舞台俳優であり演出家である男は突然妻を亡くす。「話したい事がある」という妻の言葉に頷きながらも、その日遅くまで自宅に戻らなかった男。夜遅く帰った時には妻は亡くなっていたのだ。妻の言葉が聞けないまま、一人の日々を過ごす事になる男。
妻との思い出の詰まった赤い愛車サーブを運転し、広島の演劇祭に向かった彼は、演劇祭の規定により運転を禁じられ、その替わりに一人の運転手を紹介される。若くても運転の腕はよく、そして言葉少ない彼女。
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三時間という長丁場。沢山の事が語られているはずなのに、見終わった後に残るのは、語られなかった事への思いだ。
妻は結局何を夫に話したかったのか。生前の妻を知っていた若い俳優を男は何故抜擢したのか。男は何故感情を排除し、徹底的にテキストである脚本に向き合う事を俳優に求めたのか。分かったような気もするが、それが全部語られるわけではない。
ただ、三時間という時間をかけてこの映画を見たのだ。どう感じるかは見た者にゆだねられていると理解していいのだろう。
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私は演劇人ではないので、「一旦感情を消して演技を行う事についての意味」は良く分からない。ただ、男は俳優陣にはテキストに徹底的に向き合うように指示をしながらも、自身は無意識のうちに知らない事は知らないまま、見ない事は見ないままにしていたように思う。妻も男がそのように生きている事が分かっていたはずだし、若いドライバーの女性も男がそうしている事が分かっていたはずだ。
辛くとも、それはそのまま感じて、生きていくしかない。これが三時間かけてこの映画を見た私の感想だ。この感想も、ワーニャおじさんでソーニャを演じたパク・ユリムの台詞に助けられての感想なのだが。。。