モンゴル出身・旭鷲山 暴行・日馬富士に「横綱は神様。やばいなーと思います」
亡くなった両親の影響だったと思うのだが、学生時代は、年六場所の大相撲チェックを欠かすことはなかった。
小学生の頃は時間もあるから、夕方5時から6時までの幕内の取り組みはキチンとチェックしていたし、会社員になってからも夜のニュースで取り組みの様子をキチンとチェックしていた。
モンゴル出身の力士@旭鷲山や@旭天鵬が活躍し始めた頃は、旭鷲山をモンゴル1号、旭天鵬の事をモンゴル2号と呼び、家族で応援していた。
(命名方法にいろいろ異論はあるかもしれないが、家族内では「遠くまで来てくれてありがとう!モンゴル軍団頑張れ!」という思いで、彼らをそんな風に呼んで応援していたのだ。どんどんモンゴル出身の力士が増え「もう〇〇号って数えられないね~」などと言っていたのも私にとってはいい思い出だ。)
あれから何年も経ち、一人で相撲観戦するのはなんだか寂しくなり殆ど取り組みも見ることはなくなってしまったのだが、それでも相撲を時々目にすると、両親と一緒に楽しく相撲観戦をしていた頃を思い出す。
両親がこのニュースを見たら、どんな風に思うのだろうか・・・・・
亡くなった両親の影響だったと思うのだが、学生時代は、年六場所の大相撲チェックを欠かすことはなかった。
小学生の頃は時間もあるから、夕方5時から6時までの幕内の取り組みはキチンとチェックしていたし、会社員になってからも夜のニュースで取り組みの様子をキチンとチェックしていた。
モンゴル出身の力士@旭鷲山や@旭天鵬が活躍し始めた頃は、旭鷲山をモンゴル1号、旭天鵬の事をモンゴル2号と呼び、家族で応援していた。
(命名方法にいろいろ異論はあるかもしれないが、家族内では「遠くまで来てくれてありがとう!モンゴル軍団頑張れ!」という思いで、彼らをそんな風に呼んで応援していたのだ。どんどんモンゴル出身の力士が増え「もう〇〇号って数えられないね~」などと言っていたのも私にとってはいい思い出だ。)
あれから何年も経ち、一人で相撲観戦するのはなんだか寂しくなり殆ど取り組みも見ることはなくなってしまったのだが、それでも相撲を時々目にすると、両親と一緒に楽しく相撲観戦をしていた頃を思い出す。
両親がこのニュースを見たら、どんな風に思うのだろうか・・・・・