうかは問題ではない。
 いつでも「他人」は田村の予想外のことばであらわれる。その「予想外のことば」のなかに、田村は驚く。その驚きの中に詩がある。他人のことばが闖入してきて、一瞬、田村のことばを破壊するのだ。

 田村のことばを破壊するのは、たとえばオーデンの詩、エリオットの詩、あるいは西脇の詩のことばというような「文学」だけではない。
 文学とは関係なく(といってしまうと語弊があるかもしれないけれど)、それぞれに自分の時間を生きている「他人」のことばも、同じように田村のことばを破壊する。「他人」のことばの方が破壊力が強いかもしれない。
 そして、そういう田村を破壊することばを田村は正確に受け止めている。拒絶するのではなく、受け入れて、自分を解体する手がかりにしている。

 田村は、鎌倉を歩き回りながら、田村を破壊してくれることば、自然を探している--それがこの詩集だと思う。



あたかも風のごとく―田村隆一対談集 (1976年)
田村 隆一
風濤社

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廿楽順治「抜伝」ほか

2009-03-29 15:23:22 | 詩(雑誌・同人誌)
廿楽順治「抜伝」ほか(「ガーネット」57、2009年03月01日発行)

 廿楽順治「抜伝」にはなつかしい怖さがある。この「なつかしさ」はいくぶん池井昌樹のなつかしさに似ている。それは、どこからくるのだろうか。

鼻梁をくだかれて死んだあいつのことは
こわいからずっとだまっていよう
ひとの伝記だもの
すこしくらいまちがいがあってもよい
仕事がなくなって
師走のまちで
毛糸のぱんつを売ったこともある
おまえたち
背中をきんとうに
この名人のかんなでうすく削ってやろうか
いたいぞ
しみるぞ

 前半部分だが、4行目までは「わたし」(あとで出てくる)の思いである。次の3行は「わたし」が知っている「あいつ」の「伝記」である。その次の5行は「あいつ」のことばであり、「わたし」の知っている「あいつの伝記」の一部である。前の3行と密接につながっている。そしてそれは最初の4行の「怖いからずっとだまっていよう」と思っていることがらでもある。
 廿楽は、それを区別せずに、連続したものとして書く。行空きとか、括弧「 」をつかって話し言葉を明確にするという方法をとらず、どこまでが自分の思いであり、どこまでが「事実」であり、どこまでがひとの話したことばなのか、わからないように、「わざと」書いている。
 ここに「なつかしさ」がある。「なつかしさ」の理由がある。
 私たちは、世界と向き合うとき、それが現実であれ(いまのことであれ)、過去の思い出であれ、「事実」と「思い」を明確にわけては考えられない。どんな「事実」にも、それを「事実」として定義するとき、そこにひとの考え(思い)が入ってくる。ひとの話したことばになると、そこには「誤解」も入ってくる。つまり、本人が話したときの気持ちと、そのことばを受け止めた人間の気持ちにはずれが生まれるときがあって、人はその場合、気持ちを優先して「事実」をねじまげてしまう。
 私たちは、どこかで「事実」と「思い」を溶け合わせている。その「溶け合わせる」ときの「現場」というか、何もかもが区別がなくなる特別の「深部」をことばがとおってくるとき、そこに「なつかしさ」が生まれる。その特別な「深部」に誘われ、くぐりぬける生々しい(なまあたたかい)こころの動きが、私たちのことばを「はだか」に、いや「裸」以前の「いのち」そのものにしてしまうのだ。
 私たちは、そこで、無防備になり、放心し、「こわい」ときには「こわさ」にただ震え、それが通りすぎるのを待っている。それは「こわい」けれど、とてもとても「なつかしい」ことでもある。
 詩の後半。

削られてから泣いたのではもうおそい
鼻をなくして
その男はつんとぬけてきた
背中の皮いちまいていどなら
(どうってことない)
でもしみるぞ
その男はぴょんぴょんと
わたしたちをひとり置きに飛んでゆく
そこに伝記の夕日がおっこちて
ぬかされたひとは
(もうだめだ)
みんなきんとうに沈むのである
うわさでは
この名人のかんなからはだれも逃げられない

 書かれていない「伝記」を捏造してみれば、たぶん、男は自分のかんなの腕を自慢するために自分の顔にかんなを当てた。鼻をすぱっと削り取って、のっぺらぼう。その異様な顔はこどもの好奇心と恐怖をあおる。「どうだ、背中を削ってやろうか」。背中なら痛くはないかもしれない。(どうってことない)と言い聞かせてみる。そう思っていると、男は次々に仲間の背中を削っていく。「わたし」は運良くそれから免れたけれど、そのかわり「目撃」してしまう。「目撃」と「被害」は違うものだけれど、やっぱり、その場に居合わせたことで、それが自分の「肉体」とつながってしまう。--そして、「この名人のかんなからはだれも逃げられない」ということになる。それは「わたし」のことば(気持ち)か、それとも「おとな」がこどもをこわがらせるためにつくりだした話か、わからないけれど。
 わからないけれど「きんとう」に「肉体」にしみるのである。
 (どうってことない)も(もうだめだ)も、「きんとう」なのである。つながっているのである。
 このつながりの基本は、池井は「血」であるのに対し、廿楽は「ことば」かもしれない。この作品でいえば、(どうってことない)(もうだめだ)ということば。それは、この詩のなかでは鼻をなくしたかんな名人と出会ったときのこころの動きをあらわしているが、そのことば自体は、わたしたちは日常の多くの場でつかう。そして、それをつかったとき、その多くの場が、どこかで鼻のないかんな名人と出会ったときとひそかに重なり合うのである。
 そういう重なりあいは、誤解である。--誤解であるけれど、そんなふうにこころがう動くというのが人間の「いのち」である。廿楽のことばは、そういう「いのち」に触れている。

 「棍鳴」では、(いかいないでいかないで)(約束だからね)ということばが、そういうつながりをぐいと引き寄せている。「舌禍」では「わりざんできますか/鰐さんだしますか」「どうしますか/恫喝しますか」といっただじゃれが、そういうものを引き寄せている。引き寄せられたものは、ある意味では「余分なもの」である。廿楽のおもしろいのは、そういう「余分」を、「きんとう」にきれいに(?)各行に展開できるところにある。



すみだがわ
廿楽 順治
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『田村隆一全詩集』を読む(39)

2009-03-29 00:04:57 | 田村隆一
 『小鳥が笑った』(1981年)に、おかしな作品がある。「動物園の昼さがり」と「おやすみ ワニ」。この作品は2つで1篇である。いや、「おやすみ ワニ」の方はまだ1篇として独立しているといえるかもしれないが、「動物園の昼さがり」は「おやすみ ワニ」の前書き(?)なのだから、1篇とはいえないかもしれない。けれど、その1篇未満の詩がなぜか私は好きだ。

ロンドンの動物園の昼さがり
やっと春がきて色とりどりの
クロッカスの花が咲いていて

サイもライオンもペンギンも
退屈そうな顔をして昼寝して
いたりしてぼくは動物園の中
居酒屋でウイスキーを飲んで
いたら突然ワニの親子を思い
出した 父の背中に五センチ
ほどの子どもがのっていて父
も子も眠っていたが母親だけ
は大股をひろげて目だけパッ
ちり明けているのさ そこで

 作品は、これで終わり。そして、次のページに「おやすみ ワニ」という作品がある。

おやすみ ワニ
ワニの父と子 その
母親
リージェント公園にはやっと春がきて
クロッカスの花々が咲いていて

 「動物園の昼さがり」の末尾、「そこで」のあとには、「次の詩を書いた」とでもいうべき1行が隠されている。この1行が隠されていることは、2篇をつづけて読んだ読者にははっきりわかる。そして、この1篇は、その隠されている1行にのみ「意味」がある。いわゆる「意味」--人と人との関係において、何かを伝えるというときの「意味」がある。
 ことばが、もし、「意味」を伝えるためのものだとしたら、あるいは文学作品が、なんらかの「意味」を伝えるものだとしたら、(国語の試験の、文意を「要約せよ」というときに「答え」として各戸とのできるものだとしたら)、この作品には「意味」が書かれていない。「意味」を放棄している。
 別なことばでいえば、ここでは、どうでもいいことが書かれているである。「おやすみ ワニ」のタイトルのあとに副題として「ロンドン、リージェント公園で」と副題をつければすむようなことを、1篇にしたてている。
 詩を読んだことのない読者なら、こういう作品を「無意味」というかもしれない。たしかに「無意味」である。
 そして、だからこそ、詩なのである。
 詩になにかしなければならない仕事があるとするならば、「無意味」が存在することを明らかにするのが仕事である。「意味」をあきらかにするのではなく、「意味」を拒絶し、破壊し「意味」以前の状態、「未分化」の世界をことばとして存在させることが仕事である。

 この詩は1行が13字である。そして13行である。(1行の空白をどう数えるかで、14行という人もいるかもしれないが。)途中までは1行でひとつの文節がおわるようにことばを選んでもいる。なかほど「いたりしてぼくは動物園の中」という行は、1行13字という田村自身の設定した「条件」のために、とても不自然な形をしている。もし、「意味」を伝えることがことばの仕事(文学の仕事)であるとしたら、この1行はとても不親切である。その前の行との「昼寝をして/いたりして」という「わたり」はそうだけれど、「動物園の中」という1行の終わり方、そして次の行の「居酒屋で」という飛躍が、とても不親切である。
 田村は、ここでは13字13行という形に「無意味」にこだわっているのである。そういう「こだわり」も詩のひとつである。次の作品の「前書き」にとって、ことばが正方形(?)の文字列になっているかどうかなど、まったく「無意味」なことである。そういう「無意味」によって、この作品は詩になっている。

 そして。

 この13字13行という「形」にこだわってみせている部分にはもう一つ、とてもおもしろいことが隠されている。

いたりしてぼくは動物園の中
居酒屋でウイスキーを飲んで

 これは、13字13行の形に目を奪われて読んでいると、13字13行にするために、「動物園の中」のあとに「の」が省略されているというふうに読んでしまいそうである。

動物園のなか「の」居酒屋で

 と読んでしまいそうである。
 しかし、そうなのだろうか。動物園の中に居酒屋があり、そこでウイスキーを飲んでいたら、ワニを思い出したということなのだろうか。
 違うのではないだろうか。だいたい、動物園に、居酒屋があるだろうか。

退屈そうな顔をして昼寝して
いたりしてぼくは動物園の中

 という2行には、行の「わたり」がある。「昼寝をして/いたりして」は、学校教育の文節では「昼寝を/していたりして」である。それを無視して「わたり」があるために、「動物園の中/居酒屋で」も一種の「わたり」として読んでしまうのだが、これは田村の仕組んだ「わな」、「わざと」書いた部分である。
 「動物園の中」と「居酒屋で」のあいだには、「間(ま)」がある。その「間」を田村は「わざと」消している。
 最後の1行「次の詩を書いた」という省略は、だれにでも想像がつくが、この「間」の消去は見落とされるのではないだろうか。「間」が消されているというよりも、「の」が省略されていると読まれるのではないだろうか。
 しかし、ここには「間」があるのだ。

 田村が動物園へ行ったのはたしかである。居酒屋へ行ったのもたしかである。しかし、それは同じロンドンではあっても、離れた場所である。動物園の中に居酒屋があるのではない。
 居酒屋で、ふいに動物園を思い出したのだ。クロッカスの花もワニの昼寝もふいに思い出したのだ。居酒屋で動物園の花々の話をしていたら、ふいにワニの昼寝を思い出してしまったのである。花々とワニの昼寝のあいだにもいっしゅの飛躍があるが、そういう飛躍を消えて、ことばがショートする一瞬。
 ショート、短絡、という「間」。
 これが、ほんとうは詩である。

 詩とは異質なものの出会い。出会ったとき、そこに「間」がひろがるのではなく、「間」がショートして、火花が飛び散る。その驚き。驚きの輝き。ちょっと怖い。でも、そのちょっと怖いのが好き、という興奮。

 なんでもない「前書き」のようなことば--だけれど、そこには、そういうものが隠されている。ショートした「間」が隠されている。
 このショートした「間」の変奏が「おやすみ ワニ」の最後に出てくる。

生命の水こそ
ウイスキーの語源で
その水を飲みに
ロンドンのパブへ行ってみたら
四百年ぐらいたっている居酒屋で
そのローソクの灯をともして
人間の存在と行為についてぼくらは論じながら
哄笑するのだ シェークスピア役者だってワニを背中にのせて
ドアをあけて入ってくるかもしれない

 突然のシェークスピア役者とワニの出会い、そして闖入。そのショート。ショートという「間」。そこに詩がある。

 田村の作品について、私は何度も、矛盾、衝突、止揚ではなく解体、そして何もなくなったところからの生成というようなことを書いたが、その生成、誕生はゆっくりおこなわれるのではない。ショート、短絡の形で、突然、ぱっと出現するものなのだ。

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デヴィッド・リーン監督「アラビアのロレンス」(完全版)(★★あるいは★★★★★)

2009-03-28 22:48:18 | 映画
監督 デヴィッド・リーン 出演 ピーター・オトゥール、アレック・ギネス、オマー・シャリフ 

 映画は生き物である。つくづく、そう思った。かつて大画面で見た砂漠の感動を確かめるために見に行ったのだが、期待外れだった。
 理由はいくつかある。ひとつは、画面の大きさである。私はKBCシネマ2(福岡市)で見たのだが、画面が小さい。スクリーンが小さいために、砂漠の広大な感じがしない。風に吹かれた砂がスクリーンから舞ってくるという感動が、 100席程度の劇場では、不可能なのだ。広大な自然を映し出すには広大なスクリーンが必要なのだ。小さいスクリーンだと砂漠が閉じ込められてしまう。風に吹かれた砂も、スクリーンのなかだけで、繊細に動く。
 ふたつめ。観客の熱気。花見のシーズンと重なったためか、観客が少なかった。そして、見に来ている観客は、たぶん、この映画がはじめてではない。みな、昔の感動を求めてやってきている。どんな映画だろうという期待がない。劇場の空気が、はじめての上映のときに比べて冷めている。スクリーンを、その映像を盗んでやる、というような熱気がない。見逃したら、観客の誰かにスクリーン全体が盗まれてしまう、というような不安感がない。
 映画はひとりで見るものではない。その点が読書と決定的に違う。ひとつのスクリーンを大勢で奪い合ってみるものなのだ。奪い合う気持ちが「共有」へと変わっていくとき、感動になるのもなのだ。

 「なまもの」という気持ちがなかったせいか(?)、気づいたことがいくつかある。ひとつは、デヴィッド・リーンは「構図」の監督であるということ。映像がしっかりした構図をもっていて、それが「美」を支えている。
 最初のタイトルバックのシーンが象徴的である。ピーター・オトゥールがオートバイに乗るまで。カメラはバイクとピーター・オトゥールを俯瞰している。画面の左隅にバイクがあり、右4分の3は空白である。その空白にタイトルや出演者の名前が出る。出演者の文字が画面を壊さないように工夫しているのである。
 ただ、この構図意識は、画面を窮屈にしている。きれいにおさまりすぎて、荒々しさに欠ける。砂漠も、人間を襲う、人間を拒絶するという印象がない。ぎらつく太陽の光の強さには、あらためて感動したけれど、それでも、広大な砂漠越えのシーンでさえ、必ず砂漠を渡り切れるという印象がする。(映画を見て、ストーリーを知っているからではない。)スクリーンの両端がきれいに構図になりすぎている。(スクリーンの大きさとも関係がない。)駱駝の隊列があまりにも美しい構図になっている。地平線が静かすぎる。
 少年が底無し砂(?)というか、蟻地獄のような場所に落ちて死んでいくシーンでさえ、悲しみや絶望が伝わって来ない。円錐形の砂の流れる形が、あ、美しいと思ってしまうのだ。
 たぶん、「アラビアのロレンス」以降、いくつもの砂漠を見ているということも影響しているかもしれない。オーストラリア映画の、前景と遠景だけで中景のない遠近感とか、「シェルタリングスカイ」(ベルナルド・ベルトルッチ監督、★★★★★)の泥のような砂漠とか……。デヴィッド・リーン監督に対抗して、さまざまな監督が砂漠を生々しく撮った。そのため、デヴィッド・リーン監督の砂漠には「美」しか残らなかった、ということかもしれない。(こういう変質は、ある意味では、デヴィッド・リーン監督の功績?かもしれないけれど。)
 もうひとつ、気がついたこと。これは映画そのものというよりも、私の方の変質というべきものである。あ、アラビアのロレンスというのは英雄ではないのだ。人間なのだ。苦悩したのだ--という、昔は見えなかったものがくっきりと見えた。アラビアのロレンスの人物評価が分かれるのは知ってはいるけれど、映画でも、とてもくっきりその評価の分かれる部分を描いていた。--あたりまえのことかもしれないけれど、人物評価(批評)というようなものは、若いときにはさっぱりわからないものである。そのことが、わかった。
 映画はロレンスの生涯を描くふりをして、ロレンスの人物批評をやっている。台詞回しのくっきりした口調など、昔の映画だから、という理由を通り越して、しっかりとことばを聞かせるために(批評の形を正確に知らせるために)、あえてそんな語り口にさせているのだとさえ思えた。ロレンスの行動だけでなく、イギリス政治、中東の政治そのものをも批評している。そして、「コーラン」の、あるいは「コーラン」を手に砂漠を生きる人々への愛を語っている。ローレンスが彼等を愛した以上にデヴィッド・リーン監督は砂漠を生きる人々を愛している。そのために、その舞台である砂漠をあくまでも美しく描いたのだということがわかる。
 この映画を、そういう視点から眺めると、この映画は一転して「傑作」になる。映像は、いまとなっては物足りないが、人物批評としての映画と見るなら、これはすごい。デヴィッド・リーン監督は、異文化というものをきちんと評価できる人間なのだとあらためて思った。「インドへの道」を突然、もう一度、見てみたいと思った。


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『田村隆一全詩集』を読む(38)

2009-03-28 01:04:23 | 田村隆一
 『水半球』には「木」がたくさん出てくる。「木」というタイトルのものもある。

木は黙っているから好きだ
木は歩いたり走ったりしないから好きだ
木は愛とか正義とかわめかないから好きだ

ほんとうにそうか
ほんとうにそうなのか

見る人が見たら
木は囁いているのだ ゆったりと静かな声で
木は歩いているのだ 空に向かって
木は稲妻のごとく走っているのだ 地の下へ
木はたしたにわめかないが
木は
愛そのものだ それでなかったら小鳥が飛んできて
枝にとまるはずがない
正義そのものだ それでなかったら地下水を根から吸いあげて
空にかえすはずがない

若木
老樹

ひとつとして同じ木がない
ひとつとして同じ星の光りのなかで
目ざめている木はない


ぼくはきみのことが大好きだ

 「意味」がとても強い詩である。「意味」とは、ことばを利用して姿をととのえる論理、見えないもののことである。「意味」とは、論理をととのえる力である。私たちの意識はいつも乱れている。右往左往する。それをととのえるのが「意味」の力である。「意味」に価値があるのではなく、ととのえる力に価値がある。

 この詩の、いちばん不思議なところは、そして、誰もたぶん不思議と思わずに、無意識に読んでしまう行、あるいは、その展開は、

見る人が見たら
木は囁いているのだ ゆったりと静かな声で

 という2行である。「見る人が見たら」というのは慣用句である。誰もがつかう。見る人が見れば、わかる、と。それが慣用句であるために、たぶん見落とすのだが、この2行には飛躍がある。逸脱がある。
 「見る」とは「わかる」、「見える」とは「わかる」ということだが、田村は、その「見る」を「わかる」という精神の動きではなく、「聞く」へと動かしていく。感覚をずらしている。視覚と聴覚を融合させ、そういう融合のありようが、「わかる」ということなのだと告げている。
 田村は「聞く」ということばのかわりに「囁く」「声」という表現をつかっているのだが。
 「囁く」(囁き)、「声」を認識する、識別する、「わかる」のは「見る」機能をになっている「目」ではなく、「耳」である。
 田村は、木を見ながら、耳を働かせている。目から逸脱して、耳で木をとらえている。そして、その逸脱--見ているはずなのに聞いているという状態を通るために、そこから「世界」が変化しはじめる。視覚と聴覚がとけあい、肉体のなかで感覚の融合がはじまるので、

木は歩いているのだ 空にむかって

 という、普通の目には見えないものを見る。感覚の融合、肉体の機能の融合が、普通に言われている目で見えるものを超えて、普通には存在しないものを見てしまう。融合した肉体が、見えないものを見てしまう。

 そして、そういう普通は存在しない状態を出現させるのが、ことばである。
 このとき、ことばは「肉体」を通っている。「肉体」がすべてを融合させ、解放するのである。私たちの目も耳も体から分離できない。それは、それが独立していながら、同時に互いに何かを、ことばにならないなにかを、共有し、その共有する力で、硬くつながっているということでもある。
 硬くつながり、深いところで溶け合っているにもかかわらず、私たちは便宜上、「目」「耳」とその一部を呼び、そして「見る」「聞く」という機能を割り振って分類している。
 ところが、それはほんとうは、肉体の中のどこかでは「未分化」なのである。
 その「未分化」の「場」をくぐり抜けるとき、「目」は「肉眼」になる。「耳」は「肉耳」(?--こんなことばはないけれど)になる。そして、そういう「未分化」の肉体をとおしてふれあったものを、人間は「大好き」になる。
 「好き」とは、「未分化」の「肉体」の叫びなのである。「愛」とは、「未分化」の「肉体」のいのりなのである。

 そういうことを踏まえて、『水半球』の巻頭の「祝婚歌」は読むべきである。ここにも「木」が出てくる。

おまえたち
木になれるなら木になるべし

おまえたち
水になれるなら水になるべし

(略)

ただし人の子が人になるためには
木のごとく
水のごとく
そして(ここが重要なのだが)
木にならず
水にならず
鳥にならず

言語によって共和国をつくらざるべからず
人よ 人の子よ
ぼくをふくめておまえたちの前途を心から
祝福せん
されば

 これは、「未分化」の「肉体」への勧めである。「愛」とは「肉体」を発見するためのさけては通れない「場」である。



現代の詩人〈3〉田村隆一 (1983年)
大岡 信,谷川 俊太郎
中央公論社

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高橋順子「虎杖」

2009-03-27 13:39:45 | 詩(雑誌・同人誌)
高橋順子「虎杖」(「葡萄」56、2009年04月発行)

 高橋順子「虎杖」は、後半が突然おもしろくなる。四国八十八ヶ所を巡拝中に、イタドリをかかえて歩いてくる女たちに出会う。

「前神寺(まえがみじ)はどこでしょう」
とたずねると
「聞いたことはあるけど。わたしらは隣りの町から来たので」
と言う
隣りの町の虎杖の在処は知っていても
札所は知らないのだ
それはそうだ
札所が出来るよりも前に 野に
虎杖は生えてきていたのだもの
歩きだすと 虎杖のすぐ隣りに前神寺はあった
疲れた虎二ひき
杖をつき 鈴を鳴らして
山門にはいる

 途中に、奇妙な論理がでてきて、そのことに高橋は納得している。自分の論理だから納得するしかないのかもしれないけれど。奇妙というのは、

隣りの町の虎杖の在処は知っていても
札所は知らないのだ
それはそうだ
札所が出来るよりも前に 野に
虎杖は生えてきていたのだもの

 である。たしかにイタドリは札所よりも前に存在する。古くから存在するものは、それだけ知られる確率が高い。札所はあとからできたのだから、まだ、存在が存在として認められていない。存在が存在として認められるには時間がかかるのだ。
 --というのは、悠久の時間をみすえた、深い哲学である。
 というのは、真実らしく見えるけれど、とんでもない「嘘」である。
 ひとりの人間が誕生する。たとえば、この詩ではイタドリをかかえる女。彼女が誕生したとき、札所もイタドリも、すでに存在していた。どちらが「古い」ということはいえない。女の、実際の「いのち」の時間を基準にすれば、札所より前にイタドリが存在したのだから、古くからあるイタドリの生えている場所は知っていても、新しくできた札所の場所を知らないという論理は成り立たない。
 それなのに、高橋は、自分で発見した論理を納得してしまっている。
 なぜ?
 高橋が「現実」から逸脱したからである。
 高橋は「時間」を考えるとき、実際に「ひとり女が生きている時間」というものを忘れて、「人間」という「いのち」が生きている時間を「基準」として選びとってしまったからである。「個人」を逸脱して、「いのち」に直接触れたからである。
 「個人」の時間から、「いのち」の歴史へ逸脱したときにのみ、高橋の論理は有効である。
 なぜ、高橋は、そんなふうに論理を逸脱したのか。
 理由は二つ。ひとつめ。イタドリをかかえてあるく女、--それは、料理をする女、たべものをつくる女の時間へとつながっていく。そういう暮らしの時間は個人のものであるけれど、また、同時に歴史のなかで共有されてきた時間でもある。女の歴史は、いつでも「いま」として共有されている。引用しなかったが、詩の前半に登場する「伊予生まれの女友達」もまた、イタドリを調理・保存していた。「くらし」は「個人」の時間を超越するものなのである。そして、「歴史」になるのである。
 ふたつめ。高橋は札所を巡拝している。巡拝という行為も、それぞれ「個人」のものであるけれど、同時に、そういうことをしてきた人々(個人を超えるつながりとしての、人間の「いのち」)によって共有されてきたものである。そういう行為のなかで、個人は個人でありながら、個人から解体されて、「いのち」のつながりのなかに溶け込んでしまう。
 女のくらし、巡拝といういのりの「いのち」のつながり。それが、高橋から「個人」の時間を忘れさせる。「いのち」によって「共有」される悠久の時間を目の前に出現させる。その時間のひろがりに吸い込まれて、「個人」の時間が消え去れり、「個人」を基本にした時間が狂うのである。
 この「乱れ」を、私は、否定しているのではない。肯定したい。

 個人が解体され、「いのち」に飲み込まれる。--そこから、この詩は、もう一度大きく変化する。

疲れた虎二ひき
杖をつき 鈴を鳴らして
山門にはいる

 人間の、つまり高橋と連れのふたりの「いのち」は人間という形を解体され、別のものになる。「虎」に。
 なぜ、虎?
 イタドリを見たからである。イタドリは「虎杖」と書く。その文字のなかに「虎」がいる。そして、「杖」もある。ふたりは「杖」をついて巡拝している。「杖」には「虎」がふさわしいのである。

 何かに出会って、自分が解体し、生まれ変わる。そして、そのとき「未来」ではなく、過去も未来もない「悠久」の時間が、ただ時間として、目の前に出現する。
 こういう哲学を、高橋は「頭」ではなく、「肉体」で書いている。だから、とても愉しい。とても説得力がある。笑いながら、ちょっと、ちょっと、高橋さん、あなたの論理間違っていますよ、とちゃちゃを入れたくなる。ちゃちゃをいれると、高橋の論理が、間違うことで、正解ではたどりつけない「真理」にふれていることがわかる。こういう、矛盾した体験が、私は、とても好きだ。そういう体験をさせてくれることばが、とても好きだ。

花の巡礼
高橋 順子
小学館

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『田村隆一全詩集』を読む(37)

2009-03-27 00:49:25 | 田村隆一
 『水半球』(1980年)の最後の詩「肉眼論」には「目」ということばと「肉眼」ということばが出てくる。

 一八六六-六七年制作の「妹マリー・セザンヌの肖像」から、最晩年の「中折帽子をかぶった自画像(一九〇四-〇六年ごろのものと推定)にいたるまでの光と物質の油の世界は、ぼく自身から固有の目を奪って、肉眼の世界へ、ぼくを突きおとす。つまり、ぼくは、この「場所」に入るまで、肉眼でものを見ていなかったのだ。

 セザンヌの絵を見た時の衝撃。
 「ぼく自身から固有の目を奪って」とは、「ぼく」が知らず知らずのあいだに身につけてしまった「ものの見方」のことであろう。私たちは誰でもそうだろうけれど、自分自身の目でものをみると同時に、人間の歴史が作り上げてきた「ものの見方」にしたがってものを見る。人間が積み上げてきた「ものの見方」にしたがって「もの」を見て、そしてそれが「芸術」かどうかも判断している。つまり、「芸術」と「定義」された美に、いま、目の前にあるものが合致しているかどうかを見ている。ある種の「基準」にしたがってものを見ている。
 セザンヌは、そういう「基準」を叩き壊す。その瞬間、「肉眼」があらわれる。

 この運動のありかたは、これまで見てきた田村のことばの運動にかなり似ている。
 田村は矛盾を書いた。それも止揚→発展(統合)という形の運動を引き起こす矛盾ではなく、ただ互いを破壊する矛盾を。矛盾がぶつかりあい、叩き壊しあい、破壊されて、混沌が残るという矛盾を。
 そのとき、混沌とは、それまでの「基準」をうしなった状態--まだ基準ができていない世界のことなのである。「基準」がないということは、どんな「ものの見方」をしようが「自由」ということである。どんな「ものの見方」にしたがって、何を生成させようと「自由」である、ということだ。
 「肉眼」とは、「基準」から解放された「いのちのまなざし」のことである。「いのちの目」のことである。

 ここでは、肉眼が強制される。なんという歓ばしい強制! その強制によって、ぼくは自由になる。ぼくの全身は肉眼そのものになるのだ。

 「強制」と「自由」が、ここでは同じものになる。「強制」は「ものの見方」を破壊するという「強制」だからである。それまでの「ものの見方」を放棄せよ、という「強制」だからである。「こういうものの見方をしろ」とセザンヌはいうわけではない。ただ、それまでの「ものの見方」の基準を叩き壊すひとつの「例」を提示するだけなのである。
 それに触れて、田村は、「肉眼」そのものになる。

 このあとが、田村の真骨頂である。「肉眼」になるとは、どういうことか。それを、次のように言い直している。

どの空間からも、音がきこえてこない。

 「肉眼」になった瞬間、「耳」も失うのである。そういうことばがあるかどうかわからないが「目」が「肉眼」になったと、「耳」は「肉耳」になる。「舌」は「肉舌」になる。「鼻」は「肉鼻」になる。つまり、それまでの「基準」にしたがって音を聞いたり、味を味わったり、においをかいだりすることはできなくなる。「基準」をうしなった「肉体」(肉の全身)になってしまう。「肉」がからだの「基準」になる。すべての「仕方」を破壊されて、うまれたときのままの、「いのち」そのものになる。
 目の変化は耳の変化でもあるのだ。

 これは、実は、この作品の最初に書かれていることでもある。

 この「場所」に、一歩足をふみ入れたら、その瞬間から、ぼくは耳を失った。舌も、鼻孔も失った。ぼく自身の感度の悪い目さえも失ってしまうのである。

 絵に触れて、まず目からではなく、耳から失う。舌も鼻孔も失う。そういう喪失のあとで、「目さえ失ってしまう」と順序が逆に書かれている。
 これは、とても重要なことだ。
 論理的に考えれば、まず目が目であることを否定され、「肉眼」になる。それにつづいて(影響されて)、この器官が「肉」になる。「いのち」になる。それが自然なことに思えるが、真の衝撃というのは、そういう順序ではやってこない。
 理解を超えて、突然、襲って来る。
 ほんとうは目→耳→舌→鼻という順序かもしれないが、衝撃が強すぎると、その順序が意識されない。それだけではなく、いちばん衝撃を受けた目が、必死になって体制を立て直そうとするため、その抵抗のために、目はまだ生き残っているというような錯覚が生じる。意識のなかで、「抵抗」が時間の順序をかえてしまうのだ。意識を錯覚させてしまうのだ。
 この混乱を、田村は、忠実に、正直にことばで再現しているのだ。

 そして、「肉眼」になってしまったあと、田村は驚くべき体験をしている。

 ぼくは、晩年の「人形をもつ少女」の前で立ちどまる。ブルーの色彩が抑制そのものと化して「形」をつくる。その力が、ぼくの肉眼をつくる。なぜ、少女の左肩はさがっているのか?

 「肉眼」は少女の左肩がさがっているのを発見する。でも、なぜ? それは、わからない。そして、それがわからないというとは、実は田村がセザンヌになってしまったということだ。田村が田村のままであるなら、いくらでも理由は見つけられるだろう。それまでの「基準」をひっぱりだしてきて、それを組み合わせ、何か「意味」を語れるだろう。けれど、それができない。田村自身の「基準」の完全な崩壊--その瞬間、田村はセザンヌの「肉眼」とつながる。
 そして、セザンヌの「肉眼」もまた、なぜ、少女の左肩がさがっているかはわからない。わからないから、絵を描いているのだ。
 詩人が、何かわからないものがあるからこそ(いままでの基準でとらえられないものがあるからこそ)ことばを動かすように、画家は、それまでの基準で描けないものがあるからこそ、絵を描くのである。


青いライオンと金色のウイスキー (1975年)
田村 隆一
筑摩書房

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レオナール・フジタ展(福岡市美術館)

2009-03-26 16:10:45 | その他(音楽、小説etc)
 4部で構成された展覧会である。「初期、スタイルの確立」「幻の大作」「再現アトリエ」「礼拝堂」。
 初期の作品群に目を引きつけられる。「二人の友達」「仰臥裸婦」。藤田嗣治の絵は乳白色の色に特徴があることは知っているが、実際に、その絵肌をみると、やはり感動する。色というのは自然に存在するのだと思っていたが、そうではなく、一つ一つの色というのは画家が発明するのだとわかる。それは、どこにも存在しない。存在したことがない色である。それでいて、そこに出現した瞬間から、他の色の諧調を並べ替えてしまう。君臨してしまう。その色を見ることを強制されて(?)しまう。「白」という色のなかに、いったいいくつ「白」があるのか知らないが、藤田の白は、とても深い。どこか、「いま」「ここ」ではないところへつながっている。
 藤田はなにを見たのだろうか。
 乳白色と、表面張力のようにして薄い影がある。その周辺に細い細い線がある。それは、まるで、裸体の白が、肉体を逸脱して世界へ侵略していくのを防いでいるようでもある。けれど、その白を見た世界は、世界の方でその白に照らされて、白く染まってしまっている。
 「家族」というほんとうに初期の、白い服の赤ん坊、赤い服の母、緑の服の父の、それぞれの色は世界へとは越境していかない。「二人の友達」「仰臥裸婦」の白は越境していこうとしているのに……。もしかすると、母に抱かれている赤ん坊の、その白い布--それが成長して(?)、それが世界へひろがったのか。小さな命を守っていた愛という布が世界へひろがり、肉体と、世界とのあいだで、響きあっているのか。
 藤田の見ているのは、健やかに育ったいのちと世界の響きあいなのだろう。
 「仰臥裸婦」には、特にそれを感じる。シーツの上の眠る女。ベッドの下へ落ちている腕は、そこから裸婦の、肉体の輝きがこぼれ、それを受け止めているうちに世界の色そのものがかわってしまった、という印象を与える。同じようにベッドから床にこぼれ落ちる金髪は、そういう流動が「肉体」のひとつひとつだけではなく、その全体として、つまり「いのち」そのものとして、世界へとひろがっている、という思わせる。

 「大作」は「ライオンのいる構図」「犬のいる構図」「争闘Ⅰ」「争闘Ⅱ」の4枚。群像が描かれている。大作であるけれど、私には、ここでは藤田の白は効果的とは感じられない。ひとりひとりと世界は響きあっているが、ひととひとが響きあっているようには感じられない。「争闘」は戦いだから、響きあってはいけないのだから、そこでは響きあわないのは当然である--と言われればそうなのかな、とは思うけれど。
 藤田には、こういう大作があったのか、という驚きだけは感じた。
 また、こういう群像を描いたとう過程があって、はじめて「礼拝堂」の壁画、キリスト教を題材にした群像ドラマの大作が可能なのかもしれないと思った。そういう意味では、大作と礼拝堂を同時に展示している意図がよくわかった。

 藤田は、藤田嗣治とレオナール・フジタという二つの名前をもっている。そのことも、非常によくわかる展示だと思った。キリスト教に改宗してからがレオナール・フジタ。レオナール・フジタに生まれ変わって、彼は礼拝堂をつくった。全体の設計も、その内部の壁画も、ステンドグラスもレオナールがつくったのであり、嗣治がつくったのではない。この展覧会は、ひとりで開いた「二人展」でもあるのだ。
 再現アトリエの周辺には彼がつくった、さまざまな小物(陶器の皿や、裁縫箱)などもあり、藤田の全体像がわかりやすくなっているが、ある意味では欲張りすぎて、この企画が藤田のどこが好きで企画されたのかはよくわからない印象も残った。
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『田村隆一全詩集』を読む(36)

2009-03-26 00:33:51 | 田村隆一
 「きみと話がしたいのだ」は、おだやかなラブソングである。

不定形の野原がひろがつている
たつた一本だけ大きな木が立つている
そんな木のことをきみと話したい
孤立してはいるが孤独ではない木
ぼくらの目には見えない深いところに
生の源泉があつて
根は無数にわかれ原色にきらめく暗黒の世界から
乳白色の地下水をたえまなく吸いあげ
その大きな手で透明な樹液を養い
空と地を二等分に分割し
太陽と星と鳥と風を支配する大きな木
その木のことで
ぼくはきみと話がしたいのだ

どんなに孤独に見える孤独な木だつて
人間の孤独とはまつたく異質のものなのさ
たとえきみの目から水のようなものが流れたとしても
一本の木のように空と地を分割するわけにはいかないのだ

それで
ぼくは
きみと話がしたいのだ

 「ぼくらの目には見えない深いところ」--目に見えないものを人間は想像することができる。その想像のしかたにはいろいろある。田村の想像力は特徴がある。
 「根は無数にわかれ」は「木の根」を肉眼で見たことをもとに想像している。それは想像ではあるけれど、事実であることも、多くの人が知っている。他の、「地下水をたえまなく汲みあげ」「樹液を養い」も実際に肉眼で見たことはないけれど、そうであることをわたしたちは「知識」として知っている。それは田村が肉眼で見たものではない、つまり、想像したものであるけれど、「事実」の範囲のなかにふくめて考える。
 では「原色にきらめく暗黒の世界」はどうだろうか。
 「原色にきらめく」と「暗黒」は矛盾する。何もきらめかないのが「暗黒」である。「黒」しかないのが「暗黒」である。これは、肉眼では確認できないし、科学でも分析できない。想像でしかない。そういう想像に、田村の特徴が出る。矛盾。矛盾したものが想像力のなかでぶつかるという特徴が。

 相いれないものが常にある。

 一本の木は孤立しているが、孤独ではない。1本なのに孤独ではない。孤立しているのに、孤独ではないというのは、これもひとつの矛盾である。その矛盾を、田村は、なぜなら、それは大地と空とつながっているから「孤独」ではない、と言い換える。
 ここには、飛躍がある。
 ふつう、複数形というものは、同じ単位(木なら1本という単位)で数える。違った存在を同じ単位では数えない。種類の違ったものを違った単位で数え、混同しないというのが「科学」の基本である。その基本を逸脱していくのが「想像力」である。「単位」を無視して、ねじまげる。そして「単位」のかわりに、別なものをもって来る。
 想像力とは、事実(科学)をねじまげて、逸脱する力。間違いを犯す力なのである。間違いを犯しながら、その間違いを正当化する力なのである。ここでは「見えない」ということを「口実」にして、強引に間違える。

 こういう強引な「口実」を美しいと感じる--すくなくとも私は美しいと感じるのだが、それはなぜだろうか。--たぶん、私たちは、事実を間違えたがっているのかもしれない。

 孤独--孤独のなかで流す涙。それは一人の人間の中の「きらめく暗黒」と「空」を分割し、同時につなぐ、のではなく、もう一人の人間の「きらめく暗黒」と「空」を分割し、同時につなぐのである。涙をみる時、「きみ」と「ぼく」のあいだに、何かが流れる。涙は「きみ」の頬を流れ、目に見える。しかし、「きみ」と「ぼく」をつなぎ、分割するものは、肉眼では見えない。
 それは、ことばでしか見えない。
 だから「話がしたい」。「話す」ことで、そのつながりを「事実」にしたい、というのである。

 こういうおだやかな詩にも、田村の特徴はそのまま同じ形で存在している。目に見えないものを、ことばでつかまえる。その方向へ、こころを動かしていくという特徴が。




ハミングバード―田村隆一詩集
田村 隆一
青土社

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ブライアン・シンガー監督「ワルキューレ」(★★)

2009-03-25 23:06:51 | 映画
監督 ブライアン・シンガー 出演 トム・クルーズ、ケネス・ブラナー、ビル・ナイ

 第二次大戦の終盤。ヒトラー暗殺計画を描いた作品。
 この映画は、映画として成功させるのは非常に難しい。ヒトラー暗殺がなかったことを誰もが知っている。計画が失敗に終わることは誰もが知ってる。知っているけれど、もしかすると……と思わせる緊迫感をどう演出するか。それが難しい。
 近年の映画で、結末は誰もが知っているけれど、もしかすると違った結末になるんじゃないか、と思わせた映画が1本あった。ポール・グリーングラス監督「ユナイテッド93」(★★★★★)である。9・11テロで墜落した飛行機。その機内の様子、官制のとのやりとりを描いている。墜落したのは誰もが知っている事実であるけれど、乗客が団結してテロリストと戦いコックピットを奪い返す。操縦桿を握る。そのとき、思わず、もしかしたら助かるんじゃないか。映画なんだから、ここで助かってもいいんじゃないか。助かってほしい。思わず、そう祈ってしまう映画であった。映画だとわかっているのに、登場人物の幸福を祈るというのは、エルマノ・オルミ監督「木靴の樹」(★★★★★)のラストシーン以来の体験だった。
 この映画は、そんな気持ちになれない。
 私の偏見かもしれないが、トム・クルーズが暗殺計画をリードする将校には見えないのである。知性の力でひとをリードしていくという雰囲気がない。知性--知性の苦悩というものが感じられない。知性のオーラがない。彼の顔は、知性とは無縁であり、その知性と無縁なところがひとを引きつける力になっている。そのことを監督は誤解している。
 トム・クルーズは、綿密な計画を頭に描き、それにしたがって行動するというよりも、せいぜいが命令に従ってかっこよく動き回る「ミッション・インポシブル」のスパイがせいぜいの役どころである。計画を誰かが立て、それを遂行するという役には、あの知性と無縁の顔が輝く。かっこいい顔の男はこんな行動も楽々できる、と夢を見させてくれる。
 トム・クルーズのまわりには、彼の低い身長が目立たないように小柄な役者をそろえ、それぞれに癖のある顔も配置し、知識人の優越感も、軍人の悲しみもそれぞれに描いているのだが、トム・クルーズだけが、その精神のドラマと無縁なのである。あのヒトラーでさえ、「暗殺計画が実行されようとしている。知っていますか」と教えたくなるような繊細な表情を見せるのに、である。
 キャスティングが間違っているとしか、言いようがない。せめてケネス・ブラナーを計画のリーダーにできなかったものか。
 演出のテンポ、カメラのリズムも、非常にもったりしている。
 トム・クルーズがヒトラーの「巣」からベルリンへ戻る。指揮する。一方、ヒトラーは生きていて、反撃する。トム・クルーズの「命令」とヒトラー側の「命令」が交錯するクライマックスが、実に、たんたんと整理されすぎていて、緊張感がない。ほんとうなら混乱するはずの部分が、まったく混乱しない。暗殺計画が失敗したとわかってからも、実に冷静である。というか、その段階で、次々に「あきらめ」がひろがっていくのだが、その「あきらめ」が期末テストで山が外れてしまったという程度の雰囲気なのである。肝心のトム・クルーズが精神の動きを顔で表現できない役者だからである。中心の人物が「人形」をやっているので、まわりがいくらがんばっても、どうしようもない。
 こういう時は、カメラの、視線の力で映画をつくっていく必要がある。そのテンポが歯切れが悪すぎる。
 またまた思い出すのは、ポール・グリーングラス監督である。「ボーン・アルティメイタム」(★★★★★)。新聞記者が殺されるまでの駅のシーン。マット・デイモンと彼を暗殺しようとする側の人間をカメラが非常に緊迫感をもった映像で伝えている。カメラがマット・デイモンの視線そのものになったり、敵の視線そのものになったりしながら、動きながら空間とひとを浮かび上がらせるからである。ポール・グリーングラス監督はほんとうに天才である。役者に演技させるのではなく、カメラに演技を引き出させるのである。
 この映画、「ワルキューレ」のカメラは、ただ役者が演技するのを待っている。監督もただストーリーをわかりやすく紹介することだけに力をそそいでいる。映画ではなく、紙芝居になっている。

 トム・クルーズやブライアン・シンガー監督には申し訳ないが、ポール・グリーングラス監督がいかに天才であるか、ということを実感するだけの映画であった。



 ブライアン・シンガー監督の「ユナイテッド93」は必見の映画です。「ワルキューレ」を見る時間があるなら、「ユナイテッド93」を見ましょう。 

 
ユナイテッド93 [DVD]

ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン

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『田村隆一全詩集』を読む(35)

2009-03-25 00:00:00 | 田村隆一
 「だるい根」はエリオットの「荒地」(中桐雅夫訳)を引用しながらことばを動かしている。この詩が私はとても好きだ。これまで取り上げてきた田村の詩とは少し趣が違っているかもしれない。

「夏はやつてきてわたしたちを驚かせた、
驟雨がスタルンベルガーズ湖を蔽つたのだ」
ぼくが少年だつたとき
このイギリスの長詩の翻訳を読んで
ドイツのミュンヘン郊外の湖を空想した
そして少年時代から青春が灰となつて燃えつきるまで
ぼくはぼくの時代の
驟雨をなんど経験しただろう
不気味な閃光をともなつて暗黒を一瞬のうちに照らしだす
ぼくの内なる驟雨

 ことばからはじまる「空想」。「少年」だった田村はイギリスもドイツも実際には知らないだろう。ことど、地図のうえでの認識があるだけだろう。何も知らない。けれど、ことばは見たことのない「スタルンベルガーズ湖」を目の前に出現させる。
 なぜだろう。
 「驟雨」を田村が知っているからだ。知っているものが知らないものを、まるで、その知らないものまで知っているかのような錯覚に陥らせる。
 だが、田村は、とても正直な詩人だ。知らないものは「空想」のなかだけにとどめておいて、あるいは、その「空想」をサーチライトのように利用して、知っているものを追いつづけはじめる。
 この瞬間、この切り返しが私はとても好きだ。
 見たことのない「スタルンベルガーズ湖」を空想する。しかし、そのとき見ているのは「湖」ではなく、あくまで知っている「驟雨」なのである。
 現実の「驟雨」。そして、「ぼくの内なる驟雨」。現実と、空想ではなく、比喩としての「驟雨」。現実の「驟雨」と、ことばになることによって存在しはじめる「精神・感性の驟雨」。その出会いが、田村自身のことばではなく、中桐が訳したエリオットのことばによって照らしだされる。
 ことばは、場所も時代も超越して、そこにひとつの「場」--現実の場であると同時に精神・感性の場を結晶させる。

一九三〇年代末期の裏町の薄暗い酒場で
長髪の痩せた大学生が薄い文学雑誌を見せてくれたつけ
表紙はピカソのデッサンで
「四月はもつとも残酷な月だ」
まるでぼくらの墓碑銘のように
スタルンベルガーズ湖の夏の驟雨が走りぬける
イギリス人の長詩の冒頭の一行がついていて

「死の土地からライラックの花を咲かせ、
記憶と欲望とを混ぜあわせ、
だるい根を春の雨でうごかす」

ぼくの家の小さな庭にも細いライラックの木があって
その土が死からよみがえる瞬間を告知する「時」がある
その「時」のなかに
ぼくの少年と青年は埋葬されてしまつたが
まだ
だるい根だけは残つている

 詩のことばはさらに、田村の庭の土、ライラックともつながる。それはすべてエリオットが書いた土、ライラックではない。けれど、ことばは、遠い空想の土地やライラックとではなく、現実に知っている土地、ライラックと結びつき、田村を刺激する。
 エリオットの書いた(中桐の訳した)土、ライラックと、田村が知っている土、ライラックのあいだ、ことばが結びつける見知らぬものと実際に知っているもののあいだで、田村は「比喩」「象徴」としての「だるい根」をみつける。

 いや、「だるい根」ではなく、「だるい」を見つける--と言い換えた方がいいかもしれない。「だるい」が「根」と結びつき、そこに、いままで存在しなかったものを浮かび上がらせる。そういうことができるということばの可能性をみつける、と言った方がいいかもしれない。

 ことばはいつでも、ことばでしか表現できないものへと向かって動いていく。
 そしてことばを読むとは、あるいはことばを書くとは、そこに書いてあることを事実として知るということをとおして、ことばの動かし方、ことばの書き方を発見することなのだ。
 詩とは、結局、ことばへの批評なのだ。

 --そんなことは、この詩には書いてない。ここには、エリオットの詩に出会った時の思い出が、刺激された精神の記憶が抒情として書かれている、と読むべきなのかもしれない。
 けれども、私は、そういうことを通り越して、詩とは何か、どんなふうに書くものかということが、ここに書かれているように感じてしまう。



現代の詩人〈3〉田村隆一 (1983年)
大岡 信,谷川 俊太郎
中央公論社

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