▲ハナセンナ(花旃茄)又はアンデスの乙女
<マメ科センナ属>
今頃、黄色いマメ科の花が鮮やかに咲いていて、名前も忘れていた。
「アンデスの乙女」で覚えたけれど、ハナセンナの方が優しい感じだ。
葉のわきから柄のある花を沢山咲かせ、下部の花ほど柄が長い。
マメ科特有の黄色い径3センチほどの蝶形の花を咲かせる。
葉は偶数羽状複葉(左右に小葉がいくつか並び1枚の葉が構成される)
で、互生に(互い違いに)生える。
小葉の形は細長い楕円形。
和名はハナセンナで生薬の「旃茄」を意味する。
「アンデスの乙女」は、流通名。
▲ベンケイソウ(弁慶草)
<ベンケイソウ科ムラサキベンケイソウ属>
なぜか幼い頃から我が家にはベンケイソウがあった。
おできや腫物などの時、祖母が火に炙ってくれて
厚い葉の薄皮を剥き患部に当ててもらった事を思い出す。
薄い紅色の小さな花が群がってつく。
花弁は5枚で横に平らに開く。萼片は5枚、雄しべは10本。
葉は楕円形の多肉質の葉が向かい合って対生する。
全体に多肉質で古名は伊紀久佐(生き草)と言い漢字では「活草」
でこれは枯れない強い草と言う意味があり、武蔵坊弁慶になぞらえたのが、
この名の由来です。
※昆虫コーナーはテントウムシダマシ(害虫)
のニジュウヤホシテントウ
テントウムシダマシ(葉を食べる害虫)
のニジュウヤホシテントウ
※himesijimiさ~ん
私には同定できませんが、どちらなのでしょうか?
宜しくご指導下さい。(-_-;)
ここで、ぐらついてしまった。
ありがとう~♪
※今朝のシモフリスズメの幼虫
大分、ぷよぷよの体形になってきた。
まだまだ食べるんだろうか?
ボタンクサギの葉っぱ(我が家の)が・・
足りなくなりそうで心配。
それでも、たくさん食べて欲しいので
散歩ついでに近所のボタンクサギの葉を戴いて来よう!
《俳句は秋の季語コスモス》
コスモス(秋桜)
コスモスなどやさしく吹けば死ねないよ 鈴木 しづ子
寄生バチにやられたナミアゲハが私は哀れ・と思うかな・・。情に流されるタイプだから。
観察者の目を持つ今日子さんには、(以後さんにさせて戴きます)冷静な判断ができるのだと思う。
たぶん、初心者には、つらい画像でしかないのも事実です。(ナミアゲハは数匹、育て上げたので。)
でも、それが生物の世界では当然のことで、目を背けずしっかり見て観察するのが当然の科学者の目よね。 でも、私は弱いから・・
負けていくものに・心惹かれてしまいます。
理屈では、今日子さんの言ってる事、解かるんだけど・・まだまだ甘ちゃんの花組なのよ。
いつも甘えてすみません。
テントウムシダマシと検索して納得したけれど・・
「テントウムシ図鑑」を見たら、ニジュウヤホシテントウにそっくりだったので・・迷いました。
宜しくご指導下さい。 れんげ
...弱いのは私のほうです😢
(実際に葬儀場で皆に言われましたもの...)
でもね、その涙には色んな想いが込められていた。様々な想いで涙が自然とあふれ出ました。
私には、実家に帰省できない訳があった。でもね、その理由を言って...言い訳して回るわけには行きませんでしたし、実際に私は帰省しない自分を責めてましたもの...
でも実姉の「...大丈夫よ。お父ちゃんには分かっているから...」で、余計でも涙があふれた😢
...私こそが弱い人間ですよ...
で、テントウムシダマシ類のお写真ですが...
(テントウムシダマシの仲間のなかの一種だということです。テントウムシダマシと言う種名を持つ個体は居ません。)
オオニジュウヤホシテントウか、或いはニジュウヤホシテントウかのどちらかで迷いましたが、斑紋の様子からお写真の個体はオオニジュウヤホシテントウではないのかな?と想いました。
寄生者は、好きで寄生者として産まれて来たわけでは無い。寄生者として産まれて来たからには、被寄生者に寄生することでしか生きてはいけない。アゲハも増え過ぎたら食べ物が無くなって共倒れになりますしね...
寄生者の生き方をも、アゲハへの想いと同じくらいの気持ちを持って観察してみては如何でしょう?ということです。
なんせ宝塚歌劇ファンです( ´∀` )
科学的、というよりも結構情深いのですよ( ´∀` )( ´∀` )( ´∀` )
逆に質問です。
近所にやたら多くオレンジ色のコスモス似の花が咲いてます。私はその花がキバナコスモスなのだろうと想ってましたけども、黄色いコスモスがキバナコスモスと言うのだそうですね。オレンジ色のコスモスは何て言うのですか?と、最後の俳句の意味が知りたいです。
最近(死)に触れ、考えることが多く、その意味が知りたく成りました。
宜しくお願い致します(*^^)v
そう・・今日子さんの事は、お姉様も亡くなったお父様も一番良く解っていて愛していたのだと確信いたします。
今日子さんの様々な思いのこもつた涙の意味を誰が理解できるでしょう。弱いなんて!とんでもありません。今日子さんの意志は強いです!優しや悲しみに裏打ちされた弱者に対する思いやりのある堅固で揺るがない意志です。だから皆が信頼し慈しんで愛さずにはいられない人なのです。多くの人が愛おしみいつも貴方を見つめているのですよ。
今日子さんが仰りたかった事は、寄生者の生き方もアゲハへの想いと同じ視点で見て行こうと言う事ね。私も務めてそのように同等に見ていきたいと思います。それはそれで意味のある事のように思えるからです。そして私が嫌がらずに静止できるかどうかも大きな意味があるような気がします。
黄色コスモスの話ですが・・
黄色や橙色、八重咲も含めて黄色コスモスと呼んでいます。
俳句の意味は
まづは、鈴木しづ子と言う人の生き方を知って読むのと、知らずに読むのとではまた意味が違って受け取れるかもしれませんね。
ただ、私としては、句として表現した時点で、もう作者から離れた存在であつていいと思っていることです。鑑賞者がどう受け取ろうが自由だと思うのです。あえて言うのなら・・
・・コスモスはやさしい花よね。青空の下で風に吹かれて靡いているわ。ピンクや紅や白色のコスモスは、しなやかに風にあらがわずに吹かれているのよ。あるがままに咲いていて、自分が美しいとか‣弱いとか・強いとか理屈では存在してないのよ。そのままでいいんだよ・・「死んではいけないよ」とそう語つているようなコスモスが私には見えるのです。
今日子さんなら、どんな風に感じるのでしょうね。
うまく言えなかったけれど‥ここまでの私。
今日子さんに出会えて、私は生きてきてよかったと思っています。また明日💛
成程、私はまだまだ不勉強ですね😢
詳しく鈴木しづ子さんのことを知らずに詠んではいけませんね...
「そのままでいいんだよ...」のお言葉が胸に突き刺さり残りました。
私はね~~~...アカンなぁ~~~( ´∀` )( ´∀` )( ´∀` )どう感じるかの...どの字も分からない😢
もっと〇レ〇ト観なきゃいけませんね😢
何より嬉しいお言葉...
「私に出会えて...」
たいそうなお言葉に恐縮しきりですm(__)m
...そう想って下さる方がこの世に居て下さることに感謝の想いで一杯です。
...ありがとうございます...
また、明日...(*^^)v