青柳俊哉「青い馬のかげ」、徳永孝「わたしが死ぬ時」、池田清子「歯車」(朝日カルチャーセンター福岡、2021年07月19日)
受講生の作品。
青い馬のかげ 青柳俊哉
枯れ木の中を風が吹きすぎて
意識のわたしは一途に 年輪のそよぎへ内向する
波立つ木目の層から 白樺の樹林が立ち上がる
岸一面に 夥しい花粉が風浪の形に敷かれて
それを乱す生物のかげはみえない
水に映る一頭の青い馬のかげがわたしをみつめる
それはまだうまれていないわたしの そして
わすれられたわたしの 像であるかもしれない
………………
雨がふりはじめた 青いかげが揺らぐ
樹林が乱れる 枯れ木の水面に
いくつも輪がうまれて わたしの中の
雪のかげが波立ちきえる
「全体が静かな感じ。白と青のイメージで統一されている」「凛とした感じ。冬の印象がある。青い馬は、エリック・カールの絵本にも出てくるので親しみを感じる。最初静かだったのか、徐々に動きが見えてくるのかいいなあ」「終わりの方の、雨と雪の関係がよくわからない」
少し質問をしてみた。かげ、が何回か出てくる。最後の「雪のかげが波立ちきえる」の「かげ」は、具体的には何を指しているだろうか。
「わたしの、白いきれいなかげ」「イメージは浮かぶが、消えていく」
こういうことは、答えはあって、答えはない。ひとりひとりが、それぞれに自分で思い浮かべればいい。もちろん、そのとき「わからない」があっても、いい。
私が質問してみたのは、タイトルとも関係する。「青い馬のかげ」「青い」は何を就職しているのか。「青い馬」なのか。「青いかげ」なのか。それとも「青い馬の青いかげ」なのか。「意識のわたし」という青柳のテーマを示すことばが二行目に出てくる。それは、結局、「意識のわたし」の象徴ということになるだろう、と私は考える。意識だから、自在に動く。あるときは「青い馬」、あるときは「青いかげ」。
この作品は、実は、ひとつづき、一連で構成されていた作品だったのだが、私は、「それを乱す生物のかげはみえない/水に映る一頭の青い馬のかげがわたしをみつめる」の二行の「みえない」「みつめる」の対比がおもしろく、そこから世界が変化し始めるので、連を分けてみると効果的かもしれないと語った。
その後、青柳が推敲したのが、掲載の作品。青柳の意識としては「三連構成」。途中の「………………」は次の「雨」をイメージ化したもの。
この雨を「………………」とあらわすのは、とてもおもしろい試みだと思う。
私が「連」を考えたとき、思い浮かんだのは、次の形。
枯れ木の中を風が吹きすぎて
意識のわたしは一途に 年輪のそよぎへ内向する
波立つ木目の層から 白樺の樹林が立ち上がる
岸一面に 夥しい花粉が風浪の形に敷かれて
それを乱す生物のかげはみえない
水に映る一頭の青い馬のかげがわたしをみつめる
それはまだうまれていないわたしの そして
わすれられたわたしの 像であるかもしれない
雨がふりはじめた 青いかげが揺らぐ
樹林が乱れる 枯れ木の水面に
いくつも輪がうまれて わたしの中の
雪のかげが波立ちきえる
二連目の四行は、他の連と違って、「ことばの数」が少ない。水に映る青い馬のかげとわたしが対面している。そこに書かれているのは「具体物」というよりも「像」(イメージ)である。「意識のわたし」が「像」として対象化されている。意識が集中し、象徴(イメージ/像)を生み出している感じがする。
林の中へやってきた。湖(川かもしれない)の岸で「青い馬」と出会う。ただし、その馬は「水に映る青い馬のかげ」である。それとわたしが対話する。そのあと雨が降り、雨に叩かれて水面の「青い馬のかげ」は消える。そういう時間経過というか、ストーリーのようなものも、中央の4行を独立させると、明確になるかもしれない。
雨のために「水面に/いくつもの輪がうまれ」、イメージ(影)が消えるというは、意識から現実へ帰る感じがする。
一連目(現実)、二連目(心象)、三連目(現実)。現実風景と心象風景を明確に区分する必要はないが、重点の置き片が、現実、心象(意識)、現実という形にした方が、意識が結晶する感じがすると思う。
*
わたしが死ぬ時 徳永孝
絵本の中の犬のデイジーは
走るアーサーにもう付いて行けなくなり
体のあちこちに不調を感じながら
いつものように眠った後
もう起き上らない
お父さん 振亜(ツェンヤ)さん お母さん
みんな
動かなくなって
いなくなった
もう戻ってこない
アーサーは
小犬のメイジーに出会い
わたしも また
新しい人々に出会い
毎日生活している
この世の理屈では
だれでも衰えていき最後は死ぬ
私も同じ
でも それは
遠い世界のだれか他の人の事のよう
朝 目覚めた時
きのう眠りに落ちた瞬間は
どうしても思い出せない
そんな日々の繰り返しのうちに
やがて目覚めない朝が来る
「死ぬ時、というタイトルのことばは重いが、絵本の中のの世界から始まり、いつのまにか夢の中つづいて終わっていく。絵本から始まるので、意味のとらえ方が深刻にならないのがいいなあ」「ことばが自然に動いているのがいい」
徳永は「死=動かなくなる(動かない)」という世界観でことばを動かしている。だから、二連目に愛着があると語った。
受講生が指摘した「自然な動き」とは、どういうことだろうか。
そのことばに誘われて、私は連の構成を、そのとき分析してみた。
一連。絵本、アーサー、死。(A)
二連。現実、父母、知人、死。(B)
三連。A+B。死と生の現実。意識で整理している。
四連。意識だけを追いかけている。「理屈」ということばが象徴的。起承転結の「転」にあたる。(C)
五連。現実。絵本から始まった「イメージ」が、意識として「結(論)」を生み出す。「きのう眠りに落ちた瞬間は/どうしても思い出せない」は、現実と意識の関係を象徴していて、とてもおもしろい。それが「死(目覚めない朝)」につながっていくことばの運動が自然だと思う。
*
歯車 池田清子
穏やかな
多分きっちりとした
かみあわせだった
途中
回転が悪くなったら
オイルをさして動かした
歯数と回転数は
反比例すると習った
私がゆっくり一回転する間
相方は、少ない歯数で
何回も何回も回っていてくれたような気がする
止まってしまった
はずれてしまった
片われを失くした歯車は
不要なぎざぎざが無くなって
つるんとした
ただの円盤になってしまった
方向が定まらず
ただ、ころころ ころころ
時々、ぱたっと倒れて
上を見上げて、また
自由に
ころころ ころころ
「最終連の、自由に、がいいなあ。悲しさが感じられ、切ない。二人は相性のいい歯車だったんだなあ、とわかる」「歯車は突起があり、ギザギザしているイメージがあるが、それとは逆の穏やかなということばから始まるのが印象的。ぎざぎざがなくなるのは、私には壊れていくという印象。つるんとした、という表現が出てきてびっくりした」
私は三連目の「くれた」ということばが、とてもいいと思った。「くれた」ということばのなかに、感謝の気持ちがある。「私」の感謝が「くれた」のなかに込められている。感謝から見直した世界が、そのあとにつづく。見直すといっても、過去を振り返るのではなく、自分のいまをみつめる。歯車でいられるのは、相手が歯車である時。かみ合う歯車がなければ、ぎざぎざがあっても、円盤。つるりとしている。だから、制御がきかない。つまり「方向が定まらない」。
こんな姿を「相方」が見れば、笑うかもしれない。「ぱたっと倒れ」れば、「ほらみたことか。私がいないとだめなんだ」と言うだろう。
それはそうなんだけれど。
でも、転げ回りながら、それを自由と強がってみる。そうすると、ほんとうに自由になったような気もする。それは「矛盾」だけれど、そういう「矛盾」のなかにこそ、生きている感じがつまっている。
池田は後半の三連について「自分を出したかった」と語ったが、自分がきちんと書かれていると思う。私の感想は、「誤解」かもしれないが、そういう「誤解」を受け入れてくれる強さが、この池田の詩にはある。不謹慎な言い方になるかもしれないが、「相方」が死んだ時、自分はぎざぎざのなくなった歯車だと思い、ころころ転げ回り、これが自由か、と思ってみたい気持ちになる。繰り返される「ころころ」が暗くないのがとてもいい。
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読売新聞のweb 版。
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都内で過去最多4058人感染、初の4000人超…1週間前から2930人増
東京都は31日、新型コロナウイルスの感染者を都内で新たに4058人確認したと発表した。過去最多となった29日(3865人)を上回り、初めて4000人を超えた。
都によると、1週間前から2930人増え、1日当たりの感染者は4日連続で3000人を上回った。直近1週間の平均新規感染者は2920人で、前週(1345・7人)の2倍以上に急増した。重症者は前日から7人増の95人だった。
↑↑↑↑↑
「1週間前から2930人増」とはどういうことか。
一週間前は何人だったか。4058-2930=1128
いったい何倍に増えたのか。4058÷1128=3・5975177304964
3・5倍を超えている。
「直近1週間の平均新規感染者は2920人で、前週(1345・7人)の2倍以上に急増した」などと、数字を小さく見せかけてはいけない。こんな操作はしてはいけない。いまは「非常事態宣言下」である。問題の深刻さ隠蔽している。
この速報には「五輪関係者」の陽性者数が書かれていないが、きっと多いだろう。
五輪関係者は連日検査を実施しているというが、東京はいったい何人検査しているのか。検査実数を公表しないことには、実態がわからない。
検査数を抑制さえすれば、感染者は増えない。
一日の検査を「5000人」に限定してしまえば、感染者は「5000人」を超えることはありえない。
「五輪関係者」並の検査をしたら、つまり、都民全員の検査をしたら、陽性者は何人なのか。ワクチンを接種しても感染する人がいることを考えないといけない。
菅なら、検査数を限定することで、感染者数をおさえるという操作を平気でやるだろう。小池は、その指示を平気で受け入れるだろう。
東京五輪は、即座に中止すべきである。
コロナ感染で「緊急事態宣言」に4県が追加された。私はテレビを見ていないので詳細はわからないが、対策は「①飲食店の営業は午後8時まで、②酒の提供停止」とこれまでのものの繰り返し。読売新聞(14版・西部版)によれば、「今回の宣言が最後となるような覚悟で、政府をあげて全力で対策を講じていく」と語っているのだが、対策①②を読む限り、どこにも目新しいものはなく「政府をあげて全力で対策を講じる」という気概が伝わって来ない。
さらに。
東京五輪については「(感染拡大の)原因になっていない」としたうえで、「五輪・パラリンピックは自宅のテレビで声援を送っていただきたい」と述べた。
↑↑↑↑↑
会場で観戦できないから、みんな自宅でテレビ観戦しているのではないか。
でも、テレビ観戦し、声援するだけでは満足できないから、人とあって話したりする。好きなゲーム、好きな選手の話をする。どうしたって、人は集まる。私は体調管理のためにプールに行くくらいだが、そのプールでも、泳ぎに来ている人たちは、泳ぎの合間にオリンピックの話をしている。先日たまたま人がほとんどいない日があった。隣のレーンで泳いでいた人が「きょう、少ないでしょ? 卓球の伊藤の試合があるから、みんなテレビを見ている」と教えてくれた。私が出た後は、きっとゲームを見終わったあとの人でいっぱいになっただろう。
「選手から元気をもらった」とか「みんなで声援しよう」とか、言っておいて、その感動を「共有」することを禁止する。こんなばかげか政策があるだろうか。感動は「私はこんなに感動している」とだれかに語ること以外では「共有」できない。感動の共有、みんなでいっしょにはしゃぐことを禁止しておいて、「オリンピック選手の活躍はすばらしい」などというのは、菅が「感動の共有」を求めているのではなく、国民の目がコロナ批判からオリンピック種の活躍に向くようにをしむけたいのだろう。「目くらまし/目逸らし作戦」である。日本選手が金メダルをとっている限り、コロナ対策に対する批判、菅政権への批判は大きくならない。日本選手が大活躍すれば「五輪は大成功だった」と主張し、総選挙の宣伝に利用できると考えているからだろう。「五輪の感動を教えてくれた菅は偉大な政治家だ」とアピールしたいからだろう。
選手の活躍は利用する。しかし、その活躍を共有したいという国民の声は拒否する。自宅でテレビを見ているだけにしろ、と迫る。人間が感情を持っているということを菅は知らないのだ。
さらに、そういう「目逸らし作戦」ではどうすることもできないところまでコロナ感染は拡大してきている。
何をすべきなのか。
記者会見も私は見ていないのだが、共産党の志井のツイッターによれば
https://twitter.com/shiikazuo/status/1421062556429389833?s=25&fbclid=IwAR3eoq0IYDUTKWc6GmfOtGhrEVEryd0-dtW9m_kV-YiHUe9KgsnzGBRzVrA
↓↓↓↓
記者「危機感を共有するために何が大切と考えるか」
首相「国民に危機感をもっていただくことが大切だ」
だめだこれは。
何を聞かれたかも理解していない。
↑↑↑↑
国民に危機感が足りないのではなく、菅に危機感が足りないのだ。菅が危機感を持っていないから、こんなことになる。
①きのうまで国民に向かって何も語りかけなかった
②非常事態宣言の開始が「8月2日」と、即時ではない
③オリンピックを中止しない
この3点だけでも、菅に危機感が欠如していることがわかる。コロナ感染拡大の責任を、国民の「自己責任」に押しつけることが政治の仕事であるはずがない。
「オリンピックを中止する」と言えば、いま起きていることの「衝撃力」が国民にはっきりつたわる。世界にもつたわる。
毎日新聞web版によると。
https://mainichi.jp/articles/20210730/k00/00m/050/219000c?fbclid=IwAR1gIDmdaucgEBm-FlFLQEZG1D15IogCMKHZQr7qV8NY1eR20xdD8yBb57E
組織委は30日、新たに選手3 人を含む27人が陽性者になったと明らかにした。公表を始めた1 日以降、1 日当たりの新規陽性者としては29日の24人を上回り最多。大会関係者の陽性者は計220 人となった。
↑↑↑↑↑
体会関係者の「分母」が何人か若市は知らないが、10万人と仮定しても、この数ではとても大きい。
24人、220 人は単独で取り出すと、いまの状況からは「小さく」見えるが、「分母」を考えると、とても大きい。
何よりも。
220 人は、今後どうするのだろうか。
日本で治療するのか。
選手は、ばらばらに帰国するのか。
もし治療がおわらないまま、出国するのだとしたら、その移動はどうするのか。
感染の責任は、だれにある?
菅は「自己責任」と言いたいのかもしれないが、外国人は「忖度」して、「自己責任」という批判を受け入れてくれるだろうか。
今後に尾を引く問題が残されている。
きっと、菅は、この問題を一度として考えたことがないと思う。
私は一部の新聞紙か読んでいないのでわからないが、ジャーナリズムも、この問題を直視していない。
来日選手団から陽性者が出たときは、「濃厚接触者は何人」と騒いでいたが、いまは「濃厚接触者」ということばすら見かけない。
陽性者だけではなく、「濃厚接触者」を含めると、来日した大会関係者の帰国問題は、とても大きな課題を抱えている。
オリンピックは即座に中止し、急増した感染者対策を考えるべきだろう。
とくに、来日した大会関係者の感染問題は、どうみても見落とされているとしか思えない。
「安心安全」と宣伝して、菅が外国から呼び寄せたのである。
このことを忘れてはならない。
読売新聞(西部版・14版)が、やっと一面トップを東京五輪ではなく、コロナ問題に切り換えた。
緊急事態/首都圏3県・大阪 追加へ/2日から31日(見出し)
政府は29日、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、大阪、埼玉、千葉、神奈川の4府県に対し、新たに緊急事態宣言を発令する方針を固めた。宣言の発令地域は東京と沖縄を合わせ、6都府県に拡大する。期間は8月2日から31日で、東京と沖縄の期限は8月22日から31日に延長する。(略)
政府は30日、4府県への宣言発令を柱とする案を専門家でつくる基本的対処方針分科会に示す。了承されれば、国会に報告したうえで政府対策本部で正式決定し、首相が記者会見で国民に説明する見通しだ。
↑↑↑↑
なぜ、即座に基本対処方針をつくり、30日の分科会で決定、30日中に発令でいないのか。発令を2日までのばす理由は何なのか。
なぜ首都圏と大阪だけなのか。
さらに、なぜ、30日(きょうだけれど)の決定まで、菅は雲隠れするのか。
官僚の「作文」が30日まで待たないと完成できないということなのだろうが、緊急事態に官僚の「作文」を読み上げるだけというのは、あまりに無責任だろう。
菅自身のことばで、先手先手で国民に呼び掛けなくてどうするのだろう。
新型コロナウイルスの感染再拡大を受け、日本医師会や全日本病院協会など9団体は29日、東京都内で合同記者会見を開き、全国に緊急事態宣言の発令を検討することなどを政府に求める緊急声明を発表した。
↑↑↑↑
日本医師会など9団体が、全国に緊急事態宣言を出すように求めている。「検討を求める」とは婉曲的な表現だが、実質、「出せ」という勧告だろう。勧告するだけの「権限」がないから「検討を求める」としか言えない。
それをいいことに、緊急事態宣言を出すのを遅らせているとしか思えない。
3面の「スキャナー」には、こういう文章がある。
政府の対策分科会の尾身茂会長は29日の参院内閣委員会で、「最大の危機は、社会の中で危機感が共有されていないことだ」と述べ、感染防止へ向け、国民にメッセージを打ち出す重要性を強調した。
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私から見れば、「最大の危機は、菅が危機感を持っておらず、内閣で危機感が共有されていないことだ」。国民に問題があるわけではなく、菅と内閣に問題がある。
それは繰り返しになるが、菅が雲隠れしている、緊急事態宣言を即座に出すという姿勢を示さないところに端的にあらわれている。
緊急事態宣言を出し、五輪を中止しなければ、「危機感」が国民につたわるわけがない。
首相は記者団に「人流の減少傾向を加速させるため、五輪は自宅で観戦していただきたい」とも語り、国民に協力を呼びかけた。
↑↑↑↑
五輪選手が優勝して喜んでいる、新聞テレビも「金メダルだ」と騒いでいる。そういうとき、国民は、家でひとりでテレビ観戦? (いまは、多くの家で、テレビひとり1台の時代。)そんなことをして、だれが楽しい? どうしたって、仲間が集まって応援し、はしゃぐ。たとえひとりでテレビ観戦をしたとしても、知り合いと出会えば、テレビで見たことを語り合う。話しも長くなれば、声も大きくなる。菅は、だれかとよろこびを共有したことがないのだろう。人を支配して、自分は権力者だと自己満足することしかできないのだろう。
浮かれた状況を改めるには、浮かれたお祭騒ぎを中止するしかない。
全国の感染状況は、どうなっているか。
新型コロナウイルスの感染者が29日、国内で新たに1万693人確認され、初めて1万人を突破した。このうち東京都の新規感染者は3865人で、3日連続で過去最多を更新した。
全国の新たな感染者はこの1週間で約2倍に急増しており、この日は神奈川県(1164人)と沖縄県(392人)でもこれまでで最も多くなった。重症者は前日から17人増の539人、死者は14人だった。
↑↑↑↑
全国の感染者が1万人を超えた。東京の感染者数は、来週中には5000人どころか 1万人に達するかもしれない。2年つづきで、盆の帰省を見送る人も増えるだろう。
「五輪関係者の感染状況」はどうか。
東京五輪・パラリンピック大会組織委員会は29日、海外からの選手3人を含め、新たに24人が新型コロナウイルス検査で陽性と判定されたと発表した。
7月1日に組織委が公表を始めてから最多の陽性判定者数で、同日以降の大会関係者の陽性者は計193人となった。
↑↑↑↑
「バブル対策」がどうなっているか知らないが、「バブル内」で感染が爆発している。きのうも書いたが、「五輪関係者」の総数が10万人として、そこで1日24人が感染するというのは、非常に大きい数字である。24人だけを取り出すから、一見少なく見える。
もう「安心安全」は完全に崩壊している。
そのことをジャーナリズムは、もっと、わかりやすい形で報道すべきである。
「余波」というか、読売新聞は、こういう記事を載せている。
24日から開催されている全国高校総体で、新型コロナウイルスの感染が理由で出場辞退するケースが出ている。
バスケットボール男子では、28日までに3校が出場を辞退。部員に感染者が出たほか、同じ寮で生活する別の部の部員が感染し、バスケ部員が濃厚接触者に該当したことなどが理由。ソフトボール女子でも1校が出場を辞退した。
↑↑↑↑
感染の危険性が若い世代にも急拡大している。というか、若い世代の感染者が急増している。そのために高校総体の出場辞退ということまで起きている。
アメリカの女子体操選手バイルスが棄権したのは、コロナに感染したからではないが、コロナ状況下での大会が不安を引き起こした、と考えられる。
日本が金メダルだ、金メダルだと騒いでいるが、もう「正常な大会」ではない。「危険、不安」な体書いてある。
即座に中止すべきだろう。
中止しないと、札幌のマラソンなどはコース周辺に観客があふれ、大変なことになるだろう。無料で、しかも選手が近くで見れる最後の機会。市民がコース沿道を埋めつくすだろう。「自宅でテレビ観戦して」といくら訴えても効果はない。「私ひとりくらいならいいんじゃない?」とだれだって思う。そういうことを思わせない、国民に「協力を求める」というのなら、国は、それなりのことをしないといけない。
オリンピックは、中断、中止するしかない。
高柳誠『フランチェスカのスカート』(20)(書肆山田、2021年06月05日発行)
「二重性」。指で星をなぞっていくと、
動物のかたちが夜空にとつぜん広がって、それぞれの物語をかたり
始める。
「とつぜん」は学校文法的には「かたちが広がる」の「広がる」にかかるのだが、私は「物語をかたり始める」の「かたる」にかかっていると読む。高柳のことばは、先へ先へと進む。その推進力のようなものが「とつぜん」であり、それは「文法」を飛び越えて先へ進む。
「二重星」と「にじゅうぼし」と読むのだろうか。「にじゅうせい」と読むと「二重性」になり、それは「とつぜん」の動きを説明しているようにも見える。「ひろがる」と「かたる」の二重のことばを突き動かす力をもっている。
死んだら、あの二重星のそばに昇
っていけるのだろうか。それなら死ぬのもこわくないのだが、なに
もわからなくなって広い空ではぐれてしまったら、そう思うと…、
こわい。
「二重」の反対のことばは「単独」というよりも「はぐれる」だろう。ことばは「二重」の意味を持つことで、緊密な世界をつくりあげる。ことばにしかたどりつけない世界をつくりあげる。しかし、二重を失うと、どうなるのか。
「こわい」と、高柳は、めずらしく「心情」を語っている。
この作品は、そこがとても印象的だ。
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2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
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『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
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(6)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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いったい、いつまでつづけるつもりなんだろう、と思ったのが7月29日の読売新聞(西部版)。
コロナ感染が急拡大し、全国で最多の9582人。1万人目前である。緊急事態宣言も首都圏3県を追加することを検討している。それなのに、紙面のトップはオリンピックの報道。おかしくないか。
読売新聞の報道によれば、
新型コロナウイルスの感染者は28日、国内で新たに9582人確認され、過去最多となった。東京都の新規感染者は3177人で、2日続けて最多を更新し、初めて3000人を超えた。埼玉、千葉、神奈川の3県でも過去最多となり、政府は東京都と沖縄県に発令中の緊急事態宣言の対象を3県に拡大する方向で検討に入った。(略)
神奈川県では1051人の感染が判明した。神奈川で1000人を上回るのは初めて。埼玉県では870人、千葉県では577人の感染が確認された。
さらに、見ていけば。
大阪798人、福岡405人、沖縄347人。東京からの移動が目立つ石川が過去最多の119人。全国で感染が拡大している。
五輪関係では、「海外からの報道関係者2人を含め、16人」が感染している。
こんな状況で、五輪報道を「いつもどおり」につづけていていいのか。
クルーズ船の感染が問題になったとき、私は、きっとコロナ感染対策の検証が始まれば、日本のクルーズ船対策が問題として取り上げられると書いた。たまたま感染が「予想以上に少なかった」。そのため世界に新型コロナは、それほど問題ではないという印象を与えたと思う。中国のように即座に病院を建設し、感染者を隔離するという方法をとっていたらコロナに対する世界の印象は変わっていたはずである。
五輪についても同じである。菅が「安心安全」と世界に宣伝したことが、世界の緊張感を緩めさせてしまったということはないか。実際に、大会開催を強行したことが、世界の緊張を緩めさせたということはないか。五輪、日本での感染拡大と世界の感染拡大は無関係というかもしれないが、「間接的」に影響を与えていると思う。緊急事態宣言の出ている東京でオリンピックが開かれているのなら、出歩いたってかまわない、と多くの人が思うだろう。危険は少ないと思うだろう。
菅のやっていることは、「未必の故意」というとおおげさすぎるかもしれないが、私は「未必の故意」だと思う。コロナ感染が拡大することはわかっていた。少なくとも「危険だ」ということは指摘されていた。それを無視して大会を強行開催した。「無観客」で「人流」を抑制しながらの大会なのに、体会関係者のなかからの感染もつづいている。
その感染者だが。
体会関係者の感染者数。きのうの「16人」と同じ「16人」だったところは、日本で言えば長野県である。長野の人口は約200万人。それと比較すると、五輪関係者の感染状況がどれくらい激しいものかわかる。私は「体会関係者」が何人いるのか知らないが、選手を含めて10万人と仮定し、それを長野にあてはめると320人になる。長野で320人感染したと報道されれば、大騒ぎになるだろう。7月1日以降に表されている陽性者169人は、長野にあてはめると3380人。長野の発生以来の累計が5189人だから、その強烈さがわかるだろう。
東京にあてはめたら、どうなるか。東京の人口を1000万人と仮定して、それを「五輪関係者の感染」にあてはめると、きのうの感染者は1600人。これは神奈川県を超す。累計では、16900人。1か月足らずのあいだに、である。
これは大変な数字だろう。オリンピック関係者のあいだでは、もう「パンデミック」どころの騒ぎではないのである。
数字が絡む問題は、なんでもそうだが、数字が大きくなると、私なんかは「実感」がなくなる。国の予算などいうのは、いったい「いくら」なのか見当がつかない。
そういうときは、私は、自分の理解できる範囲(知っている範囲)に数字を反映させて考える。算数をつかって、比例で分かりやすくしてみる。
全国の感染者が1万人に達しようというとき、五輪関係者の感染者が16人。これは、どうしたって、「少なく」見える。しかし、これを日本の人口に比例させるとどうなるか。計算してみるといい。日本の人口120000000人、体会関係者10万人と仮定して、きのうの16人をあてはめるとどうなるか。ぜひ、やってみてほしい。
世界に目を向けてみれば。
アメリカでは1日5万人が感染している。感染防止対策を強化するために、室内ではマスク着用が再び求められている。五輪とは関係ない遠く離れた場所だが、五輪は世界中で放送されている。五輪報道を見れば、だれだって「安心安全」と錯覚する。
菅の政策は「安心安全」という誤解を世界中にまきちらしていることがわかる。
五輪は、もう十分やったじゃないか。菅の望んでいた「金メダルラッシュ」も実現したじゃないか。さっさと打ち切り、コロナ対策に全力を注ぐべきだろう。五輪を中断、中止すれば、コロナの危険性を世界にアピールできる。それは危険性を知らせる強烈なメッセージになるはずである。
高柳誠『フランチェスカのスカート』(19)(書肆山田、2021年06月05日発行)
「薬局」。この作品にも珍しく固有名詞が出てくる。「アガーテ」。少女ではなくアガーテと固有名詞にしたのはなぜだろう。「マックス」が「ぼく」の「鏡」(あるいは双子)であるように、アガーテは「フランチェスカ」の鏡だろう。もちろん、アガーテとフランチェスカは似ていない。似ていないからこそ、フランチェスカのなかにもアガーテが隠れていると読みたい。
アガーテがフランチェスカを内部に閉じ込めているのか、フランチェスカの内部にアガーテが生きているのか、それは、このあとの詩の中でわかるだろう。
ときによって大きく色を変える瞳をもつアガーテの
世界は、どのようにその内部に広がっているのだろう。自分の感情
のままに変化するのだろうか。あるいは、アガーテ固有のものなど
なく、その時々の世界の本質をただそのままに映し出しているに過
ぎないのだろうか。
これはまた、「ぼく」にも「マックス」にも「フランチェスカ」にも言えることかもしれない。
本質は個人(固有名詞)のなかにあるのか、それともそれは単に世界の本質を映し出した鏡なのか。「内部」と「世界(外部)」をつなぐものは「瞳」であり、「ことば」であるだろう。
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嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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7月28日の読売新聞(西部版)によれば、
東京都で27日、新型コロナウイルスの感染者が新たに2848人確認された。1日当たりの感染者は、「第3波」のピークだった今年1月7日(2520人)を上回り、過去最多となった。
一覧表によれば、神奈川758人、埼玉593人、千葉405人、大阪741人、私の住んでいる福岡では236人。どこも急増している。
オリンピック関係でも、
東京五輪・パラリンピック大会組織委員会は25日、ボートのオランダ選手と自転車のドイツ選手の2人を含め、新たに10人が新型コロナウイルス検査で陽性と判定されたと発表した。
感染が止まらない。
これに関連して、菅は、こう言っている。
五輪中止の選択肢については、「人流は減少しているので、そうした心配はない」と強調した。
「人流は減少している」とは、どういうデータに基づく発言なのか。新聞では、聖火台のまわりに見物人が集まっているとか、開会式のとき周辺に反対派を含め多くの人が集まったと報じていた。それは、全部、嘘なのか。
そうではなくて、「人流は減少している」が嘘なのだろう。「安心安全」が嘘であると同じである。
コロナウィルスには「足」がない。人が媒介しない限り、人から人への感染は起きない。全世界の人が40日間(約6週間)誰とも接触しなければ、ウィルスは生滅するだろう。人流が感染を拡大させている。
菅は「不要不急の外出は避けていただき、五輪、パラリンピックはテレビで観戦してほしい」と言っているが、まるで笑い話である。五輪はほとんどがテレビしか観戦でいない。実際に観戦できるのは、公道をつかっておこなわれる競技くらいである。自転車レースとかトライアスロンとか。札幌で行われるマラソンとか。「観戦」ができないから、せめて「雰囲気」にふれようとして聖火を見に行くのではないのか。
一方で、五輪五輪と騒ぎ立て、一方で国民に家にこもっていろ、というのは無理だろう。五輪は中止する、だからみんな外出を控えて、と呼び掛けないことにはだれが家に閉じこもっているだろう。休業の店舗にも支援金を出さなければ、飲食店はやっていけないだろう。
だいたい、スポーツの楽しみは単に見るだけではない。選手の活躍を見て、自分もやってみたい、という気持ちになる。スポーツは個人で(ひとりだけでできる)スポーツもあるが、たいていはだれかといっしょにやる。相手がいる。他人と同時に肉体を動かすのがスポーツである。つまり、スポーツをするとき、そこにはどうしたって「人流」がある。スポーツへの関心を煽り立てておいて、「人流」を抑制するということは不可能である。政策として矛盾している。
スポーツに関心があるわけでもない私がそう思うくらいだから、スポーツ好きな人は選手の活躍を見れば、体を動かしたくなるだろう。子どもたちは、とくにそう思うかもしれない。
五輪はまだ半分以上残っている。早く中止し、感染拡大防止策を一日でも早く強化すべきだろう。
嵯峨信之『小詩無辺』再読(4)
「時間」ということばを中心に読み返してみる。
「人名」という詩のなかには、こういう行がある。
ぼくはいま
誰かの記憶のなかを通つているのかも知れない
人の名とは
時間にとらえられた人間の影ではないのか
「誰かの記憶」というのは「誰かの魂しい」だろうか。人と人をつなぐもの。「時間にとらえられた人間」とは人間は時間を生きているということだろう。生きているあいだは「人の名」がある。死んでしまう、つまり「時間」の外に出てしまうと「人の名前」はなくなり、「魂しい」になる。
嵯峨は「魂しい」に固有名詞を与えていないように思える。
その無名の島をつつむ春の雨
海は一枚のみどりの褥のようにひろがつている
誰も時の行衛を知らない
もういい 何も考えなくても
さらによりよい時刻の国へいつかは行きつくことを (無題抄 451ページ)
「無名」、名もないと「時間」ということばがいっしょに出てきている。さらに「時」はいつでもあるものではなく、いまはそこにない。「行衛を知らない」はいまそこにないということを意味している。時はどこへいったのか。「よりよい時刻の国」とはどこだろうか。私はなんとなく「時間の故郷」というものを考える。
言葉よ
まだ目ざめないのか
ぼくの魂しいのどのあたりを急いでいるのか (* 450ページ)
先に引用した詩だけれど、この「どのあたり」というのも「時間の故郷」を思い起こさせる。「魂しい」と「時間の故郷」は重なるのではないだろうか。
「魂しいを失う日がある」と始まる無題の詩の後半。
ぼくがぼくの現し身を離れても
まぎれもなく思いは残る
そして時はすぎていくだろう
ぼくを連れて
「ぼく(現し身)」と「時」といっしょにある。ぼくが「現し身を離れる」というのは死ぬということだろうか。よく「魂しい」が離れていくというけれど、嵯峨は「魂しい」と「肉体」を逆の関係でとらえているように思う。「肉体」を離れていきながら、「思い(魂しい)は残る。過ぎていかない「時」(時間)のなかに。肉体は過ぎていく時間といっしょにどこかに消えてしまう。
これは人間が死んだ瞬間のことではなく、死後の長い時間で見たときのこと。生滅するが、「魂しい」は残り続ける。だが、どこに。「故郷」に。「魂しいの故郷」が「時間」だとすると、これは同義反復のような言い方になってしまう。
「魂しいの故郷である時間」のなかに「魂しい」は残りつづける。それは「故郷」というものが思い起こすときあらわれるように、「魂しいの時間」も思い起こすときにあらわれるものという意味になると思う。
純粋時間、純粋な場、想像の「基盤」のようなものが「故郷」「魂しい」かなあ、と考える。ただ、それは確固とした存在ではなく、思い起こすという運動としてあらわれるもの。そしてその思い起こすという「みちのり」が「魂しい」の「しい」という「長さ」(ひろがり)のようなものではないか、と考える。
「時」を含む詩には、「偶成二篇」という作品がある。
おれとおまえとの愛の時が失われたのではない
運命の前にあるはずの時が
空をもとめて遠くいづこかへ去つていつたのだ
ふたりにとつていま生命とは何だろう
過ぎ去つた時がまたここへ帰つてくること (455ページ)
「時」は失われ、過ぎ去り、また帰ってくる。この自在な運動の変化は、思い起こすという意識の運動と関係していると思う。意識、精神は、また「魂しい」の同義語だろうと思う。「魂しい」もまた「思い起こすとき」にあらわれてくるものであって、どこかに確実に存在しているのではない。存在している場所から、いま、ここに「あらわれてくる」。「時間」もおなじ。存在しているけれど、ふつうは意識しない。意識したとき、はっきりと存在する。「故郷」「時間」「魂しい」は、そういう意味で重なる部分がおおい。重なるために「しい」という「長さ」「ひろがり」を嵯峨は必要としたのかもしれない。
「白昼の街」には、こういことばがある。
人間は
人間からついに逃れられない
時の力によつて捉えられ
時の力によつて解放される (457ページ)
「人間」を「魂しい」と読み替えてみたい気持ちになる。「時の力」を「魂しい」と読み替えたくなるし、また「故郷」と読み替えたくもなる。「人間」「魂しい」「時(時間)」「故郷」というのは、かさなりあう運動だろうか。
おなじ詩のなかに、こういう三行もある。
ぼくがおまえにやれるものは透明な時の流れだ
おまえがぼくにくれるものは
いつも濁つた小さな時の渦である
「透明な時の流れ」とは「故郷」、「濁つた小さな時の渦」は「現実」だろうか。故郷と現実の対比が「透明」と「濁った」ということば、「流れ」と「渦」ということばで印象づけられている。
思い起こすとき、透明で流れ続けるのが「故郷の時間」「魂しい」なのだろう。流れるという「運動」、「方向」を暗示するのが「しい」というひらがな。
美しい、悲しい、さびしいなどの形容詞は「状態」をあらわす。状態というのは、そこにあるものだけれど、それは動かないのではなく、動きながらある。その動きは「透明」をめざしている。「透明なうつくしさ」「透明なかなしさ」「透明なさびしさ」。これは「濁った美しさ」「濁った悲しさ」「濁ったさびしさ」と比較すると、嵯峨のめざしている野もが浮かびあがるような気がする。「濁った悲しみ」というと「汚れちまった悲しみ」の中原中也になってしまう。嵯峨と中也は、そういうところで決定的に違っていたのではないか、と思う。
でも、こう読んでいくと、
ふるさとというのは
そこだけに時が消えている川岸の町だ
そこの水面に顔をうつしてみたまえ
背後から大きな瞳がじつときみをみつめているから (462ページ)
の「時が消えいている」と矛盾してしまう。
でも、私は、こういう風に、どこかでわかったつもりになると、別なところでわからなくなるという奇妙な動きをするのが詩だとも思っている。詩は論理ではなくイメージ。イメージには論理にはつかみきれない独自の運動があると思う。
だから、私は、あまり気にしない。イメージを、ぱっとつかんだ気持ちになる。それで十分だと自分に言い聞かせている。
「時間が消える」ということばを含む詩には、こういうものもあった。「鐘」。
大きな鐘がそこにある
どこを叩いても鐘は鳴らぬ
沈黙にすつぽり覆われているのか
魂しいの不在か
手で撫でる
強く重く吸いついてしまう
時間が消えて
空間だけになつたのだろう
「鐘」をことばの比喩、象徴として読むと、言葉と魂しい、時間と空間の関係が浮かびあがる。それはみんな「一体」になっていないと意味を持たない。何かひとつでも書けると不完全なものになる。時間が消えて空間だけになってはいけない。時間と空間はいっしょに存在しないと世界ではない。故郷と現在の街もいっしょに存在しないといけない。それは同時に「思い起こすことができる」ということである。いっしょに存在するというのは。そこにことばも重なる。なんといっても思い起こすということは、ことばをうごかすことだから。ことばによって思い起こす。そのときの「運動」の「軌跡」としての「しい」というものをわたしはぼんやりと考えている。
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第26条は、「教育権、教育の義務」。
(現行憲法)
第26条
1 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
(改正草案)
第26条(教育に関する権利及び義務等)
1 全て国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、等しく教育を受ける権利を有する。
2 全て国民は、法律の定めるところにより、その保護する子に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育は、無償とする。
3 国は、教育が国の未来を切り拓く上で欠くことのできないものであることに鑑み、教育環境の整備に努めなければならない。
第一項、第二項は表記と文言の改正。「子女」を「子」に改正しているのは「子女」ということばがいまでは「死語」に近いからかもしれない。男女平等の時代なのだから、この改正はいいと思う。
問題は新設された第三項。
「教育が国の未来を切り拓く上で欠くことのできない」というのは、その通りだと思う。教育が「義務」であるのは、学び、新しいものをつくりだしていかない限り、どういう分野でも「発展」はありえないからである。国の未来にかぎらず、人間の未来を切り開くのに教育は不可欠である。
しかし、私がいま書いたように、教育は「人間の(個人の)未来を切り開くのに不可欠」なのであり、「国の未来」は、その後の問題である。個人がどのような国を理想とするかによって国の形はかわってくる。国の形は国が決めるのではなく国民が決めるものである。それが国民主権ということだ。
だから「教育が国の未来を切り拓く上で欠くことのできない」というのは事実だが、そのことばを「国は、教育が国の未来を切り拓く上で欠くことのできないものであることに鑑み、教育環境の整備に努めなければならない」という形でとりこんでしまうと、意味はずい分違ってくる。
「国の未来を切り拓く」のに必要ではない「教育(学問)」はないがしろにする。「国の未来を切り拓く」のに必要な教育のための「環境整備に努める」ということになってしまう。
自民党が掲げる「国の未来」とは何か。前文に、「教育」というこことばをつかい、こう書いていた。
教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる
科学技術振興と経済活動を結びつけている。科学を発展させ、それを経済に結びつける。経済を発展させるためる科学にが育つように、人間を「教育」する。それが国の目的である。自民党の大好きなことばをつかって言えば「公益及び公共の秩序」のための教育を推進するということである。
学問にはとうぜん「政権を批判する学問」もある。「科学」「経済」と直接結びつかない「学問」もある。そういう「学問(教育)」をどうするか。「公益(自民党の利益)及び公の秩序(自民党の理想とする社会体制)」に反するものは排除するという形で進むのが、改正草案の「教育環境の整備」ということになるだろう。
いま進められようとしている「教育環境」で言えば、高校の「国語」からの文学の排除もそのひとつだろう。文学というのは基本的にまったくの「個人」のものである。そして、その完全に個人のものであるということは、裏返せば、作者が何を感じているかを無視して、自由に考えることが許されるということである。作者の思っていることとは無関係に、自分の考えを語ることができる。感想をいう、批判をすることができるというのが文学の特権である。ことばは「考える」ために必要なものであるけれど、そのことばによって何を、どう考えるかは誰からも規制されない。自分で「考える」。ことばをつかって考える。そうやってできあがったものが「文学」である。とうぜん、そこにはあらゆる「批判」が含まれる。
自民党が進めようとしている「文学排除」は、ことばを「個人」が「個人の意思」でつかうことを拒絶することなのである。自民党が考えるように、ことばをつかって考えさせたい。ことばを自民党の意思通りに支配する。そのための「環境整備」のひとつが「文学」の廃止である。あるいは「論理国語」の創設である。「論理をいかに正確に読み取るか」とは、支配者が指示したことばをいかに忠実に、正確に理解し、行動するかということにつながる。学校のテストというのが「先生の求めている答え」を提出することで「いい成績」をおさめられるようになっている。自分で考えず先生の考えた通りに考え、それを答えにすると「いい成績」になる。「先生」ではなく「自民党(権力)」の求めている通りに理解し、実行する能力を育てることを「教育」と言っているにすぎない。
「赤木ファイル」で問題になった森友学園について見てみればわかる。安倍の意図は、安倍が森友学園の土地取引にいっさい関与していないということを資料を通じて証明すること。その意図を正確に理解し、文言の削除、文書の廃棄を命じた佐川が優遇された。その操作に反対した職員は自殺に追い込まれた。「公益」「公の秩序」とは国民の税金を無駄遣いしない、私利私欲を肥やす権力者を許さないではなく、単に安倍の利益、安倍の支配体制を守るということである。そういう「権力に忠実な人間」を育てるための「環境整備」に努める、というのが改憲草案の狙いである。「努めなければなさらない」と、そういうことを国の「義務」にしている。
私はたまたま「文学(ことば)」に関心があるから「文学」をテーマに私の考えを書いたが、音楽や美術、スポーツについても、きっと同じようなことが言えるはずである。「表現の不自由展」のような権力批判の視点を含んだものは「芸術ではない」という教育を進めれば、美術を通して現実を批判するという動きは消えてしまうだろう。折りッピック開催に反対するのは「反日」である(安倍)という教育が徹底すれば(なんといっても、学校では先生の求めている答えを書かないと、成績につながらない)、オリンピック反対という人間は「排除」されてしまうのである。
「教育が国の未来を切り拓く上で欠くことのできない」ということばは「美しい」。そして、こういう「美しいことば」には必ず「悪巧み」が隠されていると考えるべきである。憲法は何よりも、国民が、権力に対して「〇〇してはいけない」ということをつきつけるものである。「禁止事項」が憲法の本質である。
その「禁止事項」に「国民の義務」として「教育」が含まれるのは、教育なしでは人間の、個人の未来が切り開けないからである。国の未来ではなく、あくまでも個人の未来なのだ。第22条で見てきたように、国民は外国に移住すること、国籍を離脱する自由を持っている。つまり、国民には「国の未来を切り開く」義務などないのだ。日本を見すてて、自分の可能性(未来)を切り開いていい、と憲法第22条は憲法26条に先立って言っている。憲法は先に書いてある条項の方が大切なのである。
こういう読み方は、きっと「自民党の改憲草案の意図に反する」という形で排除されるだろう。異論を排除する、独裁を進めるというのが改憲草案の狙いであり、それを先取り実施するようにして現実の政策が進められている。
繰り返し書いてしまうが、自民党の政策の多くは「改憲草案」の先取り実施である。憲法を改正しなくても独裁ができるように、着々と行動しているのが自民党なのである。
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7月27日の読売新聞(西部版)によれば、
①東京五輪・パラリンピック大会組織委員会は26日、海外からのアスリート3人を含め、新たに16人が新型コロナウイルス検査で陽性と判定されたと発表した。
②選手の国籍や競技については各国・地域のオリンピック委員会から同意が得られなかったとして公表していない。
③また、日本オリンピック委員会(JOC)は26日、陸上競技の日本選手団の関係者が陽性と確認されたと発表した。選手団員ではないとしている。
①は26日夕刊で既報。
②「プレイブック」(ルールブック?)では、規定はどうなっているのか。感染拡大は予測されていたことであり、感染者が出た場合、公表をどうするかということは決めてなかったのか。決めてなかったとしたら、それは「プレイブック」の不備だろう。
「バブル対策」で選手や関係者の行動は制限されているということだが、「だれが、いつ、どこで」感染したのか、その詳細が公表されないことには、二次感染の防ぎようがないのではないだろうか。
何度も書くが、「濃厚接触者」は何人なのだろうか。事前合宿し入りた選手から陽性者が出たときは、濃厚接触者の数も公表されていた。それをやめてしまったのはなぜなのか。
誰が濃厚接触者であるか知らされないまま、競技はつづけられるのだろうか。選手たちは、対戦相手が濃厚接触者であることを知らされずに対戦するのだろうか。それは自分のいのちを守りたいという権利を侵害することにならないだろうか。
③日本の関係者の、濃厚接触者数も隠すのはなぜなのだろうか。
さらに疑問に思うことがある。
公表されている「陽性者」は、いま、どこにいるのか。どういうふうに健康管理されているのか。「個人情報」だから公表する必要はない、ということなのかもしれないが、治療が長引き、帰国が遅れた場合、どうするのだろう。さらに最悪の場合、死亡することも考えられるけれど、そのときの対処はどうなるのだろうか。
検査では「陰性」のまま帰国し、帰国してから発症する、あるいはその人の周辺で感染者が増えるということも考えられる。帰国までの待機(隔離)期間、帰国してからの待機期間については、各国・地域と合意ができているのだろうか。きっと合意はできていなだろう。相手まかせ、だろう。
オリンピック以外の国内状況では、東京都が1429人の新規感染。神奈川540人、千葉509人、埼玉449人。東京の感染状況については「前週比」を記載しなくなっている。どれくらい危険な状況になっているか「報道」しないようになったということだろう。これが、このままつづくとどうなるのか。新聞を読む人が、自分で資料をもとに計算しなくてはならなくなる。
メダルの数を報道する、選手のことを紹介するのもいいけれど、感染状況、感染に対してどう対応しているか、そういうことをもっと報道すべきだろう。オリンピックには選手の「栄誉」(あるいは選手生命)がかかっているかもしれないが、感染状況は「いのち」そのものにかかわることである。
報道の「順序」を間違えていないだろうか。
私の住んでいる福岡県では、新規感染は172人。前週比では3・7倍。知事は「第5波ともいうべき感染の拡大傾向が見られる」と語り、県独自の警報発動を調整していると書いている。東京を中心とする関東では、どう対応しているのか。感染が急拡大しているか、オリンピック組織委の責任だから、「私は知らない」を決め込んでいるのか。菅は、いまの状況をどう把握しているのか。東京に緊急事態宣言を出したから、もう責任は果たした。あとは都や国民の責任、ということか。あまりにも無責任だろう。新聞を斜め読みしたが、何も報道されていない。
ヨーロッパの感染拡大も、急激だ。フランスは600万人を超えたとたんに拡大のスピードがアップしている。きょうの一覧表では605万人。一時はフランスに追い抜かれた(?)ロシアが607万人。スペインも428万人で、イタリアを追い越してしまいそう。この、なんというか抜きつ抜かれつの、マラソンレースのような感染状況の変化を見ていると、東京オリンピック周辺だけではなく、世界中で感染拡大が問題になっていることがわかる。オリンピックは、世界中で報道されているが、世界で起きている「感染拡大競争」はどれくらいていねいに報道されているのか。オリンピックは、世界のニュースにも大きな影響を与えているように思う。
きょうも書くが、オリンピックは即座に中止すべきである。
7月26日の読売新聞夕刊(西部版)によれば、
①五輪関係者、選手3人含めあらたに16人陽性…計148人に
東京五輪・パラリンピック大会組織委員会は26日、海外からのアスリート3人を含め、新たに16人が新型コロナウイルス検査で陽性と判定されたと発表した。
組織委が7月1日以降に公表した大会関係者の陽性者は、計148人となった。
②ビーチバレー女子、チェコ代表が陽性・試合棄権…石井・村上組が不戦勝
ビーチバレー女子で24日に石井美樹(荒井商事・湘南ベルマーレ)、村上めぐみ(オーイング)組と対戦予定だったチェコ代表ペアの選手1人が新型コロナウイルスの検査で陽性反応を示したことを受け、大会組織委員会は、この選手のペアが1次リーグ全試合を棄権すると発表した。石井、村上組は不戦勝となった。
今朝の朝刊では「陽性者は選手2人を含め10人だった。それが夕刊段階で「選手3人を含め16人」に拡大している。どんどん増えている。
ビーチバレーでは、選手の「棄権」のために「不戦勝」ということが起きた。
すでに書いたことだが(何度でも書くが)、「大会組織委」は「濃厚接触者」の数を講評していない。これは、危険だ。「濃厚接触者」が隔離されずにいるということではないのか。「バブル対策」は完全に崩壊しているのではないのか。
「安心安全」を標榜するなら「濃厚接触者」が何人いるのか、「濃厚接触者」はどこにいるのか(隔離されているのか)をきちんと発表すべきだろう。
こんな状態では、参加している選手や関係者に感染が拡大するのを「放置」しているとしか言えない。選手や関係者の「自己責任」と言うつもりなのだろうか。その選手や関係者が「バブル」の外に出て活動し、そこから市中感染が拡大した場合は、今度はだれに「自己責任」があるというのだろう。客として受け入れたコンビニ? オリンピック選手だ、と近づいて行って交流した市民?
「濃厚接触者」の数、隔離場所を公表できない「安心安全」ならば、即座に大会を中止すべきだろう。
高柳誠『フランチェスカのスカート』(17)(書肆山田、2021年06月05日発行)
「本」。この作品には、注釈をつけたくなることばがたくさんある。すべてのことばに注釈をつけたくなる。つまり「高柳語」がぎっしりとつまっている。
本を「物体」と呼んだ後、こう書いている。
印刷された文字を読み進めたとたん、一
挙に別の世界が広がる。そんなふしぎな世界を、どうやってこんな
小さな箱に閉じ込めていられるのだろう。
「物体」は「箱」と言いなおされている。そして、そう呼びなおすとき「閉じ込める」という動詞がつかわれている。この「閉じ込める」は重要なことばである。高柳は、ことばで「高柳ワールド」を「閉じ込める」。
そして、それは本を「開く」ときに広がるのだが、そこにはもうひとつ別の動きがある。
紙に囚われているはずのそうした文字たち
が、いつのまにか立ち上がって自由に動き、互いに連動しあって独
自の世界を織り上げていく。
「囚われている」は「閉じ込められている」である。閉じ込められている文字が、「自由に動き、互いに連動しあ」う。そして、新しい世界を「織り上げていく」。
「織り上げる」は、一つの運動のなかにことばを「閉じ込める」、ばらばらだったものをある形に構成するということかもしれない。
重要なのは、しかし、その織り上げられたものではなく、ことばが「自由に動く」ということである。自立するからこそ、それは「独自の世界」になりうる。
しかも、
本から生まれた世界は、ぼくたちが生活するこの世
界以上に広い。しかも、この世界とは違った原理のもとに存在して
いる。
「原理」ということばが出てくる。「独自の原理」をもっているから「独自の世界」になる。「原理」がなければ、それは「世界」ではなく、「でたらめ」になってしまう。
「原理」とは「法則」である。そして、このとき「法則」とは「運動」のことである。
たとえば、最初に引用した部分には「とたん」ということばがあった。引用は省略するが、別な部分には「ただちに」ということばがある。どちらも「運動」が接続していることをあらわす。「休憩」はない。休まない運動である。休まない、ということが高柳の動詞の「原理」である。「閉じ込める」「開く」という運動は矛盾しているが、矛盾しているからこそ、即座に「止揚」され、新しい運動へと転換していくのである。
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