詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(30)

2022-01-07 11:19:12 | 谷川俊太郎『虚空へ』百字感想

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(30)

(足は地を)

足は
地を知っている
眼は
天を仰ぐだけ

星々は
毎夜
空にいて

地に
甘んじて
ヒトは
誤る

地から
天が
見えると

 「地から/天が/見えると」思うのは誤り。「見る」と「知る」と違う。「知る」ためには「足」が大地に触れるように、「肉体の接触」が必要だ。しかし眼はいったい何に直接触れることができるか。そして、ことばは。

 

 

 

 

(ひと足)

情熱は
無い
ただ穏やかな
興味で

贈られた
世界を
見つめる
歓び

未来を
手探りする

明日へ
遅々と
ひと足

 「情熱」と「穏やか」は相いれないものなのだろうか。『女に』のなかで谷川のつかっていた「少しずつ」は「穏やかな情熱」、「確かな情熱」「手探りの情熱」「ひと足ずつの情熱」ではなかったか。

 

 

 

 

 

(二月)

地に
惜しみなく
陽は
降り注ぎ

トレモロは
沈黙の
饒舌

ヒトは
多事
繭は眠る

宇宙に
濾過された
現世の
悲しみ

 「濾過」。谷川は「濾過された」と受け身でつかっている。そして、「濾過され」ると「悲しみ」が残る。そうではなくて、「濾過された/悲しみ」は「悲しみ」とは別のもの、たとえば「沈黙」だろうか。

 

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谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(29)

2022-01-06 21:30:20 | 谷川俊太郎『虚空へ』百字感想

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(29)

(私は今ここに)

私は

ここに
いる

どこへ行こうが
動けない
私を

言葉で
リモコンして
言葉の涯まで
連れて行く

そこも
ここ
だろうか

 「リモコンして」の「原形」は「リモコンする」だろうか。「名詞+する」という形で「動詞」をつくる。谷川は、いまはつかわないようなことばもさらりと書くが、こういう新しいことばもさらりとつくってしまう。

 

 

 

 

(そこにいつまでも)

そこにいつまでも
私はいる
地面に木漏れ陽が
落ちて

おもかげは
川音に
紛れ
言葉は薄れて

そこに
独り
立ち尽くし

すべてを
愛でる
私がいる

 「いる」ことが「愛でる」こと。それだけでは足りなくて、谷川は「すべてを」と書いている。「すべてを」は「いつまでも」に通じるだろう。そこには「限界」がない。そして、その中心に「独り」がある。

 

 

 

 

 

(諦め故に)

諦め故に
希みの
滲む

手足と
腹の
温かみが
語を生み

自は
他へと
動き出す

眉の黒
水の透明
唇の赤

 「諦める」のは何が諦めるか。こころか、精神か。「手足」と「腹」、その「温かみ」は諦めない。つまり「語を生む」。「諦める」の反対は「生む」なのだ。「肉体の温かみ」は「語(ことば)」だ。

 

 

 

 

 

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谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(28)

2022-01-05 11:56:55 | 谷川俊太郎『虚空へ』百字感想

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(28)

(小さな黄色の花)

小さな黄色の花に
小さい白い蝶がとまった
見る歓び
今日が始まる

大きな混沌に
宿る
小さな秩序

タンブラーが
指を離れ
床へ落ちていく
一瞬

時を
凍らせる
言葉という破片

 「見る歓び」を、私は、花の歓び、蝶の歓びと読みたい。床に落ち砕けるガラス。そのとき「凍る」のも、ガラスのことば、床のことばと読みたい。ことばは詩人だけのものではない。

 

 

 

 

(姿なく)

姿なく
その道を行く
あのひとは誰?

時を嘲り
死を友として
未知の幻へ
人をいざない

終わりなく
問いつつ
答え

かりそめの
コーダに憩う
あのひとは
誰?

 姿がない。でも、どうして「あのひと」が見えたのか。「その道」は実在なのか。最初に存在するのは「道」なのか「ひと」なのか。私は「ひと」と読む。「ひと」を思い浮かべたとき、そこに「道」が始まる。

 

 

 

 

 

(昨夜から)

昨夜から今朝へ
夢無く
生きた

幾万の
胎児とともに
秋桜の
蕾とともに

眠りの
無心
目覚めの
苦に

些事の
淡い

 「目覚めの/苦に」の「に」は何だろうか。後に何が省略されているのか。この問は「些事」か。私は判断しない。ただ、この「に」につまずいた、と書く。その瞬間、見えたとも言えない「光」、暗い光を感じた。

 

 

 

 

 


(水平線で)

水平線で
陽炎に
揺れている
遠い誰か

そこへと
夢が
泳いで行く

頑なに
沈黙する
椅子と

言葉の
無垢受胎の

 「頑な」と「無垢」。「頑な」には意思があるが、「無垢」には意思がない。だから「頑な」には拒絶感がともなうのに、「無垢」は逆に拒絶感がない。「無垢」がさまよいだすのは「幻」に騙されてか。

 

 

 

 

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谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(27)

2022-01-04 11:57:20 | 谷川俊太郎『虚空へ』百字感想

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(27)

(死の色は)

死の色は

まばゆさに
目を瞑る

ざわめきの
静まる
今日

慎ましく
黒は
隠れる
人の無明に

古の
金の輝き
鉄の錆

 「無明」は色だろうか。白と黒のあいだにある灰色かもしれない。この灰色は仮の名前で、ほんとうはまだ名前のない色。さわがしい灰色、静かな灰色。灰色は、いくつあるかもわからない。

 

 

 

 

(無はここには)

無は
ここには
ない

どこにも
無い
宇宙にも
心にも

無は偽る
文字で
詩で
こうして

無いのに
時に
有るに似る

 「偽る」と「似る」は微妙な関係にある。「偽り」のなかには事実に似たものがある。似ているから、ほんものと間違える。Aを以てBと為す。騙すは馬ヘンだが「偽る」も「似る」も人ヘンである。罪深い。

 

 

 

 


(水平線で)

水平線で
陽炎に
揺れている
遠い誰か

そこへと
夢が
泳いで行く

頑なに
沈黙する
椅子と

言葉の
無垢受胎の

 「頑な」と「無垢」。「頑な」には意思があるが、「無垢」には意思がない。だから「頑な」には拒絶感がともなうのに、「無垢」は逆に拒絶感がない。「無垢」がさまよいだすのは「幻」に騙されてか。

 

 

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谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(26)

2022-01-03 14:36:35 | 谷川俊太郎『虚空へ』百字感想

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(26)

(欲は涸れず)

欲は
涸れず
死に
向かう

善悪
不問
美醜を忘れ

庭の
若木
見守る

守られて
いる

 三連目。若木「を」見守るか、若木「が」見守るか。「美醜を忘れ」のつづきで言えば「若木を見守る」だろう。しかし、私は「若木が見守る」と読んだ。だから四連目は「若木に見」守られていると自然につづいた。

 

 

 

 


(死は私事)

死は
私事
余人を
許さない

悲苦を
慎み
生は静まる

色から
白へ
色から
黒へ

いつか
透き通る
現世

 「死は私事」というが、死は実感できるのだろうか。「死んだ」と私は納得できるだろうか。想像できない。私の知っている人は死を「自覚」して死んで行ったように見えるが、自覚は予測にすぎない。不透明だ。

 

 

 

 

 

(残らなくていい)

残らなくていい
何ひとつ
書いた詩も
自分も

世界は
性懲りもなく
在り続け

蝶は飛ぶ
淡々と
意味もなく
自然に

空白が
空を借りて
余白を満たす

 「淡々」「意味がない」「自然」。三つが同じものとして書かれている。「空白」を「余白」にかえるとき、谷川は「空」を借りている。「淡々と/意味もなく/自然に」だろうか。これは谷川の蝶になった夢だろうか。

 

 

 

 

 

 

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谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(25)

2022-01-02 09:35:04 | 谷川俊太郎『虚空へ』百字感想

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(25)

(問いに)

問いに
答えはなく
いつもの

棚の土偶の
古代の
ほほえみ

日常と
地続きの
朝の
永遠に

安んじて
不可知に
親しむ

 「親しむ」は二連目の「ほほえみ」から始まっている。その「ほほえみ」が「古代」のものならば、「親しむ」という動詞も古代からのものだ。「問いに/答えはない」というのも「古代」から「地続き」の「永遠」だ。

 

 

 


(どこ?)

どこ?
と問えば
ここ

天の下
地の上で

一つ

いつ?
と問えば
いま

岩より若く
刻々に老いて
鬩ぎ合う
人と人

 「岩」という漢字は「若」に似ている。「老」に似ているのは何だろう。石も砂も似ていない。「鬩ぐ」は門構えに「兒」。争うのは「若い」からではなく「幼い(児童)」だからか。幼・若・老。「命は一つ」。

 

 

 

 

 

(なんでもない)

なんでもない
なんでもないのだ
空も
人も

未来のせいで
思い出が消える
行けば海はあるのに

呪文は
魂の深みに
とぐろを巻く

穏やかに
過ぎるのがいい
時は
そして星々も

 「魂」。「ソクラテスの弁明」のなかに「たましい (いのちそのもの) 」という表記がある。谷川がここで書いている「魂」は「いのちそのもの」と言いなおすことができるか。魂を実感できない私にはわからない。

 

 

 

 

 

 

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谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(19)

2021-12-27 19:33:38 | 谷川俊太郎『虚空へ』百字感想

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(19)

(事実が)

事実が
物語となって
終わる
後に

黙りこむ
人と
卓上の
果実

解釈を
許さない
存在を

時に
任せて
眠る

 セザンヌの静物画を思い出す。「解釈」は画家からの働きかけではなく、存在が画家に働きかけてくるときに生まれる。セザンヌは静物を「解釈」したのではなく、「解釈された」。これが、私の「物語」だ。

 

 

 

 

(言葉が落としたもの)

言葉が
落としたものを
詩は拾う

草むら
横断歩道
プラネタリウム
動物園で

言葉の
落としもの
燃える
ゴミ

炎を
上げずに
くすぶっている

 「言葉が落としたもの」と「言葉の落としもの」は、似ているけれど違う。その違いが、「燃える」「燃えない」の違いを生む。「燃えるゴミ」はほんとうは燃えていない。怨念のようなものが、残っている。

 

 

 

 

 

(記憶にないのに)

記憶にないのに
思い出す
その道をあなたは
去って行った

山々は
不機嫌で
池は
静まりかえっていた

何ひとつ
拒めない世界の
哀しみ

渇くわけを
心は
知らない

 「思い出す」を「知っている」と読み替えてみる。「記憶にないのに知っている」。私個人の体験ではなく、人間が共有する体験だからだ。「いのち」が共有することだからだ。いのちには、拒めないことひとつがある。

 

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谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(18)

2021-12-26 08:48:40 | 谷川俊太郎『虚空へ』百字感想

(秋 落ち葉の)


落ち葉の
葉脈を辿って
迷う

世界は
きりのない
言葉を秘めて
無言

理は偽るが
美は
真のみ

闇に守られて
眠る

 「闇」は「偽る」ことはない、ということか。見えるのは、自分の内部にあるものだけ。でも、「美」や「真」だけ見つめていては退屈。だから「眠る」のか。夢で「迷う」のは「言葉」か「無言」か。

 

 

 

 

(昨日は嘘)

昨日は

明日は

今の

私は私

無数の

一個の

熟してまた
未知の
種子

 「また」がいいなあ。「種子」に帰る、の「帰る」という動詞が隠されたまま予告されている。「未知」にだけ、「嘘」は含まれていない。「明日」にはすでに「明日」という「知(嘘)」が含まれている。

 

 

 

 

 

(本にひしめく)

本に
ひしめく
語たち

語は
語を喚び
語は
語と通じ

意味を
孕み
時に歌う

文字を
忘れ
電子の
声で

 「文字を/忘れ」を読んだ瞬間、声は?と思ったら、その「声」が出てきた。でも「電子」の「声」。あっ、電子に「声」があるのか。私は知らなかった。「通じ」「孕む」という動詞に「ことばの肉体」を感じた。

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谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(17)

2021-12-25 10:20:24 | 谷川俊太郎『虚空へ』百字感想

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(17)

(自然に帰依して)

自然に
帰依して
神を
忘れる

人智の
届かぬものを
名づけず
信じて

空は
宇宙へ
開き

草摘む手
泉に
触れる

 草を摘む手が、そのとき草に触れるだけではなく、草の「内部」にある泉に触れると読んだ。谷川が「泉」と名づける前は存在しなかったひとつの「宇宙」である。「摘む」が「触れる」に変わる瞬間の驚き。

 

 

 

 

(自然に帰依せず)

自然に
帰依せず
ヒトは
不吉

言語に
溺れ
数字に
縋り

混沌に
意味
一閃

なお
未明に
夢魔

 「溺れる」と「縋る」は「帰依」とどういう関係にあるか。「自然」と「混沌」はどういう関係か。「言語」「数字」が「意味」なら、「混沌」は「夢魔」か。私は「混沌」を「自然」と考える。無為の状態、と。

 

 

 

 

 

(昼と夜の)

昼と
夜の境に
立ち
闇を待つ

木立が
見えなくなる
人も

暗がりに
身じろぐ
言葉の

ひそやかに
何一つ
指さずに

 「何一つ/指さず」という状態が「混沌」というものではないだろうか。それが、同時に「自然」。自足して、そこにある。何もせず、ただ「足りる」だけがある。ことばにした瞬間、失われてしまうが。

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谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(16)

2021-12-24 10:56:30 | 谷川俊太郎『虚空へ』百字感想

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(16)

(悲鳴と喃語)

悲鳴と
喃語
失語と
饒舌

巨大な
火口
大笑い

意味の
素は
無意味

吃る

声の

 最終連、「声の/泡」に私はどきりとした。同級生に吃音の友達がいた。けんかをする。吃音がひどくなる。そのとき口のまわりに泡。見てはいけないものを見た、という記憶が今も頭にこびりついている。

 

 

 

 

(自他の)

自他の
二元を
心は
哀しむ

眼で見つめ
手で掴み
口で
強いるが

億の中で
兆の中で
二は二のまま

一は
私にしか
ない

 私は、そのつど「二」をもとめている。私には一と二と、ゼロ(無)があると考える。「無」から「一」が生まれ、「無」へ帰るためには、「一」を破る「二」が必要だ。「肉体」として生きているあいだは。

 

 

 

 

 

(夜 瓶は)


瓶は
倒れる

湖底には
孕む

少年は
独り
華厳経に
溺れ

暁闇の
野に
綻びる
何の蕾か

 夜、瓶は立ち上がる。湖底の水は龍になって天をつく。少年は経を叩き壊し、ことばの無を龍の眼に託す。蕾は闇を吸収し、大地に送り込む。銀河のような根の広がり。射精しながら、老人は新しい夜を眠る。

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谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(15)

2021-12-23 10:42:14 | 谷川俊太郎『虚空へ』百字感想

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(15)

(悪は)

悪は
ヒトのもの
天地を
他所にして

手足は
具体
ココロは
抽象

地を掘り
天に焦がれる
ヒトの生き死に

朝の汀に
詩の
足あと

 足跡ではなく「足あと」。なぜ、ひらがなにしたのだろう。「跡」という具体的なものが消えて、「音」が広がる。具体的なものをもとめて。そのとき「足」が「肉体」として見えてくる。砂に触れて、砂がくぼむ。

 

 

 

 

(言葉は騙り)

言葉は
騙り
手足は
黙々

星辰に
疎く
人事は
不断

功を誇り
嫉視を
斥け

自我を
祀る
無恥

 「騙る/語る」「星辰/精神」「無恥/無知」。音で聞けば、私はきっと間違える。「不断/普段」も間違えるかも。「疎く」が「有徳」なら、「嫉視」にも同音のことばがあるか。「ある」と語れば、騙るになるか。

 

 

 

 

 

(気持ちが)

気持ちが
淀む

私は
何を
待っているのか

一日は
遅々として
明日は
迅い

言葉に
囚われて
言外へ
亡命する

 「亡命する」。「難民」の方が私にはしっくりくる。「政治難民」ということばがあるが、「難民」が「亡命(者)」より多いからだろう。「難民になる」ではなく「難民する」という動詞が生まれてくるかもしれない。

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谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(14)

2021-12-22 09:28:55 | 谷川俊太郎『虚空へ』百字感想

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(14)

(これを)

これを
好み
それを
嫌う

ヒトは選ぶ
物を事を
人を
自分を

唯一の
太陽に灼かれ
己れに迷い

無数の
因果の網に
かかって

 「ヒト」と「人」、「自分」と「己れ」はどう違うか。「因果」ということばに誘われて因数分解(?)をしてみたくなる。(ヒト×己れ)÷(人×自分)=0のとき、詩を顕現させる感情と肉体の値を求めよ。

 

 

 


(誰もが私なのに)

誰もが

なのに君が
いる

私の
言葉を
人々とともに
生きて

君の
言葉に
私はいるか?

意味とともに
無意味を
喜んで

 自分と他者の問題は難しい。私は「君」は「私の必然」と考える。「必然問題」が「君」だ。「君」をどれだけ語れるかという問いが「絶対的無」として「私」に帰ってくる。「誰も」では「絶望的虚無」が残る。

 

 

 

 

 

(本を閉じる)

本を閉じる
緑が
目に沁みる

風が吹いて
揺れる葉が
今ここを
告げるから

人がすることを
今日も
する

必要は
不要
自足する
宇宙

 「する」。それは「自足」と、どう関係しているか。「必要は/不要」を「不要は/必要」と言い換えるとき、「不要」は「無意味」に変わり、「無意味は/意味」ということばのなかで「自足/する」だろう。

 

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谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(10)

2021-12-18 10:34:38 | 谷川俊太郎『虚空へ』百字感想

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(10)

(分別の罪を)

分別の
罪を
言葉は
負う

無名に
色はあるか
透明には?

空に満ちる
自然は
無尽

なおヒトは
語と語で
色を
切り分ける

 「分別(する)」は「切り分ける」と言いなおされ、「言葉」は「語」と言いなおされる。言い直しは「罪」のひとつか。地上の罪はそうやって「無尽」に近づくのか。「語」がヒトを「切り分ける」こともあるだろう。

 

 

 


(書いた言葉を)

書いた言葉を
読む
私から離れる
意味

私有できないのに
負う

語が
語に絡んで

行と行の
間も

かな?

 私がことばを書くとき、ことばが私を書く。私がことばを読むとき、ことばが私を読む。私が谷川の詩を読むとき、谷川の詩が私を読む。どう読んだか、谷川も私も知らない。ことばの肉体だけが知っている。

 

 

 

 

 

(文字で)

文字で
読みたくない
声で
聞きたくない

言葉の
意味から
滲み出すものを
沈黙に探る

山の
無意味の
静けさ

死に向かう
人間の
無言

 「静けさ」と「無言」は違う。無言は外面的には静かだが、内面は音に満ちている。山にはいろいろな音があるが、内面は静かである。内面とつながるものしか音にならないと知っているからだ。言う必要がない。

 

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谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(9)

2021-12-17 12:01:05 | 谷川俊太郎『虚空へ』百字感想

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(9)

(刻々の今を)

刻々の
今を
ヒトは憂い
泣き笑う

内臓の
無言の知を
血に
読んで

内は昏く
外は
明るい

遠近を
問わずに
歩む

 「知を/知に/読んで」。この「読む」は「読み替える」であるか。私は「誤読」を好む。「精読」「深読み」という言い方もある。「外は/明るい」という改行の、呼吸のようなものが「読む」瞬間に動く。

 

 

 

 

(私が)

私が
終わると始まる
見知らぬ
あなた

言葉がつなぐ
いのち
断つ
いのち

浮き世に
沈む

日月に
甘んじて
いる

 「いる」。私は「いる」か。「甘んじる」という動詞が、人間のように「いる」のか。私が「終わる」、あなたが「始まる」の「断つ」と「つなぐ」のあいだに、ことばにならない動詞が生きて「いる」のかもしれない。

 

 

 

 

 


(言葉の殻)

言葉の殻を
剥くと
詩の
種子

詩の種子を
割ると

何も
無いのに
在る

問えない
答えない
ものの
予感

 「空」は名詞、「無い」は形容詞。「無」と言えば、名詞になる。どんな違いがあるか。「空」がある、「無」がある、と言えるのはなぜか。ことばがなければ、考えることができない。この「ない」は助動詞か。

 

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谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(8)

2021-12-16 11:33:10 | 谷川俊太郎『虚空へ』百字感想

 

 

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(8)

(言葉にならないそれ)

言葉にならないそれ
それと名指せない
それ
それがある

いつでもどこにでも
なんにでも
誰にでも

癒しながら
傷つけるそれ
決して失くならないそれ

名づけてはいけない
それを
惑わしてはいけない
言葉で

 「癒しながら」という形で一回だけつかわれる「ながら」。「ながら」を挟んで反対のことばが向き合う。不思議な接着剤。惑わしてはいけないと書き「ながら」惑わす。そういう働きを「それ」と呼ぶ、と書いてみる。

 

 

 


(遠く離れた)

遠く離れた
時と
所から
滲んでくる

それを
哀しみと
呼びたくない

記憶の中の
仕草と
言葉

決して
凍らない
小さな

 なぜ「凍らない」なのか。「滲んでくる」の対極にあるのは「凍る」か。「涸れない」と書かなかったのはなぜなのか。「涸れる」と書くと「哀しみ」になってしまうのか。滲む、流れる。動くものは、凍らない。

 

 

 

 

 

(日々の現実だけが)

日々の現実だけが
真実だと
生まれたときから
知っていた

言葉は
移り気な
風に舞って

嘘はいつも
タンポポのように
愛らしく

地平へと
這っていく
無言の蛇の
未知の豊かさ

 「無言」と「未知」は同義語か。知らないものは語れない。もし、ことばが生まれてくれば、それはこの世界を「豊か」にする。それが哀しみや苦しみのことばであったとしても。現実を真実にかえるのは、ことばだ。

 

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