詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(61)

2020-05-31 22:06:25 | 嵯峨信之/動詞
月の出に泳ぐ女

一日のひろい布を縫うために
ぼくの心からぬけだした女が泳いでいる

 海を「一日のひろい布」と言い直し、「縫う」を「泳ぐ」という動詞で言い直す。二行の中で比喩が交錯して、世界を立体的にする。
 その間にはされまた「ぬけだした(ぬけだす)」という動詞の動きがおもしろい。
 「縫う」と「閉じこめる」につながる。
 ここには、だから「矛盾」があるのだが、矛盾があるために、イメージが固定化されない。いきいきと動く。




*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)
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Estoy loco por espana(番外篇69) Fermin Garcia Sevilla

2020-05-31 21:23:18 | estoy loco por espana


Fermin Garcia Sevilla
“Homenaje a Lopez Torres”

Tengo la impresio’n de que Espan’a es un pai’s de luz.
Fermin tambie’n pinta luz, pero la impresio’n es bastante diferente de la luz del mar Mediterra’neo de Sorolla.
La luz de Fermin tiene hu’medo como la luz de Japo’n.
Aunque es la luz, pero tiene una sombra.
Puede ser posible reformular esto.
La luz de Fermin es la luz negra.
La luz de Sorosa es blanca, pero la luz de Fermin es negra.
La luz negra penetra en el verde de la hierba y calma el mundo.
Tengo la impresio’n de que todos los seres o existencias esta’n firmemente conectados a la tierra.
Incluso el agua de la fuente parece haber decidido que el lugar para regresar es la tierra.


スペインは光の国という印象がある。
フェルミンも光を描いてはいるが、その印象はソロージャの地中海の光とはずいぶん違う。
日本の光のように湿っている。
光なのに陰影がある。
あるいは黒い光と言えばいいのかもしれない。
ソロージャの光が白いが、フェルミンの光は黒い。
そして、その黒い光は、草の緑のなかに侵入して行き、世界を落ち着かせる。
あらゆる存在が大地としっかりつながっているという印象がする。
噴水の水さえ、変える場所は大地と決めているように感じられる。

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だれが命令したのか。(その2)

2020-05-31 11:08:45 | 自民党憲法改正草案を読む
ブルーインパルスの続報が「日刊スポーツ」に載っている。
https://www.nikkansports.com/general/news/202005300000402.html?fbclid=IwAR1OBgmMDU9_mx-3tD1IsznNu-hGdqFjMZG783UVp2K7SzNZM7yqHVN03XQ

「プロセスはどうでもいいだろうと思う」
フライトを直前に控えた当日の記者会見。河野太郎防衛相は概要や趣旨を説明する傍ら、誰が発案したのか問われると、こうはぐらかした。丸茂吉成航空幕僚長も飛行後の記者会見で「飛行することが重要で、プロセスは控えたい」と述べた。
↑↑↑↑
これは大問題だろう。
動いたのは自衛隊の飛行機である。軍用機である。
指揮系統がどうなっているか、だれが飛行を命令したのかは「どうでもいい」ことではない。
「どうでもいい」と発言した段階で、河野は憲法違反をしている。
丸も同じだ。もし、命令したのが丸ならば、軍の暴走である。丸は、それを実行したことになる。

また、もうひとつ論理的な問題がある。
「プロセスはどうでもいい」(だれが命令したかはどうでもいい)という人は、「目的」と「結果」が大事なのだといいたいのだと思う。
「新型コロナウイルス対応に当たる医療従事者への感謝と敬意を示す」ということが「目的」であり、それが大事だといいたいのだと思う。
だが「目的」とか「大事」というのは、あとから付け足すことができるし、変更もできる。
つまり、最初の「目的」は、安倍が自衛隊を指揮する(安倍が自衛隊に命令を出し、それを安倍が実行する)ことで、安倍が「自分は最高の責任者だと実感する」ということだったかもしれない。
ところが批判が高まったので、「新型コロナウイルス対応に当たる医療従事者への感謝と敬意を示す」という「目的」に変更することができる。
今回の場合、日刊スポーツによると、「フライトを直前に控えた当日の記者会見」で河野が「プロセスはどうでもいいだろうと思う」で語ると同時に「概要や趣旨」を説明しているから、私の書いてるような「後出しじゃんけん」のによる「目的の変更」ではないが、ほんとうに「後出しじゃんけん」でないかどうかは、疑問が残る。
つまり①安倍がブルーインパルスに飛行命令を出したい(自分に自衛隊が指揮できることを実感したい。指揮することで国民に最高責任者である、と宣伝したい)と言う。
②だれかが、ブルーインパルスを飛ばすには、もっと別な「理由(目的)」が必要であると指摘する。
③コロナが終息しつつある。国民を健康を支えた医療関係者に対して感謝するという「目的」にすればいい、と提言すする。(そうすれば、安倍への評価も高まる、と提言する)
ということだったかもしれない。
ただし、その「議論のプロセス」を記録した「議事録」は存在しない。
で、もし、そうだとすると、ここから、いま日本で起きていることの「すべて」が見えてくる。
あらゆることが「安倍の独断」で決定する。
「議事録」は残さない。「議事録」を残さないことで、あらゆる行動の「目的」は「後出しじゃんけん」のように、国民の反応をみてから「変更する」ということが起きる。
安倍の都合が悪くなれば、安倍は「ぼくちゃん何も知らない。決めたのはぼくちゃんじゃない」と言い逃れる。
こういうことが「軍隊(自衛隊)」に関しても起きている。

これが「戦争」につながらない、とだれが言えるだろうか。「軍隊の暴走」につながらないと、だれが言えるだろうか。
ブルーインパルスではなく、戦闘機が隊列を組んで、中国・武漢の上空を飛ぶ。
「目的」はコロナウィルスを封じ込めることに最初に成功した中国の医療チームに感謝と敬意をあらわすためである。
戦闘機にしたのは、もし中国から攻撃を受けた場合、応戦する必要があるからである。
奇妙な「論理」、中国からは絶対に受け入れてもらえない「理由/目的」だが、こういう非常識な「論理」がなりたってしまうのが「後出しじゃんけんの論理」なのである。
「言い逃れの論理」なのである。

私は、きのうのブログを、「日刊スポーツ」に書かれていることを知らずに書いたが、「日刊スポーツ」を読む限り、多くの記者がプルーインパルスの飛行を前に、問題点を認識していたことになる。
しかし、その「認識」は飛行を報道する30日の朝刊(私が読んだのは毎日新聞と西日本新聞だったと記憶している)には載っていなかった。(読売新聞・西部版には掲載されていなかった。)
新聞は、すでに記者が疑問に思ったことを記事にするという視点を失ってしまっている。
このことにも私は、失望するし、非常に驚いている。
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Estoy loco por espana(番外篇68)Miguel González Díazの作品

2020-05-30 10:55:12 | estoy loco por espana


Miguel González Díazの作品

Madera, hierro, bronce.
Diferentes materiales se encuentran.
Los encuentros complican la expresio’n facial.
La complejidad es la fuerza en este caso.
Mientras aceptan diferentes seres, expanden su potencial.
Lo mismo es cierto para las formas.
Los planos se cruzan. Se vuelve tridimensional.
Las curvas se cruzan. Convie’rtete en una esfera.
La colisio’n se convierte en armoni’a.
Es muy estimulante

木、鉄、ブロンズ。
異なった素材が出会う。
出会いが、表情を複雑にする。
複雑は、この場合、強さである。
異質な存在を受け入れながら、自己の可能性を広げていく。
形についても同じことが言える。
平面が交錯する。立体になる。
曲線が交錯する。球になる。
衝突は、調和に変わる。
とても刺戟的だ。


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だれが命令したのか。

2020-05-30 08:33:05 | 自民党憲法改正草案を読む
時事ドットコムニュースが「安倍首相、ブルーインパルスに拍手」という記事をネット配信している。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020052900846&g=pol&fbclid=IwAR1ePrXNJdZaRh4r3YkTeSbnp5P-DAjhaCxzzFtf_m6N2VyZ-VfF1mqR-AA


この記事でいちばんわからないのは、だれがブルーインパルスの飛行を許可したのか。命令したのか。
私は、自衛隊の指揮系統も、東京上空の管制権についても、何も知らないが、ブルーインパルスの隊員(乗員)が彼らの判断で東京上空を飛んだとは思えない。
「安倍晋三首相は29日、航空自衛隊の曲技飛行チーム「ブルーインパルス」が東京都心の上空を飛ぶ様子を首相官邸の屋上から眺めた。(略)首相は10分間ほど屋上にとどまった。」
↑↑↑↑
この安倍の行動は、安倍が事前にブルーインパルスの飛行を知っていたことを意味するだろう。
飛行機が飛んできたから、それを見るために屋上に上がり、さらに10分間も見つめる、というのは「激務」をかかえる人間のすることではないだろう。

さらに。
「飛行は新型コロナウイルス感染症の治療に当たる医療従事者らに謝意を示すのが目的」
↑↑↑↑
時事は、こう書いているが、誰から聞き出した「目的」なのか。だれが考え出した「目的」なのか。
医療従事者に感謝するのというのなら、病院へ直接出向き、「花束」とか「菓子などの差しいれ」とか、「感謝状」を渡すとか、いろいろな方法がある。少なくとも、相手の立っているところにまで行って、相手を「高める」(頭を下げる)というのが、ふつうの行為である。
上から見下ろし(上を通りすぎる)ということで「感謝」をあらわすというのは、私には「傲慢」な行為に思える。

で、ここから推測できること。
ブルーインパルスの飛行を命令したのは、安倍なのだ。
自衛隊が自衛隊の都合でブルーインパルスを飛ばしたのなら、その時間帯に安倍が官邸屋上から10分間も、その飛行を眺めるというようなことはできないだろう。
街で偶然見かけた人も、まさか10分間もそれを眺め続けるということは、ふつうに考えてありえない。用事もなく、ただ街を歩いている人であっても10分間も眺め続けるということは考えられない。
よほどの飛行機好きでないかぎりは飽きるだろう。
安倍自身が、どこかの病院を訪れ、「みなさんに感謝しています」と直接頭を下げるのではなく、ブルーインパルスを飛ばせば「感謝していることになる」と考えることができるのは(そんなことを考えるのは)、安倍以外にありえない。
自分で行動するのではなく、「感謝する」ということさえ、他人にさせてしまう「傲慢さ」は安倍以外のだれにも思いつかないだろう。

問題は。
安倍に、こういうことを命令する権限があるかどうかである。
そして、こういう権限を行使するときに、何の「許可」も得なくていいのか、ということである。
国会の承認を受けないまま、自衛隊を指揮していいのか、ということである。
「戦争」ではない。
ブルーインパルスが実際の「戦争」のときどういう活動をするのか私は知らない。
しかし、自衛隊(軍隊)に属する飛行機である。
これを安倍が勝手に指揮したのだとしたら、これは首相権限を逸脱しているのではないのか。憲法違反になるのではないのか。
「時事」の記事は、この点に触れていない。

思うに。
安倍は自衛隊を指揮したくてたまらないのだ。
軍隊を指揮したくてたまらないのだ。
改憲は、軍隊を指揮したいからという理由からだけでおこなわれるのだ。
そのことを象徴している。
安倍は2012年の自民党改憲草案を先取りして、自衛隊を勝手に指揮しているのだ。
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人間の「事実」

2020-05-29 11:00:59 | 自民党憲法改正草案を読む
共同が「コロナ専門家会議、議事録作らず/歴史的事態検証の妨げに」という記事を配信している。

https://this.kiji.is/638685726224139361?fbclid=IwAR2FD02EclBL9lBkJ7Ro_9FoU8UMpoHxXmwECfP0Cdg7Z5jVyPbfgBHlHJk

議事の概要と資料は公表されているが、各出席者の詳細な発言は記されず、対策検証の妨げになる可能性がある。

記事スペースの関係で省略されているのだろうが、こういうい書き方では「対策検証の妨げになる」という「理由」が読者には伝わりにくいだろう。
「概要と資料」だけでは、なぜいけないのか。
「概要」には、そこに書かれている意見とは異なる意見(対立意見/反対意見)が省略されているからである。言い直すと「削除」されているからである。
「削除」された意見は、結果的に無効かもしれない。しかし、そうであっても、どういう意見が「無効」なのかということを明確に認識する必要がある。
さらに「削除」された意見が「正しい」方法であると、他の国の「コロナ対策結果」「議事録」と比較してわかるかもしれない。
その場合、なぜ、「正しい意見」が削除されたのか、「正しい意見」を排除するとき、どのような議論が行われたかが問われる。
それは「資料」のどの部分に注目しなければならなかったのかということをも問い直す。
「検証」とは、あったことを問い直し、その問い直しによって「事実」を確定することである。
安倍は日本を「成功例」と呼びたいのだと思うが、「成功例」なら「成功例」であるほど、具体的な「議事録」をも提示する必要があるだろう。
「概要」だけではなく、どのように科学的な議論をして、参加者がなっとくしたのか。
それを示すことが、対策に苦慮している諸外国に対するに「助言」になる。
安倍のやっていることが「失敗隠し」なのか。
それとも「成功隠し」なのか。
どちらにしろ、「隠す」ことの弊害が大きい。
「検証の妨げになる」とは、こういうことである。
こんなことは書かなくてもわかる、とこの記事を書いた記者はいうだろう。
しかし、「わかりきったこと」を繰り返し書くことも大事なのだ。
いまの日本のように、平気でうそをつく安倍が政権をにぎっているときは、一度指摘したからおしまいというのではなく、なんどでもなんとでも「わかりきったこと」を書かなければならない。
安倍はうそつきだと「納得」してしまってはいけない。
毎日、「安倍はうそつきだ」と言い続けることが、いま、マスコミに求められていることかもしれない。
そのうそのなかには、この「議事録なし」という事実のように、「証拠を残さない(言わない)」ということも含まれている。
すべてを克明に語らない人間は「うそつき」なのだ。
だから、「対策検証の妨げになる可能性がある」と書いてすませる記者もまた、安倍に加担する「うそつき」のひとりである。

さらに。
出席した「専門家」は、「議事録なし」ということに納得しているのか、それを知りたい。
記者は、それを聞き出してほしい。
それだけで、この専門家会議の「性質」がどういうものかわかるはずだ。
「議事録がなかった」という「事実」だけではなく、その「事実」の背後にある「人間の事実」を書いてほしい。
安倍以外の「専門家の、人間としての事実」を書いてほしい。
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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(60)

2020-05-29 10:54:56 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (あなたの手のなかにある話を)

もし何も話がなければ
硝子戸ごしに見える一本の老樹についてお話しなさい

 「なければ」、話をつくりなさい。そこにある「事実(一本の老樹)」がことばを支えてくれる。ことばはいつでも「事実」に支えられている。
 ここで嵯峨が「若い樹木」ではなく「老樹」を選んでいるのは、老いたもののなかには語るべき「事実」がいくつもあるということだろう。
 そしてそれを語るときの嵯峨は、きっと「若い」。若さが老いのなかに見つめる「事実」には、若者には知らないこと(体験していないこと)もある。「知らない」のに、そこにあることを「事実」と判断する力のようなものが、そのとき動く。この「動く」という不思議な現象のなかに、詩がある。だから、それに自分のすべてを任せてみるといい。そう言っているのだろう。
 「なければ」のなかの「ない」。そこに、この詩の「原点」のようなものがある。





*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(59)

2020-05-28 11:31:02 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* 存在

小さな眼の中にある広大な暗のひろがり
目蓋をとじると紫いろの世界がぼくをつつんでしまう

 「小さな」が「広大」を通って「世界」にかわる。そのとき、その変化を支える(許容する)のが「暗」である。何も見えない。だから「小さい」とも「大きい」とも言いうる。この「不定形」がことばの運動を自由にする。この「不定形」を「無」と言い換えることもできる。
 「眼を開ける」ではなく「目蓋をとじる」は、閉じることによって世界が「外」にあるのではなく、「ぼく」を世界の「外」へと連れ出してしまう。内と外が入れ替わる。これは「小さい」と「大きい」の変化に通じる。
 興味深いのは、ここに「紫いろ」が出てくること。この色は、それをそのまま受け入れるしかない「詩」である。だから、ここで「好き/嫌い」がわかれる。私は「むらさき(いろ)」という音がどうしても好きになれない。面倒くさいことを書いてしまったが、私は「紫いろ」ということばのために、この詩が嫌いだ。







*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(58)

2020-05-27 10:37:32 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (左手は高くあげて)

さようならと別れの挨拶をする手だ
右手は
いつも暗い秘密におののく手だ

 右手は「低く」、誰に会うのか。自分自身の「秘密」に出会う。
 「高く/あげて」ということばが、「暗い」「おののく」をひきたてる。
 「いつも」が、静かで強い。










*

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Estoy loco por espana(番外篇67) Miguelの作品

2020-05-26 21:20:05 | estoy loco por espana


Miguelの作品

El arte es una combinacio’n de exceso y falta.
Y su falta es mayor que el exceso.
Cuando el exceso supera al exceso, la falta aparece de repente alli’.

Es difi’cil expresar este sentimiento en espan’ol.
En Japo’n (o es mejor decir en Oriente), existe el concepto de "nada".
No es que no haya nada alli’.
Hay energi’a que produce todo.
No hay forma, pero hay energi’a para convertirse en una forma.

El trabajo izquierda recuerda el vestido de Vela’squez de una mujer en la corte.
Eso es lo que hace el bosquejo.
Y en el trabajo que hace Miguel, el interior es hueco.
Hay una dura batalla entre el exterior y el interior.
Refleja el espi’ritu de la modelo?
O refleja el espi’ritu de Miguel?
Lo veo como el espi’ritu de Miguel.
En resumen, esta es la forma que ha producido la cri’tica.
El trabajo derecho resume a una persona obligada a quedarse en casa debido al coronavirus.
Es el objeto central la forma del espi’ritu de la persona que sufre?

芸術は、過剰と欠如の組み合わせである。
そしてその欠如は過剰よりも大きい。
過剰が過剰を突き破ったとき、そこに欠如が突然あらわれてくる。

この感覚をスペイン語であらわすのはむずかしい。
日本には(あるいは東洋にはと言った方がいいのか)、「無」という概念がある。
そこには何もないのではなく、無いということがない。
すべてを生み出すエネルギーがある。

左の作品は、ベラスケスの描く宮廷の女性のドレス姿を連想させる。
それは外形がそうさせるのだ。
そして、ミゲルのつくる作品では、内部が空洞である。
外部と内部の、厳しい戦いがある。
それはモデルの精神を反映しているのか。
あるいはミゲルの精神が反映しているのか。
私はミゲルの精神と見る。
つまり、これは批評が生み出した形なのだ。

右の作品は、コロナウイルスのために家にとどまることを強いられた人を抽象化している。
中央のオブジェは、苦悩する人の精神の形か。
あるいは、家の中で向き合っている二人の精神の差異が浮かび上がらせる形か。
答えはない。
だから、見るしかないのだ。

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(57)

2020-05-26 11:00:52 | 『嵯峨信之全詩集』を読む

別れ

馬車の中の女の顔は
手紙のなかの言葉をおもいだしているようだ

 「中」と「なか」を嵯峨はつかいわけているのか。
 「中/なか」は「中心/焦点」でもある。つまり、「周辺」というものがある。それが、このことばの運動の「味」だ。
 嵯峨は女を見ているのではない。馬車の中の女、女の中の顔を見ている。視点の移動がある。
 同じように、女は手紙を思い出しているのではなく、手紙のなかの言葉を思い出している。意識が移動して行っている。
 「外へ」ではなく「中/なかへ」。
 この移動の重なりが、嵯峨と女を結びつけている。結びついている瞬間があるから「別れ」もある。










*

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2020年05月25日(月曜日)

2020-05-25 17:08:00 | 考える日記
「間違える」。
 だが、間違えてはいけないのか。「正しい」とは何なのか。
 ある作品について何かを書く。それは、その作品が好きだからだ。好きになった瞬間、私は私を忘れている。私は私ではない。だから「正しい/正しくない」の区別は意味がない。
 好きになるとは、自分がどうなるかを気にしないで相手についていくことだ。もう自分ではないのだから「正しい/正しくない」を考えてもしようがない。


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Estoy loco por espana(番外篇64)Lucianoの作品「叫び」

2020-05-25 16:55:26 | estoy loco por espana

El trabajo de Luciano "El grito"
Madre e hijo.
Las dos manos están completamente conectadas.
En lugar de sostener dos manos juntos, cada manos esta’n directamente conectados al cuerpo del otro (al hombre del otro).
Esta’ gritando la madre cuando escucha los gritos del nin’o?
Esta’ gritando el nin’o cuando escucha el dolor de su madre?
Esta’n gritando el mismo sufrimiento y tristeza?
Esta’n gritando en diferentes voces?
No lo se’.
No tengo que hacer una distincio’n.
El movimiento físico de los gritos y el movimiento de la vida conectan a los dos.
Lo que necesito ahora es gritar. Y escuchar el grito. Al escuchar un grito, no podemos simplemente abrazar a la otra persona. Tenemos que gritar juntos
En ese momento, nace un "grito" que no existi’a antes.

Lucianoの作品「叫び」
母親と子どもだろうか。
二人の手は完全につながっている。
手と手がつながっているというよりも、それぞれの手が相手の肉体(肩)に直接つながっている。
子どもの苦悩の叫びを聞き、母親も叫んでいるのか。
母親の哀しみの叫びを聞き、子どもも叫んでいるのか。
二人は同じ苦悩、哀しみを叫んでいるのか。
二人は違う声で叫んでいるのか。
わからない。
それは区別しなくてもいいことなのだろう。
叫ぶという肉体の動き、命の動きが二人をつなぐ。
いま必要なのは叫ぶこと。そして、その叫びを聞くこと。叫びを聞いたら、相手を抱きしめるだけではダメだ。いっしょに叫ぶのだ。
そのとき、いままでそこになかった「叫び」が生まれる。
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大竹しのぶの言っていることは正しいけれど

2020-05-25 13:27:36 | 自民党憲法改正草案を読む
大竹しのぶの言っていることは正しいけれど。
       自民党憲法改正草案を読む/番外360(情報の読み方)

 ヤフーニュースが、「日刊スポーツ」のニュースを配信している。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3c79828590bdf191f30fe639fd6d0ac1938e02cc?fbclid=IwAR0D8Jwp0fumNXwRa9Y9PyEjldg5A73Y-ebMt7gUtN-3uKSUnoml6st53cw
*******************
大竹しのぶ「なぜ麻雀。怒りを通り越し恐ろしい」
女優の大竹しのぶ(62)が、東京高検の黒川弘務検事長の賭けマージャン問題に「怒りを通り越して、恐ろしい」との思いをつづった。
大竹は22日、インスタグラムを更新。「信じられない事が昨日の夜ありましたね。検察官というのは法を犯した人を起訴できる唯一の仕事であるはずなのに、その人が、かけ麻雀をしていたなんて、しかも事実を伝えるべき仕事の新聞記者と」と言及した。
続けて「自粛を守り、沢山の人が苦しい思いをしています。長い間守ってきたお店を閉めた人、面会することも許されず、病院で亡くなった方もいることでしょう。先が見えずに命を絶ってしまった方もいました。犯罪に走った人も。そして命をかけて働いている医療従事者の方たち、明日からどうやって生きていけばいいのか、途方に暮れている人たち。そんな人がいる中で、なぜ麻雀ができるのだろう。わからない」と憤り、「怒りを通り越して、恐ろしいと思いました」とつづった。
********************
 大竹しのぶのことばは「意味」わかるけれど、私は違和感をおぼえる。
 誰だって「自粛」なんかしたくない。ばれないなら、羽目を外したい。ここから出発しないと、世の中が窮屈になる。(人が人を監視する社会になっては、つまらない。)
 さらに問題は。
 「悪いのは黒川だ」ということに意見が集中してしまう。黒川攻撃が始まる。
でも、ほんとうに問題なのは何?
 黒川が賭けマージャンをしたこと?
 そうではなくて、そういう黒川の検事長の定年を延長し、さらに黒川を検事総長にしようとした人間がいること。
 そこに目を向けないといけない。
 「検察庁法改正」で盛りあがった「ツイッターデモ」は、いま、どうなっているか。
 「黒川の賭けマージャンは許せない」「黒川が訓告処分で、退職金を7000万円ももらうのは許せない」というような黒川攻撃に集中していないか。
 安倍はどうなったんだ????
 安倍の「独裁」に対する「反対デモ」が、いつのまにか「黒川攻撃」にすりかえられている。
 安倍の作戦( 安倍批判の矛先を変える) に、まんまと乗せられてしまっている、と私は感じる。
 「有名人も検察庁法改正に反対している」が「有名人も黒川の自粛無視、賭けマージャンを怒っている」にすりかえられている。
 もう一度、安倍批判にもどろう。
 安倍は黒川を「懲戒」ではなく、「訓告」にした。しかも「訓告」処分を決定したのは 稲田だと、他人に責任を転嫁した。
 黒川に退職金7000万円の道を残した。
 黒川を逮捕するという道を閉ざそうとしている。
 すべて安倍がやっていることだ。
 安倍に目を向けよう。
 おそろしいのは黒川ではない。
 安倍だ。
 「黒川次期検事総長に起用」についてだって、安倍は「黒川の実態を知らなかった。稲田や法務省( 法相) の報告にだまされた」と言い逃れるだろう。森友学園・鴻池のとき、安倍は国会で「鴻池は詐欺師だ」と批判したことを思い出そう。
 不都合なことが起きれば、それはすべて「他人のせい」にしてしまう安倍。
 それを忘れてはならない。


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Estoy loco por espana(番外篇63)La obra de Joaquin

2020-05-24 23:08:53 | estoy loco por espana


La obra de Joaquin

Forma de amor
Sentado, un hombre abraza a una mujer por detra's.
Una mujer se siente a gusto y se confi'a a un hombre.
Un trabajo hermoso y paci'fico.
y muy hermoso.


愛の形。
座って、男が女を背後から抱いている。
女は安心して、男に身を預けている。
美しく、平和を感じさせる作品。
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