日々是好日・スローライフ(寅さんの柴又から発信)

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これぞ・・・・・ボロ市!!

2018年01月26日 | 技術  道具・伝承・歴史

 無いものは無い有るものは有る
≪ボロ市での画像、拾い集め≫ ネタの繋ぎ

 

 通りには骨董類、古着、植木から玩具、日用雑貨、

食料品など700店以上の露店が並び、街は活気に包まれていた。

 

 
漬物大根                  紋  印

 

 


竹  籠


刃  物


だんご3兄弟


装 飾 品

 
鉢 植 え                      シャボテン


神  棚


浮世絵もあるよ

 


歩道に着物の山


ベルト


杵&臼


糸 巻 器

 

的屋&露天商

ある露店商が著者(厚 香苗)に

語ったところによれば、テキヤは「七割商人、三割ヤクザ」であるという。



的屋=香具師( やし)=職業的隠語、

近世江戸近郊の参道などで

お香の原料を行商していたことから「香具師」と言われ、地縁的商人の集まりでした。

 

 

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寺の掲示板

2018年01月26日 | 総  神事、仏教に関すること

  寺の前で考えた 

 「選ばず、 嫌わず、 見捨てず」 

≪1月も間もなく2月、チョイト脇を締めまして≫

 

 私たちは、この言葉とは反対に、自分の都合の良いものを
≪選び・嫌って・見捨て≫て生きている。

人間は本来、多くのご縁を持った存在であり、
繋がりの中で生きている。

無縁社会という言葉が現代を象徴しているが、
そもそもは自ら縁を絶ち殻に閉じこもって、自分の力だけを頼りにして

生きようとしているのではないか。
 

しかし阿弥陀様は、そんな私たちの生き方に対しても、
決して選んだり嫌ったり見捨てたりしない「摂取不捨」のお心で

私たちに寄り添って下さっている。

その本願のはたらきに出遇い、自らの在り方を見つめ直す時、
縁によって支え合い、生かされている我が身の姿が見えてくるのである。 

                 
                真宗大谷派(東本願寺) ~ 竹中智秀 ~ 

 


考えたが、意味が解らなかった

 

 

 そうなんです。凡人・無能の人は

「選んで、選り好みして、見捨てる」切り捨てていってます。

そう言う僕らの在り方を、雑(行)って言うんだそうです。

人間は、分け隔てなく、均等に

付き合わなければいけないと言う事だそうです。

 コメ欄は閉めています。

 

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