文化財石碑
天明3年(1783)7月3日の浅間山の大噴火は、
日本の火山史のなかでも希にみる大惨事であった。
噴出した溶岩泥流は村落を呑みこみ吾妻川に押入り下流の村々、
田地田畑を押流して利根川に入った。
吾妻、群馬の両郡における被害は、流失家屋1265戸、死者1377人、
これにより耕地が荒れて大凶作となり、飢餓に苦しんだ飢人3000余人であった。
死体が江戸川周辺にも流れ着き惨状の凄さが分かる。
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今日のメモ
菊花展会場(善養寺)山門を入る手前に石碑がある。
江戸川流域の寺を廻ると、あちこちに見られる。
噴火により多くの人達が流されてきて漂着した。
善養寺や、柴又帝釈天を初めとし、あちこちの寺で付近の住民が中心となり
霊を悼み埋葬したことがわかる。