詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ポスト岸田(読売新聞の「読み方」)

2024-08-17 10:37:36 | 読売新聞を読む

 2024年08月16日、17日の読売新聞の一面の見出し。

ポスト岸田 相次ぎ意欲/小林氏 推薦20人めど
麻生氏 茂木氏支持に難色

小林氏 19日立候補表明へ/麻生氏 河野氏の出馬了承
「早期解散・秋選挙」広がる

 読売新聞は、総裁選を岸田対河野の対戦と見ている。小泉は、総裁選へ目を向けさせるための「ダシ」につかわれている。
 で、なんのために岸田を辞めさせ、「新顔」を必要とするのか。早期解散・総選挙が必要なのか。自民党政権への「不信」がつづいているというのが「表面的」な理由だけれど。それはほうっておけば回復するかもしれない。衆議院議員の任期はまだ1年もある。1年しかないというのが議員の声かもしれないが。なんといっても落選したら収入が途絶えるから、そしてその途絶は4年間つづく可能性があるから。国民のこと、政治のことなんかどうでもいい、自分の生活(収入)だけ守りたい、ということだろう。
 しかし、ほかにも理由はあると思う。
 岸田では、日本の防衛は(アメリカの世界戦略は)機能しないとアメリカが判断したのではないのか。もっと簡単に言うと、岸田が首相では早期(5年以内)の「核配備」が不可能と判断し、岸田を切り捨てたのではないのか。ふにゃふにゃしているが、岸田は広島の出身。日本に核が配備されることになれば、岸田は広島で叩かれ、きっと落選する。そんなことになれば、最初からやりなおさなければならない。アメリカ=日本は、「台湾有事」を5年以内と想定している。岸田政権がふらふらしていては、間に合わない、と考えているのだろう。
 だから。
 小林が急に浮かび上がってきたのは、防衛=軍隊についての「政策」が他の「候補」とは違っているからだろう。
 17日のスキャナーは、

①政治改革 焦点に
②内政 憲法改正・財政も議題
③外交 敬虔・手腕問われる

 という三つの見出しがあって、それぞれ「分析」している。①は、岸田が辞める表向きの理由。「カネ」の問題にケリをつける。でも、派閥は、完全には解消されていない。一面の見出しでもわかるように、麻生は、何人もの議員を支配している。
 ②が「防衛」にからんでくる。憲法改正は「防衛」だけがテーマではないが、アメリカが重視しているのは「防衛」である。
 読売新聞は、どういう書き方をしているか。

 憲法改正や皇位継承のあり方、選択的夫婦別姓といった国や社会のあり方に関する基本政策も主要な議題となる。
 党内きっての保守派の高市経済安保相(63)は「憲法を改正するために政治家になった」と公言し、自衛隊明記、緊急事態条項創設など自民の改憲4項目に加え、「公共の福祉」の意味の明確化などを唱えてきた。皇位継承は「126代、男系の皇統を守ってきた。天皇陛下の正統性と権威の源だ」と男系維持にこだわる。夫婦別姓には反対の立場で「通称使用の拡大」を掲げている。
 同じく保守派の小林氏も、改憲論議の加速を訴え、「憲法に防衛の文字がない」として自衛隊明記などを求める。小泉氏も改憲は結党の理念だとして「約束したことに本気で取り組む」と強調している。
 一方、石破氏は、自衛隊の明記だけで、戦力不保持を定めた9条2項が残れば矛盾が生じるとして「2項削除」を持論としている。皇位継承では「女系天皇の可能性を排除して議論するのはどうなのか」と容認姿勢を示し、夫婦別姓も「やらない理由が分からない」との考えだ。
 野田聖子・元総務相(63)も夫婦別姓導入を訴えている。

 絶対に総裁になり得ないような高市を「まくら」につかって、「憲法改正=自衛隊明記」を取り上げているのだが、ここで小林について「小林氏も、改憲論議の加速を訴え、「憲法に防衛の文字がない」として自衛隊明記などを求める」と明確に書いている。小泉の発言には自衛隊はない。石破は踏み込んでいるが、彼も推薦人が集められるかどうかわからない状況だから、まあ、紙面の「にぎわし」に引っ張りだされているだけだ。野田も同じ。
 読売新聞が「対抗馬」と想定している河野は、ここには登場しない。逆に言えば、絶対に総裁にはなれない、ということだろう。
 その河野については123か国・地域訪問と、様々な閣僚経験を取り上げているが、様々な閣僚経験というのは、「有能」だからではなく、「無能」だからたらい回しされたということだろう。小泉と同じく、「親の七光」議員にすぎない。

 さて。
 小林鷹之。私は、何も知らないのだが、きょうの記事でわかったことは、憲法改正においては「自衛隊明記」が必須と考えている保守派であることがわかった。そして、読売新聞は、ほかの問題(皇位継承、夫婦別姓)などは「改憲のテーマ」ではないと考えていることもわかった。これは、同時にアメリカの「改憲テーマ」が「自衛隊明記」であるということでもある。
 ほかの分野のことは、機会があれば書けばいい、ということだろう。
 小林について触れた部分は短いけれど、的を外さずに小林をしっかり紹介している。

 アメリカは、大統領選を控えている。アメリカの新大統領がだれになるかわからないが、だれになってもアメリカの世界戦略(中国封じ込め)には日本が不可欠と判断しただれかが、岸田の首をすげかえようとしたのだろう。いちばん腰の据わった「保守議員」に目をつけたということなのだろう。
 米軍が自衛隊を指揮下に置くシステムはバイデン・岸田会談で「完成」した。その指揮下で、沖縄・南西諸島に核が配備される(持ち込まれる)のだろう。核配備によって、「台湾有事」は防げるのか、それとも「台湾有事」を拡大することになるのか。アメリカが「世界戦略システム」の早期完成を急いでいることだけは確かである。(バイデン・岸田会談での、バイデンのはしゃぎようは、たいへんなものだった。)

 ところで。
 田中角栄が失脚したのは、田中が自衛隊のベトナム派兵に反対したためだが、そのとき「田中金脈」が問題になった。今回、岸田が失脚(?)するのも「カネ」がらみである。「カネのスキャンダル」を利用して、日本の首相を失脚させるというのは、アメリカのひとつの方法なのかもしれない。(今回の「裏金問題」が話題になったとき、私は、少し、そのことを書いた。)「カネ」の問題をつついて失脚させるかぎり、アメリカは「裏」に隠れていることができる。
 田中失脚後、アメリカに「反対」を唱える日本の首相はいなくなったが、今回の岸田退陣によって、日本の首相の「操り人形化」はさらに加速するだろう。
 で、ここから逆に言えば。
 日本がアメリカにあやつられないためには、「カネ」に潔白な政治家が必要なのである。「カネ」に問題をかかえると、それをつつかれ、必ず失脚させられる。岸田本人は「カネ」に塗れていたかどうかは、よくわからないが。しかし、周辺は、完全にカネによって腐敗していた。
 私は、なんだか、とんでもない世界を見せつけられている、いやあな気分になっている。

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岸田退陣(読売新聞の読み方)

2024-08-15 13:03:34 | 読売新聞を読む

 岸田が突然、退陣を表明した。自民党総裁選(9月30日)まで一か月半。なぜ、いま? 
 いろいろな「見方」があるが、「新総裁」が舞台裏で決まったからだろう。「政治とカネ」の問題に「ケジメ」をつけるためと言っているが、これは表面的。だいたい、そう言わなければ、次の衆院選で敗北は必至。それだけはダメだ、とあらゆるところからケチがついて、もう持ちこたえられなくなったのだろう。
 で、舞台裏で決まった「次期総裁」はだれ?
 読売新聞2024年08月15日の朝刊(14版・西部版)の記事は「刷新 若手に期待」という見出しで、まず小泉進次郎、小林鷹之を紹介している。その記事の書き方が、おもしろい。

 小泉について、こう書いている。

 「総裁選で変わったことを示せなければ、自民党は終わってしまう」
 小泉氏は周囲にこんな思いを吐露している。周辺は「出馬を視野に入れて準備を進めている。気持ちも固まりつつあるようだ」と明かした。

 「周辺」は「出馬もある」と言っている。が、小泉自身の「動き」は書いていない。
 一方、小林は、どうか。

 小林氏は知名度は低いものの、「新顔」として注目を浴びている。14日には首相の不出馬表明を受け、「党が生まれ変わったと思ってもらえるような改革努力を我々が引き継いでいかなければならない」とのコメントを出した。安倍派で当選同期の福田達夫・元総務会長(57)ら中堅・若手が擁立に向けて会合などを重ね、出馬に必要な推薦人20人のメドはついたとされる。小林氏を推す衆院議員は「近く出馬表明に踏み切るだろう」と語った。

 首相退陣を受けた「コメント」を出している。(小泉は、出したかどうか知らないが、読売新聞で読むかぎりは、出していないようだ。出しているなら、紹介するだろう)。さらに「出馬に必要な推薦人20人のメドはついたとされる」といちばんのポイントを明記している。
 これは、他に出馬が予想される(?)石破について、

 石破茂・元幹事長(67)も訪問先の台北市で出馬意向を表明したが、記者会見で「推薦人20人をそろえるのは非常に難しい作業だ」と明かした。

 こう書いているのと比較すると、小林が「先行」していることは明瞭である。岸田退陣劇の裏側で、推薦人20人を確保したのは小林だけである。ほかの候補者は、確保していない。
 つまり、岸田は、小林が総裁選に出馬するのに必要な推薦人20人を確保したことが明らかになったから、退陣表明をしたのだ。単に推薦人20人確保だけではなく、たぶん、根回しもすんだから退陣表明をしたのだ。
 それをうかがわせるのが、次の文章。

 ただ、小林氏は9日のインターネット番組で、政治資金規正法違反事件で処分された安倍派議員が要職などから外れている現状を見直す必要があると発言し、「改革に逆行している」との批判も広がった。

 小林は、すでに「要職」に安倍派議員を復活させる「閣僚名簿」も用意している。それに対しては反発はあるようだが、すでにそこまで準備を進めているのは小林だけである。わざわざ「批判」も紹介しているのは、先に新聞に書いておけば、「衝撃」が少ないからである。これは、読売新聞が「よいしょ記事」を書くときの、重要な要素である。
 小泉については、

 無派閥を貫く小泉氏が出馬を決断した場合、党内で幅広い支持を集めつつ、いかに派閥の力学に左右されないかが課題になる。

 と「課題」を紹介しているが、これは逆に言えば、小泉がまだぜんぜん動いていない「証拠」でもある。

 私は政治には疎いから、小林鷹之という人物については何も知らなかったが、突然、新聞に「候補」と書かれ、しかも、その動きまで、批判を含めて書いている。これは、新首相が小林で決まっていることを「暗示」するものである。
 きっと、これから小林の顔、発言がマスコミでどんどん報道され、国民にアピールされる。そうやって小林人気をあおり、総裁誕生(新首相誕生)後、すぐに国会を解散し、衆院選で勝利する。そこまでシナリオを書いて(そういうシナリオで、いろいろな人を説得し)、その結果として岸田が退陣表明をしたのである。そして、読売新聞は、この「岸田シナリオ=作者は岸田ではなく、ほかの人だと思う)を「応援」している。次の衆院選で「自民党大勝」の先取り応援をしている。
 読売新聞の記事は、ほんとうに、「裏」が透けて見えて、とてもおもしろい。

 (いちいち引用しなかったが、これまで「総裁候補」としてうわさされた石破や河野太郎、茂木敏充、高市早苗、野田聖子については、いろいろ「難癖」をつけている。詳細は、紙面参照。)

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読売新聞・特ダネ記事の読み方

2024-07-18 23:08:17 | 読売新聞を読む

 2024年07月18日の読売新聞(西部版・14版)に、「特ダネ」が載っている。見出しに、

台湾上陸 1週間以内/中国軍、海上封鎖から/日本政府分析/日米の迅速対応 焦点

 記事は、こう書いてある。

 日本政府が中国軍の昨年の演習を分析した結果、最短で1週間以内に、地上部隊を台湾に上陸させる能力を有していることがわかった。政府は従来、1か月程度を要すると見積もっていた。中国軍が米軍などが反応するまでの間隙(かんげき)を突く超短期戦も想定しているとみて、警戒を強めている。
 政府が分析したのは、中国軍が昨年夏頃、約1か月かけて中国の国内や近海など各地で行ったミサイル発射や艦艇などによる訓練だ。
 政府高官によると、一連の演習を分析した結果、各部隊が同時並行で作戦を実施した場合、台湾周辺の海上・上空封鎖から大量の地上部隊の上陸までを数日程度で遂行できることが判明した。分析結果は今年に入り、岸田首相に報告された。

 「特ダネ」は「政府高官」からのリークと想像できる。「政府高官」が発表したのでも、「政府」が発表したのでもない。読売新聞は、例によって「わかった」と書いているが、「どうやって」わかったのか。書いていない。書けないのである。「リークされた」から「わかった」とは、誰だって恥ずかしくて書けない。だから、単に「わかった」と書き、どうやってか、は読者の想像に任せている。
 さて、この記事は、何のために書かれたのだろうか。
 中国が危険な行動を起こそうとしている、行動次第では日本にも影響がある、ということを伝えようとしているのだろうか。たぶん、そうなのだと思う。こうした「仮想敵国(?)」の軍事行動を分析するのは、政府の当然の仕事だと思う。しかし、それが当然の仕事だとして、その「分析結果」をわざわざ読売新聞にリークしてまで書かれているのはなぜなんだろうか。
 記事を読めばわかるが、「分析対象」は「昨年夏」の中国軍の動き。そして「分析結果」は「今年に入り」岸田に報告されている。「今年に入り」というのは、たぶん1月ごろのことだろう。それから半年たって、それを「政府高官」が読売新聞にリークしている。この微妙な「分析結果」から「リーク」までの「時間」が、何とも言えない。
 ほんとうに重要なら(読売新聞の読者だけでなく、国民全員が知る必要があるのなら)、もっと早く「公表」すべきだろう。
 それに、これから書くことが、ほんとうに「不思議」なのだが。
 こういう「分析」って、「公表」していいものなのか。私は軍人ではないが、もし軍人だったら(とくに軍の責任者だったら)、この「リークした政府高官」を徹底的に批判すると思う。こんな「分析結果」を公表すれば、もし、中国にほんとうに台湾を武力攻撃する計画があるなら、この「分析結果」を上回る電撃作戦を展開するだろう。
 読売新聞は「日米の迅速対応 焦点」と書いているが、日米の迅速対応を上回る作戦を中国は準備するだろう。軍事行動とは、そういうものではないのか。誰かが十分に「対応」できるように行動を起こすことはありえない。相手が対応できないように行動してこそ、軍事作戦は効果がある。自分たちの被害は少ない、相手の被害が大きい。それが「攻撃」をする指導者が考えることだろう。
 日米が「迅速対応」するのがわかっていて、「後手」にまわるような作戦を立てるほど中国の軍関係者は馬鹿ではないだろう。
 それにねえ。
 「日米の迅速対応」以上に重要なのが「台湾の対応」だろうが、それについては読売新聞は何も書いていない。台湾は何もしないけれど(台湾の対応は無力だけれど?)、日米が「迅速対応」する、有効な対応ができるということかな? 変じゃない? なぜ日米が対応しないといけない?
 いや、対応すべきことも、あるにはある。読売新聞も、ちゃんと書いている。

 超短期戦が現実となった場合、日米など各国が迅速に対応できるかが焦点だ。日本政府も、台湾に在留する約2万人の邦人の保護や、台湾に近い沖縄県・先島諸島の住民の避難が課題となる。

 アメリカ人も台湾に在留している人がたくさんいるだろう。そういうひとたちの「保護・避難」のために、日米が「迅速対応」するというのなら、記事は(政府高官は)、そういうひとたちを安全に保護・避難させるために何が必要か(何日必要か)ということを詳しく書くべきなのだが、そんなことはどこにも書いてない。
 この記事は、ようするに、中国は危険だ、その危険を防ぐためにはもっと軍事予算をつぎ込まなければいけない(アメリカから軍備を購入しなければいけない)ということを、読者に納得させるための「リーク」なのだ。
 ほんとうに必要なのは「台湾有事(このことばは、今回の記事にはなかった)」が起きないように、「対話」で働きかけるべきなのだが、そういうことは省いて、ただ軍備の増強を訴えるために書かれている。
 これって、次のアメリカ大統領がトランプになるのか、バイデンになるか(あるいは別の誰かが登場するのか)わからないが、どっちにしたって日本はアメリカから軍備を買います、アメリカの軍需産業は安心してください、と伝えるだけのための記事なのだ。だからこそ、「いま」書かれているのだ。アメリカ大統領選の行方が混沌としているからこそ、「いま」この記事がリークされているのだ。

 なんというか……。
 中国の危険性よりも、アメリカから軍備を買い、それでアメリカのご機嫌をうかがうという日本政府の方針がまるわかりの、品のない記事だなあ。
 ほんとうに戦争が心配なら、まず、その戦争で犠牲になるかもしれない日本人をどうやって救出するか、そのために何をすべきか、そういう問題をこそ分析し、公表し、あらゆる方面からの知恵を結集すべきだろう。たった二、三行で「日本人保護・避難」について触れ、しかもそれを「課題」と指摘するだけなんて、私の感覚ではまったく理解できない。戦争で死んでいく(戦争のために殺されてしまう)人間のことを何一つ考えていない。そういうひとたちが「世論」を誘導するために新聞記事を利用している。「特ダネ」を書かせているし、「あ、特ダネを手に入れた」と歓喜して記事にする記者がいる。それを、そのまま紙面にしてしまう記者がいて、経営者がいる。

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特ダネ記事の「危険性」(読売新聞を読む)

2024-07-11 10:13:08 | 読売新聞を読む

 2024年07月11日の読売新聞(西部版、14版)に、「特ダネ」が載っている。リーク先は「複数の政府関係者」。誰かがリークし、それが本当かどうか確かめるために、別の政府関係者にも確かめたようだ。

 政府は、重大なサイバー攻撃を未然に防ぐ「能動的サイバー防御」で、自衛隊の新任務を創設する方向で調整に入った。武力攻撃事態に至らない平時に、発電所などの重要インフラや政府機関を守るため、攻撃元サーバーへの侵入・無害化措置を行う権限を与えることを検討している。
 複数の政府関係者が明らかにした。

これを、見出しでは、こう書いている。

自衛隊 平時も無害化権限/能動サイバー防御/新任務検討/対インフラ攻撃

 こういう「特ダネ」は何のために書かれるか。以前にも指摘したが、そこにつかわれていることばに対する「読者(市民)」の反応を見るためである。あるいは、読者(市民)に対して、これから政府が発表する「政策」に驚かないようにするためてある。過激な反応をしないようにするためである。「あ、そのニュース、もう知っている」と感じさせるために「特ダネ」記事(リーク記事)は書かれる。
 「発電所が中国や北朝鮮からサイバー攻撃され、電気が止まったら生活ができない。なんとかして防いでほしい」と読者は思う。「わかりました。サイバー攻撃される前に、攻撃元のサイバーに侵入し、攻撃できないようにしたいと思います。攻撃元のサイバーを『無害化』するために、自衛隊に、その権限を与えたいと思います」「ああ、それなら安心ですね」。
 こういう具合に、読者(市民)が反応するかどうか確認するためである。
 で、ここで問題になるのは、その「内容」もさることながら、「表現」である。「政府関係者」は、攻撃元のサイバーに「侵入し、攻撃する」とは言っていない。「侵入はするが、攻撃ではなく、無害化措置を行う」。
 「無害化」という聞き慣れないことば(表現)がつかわれている。
 しかし、実際は、あるサーバーに侵入し(ハッキングし)、その機能を阻害するわけだから、これは「攻撃」である。「攻撃」なのに、それを「攻撃」とは呼ばずに「無害化」と言う。「無害化」によって、日本の発電所が攻撃されなくなる。
 これは対象が「サイバー」だから、実際には何が起こっているか、傍からはわからない。その「攻撃」によって、誰かが死ぬわけではないだろう。だから、たぶん、読者(市民)は、そのまま何の疑問ももたずに記事を読み、「無害化」ということばも受け入れるだろう--たぶん、「政府関係者」も、リークされた記者(書いた記者)も、そう思っている。
 ここに、危険性がある。
 ことばはいったん「受け入れられる」と、どんどん拡散していく。きっと、この「無害化」は「サイバー」を対象とした表現にだけ限定してつかわれるのではなく、ほかの対象、たとえばミサイルに対してもつかわれるようになるだろう。
 中国の(北朝鮮の)ミサイルを「無害化」するために、そのミサイル基地(敵基地)を攻撃する。それは「攻撃」ではなく、「無害化」である。
 少し前は、この「敵基地攻撃」を攻撃することを「反撃」と呼んでいた。攻撃されたら、日本国内で「防戦」するだけではなく、その攻撃元に反撃する。「防戦」には限界がある。で、それが「防戦」→「反撃」から、「抑止力(=先制攻撃)の誇示」を含むものへと、じわじわと変わってきている。
 でも、この「反撃」にしろ「先制攻撃」にしろ、そこには「撃」という文字が含まれていて、どうしても危険な感じがする。
 この印象を、どうやって「消す」か。どうやって「隠す」か。
 「攻撃」ではなく「無害化」では、どうだろう。「無害」なら、だれも傷つかない。だれも危険な目にあわない。そう思わせるために、ことばが選択されている。
 注意深く読めば、その前段に「武力攻撃事態に至らない平時に」という表現もある。「平時」から、自衛隊は仮想敵国のサイバーに対して「無害化」を掲げて攻撃をするのである。攻撃してきたのが自衛隊であるとわかれば、仮想敵国は自衛隊に対して、あるいはサイバー防衛システムがととのっていないあらゆる企業に対して「反撃」してくるだろう。そういう「危険性」については、記事は何も書かない。「新任務」によって日本は安全になる、と主張するだけである。

 この「無害化(権限)」は、これから先、使用頻度が高くなっていくに違いない。
 ことばというのはとても奇妙なもので、発した人と、受け止めた人では「意味」が違うことがある。そして、その「違った意味」が暴走していくことがある。
 「戦争法」のとき問題になった「集団的自衛権」という表現は、もともとは同盟国であるアメリカが攻撃されたら、それを日本への攻撃と見なし、アメリカといっしょになって自衛隊が戦う権利を指すが、多くの市民が「日本が攻撃されたら日本だけでは守れない。アメリカのほかにフィリピンや台湾、そのほかのアジアの諸国と集団で中国、北朝鮮と戦わなければならない。多くの国と協力するのはいいことだ」と受け止め、「集団的自衛権に賛成」という声が広がった。「集団で日本を守る」と受け止められ、広がった。この「誤解」を自民党(あるいは安倍)は「修正」しようとしたことはないし、私の読んだ限りでは、読売新聞にも「集団的自衛権=集団で日本を守る」という理解が間違っていると指摘する記事は書かれていない。「誤解」をいいことに、「集団的自衛権」を推進したのである。
 平成天皇の「生前退位」ということばでは、とてもおもしろいことも起きた。だれが「リーク」したのかまだ明らかになっていないが、美智子皇后(当時)が誕生日の談話で「生前退位ということばは聞いたことがなく、胸を痛めた」というような趣旨のことを言った。これは「リーク元」は宮内庁ではあり得ないことを意味する。なぜなら、天皇・皇后や皇室を含め宮内庁関係者は「生前退位」という表現をつかったことがないからだ。(歴史的にも、そういう表現は出てこない、と美智子皇后は言っていた。)つまり、これは間接的に、「リーク元」が「政府関係者」であることを意味する。この談話の直後(その当日だったか、その翌日だったか)、読売新聞はあわてて(率先して)「生前退位」ではなく「退位」という表現をつかい、それに他のマスコミも追随した。きっと「政府関係者」が「生前退位」という表現をつかうのをやめてくれ、と言ってきたのだろう。

 ことばがどうかわっていくか。
 新しいことばは何をねらって「発明」されたのか。
 ことばの変化の「危険性」に注目してニュースを読む必要がある。今後、あらゆる領域で「無力化(権限)」ということばがつかわれるようになるだろう。その実質は何を指しているか、隠されたことばを掘り起こすことが大切になる。
 

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特ダネ記事の「いやらしさ」(読売新聞を読む)

2024-07-01 10:25:39 | 読売新聞を読む

 能登地震から7月1日で半年。その前日、2024年06月30日の読売新聞に「輪島4地区 集団移転検討」という記事が載っていた。「特ダネ」である。なぜ「特ダネ」とわかるか。
 記事の前文。


 能登半島地震の被災地・石川県輪島市で、少なくとも4地区(計257世帯)が集団移転を検討していることがわかった。今回の被災地で計画が明らかになるのは初めて。いずれも高齢化と過疎が進む主に山あいの地区で、道路寸断などで一時孤立した。住民らは災害時に孤立するリスクの低い場所への移転を希望しており、市は実現に向け支援する方針だ。

 「わかった」と書いてあるが、どうして「わかった」か書いていない。書けないのである。読売新聞(記者)の「調べ」でわかったのではない。能登市の「だれか(行政関係者)」からリークされてわかったのである。(読売新聞の記者にだけリークしたから「特ダネ」なのである。)なぜ、そのひと(行政関係者)はリークしたのか。記事を読んで、住民がどう反応するか確かめたかったからである。つまり、この計画には「問題」があることを「行政関係者」は知っているのである。だから、記事を書くならば、その「問題点」をえぐる形で書かないと「行政の宣伝」になってしまう。
 集団移転に、どういう問題があるのか。
 記事を引用する。

 集団移転を検討しているのは、山あいの門前町浦上(143世帯266人)、別所谷町(41世帯77人)、打越町(11世帯22人)と海沿いの稲舟町(62世帯119人)の計4地区。

 移転対象を客観的に書いているだけだが、この「客観的」が、まず問題。
 どの「集団」も世界数と人数を比較するとわかるが、打越町以外は世帯数×2よりも住民の数が少ない。打越町にしても世帯数×2と同数である。これは、その集団には(打越町をのぞく)必ず一人暮らしのひとがいるということである。打越町にしても一人暮らしのひとがいる可能性はある。そして、大半が二人暮らしだと仮定してのことだが、その二人の年齢構成はどうなっているか。あるいは集団全体の年齢構成はどうなっているか。きっと高齢者だけである。もし若いひとが同居しているなら、人数は世帯数×2を上回るはずである。そこから考えれば、その「二人暮らし」のなかには「若い二人暮らし」は存在しないことが予想される。「若いひと」はみんな「故郷」を離れてしまっているのである。
 こんなことは少し過疎地を歩いてみればわかることである。リークされた記者が誰か知らないが、その記者は「現場」を見ていない。後半に打越町の区長の「意見」が載っているが、先に見たように打越町というのは他の3地区に比べると「一人暮らし」のひとのいる可能性がいちばん少ない地区だと予想できる。いちばん「めぐまれている」(あるいは活気がある)地区の区長の「声」では「実情」がわからないだろう。
 どういうことか。
 記事のつづき。

 26集落が分散する門前町浦上は、国道に近い浦上公民館周辺に集約する形での移転を希望。別所谷町は約4キロ北の国道沿い、打越町は約2キロ南東の県道沿いを移転先として検討している。いずれも今の住居から離れすぎず、市中心部への交通の便が良い地域だ。

 「移転」には、移転先の「住宅」が必要である。「住宅」を建てるためには土地がいる。「市中心部への交通の便が良い地域」だとすれば、たぶん、住民が現在住んでいる場所よりも「土地代」が高い。高い土地を買って、新しい住宅を建てるだけの余裕が、たぶん「老いているだろう二人暮らし」(あるいは一人暮らし)のひとに可能なのか。残してきた「住宅」の管理はどうなるのか。もし解体するとしたら、その費用はどうなるのか。誰が負担するのか。
 「老いた二人」が、あるいは「老いた一人」がどうやって、それを決断できるだろうか。離れて暮らしているかもしれない「家族」がそれを援助しなければならないとしたら、それはそれでまた新たな負担を生む。
 記事のつづきには、こう書いてある。

各地区は住民協議を経て全住民での移転か、希望者のみの移転かを判断する。門前町浦上と別所谷町は住民の半数近くが移転を希望している。

 さて、この部分の「情報源」は、どこなのか。そして、その「情報」の「裏付け取材」はしているのか。
 前半部分に出てくる「住民協議」。それを開くとして、その「主催者」は誰なのか。たとえば、その地区の「区長」か。違うだろうと思う。この計画を練った「行政関係者」である。「行政関係者」がリードする形で「住民協議」を開く。それは「協議会」というよりも「説明会」である。つまり、「計画推進」のための「了解」をとりつける。そのとき、「いまの説明でわかりましたか?」(この計画に賛成ですかではなく、説明はわかりましたか、と問いかけるのが行政の「手法」である。)「説明がわかったようでしたら、この計画を進めていきます」という形で計画が進んでいくのである。この段階では、たぶん、誰がどれだけ費用を負担するかの「説明」はなく、「移転先は道路が近くて便利」しか言わないだろう。行政主導の「説明会」である。
 後半の「住民の半数近くが移転を希望している」は、どうやって誰が調べたのか。記者が住民に聞いて回ったわけではないだろう。行政関係者の話を「うのみ」にして書いているだけだろう。
 この記事には「合意形成 丁寧に」という見出しで「解説記事」が書かれているが、住民の声も聞かずに、傍からこんなことを言われても住民は困るだろう。こんな形で、新聞で「意見」を誘導されてしまったら、高齢者は、なかなか反論できないだろう。

 さて。
 私の「実家」は、能登ではないが、その近くにある。そこでも地震の被害があった。姉(一人暮らし)の住んでいる家では、水洗トイレの浄化槽が壊れ、風呂も壊れた。修理には金がかかる。はたして修理してまで、一人でその家に住みつづけるのがいいのか。いまでも、病院通いや買い物のために、娘が遠くから通っているのだが。
 それやこれやで、家族会議(?)を開いて、ある娘のところに住むことになったのだが。
 問題は、これで片づくわけではない。誰も住まなくなった家を誰が、どう管理していくのか。鍵をかけておけばいい、というものではない。冬は雪が降る。屋根から雪下ろしをしないといけない。私の故郷にも、放置されたまま、壊れていった家が何軒もある。
 こういうことが、たとえ地震災害がなくても、これからつぎつぎに起きる。「地震災害」に限定してではなく、過疎化(少子高齢化)の問題と関係づけて、いま起きていることを書かなければ、「行政サイドの、こんなことをやっている」という宣伝に終わってしまう。
 最後に。笑い話にもならない、こんな話。
 私の故郷は「限界集落」をとおりこし、いつ消滅するかを待っている地区だが、そんな家の前に立派な道路がある。私の家よりもっと山にはいると、そこの集落の過疎化はもっと進んでいるし、だいたい、もうバスも通わないのである。車がないと生きていけないから、道路が必要といえばそうかもしれないが、車を運転できる「若いひと」がいないのに、なぜ、そんな道路が?
 実は、それは能登にある原発で事故が起きたとき、住民が避難してくるために必要な道だから整備しているのだと。
 これは、私が行政関係者から取材したことではなく、甥から聞いたことである。だから、確かな情報とは言えないのだが、私の故郷では、住民はそんな話をしているのである。そんな話をしながら、これからどんな暮らしが可能なのか、考えている。行政はなにも考えていない。
 先の集団移転にしても、結局、集団移転で土木関係者が「もうかる」というだけのことで終わるだろう。(もうかれば、土木関係者は、計画を進めた市長や市議に投票するだろう。)しかし、土木関係者がもうかれば「復興」が進んだことになるのか。それは、高齢者からなけなしの金を奪い取るだけのことではないのか。
 どうせ死んでいくのだから、金を残しておいてもしようがない。最後は、みんななかよくいっしょに生活することを考えて、集団移転しまうとでも「説得」するつもりなのだろうか。「親切」を装った「暴力」のように、私には感じられる。「親切(支援)」であるならば、高齢者からなけなしの金を奪い取らずに生活を支える方法を提案すべきだろう。そういう「視点」を記事のなかで展開すべきだろう。

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自民党のキックバック問題

2024-03-31 21:41:26 | 読売新聞を読む

 自民党の裏金、パーティー券収入のキックバック問題。いまでは、だれもキックバック問題とは言わないようなのだが。2024年03月31日の読売新聞(西部版・14版)を見ながら(読みながらではない)、私は不思議な「フラッシュバック」に襲われた。
 見出しに「安倍派元幹部 離党勧告へ」。どうやら、安倍派の大物(?)を処分することで、問題にカタかつけようとしているのだが、ふと私の頭の中に蘇ってきたのが、田中首相の逮捕である。表向きは、やっぱり金銭問題。ロッキードから金をもらっていた。それを適正に処理しなかった。それからロッキード問題はさらに拡大もしたのだが。
 でも、田中が失脚したのは、ほんとうは金が原因ではない。アメリカがベトナムへの自衛隊派遣を要請したのに対し、田中は憲法をタテに拒否した。それを怒ったアメリカが田中を追い落とし、アメリカの政策をそのまま受け入れる首相に代えようとしたのである。田中が「汚れた金」を手にしていたことは、たぶん、だれもが知っている。田中が汚れた金でさらに金もうけをしていたことも、だれもが知っている。ほかの政治家も、数億の金をなんとも思っていないだろう。だれもが少なかれ汚れた金を手にしている。
 私が奇妙に思うのは、キックバックの問題が、だんだん安倍派崩しに動いて行っていることである。「政治資金規正法改正」という問題も動いてはいるが、それよりも自民党内の勢力争いの「地殻変動」のようなものが起きており、それが田中角栄事件を思わせるのである。すでに二階は次の総選挙に出ないと表明し、二階は「自民党処分」の対象外になったようだが、そういう追い落としの動きも、田中角栄、金丸信追い落としの動きに似ている。
 で。
 思うのは、アメリカがやはり裏で動いているのではないか。安倍よりももっと言うことに従うだれかを見つけた。もちろん、岸田のことである。しかし、その岸田が思うようにアメリカ政策を実行できない。岸田を邪魔するやつを追い落とせば、きっとうまくいく。そう考えて、動いているのではないか。
 いまのままでは岸田の支持率は下がりっぱなし。なんとか岸田を首相にしておくために、安倍派をたたきこわしてしまえ。安倍派の幹部に対する国民の批判も強い。ちょうど、田中が庶民宰相ではないとわかったときに、国民が田中を指示しなくなったように、安倍派の議員が金に汚い、権力を悪用しているという評判が高まれば、それを捨ててしまっても国民のだれも文句を言わない。いまが、安倍派をぶっつぶし、岸田政権を支えるチャンスだと「仕組んで」いるのではないか。
 「私は知らない」という安倍派幹部の主張をそのまま受け入れていたはずの岸田の姿勢の劇的な変化を見ると、アメリカが「お前を支えてやるから、さっさと安倍派をつぶしてしまえ」と言われているのではないかと、私は思う。

 春闘の賃上げや、物価の上昇もみんな同じだ。アメリカの都合である。日本の給料があがらなければ、アメリカの製品が日本で売れない。アメリカの製品を買わせるためには日本人の給料を上げる必要がある。ロシアのウクライナ侵攻も同じ。ロシアのガスやほかの製品がヨーロッパ市場を占めてしまったら、アメリカの製品がヨーロッパで売れなくなる。ロシアの製品を買わせないようにするためには、ロシアを戦争犯罪人に仕立ててしまえ、ということである。そのためにウクライナのひとが犠牲になろうが、ヨーロッパで物価が上昇しヨーロッパのひとが苦しもうが関係ない。アメリカの製品が売れて、アメリカがもうかればそれでいい。
 ロシアのウクライナ侵攻以後、円安はどんどん進んでいる。円安が進めば(ドル高が進めば)、アメリカ製品は日本では売れない。アメリカ製品を売るためには、日本人の給料が上がらないことにはむりなのだ。なんでもかんでも、アメリカの都合なのである。春闘の「満額回答」も経営者側の判断というよりも、アメリカから「社員の給料を上げないなら、お前の所からは何も買わないぞ」と脅された結果かもしれない。
 私は「妄想派」の人間だから、どんな可能性でも考えてしまうのだ。
 アメリカの強欲主義は「グローバリズム」の名を借りて、世界を支配している。一部では賃金の上昇を大歓迎しているようだが、そんなものは商品の値上げ(物価上昇)で消えてしまう。物価が上昇し、喜んでいるのは、アメリカの産業だけである。金もうけをするには、コストダウンをはかる方法と、値段を上げる方法がある。アメリカの商法は、もちろん値段を上げ、利潤を増やすというとても簡単な方法である。彼らは金を持っている。金が足りなくなったら、何度でも値段を上げて金を稼げばいいだけである。
 これが、いま起きていることではないのか。

 

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池田佳隆と政治資金(読売新聞から見えてくること2)

2024-01-11 12:30:28 | 読売新聞を読む

 自民党安倍派の裏金問題で、なぜ池田佳隆が逮捕されたのか。だれが「情報を提供したのか」ということをめぐって、私は背後に統一教会の存在があるのではないか、と8日に書いたが、2024年1月11日の読売新聞は、とてもおもしろい記事を書いている。

 自民党派閥「清和政策研究会」(安倍派)の政治資金パーティーで、池田佳隆衆院議員(57)(比例東海、自民を除名)を支援するパチンコ関連などの5社が2019~21年、パーティー券を計860万円分購入していたことがわかった。パーティー1回当たりの購入額は各社ともに法定上限(150万円)内だが、5社の代表は同一人物で、合計額は各年ともに上回っていた。識者は「法規制の趣旨に反する」と批判している。

 池田の裏金(キックバックされた金)の総額は「4800万円」とされている。今回の記事は、その総額の2割弱が同一人物(5社)から提供されていると書いている。で、その5社というのが「パチンコ関連」というのだが。
 私は、この「パチンコ関連」にとても驚いた。
 私はパチンコをしないのでよくわからないが、パチンコというのはいわゆる「小銭のジャンブル」であって、それが政治家に献金しないことには「恩恵」が受けられないような企業なのか、いったい政治家に働きかけてどんな「恩恵」があるのか、という疑問である。
 そして、このパチンコ(小銭ギャンブル)と「統一教会商法」はなんとなく似ているなあ、と感じてしまったのだ。パチンコ業界が成り立っているのは、小銭ギャンブルをするひとが、とてもたくさんいるということである。統一教会商法が成り立ったのも、詐欺にあって人がとても多いということ。そして、その「被害」は一気に1億円になったのではなく、少しずつ(といってもパチンコよりは高額)が積み重なって巨額になった。一種の「中毒」といえばいいのか、「依存症」のようなものが被害を大きくしている。何よりも「被害者(依存症の人)」の数が多い。統一教会問題では、被害者の総数、被害総額が把握しきれないという問題が起きたが、パチンコ依存症で苦しむ人(家族)の数も、きっと把握しきれないだろう。「小さな被害」は「存在しないもの」とみなされてしまう。
 「実態が把握できない」。これが似ている。
 実態が把握できない、という点では、今回のキックバック問題も同じ。池田に限って言っても、やっと860万円のパーティー券がわかっただけである。
 もうひとつ。
 統一教会の詐欺が問題になったとき、集められた金の「行方」が問題になった。韓国の組織に送金されているというニュースがあったと思う。パチンコ店の「収入」をめぐっては、たしか利益の一部が韓国だか北朝鮮だかに送金されているということが問題になったことがあると記憶している。統一教会と韓国、パチンコ店と韓国というつながりはないか。つまり、どこかで統一教会と韓国(あるいは北朝鮮)とのつながりはないか、ということも、ふいに気になったのである。
 これは池田のパーティー券を買った5社の「代表者」について調査すればわかることかもしれない。
 5社の代表者の行為は「脱法的な行為」と読売新聞は岩井奉信・日大名誉教授にいわせているが、池田のように厳しく罰せられることはないだろう。言いなおすと、いわば「肉を切って骨を切る」というような感じで、統一教会側からの「情報提供」があり、今回の事件が明るみに出てきたのではないか、と私はまたまた勘繰ってしまったのである。
 だってさあ。
 いろいろなパーティー券購入先があるはずなのに、読売新聞は、なぜ5社の分だけ克明に把握できたのか。記事に「わかった」ということばはあるが、どうやってわかったのか、それが書いてない。「読売新聞社の調べでわかった(政治資金収支報告書を読売新聞が入手し、分析した結果わかった)」とも、「調査期間関係者への取材からわかった」とも書いていない。「情報源」がまったくわからない。
 最後に、申し訳のように、

読売新聞は、5社側に書面などで取材を申し込んだが、10日までに回答はなかった。

 と付け加えているが、5社は、そんな質問に答えなくたって問題ないと判断しただけだ。だって、問われているのはパーティー券を買ったこと(資金提供をしたこと)ではなく、キックバックがあったことなのだから。
 そして、意地悪い見方をすれば。
 この、読売新聞の最後の「言い訳」は、裏金問題を自民党(議員)の問題ではなく、パーティー券を買った方に向けさせるという「自民党方針(池田方針)」に沿ったものかもしれないなあ。これからきっと、パーティー券を買った方にも脱法行為があった、悪いのは自民党だけではないというニュースが増えてくるぞ。

 邪推派の人間にとって、新聞ほどおもしろい「情報源」はない。「ことば」ほどおもしろいものはない。ことばは、何かを表すとと同時に、かならず何かを隠すものである。

 

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読売新聞の書き方

2023-12-22 10:38:39 | 読売新聞を読む

 読売新聞に限ったことではないが、私は「内容」よりも書き方に対して頭に来ることがある。最近話題になっている自民党の裏金づくり。「派閥」に限定して報道されているが、それは派閥の問題ではなく、自民党の問題だろう。つまり、岸田に責任があるのだ。
 それを書いているときりがないので、きょう取り上げるのは、次の文章。(2023年読売新聞12月22日朝刊、14版、西部版)「派閥幹部の立件に壁、指示・了承の証拠が焦点に…裏金疑惑任意聴取へ」という見出しで、こう書いてある。

 自民党派閥のパーティーを巡る政治資金規正法違反事件は、東京地検特捜部が「清和政策研究会」(安倍派)幹部らに対する任意の事情聴取に乗り出すことで、「派閥主導」とされる裏金疑惑の本格的な解明に移る。焦点は、直近5年間で5億円規模に上る不記載に国会議員の関与があったかどうかだが、立件のハードルは高い。(社会部 坂本早希、岡部哲也)
 「派閥を舞台にした『裏金作り』システムの詳細を見極めるには、幹部からの聴取は不可欠だ」。ある検察幹部は、近く始まる派閥中枢への聴取の意味をそう語った。
 政治資金収支報告書の作成・提出義務がある同派の会計責任者は、所属議員側へのキックバック(還流)分の不記載を認めている。今後の捜査では、同法違反(不記載、虚偽記入)容疑での立件対象が同派幹部に及ぶかどうかが最大の焦点だ。幹部の立件は会計責任者との「共謀」が成立する場合に事実上限られ、幹部による明確な指示、報告・了承のプロセスを立証する必要がある。

 国会議員の立件は難しい。「共謀」、つまり、国会議員の明確な指示、報告・了承のプロセスを立証しなければならないからだ。
 これはこれから起きることの「予測」を、「客観的」に書いているのだが、それはあくまで読売新聞が主張する「客観的」である。検察の立場でもなく、国会議員の立場でもなく、たんたんと書いている。しかし、そこには「国民の視線」がない。国民の視線がないことを「客観的」ということばでごまかしている。
 いいなおそう。
 読売新聞は今回の事件(まだ事件ではない、と読売新聞は言うだろう。立件されていないのだから)を、どうとらえているのか、この書き方ではわからない。「客観的」では、わからない。自民党に対して怒っているか、裏金づくりを受け入れているのか、それがわからない。
 もし怒っているのなら、「事件」の真相解明を検察だけに任せるのではなく、記者の手で資料をかき集め、分析し、さらに当事者に取材し問題点を暴き出す必要があるだろう。そういう「熱意」が先に引用した文章からは伝わってこない。
 逆に、こういうことが伝わってくる。
 今回の事件は立件が難しい。つまり、国会議員は逮捕されない。逮捕されたとしても、そ起訴されない。起訴されたとしても有罪にはならない。そう「予測」し、そういう情報で「国民の怒り」を鎮めようとしているのだ。逮捕されなくても、怒らないで、国民にこっそり呼びかけているのだ。これが法律というものなんですよ、社会というものなんですよ、わかってね、とアドバルーンを上げているのだ。
 もし、この記事に対して読者から批判が殺到したとしたら、そのときは少しトーンを変える。そういうことも想定しながら、読者(国民)の反応をみている。もし、ああ、そういうものなのかと読者(国民)が納得したら、国民も立件見送りを受け入れているという形で世論を誘導していくだろう。そういう誘導のための「準備」なのである。
 今回の記事は「特ダネ」でもなんでもないが、多くの政府関係の「特ダネ」はそういうものである。政府の方針を新聞で知らせる。そのあとで政府が発表する。そうすると、最初に聞いたときの衝撃(反応)は、いくぶん鈍くなる。
 二度目だからね。
 この「二度目」あるいは「三度目」という印象づくりのために、読売新聞は、わかったような記事を書いている。
 真実に迫る、という気迫がない。新聞は第三の権力と呼ばれた時代があったが、いまは政権の下請けをやっている。そういうことが、はっきりとわかる書き方である。だから、読売新聞はおもしろい。これから起きることが、ほんとうによくわかる。

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「ノルマ」ということば(その2)

2023-12-16 21:05:12 | 読売新聞を読む

 ノルマについて書いた途端、読売新聞のオンラインに、「自民の元派閥幹部「パーティー券100枚、200万円分がノルマ」…届かなければ自腹も」という記事が書かれた。
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20231214-OYT1T50255/ 

 そこには、こう書いてある。

 自民党のある派閥幹部経験者が読売新聞の取材に応じ、派閥のパーティー券販売の実態などについて証言した。
 この元派閥幹部の場合、パーティー券100枚(1枚2万円)200万円分がノルマだった。企業などに購入を依頼するが、ノルマに届かない分は自らが負担することもあったという。「ノルマをこなすのは大変だ。多くの議員はそこまで余裕をもって売れていなかったはずだ」と話す。

 どんな世界でも「ノルマ」が課せられれば、それが達成できないときは「罰則」がある。自腹を切る(自分で負担する)は、ことばこそ違うが実態は「罰則」。
 読売新聞の所在に応じた「自民党のある派閥幹部経験者」は明言していないが、「自腹を切る」ひとがいるかぎり、その逆も絶対に想定されている。毎回自腹を切っていたら、やっていけない。どうしたってノルマ達成者には見返り(報酬=キックバック)があるはず。それがあるから、ときには自腹を切ることもできる。
 だから、これはトップが一方的に指示しているのではなく、全員が「合意」にもとづいておこなっていること、と見るべきなのである。

 検察が何人かの議員を聴取したとも聴くが、多額のキックバックを受け取った議員だけではなく、全議員、その秘書らをふくめて調べるべきである。議員は、秘書に「キックバックがあるから、パーティ券を売りまくれ」とハッパをかけているはずなのである。
 「ノルマ」ということばを聞いた瞬間に、そういう情景が思い浮かばないとしたら、それはジャーナリストが、あまりにのうのうと仕事をしている証拠だろう。
 さらに言えば、政府関係者からの「リーク」をたよりに特ダネという名の「宣伝記事」を書いているから、そういう「仕組み」を知っていても、いままで黙っていたということだろう。

 これはね、だから、ジャニーズの性被害や、宝塚歌劇団の「いじめ」と同質の問題なのである。ジャーナリストならだれもが知っている、でも書くと取材できなくなる恐れがある。だから、書かない。そういう「構造」が日本のジャーナリズムに根づいてしまっているのだ。

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「ノルマ」ということば

2023-12-16 09:44:06 | 読売新聞を読む

 安倍派の「裏金問題」が話題になっている。誰が主導したか、があれこれいわれているが、私が不思議に思ってしようがないのが、これがどうしていままで表沙汰にならなかったかということである。
 2023年12月16日の読売新聞(西部版・14版)に、こういう表現がある。

関係者によると、安倍派ではパーティー券販売のノルマ超過分を議員側に還流し、派閥側、議員側双方の収支報告書に収支を記載せず裏金化していた疑いがある。還流分は2018~22年の5年間で計5億円に上るとみられている。

 「ノルマ」ということばがある。このことばは、このニュースが報じられた最初のころからつかわれていた。
 ノルマということばは、何を意味するか。「義務」である。ノルマが設定されるとき、同時にノルマが達成されないときには罰則がある。それは裏を返せば、達成すればなんらかの報酬があるということでもある。
 つまり、ノルマということばが発せられたときから、罰金・報酬はセットになっていた。パーティー券を売り出したときから、「キックバック」は販売している人間にとっては「期待値」であったはずだ。
 言い直せば。
 それは誰が主導したのでもなく、自民党の「体質」そのものなのだ。
 有権者(もちろん大企業も、そこに働いているひとがいる以上、抽象的な有権者と言えるだろう)から金を吸い上げ(安倍は、確か、税金のことを「国民から吸い上げた金」と表現していた)、たくさん集まったらテキトウに自分たちの都合のいいようにつかおうと考えている。
 消費税がその「好例」である。福祉目的といいながら福祉につかわれるのは本の一部。大半は、企業の法人税減税の穴埋めにつかわれている。なぜ法人税の穴埋めにつかうかといえば、企業を優遇すれば企業から献金がある(政治資金パーティー券を買ってもらえる)。その献金が多ければ、使い道を隠して(裏金としてプールし)、都合のいいようにつかうことができる。
 「ノルマ」ということばをつかっていいかどうかわからないが。
 この消費税→福祉予算というものにこそ「ノルマ」が設定されるべきなのだ。福祉予算は総額いくら(ノルマ)である。その全額を消費税でまかない、そこにもし「余剰」が生じたなら、それを積み立てておいて次の予算に福祉予算にまわす、あるいは他の予算にまわすことを検討するというのが、「消費税→福祉予算」という構図のなかで考えられる「ノルマ」だろう。
 でも、実際は、逆に操作されている。法人税を減税する。福祉をふくめて支出予算が減る。穴埋めが必要だ。その穴埋めに消費税収入をつかう。この仕組みなら、企業からの献金は減らない。逆に、増えるかもしれない。実際、パーティー券の収入が「ノルマ」を超えているのは、企業が「進んで」パーティー券の購入をしているからだろう。議員の秘書たちが「進んで」パーティー券を販売しているのは、「ノルマ」を超えたら、それがキックバックされると知っているからだろう。
 資金集めパーティーというものが設定された段階で、そういう「話」はできあがっていたはずである。
 だれが「ノルマ」を決めるか、「ノルマ」はどうやって資金集めをするひとに伝えられるか。金の流れではなく、「ノルマ情報」の流れを追及すれば、今回の問題の「本質」がわかるはずである。5億円という金額ばかりが問題にされているが、それを問題にするのは、「情報の流れ/情報の共有方法」を隠すための「方便」のようにも、私には思えてしまう。

 「ノルマ」ということばを、いつ、どんなふうにつかうか。自分の経験と引き合わせながら考えれば、報道の「裏」に隠されたものが見えてくるはずだ。この「裏」ということばを、ジャーナリズム「書いていない事実」という意味でつかう。ある情報があるとき、「裏を取れ」というのは、補強材料としての事実を集めろという意味だが、それは何かのときに「表」に出てくるだけで、表に出さなくてもすむときは「裏」におかれたままである。

 

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藤井貞和「書評 詩のことばの隠喩的世界切開力」

2023-11-03 16:27:38 | 読売新聞を読む

藤井貞和「書評 詩のことばの隠喩的世界切開力」(「イリプスⅢ」5、2023年10月10日発行)

 藤井貞和「書評 詩のことばの隠喩的世界切開力」は、野沢啓の『言語隠喩論』への書評。とても気になる文章があったので、そのことについて書く。

 日/欧で言語学の用語が分かれていては、不都合だということもあって、野沢にしろ、私(藤井)にしろ、欧米の言語学を絶えず鏡のように映し出す参照項目にして、日本語のそれを考察しようとしてきた、という経緯はある。(略)
 日本語から立ち上げることに、かりに成功したとして、そこを理解しようとすると、またもや西洋言語学に拠るほかなくなる。つまり理解過程を含めて、言語学そのものを最初からやり直す覚悟をしなければ。
 だから、一旦は日本語から離れることが必要なのだろう。しかも欧米的な言語哲学に舞い戻るのでない、そこを切り開くことを目標とするのである。詩的言語の可能性は人類史とともにそこに胚胎するのだろう。

 藤井は、野沢の論を「言語学」、あるいは「言語哲学」と把握して論を進めているのだが、ふーん、そうなのか、としか私にはことばが出てこない。しかも、その「言語学」(言語哲学)が欧米を意識しているというのだから、欧米の言語そのものをほとんど知らない(当然のことだけれど、そのことばをもとにした「言語哲学」は完全に知らない)私には、まあ、理解を超えた次元のことが書かれているのだなと思うだけである。

 藤井はさらに、野沢の「フィールドワーク」についても書いているのだが、これも、私にはなんのことかさっぱりわからない。

 野沢の論のいちばんの問題点を、私は次のように考えている。
 野沢は、詩(隠喩的言語)に出合ったとき、野沢自身のことばの肉体がどう変化し(解体し)、どう動いたかを書かないことである。野沢は、詩(隠喩的言語)に出合ったとき、彼自身のことばが解体し、自己統制力を失なったと書くかわりに、(藤井のことばを借用して言えば)、外国の誰それの翻訳されたことば、あるいは日本の誰それでもいいのだが、だれかのことばをつかって「説明」することである。
 その説明(解説?)のなかには、詩(隠喩的言語)が生まれる瞬間の興奮がない。私(野沢)は、誰それのことば(翻訳されたことば)を読み、それを知っていると言っているだけである。私には、そうとしか思えない。なぜなら、その誰それのことばは、野沢が取り上げている日本語の詩(隠喩的言語)を読んで考えたことばではないからだ。野沢が問題にしている詩(隠喩的言語)を誰それが読み、その結果として、誰それ自身の築き上げてきた言語体系が解体し、再構築しなければならなかった、そして、その結果として生まれた「言及」ではないからだ。
 こういう、なんというか、「知識のひけらかし」に対しては、誰それがしているように、野沢の博識をほめたたえ、感動しましたと書くのが、いちばん合理的な対処方法なのだと思う。しかし、私は、どんなときでも「合理的対処方法」というものを信じていない(それが大嫌い)ので、そんなことはしない。
 野沢はさすがに本屋さん(出版屋さん)だけあって、陳列して売ることが上手である。私は貧乏な買い手ににすぎないから、どれだけ豪華な陳列を見ても変えもしないものには関心が湧かない。ほしいものだけを選んで買う。他の人も同じかもしれない。多くの人が「陳列がすばらしい」と称賛したらしいが、その称賛した人のいったい誰が(何人が)、野沢の陳列していたものを利用し、その人自身の思考を展開し、その人自身は(そのひとのことば/哲学)は、どうかわったのか。そういうことを、私はまだ見聞きしていない。「商品」は買った人が、こんなに便利だった、こんなに役立ったと他の人に勧めるなり、その人自身の「暮らし」を変えるのに役立たない限り、「売れた」だけにすぎない。まあ、「売れれば」それで企業はもうかるから、あとは知らない、でもいいのかもしれないけれどね。

 ところで。
 私が「その隠喩(だけではなく、あらゆる比喩)が、現実には何を指し示しているか」と問うとき、たとえば「世界一美しい薔薇」が「ナスターシャ・キンスキー」を指し示しているというようなことではない。形式的な「内容」ではない。
 「世界一美しい薔薇」くらいの比喩では、そんなものに触れたところで野沢のことばの肉体はどんな衝撃も受けないだろうけれど、野沢が「隠喩(詩)」と呼んでいるものに出合ったら、彼のことばの肉体は大きく揺らぐだろうと思う。
 少なくとも、私の場合、詩に出合ったとき、私のことばの肉体は揺らぎ、私の肉体のことばも揺らぐ。そこから立ち直るのは、とても難しい。そこから、私は私のことばの肉体をどう見直したか、それを「感想」という形でいつも書いている。
 私が読みたいのは、そういう野沢の隠喩(詩)に出合ったときの、彼自身のことばの肉体の変化である。欧米(?)の、誰それの、野沢が問題にしている詩とは無関係の翻訳言語なんかを読みたいとは思わない。
 野沢のことばの肉体は、どんなふうに動き、そのことばの肉体の奥から、それまで意識していなかったどんなことばの肉体が動いたのか。衝撃を受け、崩れたとしても、それは「無」にならない。消えてしまわない。「肉体」だからね。最後の最後に、無になりきれずに残った「肉体」、その「ことば」はいままで何をしていたのか、何をしていたと気づいたのか、野沢自身のことばで語ってほしい。
 野沢はいつでも「知識」の範囲内で書いている。さらに言えば、知識の範囲がいかに広いかを誇示するために書いている。この方法は「隠喩」からもっとも遠い表現形式ではないだろうか。

 比喩(隠喩かどうかは問題にしない)は、直接、そのままの形でやってくる。
 比喩が指し示す(あるいは暗示する?)その対象(内容/意味)は他のことばで言いあらわせるなら、その比喩は必要ないだろう。他のことばでいいあらわせないからこそ、比喩になる。こんなことは日本も欧米も、さらには「グローバルサウス」のことばも同じだろう。(グローバルサウスにも「言語哲学」や「言語論」はあるだろう。)
 そして、比喩は、それが善か悪か(とりえあず、そう呼んでおく)を問わず、それまでの「知識」を解体し、不思議な「陶酔」を暗示し、そこに読者を導きいれる。
 これは、詩だけにかぎらない。
 哲学であれ、美術であれ、音楽であれ、あるいはスポーツにもそういうものがあるだろう。
 詩を特権化してもはじまらないし、「隠喩」は詩というジャンルにだけ存在するのではない。「ことばの肉体」と「肉体のことば」が、いのちの運動に触れるとき(運動は、つねに肉体を伴う)、「意味」を破壊して動くものである。
 それを明示しようとするなら、誰それの(西洋の?)「用語」を使うのではなく、野沢自身の、あるいは藤井自身の「ことばの肉体」をつかうべきだろう。

 

 

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神原芳之「熱帯夜」

2023-10-09 21:43:08 | 読売新聞を読む

神原芳之「熱帯夜」(「午前」2023年10月25日発行)

 神原芳之「熱帯夜」、荒川洋治「枇杷の実の上へ」、工藤正廣「賛歌」と読み進んで、あれ、三人は申し合わせでもしたのだろうか、と思ってしまった。書いていることは違うのだが、私には、同じことをことを書いているように思えた。簡単に要約すれば、とりかえしのつかないことをしてしまった、という気持ちが、ことばの奥に動いている。とりかえしがつかないことは忘れてしまえばいいのだが、忘れられない。そのときの、忘れられないという気持ちのどうしようもなさ。
 荒川洋治の作品が、いつものながらに手が込んでいて(ことばが、論理=意味になる前に肉体の方へ引き返してきて)刺戟的なのだが、神原芳之「熱帯夜」について書くことにする。

眠りに入ったと思ったら
眠りから放り出されてしまった
夢の門が開きかけたが 姿が見えたのは
会いたくない人たちばかり

はっと身構えた途端に
夢の門は閉じ その人たちの姿も消えた
浜辺に打ち上げられた魚は
なかなか眠りの海に戻れない

 一行目の「思ったら」は、二連目の一行目で「途端に」と言い換えられている。「途端」はそのあとも出てきて、最後には「瞬間に」ということばに言い換えられている。熱帯夜の「長い夜」は「瞬間」でもある、という、まあ、どうしようもなさ。
 荒川は、それを「一つ」、あるいは、そこから派生する「一同」と交錯させるのだが、これが、とてもおもしろい。

生涯の思い出は
数えてみればきりがないと思ったのに
ぼくにはたった一つだ
見たくなかったかげろうの
黄色い羽をはねあげる

 ああ、ここにも「思った」があるね。「思う」とは、ことばにすること。
 工藤は、こんな具合。

愛しい丘の上の
たった一人ぼっちのパヴロヴニア
高貴なあなたが不死の限り
わたしもまた不死を生きるだろう

 工藤は「思った」と書いてはいないが、生きるだろうと「思った」がことばの奥に潜んでいる。
 で。
 脱線しながら、神原の詩に戻るのだが、「会いたくない人たち」というのは、死んだ人だろうなあ、とも、私は勝手に思うのである。誤読するのである。
 そうすると、神原、荒川、工藤のことばは、死でもつながっているなあ、と感じる。
 神原は、死ということばをつかっていないが。

浜辺に打ち上げられた魚は
なかなか眠りの海に戻れない

 「浜辺に打ち上げられた魚は」は、きのう読んだ石毛の作品に出てきた「馬鹿貝」に似ている。
 この詩では、まあ、神原自身が、一種の「臨死体験」をしているのだが、「魚」と眠りの「海」の呼応が平凡だけれど、この平凡がいいなあと思う。
 荒川の作品では「枇杷のある家は病人が絶えない」という俗信と強い関係があるのだけれど、その平凡さが、やはり、とても効果的だ。作為的ではない。奇をてらっていないところが、読者を(私を)安心させる。
 この奇をてらっていない感じは、神原の作品にも言える。
 詩のつづき。

そのまま虚空を 薄墨色の空間を見つめた
岩戸のような頑丈な夢の門のことを思う
そこには意地の悪い小人の番人がいて
その夜にみる私の夢を決めるらしい

救急車のサイレンが遠くから聞こえてくる
その音はどんどん大きくなり
目標はうちではないかと胸騒ぎした途端
サイレンの音は止んだ

 短編小説の「予定調和」の展開みたいだけれど、私は、けっこう「予定調和」が好きである。
 でもね。
 最終連は、かなり、嫌い。
 そして、私は、実は、この「嫌い」を書きたくて神原の作品についての感想を書いている。
 一連省略するので、ちょっとわかりにくいかもしれないが、問題の最終連。

気がつくと刺客が私に迫ってくる
逃げる足は何故か鉛のようで
たちまち追いつかれ
背中をぐさりと刺された
その瞬間に目が覚めて
刺された痕がひりひり痛んだ

 最初に取り上げた「思った(ら)」は、「気がつく(と)」と変化している。「思う」と「気がつく」は似ているかもしれない。「思った途端」「気づいた途端」「思った瞬間」「気づいた瞬間」。どのことばも、とても似ている。
 でも。
 私は、「思った」と「気がつく(気づく)」には大きな違いがあるように感じる。「気がつく」には何か反省的なところがある。言い換えると「意識の操作」がある。それは、ことばを「肉体」ではなく、「理性」に従属させてしまう。
 神原の作品は、「肉体」が刺され、「痕がひりひり痛んだ」と書かれているのだが、私にはどうも、その「肉体」(痛み)が感じられない。「主観」ではなく「客観」になってしまっている感じがする。
 荒川の詩の中に、

こうなってしまうと 取り分けにくい

 という、なんというか「理性」を拒んで、「肉体」そのものに判断を迫ってくることばがあるのに対して、神原は、「理性」で「思い」と「肉体」を「区分け」してしまっていると感じるのだ。
 ことばが「整理」されてしまうと、「意味」はわかるが、味気ない。

 


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嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
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(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
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(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
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(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
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G7でのアメリカの狙いはなんだったか

2023-05-22 22:20:37 | 読売新聞を読む

 2023年05月22日の読売新聞(西部版・14版)の広島サミットに関する記事で、私が注目したのは「中国問題」である。ゼレンスキーもやってきて、ウクライナに焦点が当たっているのはたしかだが、それは表面的なこと。実際は、中国がいちばんの課題なのだ。ウクライナ(ロシア侵攻)に関しては、すでにロシアが悪い、ウクライナを支援していくということでG7は結束している。
 読売新聞の「首脳声明の要旨」をみると、おもしろいことに気づく。(読売新聞の「要旨」なので、他紙は違うかもしれない。つまり、ここには読売新聞の意向=岸田、バイデンの意向が反映しているかもしれない。いや、反映していると思って、私は読んだ。)
 要旨は「前文」「ウクライナ」「軍縮・不拡散」「インド太平洋」「世界経済」とつづいていく。広島で開かれたのに「核不拡散問題」よりも「ウクライナ」を先に言及しているのはゼレンスキーを利用してG7をアピールするためだろうし、「世界経済」よりも「インド・太平洋」を先に言及するのは、中国含みと、インドを招待しているからだろう。(書き方の順序に、すでにさまざまな配慮が働いていることに気をつけないといけない。)
 で、「インド太平洋」といったん書いているのに、最後にまた「地域情勢」という項目があり、そこに中国のことが長々と書いている。他の項目が20行くらいなのに、「地域情勢」は60行もある。個別に、「軍縮に関する広島ビジョン」「ウクライナに関する声明」というのもあるから、これだけでは何とも言えないのだが、中国を含む「地域情勢」に非常に力点を置いていることがわかる。
 これは「国際面」の報道の仕方をみると、もっとよくわかる。見出しは、

米、対中協調に手応え/バイデン氏 議論リード

 アメリカは、中国に狙いを移している。(すでにロシアたたきは成果を上げている。ウクライナがどれだけ苦しむかは気にかけていない。)
 記事にこう書いてある。(読売新聞は、ほんとうに「正直」である。)
↓↓↓
 バイデン氏はアジアで唯一のG7メンバーである日本でのサミットで、インド太平洋地域への欧州の関心を高めようと努力した。フランスのマクロン大統領が4月に「台湾問題に加勢して欧州に利益はない」などと発言し、温度差が露呈していたためだ。
 バイデン氏が議論をリードし、中国を念頭に置いた経済安全保障分野での協力拡大に努力した。重要鉱物のサプライチェーン(供給網)の構築や対立国への貿易に制限をかける「経済的威圧」に対抗するための協力などが首脳声明に盛り込まれた。
↑↑↑
 バイデンは、デフォルト問題をアメリカ国内で抱え、G7はリモート出席になるかもと報道されたが、やってきた。なんとしても中国問題でリードしたかったのだ。
 ウクライナと違って、「台湾」はヨーロッパにとっては、世界の果。陸続きではない。マクロンが言うように、そんなところに「欧州の利益はない」。
 言い直そう。
 マクロンは「フランスにとって需要なのは中国であって、台湾ではない」と言っている。なぜかといえば、中国の方が人口が多く、経済力も大きいからである。台湾が中国になってしまおうが、台湾のままであろうが、そんなことは気にしない。共産党政権であろうが、そうでなかろうが、経済関係が変わるわけではない。物が売れる、物が買えるという関係はかわらない。
 ところが、アメリカは違う。アメリカは台湾をアメリカの支配下において、中国を抑圧し続けたいのだ。台湾に米軍基地をつくり、いつでも中国大陸を攻撃でするぞ、破壊できるぞという圧力をかけたいのだ。「地勢学的」にアメリカは台湾を手放したくない。それだけなのだ。そして、台湾から圧力をかけ続ける限り、中国は軍事費にも金を注ぎこまなければならない。経済発展が阻害されかもしれない。それも、狙いだ。
 考えてみなければならないのは、台湾とは、どういうところなのか。ウクライナとどう違うのか、ということである。
 ウクライナには、陸つづきであるためにロシア系のひともいた。台湾はどうか、もともと中国人が住んでいた。そして、大陸に共産党政権ができると、金持ちが台湾に逃げてきた。台湾は、いわば中国大陸の縮図のようになっているのではないのか。中国大陸各地にいた金持ちが住んでいる。それは「侵略」ではなく、逃亡だった。多くのひとは、中国大陸を逃れてきた。そのひとたちのなかには、「故郷」へかえりたいと思っている人もいるかもしれない。彼らが、「金儲け」だけのために、台湾の独立を望むだろうか。彼らが「共産主義」と戦わなければならない理由はどこにあるか。
 「自由を守るために?」
 違うだろうなあ。
 香港を見ればわかる。中国に返還されて、政治体制が変わり、自由がなくなった。しかし、それで住民が「戦争」を起こしたか。そんなことでは、戦争は起きないのだ。戦争は、住民が起こすのではなく、政治家が起こすものだからだ。
 アメリカが守ろうとしているのは、台湾のひとたちの「自由」ではない。(香港のひとたちの「自由」を守るために、アメリカは何か軍事的な行動をしただろうか。)アメリカが守ろうとしているのは、アメリカの「経済」だけである。アメリカが金儲けをつづけるためには、台湾が必要なのだ。台湾から、いつでも中国を攻撃できるぞ、とおどし続けることが必要なのだ。
 ヨーロッパでは「国境」をなくしてしまうという動きがすでにおこなわれている。パスポートコントロールなしで自由に他の国にいける。フランス・スペインの国境のバスク民族のすむ地域では、「国境を越えた行政地域」の試みも起きている。そういう「政策」を生きているヨーロッパが、同じ民族の中国・台湾の「分離」を支持するというのは、ヨーロッパの理念にも反する。
 こういうことは、たとえば中南米でも、重要な問題のひとつである。「国境」は政治的なものであって、国境を越えて先住の人々が生活しており、そこには同じことば、同じ文化がある。
 「国家」は作為的なものなのだ。
 「作為」に注目し、そこから、いったい誰が「台湾」を必要としているか。なぜ「台湾」が中国から独立していないいけないのか、を考えないといけない。
 もし台湾の中に、ぜったいに台湾は独立しなければならないと考える人がいるとしたら、それは自分の金をほかの人には指一本も触れさせたくないという人だろう。彼らにとっての「自由」とは金を自分の好きなようにつかう、ということである。
 台湾に住んでいるのは、最初からそこに住んでいた人だけではない。中国大陸から移住してきた人がたくさんいる「中国隊陸の縮図」が台湾なのだという認識から、「台湾有事」を見つめなおさないといけない。
 ほかの国が、台湾に「作為」を持ち込んではけない。

 別の視点も、付け加えておく。
 日本はほんとうに「島国」を生きている。海の向こうには「違う人間」が住んでいるとかってに思っているひとが多い、と私は感じる。同じ感覚で、台湾は島だから、中国とは別のひとたちが住んでいると考えていはしないか。
 少し脱線するが、最近ちょっとおもしろい会話を、ある外国人としたことがある。違う民毒と結婚した場合、生まれてきた子どもは「混血」とか「ハーフ」かは呼ばれることがある。いまは、こういうことばはつかわないのだが、便宜上、つかっておく。日本人の場合、たとえばイタリア人と結婚すれば、日本人とイタリア人の「混血」「ハーフ」。日本人と中国人、あるいは日本人と韓国人の場合は? 露骨に「混血」「ハーフ」という呼び方はしないが、「差別」は根強く残っていないか。で、問題は。では、イタリア人がフランス人と結婚したら、それは「混血」「ハーフ」? イタリア人、フランス人は、それをどう呼ぶ? 日本人は、それをどう呼ぶ?
 そこからひるがえって。
 中国隊陸の人と台湾に住む人が結婚し、子供が産まれた場合、それは「混血」「ハーフ」? ばかげた疑問(質問)と思うかもしれない。それをばかげた疑問と思うなら、台湾の「独立(自由)」を各国が協力して守らなければならないというのも、ばかげた「理想」に見えないか。
 なぜ、そんなものが「理想」なのか。
 ベルリンの壁がなくなったとき、西ドイツと東ドイツはあっというまに融合した。一方で、むりやり統合されていた民族が分離し、いくつもの新しい国が生まれた。こういう問題に、当事者ではないよその国の人が口を挟んで、いったいどうなるのか。

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岸田のことば

2023-05-21 10:09:47 | 読売新聞を読む

 2023年05月21日の読売新聞(西部版・14版)が広島サミットでの、各国首脳が広島平和記念資料館を訪問したときの「芳名録」について書いている。
 これが、非常につまらない。
↓↓↓
 G7首脳は、初日の19日に同資料館を訪れた。同省の発表によると、岸田首相は「歴史に残るG7サミットの機会に議長として、各国首脳と共に『核兵器のない世界』をめざすためにここに集う」と記した。
↑↑↑
 鉤括弧の中は「要約」かと思ったが、そうではない。それ以外に芳名録に書いてあるのは、「日本国内閣総理大臣岸田文雄」だけである。全文を読売新聞は紹介し、写真まで掲載している。
 何がつまらないか。
 「広島」が出てこない。「ここに集う」では、「ここ」がどこかわからない。もちろん広島平和記念資料館の芳名録なので「ここ」が広島であることはわかるが、もし、その芳名録がどこか別の場所で展示・公開されたときには、「ここ」がどこであるかわからない。「議長として」ということばがあるから、(開催国が議長をつとめるから)、日本だとはわかるが、それ以外はわからない。いや、ここからわかるのは「議長として」岸田が平和記念館へやってきたという「自慢話」だけとさえ言える。
 岸田は、外相時代から「自分のことば」で語ることができない。唯一、自分のことばで語ったと思われるのは、日露首脳会談が山口で開かれる前の、ラブロフとの会談だろうか。詳細は報道されていないが、会談のあと、ラブロフが怒って「経済支援(援助?)は日本が持ちかけてきたもの」と暴露し、安倍プーチン会談では北方領土問題は四島返還どころか、二島返還さえ、完全に拒否されている。きっと「日本が金を出すんだから、二島くらい見返りに返せ」と言ったんだろう。当時の読売新聞の記事は、そういう「ニュアンス」を伝えている。
 脱線したが。
 バイデンでさえ平和祈念資料館に触れている。
↓↓↓
資料館で語られる物語が、平和な未来を築くことへの私たち全員の義務を思いださせてくれますように。
↑↑↑
 写真の文字はよく見えないが、英文は「May the stories of the Museum 」とはじまっている。ただし、「広島(hiroshima )」は書かれていない。
 私は、英語話者ではないので「stories 」に、まず違和感を覚える。「story 」はある視点から構成された世界である。広島は「story 」ではなく、「事実(fact)」であり「証拠(evidence)」である。アメリカは、「広島」が「事実」「証拠」であることを認めたくはないのだろう。そういう「配慮」が滲む。「広島」と書くと、きっと、アメリカ国内で反発が起きる。
 一方、ほかの国の首相(大統領)はどうか。スナク、マクロン、トルドーの「要約」には「広島」が見える。スナク、トルドーは「長崎」にも触れている。
↓↓↓
広島と長崎の人々の恐怖と苦しみ(スナク)
広島で犠牲になった方々を追悼する(マクロン)
広島と長崎の人々の計り知れない苦悩に(トルドー)
↑↑↑
 核保有国であるスナク、マクロンの政策が、これからどう変わるか。核兵器廃絶にむけて、どう動くか、どう働きかけることになるのか、そのことに私は期待する。
 私は「ことばを信じる」。
 だからこそ、岸田、バイデンの「広島」という表現を避けたことばに、非常に危険なものを感じる。岸田もバイデンも、ロシアや北朝鮮(さらに中国)が核兵器をつかうことに対しては(あるいは、それを「脅し」につかうことに対しては)批判するが、イスラエルについてはどうなのか。(もちろん、「つかえ」とは言わないだろうが。)

 ことばは、いろいろなものをあらわしている。それは「語られなかったこと」、つまり「隠していること」をもあらわしている。
 ことばをつかうことで、何を隠そうとしているか、そのことを見つめないといけない。「法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序」とか「現状変更に反対」も同じである。
 三面の「スキャナー」というページには、こんなおもしろい「分析」が載っている。
 今回のG7にはグローバル・サウスと呼ばれる国々が招待されているが、その目的は、そうした国々を、中国、ロシアから争奪する(?)ことに目的があると、きちんと書いている。見出しに「新興国 中露と争奪」と書いてある。G7が新興国を中国、ロシアから奪い返すことが目的であると「要約」している。
 その記事だが……。
↓↓↓
 ロシアによるウクライナ侵略を巡っては、G7は対露制裁が必要だとの認識を共有しているが、限界がある。G7はかつて世界の国内総生産(GDP)の6割以上を占めたが、2021年には約4割に低下した。実効性を高めるにはグローバル・サウスの協力も得ることが欠かせない。
↑↑↑ 
 私が注目したのは「G7はかつて世界の国内総生産(GDP)の6割以上を占めたが、2021年には約4割に低下した。」である。ここには具体的に書いていないが、問題はアメリカの占める割合だろう。アメリカは、なんとして1位の立場を維持したい。アメリカの資本主義が世界を支配することを望んでいる。経済の国際秩序の変更に反対している。(G7は経済対策を協議することが出発点だった。最初はカナダは含まれずG7だった。いまでも、経済問題がいちばんの課題だろう。いまは、ロシアのウクライナ侵攻が主要議題になっているが、これも「経済」から見つめないといけない。G7では「軍事協議」はテーマではない。)
 つまり。
 世界が平和で豊かであるだけでは、アメリカは「満足」できないのである。
 たとえば中国のGDPが世界一になり、さらには3割とか4割を占めてしまう。経済の中心が中国になってしまう、ということが我慢できないのだ。
 ただそれだけなのだ。
 ヨーロッパとロシアは、天然ガスの売買で深い結びつきを持っていた。新しいパイプラインの建設で、その絆はさらに強まろうとしていた。それはアメリカとヨーロッパの経済関係の占める割合を小さくしてしまう。それが我慢できずに、いくつかの「仕掛け」をしたのだと私は考えている。
 最近は、ヨーロッパのなかに中国との関係を深める国も増えている。この関係も、アメリカは断ち切りたい。そのための「仕掛け」が「台湾有事」という形で進められている。すべては「アメリカ経済(強欲主義)」に原因がある。
 かつて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われて浮かれた時代があったが、どこの国が、どこの国の製品がいちばん売れていようが、そんなことはどうでもいいだろう。

 どうしても脱線してしまう。
 「共同声明」が隠していること、岸田、バイデンが「追悼」の記帳のときでさえ「広島」と言わなかったこと、このことからサミットの狙いが何かを見つめなおすことが必要だ。
 アメリカの核の力で世界を支配する。それがアメリカの考える「世界」、アメリカ以外が核兵器を持たないことで確立される「平和」。それを実現するために、壮大な「芝居」が展開されている。アメリカは核兵器で世界を支配し、その軍事力を背景に経済活動を支配しようとしている。

 

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マイナーバーカードで管理(読売新聞を読む=2023年05月08日)

2023-05-08 21:53:06 | 読売新聞を読む

 2023年05月08日の読売新聞夕刊(西部版・4版)に不気味なニュースが載っていた。(番号は、私がつけた。)
↓↓↓
登下校 マイナで管理/保護者スマホに通知/今年度実験(見出し)
 政府は、マイナンバーカードで学校が児童・生徒の登下校状況を管理するシステム開発を後押しし、希望する全国の自治体への普及を目指す。島根県美郷町が今年度、実証実験に着手する。①共働き世帯が増加する中、デジタル技術を活用し、学校や保護者が子どもを見守りやすい環境を整える狙いがある。
 ②新たなシステムは、児童らが登下校する際に学校の各教室などに設置した専用の読み取り機にカードをかざし、時刻を記録するものだ。③保護者にはスマートフォンに通知が届き、学校側もパソコンなどで登下校の状況を速やかに把握することができる。
↑↑↑
 記事は、①「学校や保護者が子どもを見守りやすい環境を整える狙い」と書いているが、②のシステムは「児童らが登下校する際に学校の各教室などに設置した専用の読み取り機にカードをかざし、時刻を記録する」と書いている。これでは、子どもが学校にいつ到着し、いつ学校を出たか、しかわからない。これで③「保護者にはスマートフォンに通知が届き、学校側もパソコンなどで登下校の状況を速やかに把握することができる」ことになるのか。
 家を朝の8時に出た。学校に9時になっても着かない。あるいは学校を4時に出た、しかし9時になっても家に着かないとき、登下校の過程で何かがおきたのかもしれないと想像はできるが、これでは「子どもを見守る」ことにはならないだろう。親が「子どもがまだ学校に到着していない」(子どもがまだ家に帰っていない)ことがわかるだけである。だいたい、子どもが学校に行っているとき、つまり学校に着いて、授業が終わって学校を出るまでは、学校の中にいるわけだから、基本的に「子どもは見守られている」。
 子どもの通学で問題になるのは、学校にいる時間ではなく、学校にいない時間である。記事の末尾に、きちんとこう書いている。
↓↓↓
 児童の登下校を巡っては、全国的に防犯ボランティア団体が見守りを担ってきた。ただ、高齢化などを理由に2016年の4万8160団体をピークに減少しており、④子どもを狙った犯罪が増加する中、通学時の安全確保が課題となっている。
↑↑↑
 子どもを狙った犯罪は通学時に起きる。つまり④「通学時の安全確保が課題となっている」のである。②の「児童らが登下校する際に学校の各教室などに設置した専用の読み取り機にカードをかざし、時刻を記録する」では、通学している「時間」はまったくわからない。子どもがどこにいるか、わからない。これでは①の「子どもを見守る」という目的は果たせない。
 まったく、役に立たない。

 で、問題は、これからである。読売新聞は何も書いていないが、私のような疑問をもつ人間は必ず出てくる。見守らなければならないのは「登下校の時間」(学校の中にいない時間)である。そのために「防犯ボランティア団体」が活動しているのだが、②の「児童らが登下校する際に学校の各教室などに設置した専用の読み取り機にカードをかざし、時刻を記録する」というシステムは、まったく「防犯ボランティア団体」と関連づけられていていない。
 ここから、きっと②「児童らが登下校する際に学校の各教室などに設置した専用の読み取り機にカードをかざし、時刻を記録する」というシステムでは不十分だ。子どもをほんとうに見守るなら、「子どもが家を出発してから学校に到着するまで、学校を出てから家に到着するまでの過程を見守るシステム」が必要ということになるだろう。子どもの「常時監視」である。いまでも「防犯カメラ」がその役割をになっているが(問題がおきたとき、防犯カメラが調べられるが)、それがもっと頻繁になる。各通学路に改札口のような「ゲート」がいくつも設置され、そこのマイナンバーカードをタッチさせて通過する。そういうことになりかねない。
 これは、きっと「監視社会だ」という批判に晒され、成功しないだろう。
 そういうことは分かりきっている。だからこそ、「学校」で、その「訓練(苦情を言わない人間を育てる)」ということがはじまるのだ。批判力のない「幼稚園」「小学校」のときから、どこかを通過するたびにマイナンバーカードをタッチさせる。そうすることで「安全が守られる」と教え込む。それに慣らされてしまえば、どこへ行くにも「マイナンバー読み取り機」にタッチすることが「常識行動」になってしまう。「マイナンバー読み取り機」が「安全を守る」という保障になり、それを「監視」と気づかなくなる。
 狙いは、「子どもの安全を守る」なく、「監視に慣れさせる」ことである。その実験がはじまるのである。
 最初の実験が「島根県美郷町」というのも、私には、とても不思議である。「島根県美郷町」というのは、子どもの登下校で問題が置きやすい要素があるのだろうか。子どもを狙った犯罪が多い地区なのだろうか。そうではなくて、行政のやることに対して疑問の声を上げることが少ない地区なのではないのか。単に実験がしやすい場所が選ばれているだけなのではないのか。

 それにしてもねえ。

 私はつくづく思うのだが。こんなふうに「管理」して、ほんとうに子どもの安全が守れる? だいたい、「ずる休み」もできないなんて、つまらなくない? 親にも先生にも嘘をつく。それが「自立」の一歩というものではないだろうか。「行ってきます」と家を出て、友だちと誘い合わせて、家に引き返し、漫画を読む、ゲームをする、そういうことをする楽しみ(息抜き)がなくて、よく学校へ行けるなあ、と私なんかは思ってしまう。
 それは、ともあれ。
 これは、「子どもの安全」を掲げた「監視社会(管理社会)」の第一歩だ。反対運動を起こすべきである。なんといっても、子どもは行政に対して「反対運動」を起こせるだけの「意識」がない。それが、狙われている。「島根県美郷町」が狙われたのも、きっと、そうである。

 

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