私の映画玉手箱(番外編)なんということは無い日常日記

なんということは無い日常の備忘録とあわせ、好きな映画、韓国ドラマ、そして
ソン・スンホンの事等を暢気に書いていく予定。

峠の釜めしと碓氷峠

2021-07-13 20:43:20 | なんということはない日常

今朝、駅前のコンビニ前に
「予告!!おぎのや 峠の釜めし 数量限定 7月16日(金)11:00~無くなり次第終了」
というポスターが貼ってあるのに気づく。

今週の金曜日のお昼は峠の釜めしで決まりだ・・・

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黄色い帽子を被り幼稚園に通っていた頃、赤いランドセルを背負って学校に集団登校していた小学生の頃、夏休みは、父の運転する車で父の実家に帰るのが恒例行事だった。

長野にある祖父の住む家に行くには、碓氷峠を越える必要があった。
当時既に碓氷バイパスも通っていたのだが、父は「バイパスは大きなトラックが飛ばして走っているからこちらの方がいい」と言い、くねくねとした細い道が続く旧道を行く事を選択していた。
ただ、それはバイパスの通行料金を支払いたくない父流の言い訳でもあったらしく、旧道も父と同じように通行料金を節約したい大きなトラックがビュンビュンと走っており、何度もアクセルを踏み込みギアチェンジし坂をやっと上る父の運転する旧式のバブリカが、やや場違いだった事は子ども心にも良く分かった。

今だったら「こんなにクネクネしていたら酔っちゃうよ」などと泣き言の一つも言って、バイパスを通ろうと画策したと思うのだが、車酔いをしない私はそんな芝居も出来なかった。後部座席に座って寝てしまうのが常だった母を無視し、助手席に座り、退屈な道中、うろ覚えの歌謡曲を壊れたレコードのように何度も繰り返し歌いながらやり過ごしていた。

そんな峠越え前の楽しみが「おぎのや」のドライブインに入り、釜めしを食べる事だった。
「峠の釜めし」というと、車窓からお弁当を購入するという思い出を持っている人が多いと思うが、私にはクネクネする碓氷峠を越える前の唯一の楽しみとして記憶に残っている。
お子様ランチでなく、大人と同じ器で同じものを食べるのも楽しかった。

家には夏の思い出とともに、いくつもの釜めしの器が残っていた。
自家製の梅干し入れになったり、ちょっとした器として使ったりしていたが、峠を越える度に増える器は段々有り難味が無くなり、最後は私が庭で泥饅頭を作る際の器になったりしていたと思う。

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この幼い頃の思い出があっているのかどうか両親に確認したいのだが、それが出来ないのが少し寂しい。今日13日は盆の入りだ。