詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

齋藤健一「一日一日」、夏目美知子「テーブルの上の」

2023-06-10 21:58:00 | 詩(雑誌・同人誌)

齋藤健一「一日一日」、夏目美知子「テーブルの上の」(「乾河」97、2023年06月01日発行)

 齋藤健一「一日一日」を、私は「一月一日」と読んでしまった。そして感想を書こうとして「一日一日」だと気づいたのだが、タイトルが「一月一日」でもかまわないと思う。というよりも、「一月一日」の方が、私にはぴったりくる。
 こういう詩である。

飛行機は濡れる。空をひらく。夜中がおわりに重なる。
こがね虫の緑と金色へ滲むのである。鉛筆の2B。紙面
がこぼれる。始まる七月に。照らすだけの外光のさびし
く。握りこぶしの下をみる。おのずと顎をのせる。あり
たけ吸い込みふくらませるのだ。

 「こがね虫」「七月」とあるから、「一月一日」はないだろうと思うかもしれないが、一年の初めに、その年のある日を想像していると読むこともできるだろう。私の年齢のせいかもしれないが、もう「年月」は関係がない。いま、生きている、その「一日一日」しかない。だから「一月一日」も「一日一日」のひとつにすぎない。そして「一日」なのに「一年」が見えるのだ。「ありたけ吸い込みふくらませるのだ。」に齋藤がどういう思いをこめたのかわからないが、私は「深呼吸」と読んだ。毎日、かわらず、深呼吸をする。そこから「一日」が「一日」として始まる。この「始まる」感じが、「一月一日」と重なる。その深く吸い込んだ空気を吐き出してみたら「七月」だったという時間の過ぎ方があってもいいと思う。
 私はもう絵を描かないが、文字を書くときは鉛筆の2Bをつかう。体力的に、それしか受け付けない。そんな「おわり」方も「重ね」で読んでしまう。

 夏目美知子「テーブルの上の」にも「一日一日」が登場する。

活動の大方を諦めると、衣食住だけの小さな生活になる。
それでも一日一日は確実に過ぎて行き、小さな生活は、
夜半、揺り椅子に座る私の心臓の、静かな鼓動となる。

 齋藤の描いていたのも「小さな生活」である。そして、それは「確実」なものである。「諦める」ことによって「確実」になる。
 詩の最後の部分に、ポトフを盛る器の描写がある。

器のぐるりに小花の模様。

 なんでもないような描写だが、「小さな生活」の「小」という文字が隠れていて、それがことばを美しくしている。「ぐるり」に夏目の視点がある。「大方を諦め」ても、しっかりと生き残っている何かがある。自分を見つめ、同時に周囲(ぐるり)もしっかり見つめる。
 それは、やってきたこがね虫を2Bの鉛筆で描いている齋藤の生き方にも通じる。

 私の感想は「一日一日」を「一月一日」と誤読することからわかるように、作者の意図を無視したものだろうけれど、誤読することでしか出会えない何かもあり、誤読には誤読の必然があると思うので、誤読と気づいたけれど、それを「修正」せずに書いておく。

 

 

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坂多瑩子「ムスメハハ」ほか

2023-06-01 18:23:10 | 詩(雑誌・同人誌)

坂多瑩子「ムスメハハ」ほか(「天国飲屋」3、2023年06月08日発行)

 坂多瑩子「ムスメハハ」は、母と娘(娘と母)の愛憎を、こんなふうに書いている。

あたしは囲炉裏のそばで粥を食いながら
見てたさ娘が草苅り鎌を磨いているのを

紅葉のような手だった手に力が入るのを
母さんは生かしてはおれん はよう死ね
なんていわれたりして時代も変わっても

殺し合いっこだよムスメハハムスメハハ

ねえねえねえ母さんきょうってなんの日
かわいいムスメよお前の生まれた日だよ

最近のあたしったらひどく生ぬるくてね
いい子でいい母でいい婆さんやってるよ

 しかし、まあ、「いい子/いい母/いい婆さん」は「生ぬるい」を自覚したりはしないだろう。ましてや「ひどく生ぬるくてね」という「自己批判」などはしないなあ。だいたい、この「自己批判」がほんとうに「自己批判」だったとしたら、それは「過激になる」ということだから。
 こういう「矛盾」が「おばさん」の条件だと私は思う。この「矛盾」を「矛盾」と呼んでしまうのは、いわゆる「論理」というか、男が作り上げてきた「思想のよりどころ」のようなものだけれど、坂多にいわせれば「充実」とか「持続」とでも言うべきものかもしれない。
 私は、ふと、何の脈絡もなく、いま「充実」を「持続」と書き換えて思ったのだけれど。
 もしかしたら、これは、あのベルグソンの「持続」?
 ちょっと、頭を、かすめる何かがあった。

 はっきり覚えていないが、数学は物理に、物理は化学に、化学は生物学(いまなら「生理学」というかも)に引き継がれた(発展した)というようなことをベルグソンは言っていたと思う。「おばさん」というのは、その「生理学」としての「人間」である。「有機体」としての「人間」である。数学的純粋さなんて、古くさい、と笑い飛ばすだろう。

 長嶋南子「四月」には、こんなことばがある。

四月がくるので引っ越します
身の丈にあわなくなった部屋を
男を捨てていきます
どこかに身の丈にあった
部屋はありませんか 男はいませんか

 「いません」という返事は、まあ、通用しない。数学の問題ではないのだから。それに、長嶋にかかれば、あらゆる男は長嶋の「身の丈」におさまってしまう。それが「持続」ということ。
 途中を省略して引用するので、わけがわからないかもしれないが、わけがわからなくてもいいのが詩なので、説明抜きで(論理抜きで)引用すると、詩は、こんなふうに展開していく。

男が来て箱を担いで出て行こうとしています
あれ 産廃業者に頼んで棄てた男ではないか
男の背中に爪をたてて箱から飛び出しました
ご近所をウロウロしている徘徊老人は
わたしではありません野良猫です
いいえわたしです
いいえ野良猫だってば

 私は猫がこわいから見かけたら逃げます。で、その猫というのは、爪をたてる、うろうろする。野良猫。という「要約」にしてしまってはいけないのだが、ここにあるのも「いい加減な持続」だ。そして、この「いい加減」というのは、「論理を超越する」ということでもある。あるいは、「論理なんて、後出しジャンケンでどうにでもなるから、好き勝手に」であるかもしれない。

 

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奥間埜乃「わたしは形容されない安らいだフィールド」

2023-05-14 15:15:20 | 詩(雑誌・同人誌)

奥間埜乃「わたしは形容されない安らいだフィールド」(「マゼラン・フューチャー」02、2023年04月30日発行)

 奥間埜乃「わたしは形容されない安らいだフィールド」の書き出し。

 冬鳥が飛び立つある雪の午后、細い鉤爪のひと蹴りに
小枝が振れるその震動を、応答として記録する一篇の詩
がある。 

 こうした繊細な描写は、最近は見かけないので、目が吸いよせられてしまった。小枝が振れる→その震動→応答→記録という、とてもていねいな変化がいい。いまはやりの、奇妙な「脱臼感」がないのが、私は好きだ。とくに「振れる」から「震動」への変化がおもしろい。動詞をわざわざ名詞に言い直している。そのとき「その」という指示詞がつかわれている。不思議な粘着力が、文体を飛躍させる。粘着力と飛躍は正反対のものだが、「その」の粘着力(接続)によって、「応答」が生まれている。だれの応答? あるいは何の応答? それは書かずに、いきなり「記録」へとふたたび飛躍する。そういう「接続」を振り切り、飛躍することが「詩」なのだ、と、この一連は告げている。
 二連目。

 テクストのこまやかな白息に沿わせ、誰の想像にもの
ぼらない辛苦の染みを、丁寧にやがて旋律へ溶け込ませ
てゆく。

 ことばの動きの繊細さは、一連目を引き継いでいるようで、何かが変質している。一連目にあった「その」の粘着力(接続)がない。
 まあ、すでに飛躍したのだから(詩になったのだから)、そこから先は「その」が不必要ということかもしれないが、妙に私は物足りないと感じてしまう。
 「記録(あるいは詩)」は「テキスト」へと引き継がれていくのだが、ここには「振れる」という動詞を「震動」に置き換えたようなしつこさとずれがない。「その」を補うべきことろがない。
 どこにでも隠れているはずなのに、どうしても表に出てくるしかなかった「ことばの肉体(思想)」を私は「キーワード」と呼んでいる。一連目にあった「その」は「キーワード」であると思って読み始めた私は、ここで、ちょっと読む気力が落ちる。
 詩は、このあと、こう展開する。

 わたしは形容されない安らいだフィールド。

 耳を澄ます。口唇が開く。息に漏れる。

 柔和な体温を届けうるとき、過ぎ去りし日々として虚
空にほどける白い紙には、一条の希望があたかも読点を
打つ行為の比喩に映っただろうか。

 「白息」(二連目)が「息」(四連目)と「白い紙」(五連目)に、「テキスト」(二連目)が「フィールド」(三連目)「紙」(五連目)へと引き継がれながら、「読点」(五連目)を折返点にして「記録」(一連目)へと循環する。
 とても丁寧なのだけれど。
 とても丁寧であるだけに、「その」はどこへ消えてしまったのか、と私は疑問に思うのである。全体を通じて「ことば」の選択は統一されているが、「文体」は激変している。
 「その」が印象づける「接続/粘着力」ではなく、「飛躍」の詩である、と奥間はいうかもしれない。

 まあね。

 途中を省略するが、最終連だけ、一行空きではなく二行空きにして、こう終わる。

 ページを埋めて、とあなたは哭した。

 なんだか、古くさいことばを読まされている気になった。
 思い返すと。
 荒川洋治がつかった「その」は、荒川以前の「散文」と荒川の「文体」を切り離す力を持っていたのかもしれない。(つまり、新しい「文体」の展開だったのだ。)たぶん、戦後の英語教育(翻訳文体)の影響で、私たちの世代に自然に浸透したために、あまりそのことに気づくひとはいないのだろうけれど。
 一連目の「文体」に感心し、書き始めたのだけれど、読み進むと、期待外れだった。私が詩に求めているものが違うだけなんだろうけれど。

 

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細田傳造「雨にも負けず」ほか

2023-05-05 13:35:14 | 詩(雑誌・同人誌)

細田傳造「雨にも負けず」ほか(「ユルトラ・バズル」39、2023年04月25日発行)

 細田傳造は、いつでも非常に面倒くさいことを、非常に簡単に書く。論理を書かない。ただ、感情が変わった瞬間を書く。
 「雨にも負けず」は、雨の中を歩く兵隊の描写からはじまる。

雨が止まない
もう十日も降っている
褌ゲートル軍帽背嚢完膚無く濡れている
陰嚢陰茎そぼり小水漏れて暖を取る

 この凝縮した描写がうまいなあ、と思う。「完膚無く」ということばは常套句かもしれないが、ここに「膚」の文字が出てくるところが、なまなましい。ほんとうに戦争のとき、細田は行軍したのではないか、と思ってしまう。「小水漏れて暖を取る」も、いいなあ。あったかいんだよなあ。どうせ濡れているんだから、わざわざ、ズボンが濡れるかどうか気にする必要はないし、だいたい、行軍のとき、ひとりだけ立ち止まって小便をしていたら叱られるだろう。だから、そのまま、歩きながらするしかないのかもしれない。
 この部分の描写が「褌」からはじまるのも、とてもいい。すべてが唐突ではなく、連想が自然に動くようになっている。
 でも、ほんとうにすばらしいのは、このあと。歩兵は、生きて日本へ帰って来た。

生きて帰った昭和二十一年十一月
腹は減っているが書が読みたい
西武鉄道東長崎駅頭で本屋を見つけ
復員兵服の儘
がつがつがつ書架を物色
腹の立つ詩歌があった
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ・・
                  (注・「西武鉄道」の「鉄」は本文は旧字体)

 そりゃあ、思うだろうなあ。雨の中を行軍し、しかも生きるために、ズボンの中に小便を垂れた。しかも、その惨めな状況のなかで「暖かさ」を感じてしまった。こうした体験のあとで「雨ニモマケズ」と言われてもなあ。「雨にも負けず」生きてきたんだから、そのことを人に言われたくない。
 簡単に言えば、「説教くさい」という反発だ。
 「説教くさい」というのは、とても大切な反感だと思う。それは、「ヒロシです」のなかでは、こうつかわれている。

ヒロシです
吉野弘が嫌いです
生まれさせられたというのが
お説教くさい

 私なりに「誤読」すれば、「生まれさせられた」ということばのなかには、「論理」がある。ふつうは、そういう言い方をしない。つまり、何か、特別な目的を持った「論理」がそこにはある。
 それが嫌いだ、ということだ。
 「説教」というのは、つまりは「論理」である。「頭」で考えたことばが、肉体で考えたことばを押さえ込む。ズボンをはいたまま小便をするのは汚い、とかね。肉体は、ああ、冷えきったからだが小便に触れて、そこだけあったかい、気持ちがいいなあ、を否定する。
 宮澤賢治の詩には、そういうものが含まれていないか。
 「論理」は正しいけれど(正しいから「論理」と呼ばれるのだけれど)、「正しさ」というのは、何か、暴力を含んでいる。素手で殴るというような暴力ではなくて、「疲れない暴力」を含んでいる。機械的だ。
 「雨にもまけず」のつづき。

店を出ると雨が降り出した
雨はきらいだ
宮澤賢治って何だろう
永訣の朝って誰だろう
『肉体の悪魔』というわかりやすそうな本を
小脇に挟んで帰った
        (注・『肉体の悪魔』の「体」は旧字体、細田はとても律儀である)

 『肉体の悪魔』がわかりやすいかどうか判断できないが、このとのきの「わかりやすい」は少なくとも「頭」とは関係がない。「肉体」が反応しそうだ、という無意識だろう。
 「無意識」について言えば。

宮澤賢治って何だろう
永訣の朝って誰だろう

 この二行の「何」と「誰」のつかいわけもすごいなあ、と思う。「頭」で考えれば「何」と「誰」は逆だろう。でも、ね。やっぱり、「宮澤賢治って誰だろう」では、「反発」にならないのだ。何か、違うことを、ままり「論理」を生きるというのは、いったい、何ごとなのかと、無意識に思ってしまう。それを修正せずに、そのままことばに定着させる。
 ことばは、いろいろな動きをするものだが、細田は「修正してはいけないことば」というものをしっかりとつかみとっている。
 もうひとつの作品「心臓を見せに行く」には、こんな行がある。

広島で
朝鮮人のくせにピカドンで死んだ

 この「朝鮮人のくせに」の「くせに」は「修正できない」ことばである。私は「朝鮮人のくせに」と書くことができないが、細田は書くことができる。そこには、越えることのできないものがあり、その越えることのできないものがあるということが、とても重要だと思う。
 「論理」は、この越えることができないもの(越えてはいけないもの)を越えてしまう。そこに、非常な危険がある。
 これは、雨の行軍で「小水漏れて暖を取る」についても言える。私は、それを「わかる」と書いたが、これは、ほんとうは「まちがい」である。どんなに「わかった」つもりになっても、それは「想像力=頭」が動いて「わかる」部分がある。その「わかる」を「論理」にしてはいけない、それは「まちがい」なのである。

 どうすべきなのか。

 この問題に対する「答え」はない。私はとりあえずは「引き返す」。何かにぶつかる。ぶつかったときの衝撃から、自分自身へ引き返す。立ち止まる。
 「論理」というものは、どうしても生まれてくるものだから(なんといっても、脳味噌はずぼらが得意だから、自分さえよければいいというのが脳の主張だから)、それを「壊す」方向へ引き返すしかないと思う。
 そて、その「引き返すためのヒント」が、矛盾した言い方になるかもしれないが、細田の詩にはある。

 ちょっとというより、完全に脱線することになるのだが、私は「雨にもまけず」を読みながら、「台湾有事」を思ってしまったのだった。もう「台湾有事」ははじまっている。それはロシアのウクライナ進攻から同時にはじまっている。
 グロバリゼーションということばがあるが、これは私の考えではアメリカナイズと同じである。アメリカは、地球をアメリカナイズしようとしている。もし、戦争を(台湾有事を)防ぐなら、アメリカナイズというのグロバリゼーションがら「引き返す」しかない。アメリカナイズされないこと、アメリカナイズという「論理」で世界をおおわないことしかないと思う。
 世界には、アメリカナイズに疑問を感じている国が多くある。多くの人がいる。日本では、その動きはあまり報道されないが、その国や、そういう人の脇に立ってみる必要がある。アメリカの論理から引き返す必要がある。
 「核拡散」にしろ、それは「核があれば自分の国の安全は守れる」というアメリカの主張がグローバル化したもの、アメリカの主張をソ連(ロシア)、中国、北朝鮮がまねしたものである。イスラエルの問題を考えれば、それがいっそう鮮明になるだろう。


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布村浩一「歩く」

2023-05-05 11:26:59 | 詩(雑誌・同人誌)

布村浩一「歩く」(「別冊詩的現代」2023夏、2023年夏発行)

 

 布村浩一「歩く」は、こうはじまる。

 

大川を北へ折れて

そのまま歩いて

途中で

団地の方へ

団地の方角へ

入っていき

そのまま歩き

 

 「そのまま」がこの詩のキーワードで、歩いた場所を「そのつまま」書いている。歩いていくと「大きな建物」がある。「そのまま」とは書いてないが、「そのまま」入っていく。という具合に、どこにでも「そのまま」を補えるのだが。

 

ここに百均の店と

スーパーマーケットと

ドラッグストアと

本屋がある

ドラッグストアとスーパーマーケットの

あいだにきれいな白いトイレがあり

そこで用を足してから

本屋に入る

店の中をぐるっとまわって

雑誌のコーナーで停まる

ここにある週刊誌と隔週の週刊誌と月刊誌を

読む

 

 この「そのまま」の感じがとてもおもしろく、「そこで用を足してから/本屋に入る」のあいだに、思わず「そのまま」を挿入したくなる。そのまま、手を洗わず。手を洗ったのなら「そこで手を洗って」と書きそうなのに、書いてないなあ。きっと「そのまま」手を洗わず、本屋に入ったんだろうなあ。

 ま、これは、私の「妄想/誤読」だから、気にしないでね。

 その本屋の描写では「ここにある」ということばがとてもおもしろい。「ここにある」もの以外は読むことはできないのだが、「ここにある」と書く。「ここ」、つまりそのとき布村が存在する場所を、「そのまま」克明に書いている。

 「そのまま」が「ここにある」を発見するまでの過程が書かれていて、私は、詩は「ここ」でおわってもいいなあ、と思った。私なら「ここ」でおえるだろうと思うのだが、布村は私ではないので、当然、違ったことを書く。

 このあと、当然なことながら、本屋を出て「そのまま」歩き続ける。

 

細い長い道がみえる

坂だ

そこへ向かう

細い長い道に向かう

細い長い道に向かって歩いていると

大きな風景があらわれる

高い広い大きな風景に向かって

歩く

 

 ここに「そのまま」は補えるか。もちろん、補ってもいい。しかし、なんなとく「そのまま」を補いたくない。

 本屋で発見した「ここ」が「そこ」に変わったときから、「そのまま」も変わってしまったのだ。「歩く」と書いているが、「そのまま」歩くのではなく、「向かって」歩く。大きく変わったわけではなく、少し意識が変わっただけであり、布村は、日が暮れればやっぱり家へ帰るだろうが、その途中で、ふいに「高く」「広い」「大きな」を見つけ、その瞬間に「向かう」が鮮明になる。

 

 短く、どうでもいいような(?)詩だが、そのどうでもいいことが、とてもいい。この詩は贅沢だ。二篇にわけて書くことができるのに、一篇に統合し、何か正反対とでも言うべきものを、分離できない「ひとつ」にしている。

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荒川洋司「工場の白い山」ほか

2023-04-24 18:11:27 | 詩(雑誌・同人誌)

荒川洋司「工場の白い山」ほか(「午前」23、2023年04月25日発行)

 中井久夫が、どこかで「訳詩というのは、元の詩を暗唱してしまえるくらい記憶するのではなく、少しうろ覚えのところがあるくらいの方が、うまくできる」というようなことを書いていた。詩の鑑賞も、それに似ていると思う。完全に理解してしまうと、そして暗唱できるくらいに覚えてしまうと、つまらないのではないか。記憶まちがい、なんだったかなあと思い出せない部分があるくらいの方がおもしろい。
 その中井の意見とは少し違うのだが、そして似ているかもしれないとも思うのだが、詩というのは、何かわからないところがある方がおもしろい。特に、初めて読む詩というのは、わからない方がおもしろい。

 荒川洋司「工場の白い山」を読んでみる。

白い山肌は
みそれにおさめられた
落ち悔いたようで
安らかでなく
生き方は いまどうしているのか
鋭利なものは とがりながら枠を外れ
愁然とした一本のからだを横にしたり
真横に返したりして
引き寄せるうちに
次々に仲買人の肩先をとおって
生き方は どこかへ
あるじのないまま運ばれていくのだ

 書かれていることばのひとつひとつは、わかる。(わかると、思う。)しかし、そのつながり方が、よくわからない。だから、つまずく。それは、わからないものを偶然見つけてしまう感じにも似ている。
 「生き方」ということばが二回繰り返されているから、だれかの「生き方」を思って、荒川はことばを動かしているのだろうと想像はできるが、どんなふうに想像しているのか、よくわからない。「いまどうしているのか」とあるから、まあ、荒川も、それを知らないのだろう。知らなくても(あるいは知らないから)想像できるとも言える。
 荒川のなかでは「脈絡」があるのだろうけれど、その「脈絡」は私の想像をこえているので、ついていけない。ついていく必要もないのだが、ついていくとぶつかってしまう。それは私の行きたいところとは関係ないから何だろうなあ。
 この感じが、雑踏の中を歩いていて、前を歩いている人にぶつかってしまうときの感覚に似ている。しかも、知らない人なら、「あ、ごめん」ですむのだけれど、なまじ知っているので、何か、その人を追いかけていたのを見つかってしまった感じかなあ。
 つまり、私を逆に、覗かれてしまった感じ。
 でも、私の何を? 私のことばの動きを。私のことばがどう動いているかを。

 あ、ほんとうは、こんなことを書きたいわけではなかった。思わぬところへ引きずり込まれてしまいそうなので、ちょっと逆戻りする。

 ことばを追いかけ、つまずいてしまうのは、私の知っている「文法/文体」意識では書かれていないからである。「文体」(意識の肉体)というものは、だれでも独自のものだから、それを完全に理解できるはずがないものだ。しかし、私たち(私だけ?)は、それを「理解できる」ものとかってに思い込んで、それを追いかける。追いかけると、妙なずれに悩まされる。そして、書かれていることばの「文体(意識の肉体)」のなにかを見落として、その瞬間に「ぶつかる」。意識な「意識の肉体」にぶつかる。

 ということも、ほんとうは書きたかったことではなく、脱線なのだが。
 でも、脱線してから、もとに戻った方が、断線の重大さがわかるかもしれないなあと思い、先走って脱線しておくのだ。

 何が書きたかったかというと。
 今回の、荒川の詩の文体、ギクシャクと折れたような文体、つまずきを誘うというのは、いまの現代詩のひとつの流行であり、それは江代充はじめ、何人かがバリエーションを展開することで流行した。まあ、「源流」は、荒川が『水駅』で完成した文体を破壊し、別なことばの動きを探し始めたところにあるのかもしれないが(だから、今回の荒川の詩は、一種の「先祖返り」の部分もあると思うのだが)、……これは、荒川の「その」という指示代名詞がつくりだす厳密な「文脈」からの「解放」ともいえるものだ。
 あ、私の「文体」も乱れています? でも、私の文体の乱れ方は、どちらかというと、「粘着的」でしょ? 「折れた文体」というよりも、「切断」を拒んでねじまがっていく文体だね。
 この荒川の、あるいは、江代の、折れながら(切断されながら)、接続していく文体は、どうすればつくることができるのか。きょう考えるのは、それだ。
 荒川は「生き方は」ということばを繰り返すことで、さらには「横にしたり」「真横に返したりして」という具合に「横」を引き継ぐことで、接続を強調し(この手法が、ほかの詩人とは違う)、逆に切断を浮かび上がらせるのだが。
 田中清光の「約束」を読んでいたら、ふいに、簡単な(?)方法を思いついたのである。
 田中の詩は、こうである。

木は
花を咲かせるという約束を
目の前に見せている
木の声には言葉がいくつもあって
その音声は 空の言葉に
無心に答えているように聞こえる
わたしにあるはずの
見えない水路
宇宙の資材とつながっている回路でも
かすかな音声が通りみちの淀みや暗渠を越えようとしているようだが
まだわたしの身体まで到着してこない

 この田中の詩も、かなりギクシャクしているが、五行目の「その音声は」の「その」が荒川世代の「粘着力のその(指示代名詞のその)」なので、そういうものをばっさり切り落として、こうすると、どうだろうか。

花を咲かせるという約束の
木の声には言葉がいくつもあって
無心に答えているように聞こえる
わたしにあるはずの
宇宙の資材とつながっている回路でも
かすかな音声が通りみちの淀みや暗渠を越えようとしているようだが
まだ身体まで到着してこない

 「その」という粘着力のあることば、必然的に脈絡を産み出してしまうことば削除し、さらにそれにつながることばを隠してしまう。「その」によってひっぱりだされてきたものをあえて隠してしまう。脈絡を見えなくして、飛躍を装う。(ほんとうは、脈絡はある。)そうすると、「いま流行の文体」になるのではないかと思ったのだ。
 しかし、それを繰り返すだけではおもしろくない。
 では、荒川は、どうするか。それを私は、どう読んだか。それを書こうと思ったが、やっぱりやめておく。「午前」で、荒川の詩を直接読んで、そのつづきをたしかめてほしい。

 


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平田俊子の視点

2023-04-23 08:49:10 | 詩(雑誌・同人誌)

平田俊子の視点(読売新聞、2023年04月23日)

 2023年04月23日の読売新聞。「こどもの詩」というコーナーに、古井いつきの「私のおなか」という作品。

おなかには三つお部屋がある
一つ目はおくすりのへや
二つ目はおやつのへや
三つ目はごはんのへや
もぐらさんのおうちみたいに

 さて、この詩に、いったいどんなことが言えるか。平田俊子は、こう書いている。

 大人になるとお酒の部屋もできたりします。

 この感想は、とてもいい。子どもを特別扱いしていない。子どもはおとながお酒を飲むことを知っている。子どもは飲んではいけない、ということも知っている。だから、ね、大人になるといいでしょ? なりたいでしょ、とそっと言っている。
 このちょっとふざけた励ましは、「一つ目はおくすりのへや」の奥にあることばをくみとっているのだろう。
 この子どもは、薬を毎日飲まないといけない。何らかの病気なのだろう。そして、子どもは薬を飲むことを、部屋が三つあるという言い方で納得している。だれもが三つの部屋をもっているわけではない。このけなげな努力を、ゆっくりとゆさぶり、ときほぐしている。
 平田の詩には、何かしら「配慮」の匂いがして、私はその「配慮」が嫌いというか、どうしても肉体がむずむずしてしまうのだが。
 でも、この子どもに対する「気配り」はいいなあ、と思った。子どもは「気配り」されたことに気がつかない。「対等」を、まあ、対等(平等)ということばではつかみ取らないと思うが、その「対等/平等」を感じ、目を丸くするだろう。
 その驚き、喜んでいる子どもの顔が見てみたいし、あとで舌を出している平田の顔も見てみたい。
 
 詩は、書かれただけでは、完結しない。

 

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Antonio Baños Roca「RECUERDAME QUE TE QUIERO」

2023-04-21 18:21:39 | 詩(雑誌・同人誌)

Antonio Baños Roca「RECUERDAME QUE TE QUIERO」

 Antonio Baños Roca「RECUERDAME QUE TE QUIERO」の詩を読んでいたら、不思議なことばにであった。

Sin rumbo, navegando a la deriva
en un mar de incertidumbre,
llegan los días y las noches
donde mis cabellos blancos
soportan el paso del tiempo.

Atrás quedan ilusiones logradas,
momentos compartidos,
experiencias adolescentes vividas,
promesas por cumplir.

Recuerdo, cuando recuerdo...
El claroscuro de mi comportamiento.
El dulce sonido de tus palabras.
La suave caricia de tus manos.

Pero a veces... tormento y desespero.
Sombras sin voces me acompañan
en mi viaje a ninguna parte
con sonidos de colores apagados.

Y tú, a mi lado cuando despierto
con tus manos acariciando mi frente,
recordándome que soy y que existo.


 三連目、二行目のある「claroscuro」。claro (明るい)とoscuro(暗い)が結びついている。日本語にも「明暗」ということばがあるから、これがそのまますぐに「撞着語」(oxímoron)とはいえないかもしれないが、そうした類のことを感じさせる。
 恋愛は、いつでも明るい部分と暗い部分をもっている。「あなたのことば、その甘い響き」「あなたの手、その柔らかな愛撫」は、私を誘う。そして、とらえて放さない。それが甘美であればあるほど、不安も忍び寄る。恋愛の歓喜の一瞬にさえ、不安は忍び込む。そして、それは不安があるからこそ、喜びを高めるのかもしれない。不安は、いうまでもなく、自分自身のなかから生まれてくる。聞いてはいけない声が、自分の中から聞こえてくる。それは、いつでも詩人に寄り添っている。
 Antonio が書いていることは、私が「誤読」している内容(意味)ではないかもしれないが、「claroscuro」という不思議なことばは、そういうことを思い起こさせる。「Sin rumbo (方針もなく、あてもなく)」という書き出しのことばが、それを感じさせるし、「 incertidumbre(不確実性、あいまい)」も、そうした「不安」を増幅させる。途中に「歓喜」が書かれているけれども、「不安」がよぎる。
 「RECUERDAME QUE TE QUIERO」(お前を愛している、そのことを思いださせてくれ)というのも、その「不安」と不思議な呼応をしている。

櫂もなく、あてもなく
私は不確実という名の海を漂う
繰り返しやってくる昼と夜の
つきることのない時間に洗われ
私の髪を波のように白く乱れる

実現してしまった私の夢
二人で共有した至福の瞬間、
青春の純粋ないのち
約束は必ず果たされた

覚えている、忘れることなく覚えている
私をとらえて放さないそのまぶしいような、
あなたのことば、その甘い響き
あなたの手、そのやわらかな愛撫

そして同時に、私をとらえて放さない
苦しく不安な予感、声を持たない影が、
どこにもたどりつけない旅を
沈んだ音をひきずりながらついてくる

でも、きみが、私のそばによりそうきみが、
その手が、いつもと同じように
私の額に触れるので、私は私を思い出す
きみを愛する私はまだ生きている

 これは、「翻訳」というよりも、「意訳」、あるいは「誤訳」の類だが、日本語にしてみたくなって書いてみた。

 

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野沢啓「言語暗喩論のたたかい--時評的に3」(2)

2023-04-15 22:52:54 | 詩(雑誌・同人誌)

野沢啓「言語暗喩論のたたかい--時評的に3」(「イリプスⅢ」03、2023年04月10日発行)

 野沢啓「言語暗喩論のたたかい--時評的に3」は、「言語暗喩論」をひと休みして、ある賞めぐるあれこれを書いている。
 これは、私のように、あまり接触のない人間には、すこぶるおもしろい文章であった。何がおもしろいといって、野沢は「言語暗喩論」の完成に向けでことばを動かしている人間だと思っていたら、ほかのことにも関心があったということがわかったことである。「言語暗喩論」を脇においておいても、まず、書いておきたいことがある。
 なるほど。

 しかしまあ、「人事」というのもの、おもしろいものだなあ。「人事」であるから、そこに書かれていることは、別の人から別の「出来事」に見えるかもしれない。「出来事」は、それに直面した人の数だけ存在する、ということだろうなあ。
 もしそうであるなら。
 「ことば」という「出来事」も、「ことば」に向き合う人の数だけ、その「個別な様相」を持っていることになるだろう。
 そう考えれば、野沢が今回書いていることも「〇〇暗喩論」というような「論」として成り立つかもしれない。「詩人賞暗喩論」「詩人賞選考委員暗喩論」。何の「暗喩」? もちろん「詩人会(界?)人事」の「暗喩論」である。詩人賞、詩人選考委員、その選考過程は、すべて何かの暗喩である。
 野沢は「人事」と言わず、まあ「時評」と言うのかもしれないが。

 しかし、と、私はもう一度「しかし」を書く。
 結局ね、私は、野沢が書いているのは「野沢暗喩論」なのだと思う。「言語暗喩論」も「野沢言語暗喩論」、人事について書けば「野沢人事暗喩論」。だから、すべては「野沢暗喩論」なのである。
 詩の言語が他の言語に先立つというのは、結局、野沢の言語は他の人の言語に先立つという主張につながるんだろうなあ、と思う。そういう意味で、あらゆることは「野沢暗喩論」を、さまざまに展開したものだろうなあ、と思う。
 別の形で言い直すと。
 私は野沢の「詩の言語」を特権化した主張には疑問を感じるが、野沢が野沢を特権化する主張にはまったく疑問を感じない。それでいいのだと思う。「詩の言語」ではなく、野沢の言語(主張)をテーマにして「暗喩論」を展開すれば、非常に説得力があると思う。少なくとも、私は納得する。
 詩を書く人は大勢いる。小説を書く人も大勢いるし、哲学を書く人もいる。ことば以外に色や形に取り組む人もいれば、音に取り組む人もいる。そのなかから詩を選んで、詩を特権化していることに私は疑問を感じるが、「野沢自身」を特権化して書くのであれば、私はほんとうに納得する。だれだって自分を「特権化」して書く権利も持っていれば、自由も持っているし、義務も持っている。

 今回書いているように、もっと野沢を特権化して論を展開すれば「言語暗喩論」はとても説得力のあるおもしろいものになると思う。野沢を特権化するのではなく、詩を特権化しようとしているから、私は疑問に思うのである。言い直すと、詩を特権化することで、野沢を正当化しようとしていると感じ、いやあな気持ちになるのである。今回のように、野沢を特権化して、その野沢が特権を駆使して詩を書いている、詩論を展開しているということで突っ走ればいいのだと思う。
 今回の野沢の書いている文章は、とても率直な、野沢自身の声に満ちた(野沢の声だけで書かれた)文章だと思った。

 


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野沢啓「言語暗喩論のたたかい--時評的に3」

2023-04-14 23:34:27 | 詩(雑誌・同人誌)

野沢啓「言語暗喩論のたたかい--時評的に3」(「イリプスⅢ」03、2023年04月10日発行)

 野沢啓「言語暗喩論のたたかい--時評的に3」は、「言語暗喩論」をひと休みして、ある賞めぐるあれこれを書いている。
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 なるほど。

 しかしまあ、「人事」というのもの、おもしろいものだなあ。「人事」であるから、そこに書かれていることは、別の人から別の「出来事」に見えるかもしれない。「出来事」は、それに直面した人の数だけ存在する、ということだろうなあ。
 もしそうであるなら。
 「ことば」という「出来事」も、「ことば」に向き合う人の数だけ、その「個別な様相」を持っていることになるだろう。
 そう考えれば、野沢が今回書いていることも「〇〇暗喩論」というような「論」として成り立つかもしれない。「詩人賞暗喩論」「詩人賞選考委員暗喩論」。何の「暗喩」? もちろん「詩人会(界?)人事」の「暗喩論」である。詩人賞、詩人選考委員、その選考過程は、すべて何かの暗喩である。
 野沢は「人事」と言わず、まあ「時評」と言うのかもしれないが。

 しかし、と、私はもう一度「しかし」を書く。
 結局ね、私は、野沢が書いているのは「野沢暗喩論」なのだと思う。「言語暗喩論」も「野沢言語暗喩論」、人事について書けば「野沢人事暗喩論」。だから、すべては「野沢暗喩論」なのである。
 詩の言語が他の言語に先立つというのは、結局、野沢の言語は他の人の言語に先立つという主張につながるんだろうなあ、と思う。そういう意味で、あらゆることは「野沢暗喩論」を、さまざまに展開したものだろうなあ、と思う。
 別の形で言い直すと。
 私は野沢の「詩の言語」を特権化した主張には疑問を感じるが、野沢が野沢を特権化する主張にはまったく疑問を感じない。それでいいのだと思う。「詩の言語」ではなく、野沢の言語(主張)をテーマにして「暗喩論」を展開すれば、非常に説得力があると思う。少なくとも、私は納得する。
 詩を書く人は大勢いる。小説を書く人も大勢いるし、哲学を書く人もいる。ことば以外に色や形に取り組む人もいれば、音に取り組む人もいる。そのなかから詩を選んで、詩を特権化していることに私は疑問を感じるが、「野沢自身」を特権化して書くのであれば、私はほんとうに納得する。だれだって自分を「特権化」して書く権利も持っていれば、自由も持っているし、義務も持っている。

 今回書いているように、もっと野沢を特権化して論を展開すれば「言語暗喩論」はとても説得力のあるおもしろいものになると思う。野沢を特権化するのではなく、詩を特権化しようとしているから、私は疑問に思うのである。言い直すと、詩を特権化することで、野沢を正当化しようとしていると感じ、いやあな気持ちになるのである。今回のように、野沢を特権化して、その野沢が特権を駆使して詩を書いている、詩論を展開しているということで突っ走ればいいのだと思う。
 根幹の野沢の書いている文章は、とても率直な、野沢自身の声に満ちた(野沢の声だけで書かれた)文章だと思った。

 


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君野隆久「冬の地図」ほか

2023-03-23 11:14:07 | 詩(雑誌・同人誌)

君野隆久「冬の地図」ほか(「左庭」52、2023年03月15日発行)

 君野隆久「冬の地図」は、定型詩が乱れたような詩である。

ゆきのはだらの
なげきはあれど
うすらひをふみ
ふゆのひを
法外なひかりの
つよさのもとに
ひとどもの
恐るおそる歩む
さまはさながら
地に
ひそむいかづち
を避けるが如く
蛇行し、跛行し

 ことばの形を統一しようとする思いと、乱れても書くしかない思いが交錯しているのか。ここにあるのは邪心か、正直か。よくわからない。そういう風に乱れるのがこころかもしれないと思うが、君野がそれを意識しているか無意識なのか、それもよくわからない。そして、そのよくわからないことが、私にはとても気になる。
 何よりも「はだら」「うすらひ」という柔らかな音と、「法外」「蛇行」「跛行」の硬い音の交錯が気になる。視覚も、聴覚も、何か、統一されることを嫌っている。

そのような地図
があったとして
折り目が
綻ばないように
音のない動悸の
苦しみに緊張し
しずかにたたむ

 詩を「意味」に要約してしまっては詩にならないが、ここには確かに「苦しみ」という名前の「緊張」が「たたまれている」のだろう。「折り目」はどんなに注意してみても、くりかえせばかならず「綻びる」。そうであるなら、「たたむ」と同時に、それを「逃がす」ということも必要だろう。
 その「逃がす」行為としての、詩、ということになるのか。
 そのことを告げる、この最終連は、とても美しい。「冬の地図」とは「折り目」がつくる地図である。「苦しみ」とは言わずに、私は、それを「時間」と思って読んだ。

 江里昭彦が俳句を書いている。

樹下にして省く色なし岩清水

 「樹下にして」という漢語調(?)の響きが「省く色なし」と強く結びついていて、とても美しい。「省く色なし」のあとに「即」が隠れていて「岩清水」とつながる。遠心・求心の強さがある。
 これが少しずつほどかれて

やがて来む弟を待て湧きみずよ
みず飲んで旅も盗みも同じこと
風哭かずば弟の声聴きとれず

 と静かに悲しみに変化していく。「弟」が実在か、虚構か、私は知らないが、ここには何か虚構の響きがある。こころは虚構のなかで解放される、その解放のために詩はあるのかもしれない。
 私は弟を持たないが、江口の句を読みながら、弟を思ったひとの、悲しみ(苦悩)と甘えを思った。「甘え」と書くと語弊があるかもしれない。「安心」と言い換えれば、それは君野の書いた「地図」になるだろう。
 「地図」は、その道を歩いたときだけ、ほんとうの「地図」になる。「地図」は、歩いたあとに、うしろにできるものである。あらゆることばが遅れてやってくるように、地図は遅れて完成する。つまり、地図にしたがって歩いても、どこにもたどりつけない。その不可能の記録が詩である。

 君野は、また中井久夫の思い出を書いている。私なりに要約すれば、それは「ことばはとどく」ということである。冨岡郁子の「なんて強いことば」というエッセイも、同じことを語っているかもしれない。
 私の経験を書いておくと。
 「ことばはとどく」と感じたのは、つい先日、中井久夫集3(みすず書房、2017年07月10日発行)を読んでいたときのことである。私は「解説」というものを、ほとんど皆無というくらいに読まない。先日、その本を読んでいたとき、たまたま、解説の中に中井の訳した詩が載っていたからである。最相葉月は詩をどう読んでいるのか、とふと思って読み始めた。そうしたら、そこに私の名前が出て来た。私は、どんなひとのことばに対する感想でも、その書いたひとに向けて書いている。ほかのひとが読んで、何もわからなくてもいい、書いたひとに伝えたいことがあって書いている。私が書いた中井訳の詩に対する感想も、中井に向けて書いたものである。だから、平気で「誤読」を書きつらねている。カヴァフィスやリッツオスの詩に対する批評でも感想でもないからだ。カヴァフィスやリッツオスの詩の読者に向けての「紹介」ではないからだ。翻訳した中井に向けて、この詩はこういう詩です、といってみたってしようがない。中井の方が私よりはるかに詳しく知っている。私が考えることができるのは、中井のことばについてだけだからである。そういうことばが、中井以外のだれかにとどくとは思ってもいなかった。ところが、最相にとどいたように見える。これは、私にはたいへんな驚きであった。そして、たいへんな励ましでもあった。
 しばらく「詩はどこにあるか」で詩の感想を書くのを中断していたのだが、再会する気になったのは、そのためである。

 

 

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ツチヤタカユキ「プラネタリウム・テイクアウト・デイズ」

2023-03-21 18:17:55 | 詩(雑誌・同人誌)

ツチヤタカユキ「プラネタリウム・テイクアウト・デイズ」(「ココア共和国」2023年2月号)

 ツチヤタカユキ「プラネタリウム・テイクアウト・デイズ」は、こうはじまる。

地球上の人類全員に、つけられるようになった順位。
政府から届いた封筒には、『あなたが最下位になりました』。

その夜、神様がなくしてしまった、地球を作るレシピを拾う。
そこには『ビックバン大さじ1+アダムとイブ』と書いてあって、
私は自分の脳内で、大さじ1のビックバンを起こして、そこに小さな
地球を作った。

 空想の世界である。空想の世界だから何が起きてもいい。だいたい空想にストーリーは必要がない。そういう点では、詩、そのものである。だれも過去に何が起きたか気にしない。これから起きることだけを期待して読む。ストーリーに整合性はなくてもいい。整合性がない方がおもしろい。整合性のかわりにあるのは、何か。人によって、違う。ことばのエネルギーの場合もあれば、「文体の統一」(リズム感の統一)というのも、ある。
 ツチヤタカユキは「文体の統一」で動いている。

その帰り道、神様がなくしてしまった、天使の採用試験問題を拾う。
そこに書いてあった質問に答えた瞬間、
私の順位は1位になった。

Q.『人間の平均寿命が3分間になった世界で、君は何をして、一生を
   終える?』

「カップラーメンにお湯を入れて、次に生まれた奴に食わせる」。

 最後の「奴」がとてもいい。
 3分間、カップラーメンだけでは、ちょっと気の利いた「落語」のようなものである。気取った詩人が見落としていたものを拾い上げて世界を作ってみた、という感じ。「論理」が目立ってしまう。
 この「奴」が「人」だったら、とても気持ちが悪い詩になる。
 「奴」には、軽蔑と親しみの、ふたつの響きがある。それは「人類」や「政府」「神様」「天使」にも通じる。
 私は、ツチヤタカユキがつかっていることばで何か語ろうとは思わないが、「奴」はつかってみたいかな、と思った。「奴」には、何か、「人類」「神様」、それから「順位」というようなものを、ちゃらにする力がある。その力で、詩が統一されている。

 

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中本道代「小さきもの」

2023-03-20 21:19:12 | 詩(雑誌・同人誌)

中本道代「小さきもの」(「交野が腹」94、2023年04月01日発行)

 中本道代「小さきもの」の書き出し。

窓の方へ
少しだけ開いた窓の方へ
立たない手足でもがきながらにじり寄っていく

 「窓の方へ」を「少しだけ開いた窓の方へ」と言い直したとき、この詩は、ひとつの方向性を持つ。「大きく開いた」ではなく「小さく開いた」は、世界を限定する。そのあとに「立たない手足」「もがく」「にじり寄る」がつづくのは必然である。
 この必然を、どう裏切るか。

草木の息で満ちた大気
複雑な土の匂い

 「満ちる」という動詞と、「大気」のなかにある「大」という文字。これは、一種の補色のようなものである。「少し」からはじまる「弱いもの」の対極にある。しかし、それは「弱さ」を強調されるための、一瞬の、反対概念である。
 「複雑」と、中本自身が、解説してしまう。
 こういう行というか、ことばの展開を、どう評価するかは、詩の問題では非常に大きくなる。たぶん、「論理的」という評価に落ち着いているのだと思う。「論理の粘着力」と言ってもいいかもしれない。それが中本の、ことばのリズムの特徴だろうと思う。
 このリズムが、しつこくなっていく。

馴染んでいた場所に戻りたい
呼吸が早い
珍しい宝石だったような眼が見開かれて
まだ何かが見えてくるのか
早い呼吸が続く
黄昏が降りるころ
激しく頭を上げて息を吐きだし 息を吐きだし
背中を上下させていた息の流れが止まっていく
それでもまだ息を吐きだし 手足をもがき
息を吐きだし
そしてすべての動きが止まる

 「息を吐きだし」だけでは、中本にとっては不十分なのだろう。「それでも」に「まだ」も追加している。
 これが、中本の「キーワード」。あちこちに、「それでもまだ」が隠れている。

窓の方へ
少しだけ開いた窓の方へ
立たない手足でもがきながら「それでもまだ」にじり寄っていく
草木の息で満ちた大気
複雑な土の匂い
馴染んでいた場所に「それでもまだ」戻りたい
呼吸が早い
珍しい宝石だったような眼が「それでもまだ」見開かれて
「それでも」まだ何かが見えてくるのか
早い呼吸が「それでもまだ」続く

 「手足のない/小さきもの」の動き(動詞)には、いつも「それでもまだ」が隠れている。隠れてしまうことができなくて「まだ」が露出している行もある。
 「手足のない/小さきもの」の「それでもまだ」が、しつこく繰り返される。「それでもまだ」という意思の力が、自然と浮かび上がってくる。私はこういう首尾一貫した「粘着力」のある文体は、好きである。

 

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池田順子「たたむ」

2023-03-12 22:18:32 | 詩(雑誌・同人誌)

池田順子「たたむ」 (「ガーネット」99、2023年03月01日発行)

 池田順子「たたむ」を読む。

夕陽が畳に届くころ
母は
正座する

 この一連目を読んだ瞬間に「膝をたたむ」ということばが、やってきた。「膝をたたむ」という表現は辞書にはないのだが(「広辞苑」にはのっていなかったが)、私は「正座する」ことを「膝をたたむ」と聞いたような気がするのである。いまは正座をすることがないから、そんなことばを忘れていたが、私の田舎では「膝をたたむ」と言ったような、かすかな記憶がある。
 そして、私は、正座をしている母を思い出したのである。何をしていたのか。
 池田の詩は、こうつづいていく。

弾む光に
膝はあかるい
空き地のよう

小石の囁きが溢れる
ズボンのポケット
夢の匂いのする
シーツのしわをのばし
憂いはゆびで弾き飛ばす
枕のくぼみに
明日の約束を仕舞う

陽をたたみ終えると
母は
つま先から
母を裏返すのだった

 「シーツのしわをのばし」「陽をたたみ終える」ということばから、私は、洗濯物を畳んでいる母を思い出した。
 あ、昔は、洗濯物をたたむときでさえ正座をしたなあ。
 それはなぜなんだろうか。
 あれは、感謝のあらわれだったのかもしれない。太陽に対する感謝。洗濯物をかわかしてくれた太陽への感謝。太陽に返すものは何もない。だから、正座をして、自分を整えて、手の届かない何かに気持ちを伝える。

つま先から
母を裏返すのだった

 これが何をあらわすのかわからないが(前の部分も何を意味しているか、私は、わからないが。つまり、私は「誤読」しているのかもしれないのだが)、正座から立ち上がるとき、まず爪先を立てる、それから爪先を起点にして足裏をつける。その動きは、たしかに「裏返す」かもしれないなあ、と考えたりする。
 「たたむ」という行為は、とても不思議な力を持っている。洗濯物、衣類がそうだけれど、乱雑に積んでおくと、かなりの場所をとる。しかし、丁寧にたたむと、それは意外と小さな形になる。引き出しに放り込んだセーターやシャツは、乱れた形だとすぐに引き出しを埋めてしまうが、丁寧にたたむとスペースが簡単に生まれる。「むだ」がなくなる。
 正座をすることを「膝をたたむ」というのだとしたら、そのとき、きっと私は何かの「むだ」を省略しているのだろう。それは、別なことばで言えば、別な力を貯めているのかもしれない。そのときはつかわなかった力をつかうために立ち上がる。爪先をつかって、いちばん小さな動きで。
 そんなことを思った。
 ここには「小さな動き」を大切にする生き方が、とても静かな形で書かれている。
 「明日の約束を仕舞う」の「仕舞う」も美しいことばだなあ、と思いながら読んだ。何か特別なことが書かれているわけではないが、その特別なことではないということが、それがとても特別なことなのかもしれない、と思える詩である。

 だれか、「膝をたたむ」ということばを聞いた記憶のある人はいませんか?

 

 

 


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細田傳造「うん」

2023-03-08 23:54:59 | 詩(雑誌・同人誌)

細田傳造「うん」(「ぶーわー」49、2023年03月10日発行)

 細田傳造「うん」を読む。どこまでがほんとうで、どこからが嘘か、わからない。しかし、嘘にしたって、それを書いているときは、それを書かずにいられないほんとうがあるのである。だから、みんなほんとうと思って読む。詩を書く人間は人をたぶらかしているし、読む人間もだまされてもともとと思って読んでいる。どっちにしたって、人の書いた詩は、自分とは関係がない。それは私の生活ではないのだから、何が書いてあったってかまわない。そのことばのなかで、私は、私の考えたいことを考えるだけである。

おやじ友達出来たか
慈悲が来たりてきく
うん さんにん
三人もか よかったなおやじ
うんさんは海埜と書いてうんのと読むんだ
交際のきっかけのくわしいいきさつはおしえない

 とはじまる。「おやじ(細田か)」は「慈悲(息子か)」と会話している。二人目もうんさん。百万円拾って届けたら落とし主が現れないので、自分のものになった。運がいいからうんさん、とつづけて三人目。

さんにんめの御友達もおんなのひとか
もちろんご婦人だ
いつもうんこのニオイがしている
なまえはしらない
うんさんとよんでいる
身近なカオリでおちくつ
勃起させてくれる
ここは酸素が濃い

 なんといってもおもしろいのは、ことばの「口調」が、整えられていないことだ。親切なのか、冷酷なのか、丁寧なのか、乱暴なのか。皮肉を言っているか、うらやましがっているのか。「うんこのニオイ」を「身近なカオリ」と言い直したあとで「勃起」か、とうなってしまう。
 ここでは、ことばは「知性」ではない。ことばは「肉体」のまま動いている。
 で、ことばが「肉体」であるとき、それはどんなに乱暴(暴力的)であっても、「知性」の暴力に比べれば何のことはない。「知性」は肉体を持たないから、他人を徹底的に破滅させてしまうが(核兵器がその代表)、「肉体」には、そこまでできない。
 どうしても「肉体」が触れ合うと「反応」が「肉体」にかえってくるから、どこかで、何かが連絡し合う。まあ、一種の「セックス」である。そんなことを感じさせるところが「ほんとう」である。
 
片貝の養老ホテル
いいところにおしこんでくれてありがとうよ
もつべきものは愚息だなあ
韓国語でも運はうんという
うつくしいわが人生である
うん

 いいなあ、この終わり方。細田は、「受け入れる」ということを知っている。「受け入れる」ことが生きること、交わることなのだ。交わったら、そうだね、ちゃんと「エクスタシー」まで、「肉体」のかぎりつくす。
 その「つくす」が、いつでも細田のことばのなかにある。「ほんとう」がなければ、つくせないからね。

 

 


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