詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

池澤夏樹のカヴァフィス(71)

2019-02-28 00:00:00 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
71 一九〇三年の日々

二度とみつからなかった--あまりに早くなくしてしまった……

 と始まる。二連目は、

二度とみつからなかった--わたしにとってはまったくの幸運、
だからあっさり手離してしまった。
後になってからまた求めて苦しんだ。
詩的な眼、色の白い顔、
そしてあの手も二度とはみつからなかった。

 「二度とみつからなかった」「二度とはみつからなかった」と繰り返される。繰り返し思い出す、思い出さずにはいられないということだ。

 池澤の註釈。

「……年の日々」という題の詩をカヴァフィスは(略)全部で五篇書いている。その他にも年号を冠した題は多く、架空の古代人に名前を付すのと同じように、歴史的記述の形態を借りる手法と見られなくもない。

 他人にとってはどうであれ、カヴァフィスにとっては「歴史」、つまり変更の許されない「事実」を書いたということだろう。書くことによって事実は真実になる。









カヴァフィス全詩
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池澤夏樹のカヴァフィス(70)

2019-02-27 00:00:00 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」

70 イグナティオスの墓

ここにあるのはクレオンではない。

 と始まる。
 池澤の註釈。

修道院に入ったときに世俗の名を捨てて新しい名をつけるという習慣は広く行われた。

 つまり、かつては「クレオン」という名前だったが、修道院に入って「イグナティオス」という名を得て、そして死んだということ。
 その最後の三行。

わたしはイグナティオス、朗唱係、まことに遅れて
知恵に目覚めたる者。それでもわたしは十か月を幸福に、
キリストの静謐と安泰のうちに、送ることができた。

 さて、カヴァフィスはその最期を、それでよかった、と言っているのだろうか。よくわからない。私には否定型で書かれるクレオンの方に魅力を感じる。

アレクサンドリアで(容易に驚かぬ人々の都)
輝かしい何軒もの家と庭園によって、
多くの馬と馬車によって、宝石や
絹の衣装によって、広く知られたわたしではない。
違う、ここにあるのはかのクレオンではない。

 繰り返される否定によって、逆に否定されていることが浮かび上がってくる。繰り返し書かれることこそ、カヴァフィスにとっての「真実」だ。
 否定しても否定しても、思い出されるのは、否定したはずのことなのだ。
 もしこれが墓碑銘なら、とてもおもしろい。わざわざ否定をことばにしたのだ。ことばにせずにはいられなかったのだ。
















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池澤夏樹のカヴァフィス(69) 

2019-02-26 10:03:33 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
69 見つめすぎて--

美しいものをわたしは見つめすぎて、
わたしの視野はそれで一杯になった。

 池澤は、この二行について、こう書いている。

追憶の一つの形なのであろう。つまり最初の二行は文法的には相当の時間の経過を含んでいて、「かつて美しいものを見すぎたために/今もわたしの視野はそれらで一杯である」と訳す方がその意味では適当かもしれない。

 池澤が言いたいのは「一杯になった」では「過去」のことのようになってしまう。二行目は「現在」である、ということなのだと思う。だとすれば「一杯になった」ではなく「一杯だ」とすればいいのではないだろうか。
 さらに、それにつづく二連目は、その「一杯の美」の言い直しなのだから、「美しいものをわたしは見つめすぎた/それが目から溢れ出てくる」くらいの方がなまなましい感じになるかもしれない。
 原文を知らずに言うのだから、私の感想はいいかげんなものなのだが。

 二連目は、その溢れ出てくる美、おさえてもおさえても溢れてしまう美もいいが(いつものようにギリシャ人の慣用句なのだと思うが)、それを詩に書いているという最後の三行が私は好きだ。

愛の顔を、わたしの中の詩が
望むままに……わたしの若さの夜に、
わたしの夜のふける頃、ひそかに会う時に。

 「夜」が繰り返されている。この繰り返しが、甘くて、魅惑的だ。
 「視野」がかつて見た美しいもので一杯になり、その美を溢れさせてしまうように、カヴァフィスの「記憶」は「夜」で溢れている。いくつもの「夜」が溢れてくる。
 こういう繰り返しの強さは創作では生まれない。実体験、実感の強さを感じさせる。










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池澤夏樹のカヴァフィス(68)

2019-02-25 10:12:42 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
68 アティールの月に

わたしは苦労して 古代の石碑の文字を読む。
《主[な]るイエス・キリスト》次はどうやら《た[ま]しい》
《アティール[の]月に》《レウキオ[ス]は永[眠し]た》

 古い墓碑銘なので文字が欠けている。それを補いながら読んでいる。
 「レウキオ[ス]」の「ス」を補っているところに私は注目した。ギリシャ人の名前を知っているわけではないが、ソクラテス、アリストテレス、アルキメデス……男の名前は「ス」で終わるものが多い。女の名前はすぐに思い浮かばないので何とも言えないが、「レウキオ*」という人がいるかもしれない。それでもカヴァフィスは「ス」をつけることでそこに眠る人を男にしたのだ。(女の墓碑銘というのは、昔はなかったかもしれないが。)
 池澤は、

レウキオスは架空の人物で、この碑銘も実在するわけではない。

 と書いている。
 だとすれば、なおのこそカヴァフヘスは男の墓碑銘を詩にしたかったのである。そして、こう書きたかったのだ。

いくつかの単語は拾える-- たとえば《我[ら]が涙》、《悲しみ》
その下にもう一度《涙》そして《友[人]たる我[々]の嘆き》
どうやらこのレウキオスは 大層愛されていたようだ。

 「涙」が繰り返されている。「悲しみ」と「嘆き」も繰り返しといえるかもしれない。カヴァフィスしか書かない墓碑銘ということになる。

 池澤の訳の、「我[ら]が涙」「我[々]の嘆き」の「ら」と「々」の使い分けがとてもおもしろい。「欠字」なのだから統一してもよさそうだが、違う文字を補うことで想像が攪拌される。










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池澤夏樹のカヴァフィス(67) 

2019-02-24 11:19:39 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
67 イアセスの墓

しかし ナルキッソスと、ヘルメスと、目されることの多いあまり

わたしは疲れはてて、死んだ。お通りの方よ、
あなたがアレクサンドリアの方ならわたしを非難なさらぬよう。

いかなる情熱を我々が人生の至高の快楽に注ぐか、あなたはよく御存知のはず。

 この詩には不思議な「主語」の交代がある。一貫して「わたし(イアセス)」が語ってはいるのだが、途中から「お通りの方」が「主役」になる。
 そしてこのことは、読者を「読者」であることから「わたし(イアセス)」にかえてしまう効果を持っている。
 「わたし」が「わたし」のことを語っている間は、読者は「イアセス」の美貌を想像している。いわば「観客」だ。そして、もしかすると、この詩の場合、読者は「お通りの方」そのものになるのだが、この「呼びかける」という動き(動詞のあり方)が、読者である私に乗り移る。読者を「イアセス」に仕立てて、そのうえでことばが動く。
 メタ構造、と言えるかもしれない。
 「あなたはよく御存知のはず」は単なる知識として知っているのではなく、体験を通して知っている、肉体で知っているでしょう、という呼びかけである。
 呼びかけられて、私の肉体は動く。私は至高の快楽に情熱を注いだことかあるか、と。それを知っているか、と。想像はできる。だが、想像ではだめなのだ。
 ここに、詩のむずかしさがある。
 感想は、想像で語ることができる。だが、ことばを味わうには想像ではなく不十分なのである。

 池澤の註釈。

墓碑銘はそこに埋められた者が通る者に語りかけるという形を取る。これは夢幻能の手法に似ていないか。











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グザビエ・ルグラン監督「ジュリアン」(★★★★+★)

2019-02-23 10:48:43 | 映画
グザビエ・ルグラン監督「ジュリアン」(★★★★+★)

監督 グザビエ・ルグラン 出演 レア・ドリュッケール、ドゥニ・メノーシェ、トーマス・ジオリア

 不気味な映画である。冒頭から、気持ち悪さがあふれてくる。
 女性がふたり歩調をそろえて廊下を歩いている。白いスーツと赤いシャツ。ドアを開ける。離婚した夫婦の、親権をめぐる調停が始まる。子供(ジュリアン)の陳述書が読み上げられ、それぞれの弁護士、当人の発言もある。何が真実なのか、わからない。で、そのわからないことが不気味なのではなく、ここに登場する人物構成が非常に不気味なのだ。
 裁判官(?)と秘書、夫婦とそれぞれの弁護人。合計六人。でも男は、子供との面会を求める父親一人。あとの五人は女だ。これが、この映画のすべてを語っている。女が世界を支配している。もう、結末は見なくてもわかる。男が敗北する。
 予告編にもこの冒頭のシーンはあったのだが、人員構成までは気がつかなかった。だからどんな展開か予測することはできなかった。
 不気味さは、ラストシーンであからさまになる。
 怒り狂った男が別れた妻のところへ銃を持ってやってくる。ドアにむかって発砲し、家に入り込む。そのとき妻とジュリアンは浴室に隠れる。バスタブに身をひそめ抱き合っている。ジュリアンにしてみれば母親の子宮に帰る感覚か。母親にしても、ジュリアンをもういちど子宮に引き込み、もういちど産み直すという感じかもしれない。
 実際に、母親が「もう、終わった。これで解決」とジュリアンに言い聞かせるシーンは、父親が逮捕されたから殺されることはないという以上の「響き」をもって聞こえてくる。
 ジュリアンに向かって言っているというよりも、自分自身に向かって言っている。これで夫が暴力的であるということの「証拠」ができた。だれも夫を弁護しない。目撃者がいる。警官が目撃しているし、その前に通報した人もいる。夫と別れることができる。愛人との生活が始まる。子供も手放さなくてすむ。そう自分を納得させている感じがする。
 ジュリアンにもはっきりわかったはずである。もう父親のことを完全に忘れることができるだろう。そう信じ込めるように産み直したのだ。--ある意味で、母の書いた脚本通りに物語は進んだのである。夫の性格を把握した上で仕組んだのである。
 問題はジュリアンである。
 なぜ母をかばいつづけたのか。ときには父親の憎しみをあおるような嘘をついている。姉のパーティーがある。その日は父親との面会日なので、ジュリアンはパーティーに行けない。けれども面会日を変更すれば行ける。父親は同意するが、ジュリアンは母親に「父親が面会日の変更はできないと言っている」と嘘をつく。母親の怒り、母の両親の怒りを父親に向けさせる。そうやって母親の味方をする。
 ジュリアンの11歳という年齢が微妙だ。まだ「男」になっていないだろう。母親離れができないない。父親が銃をもっておしかけたとき、「一緒に寝ていい」とベッドにもぐり込む。さらにバスタブの中で母に守られるようにしておびえている。これが13歳、15歳だったら、どうか。きっと反応が違う。
 ジュリアンは少年だが、男ではない。女だとは言わないが、男になっていない。つまり、少年もまた「女」に属している。女があつまり、女を守っている。女の主張を通すために、女が団結している。
 父親の襲撃を通報する隣人が老女、浴室から出てきても大丈夫だとドア越しにつげる警官が女性なのも、偶然というよりは意図した脚本だろう。
 ほんとうのラストのラスト。クレジットが流れ始めてから、かすかに「音」が聞こえる。逮捕されていくときの男があばれている「音」のように聞こえる。フランス人なら「声」も聞き取ることができるかもしれないが、私には「抵抗している男の音」としかきこえなかった。それも非常に小さい音だ。彼の、「妻には愛人がいる」という主張は正しいのだが、それを知っているのは映画の観客だけであり、映画の中では「証拠」がない。「目撃者」がいない。

 文学的というか、なんというか。ハリウッドでは絶対につくることのない映画のひとつである。そこに敬意を込めて★1個を追加。

 (2019年02月22日日、KBCシネマ1)
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池澤夏樹のカヴァフィス(66)

2019-02-23 09:57:53 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
66 灰色

 「母色の眼」をもつ恋人のことを書いている。

わたしたちは一か月の間愛しあった
そして彼は去った。仕事を探して
スミナルへ行ったらしい。それ以来会っていない。

 池澤は「彼」にこんな註釈をつけている。

 原文では恋人の性は明らかではない。ほとんどの場合主語を省略して動詞のみという現代ギリシャ語の習慣を利用した手法。

 そうであるなら、池澤も性を暗示させる「彼」ということばを避ければよかったのではないか。「恋人」にすれば「彼」か「彼女」か、それは読者に委ねられる。

その灰色の眼は--彼が生きていても--醜くなったろう。
美しい顔とて今はもうあるまい。

記憶よ、かつて見た姿を留めておいてくれ。
そう、記憶よ、あの恋から持ちかえれるものを、
なんにせよ、今宵こそ持ちかえってくれ。

 この二連は強い。
 カヴァフィスは恋人を思い出しているわけではない。灰色の眼を「愛した」ということ、自分自身の「欲望」を思い出しているだけである。そして「記憶」にむかって呼びかけている。あの瞬間の「記憶」そのものを、カヴァフィスの「欲望」を持ち帰れと。











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池澤夏樹のカヴァフィス(65)

2019-02-22 14:43:39 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
65 悦楽

わたしの人生の喜びと香り、望むところの
快楽をみつけておのがものとした時の記憶。
通常の恋が与えてくれる楽しみを
拒んだ上での、わたしの人生の喜びと香り。

 中澤によれば、

カヴァフィスが公刊した詩の中でこれは最も短かいものである。

 その短い詩のなかでも、ことばが繰り返される。「わたしの人生の喜びと香り」。
 さて、この「香り」は何の香りか。
 「64 夕刻」には

そして、あの香りのなんと強かったこと、
身を横たえたあの最上等の寝台、
わたしたちが肉体をあずけたあの快楽。

 カヴァフィスは聴覚の詩人であると同時に嗅覚の詩人である。「香り」を忘れない。「匂い」の方がなまなましくてカヴァフィス向きかもしれない。「強かった」という形容詞がなまなましい。
 で。
 「通常の恋」をどう理解するか。女性との恋ではなく、男性の恋を選んだということになるのかもしれないが、私はもう少し「誤読」を進める。絵空事というか、整えられた「同性愛」ではなく、「愛情」というよりも「欲望」を優先した恋なのだと思う。「愛」はなくてもいい、というと言い過ぎだろうが、「愛」よりも本能が望むがままの「欲望」に従うことを「通常の恋」を拒むと言っているのではないか。
 「強い香り」と「最上等の寝台」の組み合わせ。下品と上品の衝突。それに通じるものが「わたしの人生の喜びと香り」「望むところ」なのだろう。

快楽をみつけておのがものとした時の記憶。

 は、そういうことを明確に語っている。カヴァフィスは相手のことを思い出しているのではない。肉体の「征服感」を思い出している。「時」を思い出している。「香り」は瞬間的に肉体の中にまで入ってきて、血になって肉体のなかを満たす。エクスタシーを追い抜いてゆくメタ・エクスタシー。











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池澤夏樹のカヴァフィス(64)

2019-02-21 09:57:50 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
64 夕刻

その快楽の日々の谺のひとつが、
それらの日々の谺のひとつが、いま、身近に戻ってくる。
若いわたしたちが分けあった火の一部が戻ってくる。
わたしは一通の手紙を手に取って、
あたりが暗くなるまで何度も何度も読みかえす。

 「一通の手紙」はいつの手紙だろうか。きょう来た手紙だろうか。「会いに行く」と知らせる手紙が、かつての恋人から届いたのだろうか。
 そうではなくて、若いときの「約束の手紙」を再び読み返しているのだろう。恋が、そのときの快楽が戻ってくるわけではない。記憶が戻ってくる。谺のように、離れたところから、まったく同じ声が。
 カヴァフィスの詩は短い作品に「繰り返し」が多い。この詩でも「谺」が繰り返されている。「戻ってくる」も繰り返される。繰り返すことで、そのことが近づいている感じがする。「何度も何度も」が切ない。近づき、距離がなくなり、一体になる。
 「戻ってくる」は「読み返す」の「返す」に通じている。読み返すことで、「戻ってくる」のではなく、「戻っていく」のだ。記憶が近づいてくるのを待っているだけではない。記憶に近づいてゆく。
 そしてこの「近づいてゆく」という感じが、そのまま最終連へと動いていく。カヴァフィスは「部屋を出てゆく」。記憶の街へと。

そして憂愁の思いと共にバルコニーに出る--
愛する町を目のあたりに見て、
街路と焦点の人の動きを見て、
少しでも気分を変えようと部屋を出るのだ。

池澤の註釈。

おのれを仮に老人と見なして詩作する場合が多い。ひとつには官能は過去のものとして距離をおいた方が詩に乗りやすいということもあったろうし、内容も慎みぶかくなっただろう。













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池澤夏樹のカヴァフィス(63)

2019-02-20 09:51:23 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
63 神々の一人

 超越的な魅力をもった人間に出会ったとき、人は何ができるだろうか。

それを見た通行人たちは
あの若者を知るかと互いに訊ねあい
シリアからのギリシャ人かはた外国人かと
いぶかしむ。しかしもう少し注意深い者は
すぐそれと覚って一歩脇へ寄る。

 自分には手が届かない。けれど、しっかりと見届ける。

彼が柱廊の下の暗がりへと、
たそがれどきの光と影の中へ
夜ばかり息づく一角へ、狂宴と
飽食の巷へ、ありとあらゆる陶酔と好色へと
消えてゆくのを見送りながら、

 どうして、そこがその場所だと知っているか。自らが体験しているからだ。カヴァフィスが「陶酔と好色」を体験しているからだ。そして、「あの若者」が「陶酔と好色」を体験したあとは「61 通過」の若者になる。「単純な若者」から、もっと「目を注ぐに値するようになる」ということを知っているから、早くそうなるように、「一歩脇へ寄り」彼を見守るのだ。

 池澤は、

放蕩もまた神の資質ではある。

 と書いている。
 私は神が放蕩するというよりも、若者が放蕩の果てに神になるのだと読む。カヴァフィスの神に。カヴァフィスは詩、ことばによって神を誕生させる。











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池澤夏樹のカヴァフィス(62)

2019-02-19 08:11:01 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
62 六一〇年に二十九歳で死んだアンモネスのために

ラファエルよ、詩人アンモネスの顕彰のために
きみに何行かの詩を書いてほしいとみなが望んでいる。

 と始まる。その二連目。

彼の詩のことは勿論言わなくてはならない--
しかし彼自身の美貌のこと、わたしたちが愛した
あの優雅な美しさのこともを含めてはくれまいか。
きみのギリシャ語はいつも美しく音楽的だが、
今はきみの技倆をも少し用いてほしい。

 さらにつづいているのだが、おもしろいのはラファエルの詩が引用されるわけではないのに、それがどんなものであるかわかることだ。わかる、は語弊があるか。どういうものか、想像できる。いや、想像してしまう。
 これはある意味では「註釈」の詩である。
 ここにある作品がある。詩人アンモネスを顕彰するためにラファエルが書いたものだ。アンモネスは詩はもちろんだが、その美貌が人に愛された。彼の優雅な美しさが書かれている。そのことばは音楽的で、アンモネスの美貌にふさわしい。
 あるいは、いまはやりのことばをつかって「メタ詩」と呼んでもいい。
 カヴァフィスはラファエルのような詩を書いた、と自己評価しているんだろうなあ。池澤の註釈では、

登場する二つの固有名詞はどちらも架空のもの。

 とある。
 架空の詩人を相手をモデルにすることで、「私はいつでも美しい人を、美しい音楽的なことばで賞賛している」という「行為」を浮き彫りにしている。










カヴァフィス全詩
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池澤夏樹のカヴァフィス(61)

2019-02-18 07:51:07 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
61 通過

彼の血は、若くて熱い血は
快楽を喜ばせた。彼の身体は
不法の情愛の陶酔に征服され、若々しい
四肢もそれに屈伏した。
かくして単純な若者が
我々が目を注ぐに値するようになり、詩的宇宙の
至高の点を一瞬通過するまでになった。
若くて熱い血をもつ官能的な若者が。

 前半と後半で主語が逆転する。正確には「主語」が逆転するとは言えないのだが、そういう印象がある。
 前半では「若者」は「征服される」人間である。
 ところが後半では「若者」が「我々」を「征服している」。
 詩は、「征服される/征服する」という動詞の使い方をしていない。「主語」を「若者」から「我々」に変えて、「我々が若者に目を注ぐ」という形をとっている。「目を注ぐ」を「受け身」にすると、そこに隠れていた「主語」が復活する。「若者は目を注がれた」である。
 「若者」は「陶酔に征服され、屈伏させられた。」その若者はいま「目を注がれている」。しかし、その「注がれている」は「注がせている」なのだ。「若者」はその「官能」によって、「我々を引きつけている」。
 「主語」というよりも「立場」が逆転している、というべきなのか。
 でも「主語」が逆転した、と私は言いたい。「主語」の働き方が(動詞が)、逆転したのだ。
 「征服され、屈伏している」のは「我々」である。
 繰り返される「若くて熱い血」が「主語」になって、「我々」を征服している。

 池澤の註釈。

詩人が若い頃「不法」であると思っていた官能がここに至って詩神の浄化を受けたとも考えられる。



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池澤夏樹のカヴァフィス(60)

2019-02-17 07:47:28 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
60 オスロエネの町で

 酒場で喧嘩し、けがをした友だちのレーモンを描いている。

ここに集う我々は多種多様、シリア人、ギリシャ人、アルメニア人、メディア人
レーモンにしてもその一人だ。しかし昨日の夜
月に照された彼の官能的な顔を見ていて、
我々の心はプラトンのカルミデスへとおもむいた。

 この部分でおもしろいのは、レーモンはそれでは何人だったのか、それがわからないことだ。「官能」は何人であるかを問題にしない。
 池澤は「カルミデス」に註釈をつけている。完璧な肉体を持っている。

そこから善悪を識別する知恵の定義をソクラテスに導かせている。

 私は、「59 エンディミオンの像の前にて」との関係で、「月に照らされて」の方に興味を持った。そこにはこんな註釈がついていた。

エンディミオンは神話中の人物。美青年で月の女神セレネが彼に恋をし、ゼウスに頼んで彼を不老不死のまま永遠に眠るようにしてもらって、夜ごと訪れることにしたという。

 月の光と死、そして官能はギリシャでは絡み合っている。少なくとも、カヴァフィスは結びつけているのだと思う。


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池澤夏樹のカヴァフィス(59)

2019-02-16 09:41:13 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
59 エンディミオンの像の前にて

この像を見よ。今わたしは世に広く知られた
エンディミオンの美を陶然として見つめる。
我が奴隷は籠一杯のジャスミンをここに撒く
縁起のよい歓呼が古代の快楽の眠りを醒ます。

 カヴァフィスは、この作品でも「美」を具体的には書かない。かわりに「陶然として見つめる」ということばを書く。「わたし」の肉体を書く。そのため、まるで「わたし」がエンディミオンになったかのように感じられる。実際、カヴァフィスはエンディミオンになって、この詩を書いているのだろう。
 池澤は、

 この詩の「わたし」は架空の存在。アレクサンドリアという地名が出てくるから、時代はおそらくヘレニズム期。

 と書いている。
 私は歴史に疎いので、時代がいつかは気にしない。
 「奴隷」のいる時代。それよりも「古代」を思う。それだけで充分だ。
 で。
 ついさっき、「わたし」はエンディミオンになっている、と書いたばかりなのだが、「わたし」は同時に「奴隷」でもある。エンディミオンの美の奴隷。奴隷にジャスミンの花をまかせるのではなく、自分でジャスミンの花を撒く。ジャスミンを選んだのは「わたし」だ。
 さらに歓呼の声を上げるのも「わたし」。「快楽の眠り」を醒まされるのも「わたし」だ。
 つまりそれは「わたし」の肉体のなかに響きわたり、「わたし」の眠りが醒まされる。実際に人々が (奴隷が) 声を上げるわけではない。
 なにもかも区別がなくなり、「肉体」のなかで一つになることを「陶然」と読みたい。



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池澤夏樹のカヴァフィス(58)

2019-02-15 07:48:50 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
58 路上で

そのわずかに青ざめた好ましい顔、
ぼんやりとうつろな栗色の眼、
二十五歳だがむしろ二十歳に見える、
着るものにはどこか芸術家めいたところ
--ネクタイの色とか、襟の形とか--

 最初は「視覚」から入っていく。「青ざめた」「栗色」と色が描写される。「見える」という動詞もある。
 しかし、だんだん抽象的になっていく。
 ネクタイは「色」ということばになり、襟は「形」と表現されるだけで、「視覚」を具体的には刺戟しない。読者が想像しないといけない。
 そして、後半。

あてもなく道を歩いてゆく、
許されざる快楽の催眠術から覚めぬままに、
決して許されざる快楽の体験から。

 「許されざる快楽」が二度繰り返される。わずか八行の詩のなかで。
 ことばを繰り返すとき、カヴァフィススは、見ているのではなく「体験している」。青年になっている。その瞬間、ここに書かれていることは「自画像」になる。
 カヴァフィスは、こんなふうにことばと一体になる。

 池澤は

ここで詩人ははたして客観的な観察者なのか否か。

 と書いている。
 カヴァフィスが「客観的観察者」だったときは一度もない、と私は思う。




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