レイモンド・チャンドラーの長編7作品をすべて翻訳、刊行した村上春樹氏の新聞記事の中の「翻訳というものは、経年劣化から逃げられない宿命を負っている。」という部分が妙に心にひっかかる。
翻訳ミステリーが好きなのだが、今まではそんな風に考えたことがなかったので、時々話題になる新訳も「どうしてわざわざまた訳すんだろう?」などと思っていたのだ。
ただそんな私でも「翻訳文との相性のようなものはある」ということは普段から感じていたことだった。
ストーリーに魅力があっても、なんとなく翻訳文との呼吸があわず、途中で読むのを断念したことも一度や二度ではない。(もしかしたら、それは経年劣化のせいだったのだろうか?)
今度は、「呼吸が合わない」などというぼんやりした感覚的な事ではなく、もっと経年劣化についても考えながら新訳を手にしたいとは思うのだが・・・・
どうしても新しいミステリーを手にするのが先になってしまい、昔読んだ作品を新訳でもう一度楽しみたいという時間を作るのが後回しになってしまうような気がする。
翻訳ミステリーが好きなのだが、今まではそんな風に考えたことがなかったので、時々話題になる新訳も「どうしてわざわざまた訳すんだろう?」などと思っていたのだ。
ただそんな私でも「翻訳文との相性のようなものはある」ということは普段から感じていたことだった。
ストーリーに魅力があっても、なんとなく翻訳文との呼吸があわず、途中で読むのを断念したことも一度や二度ではない。(もしかしたら、それは経年劣化のせいだったのだろうか?)
今度は、「呼吸が合わない」などというぼんやりした感覚的な事ではなく、もっと経年劣化についても考えながら新訳を手にしたいとは思うのだが・・・・
どうしても新しいミステリーを手にするのが先になってしまい、昔読んだ作品を新訳でもう一度楽しみたいという時間を作るのが後回しになってしまうような気がする。
長いお別れ (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 7-1)) | |
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ロング・グッドバイ (ハヤカワ・ミステリ文庫 チ 1-11) | |
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