渡辺玄英『星の(半減期』(思潮社、2019年04月25日発行)
渡辺玄英『星の(半減期』の巻頭、目次に先立って掲載されている作品「未読の街」の最初の部分。
「欠落」とは何か。「欠落」はいつでも、何らかの動きを誘う。「欠落」と意識されたときからその動きは始まる。
「ほかに音はない」というとき、「砂利をふむ音」だけが「ある」。この「ある」をあえて「ない」という「欠落」を指し示すことばをつかって明確にするときから、詩ははじまる。
「まだわたしはあそこに立っている」とき、それを意識する「わたし」はどこにいるか。ここに「いる」。「いる」が二重化される。そして、この二重化から、ほんとうは「実在しないわたし/あそこに立っている意識のわたし」、「欠落」の中心へとことばは動く。
この「欠落」をめぐる運動は、「抒情」である。「論理」を必要としている。けれど「論理的抒情」というのは「現代詩」ではもう「遺物」である。だからこそ、渡辺は、その「遺物」を、閉じない括弧を多用することで装飾する。装飾で目を引きつける。
表記が難しくて引用できないが、渡辺はさらに「見せ消ち」という装飾を取り入れている。書いた文字の上に棒を引き、何が書いてあるかを見せながら、それを否定するという手法である。開かれた括弧が「追加」あるいは「補足」ならば、「見せ消ち」は何だろうか。「補足」の否定か。そうではなく、否定の「補足」だろう。つまり「過剰」。「現代詩」は「わざと」書かれたことば、過剰のことばである。それを実践している。
この冒頭を二連目で、こう書き直す。
書き直しは「補足」であり、「否定」だから、ある意味では二連目は、その行頭に丸括弧がないけれど、構造としては丸括弧を含んでいる、丸括弧が「欠落」したことばであるということもできる。(「書き直し」を渡辺のつかっていることばで言いなおせば、「重ね」である。)
一行目の「倒置法」のことばをふつうにもどすと、一連目の書き出し「これはずいぶん前に書かれたものだ」になる。ここから逆に、この二連目の書き直しを一連目を「倒置」させたものと定義できる。
ものを「重ねる」にはふたつの方法がある。同じ向きに重ねるのと向かい合わせに重ねる方法。後者の場合、絵ならば鏡のように左右が対象になる。ことばの場合は左右の転換ができないので、上下、つまり倒置によって「向き合っている姿」をつくりだし、重ね合わせることになる。二連目が「倒置法」ではじまる必然は、ここにある。
一方に「正常(?)なことばの運動」があり、他方に「倒置したことばの運動」がある。その間にあるのは何か。何がふたつの運動を切断しているか。あるいは連続させているか。いや、そういう「運動」そのものを生み出しているか。そして、この「鏡効果」の重ね合わせは、当然のように「鏡」と「鏡」の間で増幅し、止まることがない。
増殖することばが、詩である。
でも、この詩については、もうこれ以上書かない方がいいかもしれない。
この詩が、詩集の一連目となり、他の作品を二連目にしていると言えるからである。
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「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を発行しました。314ページ。
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渡辺玄英『星の(半減期』の巻頭、目次に先立って掲載されている作品「未読の街」の最初の部分。
これはずいぶん前に書かれたものだ
読みづらい文章の中に
欠落した言葉があって
欠けた言葉の向こうに
ぼんやりと夕日が差している
ひとが影になって歩いている
ありふれた住宅街にすり鉢状に
窪んだ公園があって
だれかが砂利をふむ音が
耳元にきこえてくる(ほかに音はない
(まだわたしはあそこに立っている
「欠落」とは何か。「欠落」はいつでも、何らかの動きを誘う。「欠落」と意識されたときからその動きは始まる。
「ほかに音はない」というとき、「砂利をふむ音」だけが「ある」。この「ある」をあえて「ない」という「欠落」を指し示すことばをつかって明確にするときから、詩ははじまる。
「まだわたしはあそこに立っている」とき、それを意識する「わたし」はどこにいるか。ここに「いる」。「いる」が二重化される。そして、この二重化から、ほんとうは「実在しないわたし/あそこに立っている意識のわたし」、「欠落」の中心へとことばは動く。
この「欠落」をめぐる運動は、「抒情」である。「論理」を必要としている。けれど「論理的抒情」というのは「現代詩」ではもう「遺物」である。だからこそ、渡辺は、その「遺物」を、閉じない括弧を多用することで装飾する。装飾で目を引きつける。
表記が難しくて引用できないが、渡辺はさらに「見せ消ち」という装飾を取り入れている。書いた文字の上に棒を引き、何が書いてあるかを見せながら、それを否定するという手法である。開かれた括弧が「追加」あるいは「補足」ならば、「見せ消ち」は何だろうか。「補足」の否定か。そうではなく、否定の「補足」だろう。つまり「過剰」。「現代詩」は「わざと」書かれたことば、過剰のことばである。それを実践している。
この冒頭を二連目で、こう書き直す。
ずいぶん前に書いたものだこれは
書かれているわたしが書いていたかれを思い浮かべて
(それで影のように(幾重にも(わたし
(わたしが重なって立ち竦む
たとえばあの公園の銀杏の木、という
文章の下に埋葬されているわたしたちを
わたしは覚えていて
(そうこのあたりだ(わたしの
見開いた目元が仄かにあかく染まっている
書き直しは「補足」であり、「否定」だから、ある意味では二連目は、その行頭に丸括弧がないけれど、構造としては丸括弧を含んでいる、丸括弧が「欠落」したことばであるということもできる。(「書き直し」を渡辺のつかっていることばで言いなおせば、「重ね」である。)
一行目の「倒置法」のことばをふつうにもどすと、一連目の書き出し「これはずいぶん前に書かれたものだ」になる。ここから逆に、この二連目の書き直しを一連目を「倒置」させたものと定義できる。
ものを「重ねる」にはふたつの方法がある。同じ向きに重ねるのと向かい合わせに重ねる方法。後者の場合、絵ならば鏡のように左右が対象になる。ことばの場合は左右の転換ができないので、上下、つまり倒置によって「向き合っている姿」をつくりだし、重ね合わせることになる。二連目が「倒置法」ではじまる必然は、ここにある。
一方に「正常(?)なことばの運動」があり、他方に「倒置したことばの運動」がある。その間にあるのは何か。何がふたつの運動を切断しているか。あるいは連続させているか。いや、そういう「運動」そのものを生み出しているか。そして、この「鏡効果」の重ね合わせは、当然のように「鏡」と「鏡」の間で増幅し、止まることがない。
増殖することばが、詩である。
でも、この詩については、もうこれ以上書かない方がいいかもしれない。
この詩が、詩集の一連目となり、他の作品を二連目にしていると言えるからである。
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「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を発行しました。314ページ。
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ここをクリックして2500円(送料、別途注文部数によって変更になります)の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。
なお、私あてに直接お申し込みいただければ、送料は私が負担します。ご連絡ください。
「詩はどこにあるか」2019年1月の詩の批評を一冊にまとめました。
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オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
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(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
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(4)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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