詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

木村恭子『六月のサーカス』

2009-10-31 00:00:00 | 詩集
木村恭子『六月のサーカス』(土曜美術出版販売、2009年09月30日発行)

 木村恭子は、他人を多く詩に登場させる。その他人との距離感がいい。登場人物を立てるといえばいいすぎかもしれないけれど、登場人物をけっして傷つけない。それは芝居でいう「引きの演技」に似ている。相手が動くのを静かに受け止める。そして、その静かな受け止めがあるからこそ、相手がきらりと輝く。
 自己主張しないことが、木村にとっての自己主張なのだ。
 「ここよりほかでも」は編み物教室でのやりとりを書いている。いつもは誰も座らない隣の席に「年配の奥さん」が座り、「ああやうさんのお近く?」とたずねてくる。返事のしようがない。「はぁ」と応えると、奥さんはどんどん話をつづけるが、どうにもよくわからない。奥さんは「ああやうさん」の悪口(?)も言いはじめ、木村に感想を求める。木村はやはり「はぁ」とだけ応える。
 そういうやりとりのあと。

 神様の苗字は あちらの世界では ああやうさんというのでしょう

 「あちらの世界」とは、木村の属していない世界、編み物教室のみんながすんでいる世界のことである。木村の隣には、いつもは、誰も座らない。きょうだけ、奥さんが座り、奇妙な話をした。
 その奇妙な話の登場人物「ああやうさん」。そのひとは、すこし悪く言われている。けれど、木村には、ほんとうに悪い人なのかどうかわからない。だから「はぁ」とだけ応えたのだが、そあのとで、悪く言われているひとを「神様」かもしれないと思ってみる。その受け止め方--そこに木村の「肉体」、木村の思想がある。
 神というものを私は考えたことがなかったけれど、そうか、神様(ちゃんと、「様」がついているところが、木村の思想である)はこんなふうに存在するのか、こういうふうに存在しているならいいなあ、と思ってしまった。木村は、引きの演技で神様さえ、美しく引き立てることができるのである。

 「さぶりしん」という詩はとても美しい。木村の両親のことを書いているのだが、登場人物が両親であることは最終連まで読まないとわからないし、両親であるとつげる語り口もとても静かでいい。両親への感謝と、両親が互いにどんなに愛し合っていたかがつたわってくる。そして、ああ、この両親の愛があったからこそ、木村は、こんなふうに「引きの演技」というか、「引きの応対」によって他人を輝かせることができる人間に育ったのだなあ、と納得させられる。
 ここには、静かで、つましく、けれどもけっして壊れない確かな思想、愛というものがある。
 全行引用しておく。すてきな詩をありがとう。

とよこさんが通信省で働いていた頃
さぶりしんが好きだわ
と 言いふらすことがあったらしい
結婚退職の挨拶に回ったら
さぶりしんに似ているのかね相手は
と 上司が聞いたそうだ
がりがりにやせていたまさおさんが似ていたところ?
さぁ 上背のありそうなところぐらいだったのかな

まさおさんの働いている工場は
給料の遅配が重なり
どうしようもないまさおさんは
履いていた靴を売りに出かけた
そんな汚い靴は売れもしないから
そこへ置いておけ と古物商に言われ
そこへ置いて帰ったらしい
それから苗屋に寄り 一番弱々しい茄子の苗を買った

三種の神器も何とか揃った頃には
冷蔵庫の牛乳は冷たいから 外に出しておいて
とよこさんにそう言われ
玄関先に牛乳瓶を出したという話もあるが
病気がちだったまさおさんは 末の娘を嫁がせた後
早々とこの世の玄関から出て行った

さぶりしんがどうであったかは知らないし
私に さぶりしんは似ていない
でも
戦争で右足の指をなくしたまさおさんが
靴先に ちぎった新聞紙を詰めてよく働き
とよこさんと二人で
必死に私達を育ててくれたことなど
私はよく知っているし
まさおさんは私にとてもよく似ていた


六月のサーカス―木村恭子詩集 (エリア・ポエジア叢書)
木村 恭子
土曜美術社出版販売

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浦歌無子『耳のなかの湖』

2009-10-30 00:00:00 | 詩集
浦歌無子『耳のなかの湖』(ふらんす堂、2009年09月24日発行)

 浦歌無子は私にとって今年最大の衝撃である。「水の陥穽」を読んだときはほんとうにびっくりした。『耳のなかの湖』にも収録されているが、すでに書いたので、今回は別の作品について感想を書く。

 「月の光」のなかに、次の行がある。

でもぴったりとくっつけばくっつくほど体と体の透き間に深い闇ができてしまうのはなぜかしら?

 「体と体」ということばを「存在とことば」に置き換えると、それは浦の死の世界を説明したことになるだろう。
 ことばは存在について語る。存在というのは、「もの」だけではなく、感情、感覚、精神、欲望をも含めてのことである。
 浦は何かについて書く。書くとき、「存在」と「ことば」がぴったりくっついているはずなのに、その「ぴったり」を感じれば感じるほど同時に、「存在」と「ことば」のあいだにどうしようもない「深い闇」を感じてしまう。感じるというより「直感」してしまうといった方がいいかもしれない。その「直感」に苦しみながら、それからのがれようとして、さらに「存在」と「ことば」の結合を試みる。そうして、試みれば試みるほど、瞬間瞬間に「ぴったり」と「深い闇」を同時に感じてしまうのだ。
 「月の光」の書き出し。

あの場面が美しかったのはこんな時はすぐに消え去ってしまうことをみんな知っていたから

 あらゆるものが、一種の「矛盾」、「ぴったり」と「深い闇」の同時の結びつきでできている。「美しい」ものは永遠ではなく「すぐに消え去ってしまう」。そういう関係にあるからこそ、「美しい」。そういう「矛盾」をつかみとるために「詩」がある。
 そして、「矛盾」というのは、実は「対立」ではない。辞書には、矛(ほこ)と盾(たて)というように、相反するものを「矛盾」と書いているけれど、人間が生きている時感じる「矛盾」はそんな単純なものではない。浦の書いている「矛盾」も、そういう対立するものではない。言い換えると、弁証法で「止揚」できるものではない。乗り越えられないものである。

 別の作品で「矛盾」について、もう一度見ておく。「白と赤の双子の話」。

わたしたちは寸分の隙間なくくっついているから
まったく身動きがとれないのです
わたしが少しでも動けば妹はいなくなってしまうくせに
わたしの皮膚にまとわりついてくる妹
わたしという固い檻に入った妹は
わたしの澱んだ澱となってゆく

 「矛盾」は「止揚」できない。「矛盾」にであったとき、ひとは「まったく身動きがとれない」。いや、動けば、たしかに「矛盾」は消える。この詩でいえば「妹」は消える。しかし、「妹」が消えてしまっては、「わたし」の存在する意味がない。
 「存在とことば」とおなじように、「わたしと妹」は一体なのである。結びついてはじめて「いのち」になる。

 「矛盾」は「止揚」できない。「矛盾」に対して、人間は何ができるのか。
 「あの雨降りやまず」のおわりの方。

鰐に足を食い千切られたくないのか
食い千切られたいのかわからないから
さみしくて声をあげ続ける

 「足を食い千切られたくない」と「足を食い千切られたい」はまったく逆の気持ちである。「矛盾」がここにある。その「矛盾」を浦は「止揚」の方向へは動かさない。「止揚」するのではなく、「わからない」ということばでかかえこんでしまう。ここに生きることの不思議さ、思想がある。
 人間は、いのちは、なんでもかかえこんでしまうのだ。
 理性は、とんでもなくばかげた存在だから、「足を食い千切られたくない」と「足を食い千切られたい」という気持ちを「矛盾」となづけてしまう。いったいどっちなんだ、と怒りだしてもしまう。けれども、気持ちなんて、自分にさえもわからないものである。かかえこむしかないものである。
 そして、かかえこんだとき、「深い闇」がみえるのだ。かかえこんだ「肉体」の内部で「深い闇」が生まれ、育つのだ。
 この、肉体の内部の「透き間」「深い闇」を「さみしい」と浦は呼んでいる。この定義は美しい。痛切だ。

耳のなかの湖―詩集
浦 歌無子
ふらんす堂

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長嶋南子『猫笑う』

2009-10-29 00:00:00 | 詩集
長嶋南子『猫笑う』(思潮社、2009年09月28日発行)

 「冬至」という作品がある。以前にも感想を書いたことがあるかもしれない。そのときと同じことを書いてしまうのか、それともまったく違うことを書いてしまうのか、実は、私には見当がつかない。きょう感じたことが以前感じたことと同じかもしれないけれど、それでもこの作品について感想を書きたい。

布団から顔を出して寝ているのは
おばあさんとおばあさん猫です
おばあさんはきのうまではおかあさんと呼ばれ
もっと前には娘さんともおねえさんとも呼ばれ
もっともっと前にはミナコちゃんと呼ばれ
あさってごろにはホトケさんと呼ばれるでしょう

 長嶋南子の詩には時間がある。時間とは「名前」の変化である。人間は変わらない。「名前」が--呼ばれ方が変わる。
 呼ばれるというのは、私がいて他人がいるときに成り立つ関係である。呼ばれ方が変わるというのは、人間関係が変わるということである。「わたし」は変わらないが、呼ばれ方が変わる。
 「時間」は「関係」と呼び替えてもいいかもしれない。
 「時間」と「関係」はもちろん違うものである。違うものであるけれど、同じものと考えてもいい。違うのだけれど、ひとつのものとして見つめることができる。
 これは、考えが「幅」を獲得した結果、生じる現象である。
 そして、この「幅」は私がかってにつくりだすのではなく、長嶋のことばがあってはじめて見えてくるものだから、それは、長嶋のことば、長嶋の「思想」が「幅」を獲得したということと同じである。

 視点をかえて見つめなおすとわかりやすいかもしれない。

 「幅」の獲得は、生きるということの領域、人間の領域の「幅」をひろげることと同じである。
 この「幅」のひろがりが、長嶋のまわりのすべてを受け入れる。すべてのものが「いきる」ことを受け入れる。長嶋自身の「いのち」だけではなく、他人の「いのち」も受け入れる。
 先に引用した部分には猫が出てくるが、長嶋は猫だけではなく、死んでしまった「夫」「あのひと」もその「いのち」のかたちのまま「いま」にいきいきと生かせ(?)、受け入れる。また、新しい(?)「おじいさん」も受け入れ、いっしょに「生きる」。

 ひろがった「幅」を「生きる」と定義しなおすと、それは長嶋の詩そのものになる。
 長嶋は「ミナコちゃん」から「ホトケさん」までを「生きる」。「ホトケさん」になるということは死ぬことだが、死んでも「ホトケさん」として生きる。この世に存在する。詩、そのことばを書いた人間として。「いのち」を超えて、長嶋は生きる。「夫」が「あのひと」となって「いま」を生きるように。
 長嶋の詩を思い出すたび、長嶋の詩を読むたび、長嶋は永遠に生きる。

 あ、ちょっと面倒くさくなったかな。

 そういう「変化」そのものが「時間」であり、「生きる」ということであるとき、「私」というのは「わたし」であって「わたし」ではない。「おばあさん」であり「おかあさん」であり「娘さん」であり「ミナコちゃん」であり「ホトケさん」である。それは、ある瞬間瞬間の、一期一会の「いのち」なのである。
 「一期一会」だから「永遠」でもあるのだ。

 またまた面倒くさいことを書いてしまったかもしれない。
 長嶋のことばをそのまま引用した方がいいかもしれない。「ところてん」のなかにある2行。似たような(?)2行が2回出てくる。

わたしではないのですが
わたしのようでもあります

それはわたしではないのですが
わたしのようでもあります

 「わたし」はいつでも「不定型」である。「関係」は他人によってもかわるけれど、「わたし」の思いによってもかわる。いつまでも「あなた」の定義した「わたし」に閉じ込めないでね、というやわらかな思想。
 にんげんは、いのちは、いつでも、自在に生きている。「一期一会」をつくりだしていきているものだ。
 「自在」とは、先にかいたことばで書き直せば「幅」でもある。

 「わたし」と「わたしではない」は「箸」にも楽しい形で書かれている。

台所でひとり
手づかみで食べている
口をパカンとあけて
ねこが足元にすり寄ってきて
えさをねだっている
ねこ
そこで立ち食いしているのは
わたしではないのだよ

 いいなあ。
 長嶋は猫とさえ、「関係」をつくっている。「関係」を自在に切り替えている。そして、その「わたし」を「ミナコちゃん」から「ホトケさん」までを貫く永遠という時間のなかに放り出して笑っている。

 註文をひとつ。詩集のタイトルの『猫笑う』はつまらない。もし機会があるなら『あさっては化け猫』にしてね。その方が絶対おもしろい。私のめんどうくさい感想よりも、きっと、そのタイトルの方が読者をひきつけるはず。
 「冬至」のなかに次の3行があります。

むかしはにゃん子と呼ばれ
あさってごろには化け猫になって
おばあさんの布団に入ってくるのでしょうか

 でも、私は猫はとても苦手なので、私と会うときは(そういう機会があったらのことだけれど)、猫だけはやめてね。

猫笑う
長嶋 南子
思潮社

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小池昌代『通勤電車でよむ詩集』(2)

2009-10-28 00:00:00 | その他(音楽、小説etc)
小池昌代『通勤電車でよむ詩集』(2)(NHK 出版、2009年09月10日発行)

 小池の選んでいる詩はどれもとても美しい。いろいろなことを考えさせてくれる。そして、そのいろいろな考えは、私と小池では重ならない。その重ならないことが楽しい。ひとの考えとぴったり重なり、そのことがうれしいときもあるが、逆に重ならないことがうれしいこともある。その重ならないことのなかに、私の知らない何かがある。その知らない何かについて、私は、いま何かを語ることができない。けれど、それはいつかきっとわかる日が来る。そんなことを思う。金時鐘訳、趙明熙「春の芝生の上に」。小池は2連目、最後の2行にに反応している。

「ウエー」と地が泣き「ウエー」と空も泣くので
いずれが母上なのか、どだいわたしには見分けがつかない。

韓国版・森進一の「おふくろさん」。しかしスケールの大きさでは、韓国にかないません。「オンマー」と声をあげれば、「ウエー」と地が泣く、空が泣く。「どだい」という日本語、こんなにも力強く頼もしいものだったのか。金時鐘の再訳による一篇。

 私は「どだい」がわからない。私は日常的には「どだい」ということばをつかわない。どうつかっていいか、はっきりとはわからない。だから反応のしようがない。私は小池の解説を読むまで、最後の行に「どだい」ということばがあることさえ読み落としていた。目というものはずぼらなものだと思う。きっと自分の知っているものだけしか認識しないのだろう。(網膜剥離、手術を体験して、半分黄濁した目で世界を見ていると、知らず知らず、そんなことに気づかされた。知らないものは視界からこぼれてゆく。)
 私は2連目よりも1連目の方が好きだ。

わたしが芝生の上ではねまわって遊ぶとき 
この様子を母上が見つめてくださるさることはできまいか。
おさな児が母の胸乳(むなち)に抱かれて甘えるように
わたしがこの芝生の上でじゃれてまわるとき
この様子を母上がまこと見てくださることはできまいか。

 「まこと」に私のこころは震える。
 「まこと」は「現実に」ということかもしれないけれど、その「現実」をとおりこして、こどもを見つめるということのなかに、「母のまこと」、母の真の姿があると感じる。文脈の「意味」を逸脱して、別の「意味」がまぎれこむ。そして、わたしが感じるのは、文脈上の意味ではなく、ふいに紛れ込んだ別の意味である。
 書かれていない--けれど、その書かれていないものを読む。これは、たぶん、目がかってに「知っている」(あるいは知りたいと思っている)ものを選んでしまうということと関係があるかもしれない。
 目は、知っているものだけではなく、知りたいと思っているものをも選んでしまう。
 たぶん、そういう働きがあるから、私たちは道に迷ったりもする。ほんとうは違っているのに、そこにあるポストを目印のポストと思ったりする。あるいはブラインドデートなら、ほんとうは違うのに別の理想のタイプの人間をデートの相手だと思い声をかける--というような具合に。
 そして、たぶん、そういう「迷い」(勘違い)のなかに、自覚できない「真実」があるのだと私はひそかに思っている。

 感想が、どんどんずれていってしまう。

 私は「どだい」には何も感じない。けれど、小池がそのことばに感動したということは、そこには確かに何かがあるのだ。私の知らない何かが。そして、小池のことばに導かれて、そのことを知る読者も多いだろう。私も、いつか、その「どだい」の力を感じることができるだろう。そして、感じたとき、きっと小池の書いた、この短い文章を思い出すだろうと思った。



 小池の感想とは別に、すこし思いついたことを書いておく。宮沢賢治「眼にて云ふ」。死の直前、血を吐いているのでことばを言うことができない。だから目で会話する、という内容の詩である。その8-10行目。

もう清明が近いので
あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに
きれいな風が来るのですな

 「あんなに」が不思議だ。「あんなに」はどのことばを修飾しているのだろう。どのことばと結びついているのだろう。「あんなにもりあがって」だろうか。「あんなに湧くやうに」だろうか。それとも「あんなにきれいな風」だろうか。
 わからない。
 わからないまま、すべてがいっぺんに押し寄せてくる。その一気に世界が変わる感じが「もりあがって」「湧く」という運動のなかで輝く。
 「あんなに」が行の冒頭ではなく、どれかのことばの直前にあれば、「意味」ははっきりするだろうけれど、きっと印象は違ってくる。世界が一気に溢れる感じがしないだろうと思う。
 「わからない」ことが、不思議なことに「わかる」に近い。
 詩というのは、そういう部分で動いている。

小池昌代詩集 (現代詩文庫)
小池 昌代
思潮社

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小池昌代『通勤電車でよむ詩集』

2009-10-27 00:00:00 | その他(音楽、小説etc)
小池昌代『通勤電車でよむ詩集』(NHK 出版、2009年09月10日発行)

 古今東西の41篇の詩を小池昌代が解説(?)している。「通勤電車でよむ」とことわりがついていることからわかるように、読みやすい作品が選ばれている。そして、解説もすぐに読めるように簡潔に書かれている。私は、ああでもない、こうでもないと書きながら考えるので、どうしても長い感想になる。小池のように簡潔に書いた方が、詩の読者を誘い込むのにはいいと思う。反省した。

 小池の読み方と私の読み方はずいぶん違う。その違いを、ここでは書いておきたい。私は、こう読む--と。

 ガブリエラ・ミストラル、田村さと子訳「ばらあど」。1連目。

あの人がほかの女(ひと)と
ゆくのを見た。
いつも 風邪はあまく
道はしずか。
あの人がゆくのを見た
このみじめな両眼(め)よ!

 小池は、次のように書いている。

片恋のうた。みじめなのはこのわたし、なんて言わない。あくまでも、「このみじめな両眼よ!」。その眼を、えぐりとって、自分の身から、切り離してしまいたかったのかしら。この女性は。

 ガブリエラ・ミストラルは確かに「みじめな両眼よ!」と書いているけれど、私は、すこし違った読み方をする。
 2連目以降、この作品は「両眼」で見たことではなく、こころが見たものを描いている。

花ざかりの地で
あの人はその女を愛しつづける。
さんざしの花がひらいた、
うたがゆく。
花ざかりの地で
あの人はその女を愛しつづける!

 眼以上のもので見る。視力検査とは関係ない視力で見る。こころで見る。つまり、肉眼で見る--と、私は、こういうときに「肉眼」をつかう。
 肉眼はけっして肉体から切り離せない。こころがそうであるように。
 肉眼こそが視力を育てる。こころを育てる。
 ここにないもの、見えないものを見てしまう肉眼が、目に作用して、現実を切り取る。さまざまなもののなかから、肉眼は、こころが必要なものを選択して選びとっている。
 そして、そういう肉眼が選びとってしまった「風景・光景」はときにはとても苦しい。こころをいじめるだけである。
 けれども(あるいは、だからこそ)、それはある意味で、切り離せない。
 なぜなら、詩人は、そういう苦しみ、肉眼が運んできてくれる苦しみが、こころを美しくしてくれることを知っているからだ。
 失恋し、好きな男が別な男といっしょにいる幸福な風景を思い描く--そのとき、その光景が、彼女がその男といっしょにいるときの風景よりも美しいのは、そのためである。ことばのなかで、詩人は、苦しみながら美しくなる。

 *

 石原吉郎「フェルナンデス」。その書き出しと小池の解説。

フェルナンデスと
呼ぶのはただしい
寺院の壁の しずかな
くぼみをそう名づけた
ひとりの男が壁にもたれ
あたたかなくぼみを
のこして去った

石原吉郎の詩は、唐突な断定をもって始まることが多い。フェルナンデスとは何者か。どこから来たのか。何をしたのか。一切は謎だが、自由に読もう。私はこの詩に、無類の優しさを読む。そして戦いと流血の跡を。寺院の壁についた静かなくぼみ。永遠に不在の男。その人の名を、呼んでみたいような夕暮れがある。私もまた、叱られたこどものように。

 「フェルナンデス」ということばに小池は反応している。
 「フェルナンデス」が誰か、私も知らない。そして、たぶん石原吉郎も知らない、と私は思っている。
 「フェルナンデス」は、たとえば暴走族(?)がきざったらしい漢字を並べてむりやりつくる名前に似ている。あるいは欧米人が肌を飾る漢字のタトゥーに似ている。
 何を意味するか、正確なことは知らない。
 わかっていることは、ひとつ。自分の知らなかったことばをつかい、何かを名付ける人がいる。
 自分には名付けられないものを名付け、それを母国語としてつかうことができる人がいる。
 そこに、ひとつの不思議がある。詩がある。
 知らないもの、わからないものにも「名前」がある。

 そのことを、石原の詩は教えてくれる。--石原の書いていること、それは、私の知らないこと。知らないけれど、そういうものがあり、それをことばにしている、ということ。



通勤電車でよむ詩集 (生活人新書)
小池 昌代
日本放送出版協会

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有田忠郎『光は灰のように』(書肆山田、2009年09月15日発行)

2009-10-26 00:00:00 | 詩集


 「そのひとは」は多田智満子を追悼した詩である。その書き出し。

風が大きな野原を渡るように
草の背を乗り継いで海の方へ
あるいは長い川のある大陸の方へ
淡々と渡っていった
永遠の夏を宙吊りにして

 5行目の「宙吊り」とは何か。方向が決定されていない、ということだ。3行目の「あるいは」が、そのことを語っている。海と大陸では方向が違う。違うけれど、それは「等価」である。それが「宙吊り」ということだ。有田から見たとき、多田智満子は、海と大陸を等価、同じものと見ている詩人であった。
 そして、その「等価」というのは、それがどこであろうが、そこで出会ったものとことばは自由に出会う、ということでもある。ことばは、何にでもなりうる。海の沈黙にも、大陸のざわめきにも。
 3行目の「あるいは」と2、3行目の内容は、「宙吊り」の方向が、東西南北に等価であることを書いているが、有田の感じていた(多田の意識していた)方向は東西南北という地理上の方向だけではないかもしれない。
 3連目。

死は生と同じく
あなたの限りない旅の途中の
ひとつの入り口 そして出口だった

 「入り口」と「出口」は「海」と「大陸」よりもかけ離れている。そして、そのふたつを結ぶことばは、ここでは「あるいは」ではなく「そして」である。「そして」は「あるいは」よりも、いっそう、「等価」であることを印象づける。
 「入り口」であるか「出口」であるかを決めるのは詩人なのだ。
 詩人が「入り口」と書けば「入り口」、「出口」と書けば「出口」になる。
 詩人のことばは世界を独自に決定する。

 ことばにも世界にも「来歴」というものがある。一般的には、世界とことばは、そういう「来歴」にしたがって描写される。
 けれども詩人は、その「来歴」にしたがわない。「来歴」から自由である。
 これは別のことばで言えば、詩人は、ことばを「来歴」から解放し、自由にするということでもある。いままでつかわれていたことばとは違った「意味」(感情)でことばをつかい、それまでの決まりきったつかい方を超越する。そして、その超越によって、世界そのものを新しく再生させる。
 このときの出発点が「宙吊り」である。
 すべての「来歴」を拒絶し、あらゆる方向に、東西南北だけではなく、天と地、生と死の方向にも開かれた(どちらにも行ける)状態が「宙吊り」である。自由から出発し、いっそう自由になる。
 詩のことばは、自由のためにある。

 有田は多田のことばに、そういう「力」を見ていた。そして、その力を「永遠の夏」、エネルギーに満ちあふれたまばゆいものと感じていたということだ。


光は灰のように
有田 忠郎
書肆山田

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網膜剥離体験記

2009-10-25 23:01:04 | その他(音楽、小説etc)
 2009年09月19日(土曜日)、会社で手を洗っているとき、ふいに視野が欠落しているのに気がついた。顔の中央部、鼻の左側が黒く見える。「あれ、眼鏡に何か汚れがついている?」という感じだが、眼鏡には汚れがない。
 私は強度の近眼、乱視なので、以前医師から気をつけないと網膜剥離を起こしかねないと注意されていた。
 あ、これが網膜剥離か。
 困ったことに、土曜日。しかも気づいたのが午後3時前。眼科はどこもしまっている。ネットであれこれ調べ、ようやく見てくれる眼科を見つけ出した。
 しかし、それからが実はたいへんだった。
 福岡・天神の警固神社近くにあるコンタクトレンズ(眼鏡)屋の2階で開いている眼科である。左目、網膜剥離という診断。そこではもちろん手術はむり。福岡大学病院への紹介状を書いてもらった。そこまではいいのだが、秋のシルバーウィークのため木曜日まで大学病院は休診。自宅で、右側を下にして安静にしているように。木曜日に大学病院へ行くように。
 自宅で右耳を下にして寝ていると、欠落部分がどんどん広がってくる。
 翌20日(日曜日)、不安になり、土曜日には検診はしてくれなかったが「症状が激変するようだったら、もう一度電話してください」と言ってくれた大島眼科に電話する。当直の看護士が医師に相談し、その医師から急患センターを紹介され、急患センターへ急行。急患センターで再度、福岡大学病院への紹介状を書いてもらい、病院へ。
 そのまま、緊急入院。そのとき、
 私「右側を下にして安静にするんですよね」
 医師「左側です」
 私「あ、そうか、目は逆像だから、左か。でも、眼科で右側、右耳を下にして安静にといわれました」
 医師「逆です」
 私は一晩逆のことをしていたことになる。そして、たぶんこれによって、症状が悪化した。

 この週は、今年からはじまったシルバーウィークにぶつかり、手術は早くて木曜日。それまではただ安静にして待機しているだけである。
 この待機中にも、急患が入り、その人の症状の方が重いので木曜日に手術、私は来週の火曜日になるかもしれない、と言われてしまう。えっ、このまま何もせずただ横向きに1週間寝ているだけ? とても不安になる。
 主治医が休日でいなかったので、検診の医師に聞いてみた。
 「入院して1週間も手術待ちということもあるんですか?」
 「私のところは急患対応の病院ですから」
 症状の重い患者が優先ということらしい。
 これは、ある意味では、私の症状はまだ軽い方ということになるのかもしれないが、とても不安だ。それに1週間も寝ているだけで入院費かかるなんて……とつまらないことも考えてしまった。

 24日(木曜日)、朝、突然主治医がきて、「きょう手術します」。
 手術は、網膜剥離の境目にシリコンのテープをまいて、剥がれている部分にマイナス60度くらいの凍傷をおこさせ、凍傷の力を借りてくっつけるという方法。硝子体をとりだし、ガスを利用する手術もあるが、シリコンテープと凍傷の方が感染症の心配がなく安全ということだった。
手術の前日にはふろに入る。きのうふろに入らなかったので、24日の手術はないとあきらめていたので、すこしほっとする。
しかし、途中にやはり急患が搬送されてきて、私の手術の予定は午後3時が午後5時に、さらに前の手術が長引いて午後8時に。終わったのは25日(金曜日)の午前2時ごろだった。朝飯を食べたきり、何も食べていない。
 手術の後は(翌日は)、自分で歩いて検診室へゆくと聞いていたので、そんなことがはたしてできるかなあ、と心配にもなる。

 麻酔から覚めると、まず猛烈な吐き気に襲われる。「先生、吐きそう」と言ったのが、手術後の最初のひとことである。ほんとうに苦しい。でも、吐くものは何もなく、ただ吐き気がある。
 そして、はげしい痛み。
 手術の直前、担当医に「痛いですよ」と突然言われたが、ほんとうに痛い。
 会話が、麻酔がさめるにしたがって、遠くから近くへと動いてくる感じで聞こえる。家人が「夫は痛みに弱いんです」と他人事のように言っているのが聞こえる。
 私はほんとうに痛みに弱い。注射などは平気だが、肉体の内部に原因がある痛みは、とても我慢できない。人の3倍は敏感だと思う。
 おもわず、「痛いから目玉取り出して」と言いそうになるが、あ、そんなことを言っては手術したかいがない――と、ぐっとこらえる。痛み止め(座薬)をつかうが、まったく効果がない。
 
 ふざけたこと(?)に、おもわず書いてしまうが、25日になって自宅に、「右側を下にして安静にしているように」と指示した眼科から、「福岡大学病院の予約がとれたから、26日(金曜日)に受診に行くように」という連絡がとどく。すでに手術の後である。その眼科から福岡大学病院への「紹介状」は24日になって、地域医療連携室(だったかな?)を経由して、やっとFAX送信されたのである。
 福岡大学病院は急患対応の病院なので、連絡さえすれば、休日でも連絡がとれたのである。
 件の眼科医は、そうしたことを言わずに、私に安静を指示したのである。しかも、逆の姿勢を。
 信頼のできるかかりつけの医師をみつけることが大切だとあらためて思った。

 手術後は右側(ガスも利用したので、手術前とは逆になる)にして、ひたすら安静状態。これが1週間つづく。食事とトイレ以外は、ずーっと同じ姿勢である。これはとても厳しい。体が痛い。いわゆる床ずれ状態になる。そして、顔がむくむ。手術した左目もむくんでいるが、下になっている右目の方もむくむ。
 目薬を1日4回さすのだが、目脂で目が開かない。

 視力は非常に落ちている。手術の影響である。視界も白濁している。白濁と書いたが、実際は黄濁かもしれない。黄色が見えない。黄色が白い壁にとけこむ。



 手術から1か月。まだまだ視力が回復しない。文字を読むのがつらい。書くのはもっとつらい。パソコンのそばにタイマーをおいて、30分をめどに書いている。(この文章は2回にわけて書いた。)
 とりえあず、近況。
 あすから、「日記」を再開します。

 お見舞いのコメントをお寄せいただいたみなさん、ありがとうございました。


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お知らせ(2)

2009-10-12 00:00:59 | その他(音楽、小説etc)
網膜剥離(左目)の手術を受けました。
静養中です。
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